2024/05/31

20240524‐26_Tokyo Grand Trail (100 mile)後編

前編はこちら

■A4富士見茶屋~A5和田峠 118km
勝手知ったる城山を登って天狗様にご挨拶、ベンチで少しだけ脚をあげて休み、いつ来ても水浸しの日影沢林道を下る。転びたくないし、飛ばすと前腿が死ぬのでゆっくり進んでいたが、誰にも追い付かれないし当然誰にも追い付かない。途中鼻血が出たりなどしつつ、水場ではコップ1杯ほどの水を飲む。山の水は飲んでおいた方が元気になれると信じているのでね。それにしてもスタート時からずっと思っていたけれど、荷物が軽いんだよね。私は縦走の時はおろか走る時でさえも荷物が重いだけに、水とレインウェアと行動食とヘッドライト+α程度の荷物で走っていると実に軽くてそれはそれは本当に楽だなと感じていた。100マイルレース前の練習量としてはそんなに多くなかった筈なのにここまで走ってこられているのは普段の荷物が重いお陰かもしれない。

久々の城山山頂なので天狗様とツーショット。
撮った後、あまりにも顔が死んでいるのに気付いたけれど撮り直すほどの気力もなかった
日影沢林道を終えて道路を左へ進み線路をくぐると小下沢の脇を走る林道に入る。普段駅から日影沢林道に行くときは日影沢林道に入らず先へ進むことなんて無いから、ここから暫くは知らないエリアだ。ほほーこんなところに道があるんだね。ただの砂利道で特にアップダウンがある訳でもなく、このエリアで何故こんなルートを走らされているのだろうと疑問に思えるような単調な道に沢の音。暗闇の中、何の変わり映えもしない道を進んでいると、眠気も相まって自分がどんどん無になってゆくのがわかる。しかし少しの登りでも体はその傾斜を感じ取り、じわじわとライフは削られる。幸いにして足の裏や指、踵などのマメや、足底筋膜が痛いというようなトラブルはなかったのだが、小指球~踵にかけて骨の奥の方だけがジンジンと痛みだした。外くるぶしの下あたりの小さな膨らみが腫れて大きくなっているというか、ごろごろした石を踏んだ時の地面からの突き上げがたまらなく痛く、次第に着地の衝撃に耐えられなくなってきた。走れればどんどんタイムを縮められる区間な筈なのに、足の痛みのせいでタイムは逆にどんどん落ちてゆく。たまに人が後ろからやってきては走って抜いてゆき、何なら歩いている人にも抜かれてゆく。まずいな。暗い暗い平坦な林道をとぼとぼ歩いていると急に眠っている人が転がっていてびっくりしたりしつつ、それでも歩みを止めることはせずにとりあえず進む。この距離を行くにしては靴のソールがすこし薄すぎるのだろうか?十里木に着いたら、ドロップバッグに入れてあるもう1足の靴に履き替えた方が無難だろうか。っていうか履き替えておさまる痛みなら一刻も早く履き替えたいけれど十里木までまだまだある。足は持つのか。足はそもそもどうなっているのか・・・。外くるぶし下の膨らみで靴がきつくなっているような気もしたので少しだけ靴紐を緩めてみたりもするけれど大きく状況が良くなるわけでもない。経験したことのない痛みだったので正しい対処の仕方がわからないのがもどかしい。兎に角進むしかないのでロキソニンを飲んでやり過ごす。
これ合ってるのかと疑いそうになる藪の中の徒渉ポイントを越えてしばらくするとようやく林道が終わって山セクションに入った。石の突き上げから解放されて土の上に放たれるとようやく足の痛みが落ち着いてきた。助かった。全ルートを走らず歩き通しているというロングパンツの男性と、スタート時に徳本選手と一緒にいた綺麗な女性が近くにいて抜きつ抜かれつしていたが、女性は私を追い抜いた後少し横になっていたようで、その間に私が追い付いてその後しばらく一緒に歩いた。彼女は胃腸の調子が良くなくあまり食べられていないとのこと。彼女も私と同じく初めての100マイルレースらしく、北海道からの参戦だった。堂所山、明王峠とアップダウンを繰り返しているこの辺り、ちょっと記憶は定かでないが23時前くらいに私は眠気を感じ始めてカフェインの錠剤(エスタロンモカ)を200mg摂取したのだったと思う。1ヶ月のカフェイン抜きを経て、カフェイン摂取による覚醒効果は如何に。

まもなくA5和田峠だ。初めて奥久慈トレイル50Kを走った時、高尾エリアの友人らと一緒に和田峠で練習をしていた時期があったのだが、まさかそれから9年後にこんな形で再びここに来ることになるとは思ってもみなかった。というか和田峠ってこんなところだったっけ。A5に到着すると蛍光灯が眩しく、そして笑い上戸なボランティアの女性の止まらない笑い声になごむ。何にツボって笑い続けていたのかはわからないけれど滅茶苦茶癒された。そしてみんなが優しい。激しいスポーツの最中なのに、穏やかな時間が流れる。
鶏粥エイド到着!
エイドのご飯がどんどん胃に優しいメニューに変わっていくw
鶏粥だって書いてあるのに「なんかアサリみたいなの入ってて美味しいな」なんて思いながら3杯くらいお代わり。途中で、ああ鶏粥だからこの具は鶏肉か、と思った(寝ぼけていたのか?w)。脇に添えられたしば漬けの塩気が染みる。エイドにはお味噌汁もあったのだがその場では飲まず、350mlのサーモスに半分くらい入れて貰って持っていくことにした。ここから先次のエイドまでの区間が長めで水分1000mlでは足りなさそうな気がしていたので、味噌汁は水分の足しでもあり、胃腸が弱ってきた時のためのお守り代わりでもあった。胃腸の調子のよくなかった彼女もお粥なら食べられたようで一安心。ここから先、お互いのペースが合わなくなるまでしばらく一緒に進もう、ということで一緒にエイドを出発することにした。

■A5和田峠~予備関門・今熊山登山口~A6十里木 134km
さあ南側のループも残り僅か、和田峠を出発し再び醍醐丸へ戻ってきた。この時の醍醐丸の道標を私は一生忘れない。やっとここまできたんだ!「これでまた南ループに入ったら無限ループ過ぎて死んじゃうよね」とか言って笑っていたのに、この時彼女と私は二人して南ループの生藤山方面に向かってしまったのはここだけの話。無限ループしたいんでしょうかね・・・ある意味眠気によって引き起こされたリングワンダリングとでも言うべきか(すぐ気付いて引き返したけど)。
このレースを走っていない人から見たらなんの意味もなさない普通の道標、
しかしこのレースを走った人ならわかる、大きな意味のある道標。
市道山までは往路を逆走するような形で進み、そこから入山峠方面へハセツネ逆走コースで今熊神社まで。市道山の後のアップダウンが繰り返している辺りだったと思うが、カフェインをもってしても消えない眠気に抗えず、少し座って目を閉じてみることにした。彼女も一緒に、時間にしてほんの1‐2分足らず。彼女はここまでしばらく調子が悪そうだったので、佐野川エイドで私がサーモスに入れてきた味噌汁を少し飲ませたりして一緒に進んでいたが、この僅かな休息で目が覚め調子も戻ったらしかった。大きな集団と合流して暫くすると「眠気が消えてるうちにちょっと進みます!」といってあっという間に先に行ってしまった。集団は20人近くて、彼女はその先頭の方へ、私は後方へと離れた。私が眠気を封じ込めるのに使っていたエスタロンモカ200mgは、以前分水嶺トレイル120kmを歩いた時にも服用し、効果が切れるまで6時間なのでそのつもりでいたけれど、今回は服用して3時間ほどで切れてしまった。仕方なく午前2時頃に再度200mg摂取することにした。このペースで飲んでいて大丈夫なのか(きっと大丈夫ではない)。周りの人に「前は6時間もったのに3時間しかもたない」とボヤいたら、それだけ疲れてるってことなんですよ、と言われた。そういうものなのか。明るい光を見ると目が覚めるという話も聞いていたので、どうしても目が閉じそうな時はライトを最大の600ルーメンまで明るくしてじっとそのライトの照らす白い地面を見たりしていた。

今熊神社へ降りる下りはこれまでに散々通った道とはいえ下りで使うのは初めてだ。いつもハセツネでは登っているルートだが、走ったことがある人ならわかると思うのだけれど兎に角あの石の階段は段差が大きい。ダメージの酷い前腿は登りよりも下りがしんどくなって久しく、この段差をこなすのは至難の業だった。後で聞いた話だと、トップ選手達もここの下りは結構時間がかかっていたらしい。
それでも下り切るまで私は周りの人より多少速いペースをキープできていたのだが、下りきってからは違った。皆歩くのが速く、何なら走り出す人までいた。いやいや、発電所脇のこの林道、登りだよ!?皆全然脚が残っている。闘い方が判っている人達はきちんとここまで脚を温存しているから所謂「脚の売り切れ」を起こしていないのだろう。流石すぎる。私はといえば、坂を走って登るような気力や体力は既に無く、走れないこともない平地や下りをきっちり走ることもなく怠けながら進んだ。発電所の後再び山に入り、武蔵五日市方面に行かずに分岐を左へ進むと十里木方面に抜けるのだが、ここも過去散々歩いてきていたのにこんな風に道が繋がっているとは知らなかった。この区間も地味に長く、私は下半身をショッキングピンクで統一した男性と2人で歩みを進めていたが、彼は途中で眠くなって眠ってしまったので私は一人で山を抜けて十里木に向かった。私は十里木のすぐ手前のコンビニはスルーしたが、発電所あたりで私を引き離していった人の集団は丁度そこで買い物をしているところだった。何時間か前に離れ離れになった彼女もまだいたので追い付いたけれど、その後一緒にA6を出発することはできなかった。私の調子がおかしくなってきたからだった。

十里木に着いたのは朝5:30過ぎ。大幅にペースダウンしているとはいえ、まだ45時間ゴール想定の時刻だった。小指球~かかとの間の痛みは土の上を歩いているうちに完全に消えたので、靴を交換するのは止めてこれまで履いていた靴のままゴールを目指すことに決めた。疲れているし眠いのだけれど相変わらずお腹はすいていたのでエイド食の出汁茶漬けを頂く。サポートのM氏がカップヌードル(普通サイズ)のカレー味があるけど食べる?というので作ってもらい、ゆで卵も入れてもらった。美味しい!気持ち悪くなるようなこともなく食べ進めて、ゴールまでのエネルギーをチャージしていたはずだったのだが、7-8割まで食べ進めたあたりでお腹がいっぱいになってきてしまった。エイドのそうめんやラーメンなんかは小分けのものを4杯も5杯も食べてきたけれど、矢張りカレー味となるとスープのカロリーが高いからすぐにお腹にたまるのかな?などと思いつつ、とりあえずもう十分という感じになったので少し残して食事を終えた。しばらくするとお腹が痛くなってきたのでお手洗いに向かうことにする。ここまで走ってきて初めて催したのだけれど、沢山食べてきたのだからそりゃ排泄もするよねという感じだった。エイドステーションから道路を挟んで向かい側にあるお手洗いへ行って再びエイドに戻ると、また数分でお腹が痛くなりお手洗いに入る。そんなことを5回6回と繰り返しているうちに周りの人達は皆出発してしまい、時間もどんどん過ぎてしまった。制限時間までのバッファをどんどん食い潰している。トラブルひとつ、睡眠ひとつでどんどん余裕はなくなっていく、とえまちゃんが言っていたのはこれだったのか。気持ちが焦る。ここまでにロキソニンやらカフェインやら放り込んでいたのに加えて、更にここで下痢止めのストッパと追加のカフェインを入れて出発することにした。時間は6時半頃だったか、M氏に「ゴールしろよ」と檄を飛ばされて最後の旅に出る。こんなところで1時間も使ってしまったのは想定外過ぎる。スタート前にコース分析をしていた時には「二度目の十里木にさえ着ければもうあとはゴールするだけだし気持ちも大分楽になるはず」と思っていたのに、寧ろ一番しんどい区間はここからだった。

■A6十里木~A7都民の森(トチノキ広場)152km
A6十里木をでるとすぐ高明山の激登りが始まり、腹痛は収まったがそれと引き換えに吐き気が酷くなってきて嘔吐(えず)くようになってきた(えずく、って嘔吐くって書くの今初めて知ったw)。登っていると胃が押されるような体勢になるからか非常につらい。いっそ吐いて楽になりたい。というか吐かせて欲しい。どうやったら吐けるのか教えて欲しい。しかし全く吐けない。下痢止めに続いて今度は胃薬系を漢方と西洋医学と両方放り込み
最早薬漬け状態。カフェインで麻痺していただけなのか日が昇って明るくなったからなのかわからないが眠気はあまりなく、しかし気持ち悪い時は横になると治ったりするという話を聞きかじったことがあったのでベンチを見つけては横になったりしてみた。全然良くならなくてやりきれない。気持ち悪いなと少しでも思ったらすぐに薬を!と言われていたけれど、予兆なく吐き気がやってきたのでもうどうにもならなかったし手遅れだったのだろう。しんどい。しんどい。どんどん後ろから人がやってきては抜いていく。男性も女性もいる。順位はどんどん下がっていくけれどもうそれどころではない、自分との闘いだ。しかし気持ち悪いからと言って何も食べずに進める距離でもないので、残してあったTop Speedとアミノバイタルのジェルを1本くらい飲んだのだったと思う。Top Speedは600円以上したし、これ飲んでから吐きたくないなぁとかしょうもないことを考えていた。

そうこうしているうちにどこかのセクションで一緒に進んでいたと思われるおじさん達が追い付いてきて、座り込んでいる私を見て「あ!久しぶりに見た!だいじょうぶ?」と声を掛けてくる。事情を話すと、メロン味のラムネをくれた。最近よくある固めのラムネではなくて、昔からあるようなクッピーラムネっぽいラムネだった。何か食べないと進めないからといって渡してくれたそのラムネは舌の上でしゅわっと溶けて、爽やかな酸味が広がった。気持ちがいい。体調が悪くなった時何が食べたくなるのか準備の段階では全く想像できなかったけれど、ラムネはひとつの正解だったと思う。ひとつぶ、ふたつぶ食べていくとなんとなく一縷の望みが見えてきたような気がした。少しずつ進んでみるけれどGPSを見るとろくに進めていなくて、まだまだ大岳山も御前山も遠い。道標には無慈悲な距離が書かれていて、それを見るたびに私は意気消沈していた。大きな段差でストックを突こうとするともう肩が痛くて腕も上がらなくなってきた。

つづら岩の手前あたりだったか、蛍光色のビブを着た男女が後ろからやってきた。ええええ!?まさかのスイーパー現る!?私最後尾なの?と焦ったが、セカンドスイーパーだったようで制限時間の40分前に十里木を出発したというスタッフさんだった。この後にはもっとギリギリのスイーパーがもう一組居るという。とはいえもう私はそこまで順位を落としているということだ。結局私はTrippersのH氏と2人、A7までずっとスイーパーに付き添われてなんやかんやお喋りしながら進むことになった。ぺースは更にのんびりになったが、もうここまできて順位がどうとかタイムがどうとか言っている場合でもなかったし、ペースをあげて頑張ればまた気持ち悪くなりそうだったし、身の程わきまえたテールエンダーとして兎に角ゴールを目指した。H氏は登りがしんどそうだったが下りは元気で、私はその逆だった。しっかり進めているから大丈夫、まだ30分くらい余裕があるしいいペース、とスイーパーから繰り返し励まされ、更に今度はイチゴ味のラムネまでお守りに持たされてどうにかこうにか大岳山、そしてとうとう御前山から都民の森に下る分岐に辿り着いた。ゴールの制限時間は16:00だが、その手前のA7で14:30の関門がある。ここさえ突破すればあとはきっと大丈夫だという。

あれこれ喋りながらスイーパーとH氏と4人で降りてくると13:30過ぎにA7に着いた。結構余裕があるじゃないか!とホッと胸をなでおろす。和菓子エイドとのことでここではわらび餅とだんご汁(あんこの入ったお餅が麺つゆみたいな汁の中に入ったもの)、コーラなどを頂いた。吐き気が完全におさまった訳ではなかったが食べることはできるようになっていたので元気も出てきた。残りもあと少しなので休憩は手短かにし、46時間台でのゴールを目指して出発した。それにしてもA6十里木に45時間想定のタイムで到着していたのに、A7都民の森に着いた頃には47時間想定のタイムまで落ち込んでいた。仕方がないとはいえ再び大失速。

■A7都民の森(トチノキ広場)~FIN奥多摩運動公園 159km(171km)
H氏より先にA7を出発したものの、下りの脚が残っているH氏にはすぐ追い付かれて追い抜かれ、そしてまた私が追い付いたりなどを繰り返していた。舗装から砂利の林道に入る手前の立哨で友人のO氏がいたので暫し談笑。
眠くて日の光が眩しく、写真を撮っても全然目が開いてないw
もうラストだというのに林道は緩やかな登りでしかも日影がほとんどなくて滅茶苦茶暑いしし長い。ここまできて峠走みたいなことさせられるのかよ!しねぇよ!とかなんとか思いながらぼちぼち歩く。立ち止まったまま宙を見て意識を飛ばしているH氏を拾って更にゴールを目指しつつ、もう一歩も走ることもなく進んでいると、本当の最後尾にいたスイーパー集団が走ってきて追い抜いていった。いやはやこれで本当にほぼビリだなw 頑張れば走れたけれど、もうゴールは見えているし走らなくてもいいかな~という感じでのんびり歩いてゴールに向かう。まさにとことこExplorer!w
スタート/ゴールがこの急坂の上なので、最後までまだ登らされてうんざり。
もう走らんw
制限時間が残り30分と迫っているのになかなか私が到着しないので、間に合わないのではないかとハラハラしていたというサポーターM氏は、ようやくやってきた我々を出迎えて写真をバシバシ撮るw こんな最後の最後で制限時間に間に合わずにゲームオーバーなんてそんなナンセンスなことになるつもりはないのだ、きっちり時間内にゴールするのだ!
終わったーーー!
よく皆、レース終わってゴールゲートをくぐってからお辞儀をしているけれど、私はこれまであまりそれをやったことがなかった。しかし何故か今回は自然とお辞儀していた。トレイルにありがとうというか、関わってくれた全ての事象と人々にありがとうという気持ちだろうか。別に大きな感動という感じはなく、100kmくらいまではゴールしたら泣くだろうなーと思って想像だけでうるうるしたりしていたけれど、実際ゴールしてみたら別に泣かなかった。嬉しかったし達成感もあったけれど、どこか不甲斐無さもあったし、そもそも完「走」できていないとかなんとか・・・。贅沢言っちゃいけないんだけど。まぁ単に眠くて疲れていて感動する余裕がなかっただけかもしれない。
ありがとうございました!
初100マイルの私と初サポートのM氏。長丁場お付き合いいただきありがとう!
相変わらず私の目はあまり開かないw(眠い)
ゴールしたら冷えた缶ビールが貰えたけれど、まったく飲む気は起きなかった。完走賞も酒で、澤乃井の四合瓶だった。ゴールして身支度を整えて椅子に座っていると、久々に再会したI氏が隣りにやってきて、自分はお酒を飲まないからといって私に1本くれたからお土産は四合瓶2本になった。椅子に座った途端に私はまったく動けなくなり、立ち上がるのも腕を上げるのも歩くのもままならなくなった。よくそれで降りてきたね体どうなってんのよとI氏。実力以上に出し過ぎてもう体中バキバキだった。ずっと指切りグローブをしていたので気付かなかったが、ゴールしてグローブを外してみると血の気が完全に引いた真っ白な手の平に、無数の紫色の痣が浮かんでいた。小指の付け根の辺りは腫れていてうまく動かせないし手をついて立ち上がろうとしても手の平が痛いので、肘をつかないと立ち上がれない状態だった。満身創痍で私の初100マイルは幕を閉じた。
参加賞は350mlくらいのスープジャー。持っていなかったのでちょっと嬉しい♪
体の前側につけていたゼッケンはA1御岳の時点ですでに汗でボロボロだった

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3月、レースにエントリーした直後、右の内くるぶしが腫れてきて、足首を動かすにも何か詰まっているような違和感を覚えた。丁度山に行った後だったので、「あれ?私捻挫したっけ??」と思ったのだが捻挫をした記憶もなかった。しかし足首を内側に捻るとくるぶしの上にある筋のようなものがゴリっと動いて、目で見ていてもわかるほどで、不安に思った私は外科でレントゲンを撮って貰った。骨の異常がないことがわかって今度は整骨院へ行くと、後脛骨筋腱炎的な症状だったようで、10日ほど休んだあとあれこれメンテナンスをしながらならトレーニングを積んで良いとの許可を貰って慎重にトレーニングをした。目に見えて改善はしなかったけれど悪化もせず、160kmも走るっていうのにこんな不具合抱えたまま出走して大丈夫なんだろうかと不安な日々が続いた。結局本番でその右足の内くるぶしが痛むことはなく、そんなことはどうでもよくなるくらい他があちこち痛かった(特に小指球~かかとの痛みは本当にしんどかった)。走り終わった今は再び内くるぶしがゴリゴリ言い出しているけれど、痛いということもない。とりあえずちょっとした故障アリの状態でよく本番迎えてゴールまで辿り着いたなと思う。

私はレースの時のメンタルが強く、多分自覚している以上に人からそう言われる。今回も、吐き気がある中でよくここまで耐えたね、というようなことを人から言われたけれど、自分としてはリタイヤするほどの吐き気ではないと思ったし、ラスト30kmでリタイヤするほどの吐き気ってどんな吐き気だよと思う。吐けなかったからこそカップヌードルのカロリーが体内にとどまってゴールまで進むためのエネルギーが足りたのだろうし、なかなか効かなかったとはいえ胃薬とかが効いてくれたのかもしれないし、はたまたちゃんとどこかで眠っていればこんなに気持ち悪くならなかったのかもという気もするけれど、眠っていたら関門に引っかかってゴールできていなかったかもしれない。たらればを言い出してもどうしようもないのだけれど、私の周りにいる一部の100マイルレースジャンキーな人達は、こういうPDCAをまわすことに快感を覚えたりしているのかもしれないなと思った。こりゃ頭脳戦だわ、事前の準備も緻密にやらないとすぐ破綻するし、レース中も今回のようにマーキング無しだと終始頭使いっぱなしだもの。因みに、ルートファインディングに頭を使うから眠くなりづらいんじゃないかなとか思ったりもしたけれど結局普通に全然眠かった。

次にまた100マイルを走る時には、最後の舗装路を軽々と走りきってゴールしたいなぁと思う。しかし準備を始めてから本当にいろんなことを考えたり、買ったり、コース分析したり、カフェイン抜きをしたり、お酒を抜いたり、ローカーボにしたりカーボローディングしたり。長いようで短い2ヶ月だったなぁ。ずっとずっとレースのことを考えて過ごしていたような気がする。ゴール直後の強烈な感動ではなく、長く尾を引く多幸感が今もまだ続いていて、きっとこれは準備期間と本番を含めた時間が長かったからこその長い幸福感なのだろうなという気がしている。木が大きく育ったのは、深く深く根を張っていたからだ。

CT0.57で進み続けるだなんて、完走可能性は3割くらいか、多く見積もっても5割くらいかもしれないと思っていたけれど、私はもっと強かった。自分を低く見積もりすぎていたのか自分に少し申し訳ない気持ち。本当に完走したんだろうかと今でもちょっと信じられなかったりもするけれど、本当に完走したんだよな。私は今じわじわと幸せだ。
結局行動食はジェルとアミノバイタルの顆粒、グミ中心でした。
あと、低GIアップルハニーをスポドリで溶いたものが滅茶苦茶美味しかった!
尚、走ってるとやっぱり柿ピーは欲さない。

2024/05/29

20240524‐26_Tokyo Grand Trail (100 mile)前編

私が思っていたよりもずっと、私は強かった。もっと弱いと思っていた。
休憩も含めてCTの0.57で進まないといけないと分かった時点で、完走とかちょっと無理なんじゃないのかと思っていたのだが、完走できてしまって、本人もびっくりしている。覚えている範囲で記録に残しておきたいと思う。
このレースはまだ2度目の開催だ。コースマーキングもなければ、累積標高も凄まじい。制限時間は48時間あり、他の100マイルレースに比べて長いかも知れないが、難易度を考えたら別にそこまで制限時間に余裕はない。それでもこのレースにエントリーしたのは、決して私がドMだからとかそういうことではなくて、単に「エントリーの条件が緩かった(ポイントなどが不要)」「制限時間長いし大丈夫だという人の言葉を信じてしまった」この2点が理由だった。それから、元々エントリーしようと思っていた同時期の奥久慈トレイル50Kのコースに個人的には今年あまり魅力を感じられずエントリーを見送ったため、なにか別の目標を作る必要があったことも理由のひとつだ。とはいえ奥多摩や高尾などの近場をわざわざ35000円も払って走る必要なんてあるんだろうか?とか考えてしまって、レースを知ってからエントリーするまでにも大分迷ったのだが、結果的には走ってみて良かったし、前泊後泊がないからレース以外のことを考えずに済んだことでレースだけに集中できたし、初の100マイルレースがこのレースで良かったなと思っている。初めてハセツネを走った時、それまで歩いてきたばらばらのルートが本番で一気に繋がる感覚があって、今回もそれに近いものがあったのも感慨深かった。

レースはエントリーした瞬間から始まっていると言っても過言ではないし、なんならそのレースを意識した瞬間から始まっているかも知れない。エントリーフィーは高くとも、エントリーした日からの日割り計算をすれば安いんじゃないのかなと思うと高くないなと思えたりするから不思議でもある。私はエントリーしてから80日くらいで本番だったけれど、日割りにしたら437.5円だ。この値段で毎日がこれだけ充実したのだ。ものは考えようである・・・

私がエントリーをしたのは3月上旬、しかし具体的にどこから手を付けて良いのかぼんやりしすぎていたため4月に入っても普段のランニング以上のことは殆どできていなかった。練習や準備が一気に加速したのは春の青春18きっぷ最終日の4月10日、残っていた18きっぷの1回分を使って松本に住むえまちゃんに日帰りで会いに行った後からだ。レース経験豊富な彼女からたくさんのアドバイスを貰い、質問をし、答えを貰ってメモを取り、これは練習も大事だけれどそれと同じかそれ以上に準備が大事だぞ、時間がないぞと気を引き締めたのだった。もう次の日ぐらいから足りないものの買い足しが始まり、持っている筈だけれどどこに仕舞ってあるか記憶がないものを探す作業が始まり、持ち物の修繕や選定、とにかく毎日手帳にToDoを書き連ねては潰していった。新しく買ったヘッドライトは点灯テストの途中で不具合が見つかって返品交換になったから最終的に手元に交換品が届いたのは割と直前だった。こんなに早い段階から準備を始めたことなど過去に一度もなかったけれど、まったく準備開始時期がはやすぎるなどということはなかった。
時間が全く読めなかったので43~48時間の5パターンを想定。
実際のタイムはピンクの列。終盤の極端な失速については後述。

<服装、装備>

・ヘッドギア:HerenessのFOCUS CAP(チームのロゴ入りオリジナルデザイン)

・サングラス:Don’t Panicの調光偏光レンズのもの(天気は曇りであまり出番なし)

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー(ベーシック)+Patagnia半袖T(製品名忘れたけど何かのレース会場で安かったから買ったやつ)を前半に。後半は同じくPatagonia半袖Tでチームのロゴ入りオリジナルデザインのもの)、CW-Xブラ(HTY168)、ORのアームカバー、チャリ用の指切りグローブ(トレッキングポールのストラップから手の甲を守る意味合いが強い)

・下半身:Patagoniaのメンズのランパン(インナーは切った)、モンベルのパンツ

・ソックス:ドライマックスの厚手のやつを前半に。後半はGoldwinのなんか最近買ったやつで土踏まずのアーチにフォーカスしたっぽいもの。いずれも5本指とか足袋型ではない普通のタイプ。

・ヘッドライト:レッドレンザーH8R(メイン)、モンベルパワーヘッドランプ(予備)

・ハンドライト:霧対策で持ったジェントス閃ハンドライト(325時代のもの、150ルーメン)+黄色フィルター(霧はなく出番はなし)

・ザック:The North FaceのTR10(容量足りるか直前まで迷ってたけど全然足りた)

・シューズ:Salomon Sense ride 4、SCOTT Supertrac Iltra RC(ドロップバッグ予備)
・ログ計測ギア:COROS pace2(ドロップバッグポイントで2度充電→ラストまで充電切れ無し)

・ウォーターストレージ系:Inner‐factソフトフラスコストロータイプ500ml×2(メイン)、Sawyerの浄水器に付属していたプラティパスみたいな容器(1L弱くらい。500×2のボトルで足りない時のための予備としてスタートから最後まで携行→出番はなし)
)、Thermos350ml真空断熱ケータイマグ(ドロップバッグに入れておいて後半戦から投入→途中味噌汁を注いで貰って200mlほど携行)

・その他:エマージェンシーキット(エマージェンシーシート、鎮痛剤、下痢止め、テーピング、コンタクトレンズ予備、手鏡等)、雨具(Outdoor Researchヘリウム2、モンベルバーサライトパンツ)、補給食、赤のテールライト(ダイソー)、バッテリー(Ankerの10000mAh、COROS用充電ケーブル、ライトニングケーブル等)、アクシーズクインの腹巻、ONのゼロジャケット(ウィンドシェル)、ヘリテイジのULトレイルポール

■ST奥多摩運動公園~
CP1大根山の神~A1御岳 27km地点
電車の到着時間だけ一時的に混雑する受付。ヘッドライト2つとその予備電池、ならびに地形図アプリにコースデータがDLされているかどうかのチェック
トークショーとブリーフィング
昼前に家を出て14時過ぎ会場入り。受付、IBUKI端末受取、ドロップバッグ用の袋受取などで30分ほどかかった。15時頃からゲストランナーのトークショーなどが始まり、それらを聞きながら自分の用意を整えると16時出走。ゼッケン番号の順番になんとなく並ぶ感じで整列ルールは緩い。お手洗いの混雑はほぼ無し。ひとりで長期縦走しても心細くなんてないのに、レース前にひとりで居るのは言いようのない心細さがあった。知り合いのS氏がスタッフでカメラマンをしていたので話し相手になってもらい少し気を紛らわせる。
いよいよスタート。怖くて泣きそう
ゼッケン番号はITRAのパフォーマンス・インデックスを元に決められている。ここ2年ほど、ITRAに記録が残るのはハセツネくらいしかなかった私はかなり後ろの番号だった。遅い人達のところに居るのだから序盤から飛ばすなんてこともないだろうと思っていたのだが、皆序盤から淡々と走って止まることを知らない。確かに早すぎるペースではなくジョグペースではあるものの、これを40時間以上続けられるとは思えないし大丈夫かなと不安がよぎる。途中川井の林道の水場で水500を補給しながらあっという間に御岳まで。矢張り100マイルレースに出る人は皆強い。それにしても、早くて深夜0時過ぎに御岳着と思っていたのに22時過ぎに着いてしまった。青梅線の北側エリアは二度ほど試走していたし前から勝手知ったるエリアだったけれど、暗闇であることとレースの興奮とが相まってここまでの間に既に数回ロストをしていた。時計がコース離脱アラートを鳴らしてくれるので割とすぐにロストに気付けるのだが、それでもこの先まだまだ長いというのにこの頻度でロストするとなると先が思いやられる。道中、ゲストランナー等を抜いたりしていたので、これは絶対に自分のペースが早すぎるんだろうなぁという気はしていたが、そこまで無理をしている訳でもなかった。このままいったら脚が売り切れるんだろうか。
A1御岳ではInner-factの中の人の手作りバターチキンカレーが食べられるので楽しみにしていたが、ここは岩茸石山から御岳まで、カレーのためだけに下って登り返すピストン区間なのがえぐい。しかもカレー食べた後の急登とか、具合が悪かったらもう一気にリバースしそうである。試走の時もこの意味のないピストン本嫌だなぁと思っていたのだけれど、ぶっちゃけ本番ではこんなの朝飯前ぐらいのライト感しかなかった。その後のアップダウンがえぐすぎて、この程度のピストンは記憶から消えてしまいそうなほどである。

カレー2杯と福神漬け、フルーツ缶詰をコップ1杯、ポテチ、コーラなどを食べて30分くらいのんびり。スタートからここに至るまでにもジェルなどを割と補給した。カレーを食べながらスマホを見ていると、チームRun or Dieの偉大なる先輩であるR氏から「突っ込みすぎ注意、〇〇〇番の選手(女性)より早いのは明らかにオーバーペース」との指導が入っていた。とりあえずその人を見つけたらそこに着いていこうと思い、ナンバーを覚える。
赤じゃなくて茶色系の福神漬けが美味しかった。塩分補給!
階段あがって上がエイド。1階はお手洗い。
靴を脱がずにお手洗いに行けるよう養生してあるのがありがたい。
お手洗いに立ち寄っていざ出発。酷い汗でウェアはまったく乾かず、特に上半身からの汗を集めたショートパンツが完全に飽和状態になっていたため、一旦パンツもろとも脱いで便器の上で絞った(いやどんな汗の量だよ・・・)。しかしこのお陰もあって、このあと暫くは結構ドライな状態が保てたのは良かったと思う。ここまでショートパンツが濡れると股擦れ待った無しなので警戒が必要なのだ。

■A1御岳~CP2梅郷駐車場~
A2十里木 70km地点
御岳を出て岩茸石山へ登り返していると、R氏から教えてもらったナンバーのゼッケンをつけた女性選手が御岳エイドに向かって降りてくるのとすれ違った。うわ、この人ここにいるのか。私は早すぎるんだな?かといって私はもう大分御岳エイドで休んでいるし、この選手が休憩を終えるまでここで待っているというのもなんだか違う気がする。とりあえずペースを抑えて、人にどんどん抜かれていいから脚を温存していこうと気持ちを新たにした。
御岳から梅郷まで17km、そのあと十里木まで26kmだが、途中コンビニもあるし区切って考えるとそれほどしんどくもない。CP2ではGUのROCTANE ENERGY DRINK MIX粉末をフラスクに入れてカロリーを摂取しようとしたが粉が水にうまく溶けず、しかもフラスクのストローに詰まりまくってしまい逆から吸い出す始末。。。(疲れてもいないのにここで無駄にタイムロスw)粉の250kcalも勿体無いのでとりあえず全部飲み干し、粉もジャリジャリ喰んで体内に流し込む。お腹が水分でたぷたぷ。
ストローに詰まった粉を逆側から吸い出すw なんかもう色々酷い。
再び山に入る。たしかこのあたりでご一緒していた女性ランナーが海外レースにたくさん出ている方で、いろんな話を聞けて良かったし夜中だったので気が紛れて助かったし楽しかった。しかも彼女はこのレースのフル試走を複数回しているとのことだったのでロードのルートファインディングはほぼお任せしてしまってこちらが楽できたのも有難かった。青梅線の南側は全然試走していなかったので不安だったのだ。
1晩目なので眠気はほぼなかった。4時半頃、林道で見た朝焼け
手持ちの行動食はあれこれ食べていたし、十里木手前のセブンイレブンに着いた時もまだ食糧がたくさん残っていたのだけれど、コンビニに吸い込まれてゆく人達を見てつい自分もお赤飯のおにぎりを買って食べる。米が食べたかったのだよ、そして夜が明けたので朝ご飯だねーという気分だったのだよ。カップ麺を食べる人、すでに気持ち悪くて胃が食べ物を受け付けなくなってきている人、眠気がでてきてカフェオレを飲む人など皆さまざま。私はおにぎりの他にルイボスティーを1本買った。
勝峰山6時半頃。この山は綺麗だったな、整備が行き届いていて走りやすかった。
とりあえず鐘は突くよね(ゴーン)
ハセツネコースでもある金毘羅尾根を降りているとうっかり間違えて武蔵五日市に向かってしまって登り返したりなどしつつようやくA2十里木へ。ここでは預けておいたドロップバッグが受け取れる。今回ペーサーもサポートも付けないつもりで準備をしていたが、「IBUKIで私のログがゴール出来そうだったらゴール見に来てよ~」と軽い気持ちで数日前に山仲間のM氏に言ったら十里木でのサポートを申し出てくれたので遠慮なく頼むことにした。ドロップバッグに入れてある物のリストや写真を簡単にパワポにまとめて送り、あとはタイム表を共有してあったが、予想タイムから大きく逸脱して走っていたので表の意味はほとんどなかった。また別の友人Aちゃんも複数名のサポートとして現地に居てくれたので、エイド滞在中は2人に色々と世話を焼いてもらえて気持ちは楽だった。

まだここは70km地点。ハセツネと同じ距離だしまだまだ元気な状態で到着するだろうと思っていた十里木エイドだったが、この時既に累積標高はハセツネをゆうに越えていて時間も16時間半経過していた。普段のハセツネよりだいぶゆっくり進んでいたけれど、43時間想定の予想タイムより更に2時間半ほど早く着いていて、そんなペースにも関わらずハセツネの70kmよりも体感としてきつかった。いや待て、まだ元気ではあるけれど、現時点でゴールの半分もいっていないのにハセツネよりきついってどういうことだ。あと90kmも持つのか?

エイドの食べ物はミネストローネとパン、それ以外にもきゅうりの浅漬けやフルーツなども潤沢だったので一通り食べ、それ以外にM氏が持ってきてくれた抹茶のクリームドーナッツや自分で用意しておいたプロテインに青汁も摂取した。あとはエイドのインスタントコーヒーが無茶苦茶美味しかった。カフェイン中毒の私が9年ぶりくらいにカフェイン抜きをしていたので、1か月ぶりに飲む珈琲はそりゃあもう心と体に染み渡った。ちょっとびっくりした。
ここでとりあえずTシャツや靴下を新しいものに交換し、擦れ防止のProtect J1を塗り直し、あとは時計などの充電系をこなし、次の夜に備えてサーモスを空のまま持参し後半戦に突入。ここも結構長く滞在したと思う。30‐60分程だったかな。まだカフェインらしいカフェインはコーラくらいしか摂取していなかったけれど眠気もまだそんなにない。

■A2十里木~予備関門・醍醐丸~A3佐野川 87km地点
スタート前のブリーフィングで「コース研究をした方なら分かった方もいると思いますが佐野川の関門が厳しめになっています、ここを突破できなかったらゴールは難しいだろうという時間になっているのでまずは佐野川を目指してください」みたいなことを言われていたので、仮に眠くなったとしても眠らずに佐野川まで行ってから眠ろうと思っていた。十里木までの行程を突っ込み気味に進んでいたので時間的余裕はあったし、大きなトラブルがなければきっと佐野川の関門は間に合うだろうという感じだったが油断はできない。いつどこでなにが起きるか分からないので慎重に淡々と駒を進める。市道山分岐から醍醐丸を越え、生藤山を終えると佐野川だ。十里木で補充した水はこれまでと同様に1リットルだけだったが、この17km区間は山が続いて水場もなくかなりギリギリだった。途中にあるとすれば去年は醍醐丸に私設エイドの人がいたはず・・・と周りの人に教えられ、それを期待して進んでいたが、今年は残念ながら私設エイドはなかった。また醍醐丸は予備関門なのでスタッフがいるのかと思っていたのだが、関門時刻が近付いたらスタンバイするスタイルだったのか誰もおらず拍子抜けしてしまった。佐野川のラーメン&おにぎりを目標に進む。何度も試走をしているというよく喋るお兄さんが暫く一緒だったので、彼のコース解説みたいなものをなんとなく聞いていた。
プリン美味しかった!(幸せそうw)
ペーサーはA3佐野川からなので、ここのエイドには待機中のペーサーも何人かいた。ラーメンは紙コップに麺が入れてあり、そこにスープと具材を加えるスタイル。具材は多分業務スーパーで売っている肉そぼろの瓶詰みたいなものだったけれど、生姜が効いていてすごく美味しく、4杯か5杯くらいお代わりしてしまった。手作りプリンも出てきてお弁当用のアルミカップみたいなものに入れて提供され、これも4回くらい頂いた。佐野川ではまだ100km地点に満たないのでまだまだ私も内臓含め元気いっぱい。脚もまだまだ問題ない。IBUKIはここで端末を交換してもらえたので、自分で充電する必要はない。
出発!

■A3佐野川~A4富士見茶屋 102km地点
鷹取山登山口。ここかよ・・・
鷹取山山頂、また鐘。突くよね(ゴーン)
鷹取山を登って、下って川沿いの林道、あれこれ登って最後は孫山の激下りをこなして富士見茶屋まで。歩いたことのないエリアも含んでいたけれど、富士見茶屋についたら知っている場所だった(名前を忘れていたけれど)。ほほーここに着くんだね?とか思いながら、エイド初登場のブラックサンダーを頬張る。素麺があって、最初は普通に食べたけれど、2杯目から「豆乳入れる?美味しいよ!」と言われるがままに豆乳&麵つゆの素麺にしていただいた。これがまた絶品、蛋白質も摂れて一石二鳥!エイドの女性陣がエイドご飯をアレンジして美味しく工夫して出してくれるのがこれまた物凄く嬉しい。ここでも4杯くらい食べた気がする。やっと100kmを超えて、しかしまだ60kmもあるので気持ちが焦ることはなく、エイドで女性選手に抜かされても気にしない。ハセツネだと常に抜かれないように気が張っている感じなのだけれど、100マイルはマイペースで進んでマイペースで休んだ方が良さそうだなと思ってエイドでも楽しく過ごしてたくさん補給することを心掛けていた。事前に読んだえまちゃんのNoteでは、エイド滞在時間は短くした方がいいと書いてあったので前半は割と休まず進んでいたのだけれど、ぼちぼち空腹が激しくなってきたり体が疲れてきたりしてきたので体の声に正直になることにした。富士見茶屋エイドはこぢんまりしていたけれどアットホームで過ごし易く、椅子も折り畳み椅子ではなくコットのようなものが置いてあったのでお尻に優しかった。のんびり。

後編の方がドラマ激しいのに前編でこんなにだらだら書いてしまった・・・
後編へつづく

2024/02/12

20240210-11_厳冬期越百山

結構前から行きたいなと思ってはいたものの、アクセスの悪さから中々実行に移せなかった厳冬期の越百山。人と行こうとしても中々誘える相手もおらず、行くことになったところで大雪に見舞われて見送りになったりしていたが、三連休使えばソロでも行けるんじゃないかと計画してこの度ようやく辿り着くことができた。正直トレースさえあれば別に難易度がそこまで高い訳でもないだろうし、連休だから絶対に誰か入っているだろうと思っていたのだが、蓋を開けてみたら全然人がいなくて結局山頂に到達したのは私だけだった。

Day0
20:00 池袋から高速バス
24:40 松本着→ステビ

バスであれこれ食べてきたけど24時過ぎになんかサラダ的なやつとウィスキー飲んで就寝
昨年10月、転職したわけではないけれど仕事の内容が少し変わり、それに伴って外出が増えた。月曜にPCを持っていかなくてはならなかったり、はたまた金曜にPCを持ち帰らなくてはならなかったりといったことが多くて最近は少し山に行くのに身動きが取りづらい。この週末は連休だというのに金曜に客先でミーティングがありPC持参だったので荷物持って出社からの山直行というムーブができず、一旦帰宅して30分程で出発するというタイトスケジュールをこなし高速バスで松本入り。そこから夜のうちに少し駒を進めたところで土曜始発で動いても目的地である須原駅の到着時刻は同じなので、お馴染み松本駅でステビを決め込む。久々の松本駅だったがローソンとセブンイレブンが潰れていてファミリーマート1強になっていたのには驚いた(しかもファミマは駅前に2店舗もあってどちらも健在)。松本の人はファミマが好きなんだろうか。

Day1
6:32 松本から篠ノ井線
8:05 須原駅下車
↓ - 2:45
10:50 伊那川ダム
↓ - 2:55
13:45 上のコル
↓ - 0:20
14:05 おこじょ平
↓ - 2:10
16:15 幕営地(小屋より手前)

松本駅の朝は朝食が選べて良い。マックにしようか松屋にしようか迷ったけれど、お米食べたいなと思って松屋へ。朝定の特盛(米430g)を食べて移動中のデザートにシュークリームとコーヒーを買って電車へ。そして何故か一口だけ飲んだコーヒーをどこかへ置き忘れる・・・
これで380円はありがたすぎる(肉少ないけど)
倉本、上松は利用したことがあるけれど、須原は初めての駅。
一応徒歩8分くらいのところにコンビニはあるみたいなので、ステビはできそうw
いやぁわかっちゃいたけど10キロの歩きは長い。しかも登山口からも更に林道歩きだ。冬季公共交通機関利用の定めか・・・。途中何台か車に抜かれたけれど、すべて工事車両だったので拾われることもなくひたすら歩く。
駐車場に登山客のものと思われる車は3台あったけれど、空木方面の人のものもあるから、結局車を見ただけでは越百方面に何人入ったかは分からない。
結局ダム付近に着いたのが11時頃(想定内)。1300mアップなので1時間300m登れる計算で雪に余程苦戦しなければ16時過ぎには小屋に着くだろうと予想していた。登山口に着くと踏み跡が1人か2人くらい、しかし積雪はそれほどでもなかったのでまぁなんとかなるだろうという感じでスタートした。最初の水場の少し上のあたりで神戸から来たという老夫婦に追いついたが、とてもじゃないけれど小屋に着かないしコルより上にいくと幕営地もなさそうだから下山しようかなと思っている、とのお話しだった。先行者は一人いるとのこと。
下のコルのあたり
絵がかわいい
次第に雪が深くなってきた
予報では雪が降るなんて書いていなかったのに、14時くらいから雲行きが怪しくなってきて結局シェルを着た方がいいなと思う程度に降ってきた。それにしても老夫婦の言っていた先行者に全然追いつかない。1人居ると言っていたからきっと一緒に出発したのだろうが、そんなに差がつくものなのか?
悪天で展望なくなる
ほぼ予定通りのペースで進んで直線距離で300mを切ったくらいのところ、地形図で黄色くしたあたりだったと思うが、青いテントが建っているのが見えた。えー、もうちょっとで小屋なのに何故ここでテント!?尋ねてみると、この先のルートが分からなくなって、しかも雪が深くて1人では無理そうだからここでテントを張ったとのこと。因みに私が追い抜いてきた老夫婦とおじさんは会っていなかったらしく、老夫婦が「前に1人いる」と言っていたのはただの予想でしかなかったw

おじさんが右往左往した踏み跡がその先にすこしだけ続いていたので少し自分もその先を探ってはみたものの、もう時刻は16時半近いし雪が降って寒い。整地の時間を考えたら自分ももうここで一緒に張った方が無難だろう。まさか小屋のこんなすぐ手前で幕を張ることになろうとは想定していなかったなぁ。ノートレースならもっと標高の低いところで幕営になるはずだったし、トレースがあれば冬季小屋に着くだろうと思っていたので、今回は内張をつけた吹き流しのエスパースではなく、より軽量なクロスオーバードームにしてきたというのに、まさかの展開・・・。結局この夜はマイナス20度を下回った。。。寒かった。
ここにてタイムアップ
朝食べたの松屋の朝定のお陰もあって午前中はほとんど行動食なしで行動できたが、中盤以降は夢中で登っていたのであまり食べている余裕がなく、着いて整地して一気にお腹がすいてきた。水を作るのもさて置いてとりあえずのマイクポップコーンを1袋かっ喰らう。寒いのでとにかくあれこれ口に放り込みつつ(ビール飲みつつ)、水を作ってようやく鍋にありつく。最近山での鍋は鶏ガラスープの素とゴマ油みたいな味に落ち着きつつあってすこしマンネリ化してきたので今回はうどんスープの素で和風にしてみたが、期限の切れた高野豆腐が春菊の灰汁のようなものを吸い取って結構不味かった。蛋白源ブーストで入れたジョンソンヴィルも、まぁ合わないとは分かっていたけど想像以上に酷かった。整地がうまくいっていない歪んだテントの中、贅沢言っていられないのでとりあえずお腹を満たせれば良しとする。それにしても美味くない。
金曜は午後に客先訪問の予定だったけど昼休みを利用してパワーガス買っておいて良かった
ノーマルだったらこの気温ではどうにもならなかっただろうな・・・w

Day2
7:45 出発
↓ - 0:35
8:20 越百小屋
↓ - 1:35
9:55 越百山山頂
↓ - 1:30
11:25 テント戻り
↓ - 0:50(腹ごしらえと撤収)
12:15 テント出発
↓ - 2:15
14:30 登山口到着
↓ - 2:45(残り4‐5kmのところで軽トラに拾われてワープ)
17:15 須原駅到着

雪が降り続けて
不安な夜だった。3時くらいからトイレを我慢し続け6時過ぎ起床。今日どんな予定ですかとおじさんに尋ねると、今日早目に帰らないといけないのでもう降りますとのこと。兵庫からきているというその方はそのままテントを畳んで下山とのことだった。明日未明に降雪の予報が出ているしそれがどれ程の降雪量かもわからない。彼のトレースが残っている内に自分も少しでも標高を下げておきたいけれど当然山頂も気になる。葛藤の末、とりあえずアタックしてみることにした。足元はアイゼンとスノーシューで迷ったが、雪が割と締まっている気がしたのでアイゼン一択にした。山頂近くではアイゼンに履き替えたという記録を読んでいたのでアイゼンを持たないという選択肢はないし、両方持つのも重い。敢えてスノーシューは持たずに出発した(持てば良かった)。
さらさら雪でいくら掘っても固い雪が出てこず、過去最低の整地・・・
夜、かろうじて繋がった電波で調べたところ、ここから先冬季はトラバースの夏道ではなく尾根を登るらしかった。まぁそりゃそうだよな。岩場のマークもあるけれどなんとかなるのだろうか?とりあえず見る限りはそれほど急勾配でもないので地形図を見ながらゴリゴリ上がってゆくと近くのピーク付近に出てきた。緩やかだ。
美しい朝の景色と青空
ようやく小屋に到着
トラバースしないで登って下らされたので思ったよりは時間がかかって小屋に到着。これ、夜のうちに行こうとしていたら荷物も重かっただろうし時間帯的にもしんどかっただろうなと振り返る。小屋も滅茶苦茶埋もれているし、正直どこが冬季小屋の入口なのか探すのも一苦労だろう。ましてや1人で出入口を掘り出すのも大変だ。矢張り小屋より手前で幕営して正解だった気がする。

ここまでくれば越百の頂は射程圏内だ。とはいえ、なんせスノーシューがないのでここまでくる間にも既にちょっと雪で苦戦している。標高差や距離では計算しきれないブラックホールに吸われるかもしれないし、山頂まで行けたとしても日が高くなれば雪が緩んで復路で踏み抜きに泣くかもしれない。どこで線を引くか?ひとまず「テントに戻ってテントを畳んで標高を下げて一日を終えるためにはテントに戻るリミットが12時」と決めてビクビクしながら再スタートを切ることにした。結果的にはちょっとビビりすぎたw

樹林帯を抜けた白い尾根に辿り着くまで、暫く樹林帯を進む。この区間がかなり深かった。地形的にはまぁ所謂「顕著な尾根」だし視界も良好だったので、ルートファインディングには然程苦労しなかったけれど、どこを踏んだら踏み抜くか踏み抜かないかの見極めには慎重になった。何せピッケルだけしか持たずにストックを置いてきていたので、万が一激しく踏み抜くと脱出に何十分もかかるだろうと思ったからだ。兎に角ツリーホールに入らないよう、そして人か獣が通っているであろう木の隙間を狙って進んでいく。
さぁ、どこを歩くかは自分次第
木が疎らになって、遠くに見えていた頂がまた一歩近付いてきた。山頂直下が結構急で岩っぽいように見えるけれどそんなにゴツゴツした山という印象もないよな、大丈夫かな?雪庇も少ないしここから先は風で雪も飛んでサクサク進めるかな?と思ったらとんでもなかった。まだまだ続く深雪、しかし風もないし天気は良い、自分で決めた12時というタイムリミットだって結構余裕を持ったリミットだし、最悪今日中にテントに戻れればいい(←こうやって都合良くリミットを緩めていくのは本当は良くないんだけれども、とりあえず自分で都合よくリミット緩めてるなという自覚があるだけマシか)。今日行かなかったらいつ行くのか?でも雪のコンディションと「スノーシューがない」というコンディションに関して言えば「良い」「完璧」と言えないのは確かだ。今日山頂を目指すことのアドバンテージとディスアドバンテージを頭の中で思い巡らしながら、それでも歩みを止めない。止めよう、というメンタルが、進もうというメンタルを凌駕しないでくれたことにもしも理由があるとすれば、ここ最近結構体を鍛えていて、体重も体脂肪もそこまで悪くないコンディションで、よく走れているということだったと思う。特にレースが何もないのになんでこんなに走ってんだろうな馬鹿馬鹿しいなと思ったりもする日々だったけれど、多分こういう不意に訪れるタイミングで躊躇せずに踏み込むための準備だったのかなという気がする。体調にせよ体力にせよ、体を整えておくということの如何に大事なことか。
やったねコスモ!
来し方を眺むれば、そこには紛れもなく自分が一人で描いた美しいラインが浮かび上がっている。これが最適解かどうかなんて解らない、美しいかどうかさえも判らない。紆余曲折もあった、しかしこうして目指したところに辿り着いたのなら自分にとっての解なのだろう。こうとしかここに辿り着くことはできなかったのだろう。昨日のうちに小屋に着かなかったのだって、きっとなるべくしてなったことなのだ。昨日頑張って進んでいたら迷っていたかも知れないし、小屋に辿り着いていたとしてもきっと疲れて今朝寝坊していたかもしれない。人生にしろ登山にしろ同じことだ。そして雪山登山の良いところは、こうして歩いたルートがその場で目視できるところでもある。俺はこうやって歩いてきたんだぜ!ってダイレクトに感じると最高に興奮する。

今回、南駒ケ岳まで行ってラウンドするのはどうかな?と検討してみたものの、南駒からの下りがきつそうだったので、行くとして仙涯嶺までのピストンだろうなと思っていた。そこまでならば地形図で見る限り緩やかだ(夏場歩いたことはあるけれどルートがどんな感じだったか記憶はなかった)。でも実際は越百の山頂に着けただけで結構満足してしまって、それ以上を求めたらなんだか罰が当たるような気がしたのですんなりと引き返した。あとで考えると、それこそ「この状況で行かずして何時行くの?」という気がしないでもないが、その時そう感じてそう判断したのだからきっとこれで良かったのだと思う。
仙涯嶺方面、ここもノートレースを歩けるコンディションがワンシーズンに何度あるのかと考えたらすごく貴重なタイミングだったのかもしれないけれど
ちょっとした植生を避けたり沈みそうなポイントを外したりしたのを、踏み跡を眺めながら思い出す瞬間は泣きそうになる。
前情報通り、山頂直下の標高差100m弱はアイゼンが欲しいなという感じの斜度と硬さになってきたのでとりあえずアイゼンがあって良かったけれど、7割以上はスノーシューで良かったなと思った・・・(後の祭)。そしてこの時期のこの辺にしては雪が安定していないように感じた。とはいえ今年これ以上冷え込むことがあるのかは謎なので、さらに安定するのを待つよりは残雪期を待った方がいいのかなという気もする。
復路、やはり往路よりも沈む。とはいえ心配していたほどではなく一安心
たまに踏み抜いて腿まで
テントに戻って撤収して降り始めたら、普通に2時間ちょっとで下山してしまい拍子抜けした。しかも舗装路を歩いていたらあと5kmくらいのところで地元の軽トラに拾っていただき荷台に揺られて須原駅まで幸せなワープ。早目に下山しても終電は間に合わないし、またステビして下諏訪で温泉巡りでもして帰ろうかなと思っていたけれど、ワープのお陰でぴったり終電に間に合ってしまったのでそのまま温泉にも入らずご飯も食べず日曜のうちに自宅まで帰宅してしまった。3連休で1日残すのは悔しい気もしたが、これも何か意味のある事だろう。予備日という気持ちの余裕があったからこそ山頂を目指せたのだろうと思うし、もし予備日がなかったらおじさんと一緒に下山してしまっていたかもしれない。

なんかとりあえずブログ残しておこうって思う程度には印象に残る山行だった。行けて良かった。

2023/10/09

20231008-09_第31回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

月夜見には21時すこし前に到着、雨は幸いにしてほぼ止んでいた。月夜見まで結構良いペースでずっと走れていた気がしたが、13時間半以上かかってゴールした昨年より遅い到着だった。歩行区間が設けられたせいかという気もしないでもないが、そもそも歩行区間のうち何割が走れる区間だったかといえばたぶん3割くらい、走れなくて遅くなった時間がどれくらいかといえばおそらく10分にも満たないはずなので、月夜見に着くのが遅くなったのは歩行区間があったのが理由ではない。失速してあっという間に14時間台に乗ってしまうのかなぁと不安に思いながら後半戦の用意をする。まずは水分、水500mlを2本とポカリ500mlを1本貰ってポカリはすべてその場で一気飲みした。ハイドレーションにはまだ少し麦茶が残っていたが、そこに水を追加した。これでおそらく綾広の滝での追加は必要ないだろう。続いて行動食類のゴミと後半の行動食の入れ替え作業をしながら羊羹やグミを放り込む。金比羅尾根に光量を温存しておきたかったので、ここでのヘッドライトの電池交換はやめておいた。フォグフィルターをつけたハンドライトはたしかここで出したのだったと思う。かなり雨も降って三頭山からの下りもガスが出るのでは?と予想していたのだけれど案外ガスらなかったので、月夜見まではヘッドライトだけで済んだ。

昨年ほどの寒さはない、とはいえ徐々に冷えてきたので最後にお手洗いだけ済ませて先を急ぐ。ここでも休憩はかなり短く、ストレッチもまったくしなかった。走るペースが遅い分、とにかくずっと休まず進む必要があった。月夜見からの下り、去年は雨が今年よりずっと酷くてずるずる滑りまくっていたけれど今年はそうでもない。そんなにスピードを出して走れるものではないけれど、そんなに滑りもしないので、転ばないように気を付けながら歩みを進めた。

御前山の登りは体感として結構あっという間に終わったのだが、山頂手前の尾根は左側から風が吹きつけて相当寒く、ロンTを着ようかと少し考えたくらいだった。あっさり山頂に着いて、その後もちょっとしたパックが作られたり解消したりを繰り返しながら大ダワへ。地面がドライな訳ではないのでコンディションは良くなかったけれど、それなりに走って元気に大ダワまで辿り着いた。前半に引き続き、謎の暗さがあって色々とよく見えていなかった(物理的に本当に暗かったのか、謎のメンタル的な暗さだったのかは不明w)。というかこのうすぼんやりとした記憶を綴ることに意味はあるのだろうかと今更ながら考えつつブログを書いているwトレイルの記憶がなさすぎる。

大ダワではスポーツようかん(ココア)かみたらし団子味のジェルのどちらかとTop Speedを摂ったのだったと思う。ここからは「走れる」セクションなのでギアを上げていく。別にハイスピードで走るわけではないけれど、それでも周りの人が走っているところではできるだけ食らいつき、追い抜き、人が走っていないところでも自分がいけるなら兎に角脚を止めず回し続けた。そして今年も案外よく脚が回った。そんなに練習していない割によく動くなぁ、と俯瞰しながら淡々と進み、タイム表も全然見なかった。タイム表を見たところで、あと数分でサブ〇〇だから追い込もう、みたいなことが今回はできる気がしなかったし、その時その瞬間に一番効率の良いペースで力を出し続けていくという作業に集中するのが良さそうだなと思ったのだった。レース中の俯瞰感覚は割とよくあるのだけれど、今回は大分上の方から俯瞰している感覚があって、冷静でいられたような気がしている。Top Speedは相変わらず自分にはとても合っていて、特にハセツネとの相性がいい。いつも大ダワで投入するけれど、そのあとゴールまでの20kmをしっかり粘れるようになる。(因みにVespa Hyperだと一気にピークがきてしまう感じがする)

月夜見から金比羅尾根に入るまでの間あたりでまた転んで左太腿を岩に強打し大痣を作ったが、これも捻挫とかにはならなかったので特に走りに影響はなかった。大岳山の山頂でようやくヘッドライトの電池を交換し、最後に日の出山を登ってあとは下り、そんなに走れなかったけれど極端なのろのろにもならずに黙々とこなしてゴールまで。天気がこんなに悪かったのに、日の出山から夜景が見えたのは嬉しかった。最初にハセツネを走った時にも見たこの夜景、本当に感動したんだよなぁ。って、夜景が見えるたびに毎回思い出しては感傷に浸るのでもういい加減しつこいのだけれどもw

結局チームメンバーには道中一度も会わずにゴールw
真夜中、しかも女子ひとりでゴールで待っていてくれたのには本当に感謝!

記録は13時間26分。例年は体育館のところに順位表が貼り出されるのだが、今年はそれがなかった。代わりに、ランナーズアップデートでの速報が出るようになっており、私は年代別6位に入ったようだというのはゴールを出迎えてくれた仲間が教えてくれた。タイムはPBから1時間以上遅かったけれど、それでも2度目の年代別入賞ということでテンションもブチ上がった。そして、PBを出した年の女子総合順位が21位だったので、今年の総合順位も気になるところ。しばらく総合順位の見方がわからずやきもきしていたのだが、夜が明けてから予想外にも自分の母親からのLINEメッセージで自分が20位以内に入っていたことを知った。年代別入賞よりずっと嬉しい20位以内という知らせに、思わず泣き笑い。PB更新して、20位以内、ついでに年代別入賞というのが理想的な形だと思っていたけれど、まぁすべてがそこまで完璧にいくものでもないからね、これはこれとして良しとしよう。ようやく、目下の目標であった翌年の招待枠に入ることができたのは本当に嬉しかった。そんなに追い込んだつもりもなかったし無理に走っていた訳ではなかったけれど、アドレナリンが出ていたのか完全に力を出し切っていて全身が痛く、仲間のゴールも見届けられない程疲弊していたくせに、かといってその間眠れもせず、寝返りもあまり打てぬまま横になって朝まで過ごした。

いつもは年代別入賞も表彰式があって表彰台に乗れるので、わざわざ朝10時の表彰式に仲間もほぼ勢揃いで参加してソワソワしていたのだけれど、表彰式は総合6位までの表彰しかされずに肩透かしを食らった(今年からそうなったとかいう噂)。しかも後日聞いた話によると、20位以内の招待枠ももう無くなってしまったたらしい(号泣)。親にその話をしたら、最近は物価が上がるだけじゃなくてそういうご褒美みたいなものも削られていって悲しいわねというようなことを言われた。親のその冷静な分析を聞いて、まぁ確かにそうよな・・・なんか切ないな・・としみじみしてしまった。なんだか夢や希望までも削り取られていっているような気がしてしまうな。

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私はつい女子が前にいるか、後ろに迫ってきているか、そういうのを考えながら走ってしまうし、自分で作ったタイム表に縛られて逆に無理をしてしまって後半失速したりすることもあった。今回に関して言えば、広島からはるばる参戦しに来ていたまだ20代の友人としばらく競り合っていて、負けられない!いや絶対私より強い筈だし早く抜き去って見えなくなって欲しい!いや彼女が近くにいるからと言って無理して突っ込み過ぎたり心を乱されたりしてはいけない!とかそんなことを考えながら進んでいた。中盤を過ぎてから抜かれてそれきり心は落ち着いた。
私が順位を気にしたり、女子との競り合いについて人に話す度に「人と比べるんじゃなくて自分との闘いだ」なんて言葉を聞き飽きるくらい聞かされてきた。言ってる人達は私に敵意が有るのでもなく、勿論悪意も無い。しかし私は、そうは言ってもそうなれないんだから仕方ないじゃんよ、と思うこともあった。それに、君はそれができないよね、と少し馬鹿にされているように感じて不貞腐れた気分になることもあったし、そもそも自分との闘いができる方が偉いのかよ?という反発心が生まれることもあった。今だって別にそういう気持ちがゼロな訳ではない。しかし今回ちょびっとだけ自分との闘いってのがわかったような気もした。表彰台に乗っていたとある選手が「道中つらい時に『自分との闘いだ』という言葉を思い出して頑張れた」というようなことを発言していて、それがたまたま今回自分の心にとても響いたのだった。何十年も何百年も前から繰り返され、使い古されたような言葉かも知れないけれど、それが自分の腑に落ちる(言葉通り、内臓の「腑」に落ちて腹落ちする)と、ああこういうことか、と感じるものなんだな。闘ったという感じのハセツネではなかったけれど、今回は途中でそういうしがらみみたいなものから一気に解き放たれた感じがして楽になれた。かといって別に頑張らなかった訳ではなく、自分にとっての最前は尽くせたのかなという気はしていて、それが順位という結果に繋がったのだから、こういう走り方もありなんだなという理解になった。苦しくても、順位が悪くても、タイムが悪くても、そういうことは抜きにして自分に負けずに頑張るということが自分と闘うということだというような浅い理解しかしていなかったけれど、多分そういうことじゃないんだろうな。もう今となってはどこが一番腑に落ちていたのかという記憶も怪しくなってきたけれど、とりあえず一回腑に落ちた訳だから、また次は更に理解が深まると良いなと思う。ごちゃごちゃ書いているけれど、シンプルな言葉ほど腑に落ちるまでに時間がかかるのかも知れないし、意味も深いのかもしれない。それに、人が考えている「自分との闘い」が、自分の考える「自分との闘い」と完全一致する訳でもない。うーん、うまく言い表せずもどかしいけれども。

ま、今回もこのラーメンのお陰で無事完走です。ありがとうございました。
チャーシューメン普通盛(麺かため)+小ライス@神田わいず(金曜夜)

ハセツネ記録まとめ、今年新たに一行追加となります。

Year
CP1
CP2
CP3
Goal
20133:52:404:15:358:08:154:11:5012:20:052:11:4314:31:48
20153:30:403:40:487:11:283:22:3210:34:001:48:0212:22:02
20163:49:314:15:048:04:353:14:3311:19:081:37:0612:56:14
20174:08:474:09:498:18:363:29:1611:47:521:36:3513:24:27
20223:43:564:01:167:45:123:35:5711:21:092:13:3013:34:39
20233:53:594:04:557:58:543:30:3911:29:331:56:4313:26:16

2013:初ツネ。最後に前腿死ぬ。ゴール後何も食えず。

2015:レースのたびに入賞続きでバリバリ仕上がった年、チームの皆もPB出した人多め
2016:蒸し暑かったムシツネ、序盤で水切れを起こし脱水、からの月夜見で復活
2017:頑張らずにのんびり進んでレース感がなかった
2022:復帰戦、ずっと雨のアメツネ。過去2番目に遅かったけれど泥濘地獄の割に頑張った

2023:アメツネ&寒ツネ。初めて歩行区間が導入された年、個人的トラブルは無く、しかしのんびり進んだと書いている2017年とほぼタイム同じ(切ない)◀NEW!

入山峠まで1時間ではなく1時間10分かけた分がそのままCP1浅間峠到着時刻に影響して昨年より10分遅れ、うまく登りがこなせずに月夜見まで。そこから割と走れた印象でCP3までのタイムも上々、ラストの下りは飛ばしていない割には遅くもなかった感じでフィニッシュ。自分にとって無理なく安全にいけるタイムがきっとこれくらいなんだろうなという感じ。年齢を重ね体力は下降線をたどっている筈なのにどうにか加齢に抗って2017年から似たようなタイムで維持できているところは我ながら評価しても良いのかもしれないけれど、とはいえ最近ずっと横這いなのでそろそろまた12時間台できっちり走り切るハセツネもやってみたいものだな。でも趣味だし気楽にやりたい。頑張りたい時がまたやってきたらその時は頑張ろうと思う。

相変わらずハセツネは面白いし、走り出してしまうと本当にあっという間に終わってしまうんだよなぁ。今回もあっという間に半分まできて、気付いたらもうゴールまであと7kmみたいな感じだった。本当に70km以上あるんだろうかといまだに不思議なくらいだ。

次回2024年10月!7度目のハセツネ!

2023/10/08

20231008-09_第31回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

今年の頭、物凄く久々にフルマラソンを2本走った。自分なりに頑張ってトラック練をやってみたりしたけれど、その割には7年くらい前のPBを8分くらいしか更新できず3時間45分という凡庸なタイムで私のマラソンシーズンは終わった。マラソンが速ければトレランも速いとは言い切れないと思うけれど、例えば女子で3時間15分とかを切っているランナーがトレイルを走ればそりゃ速い。私がもっと山で強くなるためには一度ロードの走力の底上げをして、それから改めてトレランをやるのが良いだろうと思ったのがマラソンを走った大きな理由の1つだった。しかし息の切れる練習を日常的に行うのは私にとっては結構辛くて、そもそも家から出発する気さえ起きず、嫌々重い腰をあげて出掛けるといった始末。ロング走は割と好きなのだけれど、スピード練が兎に角苦手で全然練習ができなかった。スピード練をしなくても速い人というのも居ることは居るのだろうけれど、というかそもそも、速くなるノウハウを調べたところで複雑すぎて全然私の頭には入らず(きっと興味がないんだと思う)、全方位的に無理だった。私はロードはそんなに速く走れないんだなと思った。

しかも悲しいことに、行きたい山を我慢してマラソンの練習に時間を割いていたつもりになっていた割に走っていなかったためか、マラソン時期が終わって山に戻ったら登りが無茶苦茶弱くなってしまっていた。本末転倒すぎる。というわけで春過ぎから夏にかけてはせっせと山に通って体力を戻し、6月に戸隠マウンテントレイル(20kmの部)、9月には昨年同様西駒んボッカ(薪15kgの部)に出場し、ハセツネに挑んだ。とはいえ今年は6月の戸隠以降、一度もトレランをしていない。捻挫などがなければ歩いてでも完走する気ではあったが、そもそも走れるイメージがつかず不安しかない。天気予報はどんどん悪くなり、ほぼ全行程で雨が確定。しかも明け方の雨量予想が酷い。雨が酷くなる前にゴールしたい。

今年の行動食ラインナップ!

<エネルギーと水分>

・エネルギー:持参-2530kcal→ゴール時残500kcalほど 矢張り毎年2000kcalほどで足りるので次回減らしても良いかも(とはいえ何かあった時のことを思うと怖くて削れないのだけれども)

・水分:麦茶1500mlを水250mlで薄めたもの、合計1750ml→月夜見ちょい残し(水分追加するときに残っている量をよく見なかったので詳細は不明)/綾広の滝での追加なし(素通り)、ゴール時残200mlほど。月夜見では水500×2とポカリ×1を貰ってポカリはその場で一気飲み

※水分はほぼジャスト。最低気温6度くらいでこの減り方、今後の参考としたい。会場入り~スタートまでに500mlの水1本消費。

※VESPA HYPERよりTOP SPEEDが良かったという昨年の自分のブログに従い、今年はTOP SPEEDに。やはり正解だった、メンタル・フィジカル共にねばれる強さが出てくると思う

※ジェルのメインにアミノバイタルのパーフェクトエネルギーを初採用。価格的にも安く、しかもアミノ酸2500mgとのことで顆粒のアミノ酸を摂取するよりコスパが良い気がする。若干の酸味がいい。

※レース前は月曜夜から金曜昼まで糖質制限、その後カーボローディング気味としたが土曜昼間から日本酒を飲んでしまった(リラックス効果ということで良しとするw)。美味しそうな牡蠣が売られており食べるか迷ったが、リスクヘッジとしてやめておいた・・・

※レース当日の朝は卵かけご飯(350)、会場ではパン2個(300+400)とウィダーインゼリー(180)
)などで昼1000kcalほど投入。

新規投入のTR10(Sサイズ)。ハイドレーション満タンで背負うとかなりショルダーハーネスがパツパツw
Mサイズにしても良かったかなと思うけれど、水が減ってくるとSでいいなと思う。
すごく悩ましいサイズ感・・・

<服装、装備>

・ヘッドギア:HerenessのFOCUS CAP(チームのロゴ入りオリジナルデザイン)

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー+Patagnia半袖T(製品名忘れたけどチームのロゴ入りオリジナルデザイン)、ORのアームカバー、チャリ用グローブ

・下半身:Patagoniaのメンズのランパン(インナーは切った)、モンベルのパンツ、ドライマックスのソックス、cepのカーフサポーターみたいなやつ(厚手の方、ハセツネ会場で昨年買ったもの)

・ライト:ヘッドライトはBlack Diamondの超古いSPOT 200ルーメン(昨年買ったモンベルのライトは細かく調光できないため、調光可能なBDに戻してみた)、ジェントス閃ハンドライト(325時代のもの、150ルーメン)+黄色フィルター
・ザック:The North FaceのTR10(前ポケットが深くて浅間峠でのジェル入れ替えが発生しなかったのが最大の評価ポイント→後述。但しポケットにベルクロなどがないので落とさないかが心配だった)

・シューズ:Salomon Sense ride 4

・その他:ハイドレーションシステム、エマージェンシーキット(エマージェンシーシートはシンプルな四角い銀シート。寒さ対策でニトリル手袋追加、途中でのトイレを想定してティッシュも数枚持参→結果的にはいずれも使わず。その他基本装備として鎮痛剤、テーピング、コンタクトレンズ予備、手鏡等)、雨具(降雨の確実性と寒さを想定しモンベルのストームクルーザーを上のみ持参→三頭山の登りあたりで着用しそのままゴールまで着たまま)、今年からレギュレーションに加わったココヘリ端末

初参戦の仲間も加わり集合写真

仲間達とはスタート1時間前に受付近くで集合した。今年も昨年同様にエリート枠エントリーというものがあったのだけれど、昨年はスタート時刻が15分くらい違っていたのに対し、今年は一般もエリートも同時スタート。エリートは最前ブロックに並べるというだけだった。それ以外でこれまでと違ったのは、自己申告による予想タイム別に並ぶスタイルではなく、ITRA Performance Index別にブロック分けになっていた点だろうか。今年から、事前に郵送される封筒にそれぞれのブロックが記載されていて、そのブロックのところに並ぶスタイルになっていた。因みに私は一般第2ブロックだったのだが、同じブロックの知り合いは近くに誰もおらず、これまでにないくらい孤独な感じでスタートを待った。

スタートゲートの直線の最後のカーブあたりでスタンバイ。既に雨がぽつぽつ・・・

何を考えていたのかあまり覚えていないが、スタートはかなりナーバスになっていた。スタートゲートをくぐって角を右に曲がるより手前、いつもの位置に仲間が応援で立っていてくれるのがわかっていたので列の右側の方を走る。それを考えて位置取りをしていたというのに走り出したらいきなり意識がすっ飛んでしまい、仲間から声を掛けられてようやくその存在に気付くという始末である。大丈夫なんだろうか。とりあえず淡々とロードを進み、最初の己のコンディションの判断ポイントである上り坂は走り切れた。あと70km!という市長さんか誰かの掛け声に思わず笑いが起きる。

昨年はエリートのウェーブスタートの影響もあってか全然渋滞がなく、己の仕上がり具合とは裏腹な1時間というタイムで入山峠に着いてしまった。今年の自分も去年と似たような(下手したら去年より仕上がりは良くないかもしれない)コンディションと認識していたので、入山峠までは1時間10分を想定する。とはいえ、コンスタントに進みながらの1時間10分想定なので、渋滞して止まることになるとそれはそれで気が焦るものだ。これまで渋滞した記憶がないような辺りから早々に渋滞が始まってしまって焦りつつもなんだかんだで結局1時間10分くらいで着いたので良かったけれど。最近序盤に突っ込むと後半にタイムが落ちがちなのは自覚していたものの、雨足が段々強まることを見越せば序盤突っ込んだ方が良いのかなとも思ったが、それでも入山峠はこのくらいで丁度いいだろう。入山峠到着直前の丁度1時間目あたりで投入したアミノバイタルパーフェクトエネルギーは、下界で味見した時よりずっと美味しく感じた。全部で7本しかないのが残念なくらいだった。


CP1の浅間峠には4時間以内くらいで入りたい。CP1までは死ぬ気でいけ、と諭された時代もあったけれど今年は意識的に温存するよう努める。市道山を過ぎて醍醐丸の登りに差し掛かるとなんだか上の方がやたら騒がしい。と、そこに見えてきたのはこれまでに見たことがないくらい沢山の応援の人!これには驚いた。確かにいつもここは人が多いのだけれど、それにしても多分過去一で人が多かったと思う。序盤での熱い声援に、こちらも思わず目が潤む。特に、女子はそもそも参加人数が少ないし、自分は割と速いところにいるものだから余計に声援がすごいのだ。うわぁ女子!頑張って!!と女性陣がワイワイ盛り上げてくれる。これは本当に嬉しいものだ。いつも仮装したり鳴り物で音出して応援してくださる皆様、本当にありがとうございます(見てるか分からないけれどこの場を借りて御礼w)。

転倒もなく浅間峠に到着すると時刻は17時前、計画通りである。いつもはここで行動食の入れ替え(Start-CP1で食べた物のゴミと、ザック本体に入れてあるCP1-CP2区間用の行動食の詰め替え)を行うのだが、今回はザックがかわって前ポケットのキャパが大きくなったためその作業の必要がなくなったのはちょっと楽だった。スタート時点からCP2月夜見までの行動食がすべて前ポケットに入っているのだ。ポケットが深すぎて、ジェルを取り出すのにガサゴソしてしまったのが若干鬱陶しかったので、次回以降どうするかソリューションは考えたい・・・。
というわけで浅間峠ではストックとヘッドライトを出す作業のみ。
雨は既に降り始めていたが、レインウェアを着るほどかというとそうでもないし寒さよりも暑さが勝りそうだったのでもう少しそのまま進むことにした。例年は必ずここでお手洗いにも行くのだが、今年は7人くらい並んでいたので諦めた。そんなに疲れていなかったし休んでいる時間が勿体無いなと思ったので、3分くらいの滞在で応援にきてくれた仲間に別れを告げて浅間峠を後にする。因みに後続の友人から聞いた話によると、ここのお手洗いは70人待ちとかそんな状態になっていたりしたらしい(いやそんなに待てないだろうよ!)。


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そして今回の大転倒1発目は浅間峠を出発し日原峠までの下りあたりで突然やってきた。何かに足を取られた、と思ったら一瞬にして前方にビッターンとスライディング。

近くの人「大丈夫ですか・・・?

私「ハイ大丈夫そうですが何か落としてないかな・・・」
近くの人「これ違いますか?(ヘッドライト)」
私「!!!ありがとうございます!ありがとうございますっっ!!!!」
(いや本当に有難うございました・・・ヘッドライト無かったら本当に終わってました。)

足を捻挫したわけでもなく、ちょっと首が鞭打ちみたいになった程度だったのでそのまま再び走り出して事無きを得る。そしてその後順調に駒を進めていったけれど、なんだか体感としていつもより周囲が暗く感じて色々とよく見えず、やっとここだとかここからどういうコースだとか考えることも無くひたすら黙々と走っていた。とりあえず登りが始まる前の峠で固形物、たしかそれって西原峠だったよな、とか思いながら走っていたら結構あっという間に西原峠が出てきて、あれ?もう固形物食べていいんだっけ??本当に西原峠でいいんだっけ・・・?とか思いながらとりあえず食欲にまかせてセブンイレブンの黒糖わらびを放り込む。疲れが吹き飛ぶ美味しさ。

今年から制定された自然保護のための歩行区間

三頭山の登りが始まる。少し気温が低くなり始めていたので19時頃からアームカバーを肘くらいまで上げていたのだが、登りの途中くらいで雨が強まってきたこともありレインを着たのだったと思う。ここの登りは思うように登れず、足取りは重かった。ハイペースで登ったり止まったりするくらいならゆっくりでも止まらない方が良いと思ってゆっくりめに登ってみるのだが、それでも呼吸がしんどくなって、立ち止まって息を整えては登る、みたいなことを繰り返していた。あー、だめだな。登れないな。体重落とし切れなかったせいなのか、加齢のせいか、それとも矢張り今年の登山の強度の低さが原因か、疲労が抜けきらなかったのか、後悔ではないけれど何とも言えない内省をぐるぐると繰り返して山頂に到着したのは20時頃。三頭山までの時間のおよそ倍でゴールというのが定説だから、ここまでで7時間かかっているならもしかして14時間オーバーするんじゃなかろうか思ったら結構気持ちがどんよりと曇った。まぁ案の定三頭山山頂は寒くて(例年寒い)、着たタイミングはおおよそ正解だっただろう。今年から制定された歩行区間は早歩きでこなし、あとは走れるだけ走って、水分は僅かに残した状態で月夜見に到着。水の見積りがほぼパーフェクトだったのがせめてもの救いだったか。


後編へ続く