2023/05/25

20230525_奥久慈トレイル50k (62km) DNS

GWが明けてようやく奥久慈の新コースのマップをきちんと確認してみたら距離も累積標高もとんでもないバージョンアップを遂げていた。累積標高が1000mも増えている。気付くのが遅すぎた、けれど今からでもきっと出来ることはあるはずだ。焦った私は故障しない程度に練習の計画を立てた。しかしその計画が始まって間もない5/12、帰宅ランの途中で転んで右膝を強く打ってしまった。骨に異常はないと医者に言われ、一週間くらいで治るかなと思っていたけれど痛みは落ち着かず、整骨院に行ったら治るまでもう少しかかりそうだけれどそろそろ走り始めたほうがいいとのこと、そうこうしている内にレースは4日後に迫った。4月まではそれなりに走っていたけれど5月はまだ40kmくらいしか走っていないので仮に痛みが残ったままで出走したとしても完走は難しいだろう。完走できないのが明白なのにスタートするということに意味があるのか、ないのか。無理して走って悪化するかというときっとそうではないような気はするけれど、スタート直後から痛む膝を庇って走ったらきっとまた転んでより酷い怪我をしてしまうような気もする。バランスを崩した時に咄嗟のリカバリーも難しいだろう。それでもこの伝説になるであろう新コース1発目、少しでもいいから走りたい気持ちもある。いろんな可能性を探って水曜朝の6kmほどのジョギングをして最後に出した答えはDNS、予約してあった宿にキャンセルの連絡を入れ、OSJに参加賞送付依頼のメールを送り、私の2023年奥久慈トレイルは終わった。

また右膝かよ、という気持ち。
なーにやってんだよ自分、という気持ち。
心のどこかでなんだかんだ完走できるだろうと思ってしまっていたのか、完走できたとしても無茶苦茶悪い成績を残しそうで怖かったのか複雑な気持ち。
でも矢張りこのレースは、やれるだけのことはやった、と思えるくらいでないと殺られてしまうので、今回そう思えていないのだからきっとダメだったんだろうなという気がする。最終案内のハガキに書かれたありきたりな言葉がこんなにも刺さったことはなかった。

「健康管理には十分ご注意いただき、当日は万全の体調でお越しください」

2023年マップ。マップの上の方のゾーンは「デビル5マイル」と呼ばれる厳しいコース。
20の細かなアップダウンがあるという。そもそも公式が「デビル」って言ってる・・・w
過去のマップ(これ何年のだろ?)

奥久慈を最後に走ったのは2017年、それから実に6年越しの一戦だった。ほかに一緒に出る人がいるかどうかとか、一人だったらどうやって現地までアクセスすればいいかとか、コースがどうなるか等なんの検討もせず見切り発車的にエントリーをしていた訳なのだけれど、それなりに熱い想いがあっての参加だったにもかかわらず準備不足すぎた。走れない理由も色々あったけれど、反省の意味も込めてここに文章として残しておきたいと思う。次はこんなことがないように。
  1. 1ヶ月前に旅行の計画があった。スケジュール管理不足。
    4月20~26日で台湾へ行っていた。台湾行きを決めたのが1月末くらいで、奥久慈にエントリーしたのが2月1日だったのだが、この旅行がこんなにレースに影響を及ぼすことになろうとはその時気付けていなかった。
    そもそも台湾は登山をしに行ったのではなく音楽フェスと観光が目的だったので、観光でハイキングしたり、道中10km程度のランニングはしたものの、レース1ヶ月前の1週間の運動量としては少なすぎた。
    また、現地でインフルエンザを貰ってきてしまい、帰国後も暫く走ることができなかった。今後難易度の高いレースに出走する場合は最後の1-2ヶ月の練習時間を絶対確保するように気を付けたい。また怪我や病気のリスクは最大限に避けて過ごすようにしたい。(とはいえ練習はするわけなので怪我のリスクはついて回る訳だけれども・・・)

  2. コース変更を甘く見ていた
    スタート/ゴール地点が竜神大橋に変更となったのはかなり前から認識していたが、正直以前のルートと半周かわったくらいのイメージでしかなく、具体的なコースマップを見たのはGW明けだった。
    50kと言いながら毎回57kmだったり60kmを超えたりしているのは知っていたが、公式に60kmを超えていると謳ってきたのは今回が初めてだったように思う。また累積標高は4200m→5200mにアップしているにもかかわらず制限時間は14時間→14時間半と30分しか増えていない。過去3回出走し、いずれも完走できているとはいえ、正直1000mも累積標高が増えていて、練習もうまくできていない状況では完走が難しいというのは自分がよくわかっていた。
    既知のレースでも、コース変更がある場合はできるだけ早い段階で確認すること。ルート研究やタイム表を作るタイミングもいつもより早めに、そして練習量や内容も早い段階できちんと考えること。

  3. マラソンの練習をしていたことによる弊害
    1月にフルとハーフ、3月にフルを入れていたこともあり、2022年のハセツネ以降ロードの練習を中心にしていたため、普段に比べて登山の頻度が低く登りが弱くなっているのをGWの南アの山行で実感していた。
    一応フルマラソンのタイムは2015年くらいに出した3時間53分から3時間45分まで縮めることができたものの、山に行かずにロード練をしていた割には伸び悩んだ。もっとマラソンのタイムが良くなるくらいの練習できていればまた話はかわってくるのだろうけれど、遅くとも3時間半を切るくらい、欲を言えば3時間20分くらいでないと練習がそのままトレランの強さには直結しない気がする。
    ロード練も勿論トレランのレースの練習にはなるけれど、累積標高を稼ぎながらロード練を並行してやるのが矢張り一番良いので、バランスを考えて練習する(遊びに行く)ことが大事。いつもなら特に意識しなくても山なんて毎週泊まりで行っている訳で、そのことが体作りに直結しているという実感が持てていなかったようにも思う。やはり定期的に山に行き続けること。

  4. 太りすぎ
    出社制限下の在宅勤務で一度増えた体重は半年かけて元に戻ったのだけれど、その後また増えた体重まで戻ってしまっていてそもそも体が重かった(それでもフルマラソンのPBを更新していたのは逆に我ながら凄まじいとは思うが、体重を戻してからマラソンに出ていたらもっと良いタイムが出せたのではないかと思うと悔やまれる)。
    元々胃のキャパシティがかなりある方なのだけれど、きついレースに向けたダイエットや一時的な減量などは必要。食べたいのか、痩せたいのか。痩せたいなら何故痩せたいのか。レースを完走したいのであればそこはきっちり自制すべき。
腸脛靭帯を患っていた期間も長かったので、同じ過ちを繰り返さないようにストレッチや筋膜リリースは以前よりは多少増やしていた(それでも足りていないとは思う)。それに昨年のハセツネで膝が痛まなかったので、ある程度メンテナンスしていれば腸脛は大丈夫そうだなと思っていたが、まさかの外傷と打ち身でこんなことになるとは。情けないけれどこれが現実。矢張り強く思うのは、当日のスタートラインに立てるということ自体がひとつの奇跡でもあり、セルフコントロールの賜物であり、スケジュール調整の成功であり、貴重であるということだ。練習がたとえ順調に進んでいたとしても、どれかひとつでも失敗すればスタートさえできない。4月上旬までのロード練に、下旬から登りのトレーニングとトレランで刺激が入れば結構良いところまで持っていけたのだろうけれど、まぁ今なら何とでもいえる。出走される方、どうか無事に事故なく現地に辿り着き、レースもどうか怪我なく、暑さに負けず、辛さと苦しさと最大限の筋疲労を楽しんできてください!

2022/10/22

20221009-10‗第30回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら


ロードに出たり、トレイルに入ったり、を数回繰り返してからようやく月夜見到着。時刻は20:45。思ったより速いし、疲れがそんなにない!
今年はCOVIDの影響で月夜見CPでの応援が禁止になっていたため、いつもの賑わいが無く静かだった。三頭山では落ち着いていた雨足は月夜見に近付くにつれ強まり、月夜見に着く頃にはすっかり本降りになっていた。長居はできない。「月夜見は絶対寒いから、水分補給以外のタスクは月夜見を出て樹林帯に入ってからやった方がいいね」などと浅間峠でナガイ君と話していたのに、いざ月夜見に着いてハイドレーションをあれこれしていると、樹林帯に入ったあとでまたザックをおろすのも面倒だなとか色々考えてしまって結局すべてのタスクをその場で行うこととなった。

月夜見の例年との違いは、応援がいないことだけにとどまらない。水の補給の方法が「係の人がウォーターストレージに1.5L分注いでくれる」スタイルから「500mlのペットボトルを3本受け取り、選手が自分でストレージに注ぐ」スタイルに変更されていたこともかなり大きかった。悪天候の中、ひとりで、自立しないハイドレーションの口を広げて水を注いだり、そこに何かしらの粉を混ぜたりするといった一連の動作には案外気を遣ったし面倒だった。私はといえば、ハイドレーションの中にはまだ麦茶が500mlほど残っていたのでまずはできるだけ飲み、水2本とポカリスウェット1本を受け取りに行った。さてこれらをどうするか。そこいらに麦茶を撒き散らすのも憚られたし、係の人に麦茶をどこに捨てたらいいか聞きに戻るのも億劫だった。兎に角体が冷えない内に月夜見を離脱したくて、いろんな作業を省略して時短したかったのだ。私はイチかバチか、少し麦茶の残ったハイドレーションパックに水もポカリも全部入れて、そこに更に塩梅水の粉を2袋入れた。どんな味になるかわからないけれど、四の五の言っていられない。水分は水分、飲めれば良いのだ。しかも先に粉を入れずに後から入れたためにハイドレーションの口の部分に粉がつきまくっている。先に粉を入れてから水を注げば良かった・・・とはいえ、粉のベタベタ感はこの雨が洗い流してくれるに決まっているし最早どうでもいい!そうこうしている内にもう手がかじかんできて、あらゆることがうまくできなくなってきた。敷き詰められたブルーシートはどこも水溜まりで座ると冷たい。ザックも自分も雨と汗とで飽和状態、シェルだけがパリッと私を守ってくれている。

浅間峠と同様、ここまで食べてきた行動食のゴミをまとめて、ここから先のエネルギーを前面のポケットに詰め込むルーティンに勤しむ。美味しいなぁとぼんやり思いながらチョコようかんを頬張る。
ヘッドライトの電池交換を済ませてしまうには少しタイミングが早いけれど、この後ゴールよりも手前で再度ザックをおろして作業をしたくないなぁと思ってここで電池交換をし、イエローのフォグフィルターを付けたハンドライトとの2台体制を整えた。最後にトイレを済ませていざ出発。

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月夜見直後の急坂は、草に粘土を塗りこめた上をクロックスで滑っているかのようでまったくグリップがきかない。スリッピーすぎて、どんなに慎重にゆっくり進んでみてもゆっくりズルズルと転んだりする。どうにもならない。少し脇を走れば多少草が出ていてグリップするのだが、トレイルへのダメージを考えるとあまり勝手なところを踏むのも憚られる。月夜見で冷えた体を一刻も早く温めたいのでとっとと走りたいのだが、走れない。しかも下りのみならず、その後の登りさえもズルズルと落ちるので、50cmで一歩踏み出したとしても30cmくらいずり落ちて無駄な動きが多いというか、とにかくなかなか進まない。この期に及んで謎の区間で渋滞みたいになったりしていた。ある意味エンターテインメント、奥多摩の風雲たけし城の如し。酷過ぎて笑うしかなくなってくる。前後にも、左右にもずるずる滑るので、いつもなら疲れないようなところに疲労が溜まってきた。具体的には股関節が死にそうになってきたので斜面の傾きを使って腸腰筋のあたりを伸ばしたりしながら進んだ。ハセツネの2週前に屋久島を含めた鹿児島へ遊びに行ったのだが、その時案内してくれたハセツネ8時間1分のPBを持つ友人ヒラヤマさんは「月夜見まではジョグ、そこからギアを入れる」みたいなことを言っていたので、私も今回は月夜見まで(ジョグとは言えないものの)大分抑えたつもりだったのだが、ここから先この泥濘と水溜まりが続くトレイルなのであれば走れる場面など登場しないまま温存した脚を持て余してゴールになってしまうのではないかという気がした。こんなことなら泥濘を見越して序盤から飛ばしてタイム稼いだ方が良かったんではなかろうか。。。

月夜見のあとは御前山・大ダワ・大岳山・金比羅尾根でフィニッシュ。飛ばせるコンディションのトレイルが出てきたら飛ばすかーと思いながら今はぬかるんだ目の前のトレイルを着々とこなす。しかしトレイルが飛ばせるコンディションになったとしても自分のコンディション的に「飛ばせる」気があまりしなかった。そもそもトレランのレースが久しぶりすぎるので、自分のトップスピードを経験してから既に4年以上経っているのだ(レース以外でトレランをしてもそこまで飛ばさないので)。矢張り、やらないと何でも忘れる。頭も体も。

事前に友人から聞いていた通り、御前山の登りは木段が設置されていてまるで知らないトレイルのようになっていた。段差が凄いと聞いて、なんたる木段を設置してくれちゃったんだよ!と思っていたが、このズルズルのコンディションにおいてこの木段があって逆に助かったのかもしれない。御前山を終えて一気に大ダワまで下り、大ダワではVESPA HYPERと安納芋羊羹を投入したのだったと思う。羊羹無茶苦茶美味しかったな。ここで係のお姉さんと軽く談笑し、今回かなり手前でのリタイヤが多いことを知った。友人達はどうか?スタートしてから一切スマホを見ていないので何の情報も入ってこない。ナガイ君には多分追いつかれていないし、タケさんは浅間峠の手前で道を外れて立ち止まっているのを見たきり浅間峠でも追いついてこなかったので調子が良くなさそうだなとは思っていたがその後復活したか?スタート時に別々に並んだ皆はどうか。浅間峠以来誰にも会わずにここまでやってきたし多分この後もずっと誰とも会わないだろう。勿論自分にはリタイヤする理由などないので駒を先に進める。

ここから大岳山までは、練習さえしてきていれば結構走れる。走れれば、これまで練習それなりに頑張れた証拠。走れなければ、まだまだ練習足りてなかったなということ。今回はどうかな?と思っていたけれど、思ったより走れたのは嬉しかった。蹴り出してどんどんスピード上げていく感じではなかったけれど、淡々と止まらずに走れた区間が長かったのはよかった。ラスボス大岳山を終えて下って
御岳山、長尾平近くも結構走ったけれど、いまいちスピードはない。トレイルがぐちゃぐちゃでない部分が多くなってきても、脚が前に出ないなぁという感じになってきた。止まりはしないけれど速くもない。これは疲れなのか?相変わらず股関節が重いし御岳付近のコンクリの突き上げが股関節にくる。練習不足の時は大抵前腿が死んでコンクリの衝撃は前腿にダイレクトにくるのだが、今回は股関節だ。痛みの種類が違うし、なんなら痛みかどうかもわからない。なんだろうか?

しかしようやく御岳までやってきた。次は日の出山だ。生憎のお天気で夜景も見えず、雨も降り続いている。嗚呼、なりさんにとって今回は初めてのハセツネで、初めてってのは一度しかない訳で、ここからの夜景見て欲しかったなーお天気悪くて残念だな、とかこの時は考えていたのだけれど、後で皆と話していたら「日の出山頂が夜景なのかよ!」と言われた。(あと数時間遅いとここで既に夜が明けているため。)因みに今回夜が明けてからここを通過した仲間によると雲海が見えたらしい。

日の出山山頂で1時20分くらいだったと思う。ここから早い人で1時間と言われたが、自分の過去のタイム的には手前の長尾平から最速でも1時間半くらいだったので、今回は速くても3時は過ぎるなと思った。トレイルのコンディション的にも自分のコンディション的にも、PBと同様のペースが出るとはとても思えなかった。すぐ近くにいた人と「ここから1時間は無理ですよねぇ」と言葉を交わしながら、細かい木段をちまちまと刻んでいった。


ハセツネ全ルートの締め括りとなる金比羅尾根、ここでウィニングランをぶちかませるかどうかでハセツネの印象は決まるといっても過言ではない。しかし今回は悉く人に抜かれまくった。後ろから人が迫ってくるとすぐ道を譲る、というのを何度も何度も繰り返したが、毎回それが男性であることに胸を撫でおろしたりしていた。そういうことじゃないのに、自分が気持ちよく走れているかどうかが重要なのに、私もバカだなぁと思いながら、しかしそんな中ハイキングみたいなハットを被ったお姉さんには一人抜かれた。こちらはと言えば、ただただ股関節が死んでいる。鹿児島で言われた「月夜見まで温存」を心掛けてなおこの結果なので、アドバイス通りきっちり温存できて良かったということだろう。実際は月夜見まで相当速かったのだけれど、温存する気なく突っ込んでいたらきっともっと速かっただろうし潰れただろうな。景色は雨と霧で何も見えないけれど、レース前に一通り読んだ過去4回のハセツネの自分のブログに書かれていた内容がつぶさに思い返され、脳内でその文章が映像になっていく。私が書いた文章で私が見た映像を思い出せるのは私だけなのだ、本当に贅沢な遊びだ。

相変わらず大して走れないま
金比羅も終盤になり、眼前に誘導の係の人が見えた。「おかえりなさい!」と言われ、いやまだ結構あるけど、でも確かに帰ってきたなと思ったら泣きそうになってしまった。スタート・ゴール地点に無事戻ってきたという意味のおかえりなさいに過ぎないのだけれど、私にとっては完全に「トレランできる体に戻ったね、おかりなさい」としか聞こえなかった。戻ってきたよ、ようやく。長かったよ・・・。ゴールで泣き崩れる用意はできていた。

トレイルが終わってコンクリに出て、ようやく最後まで爆走かと思いきや、矢張り股関節のせいでスピードなど出せない。もう何を温存することがあるだろう?行けよ!と思うのだけれど、行けない。まぁ復帰戦だしね。ゴールできたし走り続けられただけで御の字ですよ。正直月夜見まではペースが無茶苦茶良かったので「ひょっとしてPB更新したりして伝説作っちゃうんでは!?」とか妄想していたのだけれど、そううまくはいかないものだ。民家のあたりまできて誘導の人も看板もなくて一瞬迷ったけれど13時間34分でようやくゴール。絶対仲間が応援でゴールを見届けてくれる!!泣く!と思ったのにゴールしたら誰もいなかったので泣きそこなった(と思ったら、実はゴールゲートのすぐ横にいたけれど私が気付かれていないだけだったw)。
ゴールして着替えてから他のメンバーのゴールを待つ
ゴール後はお味噌汁いただいてからワインとビール飲みながら後続の仲間の到着を待つ。残念ながらリタイヤした仲間も居たけれど、それぞれがそれぞれのペースで同じトレイルを必死に進んだことには違いなくて、同じ場所を通ってきたのに別々のストーリーがあるっていうのがまた楽しい。このあと仲間達と夕方から飲みに行ったけれど、清々しい気持ちで数時間前までの出来事を肴にぐいぐい飲んでガンガン食べていたらあっという間に店のメニューを食い尽くし、私は店で眠りはじめてしまった。まぁ、日曜朝起きてから一睡もせずに72キロ走ってからの月曜夜だしね。寝ちゃうよね。
応援組+選手でスタート前に記念撮影!
7月末に仲間と行った試走で右足首を捻ってしまった。それはただの捻挫であって骨折とかそういうものではないのは判っていたので近所の整骨院へしばらくメンテナンスも兼ねて通っていた。直前の調整で元陸上部の先生から「臀部を使って前腿を温存するといい」という話を聞き、今回は序盤でそれを実践していた。それなりにわかっちゃいたけどやっていなかった臀部の使い方、本番の数日前に言われて体がその方法を覚えている内に本番だったので意識しやすく、かなりうまく臀部を使えたと思うのだが、どうやら逆に臀部を意識しすぎていつもより腸腰筋を使いすぎたらしく、それが「股関節が死んだ」原因になったようだった。それなりに重いザックを普段から担いでいるから背筋はあるのに、それに見合った腹筋や腸腰筋が不足していて、それなのに今回腸腰筋を使い過ぎたのだろう、との先生の見解。今後は腸腰筋と腹筋を鍛えていきたいと思う・・・(やること多いな)。あと、今回は足の甲のど真ん中あたりが少し赤く腫れていたけれど、これは単に疲労ということで暫くしたら落ち着いた。ハセツネの翌週は白沢登山口~餓鬼岳~燕岳~中房温泉を1泊2日で縦走したのだが、何故か右足首の内くるぶしが痛くなった。なんだろうな?いずれにせよそれなりにいい歳なので無茶せずメンテナンスをしながら色々楽しいことを続けていきたい。体が資本なのでね。
餓鬼岳からの朝焼け

Year
CP1
CP2
CP3
Goal
20133:52:404:15:358:08:154:11:5012:20:052:11:4314:31:48
20153:30:403:40:487:11:283:22:3210:34:001:48:0212:22:02
20163:49:314:15:048:04:353:14:3311:19:081:37:0612:56:14
20174:08:474:09:498:18:363:29:1611:47:521:36:3513:24:27
20223:43:564:01:167:45:123:35:5711:21:092:13:3013:34:39

最後に過去タイムまとめ。
2013:初ツネ。最後に前腿死ぬ。ゴール後何も食えず。
2015:レースのたびに入賞続きでバリバリ仕上がった年、チームの皆もPB出した人多め
2016:蒸し暑かったムシツネ、序盤で水切れを起こし脱水、からの月夜見で復活
2017:頑張らずにのんびり進んでレース感がなかった
2022:復帰戦、ずっと雨のアメツネ。過去2番目に遅かったけれど泥濘地獄の割に頑張った

タイムを見てみると、今年CP1までは矢張り結構速くて、CP2到着も2015年に次ぐ速さだった。そのあと失速して、CP3までの間に歴代ブービーまで落ち、最後CP3からゴールに至ってはまさかの過去一の遅さ!2015、2016、2017と最後の区間は着々とタイムがあがってきていたのに、ここへきてまさかの振り出し戻り(寧ろ水面下まで潜る)。人のタイムとの比較も面白いけれど、自分のタイムだけでもこれだけ面白いし、この表だけでお酒飲めるのだ。エントリーフィーは高くなったけれど、ある意味こんなに長いこと楽しめるんだから安いのかもしれない。

121日間。私の夏がひと段落した。いい夏だった。

次回につづく!

2022/10/09

20221009-10_第30回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

今年トレランのレースに復帰しようなんて、エントリーする直前まで考えてもいなかった。ましてや、復帰戦一発目をハセツネにするつもりなんてまったくなかった。でも競争率の高いハセツネに、さしたる競争もなくエントリーできると判った瞬間、PCのディスプレイから目が離せなくなってしまって、私は無心でキーボードを叩いた。何故だかほとんど迷いは無かった。そのまま私は、レースまで残りあと何日かを示すスケジュール表をexcelで作った。あと121日。私の中枢から何かが込み上げてくるのを感じた。

COVID-19のせいでこの2-3年間に数多くのレースが中止になって、私はといえばCOVID前に故障した膝がようやく治ってきてそれなりに走り始めてはいたものの、レースにエントリーするほど調子が戻っているわけでもなければどうしても何かのレースに出たいといった情熱もなかった。本調子でもないのにエントリーして、直前でレースが中止になってエントリーフィーが返金されなかったら嫌だなぁとか考えていたし、まぁ復帰するとしても2023年の奥久慈かキタタンからかなと思っていた。

私の周りの人達もあまり走らなくなって久しく、そんな中何の前触れもなく奥久慈トレイル完走という友人の報告を耳にしたのが5月末。その時も興奮こそしたけれど興奮止まりで、その後毎年恒例のハセツネエントリー日である61日を迎えて誰かがエントリーできたりできなかったりと盛り上がっているのを耳にしても「うわー随分エントリーフィー値上がりしたなぁ」とか思って傍観するだけだった。それなのに、だ。タイミングというのは実に不思議なもので、今年初参加をしようとしていた友人のなりさんがゆずれーるでエントリーできたと知り、ふと自分もランネットを確認してしまった。なんと女子一般のカテゴリーのゆずれーる枠があるじゃないか。普通こんなにタイミングよくゆずれーるとか出てないだろ?こんなの運命だろ。再始動するなら今ってことなんだな、そして何かに導かれるようにして私の夏が始まった。


日々の山行やらトレーニングやらといった細かい話は省略するとして、ひとつだけ書いておきたいのがハセツネの前にエントリーしてあった歩荷レース、9月4日の西駒んボッカのこと。中央アルプス木曽駒ヶ岳の西駒山荘まで薪を担ぎ上げる競走で、私は15kgの部で女子2位になれた。女子でいえば自分より速くゴールした人は3kgの部を含めても4人しかいなかったのだ。走るレースではなかったけれど、膝故障後の初レースだったので満足のいくレース展開ができたうえ、きちんと結果に繋がったのはとても嬉しく、自信にもなった。

そして5度目のハセツネ、出るたびに初心者並みに装備迷うのだが、結局似たような格好、似たようなものを食べて似たような量の水を飲むわけで。以下とりあえず備忘録。

<エネルギーと水分>

・エネルギー:持参-2618kcal→ゴール時残500kcalほど 体重増えても摂取量大差なし

・水分:持参-麦茶2000ml→月夜見500mlほど残し/綾広の滝での追加なし、ゴール時残1000mlほど

※雨のため忍者めしをつまむ余裕なし(手が濡れていてあらゆるものが開封しづらいため)
※気温低く水分の消費少ない

※VESPA HYPERよりTOP SPEEDが良かった(大ダワで投入)

※ANDOのパッケージが頼りなく破けそうだったので浅間峠より手前で消費

※レース2日前から食事量相当多く、体内ストレージは満タン状態。但し若干やり過ぎた感あり。


<服装、装備>

・ヘッドギア:Patagoniaのダックビルキャップ

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー+Patagnia半袖T、アームカバー、チャリ用グローブ

・下半身:Patagoniaのメンズのランパン(インナーは切った)、TNFのパンツ(ヨレヨレなのでもう捨てるけど股擦れしなくてよかった)、ドライマックスのソックス、cepのカーフサポーターみたいなやつ(厚手の方、ハセツネ会場で当日買っていきなり使用w)

・ライト:モンベルの300ルーメンのヘッドライト、ジェントス閃ハンドライト(325時代のもの、150ルーメン)+黄色フィルター
・ザック:UltrAspire Omega

・シューズ:Salomon Sense ride 4(初のSalomonのシューズ、調子よかった)

・その他:ハイドレーションシステム(400mlフラスクも持参したが使わず)、エマージェンシーキット、雨具(寒さを想定して上はモンベルのストームクルーザー、下は防風用としてGoLiteのボロボロのシェルを持参→ズボンは履かず)

色んな種類を。食べたことないものも多数、食べる時わくわくするのがいい。
おいしい!とか、まずい!とかそういうのも楽しみのひとつになる。
左から順に、スタート~浅間峠・浅間峠~月夜見・月夜見~ゴール分。
レインはすぐ着ると思ったので外に。
スマホはジップロックに入れて奥の方へ。スタート後はまったく見ず。
毎回毎回ギリギリまで用意をしなくて直前に焦るので、今回こそは余裕をもって、と思っていたけれど、行動パターンというのは大人になってからそうそう変えられるものでもない。天気のこともあり、矢張りギリギリまであれこれ迷ってしまった。ザックさえも直前まで決められず、現地に2つ持って行ったほど。。。何せ5年ぶりの参戦、今回どれくらい走り続けられるのかというのがわからない。リタイヤするイメージはなかったけれど、プッシュし続けるほどのコンディションに自分が仕上がっているとも思えない。とりあえず、雨は結構早い段階で降り始めてずっと降り続くだろう、ということだけは確信が持てたので、レイン上はずっと着るだろうなと想定して重い方を持つことに。尚、せっせと作ってプリントアウトまでしてあったタイム表は、家に忘れた・・・。
徒歩組も、ラン組も。仲間と記念撮影!
11時過ぎに仲間と会場入り。足首まわりのテーピングは家でしてきたので特に会場ではやることもないし、感染拡大防止ということで控室も複数あり皆部屋もバラバラだった。ハイドレーションへ麦茶を入れ、昼ご飯代わりのパンやゼリードリンクを少し食べているとあっという間にスタートの時刻だ。応援のメンバーも駆けつけてくれていたので、久しぶりの顔ぶれに顔をほころばせつつなごやかに列に並ぶ。今回はエリートの部が15分早くスタートしているということもあって、11時間後半あたりに並んでもかなりゲートから近い。こんな前の方にいたら周りのペースに巻き込まれて潰れてしまうのではないか?

レースに対して多少のプレッシャーはあったけれど、過度に緊張しているというわけでもない。レースが始まると全体的にいつもよりものんびりしたペースでロードを進む。あれ?皆ダッシュしないけど、しなくていいのかな?誰もそこまでダッシュしないし私も普通に走っていれば渋滞にならないのかな??そんなことを考えながら流れに身をゆだねて進んでいく。ペースが速すぎないのでトレイルに入るまでのロードは全部走れて苦しくもなかったし、その後も割と先まで渋滞せずに進めた。いいんだか、悪いんだか。ペースは速すぎる感じはしないけれども、どう考えても例年よりも早く進んでいる気はする。エリートの部が先にスタートしている、という普段のハセツネとの違いが案外大きくて、自分の調子の判断がしづらい。再びコースはロードに出て変電所を過ぎ、今熊神社より手前の沿道のあたりを走っていると望月将悟さんが応援しているのが見えた。もーちづーきさーん!!両手を振って声を掛けると「マイペースでね!マイペース!」と、まるで今年の私の作戦を見透かされたような言葉が返ってきた。いつだってこの人はそうだ、何故か私を肯定してくれるような言葉をかけてくれるのが本当にすごいなと思う(こちらの心の持ちようなのだろうけれども)。更に進むと神社の階段下には石川弘樹さんがいた。みんな飛ばし過ぎ!今そんなに汗かいて息切らしててどうするの!抑えて抑えて!そんな掛け声を聞きながら進む。

抑えてと言われても人の流れを止めるわけにもいかず、結局1時間ちょっとで入山峠に着いてしまった。うーん、ちょっと今の自分が序盤でここまで速いのは確かに速すぎる気がするし、今は良くても後に響きそうだ。途中からほぼ一緒だったナガイ君とそんなことを話しながら、抜きつ抜かれつしながら進む。登りでナガイ君に抜かれ、下りで私が抜く。結局そんなことを繰り返しながら、2人でほぼ同時に浅間峠に着いた。まさかの3時間45分。そこまで飛ばしたつもりもなかったし、なんなら浅間峠に着く前にもう雨も降りだしていてトレイルのコンディションもそこまで良かった訳でもないのに、4時間以内とは。今の自分なら4時間丁度くらいじゃないかな、と思っていただけに、驚く。
浅間峠でも応援部隊がお出迎え。写真ありがとうございます!
まずはトイレ、そしてジェルの入れ替え、ゴミまとめ。既に雨脚も強まっていて、浅間峠の手前からレインを着ている選手もたくさんいたが、私はここまではレインなしで進んできた。ここでようやくレインを着ることにする。ストックとヘッドライトを出したらすぐ出発しよう。今回は雨でトレイルがどろんこぐちゃぐちゃになるだろうし、脚の仕上がりからしても、全体的にトップスピードでガンガン走るということはないと踏んでいたので、その分できるだけ刻んで、止まらず、休憩せず、登りも細かく細かく走ろうと決めていたのだ。だからまだまだ序盤の浅間峠でのんびり休んで時間を使う訳にはいかない。そんなのは予定にない。
浅間峠に到着した時刻は予想より早くて、今の私にしてみたらこのタイムは突っ込み過ぎてるかもしれないとも思えたが、あれこれ作業をしながら冷静に自分のコンディションを観察してみると、なんというか、体がどこも疲れていないというか、ひょっとしてこれ調子いいのかも?という気がしてきた。7月に一度だけ皆で試走に来たけれど、その時より全然ダメージがない。これは案外いけるんじゃないだろうか。そう思ったら、急に楽しくなってきた。いける、きっといけるぞこれは!自分を信じてあげよう。「ちょっと、調子、いいかもしれない。」応援の皆にそう伝えて、私はナガイ君より先に浅間峠を出発することにした。
今回は涼しいので水の心配はなさそうだったが、念のため2000ml担いできた。まぁ月夜見までに飲み切ることは無いだろう。ここから月夜見までは、いつも割と人がパックになっていて、そこに自分もひっついて動いていくイメージがあったのだけれど、今回はパックに追いついては丸ごと抜いて、また追いついては抜いて、というのを繰り返していた気がする。夜セクションを静かに進む独特な寂しさみたいなものはもう今更私の中には無いし、ただただ黙々とこなしていく感じになっていた。西原峠で固形物入れる、西原峠で固形物入れる、それを脳内で呪文のように唱えながら淡々と進んでいると割とあっという間に西原峠に辿り着いたので、セブンイレブンの黒糖わらびを吸い込む。ハー美味しい。1時間に1度のジェルと、30分ずらして1時間に1度のアミノバイタルというルーティンに加え、固形物摂取のタイミングはボーナス的に訪れるので、固形物とジェルの摂取タイミングが近くなることもたまにある。あまり温存して食べずに持ち運んでいても荷物が重いだけなので、とにかくコンスタントにエネルギーをとっていく。

西原峠のわらびチャージのお陰か、三頭山の登りがすこぶる調子良い。たしかこの区間だったと思うが、結構大きめのパックをひとつ抜いて、ぐいぐい登ってぶっちぎる箇所があった。自分の登りが軽快すぎて嬉しくて楽しくて、ニヤニヤを通り越してニッコニコしながら、たまに両手を広げてワーイ!ってなりながら登った。気が狂っている。登れる!超登れる!楽しい!テンションはMAXだった。下りならまだしも、何故登りで?どうかしてるぜ!って自分で自分に突っ込みを入れながら、すこし声を出して笑ってしまっていた。

とはいえ山頂直下の階段は矢張りきつくて、ようやく我に返って最後の登りを必死にこなし山頂をとらえる。たしか19時半頃。ここまでのタイムを2倍するとゴールタイム、って話をよく聞いていたから、ここまで6時間半てことは13時間だな、と思いながら何か食べたのだった気がする。ハセツネもう5度目のくせしてコースの把握はすこぶる曖昧で、三頭山のあとはもう下ってロード出て月夜見だ!とか間違ったイメージがあり、鞘口峠から月夜見が思いの外長くて気持ち的に疲れた。とはいえ後でタイムを見てみたら、この区間はどうやら自分史上最速のペースで進んでいたようだった。

後編へ続く

2021/07/25

20210722-25_乳川谷北沢-餓鬼岳-東沢乗越-中房温泉(後編)

前編はこちら

Day3--2021/7/24 (Sat)
タープ2枚連結張り
寝袋がないし昨夜のツェルトに比べるとタープは風通しがいい。昨日より標高も若干上がっているし寒いかなぁと心配していたが結局そこまで寒くもなく、この日も割と質の良い睡眠をとることができた。強いて言えば丁度腰骨の下あたりにあった石が邪魔で時々目が覚めたくらいか。問題はここから1000mほど上がる今夜の寝床の気温だろう。

焚火の香りとお湯の沸く気配で目が覚めた。朝はうどん、と聞いていたけれど、まさかの大好きな吉田うどん(生麺担いできてたのかよ)!起き抜けからお腹いっぱい胸いっぱいである。そういえば23日の夜に、今回やってみたかった「みつまめを作る」というミッションを遂行したのだが、寒天を冷やしている時に鍋に沢水が盛大に入ってしまって寒天成分が薄まり失敗、不気味な流動食のようになってしまった。朝もまだ半分ほど残っていたので、責任を持って消費する。
今日も気合い入れていきましょう。
しかしまぁ滝ひとつ越えたと思ったらまた滝、滝、滝の連続で一向に進まない。とはいえ割と直登しているので、巻くよりは時短できている気もする。いやどうかな・・・。
赤のルートはGPSログではないですが大体こんな感じ、2350mより上の赤線はほぼ正確だと思われる
3人と自分の登攀力の差に思いを馳せ、これ本当に私大丈夫なんだろうかと結構心配になる、というか緊張で呼吸が浅くなる。でも誰も、やめておこうかとか、エスケープしようかとか、巻こうとか、そういうことを言わない。それが少しまた心配にもなるのだけれど、3人はさしたる不安な表情をしないで基本ニコニコしているので、あれれ、これは単なる私の杞憂なのか??という気もしてくる。
果敢に攻めるK氏。1ヶ所もランニング取らずに登り切るメンタルよ・・・
その後に続く3名はかなり手古摺った
クライミングの強さと、沢での登攀の強さは綺麗に比例する訳ではないらしくて、それがまた不思議なところでもある。U氏とN氏はクライミングはK氏より強いのに、何故か沢だとK氏が強いらしい。因みに、ぱっと見「案外私も行けるのでは??」なんて思いそうになるこの岩だが、私はこの写真のポジションからまず離陸するのに数分かかったし、荷物背負って登ろうとしたらまず無理だったので荷物だけ先に引き上げて貰った。。。一度離陸してしまったらその先は割とするする登れたのでホッとしたのだけれども。

しかし登り切って上で皆に再会したと思ったらまだまだ滝は続いている。標高図でもわかる通りで、山頂に向かってどんどん斜度が上がっていくのだから当然といえば当然の連瀑。

一人目、例の如くK氏があっさり登っていったのだが、ホールドやスタンスが悉くボロボロで岩が剝がれまくっていた。ここは滝が2段構えのようになっており、トップの姿が見えなくなった後も2段目の登攀が続いていたのだが、見えないところからガラガラと音がして、その度我々はぴったりと壁に張り付いて落石から身を避けた。大小様々な石が容赦なく降ってきて、我々は意味もなく息を潜める。U氏も一度はフリーで登ろうとトライしてはいたのだが、落石が酷すぎて諦めざるを得なかった。一人が登っている間に次がおいそれと登れるような状況ではないのだ。

K氏が上で支点工作を終えたが、今度はロープダウンの衝撃で激しい落石が起きそうで怖いといってロープダウンを躊躇っている。すこし懸垂で下に降りてからロープダウンしてくれたお陰で、さしたる落石もなくロープは無事こちらに届いた。U氏とN氏がタイブロックで登り切った後、最後に私はビレイを懇願して皆を追う。私より全然登れる筈の人達がヒーヒー言いながら登っていたこの壁を私ごときが登るのだから、本来なら荷物なんて先に引き上げておかなければ登れないに決まっていると思うのだが、ここは岩が脆すぎてザックを引き上げることができないのだ(引き上げるときの衝撃でまた落石するため)。今思えば、荷物を下に置いてロープに繋いでおいて、自分はアッセンダーで登るという方法もあったのか・・・アッセンダー苦手なんだけどね・・
上から見えている時点で既に核心は越えている私。登り始めが一番怖かった!
あとはなんとかなったけれど、ロープがあるからそんなこと言っていられるだけ。
ビレイって素晴らしい。ありがとう!!
個人的には、百曲りの手前(東)の登山道に詰め上がって、そのあとは登山道で餓鬼岳行くのが危険もなくて良いのでは?と思っていたのだが、、、その分岐に辿り着いた時まだ午前中だったのでもう少し山頂直下まで行きたいなという気持ちになったのも確か。
水はまだ枯れていないのだが、いよいよガレがすごいことになってきた。地形図見る限り行ける気がしないなぁと話していたが、実際にその場に来てみても矢張り行ける気はしない。地形図通りだね~なんて言いながら休憩をとるが行動食も喉を通らない・・・ということはなく普通に腹は減る。因みに今回の行動食はいつもの柿ピーとクリーム玄米ブラン以外に、業務スーパーに売っていた税別58円(激安)のシリアルバーと5個入りの木村屋のミニカレーパンというラインナップが加わり、いずれも美味しかった。
相変わらず岩は脆い
後ろを歩いているK氏が、雪渓あったらやばかったなぁみたいなことを言った。前の週に私は唐松~針ノ木あたりを歩いていたのだがそちらはあちこちの沢に雪渓が残っていた。多少エリアは違えど、ここがこんな状況では餓鬼岳の方はどうだろうか、という類の話を散々していた筈なのに、ここまで来るのに必死すぎてこの瞬間まですっかり雪渓のことなど忘れていたのだ。こんなにも脆い場所にもし雪渓が残っていたら、日中の太陽で雪が溶けて岩と共に剥がれ落ちたり、上に乗った石が落ちまくる中を歩くなんてことになっていたかも知れないよねぇ・・・・・いやー本当に雪渓あったらヤバかったかもねぇ・・・なくて良かった・・・あ”?
雪渓かよ!
溶けまくる雪渓の上の、しかも端っこの方に乗った石が今にも落ちてきそう。というかたまに落ちてくる。雪渓からできるだけ離れつつ進む。怖いよ。
ザレザレの左岸の様子を見にゆくU氏とそれに続くK氏の視点から。
これは無理だろうということで引き返す
ちょっと写真だけでは記憶が曖昧なのだが、この後いよいよ沢筋がどうにもならなくなり右岸側の尾根に乗ったのだったと思う。
藪の安心感に歓喜する一同。藪に歓ぶってどうかしてるぜ!!などとこの状況下にも関わらずワイワイ笑いながら進む。簡単に死を想像させるガレザレに比べ、生命力漲る木々の安心感と安定感は凄まじいものがある。ここにいればまぁ割と大丈夫だ。生木は体重をも跳ね返す。
先頭がコッチジャナイと言うと最後尾が先頭になり、さっきまで最後尾だった先頭がコッチジャナイと言うと再び最後尾が先頭になる、ちょっとしたスイッチバックの亜種みたいな方式で進む。細くて急な藪尾根を地形図を見ながら攀じっていくと藪が少し穏やかになり、その先の岩尾根は更に険しそうに見えた。この尾根の先までいけるのか?いやこれもう一度沢に降りた方が良いのでは?降りられる?下は歩けそう?ロープ足りる?1ピッチ?2ピッチ?
結局30mロープ2ピッチ弱で懸垂で沢床へ戻る。さっきまでいた尾根のその先を下から改めて眺めてみると、案の定険しさを増しているのがわかった。議論して、どちらかが折れるとか諦めるとかそういうのではなく、突破に向けた最適解を求めて意見を交わし、出した結論(ルート)が正しかったと実感できるのは尊く大切な瞬間だ。私はといえば、ここまでの行程で静かに、けれど確実に、必要以上のメンタルを削られていて地形図を見る余裕もなく、ルートの検討にはほぼ関われなかった。情けない。懸垂も久々すぎて滅茶苦茶緊張した。懸垂を終えて時刻は14時半過ぎ。
あんなに高く登っていたのにまたこんなに降りてしまった・・・。稜線はまだ遠い。
多少傾斜が緩くなってきた気もする。一番過酷なゾーンは越えたかもしれない。17時近くなってしまったので小屋へ一度連絡を入れることにした。山に入る前からテン場の予約を入れたり人数を変更したりで何度か事前に電話を入れて麓の電話番のおばちゃんと喋っていたのだが、この日もいつものおばちゃんが電話に出てくれた。ルートは事前に申告してあり、最初から心配されていたのだが、現在地を伝えると到着が遅いことを咎められるなんてことも全くなく、寧ろ「この辺は20時くらいまで明るいから大丈夫!」「ガンバレ!ガンバレ!」と励ましてくださった。スピーカーフォンから聞こえるおばちゃんの声に一同も再びやる気を出し、あと数百mの登りにとりかかる。
しかしまだ雪渓も残っている。雪渓の上の端を歩こうとして突入したN氏が苦労している。やむを得ず、この太陽に晒されて一番崩れやすいであろう時間帯の雪渓をダッシュでくぐる。
終盤までえぐい。
そして藪
山頂直下に詰め上がると最後がかなりきつそうだったので、小屋よりさらに西側のテン場あたりをゴールに定めて進むことにした。激しい呼吸でブヨの群れの中を進むものだから、目やら口やらお構いなしにブヨが入って不快なことこの上ない。振り返るとK氏が周囲のシダを束ねて両手に握りしめブンブン振り回し虫を払っている。御幣を振る神主の如くである。
ゴールは近い!先をゆくU氏とN氏はもう上に出た模様
藪の先に青いものが見えて、人工物だ!と思って近付くと、他の登山客のテントだった。テン場目指して詰め上がって、本当にどんぴしゃで他人のテントに詰め上がったのにはちょっと笑ってしまった。18時頃、ようやく沢登りが終わった。長かった。
燕岳方面
手続きを済ませて乾杯!
沁みたぜ!
小屋に着くや否や雨が降り出した。と思ったら豪雨になり雷が轟き、しかも前日のような1時間程度で止む雨ではなく21時過ぎまで緩急つけながら降り続いた。雨が弱まったタイミングでどうにかタープを張ったが雨の対応に追われて中々夕飯を食べる余裕がない。タープの下4分の1くらいが水溜まりになったりして本当に大変だった。ようやくペペロンチーノにありつき、酒を飲み眠ろうとしたが、今度は寒くてほとんど眠れない。私はシュラフカバーとシーツのさらに内側にツェルトをくしゃくしゃとねじ込み、簡易ポリゴンとか言いながら寒さをしのいだ(しのげない)。焚火がしたい(できない)。

そして実はU氏以外誰も寝袋を持ってきていなかったw 寒さで眠れない3人が交互に起き上ったりしながら長い夜をやり過ごす。眠れないとトイレが近くなるみたいで、夜の間に3回以上トイレに行った。満月が美しかったらしいが、雲の流れが速すぎて起きるたびに月が隠れてしまっていて、私は一度も見られなかった。

Day4--2021/7/25 (Sun)
ひとり勝ち組、寝袋持参で快眠のU氏
朝は旭川ラーメン、トッピングにネギ。つまみ用の鴨パストラミがまだ残っていたのでスライスしてチャーシュー代わりに。
ご褒美ブロッケン。
朝方は少しガス気味で山頂もあまり景色は見えず、本来見えるはずの槍の穂先などはお目にかかれなかったのが少し残念。皆の初餓鬼だったのに!
7:00くらいにようやく出発して燕岳を目指す。のんびり。
高瀬ダムが見える
ちょっと雲の多い稜線歩きにはなってしまったけれど、ガスガス真っ白とかではなくて良かった
朝ゆっくりしすぎ&私の歩くペースが遅すぎ&休憩とりすぎのため燕岳山頂まで行っている余裕がなくなってしまった。というのも、夏山シーズンの中房温泉は駐車場が満車で停められず手前のしゃくなげの湯に駐車していたため、一旦バスで駐車場まで移動しなければならなかったのでバスの時間を気にする必要があったのだ。餓鬼岳からの縦走路なんて誰にも会わなかったんだけども、燕岳がぶっちぎりで人気すぎる。というわけで東沢乗越からおとなしく下山することになった。ここも破線ルートだが去年歩いており利用可能なことは分かっていたので躊躇いなく選択。しかし私が前回歩いたのはたかだか10か月前程度だというのにルートのことをあまりよく覚えておらず、後半のアップダウンがかなりきつかった。
はじめは急斜面をジグザグと下る。その後大きな堰堤が出てくるタイミングでいちいち巻き道を歩かされて汗だくに。。。沢ルートなのでたまに沢でクールダウンできるのは有難い。
盛大にクールダウンするK氏
このあと結構頑張ったとしても、下山はバス出発直後とかになるのでは・・・という危うい時間に最後の休憩をとったが、いよいよ私のお尻にも火がついてどうにか14:05に下山、14:15出発のバスに間に合った。私もそんなに歩くの遅い方ではないのだけれど、今回はメンバーが強すぎてついていくのもやっとだった。とりあえず怪我もなく、無事にしゃくなげの湯側の車もマムシ平側の車も回収し、ラーメンを食べて解散と相成った。
下山途中でN氏が笹藪に目をやると、その地味すぎる稲穂のようなものを手に取り、コレ笹の花だと思う、と言った。初めて知ったのだが、笹は周囲一帯地下茎で繋がるすべてが同時に開花して、その後全部枯れるのだそうだ。調べてみると、笹の一生は60‐120年と言われていて、一生に一度だけ開花して枯れてしまうらしい。こんなにそこらじゅうで見かける、雑草のような扱いを受けている笹という奴らが、こんなにドラマティックな植物だとは知らなかった。これまでも花を見かけていたのに見つけられていなかったのか、それとも本当に初めて出くわしたのか。ひたすらバスの時間に間に合うようにかっ飛ばしていた道中で、一人だったら絶対に見逃していた笹の花という笹にとっての集大成を見ることが出来てとても嬉しかったけれど、なんだかとても複雑な気分になった。取るに足らない笹という存在でさえも、この環境の中で命を紡ぎ、一生を終えてゆくのかと思うと何とも言えない気持ちになった。来年ここへ来たら、笹藪は消えて無くなっているのだろうか。別に笹のことを想って鬱々としたり悶々としたり暗い気持ちになった訳ではないけれど、ちょっとした清々しさと、輪廻みたいなことをぼんやりと考えた。笹よ、いつも束ねてグイグイ引っ張ったりしてごめんな。そして急ぎ足で通過してしまってごめんよ。

因みに手拭いは残念ながらデザインが変わってしまっており、前編に貼ったデザインのものは入手できなかった。現行の手拭はこちらの2種類。広げて見られなかったので現地ではよくわからなかったのだが、紺色の方はひたすら餓鬼がいっぱいだったのね。赤の方はカモシカと花も混じっていて餓鬼すくなめ。何の花をあしらっているのか小屋番さんに尋ねたらなんだったっけとのことだったが、調べてみるとトウヤクリンドウというリンドウみたいだった(本当かどうかは不明w)。餓鬼の「よくきた」という台詞が消えてしまっているのがとても惜しい。矢張り旧デザインの方が圧倒的に人気らしく、新デザインは売れ行きが無茶苦茶悪いらしい。これが捌けないと前のデザインを新規発注できないそうなので皆買ってあげてね。
赤というかちょっとピンクに近い赤で珍しかったので、私はこちらを購入。
昨年の黄蓮谷のように記録があってそこそこ難しめの沢というのも勿論楽しいのだけれど、記録がほとんどない沢(しかもかなり規模の大きい沢)をドキドキしながら進むのはまた輪をかけて楽しいものだ。行く前にK氏が「沢はどうにかなります」と言っていて、私は技術が不足しすぎているので「そんなことあるかよw」と思っていたのだが、本当にどうにかなってしまったのは1に技術2に技術、3、4がなくて5に度胸といったところか。

無茶はいけないけれど、身の程を弁えつつ、しかしほんの少しの背伸びを繰り返さないと身長は伸びないのだ。最近ちょっと背伸びをしなくなってきているので、ここらでもう一度くらい背伸びをすべきだなぁと思った。体力を伸ばすか、技術を伸ばすか。良いバランスで進めていけたら良いなと強く思う。ヘタレな自分を笑顔でプッシュしてくれた、愉快で楽しく朗らかな仲間達に心からの感謝を!