2013/01/02

20130101-03_迎春ソロハイク長沢背稜(2日目:酉谷小屋〜雲取山〜七ツ石小屋)

誰が最初に起きたわけでもなくなんとなく皆がガサゴソと起きる。冬の朝は遅くていい(ワタクシ基本的に朝が弱いため・・・)。
■1月2日(水)晴れ
7:30 小屋出発
↓ - 1:00
8:30 滝谷ノ峰へリポート
↓ - 0:30
9:00 水松山分岐
↓ - 0:45
9:45 長沢山
↓ - 0:32
10:17 桂谷ノ頭
↓ - 1:09
11:26 白岩山分岐
↓ - 0:03
11:29 芋ノ木ドッケ
↓ - 0:41
12:10 大ダワ
↓ - 0:23
12:33 雲取山荘
↓ - 0:30
13:03 雲取山山頂
↓ - 1:04(避難小屋で4人組パーティーとの談笑30分含む)
14:07 雲取避難小屋出発
↓ - 0:27
14:34 奥多摩小屋
↓ - 0:40
15:14 七ツ石山
↓ - 0:20
15:34 七ツ石小屋(時間不明)
一緒に年越しをした2人とは小屋で別れた(サイトウさんではない方とは、追い抜くタイミングで一度出くわしたが)。2人とも、水松山から天祖山の方へ下山するという同じルートの予定だったようだが、特に一緒に歩くでもなくバラバラになった。皆ソロで山に入ったのだから、そのままソロで進んでゆくのは全然不思議なことじゃない。
出発
寂しそうな、しかし幸せに溢れたトレイルを踏みながら進む。お正月の酉谷って、想像していたよりマイナーなチョイスだったのか?兎に角全然誰もいない。独り占め最高。
トレイルにはあまり雪もなかったが、ところどころ凍結しているので通過が慎重になる。いちいちそーっと歩くのも面倒臭いので早々にスパイクを履いて進むことに。
天祖山との分岐。
ここから少し北側のトレイルになる。案の定雪がちになった。誰かが歩いた気配もあまりない。

天祖山の分岐から雲取山までのルートを歩くのは今回が2回目だった。初めてここを歩いた時はテントを買って初めて山で1泊した1泊2日の山行(の予定)だった。結局1泊目は雲取避難小屋だったのでテントは張らなかったが。そしてそのまま酉谷経由で大血川方面へ下ろうとして迷って遭難未遂をし、3泊4日かけて自力で人里に辿り着いた。長沢背稜のこのルート上で迷った訳ではないので、遭難未遂と直接関係があるわけではないのだけれど、あの時初めてこの場所を歩いて感じた、この山の奥深さと大きな懐に抱かれる感覚は一体何に起因していたのだろう、というのを改めて探りたいという気持ちもあった。酉谷〜水松山までも勿論長沢背稜だけれど、私の中では明らかにここから先雲取山までの長沢背稜こそが真の長沢背稜なのだ(と勝手に思っている)。満を持して、光り輝く重たい天国のドアを開くようななんとも言えない緊張感を抱きつつも、再びこのエリアにこうして足を踏み入れることに歓びを感じていた。個人的に何のエピソードも持たなければ、何のことはないトレイルなのかもしれないけれど、私にとっては大分思い入れのある場所。ここには何があったんだろう、何があるんだろう。いざ。
北側へ移るポイントが少しだけわかりづらいからか、手作りの道標がいくつかあった
さっきまでと比べて凍結箇所が多い
これといった危険箇所もなく、ズンズン進む。冬山装備のような重さもなければ食料もそんなに持たなかったし全体的に荷物がすこぶる軽い。ちょっと物足りないくらい。
荷物が軽いとはいえ、歩いている距離が長いのでお腹が減る。
普段あまり手をつけないような非常食的な行動食にまで手を伸ばし、貪り食う
芋ノ木ドッケの周辺に近付くと木の根っこがモリモリと逞しい生命力を誇示するように生えていた。これは記憶の通り。それから、多分当時はこの界隈に生い茂るシャクナゲの勢いに圧倒されていたのではないだろうか。ここへ来るまでは奥多摩とか秩父も武甲山とかそのあたりしか歩いていなかったので、この見たこともない、ぐんにゃり曲がった有機物に心を奪われてしまったのだろうと思う。
シャクナゲ冬眠。
そしてとりあえずここまできた。ていうかここ標高1768じゃなくて1708mですよ。そして「桂谷ノ頭」ですよ、「柱谷」じゃないですよ。
圧巻の根っこ!
芋ノ木ドッケの山頂標の手前で、尾根の左側を巻くように道がついているところがあるのだが、凍結していたこともあって少しだけ足元が危うかった。当時はこんなところを突破するのも相当ドキドキしていたのだろうな。この辺りで女性ソロハイカー数名とすれ違う。いずれも60代以上のおばさまばかりだった。
朽ちた木に見とれたりなど
三峰の方へ降りる分岐。
ようやく。
大分凍結もなくなってきたし、トレイルも滑落を心配する感じじゃないな、と思い始めたらこの看板。
やはり。。。滑落しそうだもの。
大ダワの看板でかいw ピークでもないのに主張すごすぎるw
ここから男坂と女坂に分かれるが、大ダワ手前あたりから秩父側から強い風が吹き始めていたこともあり、尾根へ上がる男坂は風が強そうなので女坂を歩くことにした。途中で廃屋が見えたので男坂に合流して近付いてみると、旧雲取山荘だった。何気に見るの初めて(だと思う)。。。じっくりと観察。
何棟にもなっていてかなり大きい
少し先へ行くと通常の雲取山荘に到着。誰もおらず。かといって、長沢背稜で出会ったのも数名だったので、山荘に泊まった人はそのまま下山してしまったのかな。
雲取山荘の年越しは有名で、毎年鍋をやったりお餅つきをしたりするらしいのだが、この年末年始は250人泊まったのだとか。元旦の昼過ぎにもなるとこんなに静かになってしまうんだなぁ。
「芋ノ木ドッケ巻道」危険とな。矢張り。
お正月ということで
お正月仕様w
いや明らかにシラビンて書いてあるけど。シラビソ、、、
山頂にはそれなりに雪。でも少なめ
避難小屋で、夫婦+女性2名の50代くらいのパーティーに出くわし、暫し会話を楽しむ。お正月に、(彼らからしてみれば)若い女の子が1人で、デカいザックを背負って歩いてきて、慣れた手つきでアレコレ食べてはお湯を飲んでいる様子は、彼らの目にはかなり稀有に映ったらしい。ていうかどっから来たの下から上がってきた訳じゃないわよね?いつからいるの?いつ降りるの?いつもはどんな所行ってるの?真冬も行くのね?沢登りもするの!?いつも1人で行くの?と質問攻めにあう。いやいつも1人って訳じゃないし、今1人で行くのは地図に線があるところだけですよ、、、と、自分の力不足を噛み締めつつしみじみ答えたら、えっこの子どんだけ山マニアなんだよ、みたいな反応をされた。ああ、いつも自分を取り囲んでいる人達は、一般登山という括りからかけ離れた遊びばかりしているものだからうっかり感覚が麻痺してきていたけれど、普通は線のあるところしか歩かないんだったよね。

雲取避難小屋で泊まっても良かったのだが、一度泊まったことがあるし、夜結構冷え込むらしいという予報もあったからもう少し高度を下げておこうかな、ということで少し下ることにした。それに避難小屋に泊まる人数も少なそうだったので、テントよりもずっと寒いんじゃないかという気もした。結局、奥多摩小屋じゃあ下った気がしないし、鷹巣避難小屋まで行くのも時間的に微妙だし(それに鷹巣小屋まで降りると夜が短くなるのでゆっくりできないし)、ということで間をとって七ツ石小屋を目指した。なんだか凄く微妙なところにあるし、貸し切りなんじゃないのか?そもそも小屋あいてるのか?
石尾根の右側を10分くらい下ったところに小屋がある
以前は連絡があると営業するとかそういうスタイルだったぽいのだが、今は通年営業をしているらしい。こんな寂れた(失礼)場所で通年営業って採算とれるのですかね。かく言う私も、このエリアには何度も来ていたのにこの小屋に来たのは初めてだった。現在の小屋番さんは26歳のカッキーさんというヒッピーカルチャーどっぷりの青年。
ラーメンを食べてからテントでまったり読書。
ウィスキーをちびちびやりながら本を読んでいたら、テントの外から「お酒飲めますか?」と声がして、誰の声かわからずとりあえず顔を出してみたら声の主は小屋番さんだった。なんと「樽酒があるので飲みにきませんか、ストーブもあるんで」と仰る。まじすか。行きます行きます。
ぐはw
日本酒だけにとどまらずワインも御馳走になりながら、ここから何時間か飲み続けて22時くらいまでずっと喋っていた。この小屋番さんはこんな地味な山小屋に毎日暮らしているにも関わらずゴアトランスが好きで、今読んでる本は「太陽と風のダンス」だという(私も以前読んだが、世界中のレイヴに行っては日本に帰国してバイトして、また海外に出て、を繰り返す人の自伝。レイヴ好きなら大抵の人が読んでいる本として有名)。行ったことがあるパーティーもいくつかカブっていた。まさかの展開。

あと、彼の前に小屋番をしていた方が相当な酒好きだったらしく、それを知る登山客がお酒を持ってきては置いていってくれたために沢山ストックがあったのだとか。それにしても、テント泊の客を小屋のストーブ近くで暖まらせてくれる営業小屋なんてそうそう無いと思うし、用がなくてもまたちらっと遊びに行ってみてもいいなと思える小屋だった。因みに、テント泊でもストーブで煮炊きさせてくれるとのこと。

結局のところ、長沢背稜を歩いた時に強烈な印象が残ったのって一体何故だったのか。当時は「見渡す限り山山山ですごい!これまで行っていた所とは違う!」と思って興奮していたのだが、見渡す限り山しか見えないというような所にはこの数年の間に散々行ってきているので、今更そういう興奮はなかった。しかしあのシャクナゲは当時の私の目には強烈な生命力の象徴として映っただろうし、道のつき方にしても今回よくよく地形図を見ながら歩いてみたら結構面白みがあったから、何が面白いとも理解せずにただなんとなく無意識に面白さを感じ取っていたのだろう。あと、このエリアにはなんとも言えない魅力があるのだけれど、それについては今もまだ言葉にできない。行き慣れた場所なので、計画を立てていなくてもふらっと行くことができるし、それでいて気軽なハイカー的な人がそんなに居ないというのも良い。この不思議と肌に合うエリアは、もしかしたらまた何年か先に私に強烈な何かを残していくのかも知れない。

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