2024/11/03

20241103_第8回甲州アルプスオートルートチャレンジ(70kmオートルート)

秋はトレランのシーズン。
何度も出走しているハセツネのここ最近のエントリーフィーの高騰がえげつないので、少し距離を置きたい気分になり(単にクリック合戦に負けたというのも理由のひとつではあるけれど)、かねてより気になっていた甲州アルプスオートルートチャレンジに参戦してきた。強烈なドラマがあった訳ではない気がするので、ブログはいつもより軽めにw

このレースに出走しようとした時にまず立ちはだかったハードルは宿問題とアクセスだった。短いカテゴリーもいくつかあるのだが、自分が出ようとしていた制限時間17時間のオートルートカテゴリーの場合、朝4時スタートで21時ゴールとなり、しかも前日受付が必須である。つまりはやくゴールできる自信がある場合を除けば、前泊に加えて後泊も必要なのだ。塩山で2泊もするの?宿とるの?近くにキャンプ場なんて見当たらないよな??問題は山積みだったのだけれども、時期とエリア的に紅葉は絶対綺麗だろうしこれはもう出たいし出るしかないでしょということで見切り発車的にエントリーしてしまった。

結構ギリギリになるまで宿もアクセスも決まらなかったのだが、直前に急遽宿も足も一気に決まって事なきを得た。もし会場の駐車場にテントを張ることになったとしてそこに2泊とか、しかも初めてだからどんな駐車場かよくわからないしそもそも他にテント張ってる人なんているんだろうか?と不安に思っていたところから、レースを1週間後に控えた頃にいきなりの急展開。レース前日は大雨だったので、宿があって本当に助かった。前日は当然のように宴会となったが、できるだけアルコールを控えて早く寝るよう心掛けた。皆は飲んでいたけれど、私以外の皆、たいそう強い方々だったし、オートルート出走は私ともう1人だけだったので・・・
4時スタートは初。早朝というかほぼ夜。
過去私が経験した中で一番朝が早かったのが奥久慈の5時半スタート。あとは分水嶺の24時(朝というか夜)なので、今回が過去一番早いスタートとなった。今回は2時起床、3時移動で、私と同じオートルートカテゴリに出走予定のY氏の軽トラに乗せて頂き現地入り。朝はもっと寒いかと思っていたが、表に出た瞬間からまったく寒くなくて拍子抜け。いやこの時期の山梨でこの気温ってちょっと暖かすぎるのでは。
朝2時から1000kcal以上食べられるのは強みだと思っている。カロリー的に準備はばっちり(食べ過ぎ)。ランチパック的なものとおいなりさん、薄皮シリーズのパンを数個食べたのだったと思う。
走っている間、ほぼずっと富士山が見え続けていてとても綺麗だった!紅葉も素晴らしい
走り出して暫くはロード。登りも勿論あるけれど想像以上に下りが多い。序盤に下りのロードで前腿に刺激が入るレースなんて経験したことがないので、これが変に最後に影響しないといいけれど・・・とか不安に思いながら進んでいく。このレースはコースがきつい割に制限時間が短いこともあってか選手が皆強者揃いのようで、ロードでダレてくる人が全然居ない。しかし自分も一緒になってこんなに突っ込んでいては潰れてしまう。多少温存しなくては・・・とはいえ70kmしかないしそれなりに飛ばすべきなのか?などと考えを巡らす。

序盤で源次郎岳を登っていると、二日酔いで気持ち悪いなどと言いながらもすたすた進むY氏に捕らえられる。二日酔いでその軽やかな足取りですか・・・(本人的には相当つらかった模様)。しかも私より10歳以上年上なんですが・・・。
激登りを終えて源次郎岳
CP1に到着しタイム表を確認しながらエイドの食べ物をいただく。オートルートはハセツネとほぼ同じ距離だがエイドが7回もあり(大体10キロに1回のエイドがあり)、そのすべてで食料や水分など十分なエネルギー調達ができるのが最大の違いだ。走りながら固形物をそんなに食べ続けるのは人によっては難しいことなのかもしれないが、胃腸の強い私にとっては何の問題も無かったので、最初のエイドからあんぱんクリームパンチップスターとぽいぽい口へ放って無心で食べまくった。ここまででまだそんなにカロリー消費してないだろ、と1人突っ込みをしつつ。
今回目標タイム13時間半~15時間半までの表を作ってきており、本命は14時間かなーなどと思っていたのだが、CP1の到着時刻と照らし合わせると既に15時間半想定くらいの時刻になっており愕然とする。いやいやここまで結構頑張ってきて、走れるところは走ってきていたのにここまで4時間弱、この感じでゴールしても15時間半かもしれないってことか??これはひょっとして関門アウトとかあり得るのか?タイムを狙うとか以前に、制限時間と闘わなくてはいけない系なのか?(やばい)
標高をあげてきたこともあり結構寒かった。CPではリタイヤを決めたらしき人がエマージェンシーシートに包まって震えていた。指切りグローブから飛び出した私の指先も冷えきっている。

とはいえ動き出せば体は暖かい。日も高くなりむしろ暑いくらいだ。滅茶苦茶良い天気。
小金沢山に向かう稜線にあがるところかな?8時半過ぎ
一緒に泊まったメンバーのうちの2名はTGT主催のA御夫妻だったのだが、このポイントで誘導のボランティアをしてくださっていた。前日に13時間台でゴールできたらいいな~なんて言っていたのが恥ずかしいような遅さで到着w 少しだけ会話して写真を撮って先を急ぐ。
富士山どーん
湯ノ沢峠CPまでの間はいくつかのピークを登ったり降ったりふわふわと進む。どこかの登り(黒岳だったか??)で6-7人くらいのパックができあがり、私はその後ろの方についていた。自分のペースよりも少し遅いかなというくらいののんびりしたペースで暫く進んでいたその時だった、木の根っこに乗ったのか軽く滑り、静かに前に倒れた。ストックを使っていたこともあったし、斜面が急だったこともあって、手を突くより先に胸から着地したらしい。ウッと声が出たと思ったら一瞬息ができなくなりその場にうずくまった。

同じパックに居た人が前からわざわざ駆け寄り、大丈夫ですかと声を掛けてくださった。本人もレース中なのにそんな私ごときのために立ち止まるなんて勿体無い!と焦りながらよくよくその人を見上げたら「救護」と書かれたビブを着ていらっしゃった。救護担当の方ならお言葉に甘えよう、ということで一緒に休んでからゆっくり先へ進むことにした。痛みが強くなるようなら言ってください!と言われて様子を見たが、痛みは強くも弱くもならなかったのでその旨伝えた。痛み止めは持ってますか?はい持ってます!じゃあいざとなったらそれを飲んでなんとかなりますかね?みたいなやり取りをしてその救護の方とは別れた。痛みを感じていたのは肋骨だった。パックにいた女性はすっかり先に行ってしまって見えなくなった。今自分が何位なのかもさっぱりわからなかったが、またここで順位が落ちたなと思った。

29km地点湯ノ沢峠CPに来ると、友人が応援に来ていた。あばらをやったかもしれないという旨を伝えて別れ、次のエイドである42km竜門峡CPへ駒を進める。牛奥ノ雁ヶ腹擦山の稜線は曲り沢や小金沢など、沢登りや釣りで詰め上がった後に歩いたことがある場所を繋いだようなところだったので「おお、あの時の詰め上がりのポイントだ!」なんて思いながら進んでいた。こういう、記憶をなぞるようなルートがトレランのコースになっているのは感慨深いものがある。次に目指すは竜門峡エイド。
42km竜門峡エイド。ミニサイズのカップヌードルが美味しい
竜門峡に向かって降っている時だっただろうか、いよいよ肋骨の痛みが鋭くなってきた。登っている間は特に問題はなかったが、降りで走り始めたら着地の衝撃がダイレクトに肋骨に響いてすこぶる痛くなってきた。着地が痛い、とりわけ上半身と下半身に捻りが生じた時が痛い。それ以外ではどの体勢になると痛みが出るのかがイマイチわからないため対策に困った。とりあえず体の上下に捻りが加わらないよう、そして上に跳ねないような走りを心掛けながら超早歩きみたいな感じで降るようにした。気を抜くとすぐみぞおちの脇に電気が走る。

何度か利用したことのある温泉施設(特別養護老人ホームがお風呂を解放している施設)を過ぎて竜門峡エイドに着くと、高校生くらいの女の子たちが誘導ポイントで出迎えてくれた。13:00頃。ああーようやく完全に半分は越えたぞーーという気持ちで、到着後真っ先にカップヌードルをいただく。美味しい。ひとつめを食べ終えて、もうひとつ食べたいなという気もしたが、のんびりしすぎてもいけないので麺は諦めた。正直ここでそこまで食べなくてもシャリバテしない程度には食べてきている。麺に続き、地元で作られたらしきよもぎ饅頭もぺろり。あとここのエイドでは「チップスターにチョコレートを乗せて一緒に食べると美味い」ということに気付いてしまって、それをバクバク食べていた。なんと背徳的な味か!ROYCE'のポテトチップチョコレートの下位互換といった感じw なんやかんやでここにも10分ちょっと留まり、ようやくここでロキソニンを投入し、羊羹をいくつか握りしめてエイドを後にする。因みに、各エイドで提供される食べ物を自作のタイム表に落とし込んであったというのに、何故か竜門峡でシャインマスカットが食べられると勘違いしていた。まるで偽ピークに騙されたような気持ち、誰も私のことを騙してなんかいない、ただの思い込み。。。
紅葉が綺麗!
11月とは思えない暖かさ
15:15頃、ようやく一旦登りが終わって深沢エイドに到着。ここからは他のカテゴリーのコースと重なるため選手が増えるが、よくよくゼッケンを見るとオートルートの選手は周りにあまり居ない。他のカテゴリーを走ってバテ気味な選手を見て安心していてはいけないのだ(急げ自分)。
沢山マスカットを食べたらお腹壊しそうだなーと事前に考えていたのに、あまりの美味しさに食べる手が止まらない。皮も気にならないほど薄く渋みもない。いやーシャインマスカットってこんなに美味しいんだねと驚いてしまった。フルーツというかスイーツ。甘い物欲みたいなものがおさまるレベルの、まるでシロップ漬けかと思ってしまうほどの甘味。パフェなんかで生クリームと合わせても絶対に負けない強さがある。この場で2-3房分くらい食べたんじゃないだろうか。滅茶苦茶美味しかったし一気にこんなにブドウを食べたのが人生で初めてだったのではないだろうか。でもエイドの人に「シャインマスカットとお味噌汁を一緒に食べると美味しいらしいんですよ」と言われて絶対嘘だろと思ったら、案の定全く合わなかった。謎の口コミを残していったの誰だよ(お味噌汁は普通に美味しかった・・・)。お腹は壊さなかった。
ようやく49km深沢エイドのシャインマスカット!
房から外してあるので食べやすく、水分補給とエネルギー補給が同時にできて
ビタミンもとれて最高のエイド!
ここから暫くは林道の下り。登っているときにはロキソニンの効果はよくわからなかったが、降り始めたら薬が十分効果を発揮してくれているのが判った。舗装路を駆け下りて着地の衝撃を受けてもまったく肋骨に痛みを感じない。しかも痛みのせいで温存させられていた脚が思い出したようによく回るようになって林道は快調に飛ばせた。テクニカルでもない走れるセクションで走れないと、情けなくてメンタルにくるので、今回はここで走れたのはとても良かった。そしてロキソニンの力を身をもって改めて思い知る。ロキソニン大事。寧ろ効きすぎて怖い。

ここから2時間ほどした17:10頃、最後のマロニエエイドに到着。森の中の暗さはギリギリといった感じだったがどうにかエイドまで持ちこたえたところでヘッデン装着。前日は「暗くなる前にゴールできるよ!」などと言われてまんざらでもなかったが、手前のエイドで既にすっかり暗くなってしまった。ヘッデンで走らなければならない時間はそこまで長くないとはいえ、明るいライトにしておいてよかった。ライトが明るいと、気分まで明るくなるものだ。ここのエイドでは午後の紅茶のミルクティーが初登場していて、これを3杯くらい頂いた。寒くないので温かい飲み物はあまり欲さず、常温のミルクティーは飲みやすくてとても美味しかった。行動食がずっと甘いせいか、甘い筈の午後の紅茶が全然甘く感じなかったのは不思議だった。むしろ紅茶の渋みを感じたくらいだ。

この後ゴール間際にもう1ヶ所ドリンクのエイドが設置されていたので、とりあえずコーラを頂いた。やっぱりコーラなんだね、コーラ大人気だ!なんて笑いながらコーラを注いでくれるボランティアの方としばし談笑。その後も地元のおじさんみたいな方が「よく頑張ったぁぁぁ!日本一きついレースを完走したあんたは偉いぃぃ!」などと過剰なくらいの声援を送って下さるのを聞きながらゴールを目指す。ていうかあのおじさん、4時台から居たよね・・・?おじさんも丸一日応援し続けていたのだろうか、それはそれで凄いわ。ハードコア応援(ソロ)。

最後の最後、公園に入って橋のようなものを越えたあと、ここまで過剰なくらいに丁寧につけられたマーキングや矢印がなくなった。一直線にゴールゲートめがけて階段を降りていったら「ここじゃないんですよー!あっちをぐるっと回ってゴールなんです!!戻って!!」と言われてまさかの登り返し。まじかよ。走って登り返せるくらい脚はまだまだ元気だったのは良かったけれど、結局後から来た人に先にゴールされたりなんかするのを眺めながらぐるっと回ってようやくゴールゲート。お疲れ様でした。
ゴール後はお代わり自由の具沢山の豚汁!美味しそうに見えない写真で申し訳ない・・・
宿に戻り次第宴会もあるので控えめに(といってもたっぷり2杯頂いて大満足)
一緒に出走したY氏は30分ほど前にゴールしていたが体育館で待っていてくれた。合流してお風呂行って買い出しして宿に戻って皆で打ち上げ。宿メンバーは数名入れ替わっていたが同じレースを走った人はみーんな仲間。あーだこーだ言いながら、私はレース前日に飲めなかった分を埋め合わせるかのように飲んだ。Y氏は二日酔いで走ったこともあって相当なダメージを食らい、殆ど飲まず食わずのうちにこたつで眠ってしまったzzzzz それにしてもゴール後すぐに現地で打ち上げまでできるのは最高だな。もし1人でテント泊だったら、夜お風呂も行かず(行けず)、汗拭きシートで体を拭いてから頑張って終電で帰るか、テントでもう一泊するか、または途中まで帰って漫画喫茶に泊まってシャワーを浴びるかだなぁと思っていたので、2晩にわたって雨風しのげる拠点があるなんて贅沢の極みだった。ありがたすぎる。
事前に作ったタイム表、結局15時間半ペースで進んで最後にギア上げた感じか。
今回一緒に泊まったメンバーのH女史は昨年オートルートの優勝者であり、そのタイムは13時間台だった。どれほどの人で13時間台なのだろう、自分はどれくらいでゴールできるのだろうと思って彼女の他の大会のリザルトを調べていたら、2023のハセツネのタイムは私より30分くらい遅いことがわかった。順位はさておきとりあえずオートルートも彼女と同じくらいのタイムで行けるんじゃないのかと思ったので、私は彼女のタイムを参考に計画を立てさせてもらうことにした。まぁ結局のところ13時間台なんてとてもとても届かなかった訳だけれども、エイド5か所で各10分は休んだとするとこれを半分の5分にすれば25分早くなるし、肋骨を折らなければ多分中盤もう少し走れるだろうし、次また同じコースで開催されるのであればまた出走してみたいなぁと思っている。たまには峠走とかもやっておかないと、走れる気持ちの良いトレイルで中弛みしそうなので、次出るなら事前に峠走はやりたい。あと一番大事だと個人的に思うのは、普通に毎週末山に行き続けておくことだな。その年によって出走者のレベルは違うから順位まではわからないけれど、次は是非14時間は切りたいなと思っている。

掘りごたつで2晩にわたって宴会まで楽しめて本当に最高でした。ご一緒してくださった皆様ありがとうございました!おしまい。

※肋骨は折れてました。

ゴール後の宴会は写真撮ってなかったのでこれは前夜祭
前日にナマモノを食べまくる一行w(寿司やら馬刺しやら)
以下、備忘録。

<エネルギーと水分>

・エネルギー:アミノバイタル顆粒2200mg×5-6本、ジェル類2-3本(昨年のハセツネの残りなどを流用、新規買い足しは無し)

たくさん持とうとする私を制してくれた仲間たちに感謝!ほとんどエイドの食べ物でいけたので、胃さえ問題なければ何も持たなくても行けると思う。エイドの食べ物を持ち運べるようジップロックも持参したが使わず。ひとくち羊羹や塩タブレットのような小分けのもののみいくつか持った程度。エイドでほとんど食べ切ってから出発していたが、エイド滞在時間を削るならジップロック作戦の方がいいかもしれない。

・水分:Innerfactの500mlフラスク×2 常に1Lは持って移動。全部飲みきったセクションはなかったので、次のエイドが近い場合や気温に応じて少し減らしてもよさそう。


<服装、装備>

・ヘッドギア:HerenessのFOCUS CAP(チームのロゴ入りオリジナルデザイン)

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー+Patagonia半袖T(どこかのレース会場で買ったもの)、C3-fitのアームカバー(いつも使っていたORのものが現在行方不明のため)、チャリ用グローブ

・下半身:知り合いがカモシカの刺繍を入れて販売してくれているバギーズショーツみたいな感じの短パン(3000円くらいの)、CW-Xのボディバランスアップスパッツ・ショート(BCY101)、ドライマックスのソックス、cepのカーフサポーターみたいなやつ(厚手の方)

・ライト:レッドレンザーH8R
・ザック:The North FaceのTR10

・シューズ:SCOTT Supertrac Iltra RC

・その他(必携装備等):エマージェンシーキット、雨具(モンベルのストームクルーザー上下、一度も着ず)、ココヘリ端末、Finetrackのフラッドラッシュ長袖T(長袖必携のため持参したがこれも着ず)、レッドレンザー予備電池、モバイルバッテリー(Ankerの10000mAh必携装備ではなかったが持参。しかしケーブルを忘れたためただの荷物になってしまった)、ONのゼロジャケット(ウィンドシェル、一度も着ず)、ヘリテイジのULトレイルポール、ワークマンのメリノグローブ、ティッシュ&ビニール袋、モンベル熊鈴(小)、Don’t Panic調光偏光サングラス、Fold-a-cup(マイカップ必携のため)、手拭い(顔から汗が垂れるほど暑くならず、結局持ち運んだだけで一度も使わず)

2024/10/14

20241012-14_新倉-伝付峠-二軒小屋-蝙蝠岳-塩見岳-鳥倉山(後編)

前編はこちら


Day3--10月14日(月・祝)
5:05 三伏峠
↓ - 1:40
6:45 鳥倉登山口
↓ - 1:45
8:30 鳥倉山取り付き(仮)
↓ - 1:35
10:05 鳥倉山山頂
↓ - 3:40
13:45 大河原BS
↓ - 1:15(道の駅・歌舞伎の里 大鹿しばし物色)
15:00 桶谷BS
こんな早朝に三伏峠から下山する人なんて誰も居ないw
折角泊まりで山に来ているというのに毎晩展望のないところで眠っているせいで朝晩の良い時間帯に大した景色を見ていない(残念)。あれもしたいこれもしたいと思っても、なかなか全部盛りにするのは難しいものだ。とりあえず隙間から見えるこんな景色を自分なりに楽しみながら降る。すれ違う人からは何度も「塩見小屋からですか!?」とか「下山早いですね!?」と声を掛けられた。
Innerfactのシャツの柄みたいな色w(伝われ)
登山口着。車の人もここまで車が入れる訳ではないため、皆チャリを使っているようだった。登山口にはチャリがいっぱい。積雪期前ラストスパートの執念のようなものさえ感じる。
チャリは10台以上あったと思う(写っているのは知らない人)。
さてここからは今回の山行の第二部。舗装路歩きを経て鳥倉山を目指す。変な時間なので車もほとんど通らないし、通ってもこれから入山する人の車が数台といったところ。鳥倉山はなんだかお手軽そうな山のイメージだったので登山口もわかりやすいだろうと高を括っていたが、地味すぎて分かりづらかった・・・というか自分が取り付こうとしたところには何のマーキングも道標もなかった。
実際に歩いたのは赤線ルート、鳥倉山は左下のピンク〇から登り始めて時計回りでぐるり
一番一般的なのは赤線で右から歩いてきて黄緑の林道を歩いて赤〇の登山口からの周回らしい(ピンク〇のところで出くわした地元の方に聞いた)。
ピンク〇のところから取り付いて赤〇ポイントまではルートでも何でもなかったがとりあえず尾根道をゆく。踏み跡もあり顕著な尾根だったので特に問題はなし。本当は周回せずに黄色のルートを歩きたいと思っていたのだが、黄色の取り付きポイントにマーキングもなく不安すぎたので諦めた。鳥倉山で迷ったりして想定以上に時間がかかってしまうとこの後のバスに乗れなくなり、即ち家に今日中に帰れなくなる可能性があるからだ。低山というほど低山でもないけれど、塩見と比べたら低い山なわけで、しかし標高が低いからと言って侮ってはいけない。こういうところほど迷う可能性があるし、何より自分はこの山域にそう慣れているわけでもない。安全牌でいこう。しかしこの黄色ルートにあるP1903‐P2082をつなぐ尾根は遠目に見てもとても美しくて素直な斜度だったので、できればいつか歩いてみたいなと思った。
ここがピンク〇地点の取り付き(ちょい崖w)
こちらが赤〇の取り付き。こちらは道標もある
このあと鳥倉山山頂までは遊歩道といった雰囲気を装った道標がちらほら設置してあったが、気軽に入ったら絶対普通の人は迷うだろ、、、という感じのルートだった。特に登り始めて暫くは顕著な尾根道というわけでもなくのっぺりしているせいか、どこを歩けばいいのか微妙で、しかも踏み跡もそこまでしっかりついていなかった。勿論、普通に山歩きしている人なら問題ないレベルではあるけれども。そしてなんだかんだ、三伏峠から降りて再びここを登るのは案外面倒かもしれない。キノコ観察などしつつ、荷物も全部背負ったままデポもせずで1時間半ほどで山頂に到着。例の手拭いを颯爽と取り出して記念撮影。これがやりたかったのである。一人遊び極まれり・・・
ビジターセンター的なところで売っているらしいが、鳥倉山に登った写真を見せると1000円から300円に値引きしてくれるそう。
私は何故かプレゼントに応募していて当選したため自宅に送られてきた。
この手拭い、当選者は僅か5名だったみたい。当選した5人のうち、手拭い持って山頂行ったのはきっと私が最初だっただろうな。そして2024mだから2024年に大々的に手拭い作ろうう・・・みたいなことだったのかもしれないけれど、山頂標には2023mと書かれていたのは結構ミステリーである。小数点第一位四捨五入or切り捨て的な問題だろうか。

塩見目指して鳥倉登山口まで車やバスでアプローチする登山者にとって鳥倉山はおそらくただの通過点で、そこまで展望が良いわけでもなく、わざわざ車から降りて何時間もかけて、奥の有名な山々をさし置いて登るような山でもないだろう。正直私だって、これまで登ってこなかったということはそういうことなのだ。でも最近、遠方の低山や里山みたいなところを歩きたい欲が出てきているということもあってか、とても楽しく歩くことができた。3000m級のような派手さはなくとも森は豊かで各種キノコもあちこちに顔を出しており、植生も独特で楽しめた。派手な稜線を歩いた後にこういうところを歩くクールダウン風情みたいなのも良い。

山頂をすぎて尾根を抜け、東に高度を下げると小ぶりな池があり、その後砂利の林道を経由して再び取り付きに戻る。
鳥ヶ池。鳥はいなかった・・・
林道におりたところから上を見上げての写真。時計回りだとここが降りになるが、反時計回りのルートをとった場合はここから登ることになる。道標も何もないところから闇雲に登らせるのか・・・ 遊歩道を名乗るにはあまりにも道案内が雑すぎるw(本当に何もない)
赤〇ポイントを過ぎてピンク〇ポイントまで戻る途中
赤〇まで戻ればあとはひたすら舗装路歩きを続けるだけ。あわよくば誰か後ろから車がやってきて~なんて多少期待したりもしたが、結局全部歩き通した上、バスの時刻より早く大河原バス停に着きすぎてしまって暇だったので、更に先の桶谷バス停まで歩き続けてしまった。
夏期は鳥倉登山口-伊那大島駅間のバスがある
鳥倉登山口-伊那大島駅区間のバスがシーズンオフになってしまったら自分の足で進むしかないのだとずっと思い込んでいたが、今回調べて初めて大河原‐伊那大島間のバスがあるということが分かった。この区間は18kmもあるので、バスが使えることには大きな意味がある。今後も覚えておきたい路線だし、どうか廃線にならないでほしいと祈るばかりである。暖かい時期なら荷物軽量化して走るとかいうのもあり得るけれど、冬装備を背負って31km走るのは苦痛すぎるのでね。

<参考>
鳥倉登山口‐伊那大島駅 31km
鳥倉登山口‐大河原 13km
大河原‐伊那大島駅 18km

伊那大島駅はすぐ近くにセブンイレブンがあるので、下山後のアルコールやらおつまみやら買い出しをしてから各駅停車の旅で家路についた。飯田線スタートで埼玉の自宅までの帰り路は相変わらず長旅だったが、そもそも電車移動が嫌いではないというのも自分の強みだろう・・・。道中、下諏訪の乗り換えが45分くらいあったので途中下車して温泉も入って帰れたのも最高だった。

たぶん久々の2泊3日、公共交通機関利用のちょっくら遠方ソロ山行、原点回帰というほどのものではないにせよ、矢張り自分にとって最高に楽しい時間だなと再認識できてよかった。忙しかったり準備にかける気力体力が足りなかったり、毎日天気をチェックするだけのモチベーションを失ってしまったり、ちょっとしたことで山に行けなくなり始めると悪いループにすぐ陥ってしまうものだけれど、どうにかこうにかメンタルに火をつけていざ動き始めてしまえばこんなにも素敵な時間が私を待っているのだ。この多幸感を、どんなにしんどい時も忘れないようにしたいし、いつでもここに戻ってこられるんだということを信じたいなとつくづく思う。

山に行き始めてもう15年以上経つけれど、いまだにこんなに楽しいだなんて本当にとんでもない趣味だなとつくづく思う。この趣味と出会えて本当に良かった。

2024/10/13

20241012-14_新倉-伝付峠-二軒小屋-蝙蝠岳-塩見岳-鳥倉山(前編)

全然大した山行ではないのだけれども、自分にしてみたら久々に少し距離長め。
散々年末年始に計画しては悪天候に阻まれるってのを繰り返し、ようやくチャンスがやってきても結局到達できなかったり、なんだかんだで中々辿り着くことのできなかった蝙蝠岳にようやく辿り着いたのでとりあえず記録に残しておく。ルートはざっくり言うと東西横断。数年越しの憧れの蝙蝠岳に何故急に行こうと思い立ったかというと、鳥倉山の手拭いプレゼントというのに当たって家に水曜か木曜に手拭いが届いたからだった。そうだ、鳥倉山に行こう。ついでだから蝙蝠岳も行っちゃおう。そんな感じだった。

伝付峠を越えて二軒小屋に入るルートは過去1度だけやったことがあったが、その時は冬で荷物が22kgくらいあり、序盤の登りが兎に角きつい上に、その登りのザレで手古摺ったし危なかった記憶が強かったので、今回は兎に角軽量化を心掛けた。具体的にはテントをダブルウォールのエスパースではなくクロスオーバードームにしたことと、ザックは自分が持っている大きめザックの中でも一番軽いグラナイトギアのものにしたこと。あとシュラフも本当は夏用にしたかったのだが、これは3シーズン用にして正解だった(2晩目は3シーズン用シュラフでもかなり寒かった)。今回は厳冬期のチャレンジではなかったので、特に軽量化を考えなくても前回より重くなるとは考えにくかったけれど、今体力が充実しているという自信もなかったので、無理のない範囲で軽量化した。


Day0--10月11日(金)
仕事を1時間早退して高速バスで飯富まで。最近ステビスポットがマンネリ化しつつあるがここはマンネリというか安心・安定のステビポイントで地味に気に入っている。向かいのローソンに夜も朝も世話になる。
見慣れた光景w

Day1--10月12日(土)

7:35 飯富
↓ - 0:41
8:16 伝付峠入口
↓ - 3:11
11:27 東電管理小屋(保利沢小屋)
↓ - 2:03
13:30 伝付峠
↓ - 1:15
14:45 二軒小屋(このあと彷徨う)

奈良田行の始バスに乗って伝付峠入口下車。こんなところで降りる人は居ないだろうなーと思いきや、自分含め3名が下車。皆バラバラに出発した上に大した会話もしなかったので、一緒に下車した2人がどこに向かってどんな計画の山行だったのかはわからない。

歩き始めて割とすぐ、前回一番過酷と思えた激登りポイントの取り付きあたりで落石に備えてヘルメットを装着する。しかし登り始めると、荷物が格段に軽いせいか思った以上にラクで危ない区間の距離も短く感じた。前回太腿がミシミシいって壊れるんじゃないかと思いながら登った斜面、今回はいとも簡単にすいすいとこなす。落石も大したことはない。一安心。
前回からまた数年経っているので状況が悪くなっているかと思ったけれどそうでもなかった
今回足元はトレランシューズ。
徒渉的なところもしばしば。足元が濡れることはない程度。
ぼちぼちヘルメットを外そうかというあたり。
前回途中で木に激突したりしてヘルメットにはお世話になったので今回も持参したが、今回はそこまでヘルメットの必要性は感じなかった。一応塩見の辺りでも被ったけど。
前回の記憶を辿るように伝付峠に向かって登っていく。このあたりは前回は雪が深くなってきてスノーシューを履いたのだっけ。こんな感じの道だったんだなぁ、雪がないとめちゃくちゃ普通で平和だなw
笹の道
5時間ほどで伝付峠に到着。時刻はまだ13時半。前回ここに着いたのは16時半頃だったので冬場どれほどきつかったかがよくわかる。今回はあっさりすぎてなんだか拍子抜けしてしまった。途中でご夫婦の登山者を一組抜いてきたけれど、それ以外では人に会っていない。人は極めて少ない。連休にこういう人の少ないところを選び取れるというのは我ながら素晴らしいと思うw
穏やか~
この後は下り。部分的にちょっと行きすぎたりルートがわからなくなったりもしたけれど大きな問題もなく1時間ちょっとで二軒小屋に到着。
犬が複数いてめちゃくちゃ吠えられた・・・
二軒小屋の今年の営業は終わっているからテントも張るなと書かれていたので、蝙蝠尾根に取り付いて少し登ったところでテントを張ってもいいなと思った。蝙蝠岳登山口までは特にわかりづらいルートであるはずもなかったので何も考えず淡々と進んでいったのだが、地形図にひかれたルートを辿ると何故か沢沿いの謎の崖のようなところを歩くよう促され不意討ちを食らう。こんなところ歩いた記憶ないけれども・・・ルートが崩れたのかな・・・とか思いながら、ロープを掴みながら沢沿いを進んでみたがいよいよルートがおかしい。よくよく考えて、こんなところを通過しないと千枚岳にさえ登れないなんてありえるだろうか。仮にルートが崩れていたとしてもここまで酷いとは思えない。戻ろう。ザックの中に仕舞っていた9mのダイニーマテープをひっぱり出し、クライムダウンが厳しければテープを使って降りようとまで考えて準備を整えた。結局テープは使わずに戻れたけれど、戻った後もあっちでもないこっちでもないとうろついているうちに、伝付峠までの登りで追い抜いてきたご夫婦に追い付かれてしまう始末。結局何が悪かったのか見間違えたのかよくわからなかったが、とりあえず正規ルートに復活してようやく蝙蝠岳登山口に到着した。実に二軒小屋で1時間半くらい彷徨っていたことになる。もう今更蝙蝠尾根に取り付くつもりもないので登山口近くに幕営を決め込む。ここなら脇の沢水も使い放題でいい。先行者は2名。尾根からの落石を避け、少し離れた平場に張る。
先行者はソロ男性×2。色が綺麗に3色揃って信号みたいw
手前で一番とっ散らかしている緑が私w
赤テントの方と少し情報交換&お話をしたが、私の到着が遅かったこともありお二人ともひととおりの夜の支度が済んでいるようだったので私も静かに飲み食いして就寝。明日も早い。今回は軽量化も踏まえて野菜だ肉だ酒だお菓子だと詰め込まずに来たのでご飯はシンプル、初心にかえってラーメン。
この日は辛ラーメン(賞味期限切れw)+卵+にんにくの芽。

Day2--10月13日(日)
5:20 蝙蝠岳登山口
↓ - 3:55
9:15 徳右衛門岳
↓ - 2:00
11:15 蝙蝠岳
↓ - 2:05 
13:20 塩見岳
↓ - 3:00
16:20 三伏峠

昨夜は物静かだった黄色のテントの方が朝は会話をしてくださったので少しばかり話をしてから出発。昨日丁度ここからピストンで蝙蝠岳に行ってきたとのことで、今日はまた伝付に戻るのだという。蝙蝠の山頂までは6時間くらいはかかったと教えてくれた。自分の見立てとしてもそれくらいは想定していたので、まぁきっとそれくらいはかかるんだろうなぁ、と自分の手書きのメモを見ながら思う。出発して間もなく、手拭いをテン場に忘れたことに気付いて戻り、無事手拭を回収してようやくスタート。この時は「また手拭い無くすところだったよ!!危ない!すぐに思い出して良かった!」と思ったのだけれど、実はこの翌週に静岡にこの手拭いを持っていき結局無くしてしまったのだった。。。もうこの手拭いとは別れるべき時期だったのかもしれない。。。涙
朝焼けが綺麗
序盤の急な登りを終えて中電の施設を過ぎ、斜度が落ち着くと穏やかな稜線が続く。前回も途中までは行っているので何となく記憶はある。しかし前回幕営したポイントのマーキング箇所までなかなか到着しない。22kg以上背負ってよくもまぁ雪の中そこまで登ったものだよ、と我ながら感心してしまった。前回の幕営ポイントよりも手前にいくつだって幕営適地はあったのに、そしてあの時絶対に蝙蝠山頂に届かないと分かっていた筈なのに、それでも随分頑張ったんだな。そしてマーキングの場所を過ぎると、いよいよ初めて足を踏み入れるエリアに突入だ。わくわくが止まらない。
張ろうと思えば結構どこにでも張れそうな尾根。
期限切れや期限間近のアルファ米をたまに安く買えるので、
これを行動食にするのが一番安上がりだったりする。コンビニおにぎりより安い!
しかもこの時は、飯富のローソンで貰って使わなかった辛子マヨネーズがあったので、アルファ米のチキンライスに辛子マヨネーズを入れて食べた。滅茶苦茶美味しかった・・・
以前幕営するならここかなーと思っていた徳右衛門岳に到着しアルファ米を食べる。テントを張ろうと思えば張れなくもないけれど、地形図で思い描いていたよりはちょっと狭い山頂だった。木に囲まれているので風の影響はなさそう。
地味な山頂
ここは頂(いただき)なのか?と思わずにはいられない徳右衛門岳をすぎて少しすると、木の隙間からようやく、蝙蝠岳が現れた。塩見から眺めたことはあったけれど、蝙蝠尾根の下からこの角度で見るのは初めてだ。鳥肌が立って耳の奥がグビグビいった。久しぶりだ、この興奮は。一瞬で釘付けになってしまって、瞬きを忘れて目が乾いて涙が出てきた。

なんて美しい形をしているんだろう。蝙蝠岳に魅了されて繰り返し訪れてしまう人がいるのも頷ける。こんなところに、こんなに穏やかで美しく穏やかな山が鎮座しているだなんて。嗚呼、南アルプスって本当に色々なメンバーを取り揃えていて私達をいつまでも飽きさせないんだよなぁ。うっとりだ。美しい形を際立たせるかのような紅葉の様子も見事だ。(写真がいまいちなのが心苦しいのだけれども。)
お天気も最高
2715m付近で森林限界。ずんずん近付いてくる蝙蝠の山頂。遠くからずっと眺めておきたいタイプの山のような気がして、山頂に到着したくなくなってくる。
尾根独り占めできるのがまた最高に良い
ようやく!
山頂に着くと、塩見からピストンしてきたらしい人達が5-6人いた。本音を言えばこの山頂も独り占めしたかったところだがこればかりは仕方がない(連休だしね)。しかし先に到着していた彼等はそのうちに撤収していき、最終的には私ひとりになった。贅沢なひととき。
ひとたび山頂につけば蝙蝠岳の姿は見えないわけで、またここを離れて塩見に向かえば蝙蝠岳の姿が拝める。蝙蝠を後にし塩見を目指しながら何度も振り返っては蝙蝠岳の御姿を楽しませてもらった。仙丈ヶ岳のような女王の風格がある。とても良い山だ。

何度目かの塩見岳は何故かガスの中で展望はなかったため、さっさと山頂標を写真に収めて塩見小屋に駒を進めた。既に三伏峠小屋は今年の営業が終わっていると誰かから聞いたので(赤いテントの人に聞いたのだったかな?)、私は当然その手前の塩見小屋も営業が終わっているものと思い込んでいた。だから蝙蝠岳の山頂で会った人達は皆塩見小屋でテントかなと思っていたのだが、到着してみると小屋は営業しており、しかも塩見小屋はテン場を設けていないためテントは1つも張られていなかった。
標高の高いところで夜を明かせば翌朝の景色も良かろうと思っていたので、営業終了後の塩見小屋付近でテントを張るのもいいなと思っていたが、小屋が営業しているとなるとテントは張れないので、私は諦めてそのまま標高を下げることにした。
営業中の小屋。物販してるよ!とお客さんから教えてもらったけれど
ビールを買いたくなる気持ちはぐっとこらえるw
塩見新道、廃道なんだろうか?気になる。
あんなに晴れていたのに塩見から雲が多くなってきて森の中もガス。
まぁずっと晴れているのも芸が無いし(?)ガスも風情があっていい
三伏山のあたりまでくると、夕方にありがちな雲の切れ目が現れてこの空だよ!最高だな。
三伏峠に降りる途中で思ったけど、三伏山の山頂でテント張っても良かったな・・・
最終日も結構長く歩く予定だったので鳥倉登山口まで降りて舗装路でテントを張ろうかとも考えたけれど、矢張りそれでは味気ないので三伏峠で2日目の行動を終えることにして幕営。人は結構いたが、人が多いと逆に会話しないものなのよな(人によるかもしれないけれど)。因みに、小屋の軒下にごろ寝する人や、普通に転がってビビィ寝の人もいた。こういうの割と少数派だと思っていたけどそれなりに居るのね。
小屋から少し離れたところにある水場は、小屋の営業終了とともに撤去されていて水はとれなかった(更に谷の方に降ると水が出ていると後で聞いた)。私は蝙蝠の登山口で3.5Lくらい水を持ってきていたので特に足りなくなることはなかった。
かなり寒かった・・・
サバをつまみにホワイトラムをお湯割りで。合う訳じゃないけど合わないとかでもない。
地面の湿度がかなり高く、テント内にあがってきそうだったのでシートはテントの内側に敷くことに。
最近ハマっているZUBAANシリーズの豚骨。
ゆで時間1分というのもいいし何より美味しい。
前日に続きトッピングはにんにくの芽と卵。そして前日見当たらなくなっていた市販の
乾燥ラーメンの具と、昨年採ったシャカシメジを乾燥させたものも追加。
想像以上に寒くて、この日はレインウェアを含めてありったけの服を着てエマージェンシーキットに入れてあったホッカイロを使った。何の警戒心もなくテントの外に放り出していた水は、明け方には部分的に凍っていた。ろくに夏山に行かぬうちに、もう冬が始まったなと思った。

2024/05/31

20240524‐26_Tokyo Grand Trail (100 mile)後編

前編はこちら

■A4富士見茶屋~A5和田峠 118km
勝手知ったる城山を登って天狗様にご挨拶、ベンチで少しだけ脚をあげて休み、いつ来ても水浸しの日影沢林道を下る。転びたくないし、飛ばすと前腿が死ぬのでゆっくり進んでいたが、誰にも追い付かれないし当然誰にも追い付かない。途中鼻血が出たりなどしつつ、水場ではコップ1杯ほどの水を飲む。山の水は飲んでおいた方が元気になれると信じているのでね。それにしてもスタート時からずっと思っていたけれど、荷物が軽いんだよね。私は縦走の時はおろか走る時でさえも荷物が重いだけに、水とレインウェアと行動食とヘッドライト+α程度の荷物で走っていると実に軽くてそれはそれは本当に楽だなと感じていた。100マイルレース前の練習量としてはそんなに多くなかった筈なのにここまで走ってこられているのは普段の荷物が重いお陰かもしれない。

久々の城山山頂なので天狗様とツーショット。
撮った後、あまりにも顔が死んでいるのに気付いたけれど撮り直すほどの気力もなかった
日影沢林道を終えて道路を左へ進み線路をくぐると小下沢の脇を走る林道に入る。普段駅から日影沢林道に行くときは日影沢林道に入らず先へ進むことなんて無いから、ここから暫くは知らないエリアだ。ほほーこんなところに道があるんだね。ただの砂利道で特にアップダウンがある訳でもなく、このエリアで何故こんなルートを走らされているのだろうと疑問に思えるような単調な道に沢の音。暗闇の中、何の変わり映えもしない道を進んでいると、眠気も相まって自分がどんどん無になってゆくのがわかる。しかし少しの登りでも体はその傾斜を感じ取り、じわじわとライフは削られる。幸いにして足の裏や指、踵などのマメや、足底筋膜が痛いというようなトラブルはなかったのだが、小指球~踵にかけて骨の奥の方だけがジンジンと痛みだした。外くるぶしの下あたりの小さな膨らみが腫れて大きくなっているというか、ごろごろした石を踏んだ時の地面からの突き上げがたまらなく痛く、次第に着地の衝撃に耐えられなくなってきた。走れればどんどんタイムを縮められる区間な筈なのに、足の痛みのせいでタイムは逆にどんどん落ちてゆく。たまに人が後ろからやってきては走って抜いてゆき、何なら歩いている人にも抜かれてゆく。まずいな。暗い暗い平坦な林道をとぼとぼ歩いていると急に眠っている人が転がっていてびっくりしたりしつつ、それでも歩みを止めることはせずにとりあえず進む。この距離を行くにしては靴のソールがすこし薄すぎるのだろうか?十里木に着いたら、ドロップバッグに入れてあるもう1足の靴に履き替えた方が無難だろうか。っていうか履き替えておさまる痛みなら一刻も早く履き替えたいけれど十里木までまだまだある。足は持つのか。足はそもそもどうなっているのか・・・。外くるぶし下の膨らみで靴がきつくなっているような気もしたので少しだけ靴紐を緩めてみたりもするけれど大きく状況が良くなるわけでもない。経験したことのない痛みだったので正しい対処の仕方がわからないのがもどかしい。兎に角進むしかないのでロキソニンを飲んでやり過ごす。
これ合ってるのかと疑いそうになる藪の中の徒渉ポイントを越えてしばらくするとようやく林道が終わって山セクションに入った。石の突き上げから解放されて土の上に放たれるとようやく足の痛みが落ち着いてきた。助かった。全ルートを走らず歩き通しているというロングパンツの男性と、スタート時に徳本選手と一緒にいた綺麗な女性が近くにいて抜きつ抜かれつしていたが、女性は私を追い抜いた後少し横になっていたようで、その間に私が追い付いてその後しばらく一緒に歩いた。彼女は胃腸の調子が良くなくあまり食べられていないとのこと。彼女も私と同じく初めての100マイルレースらしく、北海道からの参戦だった。堂所山、明王峠とアップダウンを繰り返しているこの辺り、ちょっと記憶は定かでないが23時前くらいに私は眠気を感じ始めてカフェインの錠剤(エスタロンモカ)を200mg摂取したのだったと思う。1ヶ月のカフェイン抜きを経て、カフェイン摂取による覚醒効果は如何に。

まもなくA5和田峠だ。初めて奥久慈トレイル50Kを走った時、高尾エリアの友人らと一緒に和田峠で練習をしていた時期があったのだが、まさかそれから9年後にこんな形で再びここに来ることになるとは思ってもみなかった。というか和田峠ってこんなところだったっけ。A5に到着すると蛍光灯が眩しく、そして笑い上戸なボランティアの女性の止まらない笑い声になごむ。何にツボって笑い続けていたのかはわからないけれど滅茶苦茶癒された。そしてみんなが優しい。激しいスポーツの最中なのに、穏やかな時間が流れる。
鶏粥エイド到着!
エイドのご飯がどんどん胃に優しいメニューに変わっていくw
鶏粥だって書いてあるのに「なんかアサリみたいなの入ってて美味しいな」なんて思いながら3杯くらいお代わり。途中で、ああ鶏粥だからこの具は鶏肉か、と思った(寝ぼけていたのか?w)。脇に添えられたしば漬けの塩気が染みる。エイドにはお味噌汁もあったのだがその場では飲まず、350mlのサーモスに半分くらい入れて貰って持っていくことにした。ここから先次のエイドまでの区間が長めで水分1000mlでは足りなさそうな気がしていたので、味噌汁は水分の足しでもあり、胃腸が弱ってきた時のためのお守り代わりでもあった。胃腸の調子のよくなかった彼女もお粥なら食べられたようで一安心。ここから先、お互いのペースが合わなくなるまでしばらく一緒に進もう、ということで一緒にエイドを出発することにした。

■A5和田峠~予備関門・今熊山登山口~A6十里木 134km
さあ南側のループも残り僅か、和田峠を出発し再び醍醐丸へ戻ってきた。この時の醍醐丸の道標を私は一生忘れない。やっとここまできたんだ!「これでまた南ループに入ったら無限ループ過ぎて死んじゃうよね」とか言って笑っていたのに、この時彼女と私は二人して南ループの生藤山方面に向かってしまったのはここだけの話。無限ループしたいんでしょうかね・・・ある意味眠気によって引き起こされたリングワンダリングとでも言うべきか(すぐ気付いて引き返したけど)。
このレースを走っていない人から見たらなんの意味もなさない普通の道標、
しかしこのレースを走った人ならわかる、大きな意味のある道標。
市道山までは往路を逆走するような形で進み、そこから入山峠方面へハセツネ逆走コースで今熊神社まで。市道山の後のアップダウンが繰り返している辺りだったと思うが、カフェインをもってしても消えない眠気に抗えず、少し座って目を閉じてみることにした。彼女も一緒に、時間にしてほんの1‐2分足らず。彼女はここまでしばらく調子が悪そうだったので、佐野川エイドで私がサーモスに入れてきた味噌汁を少し飲ませたりして一緒に進んでいたが、この僅かな休息で目が覚め調子も戻ったらしかった。大きな集団と合流して暫くすると「眠気が消えてるうちにちょっと進みます!」といってあっという間に先に行ってしまった。集団は20人近くて、彼女はその先頭の方へ、私は後方へと離れた。私が眠気を封じ込めるのに使っていたエスタロンモカ200mgは、以前分水嶺トレイル120kmを歩いた時にも服用し、効果が切れるまで6時間なのでそのつもりでいたけれど、今回は服用して3時間ほどで切れてしまった。仕方なく午前2時頃に再度200mg摂取することにした。このペースで飲んでいて大丈夫なのか(きっと大丈夫ではない)。周りの人に「前は6時間もったのに3時間しかもたない」とボヤいたら、それだけ疲れてるってことなんですよ、と言われた。そういうものなのか。明るい光を見ると目が覚めるという話も聞いていたので、どうしても目が閉じそうな時はライトを最大の600ルーメンまで明るくしてじっとそのライトの照らす白い地面を見たりしていた。

今熊神社へ降りる下りはこれまでに散々通った道とはいえ下りで使うのは初めてだ。いつもハセツネでは登っているルートだが、走ったことがある人ならわかると思うのだけれど兎に角あの石の階段は段差が大きい。ダメージの酷い前腿は登りよりも下りがしんどくなって久しく、この段差をこなすのは至難の業だった。後で聞いた話だと、トップ選手達もここの下りは結構時間がかかっていたらしい。
それでも下り切るまで私は周りの人より多少速いペースをキープできていたのだが、下りきってからは違った。皆歩くのが速く、何なら走り出す人までいた。いやいや、発電所脇のこの林道、登りだよ!?皆全然脚が残っている。闘い方が判っている人達はきちんとここまで脚を温存しているから所謂「脚の売り切れ」を起こしていないのだろう。流石すぎる。私はといえば、坂を走って登るような気力や体力は既に無く、走れないこともない平地や下りをきっちり走ることもなく怠けながら進んだ。発電所の後再び山に入り、武蔵五日市方面に行かずに分岐を左へ進むと十里木方面に抜けるのだが、ここも過去散々歩いてきていたのにこんな風に道が繋がっているとは知らなかった。この区間も地味に長く、私は下半身をショッキングピンクで統一した男性と2人で歩みを進めていたが、彼は途中で眠くなって眠ってしまったので私は一人で山を抜けて十里木に向かった。私は十里木のすぐ手前のコンビニはスルーしたが、発電所あたりで私を引き離していった人の集団は丁度そこで買い物をしているところだった。何時間か前に離れ離れになった彼女もまだいたので追い付いたけれど、その後一緒にA6を出発することはできなかった。私の調子がおかしくなってきたからだった。

十里木に着いたのは朝5:30過ぎ。大幅にペースダウンしているとはいえ、まだ45時間ゴール想定の時刻だった。小指球~かかとの間の痛みは土の上を歩いているうちに完全に消えたので、靴を交換するのは止めてこれまで履いていた靴のままゴールを目指すことに決めた。疲れているし眠いのだけれど相変わらずお腹はすいていたのでエイド食の出汁茶漬けを頂く。サポートのM氏がカップヌードル(普通サイズ)のカレー味があるけど食べる?というので作ってもらい、ゆで卵も入れてもらった。美味しい!気持ち悪くなるようなこともなく食べ進めて、ゴールまでのエネルギーをチャージしていたはずだったのだが、7-8割まで食べ進めたあたりでお腹がいっぱいになってきてしまった。エイドのそうめんやラーメンなんかは小分けのものを4杯も5杯も食べてきたけれど、矢張りカレー味となるとスープのカロリーが高いからすぐにお腹にたまるのかな?などと思いつつ、とりあえずもう十分という感じになったので少し残して食事を終えた。しばらくするとお腹が痛くなってきたのでお手洗いに向かうことにする。ここまで走ってきて初めて催したのだけれど、沢山食べてきたのだからそりゃ排泄もするよねという感じだった。エイドステーションから道路を挟んで向かい側にあるお手洗いへ行って再びエイドに戻ると、また数分でお腹が痛くなりお手洗いに入る。そんなことを5回6回と繰り返しているうちに周りの人達は皆出発してしまい、時間もどんどん過ぎてしまった。制限時間までのバッファをどんどん食い潰している。トラブルひとつ、睡眠ひとつでどんどん余裕はなくなっていく、とえまちゃんが言っていたのはこれだったのか。気持ちが焦る。ここまでにロキソニンやらカフェインやら放り込んでいたのに加えて、更にここで下痢止めのストッパと追加のカフェインを入れて出発することにした。時間は6時半頃だったか、M氏に「ゴールしろよ」と檄を飛ばされて最後の旅に出る。こんなところで1時間も使ってしまったのは想定外過ぎる。スタート前にコース分析をしていた時には「二度目の十里木にさえ着ければもうあとはゴールするだけだし気持ちも大分楽になるはず」と思っていたのに、寧ろ一番しんどい区間はここからだった。

■A6十里木~A7都民の森(トチノキ広場)152km
A6十里木をでるとすぐ高明山の激登りが始まり、腹痛は収まったがそれと引き換えに吐き気が酷くなってきて嘔吐(えず)くようになってきた(えずく、って嘔吐くって書くの今初めて知ったw)。登っていると胃が押されるような体勢になるからか非常につらい。いっそ吐いて楽になりたい。というか吐かせて欲しい。どうやったら吐けるのか教えて欲しい。しかし全く吐けない。下痢止めに続いて今度は胃薬系を漢方と西洋医学と両方放り込み
最早薬漬け状態。カフェインで麻痺していただけなのか日が昇って明るくなったからなのかわからないが眠気はあまりなく、しかし気持ち悪い時は横になると治ったりするという話を聞きかじったことがあったのでベンチを見つけては横になったりしてみた。全然良くならなくてやりきれない。気持ち悪いなと少しでも思ったらすぐに薬を!と言われていたけれど、予兆なく吐き気がやってきたのでもうどうにもならなかったし手遅れだったのだろう。しんどい。しんどい。どんどん後ろから人がやってきては抜いていく。男性も女性もいる。順位はどんどん下がっていくけれどもうそれどころではない、自分との闘いだ。しかし気持ち悪いからと言って何も食べずに進める距離でもないので、残してあったTop Speedとアミノバイタルのジェルを1本くらい飲んだのだったと思う。Top Speedは600円以上したし、これ飲んでから吐きたくないなぁとかしょうもないことを考えていた。

そうこうしているうちにどこかのセクションで一緒に進んでいたと思われるおじさん達が追い付いてきて、座り込んでいる私を見て「あ!久しぶりに見た!だいじょうぶ?」と声を掛けてくる。事情を話すと、メロン味のラムネをくれた。最近よくある固めのラムネではなくて、昔からあるようなクッピーラムネっぽいラムネだった。何か食べないと進めないからといって渡してくれたそのラムネは舌の上でしゅわっと溶けて、爽やかな酸味が広がった。気持ちがいい。体調が悪くなった時何が食べたくなるのか準備の段階では全く想像できなかったけれど、ラムネはひとつの正解だったと思う。ひとつぶ、ふたつぶ食べていくとなんとなく一縷の望みが見えてきたような気がした。少しずつ進んでみるけれどGPSを見るとろくに進めていなくて、まだまだ大岳山も御前山も遠い。道標には無慈悲な距離が書かれていて、それを見るたびに私は意気消沈していた。大きな段差でストックを突こうとするともう肩が痛くて腕も上がらなくなってきた。

つづら岩の手前あたりだったか、蛍光色のビブを着た男女が後ろからやってきた。ええええ!?まさかのスイーパー現る!?私最後尾なの?と焦ったが、セカンドスイーパーだったようで制限時間の40分前に十里木を出発したというスタッフさんだった。この後にはもっとギリギリのスイーパーがもう一組居るという。とはいえもう私はそこまで順位を落としているということだ。結局私はTrippersのH氏と2人、A7までずっとスイーパーに付き添われてなんやかんやお喋りしながら進むことになった。ぺースは更にのんびりになったが、もうここまできて順位がどうとかタイムがどうとか言っている場合でもなかったし、ペースをあげて頑張ればまた気持ち悪くなりそうだったし、身の程わきまえたテールエンダーとして兎に角ゴールを目指した。H氏は登りがしんどそうだったが下りは元気で、私はその逆だった。しっかり進めているから大丈夫、まだ30分くらい余裕があるしいいペース、とスイーパーから繰り返し励まされ、更に今度はイチゴ味のラムネまでお守りに持たされてどうにかこうにか大岳山、そしてとうとう御前山から都民の森に下る分岐に辿り着いた。ゴールの制限時間は16:00だが、その手前のA7で14:30の関門がある。ここさえ突破すればあとはきっと大丈夫だという。

あれこれ喋りながらスイーパーとH氏と4人で降りてくると13:30過ぎにA7に着いた。結構余裕があるじゃないか!とホッと胸をなでおろす。和菓子エイドとのことでここではわらび餅とだんご汁(あんこの入ったお餅が麺つゆみたいな汁の中に入ったもの)、コーラなどを頂いた。吐き気が完全におさまった訳ではなかったが食べることはできるようになっていたので元気も出てきた。残りもあと少しなので休憩は手短かにし、46時間台でのゴールを目指して出発した。それにしてもA6十里木に45時間想定のタイムで到着していたのに、A7都民の森に着いた頃には47時間想定のタイムまで落ち込んでいた。仕方がないとはいえ再び大失速。

■A7都民の森(トチノキ広場)~FIN奥多摩運動公園 159km(171km)
H氏より先にA7を出発したものの、下りの脚が残っているH氏にはすぐ追い付かれて追い抜かれ、そしてまた私が追い付いたりなどを繰り返していた。舗装から砂利の林道に入る手前の立哨で友人のO氏がいたので暫し談笑。
眠くて日の光が眩しく、写真を撮っても全然目が開いてないw
もうラストだというのに林道は緩やかな登りでしかも日影がほとんどなくて滅茶苦茶暑いしし長い。ここまできて峠走みたいなことさせられるのかよ!しねぇよ!とかなんとか思いながらぼちぼち歩く。立ち止まったまま宙を見て意識を飛ばしているH氏を拾って更にゴールを目指しつつ、もう一歩も走ることもなく進んでいると、本当の最後尾にいたスイーパー集団が走ってきて追い抜いていった。いやはやこれで本当にほぼビリだなw 頑張れば走れたけれど、もうゴールは見えているし走らなくてもいいかな~という感じでのんびり歩いてゴールに向かう。まさにとことこExplorer!w
スタート/ゴールがこの急坂の上なので、最後までまだ登らされてうんざり。
もう走らんw
制限時間が残り30分と迫っているのになかなか私が到着しないので、間に合わないのではないかとハラハラしていたというサポーターM氏は、ようやくやってきた我々を出迎えて写真をバシバシ撮るw こんな最後の最後で制限時間に間に合わずにゲームオーバーなんてそんなナンセンスなことになるつもりはないのだ、きっちり時間内にゴールするのだ!
終わったーーー!
よく皆、レース終わってゴールゲートをくぐってからお辞儀をしているけれど、私はこれまであまりそれをやったことがなかった。しかし何故か今回は自然とお辞儀していた。トレイルにありがとうというか、関わってくれた全ての事象と人々にありがとうという気持ちだろうか。別に大きな感動という感じはなく、100kmくらいまではゴールしたら泣くだろうなーと思って想像だけでうるうるしたりしていたけれど、実際ゴールしてみたら別に泣かなかった。嬉しかったし達成感もあったけれど、どこか不甲斐無さもあったし、そもそも完「走」できていないとかなんとか・・・。贅沢言っちゃいけないんだけど。まぁ単に眠くて疲れていて感動する余裕がなかっただけかもしれない。
ありがとうございました!
初100マイルの私と初サポートのM氏。長丁場お付き合いいただきありがとう!
相変わらず私の目はあまり開かないw(眠い)
ゴールしたら冷えた缶ビールが貰えたけれど、まったく飲む気は起きなかった。完走賞も酒で、澤乃井の四合瓶だった。ゴールして身支度を整えて椅子に座っていると、久々に再会したI氏が隣りにやってきて、自分はお酒を飲まないからといって私に1本くれたからお土産は四合瓶2本になった。椅子に座った途端に私はまったく動けなくなり、立ち上がるのも腕を上げるのも歩くのもままならなくなった。よくそれで降りてきたね体どうなってんのよとI氏。実力以上に出し過ぎてもう体中バキバキだった。ずっと指切りグローブをしていたので気付かなかったが、ゴールしてグローブを外してみると血の気が完全に引いた真っ白な手の平に、無数の紫色の痣が浮かんでいた。小指の付け根の辺りは腫れていてうまく動かせないし手をついて立ち上がろうとしても手の平が痛いので、肘をつかないと立ち上がれない状態だった。満身創痍で私の初100マイルは幕を閉じた。
参加賞は350mlくらいのスープジャー。持っていなかったのでちょっと嬉しい♪
体の前側につけていたゼッケンはA1御岳の時点ですでに汗でボロボロだった

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3月、レースにエントリーした直後、右の内くるぶしが腫れてきて、足首を動かすにも何か詰まっているような違和感を覚えた。丁度山に行った後だったので、「あれ?私捻挫したっけ??」と思ったのだが捻挫をした記憶もなかった。しかし足首を内側に捻るとくるぶしの上にある筋のようなものがゴリっと動いて、目で見ていてもわかるほどで、不安に思った私は外科でレントゲンを撮って貰った。骨の異常がないことがわかって今度は整骨院へ行くと、後脛骨筋腱炎的な症状だったようで、10日ほど休んだあとあれこれメンテナンスをしながらならトレーニングを積んで良いとの許可を貰って慎重にトレーニングをした。目に見えて改善はしなかったけれど悪化もせず、160kmも走るっていうのにこんな不具合抱えたまま出走して大丈夫なんだろうかと不安な日々が続いた。結局本番でその右足の内くるぶしが痛むことはなく、そんなことはどうでもよくなるくらい他があちこち痛かった(特に小指球~かかとの痛みは本当にしんどかった)。走り終わった今は再び内くるぶしがゴリゴリ言い出しているけれど、痛いということもない。とりあえずちょっとした故障アリの状態でよく本番迎えてゴールまで辿り着いたなと思う。

私はレースの時のメンタルが強く、多分自覚している以上に人からそう言われる。今回も、吐き気がある中でよくここまで耐えたね、というようなことを人から言われたけれど、自分としてはリタイヤするほどの吐き気ではないと思ったし、ラスト30kmでリタイヤするほどの吐き気ってどんな吐き気だよと思う。吐けなかったからこそカップヌードルのカロリーが体内にとどまってゴールまで進むためのエネルギーが足りたのだろうし、なかなか効かなかったとはいえ胃薬とかが効いてくれたのかもしれないし、はたまたちゃんとどこかで眠っていればこんなに気持ち悪くならなかったのかもという気もするけれど、眠っていたら関門に引っかかってゴールできていなかったかもしれない。たらればを言い出してもどうしようもないのだけれど、私の周りにいる一部の100マイルレースジャンキーな人達は、こういうPDCAをまわすことに快感を覚えたりしているのかもしれないなと思った。こりゃ頭脳戦だわ、事前の準備も緻密にやらないとすぐ破綻するし、レース中も今回のようにマーキング無しだと終始頭使いっぱなしだもの。因みに、ルートファインディングに頭を使うから眠くなりづらいんじゃないかなとか思ったりもしたけれど結局普通に全然眠かった。

次にまた100マイルを走る時には、最後の舗装路を軽々と走りきってゴールしたいなぁと思う。しかし準備を始めてから本当にいろんなことを考えたり、買ったり、コース分析したり、カフェイン抜きをしたり、お酒を抜いたり、ローカーボにしたりカーボローディングしたり。長いようで短い2ヶ月だったなぁ。ずっとずっとレースのことを考えて過ごしていたような気がする。ゴール直後の強烈な感動ではなく、長く尾を引く多幸感が今もまだ続いていて、きっとこれは準備期間と本番を含めた時間が長かったからこその長い幸福感なのだろうなという気がしている。木が大きく育ったのは、深く深く根を張っていたからだ。

CT0.57で進み続けるだなんて、完走可能性は3割くらいか、多く見積もっても5割くらいかもしれないと思っていたけれど、私はもっと強かった。自分を低く見積もりすぎていたのか自分に少し申し訳ない気持ち。本当に完走したんだろうかと今でもちょっと信じられなかったりもするけれど、本当に完走したんだよな。私は今じわじわと幸せだ。
結局行動食はジェルとアミノバイタルの顆粒、グミ中心でした。
あと、低GIアップルハニーをスポドリで溶いたものが滅茶苦茶美味しかった!
尚、走ってるとやっぱり柿ピーは欲さない。