昨日の夜もタンさんが寝た後でナッツさんと1時間くらい話し込んでいた。
高天原から立石へのルートは、どこを通れば結局正解だったのか。あのペンキで書かれた「高天原」の矢印通りに左に上がっていくのが正解だとしたら、一体どんなルートで高天原に抜けられるのか、そこを下降したらどうなるのか・・・最早自分でこの先確かめる機会などあるかどうかも分からない程の場所であるということも薄々勘付いてはいる。けれどもそんなことについて延々と話し込める、価値のある無駄。この時間の幸せなことといったら。■9月9日(日)晴れ
8:32 立石
↓ - 1:18(ロープ渡渉2回)
9:50 立石奇石
↓ - 2:37
12:27 B沢出合
↓ - 1:18
13:45 薬師沢小屋
↓ - 1:30(ご飯休憩)
15:15 小屋出発
↓ - 2:27
17:42 赤木沢出合手前
5日目にして奥ノ廊下突入。というか今日が本来の下山予定日。
昨日のうちに核心は終えていると思っている我々、あまり今日のルートがキツイと思っていない。そして今日のうちに薬師峠に到着して、各自家族に連絡を取り、予定より下山が遅れるよということを伝えるもんだと信じて疑っていない・・・が・・・
のんびりと出発 |
これは前途多難な予感 |
と、早速どうするのかわからない強烈な渡渉。 |
先頭きって渡渉するナッツさん。腿を震わせながらじわりじわりと渡る |
まぁ流されたところで先に何か危険箇所があった訳ではないので死にはしないが・・・
最後にタンさんが渡る。靴がやたらと滑って苦戦 |
そしてまたここも強烈な流れ。ここは私だけロープで。 |
面倒臭い渡渉を幾度か繰り返すと、次第に水量が減ってくる。この先渡渉でロープを必要とすることはなかった。要するに前半さえ突破すれば後はどうにかなるってことで。
逆光で良く見えないけれども立石奇岩到着 |
たまに幕営できそうな場所もありつつ |
しかし改めて写真だけ見てもナニ沢かわからないな・・・というわけで解説は割愛。
で、巻いたら巻いたで降りられないので懸垂下降。タンさんに辿り着いたらロープセット中だった。嗚呼・・・
そしてついにB沢出合現る!
この出合から先は大東新道。エアリアにも掲載されているルートだし、沢筋を歩くよりずっと速く歩けるはず。薬師小屋に着いたも同然だねー
って、あれ、、、何、、、何なの、、、メジャールートのくせになんだこれは。結局ほとんど全部沢歩きじゃないか!意味が分からない!
登山道は沢から離れて山の中をほんの少しだけ登り、そしてまた沢に降り、しばらくするとまた沢から離れ、そんなことを繰り返しながら薬師峠に近付いてゆく。沢靴を履いているなら敢えて山の中を登るルートを辿る必要はない。とにかく沢を進めば良いだけなので。
E沢かな?因みにDとEはものすごいひっついてます。 |
E沢から先の沢はどれもわかりやすい |
水量が減ったとはいえ、そこまで暑くもないこの時期にザブンと浸かって突破して、寒さに震えながら遡行を続けるほどの勇気は誰も持ちあわせていない。突破できそう、というか、突破してみようかな?と思えるへつりを私は断念し、巻き道を行くタンさんの後を追う。後ろでナッツさんが突っ込んでいる。このままナッツさんなら突破しちゃうかなーと思いつつ、岩の上からカメラを構えたその時。
あっ!ナッツさんが岩から剥がれた! |
濡れ鼠です |
踏み跡も、懸垂用の支点もあったので、巻くのが正解なのかな? 岩の下にはずぶ濡れのナッツさん。 |
この出合から先は大東新道。エアリアにも掲載されているルートだし、沢筋を歩くよりずっと速く歩けるはず。薬師小屋に着いたも同然だねー
ペンキマークが無駄に多い |
沢沿いを名残惜しそうにしつつ梯子を登ってメジャールートに突入 |
一応メジャールートなので、ペンキマークと鎖などがある。でも、こんなとこで鎖なんて要らないだろ、という所に ガチャガチャと鎖が付けられていて結局誰も鎖に頼らないw ペンキマークも、水に濡れずに歩く必要のある登山客のためのマークに過ぎないので、 沢靴の我々にはあまりペンキの必要がない。ペンキは半分くらい無視して歩きたいように歩く・・・ |
ただ1ヶ所だけゴルジュを突破するための道があるので、そこはペンキの指示通りに山の中を歩いた方が良さそう。
ついにここまで来たんだ。
人工物でてきたー |
終わりが近い |
小屋が見えた! |
この写真のように水量が少ない時は梯子を登らずに進んでも吊橋に辿り着ける。 (登っちゃったけど) |
ジワジワ込み上げる幸せな気持ちと同時に、私自身がこのあとどのルートを辿って下山するか、遂に決断しなければならない場所に到着してしまったんだ、というどうしようもない気持ちが押し寄せる。でもとりあえずは休憩。休憩しながら落ち着いて考えよう。
一番後ろを歩いてきたナッツさん(※まだ下痢)がようやく吊橋に到着。
とりあえず家族へ連絡を、と携帯の電波を入れるも、私のドコモを以ってして繋がらず。
折立から富山へ行くバスは確か11時の1日1本だったはず。
しかし「今貼り紙見たら1日にどうやら4本あるみたいだよ」とナッツさん。この言葉を受け、一応と思って自分の目でもう一度貼り紙を見に行ってみた。
薬師小屋の受付左側に貼られたその紙をよーくよーく見てみると、なんと8月31日までは毎日運行、それ以外は土日祝日のみ運行と書かれている(涙)。ここで図らずも折立へ下山するという案が綺麗さっぱり消えてしまった。
タンさんは折立下山か、または黒部源流と三俣を経由しての新穂高温泉下山かという2択だった。
ナッツさんは雲ノ平経由新穂高温泉下山という1択だった。
しかしバスの都合で折立へ下山するという、タンさんの選択肢がひとつ消えてしまった。この先危険な場所は無いという2人の言葉を信じて、私がここでソロ沢デビューを果たすという選択肢も考えたが、タンさんに黒部行きの選択肢しかなくなり黒部遡行が決定した時点で、ソロ沢という選択肢はなくなった。
タンさんだけ黒部でナッツさんと私が雲ノ平、とか、全員で折立へ、とか、始めはかなりたくさんのケースがあり得て、元々優柔不断な私は頭がパンクしそうになっていたのだが、改めて冷静に考えてみたら、私の選択肢はスッキリと2つまで絞られていた。2択なら決められる。そして今、雲ノ平に行く必要は私にはひとつもない。黒部源流に行こう。
唯一の問題は、電波がいまだに通じておらず誰にも連絡が取れていないということ。
私とナッツさんの携帯を交換して携行し、私のドコモが通じた時点で下界に連絡を取ってもらう、とかも提案したが、ナッツさんの携帯には仕事の電話もかかってくるということで交換はできないと言われる。かと言って私が一方的に携帯を渡してしまったのではGPSが無しになるという危険がある。仕方がないので連絡できる場所に辿り着いたら連絡を取るしかないね、という話にまとまって一段落。
折角のナッツさんの勤続10年(12年)祝いの連休、彼がせっせと作ってくれた計画で、彼がせっせと運んでくれた重い食材を頂きながらここまでやって来たのに、ここで彼にとっての旅の終わりを1人にしてしまうことは本当に心苦しかった。計画を見た時からずっと、この旅の中心は彼だと思っていたし、計画を遂行することが旅の完成なのか、はたまた全員で楽しく下山して皆で一緒に東京に戻ることが旅の完成なのか、そしてそれについて迷ってしまうこと自体、自分は酷い人間のように思えた。迷いようもなく後者だよ、それでいいじゃない、という声と、彼の分まで黒部源流遡行を楽しむべきじゃない、という声が頭の中でぐるぐるした。しかも黒部に行くという選択肢に於いて、ナッツさんの分まで楽しまないと、なんてのは自分に都合がいい言い訳だなとも思ったし、ああもう兎に角凄い辛かった。
けれど昨日の夜立石で、ナッツさんは私に、行けない理由が無いなら行くべきだ、行けるなら行った方がいい、というようなことを言ってくれていた。本当は苦しいぐらいこの先を歩きたくてたまらないけれどどうしても行けない人の言葉。けれどここまではずっと一緒に旅をしてきた人の言葉。それは私にとってとても暖かく、しかし苦しいものだった。私が彼の立場だったら、そんなこと言うのにどれだけの想いが渦巻くか。それは平たく言うと、ワサビがたっぷり入った寿司を、そうと知りながら食べ、それでもそれを人に気付かれないようにしないといけないって指示されているような感じの、それをもっとずっとずっと重たくしたもの。ツンとして痛いくらいのもの。
ナッツさんが旅のあとで話してくれたけれど、タンさんと私をこの薬師小屋の橋の上から見送りながら、一人で涙を流したらしい。なんだかもう、この旅は私にとって大きすぎたよ。ナッツさん本当にありがとう。そしてここから先もずっと一緒に歩いてくれたタンさん本当にありがとう。
ナッツさんと握手を交わして、後ろを振り返り振り返りしながら小屋を後にする。毎日見ていたシャツとサンバイザーの鮮やかな色が小さくなっていって、最後は沢が曲がって橋ごと見えなくなった。
ここからの2泊はタンさんと2人。薬師峠で調達したお酒を携えていざ黒部源流へ。
のろのろと歩いて赤木沢出合の少し手前で幕営することに。
最初の予定では五郎沢出合で幕営することになっていたが、薬師峠出発の時点で15時をまわっていたので短めに切り上げて沢沿いでのんびり。
この日は何故かうまく焚火がつかずに苦戦したが、雨もあまり降らなかったので農ポリも張らずに各自のシェルターで就寝。農ポリがあるんだったら結局ツェルトなんてろくに張らずに旅は終わりそうだなーと思って持参した割には、結構何度も張ってるなぁ・・・
屈折具合が面白い |
何気なく撮ったこのナッツさんの何とも言えない表情。見つめる先には黒部源流がある。タンさんは何度も歩いたことのある沢、でもナッツさんと私にとっては初めて歩く魅惑の沢。その先はすぐに左にぐにゃりと曲がっていてよく見えない。
とりあえず家族へ連絡を、と携帯の電波を入れるも、私のドコモを以ってして繋がらず。
タンさんのスマホは電池切れ(充電ケーブル不具合で充電できなくなってしまったため早々に電源が切れてしまった)、ナッツさんはソフトバンクで電波弱くてダメ。雲ノ平界隈までずっとソフトバンクは全く通じないんだとか。ドコモがかろうじていくつか通じるポイントはあるらしいけれどかなり限られた場所だという。詰んだ・・・。とりあえず食べるか。
ワンさんも入れて4人で食べる筈だったお汁粉。 デザートなのにお餅1人1個は多いだろうと思って3個だけ持ってきたお餅だけど、どうしても3人で食べたかったんだ |
しかし「今貼り紙見たら1日にどうやら4本あるみたいだよ」とナッツさん。この言葉を受け、一応と思って自分の目でもう一度貼り紙を見に行ってみた。
薬師小屋の受付左側に貼られたその紙をよーくよーく見てみると、なんと8月31日までは毎日運行、それ以外は土日祝日のみ運行と書かれている(涙)。ここで図らずも折立へ下山するという案が綺麗さっぱり消えてしまった。
タンさんは折立下山か、または黒部源流と三俣を経由しての新穂高温泉下山かという2択だった。
ナッツさんは雲ノ平経由新穂高温泉下山という1択だった。
しかしバスの都合で折立へ下山するという、タンさんの選択肢がひとつ消えてしまった。この先危険な場所は無いという2人の言葉を信じて、私がここでソロ沢デビューを果たすという選択肢も考えたが、タンさんに黒部行きの選択肢しかなくなり黒部遡行が決定した時点で、ソロ沢という選択肢はなくなった。
タンさんだけ黒部でナッツさんと私が雲ノ平、とか、全員で折立へ、とか、始めはかなりたくさんのケースがあり得て、元々優柔不断な私は頭がパンクしそうになっていたのだが、改めて冷静に考えてみたら、私の選択肢はスッキリと2つまで絞られていた。2択なら決められる。そして今、雲ノ平に行く必要は私にはひとつもない。黒部源流に行こう。
唯一の問題は、電波がいまだに通じておらず誰にも連絡が取れていないということ。
私とナッツさんの携帯を交換して携行し、私のドコモが通じた時点で下界に連絡を取ってもらう、とかも提案したが、ナッツさんの携帯には仕事の電話もかかってくるということで交換はできないと言われる。かと言って私が一方的に携帯を渡してしまったのではGPSが無しになるという危険がある。仕方がないので連絡できる場所に辿り着いたら連絡を取るしかないね、という話にまとまって一段落。
折角のナッツさんの勤続10年(12年)祝いの連休、彼がせっせと作ってくれた計画で、彼がせっせと運んでくれた重い食材を頂きながらここまでやって来たのに、ここで彼にとっての旅の終わりを1人にしてしまうことは本当に心苦しかった。計画を見た時からずっと、この旅の中心は彼だと思っていたし、計画を遂行することが旅の完成なのか、はたまた全員で楽しく下山して皆で一緒に東京に戻ることが旅の完成なのか、そしてそれについて迷ってしまうこと自体、自分は酷い人間のように思えた。迷いようもなく後者だよ、それでいいじゃない、という声と、彼の分まで黒部源流遡行を楽しむべきじゃない、という声が頭の中でぐるぐるした。しかも黒部に行くという選択肢に於いて、ナッツさんの分まで楽しまないと、なんてのは自分に都合がいい言い訳だなとも思ったし、ああもう兎に角凄い辛かった。
けれど昨日の夜立石で、ナッツさんは私に、行けない理由が無いなら行くべきだ、行けるなら行った方がいい、というようなことを言ってくれていた。本当は苦しいぐらいこの先を歩きたくてたまらないけれどどうしても行けない人の言葉。けれどここまではずっと一緒に旅をしてきた人の言葉。それは私にとってとても暖かく、しかし苦しいものだった。私が彼の立場だったら、そんなこと言うのにどれだけの想いが渦巻くか。それは平たく言うと、ワサビがたっぷり入った寿司を、そうと知りながら食べ、それでもそれを人に気付かれないようにしないといけないって指示されているような感じの、それをもっとずっとずっと重たくしたもの。ツンとして痛いくらいのもの。
ナッツさんが旅のあとで話してくれたけれど、タンさんと私をこの薬師小屋の橋の上から見送りながら、一人で涙を流したらしい。なんだかもう、この旅は私にとって大きすぎたよ。ナッツさん本当にありがとう。そしてここから先もずっと一緒に歩いてくれたタンさん本当にありがとう。
記念撮影! |
このあとなんと雲ノ平までではなく三俣も越えて双六の手前まで歩いたナッツさんw 強靭www |
のろのろと歩いて赤木沢出合の少し手前で幕営することに。
最初の予定では五郎沢出合で幕営することになっていたが、薬師峠出発の時点で15時をまわっていたので短めに切り上げて沢沿いでのんびり。
この日は何故かうまく焚火がつかずに苦戦したが、雨もあまり降らなかったので農ポリも張らずに各自のシェルターで就寝。農ポリがあるんだったら結局ツェルトなんてろくに張らずに旅は終わりそうだなーと思って持参した割には、結構何度も張ってるなぁ・・・
増水したらやばそうだけれども割と平らで寝心地も良い幕営地 |
この日はかなり喋っていて、23時をまわってようやく就寝。というかココへ来てなんとタンさんまだ黒部源流詰めたことないとか言い出すw なんかよくわからないけどとりあえず一人で突っ込まなくて良かったのかも・・・と思いながら眠りに落ちた。
6日目へ
薬師沢小屋で別れた後のナッツさんのサブストーリーが凄すぎます!
返信削除15時過ぎに別れて三俣小屋の先までって・・・。
単純に三俣山荘までコースタイムで6時間半以上。
ってか雲ノ平まではあのゴロゴロの急登だし。日が落ちたら寒いし・・・。
まさに鉄人、、体力というか意思が凄いですよね。
すけろくさん
返信削除うむ、ナッツさん段々荷物も軽くなっていって(大量に持っていた食料が減っていったため)、多分下痢もよくなっていって、次第にパワーアップしていったんですよねw
鉄人というか、どこかで誰かが軍曹って呼んでますねwww