2026/04/18

20260417-19_Manjushree Trail Race 100mi(レース後編)

準備~前日編はこちら
レース前編はこちら

スマホは昨年5月に機種変更をしてリファービッシュ品のiPhone14を使っているが、まだ1年くらいしか経っていないのにやたらと充電の減りがはやい。あまりに様子がおかしいのでレース半月前くらいに販売会社へ端末を送り確認してもらったのだが、特に異常はないとのことでそのまま送り返されてしまった。CP5での休憩中に25%くらいまで充電したがすぐに電源は落ちた。携行しているモバイルバッテリーから充電しながら進んでも良かったのだが、どうせしばらく夜間なので充電もせず暫く写真は撮らないまま進んだ。眠気と疲れ、写真もないので記憶もほぼ無く、途切れ途切れのエピソードだけが残った。

CP6 Kalamasi Bus Park (89km) 
記憶がない。地図を見ると林道というか道路のようなところが多かったようだが全然覚えていない・・・。こぢんまりとした道路の脇にあるエイドだったような気がする。ここに着く手前くらいで一度道端に横になったりしてほんの数分程度休憩したのだったか。

CP7 Sanga Bridge (96km) 5:40頃
吊り橋というのは基本的に川に架かっているものだと思っていたが、ここの下はとんでもない道幅の土色の道路だった。疲れて朦朧としていることもあり、遥か下を通るトラックの群れに目をやるとそのまま吸い込まれそうな気がした。吊り橋のど真ん中から写真を撮りたかったが、スマホを落としそうな気がしたのでやめた。
渡り切って少しするとY河内さんが追い付いてきた。彼はCP5での仮眠を10-15分程で切り上げたようだった。相変わらず胃の調子が悪そうだったが、私より後でエイドに着いたにも関わらず先に出発していった。私も正直そこまで胃の調子は良くなかった気がするが、CPに初登場したリッツのようなクラッカーが食べられたので良かった。胃に不調がくるにしてはタイミングが早いなと思って少し不安を覚えつつ、自分も慌てて彼の後を追う。朝になって眠気は一旦落ち着いた。

左手前に書かれた黄色と白のペンキマークが100マイル用のマーキング。
道路、人の家の壁、橋桁、木の幹・・・あらゆるところにペンキマークがあったが、このペンキは数日経つと勝手に落ちる仕様の物なのか??人の家の壁にレースのペンキマークを書くとか、日本ではとても考えられないw
ここのCPにはコンセントがあり充電できるようになっていたが、コンセントの存在に気付いたのがここを再出発する間際だったので結局充電はできなかった

CP8 Ashapuri (101km) 7:48頃
自分の汗でスマホのカメラが曇っていて写真がぼんやりしている。
エイドのクローズ時刻と自分の到着時刻の差は一向に縮まらない。序盤の関門を突破して安心し切っていたけれど、これは歩いていたら全然間に合わない気がしてきた。Y川さんがスタート前に言っていた「関門越えたら歩いていても完走できる」という言葉は信じてはいけないのでは・・・。
ここでもY河内さんと一緒になった。M月さんも追いついてきて三人一緒になったような気がする(うろ覚え)。

CP9 Chapakharka (109km) 10:00頃

日数が経っているから記憶が消えたとかではなく、レース直後からほぼ記憶が無いあたりが私にとっての100マイルだなぁという気がしてならない。レースの最中は割と意識ははっきりしているつもりで走っているのだけれど記憶に残らないのは、なんだかんだ矢張りすごく疲れているからなのだろうな。
ここはマッサージとダルバートのあるエイドだったと思うが、既に誰かがマッサージを受けていて順番待ちをするにしても何分くらい待てばいいのかもよく分からなかったので諦めることにした。とりあえずダルバートは食べたが、ここでもデフォルトの量が多くて食べ切れなかったような気がする。スイカは水分とミネラル・ビタミン補給になると思って毎回食べるようにしていたが、食べ過ぎるとまたお腹を壊しそうなので1回に2-3切れにとどめておいた。このあとは再び2700m越えの登りが控えている。

CP10 Phulchoki (115km) 12:36頃
確かこの辺りの登りで鼻血が出始めたのだったと思う(違ったかな・・・)。暫くY河内さんと一緒に走っていたが、日陰もなく暑くて鼻血も止まらず、小さな木陰を見つけて立ち止まったりしていたのでY河内さんには先に行ってもらうことにした。
山頂は踏まずに山頂近くにCP10があった。ここまで、標高差はそこまででもなかったが中々登りに転じずに延々トラバースが続いていて無駄にアップダウンさせられたような気がする。CP10のあと林道は降りになる。食欲はそれほど無かったが、エイドのスタッフのためのおやつと思われるポテトチップスは食べられそうだったので数枚いただいた。酸っぱいスナック菓子みたいなのものも勧められてそれもすごく美味しかったが、いくつも食べられる状況ではなかった。ここから延々と降り、写真はもう夜のCP13まで一切ないw

CP11 Nallu (123km) 16:04頃
長い降りを終えて細い道路の脇にあったエイドだったと思うがあまり記憶がない。多分、ここにいる間に山の方が暗くなってきて雷鳴が聞こえてきたのだったと思う。これからあの雷の中に突っ込むのは嫌だなぁと思ったが、方角的に雨雲の中にある山頂はこれから目指す山頂ではないなという気がして少しだけほっとした。
案の定、CPでパラパラと小雨を受けた程度で、その後雨の影響は無かった。

CP12Tikabhairab (129km)
ここもエイドの記憶がないが、このエイドのあと川沿いを延々歩いたり走ったりを繰り返していたと思う。自分より速いメンバーはここを日の高い時間帯に歩いていたようでとても暑かったらしいが、私が通った時は既に日は傾いていたので灼熱地獄ということはなかった。ただ、ゴーロ帯のようなところもあって歩きづらかった上に日が落ちてマーキングが見えなくてちょこちょこ行く方向がわからなくなったりしていた。
以前走ったことがある人だったのか、追いついてきた人が「あの吊り橋を渡るんだよ」と教えてくれたのでそれに従って進むも、その先に見える急斜面の舗装路に心を砕かれる。

書いていて思い出したが、ここで眠気がMAXになったのだったと思う。道は暗くて見えない上にやたら白い道路が無機質で気持ち悪かった。何のために作られたなのかよくわからない道を無駄に登らされたり、車が通れるくらいの幅はあるものの車が通れるのか甚だ怪しいような急斜面だったりして、道そのものに疑問を抱きながら登っていたのがここだったような気がする。ザックを下ろして枕にし、そのまま仰向けになって目を閉じていてもぎりぎり寒くないくらいの心地良い風が吹いてきたが、暫くすると矢張り少し汗冷えしてきて寒くなる。しかも大会と関係のない普通の住民がバイクで近付いてきたりする。急に路上で横になっている人が居るとか、正直このままだとうっかり轢かれてしまいそうだ。

次のCPまで、距離を見ると大したことなかったのだなと今になって思うが、眠気もあってとても遠く感じた。次のドロップバッグポイントに着く手前で田んぼみたいなところの間を散々歩かされたが、ここでは雑草の夜露で靴がかなり濡れてしまった。1ヶ所目のドロップバッグには替えの靴を入れていたが、次のドロップバッグには入れていないので靴はゴールまでこの靴でいくしかないというのに・・・。

CP13 Pharping (137km) 21:08頃
誘導スタッフのいる道路に出るとそこは別カテゴリーのためのエイドで、ドロップバッグポイントはこの先の坂を登った途中の貼り紙のあるところを入ったところにあるよとのことだった。言われるままに坂を登ったが貼り紙がわからずに坂を登り切ってしまったので、再びスタッフのところへ戻って道案内をしてもらいようやくCP13に到着。場所は滅茶苦茶分かりづらくて、こんな山の中に建物があるのか??と思わずにはいられないほど奥まで進まされたが、結局他の舗装路がそこの建物に通じており、コースから行こうとしてショートカットをすると山道になるみたいな感じだった。赤青黄の照明が灯り、誰かがギターで歌っているというやたら賑やかなエイドだった。ここで一旦仮眠をとろうとしていたので、この賑やかさに不安を覚える。

ドロップバッグに入れてあった無印のバウムクーヘンはもう食べられる気がしなかった、というか食べたいと思えなかった。普段散々脂っこい物やら揚げ物やら、脂質の高い物を食べるくせして、こういう時だけは油脂に敏感になるのだから厄介である。
しかし先に着いた人が食べていたダルバートを見たらとても美味しそうに見えたので早速食べることにした。美味しそうと思えたことはとても大事だ。一刻も早く、温かいうちに食べたいと思いながらも、勧められるがままにマッサージを受けることになってダルバートは暫しおあずけ。CP5のダルバートで物凄い量のライスを盛られた経験を踏まえて少な目でお願いしたが、結局お代わりをしてしまった。
マッサージが終わってから食べた黄色っぽくてとろみのある美味しいダルバート。
他の人が食べていた写真を見ると、ひよこ豆のカレーみたいなものもあったようだが私の時は既になくなっていたのか、この黄色いのしかなかった。かなりクミンが効いていた。
優しくて献身的にサポートしてくれるスタッフの方々
私はここに着くまでの間に大分ヨレヨレになっていて、平らな直線道路を進むにも蛇行するような状態で若干危なっかしかった。途中に細いシングルトラックがあって、踏み外したら崖のようになっている箇所もいくつか認識していたこともあり、このエイドでしっかり休むことにしようと決めた。過去のレースで47時間半までは仮眠なしで進んだことがあるので、今回も仮眠無しで最後までいけるかなぁと思っていたのだが、矢張り序盤の関門ファイトで無理をした分、疲労が溜まるのが早かったのだろう。今ここで休んでも制限時間内にはどうにかゴールできるだろうという見込みもついたつもりだったので一旦眠っても良いだろう。何を基準にそう考えたのか、今となってはよくわからないが・・・。
ダルバートを食べている間にM月さんが到着したので少しお喋り。彼女はCP5で少し仮眠したようで、今は眠くないからこのまま行くと言う。私にとってはゴールできるかどうかが最重要課題のくせして、僅かに残る負けん気が頭をもたげそうになるがぐっとこらえる。自分が自分のコンディションを冷静に観察して決めたことを、他人の行動を見て安易に変更するのはトラブルや事故のもとである。私は最低でも30分は眠ろうと思っていたので、もうこの先彼女に追い付くことはないだろうと思った。もうこればかりは仕方ない、眠ることに集中する。たっぷり食べたしきっとよく眠れるはずだ。

いつもレース中は興奮してなかなか寝付けないのだが、仮眠したいといって通された個室にはベッドがあり、脇にトイレとシャワーもあった。こんな汗ダクで汚くて臭いのにベッドに入って布団を掛けて大丈夫なの!?と思ったが、よくよく考えたらこのベッドに既に何人もの汗ダクの臭い人達が横になり眠ってきている訳で、今更私が気を遣うこともなかった。ベッドは特に他の人のにおいで臭いということもなく(何かファブリーズ的な処理をしてくれていたのかどうかは不明)、どちらかというと掛け布団から丁度良い塩梅で人間のにおいがして心地良かった。外では相変わらず誰かがギターで弾き語りをして犬が吠えていたが、私は45分ほど深い眠りに落ちた。自分でアラームもかけていたが、事前に伝えておいた仮眠時間通りにスタッフの方が起こしに来てくれ、私はまだまだ眠りたい気持ちをこらえて出発の準備をする。結局ここのCPには1時間半以上居たと思う。
普通枕の位置手前じゃなくて奥だと思うのだが、私が部屋に入った時既にこの状態だったので、私もわざわざ方向を変えることなくこの向きのまま眠った。

CP14 Deurali (148km)

CP13を出るともうレースは終盤だというのに2400m越えの山々をいくつか登らされる。真っ暗闇の中を延々続く階段、一歩一歩登っていくが遅々として進まない。このペースで果たしてゴールできるのだろうか。ペースが遅すぎて寒い。しかもしっかり仮眠したというのに眠気も完全に消えたとは言い難く、寝た意味あったのだろうかなどと考え始めてしまう。
冷静に考えてみると、20:00クローズと書かれていたCP13に21:00過ぎに入って、そこから1時間半以上休憩していることを踏まえると、クローズ時刻をベースに考えたら2時間以上のビハインドの筈である。いやいやこれまずいんじゃないの、ここまで来ておきながらゴールできなかったら洒落にならない。丁度走りやすい降りで焦って走り出すと脚は残っていて、一気に駆け降りてCP14に着いた。
追い付くと思っていなかったM月さんがCP14の椅子に座っていた。ゴール間に合うか不安になってきたんですけど!!と話しかけると、大丈夫じゃないですか?と余裕の返答。あれ?間に合うのかな?しかしこの先、標高や距離といった数字ではわからないような面倒なサーフェスに苦しめられるかも知れず、絶対間に合うと誰かが保証してくれる訳でもない。ここのCPは結構風が抜けて寒かったので私は水分を補給するだけにとどめて先行させてもらうことにした。
CP14を出て再びひと山越えるとCP15、その後一気に降ってゴールだ。

CP15 Chitlang Road (153km) 4:30頃
旅も終わりが近い。CP14の手前みたいにかっ飛ばせたらいいなぁ等と思っていたが階段の降りに手古摺ってもたもたしていたらまたM月さんが追い付いてきたのだったような気がする。
ここから少しだけ登って一気に降り。かなりの急斜面ではあったが土がふわふわ柔らかくて速度を出しても止まれるので飛ばしても大丈夫だ。というか、この斜度の降りを走っても前腿が痛くないという事実に驚く。決してゴールが近いからといって痛みを捻じ伏せているいう訳でもなかった。前回のチェンマイと何が違うのかはよく分からないが、ここまできて走れていることに感動して私はどんどんスピードを上げた。スピードが上がるにつれ興奮が増して集中し、やれ全然痛くないだの走れてるよマジかヤバいなだのとごちゃごちゃ口に出しながら進んだ。嬉しさが爆発していた。
私は160km以上のレースはこれが3度目で、これまでの2回は最後ほとんど走れなくなってゴールしていたので、100マイルをレースとしてどうやってまとめ上げることが自分にとっての100マイルなのか正直分からないままネパールに来ていた。しかも今回は序盤に関門があることでマイペースを貫くことは不可能であるのがはじめから分かっていたし、序盤のオーバーペースのせいで後半脚は終わるんじゃないかと思っていた。しかし中盤に一旦脚が終わりかけて(登りに関して言えば脚はほぼ終わっていた)、逆にそこで脚が休まって終盤に復活したのかも知れない。標高の高いところでペースが上がらなかったことも功を奏した可能性もある。自分らしくまとめたと言うとちょっと違うけれども、最後に思いきり走れたのは無茶苦茶嬉しかった。50-60kmのレースでも、初めてきちんと最後まで走って終われたレースというのは記憶も鮮明で、今回もその時同様に腑からこみ上げるものがあった。レースにエントリーしてから今日まで最大限の努力を日々積み重ねてきたとは言い難く、頑張ってトレーニングできた日もあった一方でぐうたら無駄にした休日やそれを悔やんで凹んだ日も多々あった。もうネパール行きそのものをキャンセルしてしまいたいと直前に考えたりもしていた。それらのすべてがこの降りで完全に昇華した気がした。ネパールに来られて良かった。

WP Nagdhunga (159km)
ふわふわトレイルから舗装路の降りになり少しペースは落ちたが汗ダクで降り切って大きな道路の横断手前で最後のWP。少し水を補充したいような気もしたが、雰囲気的にもうこのまますぐ終わりそうだったので補充せずに進む。車線とかが無いので何車線かわからないけれど兎に角凄まじい幅の道路で信号も横断歩道もなく、これを「渡れ」とあっさり言われてかなりビビった。途中で交通整理みたいなことをしてくれたので何とか渡れたが、ネパールの人達はこういう道路もすいすい渡ってしまうのだから肝が据わっている。
ここがWPの手前だったか後だったか忘れてしまったが、ところどころに書かれたKVMの意味をゴール直前になってようやく知るw Kathmandu Valley Rim!

Finish Pataleban (161km) 6:33
二度目の朝。ネパールの朝日は毎回濃い橙色に熟れる
国道を越えても民家の間の急坂をいくつか登らされ、降り切ってゴールという展開ではないのがもどかしい。とはいえ本当にあと少しだ、終わりが近付くといつも、長いようで短かったなぁと思う。早くにゴールして眠っていた人達もぼちぼち起きてくる頃かなぁ等と思いながら2日前に通ったルートを少しだけ逆走してホテル前を通過した。ゴールゲートの向こうに人が居るのが見えたが誰も私がゴールするのに気付いてくれそうにない。少し焦ったが、ゴール直前にMCのSophieとN鳥さんに気付いて貰えて良かったw こうして旅は終わった。
このレースはゴールさえすれば女子は入賞ですよなんてY川さんに言われていたので、滅茶苦茶強いネパール人選手だけぶっちぎりで私とM月さんが2位と3位とかかな?なんて浮かれたことを考えていたが、今年は強い欧米人が何人も出ていたので入賞は程遠かった。女子10人中7人完走で私は6位。でも誕生日明け1発目のレースで完走できて感無量、良い一年になりそうだ。

汗ダクの私を一瞬の迷いもなく抱きしめてくれたSophieとはこの後ツーショットの自撮りをして貰ってSNSのアカウントを交換した。私のアカウントには誕生日の数字が入っているので、この数字は私の誕生日で、つまり誕生日をネパールで迎えてすぐにこのレースだったんだよと伝えると、彼女は底抜けの笑顔で喜んでくれた。
階段の上にいたY河内さんが撮ってくれた
貰った瞬間から傷だらけのフィニッシャーメダルw
標高もそれなりに高いこともあり汗冷えしてきたので、一旦N鳥さんの部屋のシャワーをお借りして着替え。そうこうしている間にM月さんもゴールし、結果的に日本から集まった全員が完走するという快挙だった。打ち上げらしい打ち上げができる!誰も悲しくないやつ!

男子6位でゴールしたY田さんは前日夜のうちにタメルに戻っていたが(速すぎw)、他の5人は昼過ぎにタメルへ移動して一旦解散してから夕方改めて集合し盛大に打ち上げ。ゴールしたその日のうちに全員で打ち上げができて、しかも全員が完走しているなんて、こんな清々しい打ち上げは中々無いと思う。最高という言葉以外に見つからない。レースのあそこがどうだった、ああだった、この区間が長かった、怖かった、いや全然覚えてない、眠かった、暑かった、そんな話でひとしきり盛り上がっている内に夜も更けて、N鳥さんはそのまま夜の便でインドネシアのご自宅へ飛んでいった。タイトスケジュール。
この時は全員元気で元気に飲み食い。しかし私は翌朝具合が悪くなって死にそうだった(二日酔いではない)。これについてはまた次回・・・

15日に渡航して17日に走り出し、レースが終わって19日はもうネパール5日目。あっという間だった。私にとっては、初めての奥久慈50k以来の、関門に追われるレースだったけれど、レース前日に思いつめることなく仲間と観光ができたことで気が紛れたし、口を開けばゴールできないかもしれない不安ばかり言っていた私を受け入れ話を聞いてくれた人達がいたことにどれだけ救われたか。
とはいえ、最初に知らされていたコースプロファイル通りだったら関門突破できなかったのは確かだし、エントリーする前にこのプロファイルをきちんと見ていたらきっとエントリーしなかったと思う。ある意味、きちんと見ていなかったからこそシンプルに「ネパールに行ってみたい」という気持ちが先に立って、前のめりにエントリーしてしまったのだろう。これもまた星の巡り合わせとも言うべきか。

30年以上前にユーミンが「Kathmandu」という曲をリリースしていて、その前後でユーミン自身もネパールに行っていた。私にとってカトマンズは登山を始めてから意識した都市ではなく、曲を知った頃から薄ぼんやりと意識していた場所だった。その地に初めて降り立ったと思ったら160km以上走ることになるとは誰が想像するだろうか。当時コンサートグッズとして購入した香水はカトマンズをイメージして作られたものだといい、私はその香りがとても好きでいまだに手元に残してあったのだが、引っ張り出してみたら蒸発してもう1滴も残ってはいなかった。レース序盤で指輪が無いと思った時も不吉だなと思ったし、渡航前に香水が蒸発していることに気付いた時も不吉だなと思って、あらゆることが良い方へ考えられず、レース中もかなり終盤になるまでゴールのイメージができなかった。それでもどうにかゴールできたのは、なんだかんだそれなりに練習していたからだろうし、結果的に「ネパールまで来てDNF」という物語にならなくて本当に良かった。

友達は私が不安を漏らしているのを見聞きするといつだって「絶対大丈夫でしょ」と言う。友人が面と向かって「無理だろうね」なんて言う訳がないのは判っているけれど、それでも「大丈夫」と言われると「大丈夫じゃない」と思ってしまう。そのやり取りが繰り返されることを分かっていながら何故わざわざ不安を口にするのか。でも言わずにはいられない。もう少し自信をもってレースに臨めるよう積み重ねれば良いのだろうけれど結局のところキツい練習が嫌いで、それ故いつまで経ってもスピードは上がらないし心肺も弱いままだ。趣味のために体を酷使するだけならいざ知らず、今回のようにメンタルまで酷使するのは果たして趣味なのかと自問自答もあるけれど、ゴールした後のやり切った感は矢張りきついことをすればする程大きいのも確かだ。もうこんなしんどい趣味に時間を割くのは止めたいと思う一方で、体が動くうちはもう少し続けてみたいような気もする。まぁいずれにせよ、私の体は丈夫にできているものだなと毎度関心するし、丈夫に産み育ててくれた両親には猛烈に感謝している。

「執着を捨てたとたん きっとわかる いちばん大事なことは何なのか」
これからの1年、ユーミンのKathmanduの歌詞にあるこのフレーズを課題のひとつとしたい。何にせよぼちぼち人生も折り返しだ、執着は捨てて、少しずつでも大事なものに気付いてゆける日々がいい。

レース編おしまい
↓↓↓楽しんで貰えたら嬉しいです!応援どうぞ宜しくお願いします!


おまけ
今回のレースをN鳥さんが動画にしてくれています。こちらもどうぞお楽しみください♪
N鳥さんのYouTube

2026/04/17

20260417-19_Manjushree Trail Race 100mi(レース前編)

準備~前日編はこちら
GPXの距離と公式ページに書かれている距離が結構ズレていて、正しいCPの位置は走ってみないと分からないという状態でスタートする。とりあえず分かっているのはCP3、CP4とその次のWPが関門であるということだ。
朝4:00に部屋に持ってきてくれると言っていた朝食が4:20を過ぎても一向に届かないのでフロントに出向いて尋ねてみたところ、ビュッフェやってるから食べられるよ!とのこと(言ってよw)。日本出国前もかなり食べる量が多い日が続いていていた上、ネパールに着いてからも飲み食いし続けていたので体が浮腫んでいるというか体感として明らかに体が重い。それでもレース中の腹減りが怖くて4時台からあれこれカロリーを放り込む。
ひよこ豆のスパイシーな炒め物とサンドイッチ、茹で卵、バナナ、牛乳とジュース。
トマトジュースかなと思って飲んだらまさかのスイカジュースだった。美味しい。
スタート前に皆で記念撮影
ホテルのすぐ前がスタート地点ということもあって選手はギリギリまで集まらない。5:30からタイム計測用のチップが配布され、腕につけていざ出発。エントリーが70人、出走が50人程という100マイルの選手達。もっと短距離のカテゴリーもあったが、100マイル走るのは50人という少人数である。この人数のために160kmの距離にマーキングをし、コース整備をし、準備を続けてきてくれたスタッフの方々には感謝しかない。

GPXのデータではCP3の関門までの累積標高が4000m以上と出ていた。でもCP2 ~CP3はグラフだとどう見ても降りだし、その区間に1200m登ると言ってくるGPXは明らかにおかしい気がする。CP3まで結局どれくらい登らされるのかによって、関門を突破できるのかどうかの見積は大きく変わってくる。しかし真実はわからないし余裕が無いのは確かなので、可能な限り追い込んでいくしかない。温存という言葉の存在しない100マイルなんて、私はまだ経験したことがない。

のんびりしていられないので最初からグイグイ登っていくが、大したことないような登りでもびっくりするくらい呼吸がきつい。いやまだ1500m未満とかそんなもんなのにこれはなんなんだ。暑さといってもまだそこまで暑くもないし、乾燥のせい?土埃のせい?呼吸が荒い。早くも関門通過が怪しく思えてくる。
スタートからCP1までたかだか11kmしかないというのに、この僅かな区間で早くもY田さんと2人で盛大にロストし林道を300m近く降ってしまって登り返す羽目になった。更に少ししてからは降りで前に転び、いきなりTシャツもズボンも土色に染まった。色々と展開が速すぎる感はあるが、レース序盤に追い込むと脚がもつれて転ぶのはよくあること。明らかにオーバーペースなのだ、でも完走するためにはこうするしかないのだ。
加えて私はお腹を下し、CP1までの間に2度の青空トイレである。1度目はまだ「出し切れば落ち着くかな」などと呑気に構えていたが、2度目はいよいよ水溶性の下痢となった。早目に薬でなんとかした方が良いだろうということになり、ネパールで購入した細菌系の下痢に効くメトロニダゾールという薬と日本から持参したストッパをダブルでぶっ込む。どちらが効いたのかは分からなかったがCP1に着く頃にはお腹は落ち着いていた。タイトな関門を突破するにはトイレに行っている余裕など無い筈だったので、ここですぐに回復して本当に助かった。

CP1 Single Tree (11km) 7:56頃

CP1。事前情報通り、水とフルーツ(バナナ)しかない。
因みに、レース直前に公開されたエイドの提供フード情報に「スニッカーズ」が追加されていて大喜びしていたのだが、結局1ヶ所もスニッカーズは無かったw ヌカヨロコビにも程がある。

フルーツと水分くらいしかないエイドなので補給だけさっと済ませて先を急ぐ。神頼みで買ってザックに付けてあったマンジュシュリー(文殊菩薩)のリングは途中転んだ時に飛んでしまったのか見当たらない。リングが身代わりになってくれたから私が怪我せずに済んでゴールまで守ってくれると見るべきか、それともただ単に御守りを無くしたことは不吉だと見るべきか・・・(結局この後しばらく進んでから、思っていたのと違うところに指輪を付けていたことに気付いて一安心するのだけれども)。

これは出国前に自宅で撮ったもの

WP Jamacho (15km) 9:14
次は急登からの2128mJamacho山頂WP。写真とか撮っている余裕はない、というか、写真を撮っていたせいで関門突破できなかった・・・みたいなことになりたくなかった。ここにはペットボトルや缶、紙パック入りなどの各種ドリンクがあり、サイズも様々で水分系がかなり充実していた。レッドブルもあった。私は紙パックのグァバジュースを1本とサイダーを少し飲んで、ファンタオレンジの小ぶりなペットボトルを1本持って出発した。次のCP2は少し遠いので水分は多めに。

CPでもないWPのドリンクがやたら充実していたのは一体どうしてだったのか・・・
この先のエイドがずっとこんな感じだったら、ドリンクでカロリー補給できて良いかも!などとこの時は思っていたが、こんなにドリンクが充実したエイドは後にも先にもここだけなのであった。

ここから階段で一旦降りたあとは緩やかな降りの走れる林道が続く。CP4~WPは走れる降りで時間を稼げるよ、なんて事前情報が来ていたのだけれどWP~CP2こそまさに「走れる降り」だろうよ。何故そのことは事前情報で言ってこないのだろう。謎は深まるばかり。気温は高く風は無く、しかし歩いている余裕は当然無いので黙々と走る。100マイルの序盤にこんなハイペースで林道の降りを走っていたら絶対に後半で前腿終わるよな・・・万が一関門突破できたとしても後半脚は大丈夫なんだろうか・・・とかもやもやしながらもペースは落とせないのでガンガンゆく。


CP2 Mudkhu Bhanjyang (29km) 11:11頃
そしてようやく辿り着いたCP2。スープの提供が予定されている大きめのエイドだった。到着すると、名前は忘れてしまったがAsia Trail Masterの人が待機していて写真を撮ってくれた。Youはこの間の香港の9 Dragonsを走っていたYasuyoだよね?と、着いてすぐそんなこと言われたらそりゃ嬉しい。なんやかんや話しながらスイカやらバナナを頬張り、お目当ての豆のスープをいただく。あれ?炭水化物はバナナしかないのね?米とかパンとかは無いんだね・・・。
豆のスープはスパイシーで美味しかったけれど基本的にはシンプルな塩味。
塩と豆の味という感じだったと思う。炭水化物が欲しい。
渡航前とスタート前にたらふく食べておいたから、レースでそのカロリーをじわじわ消費していたのだろうか、自分にしては信じられないほどカロリーを摂らずに進み続けていた。長いこと胃腸を動かさずに進むのはあまり良いことではないような気がしたけれど、エイドの食べ物もそんなに高カロリーの物がないし、持参のジェルを消費する以外にはどうにもならない。食べられないとか食べたくないとかではないので問題は無さそうだったけれども。

国立公園のentrance permitの紙を受け取ってCP2を後にする。どこかでこれを見せるのかなと思ったけれど結局誰かに見せるようなポイントはなかったし、個人的にはどこからどこまでが国立公園だったのかもよくわからかったw

暑さが増してくる。日陰のない炎天下の村落を進む。子供らにナマステと声を掛けて通り過ぎたが少ししたら追いかけてきて、薄い砂糖水を凍らせたようなアイスキャンディーをくれた。人懐こい顔して軽々と坂道を駆けあがってくる地元キッズの心肺の強さよ・・・

アイスありがとう!
ネパールはどこも建物の壁面の色がカラフル
扉の向こうに物凄い階段が見えて、まさかこれ登るのかなと思ったら本当に登らされた。ここで12時頃、スタートから6時間ほど。関門まであと2時間、500mほど登った後に少し降って関門だ。なんとかなるかもしれない。
どぎゃーん!
階段は10分ちょっとで登り切った
何ひとつ読めない看板w 左の階段をまた登るのか・・・?と思ったが実際は右へ進むルートだった。
走れるところは休まず走る!


CP3 Gurjey Bhanjyang (41km)  13:37頃(関門23分前)

ネパールまで遠征してきて40kmの関門に引っかかってレースが終わってしまう、という恐怖から奇跡的に逃げ切った。というか、案の定GPXデータが間違っていて累積が3000とか4000mも無かったので助かったというだけ。それでも滅茶苦茶嬉しい!とりあえず駒を先に進められる。次は64kmと76kmの関門だが、これもGPXだと57kmと71kmにありそうで、まったく先が読めない。兎に角ごちゃごちゃ考えず、データも信じず、無心で進むだけだ。

関門の割に落ち着いているCP。関門突破です!おめでとう!!みたいな盛り上がりもないw
私がひとりで盛り上がっている感じだった
次はひとつめの大きな登りで2700m越えのShivapuri Peakを目指す。関門突破のためにここまでもそこそこ心肺に負荷をかけているということもあって呼吸のつらさが尋常ではない。延々と続く階段を2-3歩ずつ上がっては一呼吸置くという信じられないくらいのペースでのろのろと進む。それでも息が上がってしまって数十秒おきに呼吸を整えないと進めない。日本の2700mよりもずっとしんどくないか??
レース後に調べてみたら、ネパールは空気が乾燥している上に土埃などの刺激で鼻や口のコンディションが悪くなっていることが多いため高所での呼吸が苦しくなることもがあるのだそうだ。でもそんな気のせいみたいな理由だけなの?もっと決定的な原因があるんじゃないのか?そんな風に感じる程度に息苦しかった。周りの選手も階段の脇に潰れてうずくまっていた。
自分も結構ボロボロになりながら登っていたつもりだったがそれでも周りの選手のペースよりは速かったようで「君についていってもいいか、君のペースをモチベーションにする!」とか言われて後ろにつかれたりした。その彼は数分で撃沈して遠く離れてしまったけれども。いやはや酸素が足りない。
ようやく到着した平らな山頂はガス。タルチョが飾られている
長い長い登りだったという記憶はあったけれど、こうして写真を振り返ってみて初めて、CP3から山頂まで3時間も登り続けていたことがわかった。そんなに長いこと登っていたのか!

WP Bagdwar (53km) 16:37頃
公式HPにはすべてのCP/WPのクローズ時刻が書かれていたが、その時刻が何を意味するのかよくわからないまま一応自分のタイム表にも転記しておいた。このWPは16:00クローズとのことだったが、万が一16時になってエイドが撤収を始めてしまって水も食べ物も補給できないのだとしたらどうしよう、もしそうなっていたら時間的に次の関門に間に合うとしても水切れで破綻してしまうのではないか??
ようやく到着したWPは本当に撤収しはじめている感じなのかもと思わずにはいられない程地味で小規模だった。水が貰えたことに胸をなでおろしつつ恐る恐るスタッフに確認してみると、別にCPはクローズしてないよとのこと。良かった・・・・・。じゃあ一体CP/WPのクローズ時刻って何なのだろう。
とはいえここにはフルーツすら無かったと思う。水と電解質系飲料のみ。

CP4 Chisapani (64km) 18:30頃 (関門30分前)
40kmと70kmの関門のことばかり考えすぎて60km関門のことが頭から抜け落ちていた。60kmの関門に余裕があるのかどうかもイマイチわからなかったが、そもそも40km関門も20分しか余裕が無かった上にBagdwarのクローズ時刻にも間に合ってはいなかったということを踏まえると結構ギリギリなはずだ。のんびりしている暇はない。
降り基調のコースを粛々と進んでなんとかCP4 に到着すると先に到着して休憩中のY河内さんに会えた。レース中、日本の皆には誰にも追いつけないままだろうと思っていたのでここで会えて凄くホッとした。ここで少しばかり羽を休めるも、大本命の最終関門が次に控えているのでそんなにのんびりもしていられない。ここでヘッドライトを装着しY河内さんを追って出発。

10kmほどの距離を3時間弱で進めば最終関門Jhule、しかもCP4から走れる降りがあるとの前情報だったので、これは本当に関門突破できるのかもしれないと思ったらわくわくとどきどきが止まらなかった。緊張と興奮、驚きと喜びで瞳孔が開く。全身がギラついて感覚が鋭くなる一方で、何かしようとすれば小刻みに指先が震えた。いける、これはいけるかもしれないのか!第一章ゴール(=76km関門突破)が次第に具体的にイメージできるようになってきて、到着するより先に1人で感動してうるうるし始めていたのだが、ラスト2kmちょっとの降りに差し掛かると状況は一変した。踏み跡は薄く藪がちでルートが不明瞭、マーキングは藪に覆われてよく見えずにロストを繰り返すようになった。進んでは戻り、ヘッドライトの照度を上げてマーキングを探しては進む。道が細かすぎて時計のコースアウトアラートも鳴ってくれない。気持ちだけが焦る。1分間に合わなくて関門アウトみたいな可能性が出てきた。

もう何日も食べていない野生動物が獲物を見つけてがむしゃらに追うかの如く、それはもう夢中でルートファインディングをした。進みづらい細い岩場をこなし、転ばないよう気をつけながら時間内になんとか関門を突破しなければならない。100マイルのレースの中盤にまったく相応しくない出力だが、ここでこの出力が無ければ先に進ませてもらえないのだ。

WP Jhule (76km) 21:21 (関門9分前)
格闘すること数十分程度だったのだろうと思う、どうにかこうにか舗装路に飛び出すといきなり足首を捻る。いやしかし痛いとか落ち着くまで歩くとかそんなことを言っている余裕もない!緩やかな坂道を必死に駆け上がるとエイドの明かりが見えた。関門のすぐ手前にY河内さんとM月さんの2人もいたので追いついて、3人で関門突破を称え合いながらしばらく休むことにした。21:21、関門9分前滑り込み。こんなに痺れる展開のレースは久しぶりだ。

休んでいると関門締切まであと2分になったが、あまりにもスタッフがまったりしているので「あと2分で関門ですね」と言ってみたところ「ここ、関門じゃなくなったよ☆」との返事。それ先に教えてくれ!脚の無駄遣いしたじゃんか・・・

CP Nagarkot (82km) 23:30頃 (30-40分程休憩) 
関門ではなくなった関門を越えて10kmほどでドロップバッグのあるCPに到着。かなり大きな施設を貸し切っており、仮眠部屋も複数用意されていたようだった。まだ仮眠をとるほどの眠気はなかったので着替えをして行動食の詰め替えをしたり、エイドのダルバートを食べたりなどして過ごしていたらあっという間に時間が経った。下着や靴下まで丸々着替えることにしたが、唯一迷ったのはCW-Xのバランスアップスパッツを引き続き履き続けるかどうかだった。前回チェンマイのレースで最初から最後まで履いていたら股が擦れて大変なことになったのだが、今回も既に擦れの気配があって股やお尻の溝にプロテクトJ1を塗りたくっていた。まだレースも中盤、このまま履き続けていると擦れが悪化しそうである。でも脱いだら脱いだで太腿の内側が擦れるかもしれない。悩んだ挙句に脱ぐことにしたが、これは結果的に良かったようでゴールまで擦れに悩まされることはなかった。

ここまで時間を気にして進んでいた分の反動でのんびりしすぎたかもしれない。ここでは再びY河内さんと一緒になったが、彼は胃腸がやられ気味だったようでくたくたになった麺の入ったスープもほとんど食べられないようだった。私が着替えを終えて戻ってくると彼の姿は無かった。少し仮眠すると言っていたから、どこかの部屋に入ったのかもしれなかった。
階段を上がったところに木製のきちんとした椅子が乱雑に置いてあり、適当に座って過ごす。着替えスペースは一応個室がいくつか用意されていたようだったが、私が着替えようとした時は個室で眠っている人がいて部屋を使えなかった。結局外の暗いところで全身着替えた(全裸w)。
綺麗に盛り付けられたものではなく、ライスにダルスープをばさっとかけただけの雑なダルバートが提供される。しかしスタートしてから始めてのまともな炭水化物!ご飯!ということで美味しくいただく

私の胃腸はまだ元気だった。ダルバートを貰うと物凄い量のご飯が盛られてきた。軽く1合はあっただろう。食べ進めていくと次第にダルが足りなくなってご飯とのバランスが崩れてきた。見かねたスタッフがダルを追加してくれたが、それでもまたご飯が残り、またダルをかけられそうになる。これでは量が増えるばかりなので途中でもう食べ切れないとお断りをした。最初からこの量を盛ってくるということは、割と皆その量を平らげるということなのだろうか・・・。
食後はお湯を貰い、ドロップバッグに入れておいたカフェオレを溶かして一杯啜る。

床に置かれた鍋はヌードルスープ。テーブルの上にはご飯とダルスープ、フルーツが置かれていた。座ってあれこれ準備していたらダルバートはスタッフの方が持ってきてくれた。ありがたい。

2026/04/16

20260417-19_Manjushree Trail Race 100mi(準備~前日迄)

関門に引っかかるかもしれない。
ネパールまで行って最初の40km関門でレースが終わるかもしれない。
絶対にそんなの嫌だ!でも引っかかる可能性の方が高い。累積標高3500mだか4000mだかの40kmを8時間だなんて、たとえ40kmで終わるレースだったとして力を振り絞っても自分には正直その出力は無い。他人に何と言われようと、そのことは自分が一番よくわかっていた。4月17日に始まるレースで、16日は私の誕生日だった。誕生日をネパールで過ごすとかちょっといいじゃんとか思ってエントリーしたのに、誕生日明けにいきなりDNFだなんて想像しただけですごい嫌だ。1年引きずりそう。

そもそも100マイルは体に悪い。人が160kmも走るなんて体に悪いに決まっている。大体丸2日ぶっ通しで動き続けてほとんど眠りもしないなんて無茶苦茶である。レース中の身体的ストレスはわかりきったことだったが、今回は事前の精神的ストレスが凄まじかった。何で趣味のためにこんなに心に負担をかけているんだろう。悪夢を何度も見たし、ゴールのイメージが全く出来なかった。イメージできることは実際にも出来ると思っているが、イメージすらできないことが実現するとはとても思えない。エントリーした頃は、制限時間が52時間もあるから楽しくマイペースになんて思っていたのだが、レース1ヶ月前くらいにようやく蓋を開けてみたら序盤の関門がやたらときついことが分かった(蓋開けるの遅すぎ説)。関門突破は大いに怪しい。

前半の関門がきつい理由はただひとつ、コースになっている国立公園のエリアを夜になる前に出ないといけないということらしく、それは国立公園の規則でもあり、そして「夜になるとヒョウが出る」ということだった。ヒョウはやばい。国立公園のホームページを見ると確かにヒョウやら熊やらが見られますよ☆という表記がある。いや全然見たくない。

今回はおそらくいつもにも増して話が長くなりそうなのだけれど、まずは一緒に日本からこの大会に出た5人のメンバーには本当に助けられたので改めてここで感謝を申し上げたい。情報交換や宿の調整、ビザの取り方、現金の使用頻度など、実際にネパールに行ったことのある人がいたことも心強かった。本当に有難うございました!

(何故か標高グラフがうまく表示されないのでマップだけ貼りました。ヤマレコに飛ぶと標高グラフも見られますのでご確認ください。)

2026/4/15 (Wed)
既に現地入りしているメンバーY川さん&N鳥さんの
様子をSNSで見つつ、自分も15日午後に現地へ。直行便だったにも関わらず飛行機の到着が遅れ、到着してからも荷受けに時間がかかり、間に合うはずだったタメルエリアでのレースブリーフィングには間に合わなかったが受付はできた。カトマンズのトリブバン空港からタメルまではタクシーで30分弱ほど、受付会場でお2人と合流してから近くのホテルにチェックイン、荷物を置いて早速飲み会(まだレース前々日だし飲んじゃうよね)。

怪しい小径をゆく
Y川さん(写真右)の友達でもあるChhapte(写真中)はこのお店のオーナーでもあり、私がレース後に世話になるトレッキングのガイド会社の運営者でもある。私が渡航する前からラインでやりとりしてくれて、日本語ぺらぺら!英語より通じるw
ちなみにここで飲んだビールがとても美味しかった。クラフトビールだそう。
旅の楽しみのうちの大きな部分を占める「食」!早速現地のモモを食す。複数あるタレがどれも日本にはない味でとっても美味しかった。写っている黒胡麻のようなタレはネパールの山椒ダレのようなもので痺れ系で刺激的。因みに日本で食べるモモは丸型が多いけれど、シェルパ系のお店だと餃子型が主流とのこと。
Y川さんおすすめのトゥンバというお酒。シコクビエ(キビ)を発酵させて作った酒。キビが目一杯詰まった木製の容器に熱湯を注いで数分待ち、ストローで飲む。薄い甘酒のような感じで飲みやすい。繰り返しお湯を注いで飲み続けられ、味がなくなるまで繰り返せるらしいが、味がなくなるより先に酔っぱらって飲めなくなるw
大分酒で仕上がってきた頃にY河内さんとM月さんのお2人が空港に到着したとのことで、彼等の泊まるホテルのテラスに集合して乾杯。私が予約した激安中華宿と違ってホテルがちゃんとしている。じわじわと集まる面々。
トモノウコーヒーさんかM月さん経由でドリップコーヒーの差し入れ。有難うございます!
解散してから自分の宿まで徒歩10分ほど。宿に戻るとシャッターが60cmくらいしか開いておらず、這いつくばってシャッターをくぐり部屋へ戻った。

2026/4/16 (Thu)
7時半から昼頃までY河内さん&M月さんと観光へ(ダルバール広場、スワヤンブ寺院あたりを散策)。今回私はレースとトレッキングのことで精一杯で他の観光について全然調べていなかったので、市内観光は完全におんぶにだっこ状態。自分で調べていないだけのことはあってろくに覚えていないw
観光の後は日本メンバー全員集合でランチ、お腹を壊したくないのでちゃんとした店で食べましょうってことで小洒落た店へ。
この辺をうろうろしていたら6人目の日本人メンバーY田さんとばったり。
チベット仏教の仏具「マニ車(摩尼車)」、回すことで経典を読むのと同じ意味合いがあるのだとか。色々なところに設置されている。お土産用のミニサイズもあった。
スワヤンブは猿がたくさん!
「誕生日ですし」といって、Y田さん(写真右奥)が全員分御馳走してくれた(驚)。
みんなびっくり。有難うございました!
初めての現地ダルバート!ダルも右側の野菜やら何やらも、カレーのルーもライスもお代わり自由。天国か!美味しくて早速食べ過ぎる。ライスには熱々のギーをおたま一杯分ほどかける。脂質過多w
ちゃんとした店で食べてもダルバートは500-600ルピーほど(600円くらい)。宿泊や観光地の拝観料などはそれほど安くもなかったが食費やタクシー等は全体的に安かった気がする。
皆で一緒に移動しようぜってことになり、バンを手配して全員でPataleban Vineyard Resortというレース会場へ。私はM月さんと一緒の部屋へ。

スタート/ゴール地点の宿に15時半頃到着。ここはちょっとお高め。Vineyardということだったのでワイン飲みたかったよ・・・。既に標高は1300mほど
会場準備中。次々とテントが建てられていく。当日来る人のための着替えとかのスペースだった模様。
ホテルの周りには一切レストランや売店などが無く、少し離れて民家があるくらいの立地だったので、ホテルのレストランで夕飯を取ることに。ネパールは、オーダーしてから食べ物が出てくるまでどこも物凄く時間がかかる気がする、ご飯が出てくるまでテラスで待っている内に日が沈んで寒くなってしまった。夜これくらいの気温になるってことですねー走れなくなったら結構冷えるかも知れないですねなんて話しながらの晩餐、流石にこの日はノンアルコールで過ごした。事前に見ていたMC担当のSophieという女性の写真が、昨年チェンマイのレースでお世話になったMCの人にあまりにも似ていたので、もしかして同じ人かなと思っていたら案の定同じ人だったのでご挨拶。向こうも覚えていてくれて嬉しかった。まさかタイで会った人にネパールでまた会うなんて思ってもみなかった。
レースは朝6:00スタートのため早目に朝食を用意してもらえるかフロントに確認したところ、サンドイッチ等を部屋にデリバリーしてくれるとのことだったので4:00にお願いしておいた(デリバリーされなかったけど)。
スパイシーな焼きそば「チャオミン」はネパールでもメジャーな食べ物とのこと。上に載っている油揚げのようなものは卵を焼いたもの。油多めで焼いているのである油揚げ卵といったかんじ
ゼッケンナンバーがラッキーセブン並び。それでも完走できない可能性が高いんだよなぁと直前までしんどい気持ちで過ごす。
尚、17日の宿は予約していない。無論、18日の宿もない。完走できる保証も見込みも一切無かったけれど、退路は作らない方がいいと思った。

<エネルギーと水分>
・エネルギー:レギュレーションは700kcal、エイド間の距離は10kmほど(一番長くて15kmが1ヶ所)、ドロップバッグ2ヶ所。スタート時800-900kcalほど持参。メダリストのグレープフルーツ味、セブンイレブンの桜わらび、アミノバイタル顆粒、無印バウムクーヘン等。エイドがほとんどフルーツのため持参の食べ物を多めに用意して正解だった。一部エイドにあったダルバート、ヌードルスープ(インスタント麺をスープでぐだぐだに煮込んだもの)はほぼ毎回食べた。早い選手はダルバートを食べていたのに自分が到着した時には既に残っていなかったエイドもあった模様。私がダルバートにありつけたのは2ヶ所、ダルスープが1-2ヶ所だったと思う。
・水分:インナーファクトのフラスク500ml×2を基本は満タンにして進んだ。間隔の広いエイドの箇所だけは、エイドにあった300mlくらいのペットボトルのファンタを持った。500mlのナルゲンボトルを空のまま持っていたが、結局一度も使わずに1ヶ所目のドロップバッグに入れ、その後は1000mlのみで進行。不具合なし。

 <服装、装備>
・ヘッドギア:Halo hat2(日差し対策で今回用に新規導入)
・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー+Run or Dieロゴ入りのPagagoniaのTシャツ(seven trarilsなんとかって製品名だったような)、ORのアームスリーブ
※前回チャリ用指切りグローブを紛失したため、Amazonで1000円くらいのものを購入して使用。
・下半身:友人がカモシカの顔の刺繍を入れたノーブランドのランパン(前半)+GUの1000円くらいのランパン(後半)、CW-Xのボディバランスアップスパッツ・ショート(BCY101)(前半のみ)、ドライマックスのトレイルランニング1/4Crewソックス
・ライト:レッドレンザーH8R(メイン、フォグフィルター持参したが使わず)、モンベルマルチパワーヘッドランプ(サブ)、ジェントス閃(霧対策フォグライト装備ハンドライト)
・ザック:The North FaceのTR10
・シューズ:HOKAのTorrent4(Drop Bagにもう1足入れておいたが結局履き替え無しでゴールまで)
・その他(必携装備等):100均のマミー型エマージェンシーシート、エマージェンシーキット(バンドエイド、テーピング、コンタクト、薬等)、レインジャケット(ORのヘリウム2ジャケット)、ヘッドライト予備電池(レッドレンザー用1本、エネループ単4×3本)、モバイルバッテリー(Ankerの5200mAh)+ケーブル、ヘリテイジのULトレイルポール、ティッシュ&ビニール袋、Fold-a-cup(マイカップ不要だったが念のため)、手拭い、サングラス、COROSのVertix2S、クレジットカード・パスポート・現金一式、目薬、Buff(土埃対策で持参したが一度も使わず)

 <その他>
現地でダイアモックス(高山病予防薬)とメトロニダゾール(細菌性の下痢の薬)を購入。ダイアモックスは主にレース後に行く予定だったトレッキング(最高地点4600m)のために購入したが、結構前から飲んで準備するものだということだったので16日から服用し始めて1日1錠飲んでいた。メトロニダゾールはレースにも持参したが途中で何度か服用。買っておいて良かった。

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