2024/05/31

20240524‐26_Tokyo Grand Trail (100 mile)後編

前編はこちら

■A4富士見茶屋~A5和田峠 118km
勝手知ったる城山を登って天狗様にご挨拶、ベンチで少しだけ脚をあげて休み、いつ来ても水浸しの日影沢林道を下る。転びたくないし、飛ばすと前腿が死ぬのでゆっくり進んでいたが、誰にも追い付かれないし当然誰にも追い付かない。途中鼻血が出たりなどしつつ、水場ではコップ1杯ほどの水を飲む。山の水は飲んでおいた方が元気になれると信じているのでね。それにしてもスタート時からずっと思っていたけれど、荷物が軽いんだよね。私は縦走の時はおろか走る時でさえも荷物が重いだけに、水とレインウェアと行動食とヘッドライト+α程度の荷物で走っていると実に軽くてそれはそれは本当に楽だなと感じていた。100マイルレース前の練習量としてはそんなに多くなかった筈なのにここまで走ってこられているのは普段の荷物が重いお陰かもしれない。

久々の城山山頂なので天狗様とツーショット。
撮った後、あまりにも顔が死んでいるのに気付いたけれど撮り直すほどの気力もなかった
日影沢林道を終えて道路を左へ進み線路をくぐると小下沢の脇を走る林道に入る。普段駅から日影沢林道に行くときは日影沢林道に入らず先へ進むことなんて無いから、ここから暫くは知らないエリアだ。ほほーこんなところに道があるんだね。ただの砂利道で特にアップダウンがある訳でもなく、このエリアで何故こんなルートを走らされているのだろうと疑問に思えるような単調な道に沢の音。暗闇の中、何の変わり映えもしない道を進んでいると、眠気も相まって自分がどんどん無になってゆくのがわかる。しかし少しの登りでも体はその傾斜を感じ取り、じわじわとライフは削られる。幸いにして足の裏や指、踵などのマメや、足底筋膜が痛いというようなトラブルはなかったのだが、小指球~踵にかけて骨の奥の方だけがジンジンと痛みだした。外くるぶしの下あたりの小さな膨らみが腫れて大きくなっているというか、ごろごろした石を踏んだ時の地面からの突き上げがたまらなく痛く、次第に着地の衝撃に耐えられなくなってきた。走れればどんどんタイムを縮められる区間な筈なのに、足の痛みのせいでタイムは逆にどんどん落ちてゆく。たまに人が後ろからやってきては走って抜いてゆき、何なら歩いている人にも抜かれてゆく。まずいな。暗い暗い平坦な林道をとぼとぼ歩いていると急に眠っている人が転がっていてびっくりしたりしつつ、それでも歩みを止めることはせずにとりあえず進む。この距離を行くにしては靴のソールがすこし薄すぎるのだろうか?十里木に着いたら、ドロップバッグに入れてあるもう1足の靴に履き替えた方が無難だろうか。っていうか履き替えておさまる痛みなら一刻も早く履き替えたいけれど十里木までまだまだある。足は持つのか。足はそもそもどうなっているのか・・・。外くるぶし下の膨らみで靴がきつくなっているような気もしたので少しだけ靴紐を緩めてみたりもするけれど大きく状況が良くなるわけでもない。経験したことのない痛みだったので正しい対処の仕方がわからないのがもどかしい。兎に角進むしかないのでロキソニンを飲んでやり過ごす。
これ合ってるのかと疑いそうになる藪の中の徒渉ポイントを越えてしばらくするとようやく林道が終わって山セクションに入った。石の突き上げから解放されて土の上に放たれるとようやく足の痛みが落ち着いてきた。助かった。全ルートを走らず歩き通しているというロングパンツの男性と、スタート時に徳本選手と一緒にいた綺麗な女性が近くにいて抜きつ抜かれつしていたが、女性は私を追い抜いた後少し横になっていたようで、その間に私が追い付いてその後しばらく一緒に歩いた。彼女は胃腸の調子が良くなくあまり食べられていないとのこと。彼女も私と同じく初めての100マイルレースらしく、北海道からの参戦だった。堂所山、明王峠とアップダウンを繰り返しているこの辺り、ちょっと記憶は定かでないが23時前くらいに私は眠気を感じ始めてカフェインの錠剤(エスタロンモカ)を200mg摂取したのだったと思う。1ヶ月のカフェイン抜きを経て、カフェイン摂取による覚醒効果は如何に。

まもなくA5和田峠だ。初めて奥久慈トレイル50Kを走った時、高尾エリアの友人らと一緒に和田峠で練習をしていた時期があったのだが、まさかそれから9年後にこんな形で再びここに来ることになるとは思ってもみなかった。というか和田峠ってこんなところだったっけ。A5に到着すると蛍光灯が眩しく、そして笑い上戸なボランティアの女性の止まらない笑い声になごむ。何にツボって笑い続けていたのかはわからないけれど滅茶苦茶癒された。そしてみんなが優しい。激しいスポーツの最中なのに、穏やかな時間が流れる。
鶏粥エイド到着!
エイドのご飯がどんどん胃に優しいメニューに変わっていくw
鶏粥だって書いてあるのに「なんかアサリみたいなの入ってて美味しいな」なんて思いながら3杯くらいお代わり。途中で、ああ鶏粥だからこの具は鶏肉か、と思った(寝ぼけていたのか?w)。脇に添えられたしば漬けの塩気が染みる。エイドにはお味噌汁もあったのだがその場では飲まず、350mlのサーモスに半分くらい入れて貰って持っていくことにした。ここから先次のエイドまでの区間が長めで水分1000mlでは足りなさそうな気がしていたので、味噌汁は水分の足しでもあり、胃腸が弱ってきた時のためのお守り代わりでもあった。胃腸の調子のよくなかった彼女もお粥なら食べられたようで一安心。ここから先、お互いのペースが合わなくなるまでしばらく一緒に進もう、ということで一緒にエイドを出発することにした。

■A5和田峠~予備関門・今熊山登山口~A6十里木 134km
さあ南側のループも残り僅か、和田峠を出発し再び醍醐丸へ戻ってきた。この時の醍醐丸の道標を私は一生忘れない。やっとここまできたんだ!「これでまた南ループに入ったら無限ループ過ぎて死んじゃうよね」とか言って笑っていたのに、この時彼女と私は二人して南ループの生藤山方面に向かってしまったのはここだけの話。無限ループしたいんでしょうかね・・・ある意味眠気によって引き起こされたリングワンダリングとでも言うべきか(すぐ気付いて引き返したけど)。
このレースを走っていない人から見たらなんの意味もなさない普通の道標、
しかしこのレースを走った人ならわかる、大きな意味のある道標。
市道山までは往路を逆走するような形で進み、そこから入山峠方面へハセツネ逆走コースで今熊神社まで。市道山の後のアップダウンが繰り返している辺りだったと思うが、カフェインをもってしても消えない眠気に抗えず、少し座って目を閉じてみることにした。彼女も一緒に、時間にしてほんの1‐2分足らず。彼女はここまでしばらく調子が悪そうだったので、佐野川エイドで私がサーモスに入れてきた味噌汁を少し飲ませたりして一緒に進んでいたが、この僅かな休息で目が覚め調子も戻ったらしかった。大きな集団と合流して暫くすると「眠気が消えてるうちにちょっと進みます!」といってあっという間に先に行ってしまった。集団は20人近くて、彼女はその先頭の方へ、私は後方へと離れた。私が眠気を封じ込めるのに使っていたエスタロンモカ200mgは、以前分水嶺トレイル120kmを歩いた時にも服用し、効果が切れるまで6時間なのでそのつもりでいたけれど、今回は服用して3時間ほどで切れてしまった。仕方なく午前2時頃に再度200mg摂取することにした。このペースで飲んでいて大丈夫なのか(きっと大丈夫ではない)。周りの人に「前は6時間もったのに3時間しかもたない」とボヤいたら、それだけ疲れてるってことなんですよ、と言われた。そういうものなのか。明るい光を見ると目が覚めるという話も聞いていたので、どうしても目が閉じそうな時はライトを最大の600ルーメンまで明るくしてじっとそのライトの照らす白い地面を見たりしていた。

今熊神社へ降りる下りはこれまでに散々通った道とはいえ下りで使うのは初めてだ。いつもハセツネでは登っているルートだが、走ったことがある人ならわかると思うのだけれど兎に角あの石の階段は段差が大きい。ダメージの酷い前腿は登りよりも下りがしんどくなって久しく、この段差をこなすのは至難の業だった。後で聞いた話だと、トップ選手達もここの下りは結構時間がかかっていたらしい。
それでも下り切るまで私は周りの人より多少速いペースをキープできていたのだが、下りきってからは違った。皆歩くのが速く、何なら走り出す人までいた。いやいや、発電所脇のこの林道、登りだよ!?皆全然脚が残っている。闘い方が判っている人達はきちんとここまで脚を温存しているから所謂「脚の売り切れ」を起こしていないのだろう。流石すぎる。私はといえば、坂を走って登るような気力や体力は既に無く、走れないこともない平地や下りをきっちり走ることもなく怠けながら進んだ。発電所の後再び山に入り、武蔵五日市方面に行かずに分岐を左へ進むと十里木方面に抜けるのだが、ここも過去散々歩いてきていたのにこんな風に道が繋がっているとは知らなかった。この区間も地味に長く、私は下半身をショッキングピンクで統一した男性と2人で歩みを進めていたが、彼は途中で眠くなって眠ってしまったので私は一人で山を抜けて十里木に向かった。私は十里木のすぐ手前のコンビニはスルーしたが、発電所あたりで私を引き離していった人の集団は丁度そこで買い物をしているところだった。何時間か前に離れ離れになった彼女もまだいたので追い付いたけれど、その後一緒にA6を出発することはできなかった。私の調子がおかしくなってきたからだった。

十里木に着いたのは朝5:30過ぎ。大幅にペースダウンしているとはいえ、まだ45時間ゴール想定の時刻だった。小指球~かかとの間の痛みは土の上を歩いているうちに完全に消えたので、靴を交換するのは止めてこれまで履いていた靴のままゴールを目指すことに決めた。疲れているし眠いのだけれど相変わらずお腹はすいていたのでエイド食の出汁茶漬けを頂く。サポートのM氏がカップヌードル(普通サイズ)のカレー味があるけど食べる?というので作ってもらい、ゆで卵も入れてもらった。美味しい!気持ち悪くなるようなこともなく食べ進めて、ゴールまでのエネルギーをチャージしていたはずだったのだが、7-8割まで食べ進めたあたりでお腹がいっぱいになってきてしまった。エイドのそうめんやラーメンなんかは小分けのものを4杯も5杯も食べてきたけれど、矢張りカレー味となるとスープのカロリーが高いからすぐにお腹にたまるのかな?などと思いつつ、とりあえずもう十分という感じになったので少し残して食事を終えた。しばらくするとお腹が痛くなってきたのでお手洗いに向かうことにする。ここまで走ってきて初めて催したのだけれど、沢山食べてきたのだからそりゃ排泄もするよねという感じだった。エイドステーションから道路を挟んで向かい側にあるお手洗いへ行って再びエイドに戻ると、また数分でお腹が痛くなりお手洗いに入る。そんなことを5回6回と繰り返しているうちに周りの人達は皆出発してしまい、時間もどんどん過ぎてしまった。制限時間までのバッファをどんどん食い潰している。トラブルひとつ、睡眠ひとつでどんどん余裕はなくなっていく、とえまちゃんが言っていたのはこれだったのか。気持ちが焦る。ここまでにロキソニンやらカフェインやら放り込んでいたのに加えて、更にここで下痢止めのストッパと追加のカフェインを入れて出発することにした。時間は6時半頃だったか、M氏に「ゴールしろよ」と檄を飛ばされて最後の旅に出る。こんなところで1時間も使ってしまったのは想定外過ぎる。スタート前にコース分析をしていた時には「二度目の十里木にさえ着ければもうあとはゴールするだけだし気持ちも大分楽になるはず」と思っていたのに、寧ろ一番しんどい区間はここからだった。

■A6十里木~A7都民の森(トチノキ広場)152km
A6十里木をでるとすぐ高明山の激登りが始まり、腹痛は収まったがそれと引き換えに吐き気が酷くなってきて嘔吐(えず)くようになってきた(えずく、って嘔吐くって書くの今初めて知ったw)。登っていると胃が押されるような体勢になるからか非常につらい。いっそ吐いて楽になりたい。というか吐かせて欲しい。どうやったら吐けるのか教えて欲しい。しかし全く吐けない。下痢止めに続いて今度は胃薬系を漢方と西洋医学と両方放り込み
最早薬漬け状態。カフェインで麻痺していただけなのか日が昇って明るくなったからなのかわからないが眠気はあまりなく、しかし気持ち悪い時は横になると治ったりするという話を聞きかじったことがあったのでベンチを見つけては横になったりしてみた。全然良くならなくてやりきれない。気持ち悪いなと少しでも思ったらすぐに薬を!と言われていたけれど、予兆なく吐き気がやってきたのでもうどうにもならなかったし手遅れだったのだろう。しんどい。しんどい。どんどん後ろから人がやってきては抜いていく。男性も女性もいる。順位はどんどん下がっていくけれどもうそれどころではない、自分との闘いだ。しかし気持ち悪いからと言って何も食べずに進める距離でもないので、残してあったTop Speedとアミノバイタルのジェルを1本くらい飲んだのだったと思う。Top Speedは600円以上したし、これ飲んでから吐きたくないなぁとかしょうもないことを考えていた。

そうこうしているうちにどこかのセクションで一緒に進んでいたと思われるおじさん達が追い付いてきて、座り込んでいる私を見て「あ!久しぶりに見た!だいじょうぶ?」と声を掛けてくる。事情を話すと、メロン味のラムネをくれた。最近よくある固めのラムネではなくて、昔からあるようなクッピーラムネっぽいラムネだった。何か食べないと進めないからといって渡してくれたそのラムネは舌の上でしゅわっと溶けて、爽やかな酸味が広がった。気持ちがいい。体調が悪くなった時何が食べたくなるのか準備の段階では全く想像できなかったけれど、ラムネはひとつの正解だったと思う。ひとつぶ、ふたつぶ食べていくとなんとなく一縷の望みが見えてきたような気がした。少しずつ進んでみるけれどGPSを見るとろくに進めていなくて、まだまだ大岳山も御前山も遠い。道標には無慈悲な距離が書かれていて、それを見るたびに私は意気消沈していた。大きな段差でストックを突こうとするともう肩が痛くて腕も上がらなくなってきた。

つづら岩の手前あたりだったか、蛍光色のビブを着た男女が後ろからやってきた。ええええ!?まさかのスイーパー現る!?私最後尾なの?と焦ったが、セカンドスイーパーだったようで制限時間の40分前に十里木を出発したというスタッフさんだった。この後にはもっとギリギリのスイーパーがもう一組居るという。とはいえもう私はそこまで順位を落としているということだ。結局私はTrippersのH氏と2人、A7までずっとスイーパーに付き添われてなんやかんやお喋りしながら進むことになった。ぺースは更にのんびりになったが、もうここまできて順位がどうとかタイムがどうとか言っている場合でもなかったし、ペースをあげて頑張ればまた気持ち悪くなりそうだったし、身の程わきまえたテールエンダーとして兎に角ゴールを目指した。H氏は登りがしんどそうだったが下りは元気で、私はその逆だった。しっかり進めているから大丈夫、まだ30分くらい余裕があるしいいペース、とスイーパーから繰り返し励まされ、更に今度はイチゴ味のラムネまでお守りに持たされてどうにかこうにか大岳山、そしてとうとう御前山から都民の森に下る分岐に辿り着いた。ゴールの制限時間は16:00だが、その手前のA7で14:30の関門がある。ここさえ突破すればあとはきっと大丈夫だという。

あれこれ喋りながらスイーパーとH氏と4人で降りてくると13:30過ぎにA7に着いた。結構余裕があるじゃないか!とホッと胸をなでおろす。和菓子エイドとのことでここではわらび餅とだんご汁(あんこの入ったお餅が麺つゆみたいな汁の中に入ったもの)、コーラなどを頂いた。吐き気が完全におさまった訳ではなかったが食べることはできるようになっていたので元気も出てきた。残りもあと少しなので休憩は手短かにし、46時間台でのゴールを目指して出発した。それにしてもA6十里木に45時間想定のタイムで到着していたのに、A7都民の森に着いた頃には47時間想定のタイムまで落ち込んでいた。仕方がないとはいえ再び大失速。

■A7都民の森(トチノキ広場)~FIN奥多摩運動公園 159km(171km)
H氏より先にA7を出発したものの、下りの脚が残っているH氏にはすぐ追い付かれて追い抜かれ、そしてまた私が追い付いたりなどを繰り返していた。舗装から砂利の林道に入る手前の立哨で友人のO氏がいたので暫し談笑。
眠くて日の光が眩しく、写真を撮っても全然目が開いてないw
もうラストだというのに林道は緩やかな登りでしかも日影がほとんどなくて滅茶苦茶暑いしし長い。ここまできて峠走みたいなことさせられるのかよ!しねぇよ!とかなんとか思いながらぼちぼち歩く。立ち止まったまま宙を見て意識を飛ばしているH氏を拾って更にゴールを目指しつつ、もう一歩も走ることもなく進んでいると、本当の最後尾にいたスイーパー集団が走ってきて追い抜いていった。いやはやこれで本当にほぼビリだなw 頑張れば走れたけれど、もうゴールは見えているし走らなくてもいいかな~という感じでのんびり歩いてゴールに向かう。まさにとことこExplorer!w
スタート/ゴールがこの急坂の上なので、最後までまだ登らされてうんざり。
もう走らんw
制限時間が残り30分と迫っているのになかなか私が到着しないので、間に合わないのではないかとハラハラしていたというサポーターM氏は、ようやくやってきた我々を出迎えて写真をバシバシ撮るw こんな最後の最後で制限時間に間に合わずにゲームオーバーなんてそんなナンセンスなことになるつもりはないのだ、きっちり時間内にゴールするのだ!
終わったーーー!
よく皆、レース終わってゴールゲートをくぐってからお辞儀をしているけれど、私はこれまであまりそれをやったことがなかった。しかし何故か今回は自然とお辞儀していた。トレイルにありがとうというか、関わってくれた全ての事象と人々にありがとうという気持ちだろうか。別に大きな感動という感じはなく、100kmくらいまではゴールしたら泣くだろうなーと思って想像だけでうるうるしたりしていたけれど、実際ゴールしてみたら別に泣かなかった。嬉しかったし達成感もあったけれど、どこか不甲斐無さもあったし、そもそも完「走」できていないとかなんとか・・・。贅沢言っちゃいけないんだけど。まぁ単に眠くて疲れていて感動する余裕がなかっただけかもしれない。
ありがとうございました!
初100マイルの私と初サポートのM氏。長丁場お付き合いいただきありがとう!
相変わらず私の目はあまり開かないw(眠い)
ゴールしたら冷えた缶ビールが貰えたけれど、まったく飲む気は起きなかった。完走賞も酒で、澤乃井の四合瓶だった。ゴールして身支度を整えて椅子に座っていると、久々に再会したI氏が隣りにやってきて、自分はお酒を飲まないからといって私に1本くれたからお土産は四合瓶2本になった。椅子に座った途端に私はまったく動けなくなり、立ち上がるのも腕を上げるのも歩くのもままならなくなった。よくそれで降りてきたね体どうなってんのよとI氏。実力以上に出し過ぎてもう体中バキバキだった。ずっと指切りグローブをしていたので気付かなかったが、ゴールしてグローブを外してみると血の気が完全に引いた真っ白な手の平に、無数の紫色の痣が浮かんでいた。小指の付け根の辺りは腫れていてうまく動かせないし手をついて立ち上がろうとしても手の平が痛いので、肘をつかないと立ち上がれない状態だった。満身創痍で私の初100マイルは幕を閉じた。
参加賞は350mlくらいのスープジャー。持っていなかったのでちょっと嬉しい♪
体の前側につけていたゼッケンはA1御岳の時点ですでに汗でボロボロだった

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3月、レースにエントリーした直後、右の内くるぶしが腫れてきて、足首を動かすにも何か詰まっているような違和感を覚えた。丁度山に行った後だったので、「あれ?私捻挫したっけ??」と思ったのだが捻挫をした記憶もなかった。しかし足首を内側に捻るとくるぶしの上にある筋のようなものがゴリっと動いて、目で見ていてもわかるほどで、不安に思った私は外科でレントゲンを撮って貰った。骨の異常がないことがわかって今度は整骨院へ行くと、後脛骨筋腱炎的な症状だったようで、10日ほど休んだあとあれこれメンテナンスをしながらならトレーニングを積んで良いとの許可を貰って慎重にトレーニングをした。目に見えて改善はしなかったけれど悪化もせず、160kmも走るっていうのにこんな不具合抱えたまま出走して大丈夫なんだろうかと不安な日々が続いた。結局本番でその右足の内くるぶしが痛むことはなく、そんなことはどうでもよくなるくらい他があちこち痛かった(特に小指球~かかとの痛みは本当にしんどかった)。走り終わった今は再び内くるぶしがゴリゴリ言い出しているけれど、痛いということもない。とりあえずちょっとした故障アリの状態でよく本番迎えてゴールまで辿り着いたなと思う。

私はレースの時のメンタルが強く、多分自覚している以上に人からそう言われる。今回も、吐き気がある中でよくここまで耐えたね、というようなことを人から言われたけれど、自分としてはリタイヤするほどの吐き気ではないと思ったし、ラスト30kmでリタイヤするほどの吐き気ってどんな吐き気だよと思う。吐けなかったからこそカップヌードルのカロリーが体内にとどまってゴールまで進むためのエネルギーが足りたのだろうし、なかなか効かなかったとはいえ胃薬とかが効いてくれたのかもしれないし、はたまたちゃんとどこかで眠っていればこんなに気持ち悪くならなかったのかもという気もするけれど、眠っていたら関門に引っかかってゴールできていなかったかもしれない。たらればを言い出してもどうしようもないのだけれど、私の周りにいる一部の100マイルレースジャンキーな人達は、こういうPDCAをまわすことに快感を覚えたりしているのかもしれないなと思った。こりゃ頭脳戦だわ、事前の準備も緻密にやらないとすぐ破綻するし、レース中も今回のようにマーキング無しだと終始頭使いっぱなしだもの。因みに、ルートファインディングに頭を使うから眠くなりづらいんじゃないかなとか思ったりもしたけれど結局普通に全然眠かった。

次にまた100マイルを走る時には、最後の舗装路を軽々と走りきってゴールしたいなぁと思う。しかし準備を始めてから本当にいろんなことを考えたり、買ったり、コース分析したり、カフェイン抜きをしたり、お酒を抜いたり、ローカーボにしたりカーボローディングしたり。長いようで短い2ヶ月だったなぁ。ずっとずっとレースのことを考えて過ごしていたような気がする。ゴール直後の強烈な感動ではなく、長く尾を引く多幸感が今もまだ続いていて、きっとこれは準備期間と本番を含めた時間が長かったからこその長い幸福感なのだろうなという気がしている。木が大きく育ったのは、深く深く根を張っていたからだ。

CT0.57で進み続けるだなんて、完走可能性は3割くらいか、多く見積もっても5割くらいかもしれないと思っていたけれど、私はもっと強かった。自分を低く見積もりすぎていたのか自分に少し申し訳ない気持ち。本当に完走したんだろうかと今でもちょっと信じられなかったりもするけれど、本当に完走したんだよな。私は今じわじわと幸せだ。
結局行動食はジェルとアミノバイタルの顆粒、グミ中心でした。
あと、低GIアップルハニーをスポドリで溶いたものが滅茶苦茶美味しかった!
尚、走ってるとやっぱり柿ピーは欲さない。

2 件のコメント:

  1. 初めてコメントします。
    以前から貴重な情報を拝見しておりました。
    yasuyoさんを尊敬し憧れております。
    今回の試合は特に感動と勇気を頂きました。
    怪我の無いように今後の活躍を期待しております。
    ありがとうございました。

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    1. pisteさん、はじめまして。コメントありがとうございます!
      人様から憧れられる程の人間でもございませんが(笑)、感動と勇気を与えられたのであれば文章をしたためた甲斐があるというものです。このくらいの距離を走る人は世の中にはたくさん居ますし、経験者が読んだら大袈裟と思う部分も多々あると思うのですが、私個人にとっては未知の距離、そして初めての距離だったので文章めちゃ長くなりましたw具合悪くなり出してから全然写真もなくて文章だけでしたがお読み頂きありがとうございます。

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