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2024/05/31

20240524‐26_Tokyo Grand Trail (100 mile)後編

前編はこちら

■A4富士見茶屋~A5和田峠 118km
勝手知ったる城山を登って天狗様にご挨拶、ベンチで少しだけ脚をあげて休み、いつ来ても水浸しの日影沢林道を下る。転びたくないし、飛ばすと前腿が死ぬのでゆっくり進んでいたが、誰にも追い付かれないし当然誰にも追い付かない。途中鼻血が出たりなどしつつ、水場ではコップ1杯ほどの水を飲む。山の水は飲んでおいた方が元気になれると信じているのでね。それにしてもスタート時からずっと思っていたけれど、荷物が軽いんだよね。私は縦走の時はおろか走る時でさえも荷物が重いだけに、水とレインウェアと行動食とヘッドライト+α程度の荷物で走っていると実に軽くてそれはそれは本当に楽だなと感じていた。100マイルレース前の練習量としてはそんなに多くなかった筈なのにここまで走ってこられているのは普段の荷物が重いお陰かもしれない。

久々の城山山頂なので天狗様とツーショット。
撮った後、あまりにも顔が死んでいるのに気付いたけれど撮り直すほどの気力もなかった
日影沢林道を終えて道路を左へ進み線路をくぐると小下沢の脇を走る林道に入る。普段駅から日影沢林道に行くときは日影沢林道に入らず先へ進むことなんて無いから、ここから暫くは知らないエリアだ。ほほーこんなところに道があるんだね。ただの砂利道で特にアップダウンがある訳でもなく、このエリアで何故こんなルートを走らされているのだろうと疑問に思えるような単調な道に沢の音。暗闇の中、何の変わり映えもしない道を進んでいると、眠気も相まって自分がどんどん無になってゆくのがわかる。しかし少しの登りでも体はその傾斜を感じ取り、じわじわとライフは削られる。幸いにして足の裏や指、踵などのマメや、足底筋膜が痛いというようなトラブルはなかったのだが、小指球~踵にかけて骨の奥の方だけがジンジンと痛みだした。外くるぶしの下あたりの小さな膨らみが腫れて大きくなっているというか、ごろごろした石を踏んだ時の地面からの突き上げがたまらなく痛く、次第に着地の衝撃に耐えられなくなってきた。走れればどんどんタイムを縮められる区間な筈なのに、足の痛みのせいでタイムは逆にどんどん落ちてゆく。たまに人が後ろからやってきては走って抜いてゆき、何なら歩いている人にも抜かれてゆく。まずいな。暗い暗い平坦な林道をとぼとぼ歩いていると急に眠っている人が転がっていてびっくりしたりしつつ、それでも歩みを止めることはせずにとりあえず進む。この距離を行くにしては靴のソールがすこし薄すぎるのだろうか?十里木に着いたら、ドロップバッグに入れてあるもう1足の靴に履き替えた方が無難だろうか。っていうか履き替えておさまる痛みなら一刻も早く履き替えたいけれど十里木までまだまだある。足は持つのか。足はそもそもどうなっているのか・・・。外くるぶし下の膨らみで靴がきつくなっているような気もしたので少しだけ靴紐を緩めてみたりもするけれど大きく状況が良くなるわけでもない。経験したことのない痛みだったので正しい対処の仕方がわからないのがもどかしい。兎に角進むしかないのでロキソニンを飲んでやり過ごす。
これ合ってるのかと疑いそうになる藪の中の徒渉ポイントを越えてしばらくするとようやく林道が終わって山セクションに入った。石の突き上げから解放されて土の上に放たれるとようやく足の痛みが落ち着いてきた。助かった。全ルートを走らず歩き通しているというロングパンツの男性と、スタート時に徳本選手と一緒にいた綺麗な女性が近くにいて抜きつ抜かれつしていたが、女性は私を追い抜いた後少し横になっていたようで、その間に私が追い付いてその後しばらく一緒に歩いた。彼女は胃腸の調子が良くなくあまり食べられていないとのこと。彼女も私と同じく初めての100マイルレースらしく、北海道からの参戦だった。堂所山、明王峠とアップダウンを繰り返しているこの辺り、ちょっと記憶は定かでないが23時前くらいに私は眠気を感じ始めてカフェインの錠剤(エスタロンモカ)を200mg摂取したのだったと思う。1ヶ月のカフェイン抜きを経て、カフェイン摂取による覚醒効果は如何に。

まもなくA5和田峠だ。初めて奥久慈トレイル50Kを走った時、高尾エリアの友人らと一緒に和田峠で練習をしていた時期があったのだが、まさかそれから9年後にこんな形で再びここに来ることになるとは思ってもみなかった。というか和田峠ってこんなところだったっけ。A5に到着すると蛍光灯が眩しく、そして笑い上戸なボランティアの女性の止まらない笑い声になごむ。何にツボって笑い続けていたのかはわからないけれど滅茶苦茶癒された。そしてみんなが優しい。激しいスポーツの最中なのに、穏やかな時間が流れる。
鶏粥エイド到着!
エイドのご飯がどんどん胃に優しいメニューに変わっていくw
鶏粥だって書いてあるのに「なんかアサリみたいなの入ってて美味しいな」なんて思いながら3杯くらいお代わり。途中で、ああ鶏粥だからこの具は鶏肉か、と思った(寝ぼけていたのか?w)。脇に添えられたしば漬けの塩気が染みる。エイドにはお味噌汁もあったのだがその場では飲まず、350mlのサーモスに半分くらい入れて貰って持っていくことにした。ここから先次のエイドまでの区間が長めで水分1000mlでは足りなさそうな気がしていたので、味噌汁は水分の足しでもあり、胃腸が弱ってきた時のためのお守り代わりでもあった。胃腸の調子のよくなかった彼女もお粥なら食べられたようで一安心。ここから先、お互いのペースが合わなくなるまでしばらく一緒に進もう、ということで一緒にエイドを出発することにした。

■A5和田峠~予備関門・今熊山登山口~A6十里木 134km
さあ南側のループも残り僅か、和田峠を出発し再び醍醐丸へ戻ってきた。この時の醍醐丸の道標を私は一生忘れない。やっとここまできたんだ!「これでまた南ループに入ったら無限ループ過ぎて死んじゃうよね」とか言って笑っていたのに、この時彼女と私は二人して南ループの生藤山方面に向かってしまったのはここだけの話。無限ループしたいんでしょうかね・・・ある意味眠気によって引き起こされたリングワンダリングとでも言うべきか(すぐ気付いて引き返したけど)。
このレースを走っていない人から見たらなんの意味もなさない普通の道標、
しかしこのレースを走った人ならわかる、大きな意味のある道標。
市道山までは往路を逆走するような形で進み、そこから入山峠方面へハセツネ逆走コースで今熊神社まで。市道山の後のアップダウンが繰り返している辺りだったと思うが、カフェインをもってしても消えない眠気に抗えず、少し座って目を閉じてみることにした。彼女も一緒に、時間にしてほんの1‐2分足らず。彼女はここまでしばらく調子が悪そうだったので、佐野川エイドで私がサーモスに入れてきた味噌汁を少し飲ませたりして一緒に進んでいたが、この僅かな休息で目が覚め調子も戻ったらしかった。大きな集団と合流して暫くすると「眠気が消えてるうちにちょっと進みます!」といってあっという間に先に行ってしまった。集団は20人近くて、彼女はその先頭の方へ、私は後方へと離れた。私が眠気を封じ込めるのに使っていたエスタロンモカ200mgは、以前分水嶺トレイル120kmを歩いた時にも服用し、効果が切れるまで6時間なのでそのつもりでいたけれど、今回は服用して3時間ほどで切れてしまった。仕方なく午前2時頃に再度200mg摂取することにした。このペースで飲んでいて大丈夫なのか(きっと大丈夫ではない)。周りの人に「前は6時間もったのに3時間しかもたない」とボヤいたら、それだけ疲れてるってことなんですよ、と言われた。そういうものなのか。明るい光を見ると目が覚めるという話も聞いていたので、どうしても目が閉じそうな時はライトを最大の600ルーメンまで明るくしてじっとそのライトの照らす白い地面を見たりしていた。

今熊神社へ降りる下りはこれまでに散々通った道とはいえ下りで使うのは初めてだ。いつもハセツネでは登っているルートだが、走ったことがある人ならわかると思うのだけれど兎に角あの石の階段は段差が大きい。ダメージの酷い前腿は登りよりも下りがしんどくなって久しく、この段差をこなすのは至難の業だった。後で聞いた話だと、トップ選手達もここの下りは結構時間がかかっていたらしい。
それでも下り切るまで私は周りの人より多少速いペースをキープできていたのだが、下りきってからは違った。皆歩くのが速く、何なら走り出す人までいた。いやいや、発電所脇のこの林道、登りだよ!?皆全然脚が残っている。闘い方が判っている人達はきちんとここまで脚を温存しているから所謂「脚の売り切れ」を起こしていないのだろう。流石すぎる。私はといえば、坂を走って登るような気力や体力は既に無く、走れないこともない平地や下りをきっちり走ることもなく怠けながら進んだ。発電所の後再び山に入り、武蔵五日市方面に行かずに分岐を左へ進むと十里木方面に抜けるのだが、ここも過去散々歩いてきていたのにこんな風に道が繋がっているとは知らなかった。この区間も地味に長く、私は下半身をショッキングピンクで統一した男性と2人で歩みを進めていたが、彼は途中で眠くなって眠ってしまったので私は一人で山を抜けて十里木に向かった。私は十里木のすぐ手前のコンビニはスルーしたが、発電所あたりで私を引き離していった人の集団は丁度そこで買い物をしているところだった。何時間か前に離れ離れになった彼女もまだいたので追い付いたけれど、その後一緒にA6を出発することはできなかった。私の調子がおかしくなってきたからだった。

十里木に着いたのは朝5:30過ぎ。大幅にペースダウンしているとはいえ、まだ45時間ゴール想定の時刻だった。小指球~かかとの間の痛みは土の上を歩いているうちに完全に消えたので、靴を交換するのは止めてこれまで履いていた靴のままゴールを目指すことに決めた。疲れているし眠いのだけれど相変わらずお腹はすいていたのでエイド食の出汁茶漬けを頂く。サポートのM氏がカップヌードル(普通サイズ)のカレー味があるけど食べる?というので作ってもらい、ゆで卵も入れてもらった。美味しい!気持ち悪くなるようなこともなく食べ進めて、ゴールまでのエネルギーをチャージしていたはずだったのだが、7-8割まで食べ進めたあたりでお腹がいっぱいになってきてしまった。エイドのそうめんやラーメンなんかは小分けのものを4杯も5杯も食べてきたけれど、矢張りカレー味となるとスープのカロリーが高いからすぐにお腹にたまるのかな?などと思いつつ、とりあえずもう十分という感じになったので少し残して食事を終えた。しばらくするとお腹が痛くなってきたのでお手洗いに向かうことにする。ここまで走ってきて初めて催したのだけれど、沢山食べてきたのだからそりゃ排泄もするよねという感じだった。エイドステーションから道路を挟んで向かい側にあるお手洗いへ行って再びエイドに戻ると、また数分でお腹が痛くなりお手洗いに入る。そんなことを5回6回と繰り返しているうちに周りの人達は皆出発してしまい、時間もどんどん過ぎてしまった。制限時間までのバッファをどんどん食い潰している。トラブルひとつ、睡眠ひとつでどんどん余裕はなくなっていく、とえまちゃんが言っていたのはこれだったのか。気持ちが焦る。ここまでにロキソニンやらカフェインやら放り込んでいたのに加えて、更にここで下痢止めのストッパと追加のカフェインを入れて出発することにした。時間は6時半頃だったか、M氏に「ゴールしろよ」と檄を飛ばされて最後の旅に出る。こんなところで1時間も使ってしまったのは想定外過ぎる。スタート前にコース分析をしていた時には「二度目の十里木にさえ着ければもうあとはゴールするだけだし気持ちも大分楽になるはず」と思っていたのに、寧ろ一番しんどい区間はここからだった。

■A6十里木~A7都民の森(トチノキ広場)152km
A6十里木をでるとすぐ高明山の激登りが始まり、腹痛は収まったがそれと引き換えに吐き気が酷くなってきて嘔吐(えず)くようになってきた(えずく、って嘔吐くって書くの今初めて知ったw)。登っていると胃が押されるような体勢になるからか非常につらい。いっそ吐いて楽になりたい。というか吐かせて欲しい。どうやったら吐けるのか教えて欲しい。しかし全く吐けない。下痢止めに続いて今度は胃薬系を漢方と西洋医学と両方放り込み
最早薬漬け状態。カフェインで麻痺していただけなのか日が昇って明るくなったからなのかわからないが眠気はあまりなく、しかし気持ち悪い時は横になると治ったりするという話を聞きかじったことがあったのでベンチを見つけては横になったりしてみた。全然良くならなくてやりきれない。気持ち悪いなと少しでも思ったらすぐに薬を!と言われていたけれど、予兆なく吐き気がやってきたのでもうどうにもならなかったし手遅れだったのだろう。しんどい。しんどい。どんどん後ろから人がやってきては抜いていく。男性も女性もいる。順位はどんどん下がっていくけれどもうそれどころではない、自分との闘いだ。しかし気持ち悪いからと言って何も食べずに進める距離でもないので、残してあったTop Speedとアミノバイタルのジェルを1本くらい飲んだのだったと思う。Top Speedは600円以上したし、これ飲んでから吐きたくないなぁとかしょうもないことを考えていた。

そうこうしているうちにどこかのセクションで一緒に進んでいたと思われるおじさん達が追い付いてきて、座り込んでいる私を見て「あ!久しぶりに見た!だいじょうぶ?」と声を掛けてくる。事情を話すと、メロン味のラムネをくれた。最近よくある固めのラムネではなくて、昔からあるようなクッピーラムネっぽいラムネだった。何か食べないと進めないからといって渡してくれたそのラムネは舌の上でしゅわっと溶けて、爽やかな酸味が広がった。気持ちがいい。体調が悪くなった時何が食べたくなるのか準備の段階では全く想像できなかったけれど、ラムネはひとつの正解だったと思う。ひとつぶ、ふたつぶ食べていくとなんとなく一縷の望みが見えてきたような気がした。少しずつ進んでみるけれどGPSを見るとろくに進めていなくて、まだまだ大岳山も御前山も遠い。道標には無慈悲な距離が書かれていて、それを見るたびに私は意気消沈していた。大きな段差でストックを突こうとするともう肩が痛くて腕も上がらなくなってきた。

つづら岩の手前あたりだったか、蛍光色のビブを着た男女が後ろからやってきた。ええええ!?まさかのスイーパー現る!?私最後尾なの?と焦ったが、セカンドスイーパーだったようで制限時間の40分前に十里木を出発したというスタッフさんだった。この後にはもっとギリギリのスイーパーがもう一組居るという。とはいえもう私はそこまで順位を落としているということだ。結局私はTrippersのH氏と2人、A7までずっとスイーパーに付き添われてなんやかんやお喋りしながら進むことになった。ぺースは更にのんびりになったが、もうここまできて順位がどうとかタイムがどうとか言っている場合でもなかったし、ペースをあげて頑張ればまた気持ち悪くなりそうだったし、身の程わきまえたテールエンダーとして兎に角ゴールを目指した。H氏は登りがしんどそうだったが下りは元気で、私はその逆だった。しっかり進めているから大丈夫、まだ30分くらい余裕があるしいいペース、とスイーパーから繰り返し励まされ、更に今度はイチゴ味のラムネまでお守りに持たされてどうにかこうにか大岳山、そしてとうとう御前山から都民の森に下る分岐に辿り着いた。ゴールの制限時間は16:00だが、その手前のA7で14:30の関門がある。ここさえ突破すればあとはきっと大丈夫だという。

あれこれ喋りながらスイーパーとH氏と4人で降りてくると13:30過ぎにA7に着いた。結構余裕があるじゃないか!とホッと胸をなでおろす。和菓子エイドとのことでここではわらび餅とだんご汁(あんこの入ったお餅が麺つゆみたいな汁の中に入ったもの)、コーラなどを頂いた。吐き気が完全におさまった訳ではなかったが食べることはできるようになっていたので元気も出てきた。残りもあと少しなので休憩は手短かにし、46時間台でのゴールを目指して出発した。それにしてもA6十里木に45時間想定のタイムで到着していたのに、A7都民の森に着いた頃には47時間想定のタイムまで落ち込んでいた。仕方がないとはいえ再び大失速。

■A7都民の森(トチノキ広場)~FIN奥多摩運動公園 159km(171km)
H氏より先にA7を出発したものの、下りの脚が残っているH氏にはすぐ追い付かれて追い抜かれ、そしてまた私が追い付いたりなどを繰り返していた。舗装から砂利の林道に入る手前の立哨で友人のO氏がいたので暫し談笑。
眠くて日の光が眩しく、写真を撮っても全然目が開いてないw
もうラストだというのに林道は緩やかな登りでしかも日影がほとんどなくて滅茶苦茶暑いし長い。ここまできて峠走みたいなことさせられるのかよ!しねぇよ!とかなんとか思いながらぼちぼち歩く。立ち止まったまま宙を見て意識を飛ばしているH氏を拾って更にゴールを目指しつつ、もう一歩も走ることもなく進んでいると、本当の最後尾にいたスイーパー集団が走ってきて追い抜いていった。いやはやこれで本当にほぼビリだなw 頑張れば走れたけれど、もうゴールは見えているし走らなくてもいいかな~という感じでのんびり歩いてゴールに向かう。まさにとことこExplorer!w
スタート/ゴールがこの急坂の上なので、最後までまだ登らされてうんざり。
もう走らんw
制限時間が残り30分と迫っているのになかなか私が到着しないので、間に合わないのではないかとハラハラしていたというサポーターM氏は、ようやくやってきた我々を出迎えて写真をバシバシ撮るw こんな最後の最後で制限時間に間に合わずにゲームオーバーなんてそんなナンセンスなことになるつもりはないのだ、きっちり時間内にゴールするのだ!
終わったーーー!
よく皆、レース終わってゴールゲートをくぐってからお辞儀をしているけれど、私はこれまであまりそれをやったことがなかった。しかし何故か今回は自然とお辞儀していた。トレイルにありがとうというか、関わってくれた全ての事象と人々にありがとうという気持ちだろうか。別に大きな感動という感じはなく、100kmくらいまではゴールしたら泣くだろうなーと思って想像だけでうるうるしたりしていたけれど、実際ゴールしてみたら別に泣かなかった。嬉しかったし達成感もあったけれど、どこか不甲斐無さもあったし、そもそも完「走」できていないとかなんとか・・・。贅沢言っちゃいけないんだけど。まぁ単に眠くて疲れていて感動する余裕がなかっただけかもしれない。
ありがとうございました!
初100マイルの私と初サポートのM氏。長丁場お付き合いいただきありがとう!
相変わらず私の目はあまり開かないw(眠い)
ゴールしたら冷えた缶ビールが貰えたけれど、まったく飲む気は起きなかった。完走賞も酒で、澤乃井の四合瓶だった。ゴールして身支度を整えて椅子に座っていると、久々に再会したI氏が隣りにやってきて、自分はお酒を飲まないからといって私に1本くれたからお土産は四合瓶2本になった。椅子に座った途端に私はまったく動けなくなり、立ち上がるのも腕を上げるのも歩くのもままならなくなった。よくそれで降りてきたね体どうなってんのよとI氏。実力以上に出し過ぎてもう体中バキバキだった。ずっと指切りグローブをしていたので気付かなかったが、ゴールしてグローブを外してみると血の気が完全に引いた真っ白な手の平に、無数の紫色の痣が浮かんでいた。小指の付け根の辺りは腫れていてうまく動かせないし手をついて立ち上がろうとしても手の平が痛いので、肘をつかないと立ち上がれない状態だった。満身創痍で私の初100マイルは幕を閉じた。
参加賞は350mlくらいのスープジャー。持っていなかったのでちょっと嬉しい♪
体の前側につけていたゼッケンはA1御岳の時点ですでに汗でボロボロだった

‐‐‐‐‐

3月、レースにエントリーした直後、右の内くるぶしが腫れてきて、足首を動かすにも何か詰まっているような違和感を覚えた。丁度山に行った後だったので、「あれ?私捻挫したっけ??」と思ったのだが捻挫をした記憶もなかった。しかし足首を内側に捻るとくるぶしの上にある筋のようなものがゴリっと動いて、目で見ていてもわかるほどで、不安に思った私は外科でレントゲンを撮って貰った。骨の異常がないことがわかって今度は整骨院へ行くと、後脛骨筋腱炎的な症状だったようで、10日ほど休んだあとあれこれメンテナンスをしながらならトレーニングを積んで良いとの許可を貰って慎重にトレーニングをした。目に見えて改善はしなかったけれど悪化もせず、160kmも走るっていうのにこんな不具合抱えたまま出走して大丈夫なんだろうかと不安な日々が続いた。結局本番でその右足の内くるぶしが痛むことはなく、そんなことはどうでもよくなるくらい他があちこち痛かった(特に小指球~かかとの痛みは本当にしんどかった)。走り終わった今は再び内くるぶしがゴリゴリ言い出しているけれど、痛いということもない。とりあえずちょっとした故障アリの状態でよく本番迎えてゴールまで辿り着いたなと思う。

私はレースの時のメンタルが強く、多分自覚している以上に人からそう言われる。今回も、吐き気がある中でよくここまで耐えたね、というようなことを人から言われたけれど、自分としてはリタイヤするほどの吐き気ではないと思ったし、ラスト30kmでリタイヤするほどの吐き気ってどんな吐き気だよと思う。吐けなかったからこそカップヌードルのカロリーが体内にとどまってゴールまで進むためのエネルギーが足りたのだろうし、なかなか効かなかったとはいえ胃薬とかが効いてくれたのかもしれないし、はたまたちゃんとどこかで眠っていればこんなに気持ち悪くならなかったのかもという気もするけれど、眠っていたら関門に引っかかってゴールできていなかったかもしれない。たらればを言い出してもどうしようもないのだけれど、私の周りにいる一部の100マイルレースジャンキーな人達は、こういうPDCAをまわすことに快感を覚えたりしているのかもしれないなと思った。こりゃ頭脳戦だわ、事前の準備も緻密にやらないとすぐ破綻するし、レース中も今回のようにマーキング無しだと終始頭使いっぱなしだもの。因みに、ルートファインディングに頭を使うから眠くなりづらいんじゃないかなとか思ったりもしたけれど結局普通に全然眠かった。

次にまた100マイルを走る時には、最後の舗装路を軽々と走りきってゴールしたいなぁと思う。しかし準備を始めてから本当にいろんなことを考えたり、買ったり、コース分析したり、カフェイン抜きをしたり、お酒を抜いたり、ローカーボにしたりカーボローディングしたり。長いようで短い2ヶ月だったなぁ。ずっとずっとレースのことを考えて過ごしていたような気がする。ゴール直後の強烈な感動ではなく、長く尾を引く多幸感が今もまだ続いていて、きっとこれは準備期間と本番を含めた時間が長かったからこその長い幸福感なのだろうなという気がしている。木が大きく育ったのは、深く深く根を張っていたからだ。

CT0.57で進み続けるだなんて、完走可能性は3割くらいか、多く見積もっても5割くらいかもしれないと思っていたけれど、私はもっと強かった。自分を低く見積もりすぎていたのか自分に少し申し訳ない気持ち。本当に完走したんだろうかと今でもちょっと信じられなかったりもするけれど、本当に完走したんだよな。私は今じわじわと幸せだ。
結局行動食はジェルとアミノバイタルの顆粒、グミ中心でした。
あと、低GIアップルハニーをスポドリで溶いたものが滅茶苦茶美味しかった!
尚、走ってるとやっぱり柿ピーは欲さない。

2024/05/29

20240524‐26_Tokyo Grand Trail (100 mile)前編

私が思っていたよりもずっと、私は強かった。もっと弱いと思っていた。
休憩も含めてCTの0.57で進まないといけないと分かった時点で、完走とかちょっと無理なんじゃないのかと思っていたのだが、完走できてしまって、本人もびっくりしている。覚えている範囲で記録に残しておきたいと思う。
このレースはまだ2度目の開催だ。コースマーキングもなければ、累積標高も凄まじい。制限時間は48時間あり、他の100マイルレースに比べて長いかも知れないが、難易度を考えたら別にそこまで制限時間に余裕はない。それでもこのレースにエントリーしたのは、決して私がドMだからとかそういうことではなくて、単に「エントリーの条件が緩かった(ポイントなどが不要)」「制限時間長いし大丈夫だという人の言葉を信じてしまった」この2点が理由だった。それから、元々エントリーしようと思っていた同時期の奥久慈トレイル50Kのコースに個人的には今年あまり魅力を感じられずエントリーを見送ったため、なにか別の目標を作る必要があったことも理由のひとつだ。とはいえ奥多摩や高尾などの近場をわざわざ35000円も払って走る必要なんてあるんだろうか?とか考えてしまって、レースを知ってからエントリーするまでにも大分迷ったのだが、結果的には走ってみて良かったし、前泊後泊がないからレース以外のことを考えずに済んだことでレースだけに集中できたし、初の100マイルレースがこのレースで良かったなと思っている。初めてハセツネを走った時、それまで歩いてきたばらばらのルートが本番で一気に繋がる感覚があって、今回もそれに近いものがあったのも感慨深かった。

レースはエントリーした瞬間から始まっていると言っても過言ではないし、なんならそのレースを意識した瞬間から始まっているかも知れない。エントリーフィーは高くとも、エントリーした日からの日割り計算をすれば安いんじゃないのかなと思うと高くないなと思えたりするから不思議でもある。私はエントリーしてから80日くらいで本番だったけれど、日割りにしたら437.5円だ。この値段で毎日がこれだけ充実したのだ。ものは考えようである・・・

私がエントリーをしたのは3月上旬、しかし具体的にどこから手を付けて良いのかぼんやりしすぎていたため4月に入っても普段のランニング以上のことは殆どできていなかった。練習や準備が一気に加速したのは春の青春18きっぷ最終日の4月10日、残っていた18きっぷの1回分を使って松本に住むえまちゃんに日帰りで会いに行った後からだ。レース経験豊富な彼女からたくさんのアドバイスを貰い、質問をし、答えを貰ってメモを取り、これは練習も大事だけれどそれと同じかそれ以上に準備が大事だぞ、時間がないぞと気を引き締めたのだった。もう次の日ぐらいから足りないものの買い足しが始まり、持っている筈だけれどどこに仕舞ってあるか記憶がないものを探す作業が始まり、持ち物の修繕や選定、とにかく毎日手帳にToDoを書き連ねては潰していった。新しく買ったヘッドライトは点灯テストの途中で不具合が見つかって返品交換になったから最終的に手元に交換品が届いたのは割と直前だった。こんなに早い段階から準備を始めたことなど過去に一度もなかったけれど、まったく準備開始時期がはやすぎるなどということはなかった。
時間が全く読めなかったので43~48時間の5パターンを想定。
実際のタイムはピンクの列。終盤の極端な失速については後述。

<服装、装備>

・ヘッドギア:HerenessのFOCUS CAP(チームのロゴ入りオリジナルデザイン)

・サングラス:Don’t Panicの調光偏光レンズのもの(天気は曇りであまり出番なし)

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー(ベーシック)+Patagnia半袖T(製品名忘れたけど何かのレース会場で安かったから買ったやつ)を前半に。後半は同じくPatagonia半袖Tでチームのロゴ入りオリジナルデザインのもの)、CW-Xブラ(HTY168)、ORのアームカバー、チャリ用の指切りグローブ(トレッキングポールのストラップから手の甲を守る意味合いが強い)

・下半身:Patagoniaのメンズのランパン(インナーは切った)、モンベルのパンツ

・ソックス:ドライマックスの厚手のやつを前半に。後半はGoldwinのなんか最近買ったやつで土踏まずのアーチにフォーカスしたっぽいもの。いずれも5本指とか足袋型ではない普通のタイプ。

・ヘッドライト:レッドレンザーH8R(メイン)、モンベルパワーヘッドランプ(予備)

・ハンドライト:霧対策で持ったジェントス閃ハンドライト(325時代のもの、150ルーメン)+黄色フィルター(霧はなく出番はなし)

・ザック:The North FaceのTR10(容量足りるか直前まで迷ってたけど全然足りた)

・シューズ:Salomon Sense ride 4、SCOTT Supertrac Iltra RC(ドロップバッグ予備)
・ログ計測ギア:COROS pace2(ドロップバッグポイントで2度充電→ラストまで充電切れ無し)

・ウォーターストレージ系:Inner‐factソフトフラスコストロータイプ500ml×2(メイン)、Sawyerの浄水器に付属していたプラティパスみたいな容器(1L弱くらい。500×2のボトルで足りない時のための予備としてスタートから最後まで携行→出番はなし)
)、Thermos350ml真空断熱ケータイマグ(ドロップバッグに入れておいて後半戦から投入→途中味噌汁を注いで貰って200mlほど携行)

・その他:エマージェンシーキット(エマージェンシーシート、鎮痛剤、下痢止め、テーピング、コンタクトレンズ予備、手鏡等)、雨具(Outdoor Researchヘリウム2、モンベルバーサライトパンツ)、補給食、赤のテールライト(ダイソー)、バッテリー(Ankerの10000mAh、COROS用充電ケーブル、ライトニングケーブル等)、アクシーズクインの腹巻、ONのゼロジャケット(ウィンドシェル)、ヘリテイジのULトレイルポール

■ST奥多摩運動公園~
CP1大根山の神~A1御岳 27km地点
電車の到着時間だけ一時的に混雑する受付。ヘッドライト2つとその予備電池、ならびに地形図アプリにコースデータがDLされているかどうかのチェック
トークショーとブリーフィング
昼前に家を出て14時過ぎ会場入り。受付、IBUKI端末受取、ドロップバッグ用の袋受取などで30分ほどかかった。15時頃からゲストランナーのトークショーなどが始まり、それらを聞きながら自分の用意を整えると16時出走。ゼッケン番号の順番になんとなく並ぶ感じで整列ルールは緩い。お手洗いの混雑はほぼ無し。ひとりで長期縦走しても心細くなんてないのに、レース前にひとりで居るのは言いようのない心細さがあった。知り合いのS氏がスタッフでカメラマンをしていたので話し相手になってもらい少し気を紛らわせる。
いよいよスタート。怖くて泣きそう
ゼッケン番号はITRAのパフォーマンス・インデックスを元に決められている。ここ2年ほど、ITRAに記録が残るのはハセツネくらいしかなかった私はかなり後ろの番号だった。遅い人達のところに居るのだから序盤から飛ばすなんてこともないだろうと思っていたのだが、皆序盤から淡々と走って止まることを知らない。確かに早すぎるペースではなくジョグペースではあるものの、これを40時間以上続けられるとは思えないし大丈夫かなと不安がよぎる。途中川井の林道の水場で水500を補給しながらあっという間に御岳まで。矢張り100マイルレースに出る人は皆強い。それにしても、早くて深夜0時過ぎに御岳着と思っていたのに22時過ぎに着いてしまった。青梅線の北側エリアは二度ほど試走していたし前から勝手知ったるエリアだったけれど、暗闇であることとレースの興奮とが相まってここまでの間に既に数回ロストをしていた。時計がコース離脱アラートを鳴らしてくれるので割とすぐにロストに気付けるのだが、それでもこの先まだまだ長いというのにこの頻度でロストするとなると先が思いやられる。道中、ゲストランナー等を抜いたりしていたので、これは絶対に自分のペースが早すぎるんだろうなぁという気はしていたが、そこまで無理をしている訳でもなかった。このままいったら脚が売り切れるんだろうか。
A1御岳ではInner-factの中の人の手作りバターチキンカレーが食べられるので楽しみにしていたが、ここは岩茸石山から御岳まで、カレーのためだけに下って登り返すピストン区間なのがえぐい。しかもカレー食べた後の急登とか、具合が悪かったらもう一気にリバースしそうである。試走の時もこの意味のないピストン本嫌だなぁと思っていたのだけれど、ぶっちゃけ本番ではこんなの朝飯前ぐらいのライト感しかなかった。その後のアップダウンがえぐすぎて、この程度のピストンは記憶から消えてしまいそうなほどである。

カレー2杯と福神漬け、フルーツ缶詰をコップ1杯、ポテチ、コーラなどを食べて30分くらいのんびり。スタートからここに至るまでにもジェルなどを割と補給した。カレーを食べながらスマホを見ていると、チームRun or Dieの偉大なる先輩であるR氏から「突っ込みすぎ注意、〇〇〇番の選手(女性)より早いのは明らかにオーバーペース」との指導が入っていた。とりあえずその人を見つけたらそこに着いていこうと思い、ナンバーを覚える。
赤じゃなくて茶色系の福神漬けが美味しかった。塩分補給!
階段あがって上がエイド。1階はお手洗い。
靴を脱がずにお手洗いに行けるよう養生してあるのがありがたい。
お手洗いに立ち寄っていざ出発。酷い汗でウェアはまったく乾かず、特に上半身からの汗を集めたショートパンツが完全に飽和状態になっていたため、一旦パンツもろとも脱いで便器の上で絞った(いやどんな汗の量だよ・・・)。しかしこのお陰もあって、このあと暫くは結構ドライな状態が保てたのは良かったと思う。ここまでショートパンツが濡れると股擦れ待った無しなので警戒が必要なのだ。

■A1御岳~CP2梅郷駐車場~
A2十里木 70km地点
御岳を出て岩茸石山へ登り返していると、R氏から教えてもらったナンバーのゼッケンをつけた女性選手が御岳エイドに向かって降りてくるのとすれ違った。うわ、この人ここにいるのか。私は早すぎるんだな?かといって私はもう大分御岳エイドで休んでいるし、この選手が休憩を終えるまでここで待っているというのもなんだか違う気がする。とりあえずペースを抑えて、人にどんどん抜かれていいから脚を温存していこうと気持ちを新たにした。
御岳から梅郷まで17km、そのあと十里木まで26kmだが、途中コンビニもあるし区切って考えるとそれほどしんどくもない。CP2ではGUのROCTANE ENERGY DRINK MIX粉末をフラスクに入れてカロリーを摂取しようとしたが粉が水にうまく溶けず、しかもフラスクのストローに詰まりまくってしまい逆から吸い出す始末。。。(疲れてもいないのにここで無駄にタイムロスw)粉の250kcalも勿体無いのでとりあえず全部飲み干し、粉もジャリジャリ喰んで体内に流し込む。お腹が水分でたぷたぷ。
ストローに詰まった粉を逆側から吸い出すw なんかもう色々酷い。
再び山に入る。たしかこのあたりでご一緒していた女性ランナーが海外レースにたくさん出ている方で、いろんな話を聞けて良かったし夜中だったので気が紛れて助かったし楽しかった。しかも彼女はこのレースのフル試走を複数回しているとのことだったのでロードのルートファインディングはほぼお任せしてしまってこちらが楽できたのも有難かった。青梅線の南側は全然試走していなかったので不安だったのだ。
1晩目なので眠気はほぼなかった。4時半頃、林道で見た朝焼け
手持ちの行動食はあれこれ食べていたし、十里木手前のセブンイレブンに着いた時もまだ食糧がたくさん残っていたのだけれど、コンビニに吸い込まれてゆく人達を見てつい自分もお赤飯のおにぎりを買って食べる。米が食べたかったのだよ、そして夜が明けたので朝ご飯だねーという気分だったのだよ。カップ麺を食べる人、すでに気持ち悪くて胃が食べ物を受け付けなくなってきている人、眠気がでてきてカフェオレを飲む人など皆さまざま。私はおにぎりの他にルイボスティーを1本買った。
勝峰山6時半頃。この山は綺麗だったな、整備が行き届いていて走りやすかった。
とりあえず鐘は突くよね(ゴーン)
ハセツネコースでもある金毘羅尾根を降りているとうっかり間違えて武蔵五日市に向かってしまって登り返したりなどしつつようやくA2十里木へ。ここでは預けておいたドロップバッグが受け取れる。今回ペーサーもサポートも付けないつもりで準備をしていたが、「IBUKIで私のログがゴール出来そうだったらゴール見に来てよ~」と軽い気持ちで数日前に山仲間のM氏に言ったら十里木でのサポートを申し出てくれたので遠慮なく頼むことにした。ドロップバッグに入れてある物のリストや写真を簡単にパワポにまとめて送り、あとはタイム表を共有してあったが、予想タイムから大きく逸脱して走っていたので表の意味はほとんどなかった。また別の友人Aちゃんも複数名のサポートとして現地に居てくれたので、エイド滞在中は2人に色々と世話を焼いてもらえて気持ちは楽だった。

まだここは70km地点。ハセツネと同じ距離だしまだまだ元気な状態で到着するだろうと思っていた十里木エイドだったが、この時既に累積標高はハセツネをゆうに越えていて時間も16時間半経過していた。普段のハセツネよりだいぶゆっくり進んでいたけれど、43時間想定の予想タイムより更に2時間半ほど早く着いていて、そんなペースにも関わらずハセツネの70kmよりも体感としてきつかった。いや待て、まだ元気ではあるけれど、現時点でゴールの半分もいっていないのにハセツネよりきついってどういうことだ。あと90kmも持つのか?

エイドの食べ物はミネストローネとパン、それ以外にもきゅうりの浅漬けやフルーツなども潤沢だったので一通り食べ、それ以外にM氏が持ってきてくれた抹茶のクリームドーナッツや自分で用意しておいたプロテインに青汁も摂取した。あとはエイドのインスタントコーヒーが無茶苦茶美味しかった。カフェイン中毒の私が9年ぶりくらいにカフェイン抜きをしていたので、1か月ぶりに飲む珈琲はそりゃあもう心と体に染み渡った。ちょっとびっくりした。
ここでとりあえずTシャツや靴下を新しいものに交換し、擦れ防止のProtect J1を塗り直し、あとは時計などの充電系をこなし、次の夜に備えてサーモスを空のまま持参し後半戦に突入。ここも結構長く滞在したと思う。30‐60分程だったかな。まだカフェインらしいカフェインはコーラくらいしか摂取していなかったけれど眠気もまだそんなにない。

■A2十里木~予備関門・醍醐丸~A3佐野川 87km地点
スタート前のブリーフィングで「コース研究をした方なら分かった方もいると思いますが佐野川の関門が厳しめになっています、ここを突破できなかったらゴールは難しいだろうという時間になっているのでまずは佐野川を目指してください」みたいなことを言われていたので、仮に眠くなったとしても眠らずに佐野川まで行ってから眠ろうと思っていた。十里木までの行程を突っ込み気味に進んでいたので時間的余裕はあったし、大きなトラブルがなければきっと佐野川の関門は間に合うだろうという感じだったが油断はできない。いつどこでなにが起きるか分からないので慎重に淡々と駒を進める。市道山分岐から醍醐丸を越え、生藤山を終えると佐野川だ。十里木で補充した水はこれまでと同様に1リットルだけだったが、この17km区間は山が続いて水場もなくかなりギリギリだった。途中にあるとすれば去年は醍醐丸に私設エイドの人がいたはず・・・と周りの人に教えられ、それを期待して進んでいたが、今年は残念ながら私設エイドはなかった。また醍醐丸は予備関門なのでスタッフがいるのかと思っていたのだが、関門時刻が近付いたらスタンバイするスタイルだったのか誰もおらず拍子抜けしてしまった。佐野川のラーメン&おにぎりを目標に進む。何度も試走をしているというよく喋るお兄さんが暫く一緒だったので、彼のコース解説みたいなものをなんとなく聞いていた。
プリン美味しかった!(幸せそうw)
ペーサーはA3佐野川からなので、ここのエイドには待機中のペーサーも何人かいた。ラーメンは紙コップに麺が入れてあり、そこにスープと具材を加えるスタイル。具材は多分業務スーパーで売っている肉そぼろの瓶詰みたいなものだったけれど、生姜が効いていてすごく美味しく、4杯か5杯くらいお代わりしてしまった。手作りプリンも出てきてお弁当用のアルミカップみたいなものに入れて提供され、これも4回くらい頂いた。佐野川ではまだ100km地点に満たないのでまだまだ私も内臓含め元気いっぱい。脚もまだまだ問題ない。IBUKIはここで端末を交換してもらえたので、自分で充電する必要はない。
出発!

■A3佐野川~A4富士見茶屋 102km地点
鷹取山登山口。ここかよ・・・
鷹取山山頂、また鐘。突くよね(ゴーン)
鷹取山を登って、下って川沿いの林道、あれこれ登って最後は孫山の激下りをこなして富士見茶屋まで。歩いたことのないエリアも含んでいたけれど、富士見茶屋についたら知っている場所だった(名前を忘れていたけれど)。ほほーここに着くんだね?とか思いながら、エイド初登場のブラックサンダーを頬張る。素麺があって、最初は普通に食べたけれど、2杯目から「豆乳入れる?美味しいよ!」と言われるがままに豆乳&麵つゆの素麺にしていただいた。これがまた絶品、蛋白質も摂れて一石二鳥!エイドの女性陣がエイドご飯をアレンジして美味しく工夫して出してくれるのがこれまた物凄く嬉しい。ここでも4杯くらい食べた気がする。やっと100kmを超えて、しかしまだ60kmもあるので気持ちが焦ることはなく、エイドで女性選手に抜かされても気にしない。ハセツネだと常に抜かれないように気が張っている感じなのだけれど、100マイルはマイペースで進んでマイペースで休んだ方が良さそうだなと思ってエイドでも楽しく過ごしてたくさん補給することを心掛けていた。事前に読んだえまちゃんのNoteでは、エイド滞在時間は短くした方がいいと書いてあったので前半は割と休まず進んでいたのだけれど、ぼちぼち空腹が激しくなってきたり体が疲れてきたりしてきたので体の声に正直になることにした。富士見茶屋エイドはこぢんまりしていたけれどアットホームで過ごし易く、椅子も折り畳み椅子ではなくコットのようなものが置いてあったのでお尻に優しかった。のんびり。

後編の方がドラマ激しいのに前編でこんなにだらだら書いてしまった・・・
後編へつづく

2017/10/08

20171008-09_第25回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP

コンディションのせいじゃない。なぜなら、同じコンディションでもPBを更新した人がいるから。
年齢のせいじゃない。なぜなら、ずっと年上の人が上位にいるのがトレランだから。

4度目のハセツネにして2番目に遅くゴールした2017年のハセツネ。調子がいいときはいつも、お前は大丈夫だと言ってくれる自分が自分の中にいたけれど、今回はそいつが居なかった。精神と肉体の互助関係が成り立っていなかったのだろうと、一週間経った今振り返っている。
いつもは朝一番に会場に乗り込んでいる。チーム全員がゆったりできるスペースを控え室である体育館に確保するためだ。しかし今回は特に集合時間の連絡も調整も何もしていなかったので、到着はのんびり11時過ぎ。武蔵五日市の駅に着くと既に日は高く、しかも夜間にまた雨でも降ったのか、ところどころに水の跡が残っていた。蒸し暑さの中、セブンイレブンの前で昼食を済ませて会場に向かうも、控え室である体育館の中が暑くなっているであろうことは容易に想像できた。入口近くにチームメイトではない友人の姿を見つけ、一緒に荷物を置かせてもらった後は、手早く準備を済ませてアップをし、12時過ぎにはすぐ列に並ぶことにした。毎度の悩みの種である腹痛は、予め正露丸を飲むことでねじ伏せた。

一昨年のタイムを更新できるとは思っていなかった。かといって、水不足に悩まされた昨年のタイムより遅くなるとも思えなかった。なので、12時間22分(一昨年)〜12時間56分(昨年)の間でゴールできたらいいなと思っていた。それでも優子さんに追い付いたらいいなとか、サキちゃんに負けたくないなとか、そんな対抗心だけはギラつかせていた。きっとそんなのは最も速かった一昨年の自分が今ここに現れたとしても無理なことなのに、分不相応な期待を持って前の方に並んだ。ジワジワと前に詰めながら、しかし心は後ろ体重で不安なままだった。

浅間峠までのタイムの決め手となるかもしれない広徳寺までのスタートダッシュでハセツネがはじまる。一昨年はきっちりお寺まで走りきり、昨年は走りきれずに途中で歩いた。走りきった一昨年は速すぎるパックに入って浅間峠まで無茶苦茶走らされたが、少し温存しようとした昨年は遅いパックに入ってしまって走りたいところも走れなかった。今年は一昨年と同じパターンでいきたい、そう思って広徳寺まではなんとか走りきってからトレイルに入ったのだが、ほんの少し進んだあたりのいつもは渋滞しないはずの登りでピタッと列が止まってしまった。一昨年蜂が出て複数の選手が刺された、道が二つに分かれているところが今年は一本道になってしまって人が詰まったのだ。人が流れるのを待ちながら、ここで優子さんやタケさんと一緒になったが、その後のシングルトラックですぐに離ればなれになった。タケさんの姿はこれ以降一度も見ることはなかった。

変電所の脇の下りで優子さんを抜き、また会いましょうと声を掛ける。調子は良くも悪くもない。強いて言えば、よくわからなかった。今熊神社の登りに差し掛かった頃、今度はサキちゃんと一緒になった。たしか私が追いついたのではなく追いつかれたんだったと思う。途中で私が岩場を使って何人もごぼう抜きし、私とサキちゃんの間にはたくさんの人が入りこんだ筈だったけれど結局またすぐに追いつかれた。彼女に前を譲って私は後ろを追ったが、この日の彼女は分水嶺のときの彼女と違ってレース仕様で、とてもじゃないけれどもう追いつけないし一緒の土俵で闘う相手ではないなと悟ってそのままその勇姿を見送った。重力を感じさせないあの登り方はタダモノではない。

一方、彼女の重力も引き受けてしまったかのように自分の体はめっぽう重い。入山峠には1時間10分くらいで着いたと思うが、ここから先が本当にきつかった。多分、初めてのハセツネでも浅間峠まで立ち止まることはなかった気がするのだが、今回は何度も何度も立ち止まっては息を整えた。途中でいろんな人から大丈夫ですかとか頑張ってとか声を掛けられ、その声の主のひとりは優子さんだった。いつだって脈がすぐにあがってしまうのは自覚していたが、今回は特に酷い。歩いているのに心臓がバクバクいっている。脚は大丈夫なのに呼吸がついてこない。
17:08、ようやく浅間峠に到着
ライトを点灯させようかと思う程度に日が傾いてきた。浅間峠に着く前にライトをつけたことはこれまでに一度もなかった。ちょっとしたアップダウンを気にせずゴリゴリ進み続けた一昨年の自分を今年の自分を重ねては情けなさが込み上げる。どうにか浅間峠に辿り着いて仲間の姿を見つけると、まだ第一CPだというのに泣けてきた。やっと浅間峠、しかしまだ浅間峠。昨年より約20分、一昨年より40分遅い到着だった。そこまで練習していなかったつもりもない、けれど勿論練習したと言えるほど練習したわけでもなかった。とはいえここまで遅くなるのも想定外だった。いろんなものが一気に崩れた。多分もう13時間を切ることも難しいだろうとこの時思った。

大分前に私を抜いた筈の優子さんがまだ浅間峠で休憩をしていた。ここでリタイヤだわー、と彼女に告げられ、私もトレラン人生初のリタイヤが今回のハセツネでもいいんじゃないかという迷いが生じた。「私もとりあえず休んで、少し考える。こんなきつい浅間は初めてだ」と私がいうと、優子さんは「私ももう少し考えよう・・」と答えた。私は優子さんがなんだかんだ言ってきっと先へ駒を進めるのだろうとどこかで期待していたのだけれど、目眩が止まらないからやっぱりリタイヤするといつもの明るい声がそう言った。

私は友人が闘いを止めなくてはならなくなる瞬間を目の当たりにすると、その人の代わりに何としてでもゴールしなくてはならないと思ってしまうようにできているらしい。今に始まったことじゃない。優子さんと固い握手を交わし、長めの休憩を終えて私は彼女の想いを勝手に背負うと月夜見を目指した。

水不足の昨年の教訓を踏まえ、今年は昨年より500mlほど多い2.2L程の水分を持った。1.8Lに塩梅水3袋を溶かしたもの+400mlのマツキヨオリジナルゼリードリンク。ゴクゴク飲むには足りないが、重すぎることもない適当な量だったと思う。浅間峠を出てしばらくはまだ調子が出ず、立ち止まっては休み、1ヶ所どこかで木にもたれて座り、ライトを消して目を閉じたりもした。気温は一向に下がらず、じっとしていても寒くないので、もうこのまま眠って休みたいと思ったりもしたが、そこまでの諦めもつかずに結局1分くらいで再び立ち上がって先を急いだ。もう自分がどこを走っていて次に登りがくるのか下りがくるのか全然わからないぐらいの適当な走り。でも次第に調子はあがってきた。例年以上にガスが出るのが早く、月夜見がまだまだ遠いうちからガスに覆われてハンドライトが必要になった。今回ヘッドライトは初投入のNao初号機と、ハンドライトはいつものGentos閃という構成だったがバッテリーの予備を持たなかった。ヘッドライトとハンドライトのどちらかが生き残るだろうから、金比羅尾根でいずれかの光量が減っても、いずれかのライトで下れるはずだと思っていた。しかしこんな手前からヘッドライトを使う羽目になるとは想定していなかったので、不安がよぎる。

昨年は水切れを起こして辛く長かった三頭山の登り。今回はいつも通りグイグイと人を抜きながら登り切ることができた。浅間峠で諦めなくてよかった。
21:18すぎ、ようやく月夜見に到着。途中でタイムは諦めていたし、今自分のタイムが早いのか遅いのかよくわからなかったし特に調べようともしなかった。仲間からは「まだサブ13いける!」と言われたけれど、感覚的にはまぁ無理だろうなとも思っていた。全然無理していないので顔色も良く、何と競っている訳でもなかったので気が楽だった。普通に楽しいなと思った。浅間峠でトイレに行ったので月夜見ではトイレをパスしてそのまま先へ進むことに。序盤で切れたスパッツのゴムが鬱陶しいので外したい外したいと思いながら、結局浅間峠でも外し忘れ、月夜見でも外さずにまたスタートしてしまったけれど、まぁまた途中で立ち止まって外すのも億劫なのでそのままにした。

水500mlとポカリ600mlをハイドレーションに、水を手元のフラスクに400ml入れてもらって水切れの不安もなくなった。フラスクには再び塩梅水を入れて少し濃い目のを美味しく飲んだ。塩梅水は飲みづらいように作られているらしいが、自分にとってはとても美味しくてついグイグイ飲んでしまってよくない。すこぶる元気な私は御前山もあっという間に登りきってしまい(何か別の小さなピークかなぐらいの感じで到着したら御前山だった)、あっけなく所謂「ラスボス」が終わった。あれれ?こんなんだっけ?これ終わったらもう大ダワで、大岳山で、金比羅で終わりだよねぇ?

御前山を慎重に下り、大ダワに着くとTop Speedとジェルを飲んで再び山へ。ヨッシャと自分を鼓舞しないと再スタートを切れない程に疲れてもいない。兎に角頑張っていない感じ。完全にマイペースで、相手が誰もいない感じだった。これはレースなのか?なんなのか。。。なんか一人でトレランしに来ているようなそんな感じだ・・

大岳山の登りも相変わらず普通で、走れるところは走りながら進んでいたが、サブ12.5とサブ13.5では人数がだいぶ違うようで、今回は自分の周りに人が多く、思うように走れなかった。かといって、積極的に抜こうという感じもないので、いよいよ遅くてストレスになる人だけ抜かせてもらってあとは適当に流していた。うーん、レースってこんな感じじゃないよなぁ。綾広の滝での給水は何人か順番待ちをしたが、もう先を急ぐ旅でもないので600mlくらい給水していった。もやもやしながらもどんどん調子は上がってゆき、長尾平手前の上り坂も脚がズンズン前に出てほとんど止まらずに走れた。うわぁ、なんだこれ!こんなに走れる脚があるなら最初から頼むよ!といっても後の祭り。ガスガスで景色のない日ノ出山山頂を過ぎると一気に金比羅尾根を駆け下りた。尾根にさしかかるとすぐにガスは切れ、ようやく姿を見せた夜景は相変わらず綺麗だった。ガスに遮られて遠方を照らしてくれなくなっていたNaoも、最後は不完全燃焼を払拭するかの如くに明るくトレイルを照らしてくれた。因みに、水は最後全部きれいに飲みきっていたので、綾広の滝で汲んでおいて正解だったみたいだ。
浅間峠のあの体たらくからしてみたら、ゴールできただけでも万々歳なのだけれど、それでも13時間半近いって一体なんだこれ。一昨年から一時間も遅いってなんなのだろう。昨年は最後にギリギリ12時間台に滑り込めるかと思ってコンクリートを爆走したけれど、今年はサブなんとかの境目でもなんでもなかったので淡々と降りてきただけだった。サキさんは一昨年12時間59分とかそれくらいで私よりタイムが遅かったにもかかわらず、今年のタイムは11時間19分という仕上がりっぷりだった。完敗だったなぁ。昨年私より遅いタイムでキタタンを走っていた人は今年のキタタンで優勝していて、今年のハセツネでは2位だった。いろんな人に抜かれていくのは、まるで努力不足を晒されているようで本当に恥ずかしいが、まぁ実際努力不足なのだ。私の年齢のせいではない。このスポーツに関して言えば、そこではないのだ。
Year
CP1
CP2
CP3
Goal
2014 3:52:404:15:358:08:154:11:5012:20:052:11:4314:31:48
2015 3:30:403:40:487:11:283:22:3210:34:001:48:0212:22:02
2016 3:49:314:15:048:04:353:14:3311:19:081:37:0612:56:14
2017 4:08:474:09:498:18:363:29:1611:47:521:36:3513:24:27

一昨年のブログを読めば、今回自分に何が欠けていたのかよくわかる。私はレース前に過去のブログをひととおり読んでしまって、ああ今年はダメだなと直観的に感じ取っていた。勿論一昨年は色々と天候などの条件も良く、他のメンバーもかなり良いタイムを出していたのも確かだ。でも一昨年の自分が書いた「最後の瞬間が最上級の感動に包まれるように願いながら、毎日積み重ねていた何か」が今年のハセツネにあったか?答えは自分が一番よくわかっている。このレースを最高のものにしたい、今年の大一番にしたい、そんな想いが足りていなかった。想いが足りないから練習に気合が入らない、そして満足のいく練習ができていないから本番で弱気になる、そして攻め込めない、進めない。心が大丈夫といってくれないから体が動けない、体が大丈夫だと証明してくれないから心も不安になるというこの悪循環。それでもどこかに闘争心は残っていて、体が追いついてくるはずもないのに想いだけが空回りをしていたのが浅間峠までの間の葛藤。その後追い込めればサブ13くらいはいけたのだろうと、後になってタイムを見るとそう思うけれど、追い込むだけのメンタルも脚もなくて結局ズルズル進んでしまった感じ。回を重ねるごとに順調に速くなっているのはCP3からゴールまでの区間だけというのがなんとも・・・

レースを終えて時間が経つにつれジワジワと襲ってくるこの後味の悪さ。私はこんなことのためにレースに出ているのではない。納得のいく走りができないのであれば、レースに出る意味がない。今回はちょっとそこまで考えさせられてしまった。上を目指せばきりがないのはわかっているけれど、でもせめて、自分にできる最大限の走りを本番で出せるように仕上げたい。そうすれば、あの一昨年のようなジワジワくる幸せな後味が楽しめると私は知っている。4度目のハセツネ、またしても新たな感情を呼び起こしやがった。畜生、大好きだ。

2016/10/10

20161009-10_第24回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

「私は去年ちょっと実力以上に速すぎました、今年調子が悪いのは完全に練習不足だと思います、おそらく調子に乗っていたんだと思います」第2CPの月夜見第二駐車場で給水を終えた直後、チームRun or DieのKMDに向かってこんなことを言ったと思う。認めたくはなかったけど認めざるを得なかった練習不足という理由。そう、きっと昨年は幻を見ていたんだろう。きちんと積み重ねたものがなければ、毎年毎年タイムを更新することなんてできないんだ。勿論、同じレースに繰り返し出ることでコースに慣れて速くなっていくことはあるだろうけれど、ある程度から先は、きちんとトレーニングを積み重ねなければ前の年と同じタイムでゴールすることでさえも難しくなっていく筈だ。きっと私の去年と今年の間に、その「ある程度」というポイントがあったのだろうなとぼんやり思った。

水と食料を補給して、仲間の声に励まされて後にした月夜見。体に必要なものが入ってきたからなのか、仲間に会えて精神的に救われたからなのか、自分のダメだった部分をきちんと認めて受け入れてわざわざ口に出して人に伝えて形にしたことで、情けないながらも楽になれたからなのか、はたまたその全てがあったからなのか、理由はわからない。ただ気付いた時には、女性ランナーの姿を見つけて咄嗟に「抜いてやる」と思えるようになっていた。

ああ、これ、この意識は自分だ。自分が戻ってきた。確かに私は今年練習不足だったかもしれないけど、そうでもなかった。そうでもなかったんだ!別に練習不足を誰か他人に咎められた訳でもなかったけれど、走れる自分が戻ってきたことで物凄く安心した。誰かに向かって、ほらね大丈夫でしょう?とでも言いたいくらいだった。さあ、こうなったらいけるところまでいこう。さっきまでは14時間を切るのも厳しいかと思っていたけれど、この自分が戻ってきた時点で、もう13時間台は手堅い気がした。

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そのとき私の周りには、脚が売り切れになり始めた人達や、元々のゴールタイムが14時間前後だろうと思われる人達が沢山走っていた。CP1からCP2までの間、私はその人達に抜かれ続けてきたけれど、今は違う。全員抜き返せる。すぐにどこかのパックに追い着くと、そのパックごとさっさと抜き去りたいのに、しばらく続くシングルトラックのせいでなかなか前に出られない。いちいちこうして前が詰まって走れずもどかしい。もっといける、でも周りとペースが合わない。今まで、どうしてこの人この期に及んでこんなに脚が残ってるんだろう??という人が自分の周りにいて不思議に思ったりすることがあったけれど、きっとこういうことだったんだろうなと妙に納得してしまった。どこかでトラブルがあったり力が出せない理由があって、偶々順位が極端に落ちてしまった人が、無駄に温存してしまった脚を持て余して後半でブチかましていたのだろう。そして今回は完全に自分がそちら側の人だった。

御前山の長い登りに差し掛かるも、自分が元気すぎて案の定あっという間に山頂に辿り着いてしまう。御前山からのガレた下りをこなし、大ダワではアキちゃんがスタート前にわけてくれたういろうを頬張って、その後間髪入れず一気にTop Speedを飲み込んだ。大岳山からは走れる区間が多くて、昨年はかなりずっと走っていた記憶だったのだけれど、今年は坂道を上り続けるような練習をあまりしていなかったので、ところどころ休みながら(自分の感覚では昨年よりも走れなかった印象で)進む。但し、結果的には去年より区間タイムは速かったので、人の感覚なんて曖昧なものだなと思い知らされる。

綾広の滝の水場で喉を潤した後ぐらいだったか、見たことのある真っ赤なウェアの男性が前を走るのが見えた。前半三頭山で私を抜き去った友人に、再び追いついたのだった。彼もとても速いランナーなので、追いつけたことは本当に嬉しかった。そこから少し喋りながら並走していたが、暫くするとゆるい上り坂で置いていかれてしまった。私はというと、今回新たに導入したGentosのヘッドライト(300lm)の明かりが次第に暗くなってきたのを感じて、CP3で電池の交換をすることにした。最後の金毘羅尾根はヘッドライトの明るさ不足など気にせず全力で進みたいと思ったからだ。(おそらくここで電池の交換をしていなければもう1人女性ランナーを抜くことができて、来年の招待選手枠に入れただろうと思うのだが、後の祭りだ。)

脚はどこも痛くなく、疲労もなく、空腹をしのぐだけの食料も残っていた。荷物も重くなく、水は豊富にあり、好きなだけ飲めた。日ノ出山では相変わらず素晴らしい夜景が広がっていて、私は確かここで浅間峠からずっと出しっ放しにしていたストックを1本畳んだのだったと思う。過去のハセツネのこの区間で出会った人達との会話のことを思い出したりなんかしながら走っていた。あの時は14時間半以上かかってゴールして、その後ぜんぜん物が食べられない程ぐったりしていたんだっけなぁ、と。

ハセツネは「⚪︎km地点」というような表記が少ない気がするのだが、最後になって残り5kmの看板が現れた。おお、もうあと5kmか。その時点で何時だったかは覚えていないが、残り2kmの看板が出てきた時点ではサブ13まであと14分だった。まだ微妙に山の中にいるし、ひょっとしたら間に合わないかもしれないけれど、ここまできたら死ぬ気で12時間台に滑りこんでやろう、そう思って最後は本当に気が狂ったように猛スピードで走った。今年はログをとらなかったので、最後どれくらいのスピードだったかはわからないけれど、瞬間的にはキロ3分半とかは出ていたかもしれない。

結果は12時間56分14秒、女子21位。浅間峠から月夜見までに抜かれた11人のうち、9人は抜き返したようだった。10人抜かれて10人抜いたかなと思っていたけれど、、、だいたい記憶は合っていたようだ。応援部隊が想像していたよりも早くゴールしてしまったようで、ゴールシーンは誰にも見てもらえなかったwそして以下は昨年のタイムとの比較。

Year
CP1
CP2
CP3
Goal
2015 3:30:403:40:487:11:283:22:3210:34:001:48:0212:22:02
2016 3:49:314:15:048:04:353:14:3311:19:081:37:0612:56:14

比較してわかる通り、CP1までは少し抑えようとした結果周りのペースに飲まれて遅くなりすぎ。その後具合悪くなり失速して大幅にタイムを落とす(昨年より35分近くかかっている)。CP2で復活を遂げてそこから先は昨年よりも速いペースでゴールまで突っ走れたという感じ。とてもわかりやすい・・・
昨年三頭山付近でトレインを組んだナガイくんは月夜見でDNFとなったとのことで、すでにゴール地点にいた。全然ダメだった、辛かった、と言っていたけれど、その気持ちはとてもとてもよくわかった。去年12時間台でゴールしていて、スタート前調子が悪そうでもなかった彼が、そこまで辛いと感じてリタイヤしたということは、私と同じように辛い区間を過ごしたであろうということは容易に想像ができた。

あとになって改めて、三頭山の上りのあのつらさはなんだったのだろうと考えてみると、矢張り脱水が一番の原因だったのではないかなと思う。普段食べているのと同じだけ食べていて、これまでにハンガーノックになったことがなかったので、今回だけハンガーノックになるとは考えにくかった。仮にハンガーノックだったとすれば、レース前に食べたもののカロリーが不足していて、体内の蓄えがいつもより少なかったかもしれないということぐらいだ。しかしハンガーノックも脱水も、いずれも私は経験したことがなかったから、自分の体に何が起きているのかわからなかったし、結局のところ何が真の理由なのかについての答えは闇の中だ。ふらふらして貧血のようになったし、走ろう・登ろう・抜こう・進もうといった意思が消えて無気力になった瞬間があったのが印象的だった。
私は山を始めて半年くらいの頃に友人と2名で遭難未遂をしたのだけれど、あまり水のない状態でビバークし、夜が明けて暫く進んだあとルートファインディング役を私が交代した。あとになって友人に話を聞くと、朦朧として先に進む気力が失せていたしよくわからなくなってきていたと言う。今回の自分の状況とあまりにも似ているし、あれはきっと脱水だったのだろう。もちろんその時も食料は不足していたし、ハンガーノックもあったかもしれない。でももしかしたらハンガーノックよりも脱水の方が辛いのかもしれないという気もする。あと、これは想像でしかないのだけれど、脱水状態を抜け出すには当然水を飲むことが必要で、しかし飲んでしまいさえすれば案外あっという間に回復するような気がする。

一度折れた心でも、どうにか戻すことはできる。但し、そこには折れた心を戻そうとする意思や気力が必要で、それさえも失われてしまえばもう折れたまま戻ることはない。それから、折れた心のまま進み続けなければいけない状況がどれほどしんどいか、実際に経験してみて初めて知った。2013年、とてもしんどくて最後は全然走れずに歩いて終わったハセツネ。2014年、応援側から見てみていろんな闘い方があるのだと知ったハセツネ。2015年、思い通りに走れた夢のようなハセツネ。そして2016年、これまで見たことも経験したこともないような自分に出会ってそれにどうにか立ち向かい、対処し、まとめたハセツネ。出会ってから4度目、出場して3度目のハセツネとなったが、二度として同じハセツネは無かった。まったく同じコースを走らせているのに、毎回色々な姿で魅了するこのレースに、10回・20回と出場して完走している人がいるというのもなんだか分かるような気がした。やっぱりこのレース、楽しいんだよ。
コース上では誰とも会わなかったけれど、いつも心は繋がっている。
今回チームフラッグを持ってこなかったのだが、山と道ミニマリストパッドを掲げたところに
後日、ひらどんがロゴをぶち込んでフラッグ風にwナイスアイディア!
私にういろうをくれたアキちゃんは、初のハセツネをサブ16で完走した。その後ぐったりして横になっている姿を見て、まるで数年前に初ハセツネを走った自分を見ているかのようだった。ただ走っているだけなのに、気持ちよくなったり悪くなったり、興奮したり落ち込んだり、実に不思議なものだなぁ。未だ見ぬ感覚を求めて、きっと私はこれからもこのレースに出続けるだろう。

夜通し応援してくれたチームの皆、そして一緒に走ってくれた仲間、ありがとう!

20161009-10_第24回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

どうして走れないんだろう。どうしてだ。
なんで?なんなの?どうしてなの?

みんながどんどん抜いてゆく。私を置いて、黙々と山を登ってゆく。

私は少し進んでは立ち止まり、またちょっと進んでは脇へよけて休んだ。辺りを覆う濃い霧の中に消えてしまいたいくらい恥ずかしくて、こんな自分の姿は誰にも見られたくなかった。情けなくて仕方がなくて、脇へよける度にヘッデンを消した。乱れた息を整える振りをしながらぽろぽろと涙をこぼし、どさくさ紛れに鼻をすすった。泣いているのを隣で休んでいる人に気付かれそうになるとそっと逃げた。

まるで何らかの辱めを受けているようだった。屈辱的だった。逃げ出したかった。
けれど逃げ出さなかった。辱めだと思っていたものは全然辱めなんかではなかった。

ハセツネというレースが両腕を広げて、大きな愛で私を受け止めてくれたんだと思う。甘やかさず、叱らず、自分で考えなさいと聡いやり方で私を育ててくれた。終わってみて、より一層このレースに対する想いが深まっているのが、何よりの証拠だ。

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9月下旬、私は初めての100マイルレースとなるUTMFにエントリーしていた。40時間程かけて169kmを走るはずだったこのレースは、悪天候のため44kmに短縮となってしまった(エントリーフィー36000円だったのに!w)。翌日、緊急措置として走らせて貰ったSTYも72km→17kmに短縮となり、使わなくなってしまった大量のエネルギージェルの在庫が家に残された。最早ハセツネ用として買い足すものもないし、もう三度目の参戦だからコースもわかっている。大して事前準備に時間はかからないだろうと高を括り、直前までほとんど準備をしていなかった今年のハセツネ。とはいえ、使おうと思っていたザックに自分の持っているストックを付けようとすると仕舞い寸が長すぎて付けられないとか、そもそもストックをつける機構が無いとか、やれアレが見つからないとか、やれヘッデンの電池はエネループじゃなくて乾電池の方が良さそうだけど乾電池の在庫切らしているとかでレース前日はそれなりにバタつく。しかもパッキングが出来てからもなんやかんや時間を食ってしまった。土曜日まるまるお休みだったにもかかわらず、結局睡眠時間は3時間くらいという・・・
過去2回はUltrAspireのomegaを使っていたけれど、今回はUltimate DirectionのAK vestに。
シューズは3回ともinov8のTrailroc255、ストックはこのために調達したニューアイテム、
ヘリテイジのULトレイルポール。
武蔵五日市駅7:34着の電車で仲間達数名と一緒に現地入り。そして外は雨。例年通り、駅前のコンビニで買い物をして会場入りすると、体育館の奥の方に敷物を広げて人数分弱程度の場所を確保する。受付を済ませ、ゼッケンやICタグ、ハイドレーションの準備などを一通り済ませてから朝食をとり、一旦横になって一時間ほど仮眠。ガヤガヤしているのでそんなに熟睡できるものでもないけれど、体力の無駄使いを控えつつスタート時刻が来るのを待つ。雨は一度本降りとなり、体育館には激しい雨音が鳴り響いていたが、予報通り昼には止み、曇り空の下でのスタートとなった。
昨年のタイムは12時間22分。昨年の時点でもう少しいけると思ったこともあり、今年の目標タイムは11時間半としていた。ちょっと無理かもしれないけどもしかしたら手が届くかもしれない、そして手が届いたらいいな、という少し欲張りな目標。スタート直前に応援部隊の某氏に目標タイムを聞かれ、躊躇いがちに答えてはみたものの、嗚呼言っちゃった、どうしよう、でも口にしたから叶うかな?という感じでスタートの列に並ぶ。レースってのは何回出てもやっぱり緊張するものだ。
スタート時は毎度テンション高めw
トレイルに入ってからの渋滞をできる限り回避するため、スタート地点から広徳寺までの舗装路は目一杯ダッシュするのが掟。去年はどうにかトレイルに入るまで足を休めず走り切ったのだが、今年はあとちょっとのところで力尽きた。去年、CP1の浅間峠までは兎に角死ぬ気でいけと言われて死ぬ気で行ったら3時間半で到着してしまったのだが、これは自分の目標タイムから計算するとちょっと早すぎていた。今年は序盤にそこまで頑張らなくていいだろうし、その方が後半もっといいパフォーマンスが出せるかもしれないなという思いがあった。とはいうものの、蓋を開けてみると矢張り目一杯ダッシュした時に自分の周りを固めるメンバーと、ダッシュしなかった場合のメンバーとでは全体的なペースがまるで違って、想像以上に列が詰まりヤキモキさせられる。自ら「序盤、去年よりも少しだけ温存しよう」と決めていったのに、想像以上にのんびりになってしまったことで心が乱された。変電所を過ぎ舗装路が終わって、今熊神社の登りを進んでいると、すぐ後ろでハァハァと息をあげる女性がいて、振り返ると、あらゆるレースで入賞しているベテラントレイルランナーの野間陽子さんだった。私は息が上がるのがすごく早いのだが、こんなに強い人でもこんなに息が上がるんだなということに何故か少し安心感を抱いた。当然ながらあっという間に抜かれ、抜かれたと思った直後に彼女はするすると10人くらいごぼう抜きにしていき、一瞬で見えなくなってしまった。

1:05くらいで入山峠に到着。去年よりは少し遅いけれど許容範囲。流れに合わせつつ、抜けるところは抜きつつでその先もまろやかに進んで行く。明らかに去年より遅いペースなのに汗が止まらない。物凄く暑いというわけではないのだが、午前中降っていた雨のせいか湿度は異常なまでに高いのがわかる。暑いのだろうけれど、あまり暑さを主張してこないとでも言うべきか。これがジワジワと体力を奪っているということにこの時は気付ける筈もなかったのだが。

ただただ喉を潤し続けておきたいという感じだったので、一度に飲むのはハイドレーションの管の部分だけと決めてチビチビ飲む。管の中の水は外気に晒されて冷たくなっているので、ぬるいところが出てきたら飲むのを止める。私が持った水分は、麦茶が1.3Lと、マツモトキヨシオリジナルのゼリードリンク(ウィダーインみたいな感じ)をボトルに詰め替えたもの0.5L強の合計1.8L。去年も同じだけ持ったのだが、月夜見CP到着時に0.3Lほど余っていたと自分でブログに書いていたので、時期の違いや気温差などを考慮しても同じだけ持てば足りなくなることはないだろうと思った。不安だからといって多めに持つことは簡単だが、持ちすぎても体力を削られるしタイムに響く。

醍醐丸を過ぎた頃だったかその手前だったか、荷物に押されてパンパンになったハイドレーションから伝わる反発がないことにふと違和感を覚えた。意識を背中に移すと、確かにザックの背面はしっとりと体になじんでいるのが解る。おそるおそる腰のあたりからザックの背面に手を入れて触ると、トロンとして張りがない。この圧の無さは・・・信じたくはない、けれどひょっとしたらひょっとするのか。いやどうなんだ?気のせいか?
3時間49分で浅間峠に到着。
仲間内で最も早く到着したタケさんは既に浅間峠を出発していた。
私の後ろもだいぶ離れていたので、誰とも会えず。
本当は3時間40-45分で到着したかった浅間峠、実際の所要時間は3時間49分だった。こんな僅かな違いでも、積み重なれば大きな違いになってくるということは自分が一番よくわかっているので地味に焦る。応援に来てくれた仲間に一言かけてまずはトイレ。続けてジェルの入れ替え、ポールやヘッデンの準備とタスクをこなしてゆく。そして一番確認しなければならないこと、でも一番知りたくないことを確認する。ハイドレーションを目視すると明らかにもう半分以上の麦茶がなくなっているのが判った。ボトルに入れたゼリードリンクももう残り200mlを切っている。どんなに多く見積もっても両方合わせた水分量は800ml、サブ12のペースで駒を進められたとしても補給ポイントまであと3時間半はかかる計算だ。その間、レース最高地点である三頭山(P1531)もある。もうじき日が暮れて涼しくなり、水分摂取は少なくなると判ってはいても、好きに水が飲めるという状況でないのは明らかだった。10分くらいの休憩ののちに浅間峠を後にしたが、気にしなければならないことがひとつ増えてしまったということそれ自体が私に大きなダメージを与えた。ここからは頭脳戦になるのかもしれないと思った。

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西原峠までの細かいアップダウンではストックを使って脚を温存しながら進む。毎時00分にジェルをとり、30分にアミノバイタルを飲むようにしていたのだが、18時半にアミノバイタルを飲んで麦茶で流し込もうとした時が最後の麦茶だった。残された水分は100ml程度のゼリードリンクだけとなった。手元のタイム表を見ると、サブ12ペースで浅間峠〜西原峠は1時間半程とあるが、麦茶がなくなった時はまだ西原峠に到達していなかった気がする。おかしいな、いつまで経っても三頭山の登りが現れない。西原峠で固形物を補給しようとしていたので早く着いて食べたいなぁと思っていたが、なかなか着かないので食べられない。痺れを切らしてフライング気味にグミを頬張り、もぐもぐしながら進む。ようやく現れた西原峠で残っていたグミを更に口に放り込むと三頭山にとりついた。しかしどうだろう、別にそこまで暑くもない、具合が悪いわけでもない、なのにどういうわけか進めないし進まない。

調子おかしいかな?
おかしいのかな?
いや、おかしいな。
おかしいよな・・・

私は結構本番に強くて、普段出せないような力が本番で出せる傾向があるということを自覚していた。信じられないほど頑張れたりすることも結構多くて、無理かなと思っていても大抵出来てしまった。でも今はまるでその逆で、できる筈のことができない。去年より走力が上がっているかどうかはわからないけれど、著しく下がっているということもない筈だった。なのに、登れない。浅間峠から西原峠間の細かなアップダウンでも感じていたのだが、下りはそれなりに走れるのに登りが辛いのだ。三頭山の登りが現れて、ダウンがなくなりアップのみになった途端、本当に全然進めなくなってしまった。

ほら、8月は山には登っていたけれど、ほとんど走らなかったじゃん。
8月下旬〜9月の頭にかけて行った夏休みの大雪山縦走は、結局台風にやられて3日も避難小屋に停滞して運動できなかったじゃん。
UTMFがハセツネ直前にあって、脚がいい具合に熟成すると思っていたけれど、結局距離短縮になってしまったからあんまり走っていないしね。
去年より体重も増えてるし体脂肪率も上がっている。
ハムストリングも相変わらず違和感あるままでしょう。直前に追い込みすぎなんだよ。限度ってものがあるだろう。
サブ11.5が目標ですなんて言ってたけど、去年の方が走り込んでいたし、大体からしてサブ11.5を達成する為に具体的になにかした訳でもないのだから、速くなるなんてことはあり得ないんだよ。
大体、浅間峠までのタイムが去年より20分も遅いのに、去年よりも50分も早くゴールしようなんてもう無謀なわけよ。

とにかくツライ。ぼんやりした頭が、なんでこんなにツライんだろうかとその理由に思いを巡らせる。もう一人の私が、ほらお前今年こんなだったじゃんか、ツライに決まっているだろう、調子乗ってたんだよ、ハセツネ甘く見るなよと罵る。怒られて悲しくなってくる。脚はますます動かず、登れないし進めない。息が上がってすぐ止まる。ナニクソと堪えながら顔を歪めてゴリゴリ登るいつもの私はどこかへ消えて居なくなってしまった。ネガティブをお団子にして握りしめたような醜くて情けない大きなカタマリは、幾度となく立ち止まり、腰を下ろした。これまで走ってきたハセツネで、CPや山頂などの場所以外で途中で腰を下ろしたのは初めてだった。体が動かないのは明らかだったしそのこと自体は受け入れなければならないと思ったけれど、何よりも衝撃的で受け入れ難かったのは、兎に角「負けないぞ」「登るぞ」「もっと頑張ろう」というような私の中のアグレッシブな思いがきれいさっぱり消えてしまったことだった。気持ちがなくなるってこんなに辛いものなのか。何のトラブルもないのに気持ちが折れてリタイヤする人の気持ちなんてほとんど解らなかったのだけれど、実際に自分がこうなってみてようやく少しわかった気がした。

こんな筈じゃない。けど、私なんか結局こんな程度なのかも知れない。段々頭が働かなくなってきた。私は浅間峠を女子19位で通過していたようだが、ここからじゃんじゃん抜かれて月夜見では30位まで順位を落とした。参加人数の少ない女子の、しかもボリュームゾーンより速い12時間前後のタイムの人達に10人抜かれるというのは相当のことだ。このレースに限らず、ほんの数時間の間にこんなに一気に抜かれたことはおそらくなかったと思う。もう順位も、タイムも、何も狙うものは無くなっただろう。悔しいけれど、完走だけはしよう、と気持ちを切り替えてじりじりと進み、やっとのことで三頭山の山頂に着いた。月夜見に20時に着くことができればサブ12は手堅いと思っていたけれど、山頂の時点で既に20時近かった気がする(たぶん)。

去年、一緒に三頭山の登りからトレインを組んで暫く一緒だったナガイくんは今どこを走っているだろう。そういえばここでナガイくんは足を捻ったんだっけ、と思い出して慎重に足を置く。登りは完全にダメになっていたけれど、下りは割と普通に走れたのでマイペースに進んでいった。あんまり飛ばして喉が渇いてしまっても水もないので控えめに行くことにした。

CP2の月夜見に近付き、一旦道路に出されてから再びトレイルに戻り、また道路に出てくるとようやくCPの大きな明かりが見えてきた。水を求め、そして会える筈の仲間を求めて必死に走る。去年ここを走った時のあの余裕は一体どこへいってしまったのか。こんな時間になってここに到着するなんて、と思ったら本当に情けなく、恥ずかしくて、もうサブ11.5なんて言うんじゃなかったなー格好悪すぎるなーという気持ちと、もっと根源的な安堵感とが入り混じってぐちゃぐちゃになった。応援に来ていたJackieboyslimの顔を見て、全然走れないんだよ、と口にした途端、堰を切ったように涙が出てきた。つらかった。ひとまずハイドレーションに500mlずつの水とポカリスウェット、ボトルに水500mlの水を注いで貰い、腰を下ろして休憩。ボトルの水を思わずその場で一気飲みすると、いつも通り補給食の入れ替え作業に取り掛かった。
黙々と補給
コバちゃんと私の、補給についての一問一答が暫く続いた。

コバ「ちゃんと食べてるのか?」
ヤスヨ「食べてる」
コ「何食べてるの?」
ヤ「ジェルをコンスタントにいつも通り食べてる」
コ「ペースは?」
ヤ「1時間に1本、メダリストとかを(1本105kcal程度)」
コ「少なすぎだよ!ハンガーノックだろ、まとめてジェル何本か食え」
ヤ「いつもと同じ量だし、ハンガーノックになったこともないし、ジェル以外にグミとかも食べてる」
コ「とにかく食え」
ヤ「今そんなに食べたら後半食べるものなくなっちゃう」
コ「いいから食え!(怒)」

こちらは精神的にだいぶやられているので、怒られて若干泣きそうだった(※コバちゃんは年下です)。とりあえず唯一カフェインの入ったレモン味のマグオンを飲む。初めて飲むのでどんな味だろうとちょっと楽しみにしていたのだが、夢中で摂取したので味の記憶が全然ない。私の固形物袋を眺め、羊羹食え羊羹!と指示を出すコバちゃん。言われるがままにチョコ味のえいようかんを頬張る私(これも初めて食べた。結構美味しかったけれど羊羹ぽい弾力感はなかったなぁ)。さらにグミを半袋くらい食べてからトイレへ行くと、いよいよ月夜見を立ち去る瞬間が近付いてきたのを感じる。ここ数時間眠り呆けていた、私の体の中の私の魂が、この時やっとほんの少しだけ目を醒ましてくれたのかもしれない、と今になって思う。仲間が起こしてくれたんだ。少しでもボタンを掛け違えていたら、きっとこのブログはここで終わって、後編は無かっただろう。

幸いにして、後編へ続く

2015/11/03

20151031-1101_第23回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

調子はどうだと応援部隊のジャッキーに聞かれ、興奮気味に「悪くない。悪くないよ」と答えながら給水した大休憩ポイント・月夜見CPを出発する。調子はすこぶる良かったけれど、goodというよりも、なんだかnot badとでも言いたい気分だった。少しぐらいは調子悪かったり、疲れていたりすると思っていたんだけどね、どこも悪いポイントが見つからないんだよ?というニュアンスだったのだけれど、そんなのは絶対伝わっていないw
フォグフィルターを付けたハンドライトで照らすトレイルの圧倒的な見えやすさに驚愕しながら勢い良く下りをかっ飛ばしたあとの登りはとうとうラスボス御前山。月夜見から御前山山頂までの目標タイムは1時間05分、時間にしてみればそれほど長い登りではないけれど、登山地図のCTだと2時間もある、割と長大な登りだ。月夜見でもしゃもしゃと食べたグミなどの固形物はこの登りに備えた補給だった。胃がまったくやられていなかったのは今回の圧倒的な強みだ。

登り始めてしまうと案外あっけなく、やはり自分は登りに強いのだなと思い知らされる。決して速くはない、けれども一切止まらない。止まらないとできない用事があるとき以外は一瞬たりとも止まらない。ひたすら登って登って登り続け、予定通りに御前山山頂に到着した。この山頂はなだらかすぎて山頂感のない山頂だなといつも思うんだよなぁ。ベンチを尻目に特に休憩もせずガレた下りを30分ほど進むと大ダワに到着した。後ろにいる仲間から追いつかれず、前にいる仲間に追いつかぬのなら、もう完全にここからは一人旅だ。追いつかれる可能性は勿論あったが、追いつく可能性はゼロに等しかった。

大ダワはCPではないので、仲間は応援にきていない。しかし大きなリタイヤポイントなので、救護班やボランティアスタッフが多数待機している。一昨年ハセツネに出た時は、このポイントはもっともっと自分にとってドラマティックで、そして肉体的にもキツくて、まだあと20kmもあるのかと精神的にも多少ガックリきていた気がするが、今年は全然違った。時間もまだ22時を少しまわったぐらいだったと思うし、まだまだ日が変わる前だし深夜っていうほど深夜でもないよねーという気持ちの余裕もあった。それに、前回はここからまたひとつ山を登らなくてはならないというイメージだったけれど今回は違う。ここからは「走れるセクション」らしいじゃん?という感じだった。

そう、私はレース直前に、大ダワから大岳山の間は走れると聞かされてきた。道のつき方を地形図で全部見ている訳でもなければ、行ったことがあるからと言ってどんなルートだったか逐一記憶している訳でもないので、山ひとつ越えるっていうのに本当に走れるのかよ、、、と半信半疑だったが、蓋を開けてみたら確かに走れた。私は一昨年このセクションで一体何を苦労していたんだろう?と少し不思議になるくらいフラットなセクションが多く、長いこと走り続けていた。スピードが出せるほど脚が元気な訳でもないのでただただ淡々と歩みを進めるのみではあったけれども、歩くことはあまりしなかった。これが練習の成果というやつなのかもしれない、緩やかな登りは気にせず走った。多少アップダウンがあっても、フラットなんだと脳内変換して走り続けた。しかし長尾平手前の水場に辿り着くと’、つい普通の登山の時のようにのんびり一本入れそうになってしまった。山の水を飲んだ方が元気になるしねーと自分に言い訳をしながら水を飲んでいると、後ろから女性が追い上げてきて一気に抜かれてしまった。嗚呼・・・しかも追いつかない。速い。。。

長尾平到着は23時34分、はじめの貯金を残したままだった。ここからゴールまでの目標タイムは1時間53分、サブ13?いやいやこれは上方修正してサブ12.5狙うべきなんじゃないか?というか・・・上方修正かけるのが遅すぎたなぁ。もっと早く気付いていればサブ12も射程圏内に入ってきていただろうけれど、後の祭り。とりあえず何もなければ普通に12.5は切れそうだったので、きちんと補給して、ロストをせず、足を捻ることなく下ることを心がけた。

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最後の登りともいえる日ノ出山を登りきると、相変わらずの美しい夜景が目に飛び込んでくる。前回のハセツネのことがいろいろと思い出されたけれど、とにかく前回は本当に疲れていたなぁという印象で、それと比べて今回は本当に元気だなとしみじみした。これならきっと最後まで走れるなぁという漠然とした期待。しかしもっとかっとばせるかと思いきや案外そうでもなかったのは自分の力不足なのか、はたまた得意な角度ではなかったのか、石ころの具合が好みではないのか。奥久慈のラストの方がよほど走れたしスピードに乗れたなぁという印象。それでもなんとか走っていると、あっと思った次の瞬間に滑って転んで尻もちついて、右尻に激しい痛みが。

こ・ん・な・と・こ・ろ・で(怒)

もうあと少しなのに!尻もちをついた場所に丁度鋭く尖った岩があったようで、そこにお尻を打ち付けてしまった。切れていないか?流血はないか?前後には誰もいなくて、ひとりでうずくまること暫し。切り傷というほどの外傷ではなく激しめの擦過傷だったのでとりあえず気付かないフリをして進む。痛い、けれどもあと少し。

下りに強い人が次第に追い上げてくる。やはり12時間台のゴールを目指す人に、金毘羅尾根で脚が死んでいるような人は誰もいない。そして私の脚はというと、死んでないけれどもそんなに速くまわりもしない。そしてまたひとり女性がやってきて、抜かれてしまった。また順位が落ちた・・・けれどまったく追いつけないから実力の差だわねーと思って諦めて見送る。みんな強い。

あまり最後の方の記憶が無いのだけれど、最後の00分の補給だけは(また女性に抜かれると悔しいので)すっ飛ばし、そうこうしているうちにあと2kmの看板が現れた。もうじき最後の激下りアスファルトになるなーと思っているとすぐアスファルトセクションが現れたが、それでも私の脚は止まらずに動き続けてくれた。ここ、前は脚が痛くて全然走れなかったんだよなぁ、よく走れるようになったなぁ、と自分の成長を噛み締めながら駆け下りていく。なんか、あれだな、もう終わりか。あっという間だったな。本当に72kmも走ったのかな私?サブ13なんて宣言したからには有言実行したくて、でも不安はあった。やっぱりできないんじゃないかとか、なんだかんだ言ってやっぱりハセツネは難しかった、って、14時間くらいにしかならなくて全然タイム縮まらないっていう展開だってあり得ると思った。でも今これさ、13時間どころか12.5時間切ってるじゃんね。切れるの確定したよね。もう少し突っ込めたかもしれないって今は思うけど、それでもよく頑張ったよ。私が私とダベりながら、ハセツネの最後の1kmを進んでいた。後ろから何人も男性が爆走してきて抜かされて、それでもなんだかもう色々嬉しくてニコニコと笑っていた。コケたし、怪我もしたし、仲間が脱落して心的ダメージを受けたりもしたし、それでも今回心から思うのは、自分のレースができたということ。under controlという言葉が相応しい。思い通りだった。

最後の50mほどをダッシュで駆け抜けるとそこは見知ったあのゴールだった。12時間22分02秒、ポールを2本並べて両手で握って頭の上に掲げ、「あ"ーーーーー!」と絶叫して私の2015年のハセツネは終わった。うるさいw
私が途中で追い抜いたチームメイトには最後まで結局抜き返されなかったけれど、抜いた3人は12時間46分〜55分の間に固まっていたのだから、接戦だったと言えるだろう。
私と25分差程で入って来たジムさんと豚汁(ふたりとも2杯目)。
胃がまったくやられていないのでお腹がすいて仕方がない
photo by Jackieboyslim
お風呂に行くバスも出ていたのだが結局多分誰もお風呂に行かなかった気がする(いつも混みすぎていてお風呂が大変なことになっているので懲りたのかも・・・)。汗拭きシートで体を拭いて着替え、ゴールした仲間達とレースの話をしながら寝袋に入りつつ朝を待つ。興奮のためか眠気はなかった。
身内の最終ランナーは16時間半でゴール。疲れと寒さでついつい体育館に居座ってしまい、誰のゴールも見届けられなかったのが心残り・・・
帰ってしまったメンバーもいたけれど、残っていた仲間で集合写真!みなさんお疲れ様でした!
photo by fuusora-san
ネットのハセツネ速報を見てみると、どうやら年代別で入賞している模様。表彰式は9時からとのことでかなりまだ時間があるけれど、、、やっぱりハセツネの表彰台なんてそうそう立てるものじゃないし立ちたい!!というわけで、時間潰しでアキラさん&ジャッキーと牛丼食べに行ってから再びジャッキーと会場へ戻って表彰式。
1位と2位が帰ってしまってちょっと寂しい感じになってしまったけれど、
だからといって台に乗せて貰えるわけではないw photo by Jackieboyslim
うれしいもんはうれしい。
私にとって今年は、本当の意味でのトレラン元年だったように思う。練習量が増えていたので回復に時間がかかると次のトレーニングができなくなるし、筋肉痛が出ると練習意欲がなくなるからその予防のために6月末くらいからほぼ毎日プロテインを飲んでいた。夕飯を家で食べるときや飲み会などでは炭水化物を摂るのは控え、代わりにできるだけタンパク質を摂るようにした。別に体重も体脂肪も減らなかったけど。また、山に行く頻度が高いとパッキングが早くなって持ち物も行動も無駄がなくなり、前回こうだったから次はこうしようといったようにディテールがブラッシュアップされていくのと同じように、レースに出る頻度を高くしたことで、私の中でのレース対策のノウハウがある程度集中的に蓄積されたように思う。自分がレース中にどんなところにストレスを受けて、どんなときに疲労が溜まって、といったクセも少しずつわかってきた。そして、トレランの先輩方から練習方法や走り方をこの半年間にたくさん落とし込んでもらった。更に今回はレース展開やコツについてもたくさんアドバイスを頂いた。勿論これまでにも先輩方からたくさんアドバイスは受けてきたのだけれど、おそらく私がそれを消化しきれなかったというか、そのアドバイスを受けて活かせるほどの力が私に備わっていなかったのだろうと思う。半年間、自分なりの試行錯誤で人体実験的に(そこまでストイックにやってはいないけど)面白がりながら、そしてお酒をじゃんじゃん飲みながら鍛えてきたけれど、こうして今年最後のビッグレースで大輪の花を咲かせられたことは純粋に嬉しいとしか言いようがない。これからまた来季にかけて練習を続けていけるのかは甚だ疑問ではあるけれど、ひとつ言えるのは、練習すれば誰でも速くなれるということだ。ただ、練習できるかどうかが分岐点であるように思う。とりあえず来年もしハセツネに出るのならサブ12は確実に狙いたい。でもそれはきっと今回の私にとってのサブ13と同じくらい、ぬるめの目標のようにも思うので、もっと追い込むのならサブ11.5を狙うべきかもしれない。いやいや、私は一体どこに向かっているのか・・・(いきなり全然走らなくなる可能性も大いにあるw)

というわけで、距離が縮んでしまった春と夏のレースの不完全燃焼感は解消されたものの、心の支えにしていたハセツネという大舞台が終わってしまったことで少し切なさの増した秋の夜半。そういえば月がとっても綺麗だったな。

最後に、孤独なレースを支えてくれた仲間達には感謝してもしきれません。寒い中スタートからゴールまで本当にありがとうございました。チームっていいよね。ていうか、うちのチーム最高でしょう?
浅間峠の応援を終えて下山する一行。次は月夜見へ。すべてのCPに応援部隊がいてくれるのは本当に心強い!
photo by Jackieboyslim
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おまけ。
レース48時間前からは恒例のカーボローディング。カーボローディングという名前にかこつけて兎に角食べまくる訳なのだが、今回のメニューはこんな感じだった。よく食べたなぁ。
【木曜昼】(外食)カオマンガイ大盛【木曜夜】(家食)アスパラガスのパスタ大量【金曜朝】忘れたけど多分プロテイン+豆乳?【金曜昼】(外食)バターチキンマサラカレー・ナン食べ放題(2枚)【金曜夜】(外食)神田わいずのたまごラーメン大盛り+小ライス

因みに会場に到着してからもずっとゼリードリンクやらメロンパンやらおにぎりやらゆで卵やらチーズやら、途切れることなくエネルギーを摂り続けていた。胃が丈夫だと体内ストレージにカロリー詰め込めるから、持って行くエネルギー量減らせるし食べるのにかかる時間も節約できるし一石二鳥だな。健康って素晴らしいw
大好きです。

2015/10/31

20151031-1101_第23回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

本当に私は71.5kmを走ったのだろうか?もうハセツネは終わってしまったのだろうか。いまだに少し実感が湧かず、良い結果が出せて嬉しいような、それでいて心に大きな穴が開いてしまったような。the party is overとでも表現しておこうか。

最後の瞬間が最上級の感動に包まれるように願いながら、毎日積み重ねていた何か。ここに書き残すのは、今年の私の集大成である秋の1日のおはなし。

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私の2015年のトレランは5月の奥久慈で始まった。初めてまともに練習をして本番に挑んだレースと言っても過言ではない。そして完走できるかどうか怪しいと思っていたその過酷なステージで、私は強烈な感動と共に完走を遂げた。私は元々レースに出るのが好きだったからこれまでにも何度もレースには出場していたのだけれど、この時はそれまでと違った快感が体を突き抜けるのが解った。自分で自分の心と体を完全にコントロールできたし、「走れば、例外なく強くなるんだ」という当たり前のことを身をもって感じた。

7月のキタタンでは年代別8位、8月の志賀高原Extreme Triangleでも年代別優勝と入賞が続いたものの、いずれも悪天候のため距離が短縮されてしまい不完全燃焼状態だった。だから、このもやもやを爆発させるにはハセツネという今年最後のビッグレースを最高のものにするしか方法がなかったのだ。とはいうものの9月は完全に練習をサボってしまい、月走15kmという体たらく。10月は再び走り始めて200kmほどの練習ののちに本番を迎えた。練習内容は皇居ラン、帰宅ラン、30km走、なんちゃってインターバル、ソロトレラン、チームメイトとの試走、といったところか。
控え室となっている体育館にて。チームの他の出場メンバーが全員男性のため私もここへ・・・
早朝に会場入りして体育館の奥の方を陣取る。スタートまで少しでも体力を温存しようと寝袋とマットを持参するも、興奮と装備の最終チェックで全く眠れない。持っていくつもりだった荷物を仲間と持ち比べては荷物を削り、削ってはまた持ち比べ、そんなことを繰り返して結局持参したエネルギーは2000kcal程度だっただろうか。あっという間に12時をまわっていざ出陣。
残念ながらひとりRUN+TRAILの取材で席外し中・・・。photo by Aya
恒例の!でもやっぱり数名不在w
どの辺並ぶ?もうそろそろ前の方攻めておかないと入れなくなりそうじゃん?などと言いながらジワリジワリと10時間台狙いの枠の方へと進んで行く。
前回よりもいい位置からスタート
13時。先を争うようにしてゲートをくぐる。チームの仲間が沿道から行ってらっしゃいと声を掛けて見送ってくれる。奥久慈で私を引いてくれたタケさんは今回も私のすぐ横にいたので、引き離されないようにしながら広徳寺までの舗装路を進んだ。広徳寺までは気合いでなんとか歩かずに進めたが、一旦トレイルに入ったらもう1mも走れなくなってしまったので、とっととパワーハイクに切り替え。タケさんの姿は一瞬にして見失った。
入山峠まで1時間10分を目安に進む。前回のハセツネでも1時間で通過していたので無謀なタイムではない。結果1時間ちょっとで入山峠に到着、その先のシングルトラックでは人を抜くことではなく自分のペースを守ることに専念する。自分のペースとは言ってもこのセクションでは苦しくなるくらいまで追い込もうと思っていたので、気が狂ったようにゼイゼイ言いながら登る。脚はあっという間にヘロヘロになってしまって、しょっちゅう躓いていた。こんなんで本当に大丈夫なの?体が72km持ち堪えるの??という自問自答もあったけれど、自分よりも信頼すべきは先輩方の教え。「浅間峠までを頑張らなくていつ頑張るんだ」という言葉を脳内で繰り返し、自分を奮い立たせては幾度となく現れる激登りに立ち向かう。がんばれがんばれ。とりあえず浅間峠までがんばれ。

市道分岐を過ぎたあたりだったか、タケさんより後ろ、私より先を走っていたであろうジムさんに追いつく。彼が初めてハセツネを走った昨年の記録はたしか14時間01分、これは私の一昨年の記録よりも30分速い。そして試走の時もとても速くて、私はまったく追いつけなかったのだが、今回何故か追いついてしまった。私の後から聞いたところによると彼は物凄いスロースターターらしく、走り始めて6時間くらい経ってようやくスイッチが入るのだとか(遅いw)。ジムさん、と声を掛けると「ああ、ヤスヨちゃん!頑張って」と彼はまるでもうリタイヤするかのように私に返事をした。ここは、頑張って、じゃなくて、頑張ろう、じゃないの...?でも後ろを振り返ると暫くは姿が確認できたので、ちょっと調子が悪いだけなのかもしれない、元々速い彼のことだから、きっと私とそんなに離れることなく浅間峠に到着するのだろう、とぼんやり思いながら進んでいった。

ジムさんを抜いてから吊尾根を走っていると左前方に今度はタケさんの姿があった。また仲間に会えたという嬉しさと、追いつけると思っていなかった人に追いつけた喜びで、手を振りながら、タケさん、と声を掛ける。ああ、という覇気のない声の波動がゆっくりと私の鼓膜に到達した。そのスピードと然程変わらないと思える程の速度で前から後ろへと流れていく景色。それを背景にしたまま一緒にタケさんが遠く小さくなっていく。あれ?私そこまで速くない筈なのになんでこの人を追い抜いた?抜いてようやく事態のおかしさに気付いたが、自分の前にも後ろにも人が連なっていて、引き返すことはできない。少しするとタケさんが人の流れに戻って進み始めるのが見えたが、振り返る度にその姿は小さくなり、そのうち見えなくなってしまった。怪我か?忘れ物か?すごく大事なものを落としてしまって続行不能なのか??兎に角何かトラブルがあったに違いない。事実がわからない内から自分のことのように悔しくてたまらず、しかし何か本当に危険な状態なのであれば早く誰かに伝えなければという思いで浅間峠を目指した。登り続きで脚を追い込んだせいか、下りで脚が思うようにまわらず、思い切り前方にスライディングで大ゴケしTシャツは真っ黒だった。さあ、あと少し。浅間峠には仲間が応援に来ているはずだ。
photo by Monami
今回の目標はサブ13。13時間を越えるという選択肢をなくすため、それ以外のタイム表は持たなかった。浅間峠を16:58に出発できればいいと思っていたが、到着したのは16:30。ここで頑張らなくていつ頑張るんだ、と自らを奮い立たせながら進んだ結果、かなり速く到着してしまった。これが吉とでるか凶とでるかはわからない。

大して疲れているわけでもないので休憩は最小限に。まずトイレへ。そして行動食の入れ替えとゴミの整理、ヘッドライトの装着とトレッキングポールの準備。ここでやることはそれだけ。タケさんがダメかも知れない、私の後で多分すぐジムさんが来る筈、私の状態は悪くない。これらの要件と報告を、応援にきていたジャッキーに簡潔に伝えつつ身支度を整える。予め、スタート〜浅間峠、浅間峠〜月夜見、月夜見〜ゴールの3ブロックで行動食をまとめておいたので、ここに辿り着くまでに食べたジェル類のゴミと、次のブロックで食べるべきジェル類とをごっそり入れ替えるだけ。私が休憩している間にビビちゃんが浅間峠を通過。

支度を済ませて私も再びトレイルに戻る。浅間峠を過ぎた登りのすぐ上でビビちゃんが装備を整えていたので声を掛けつつ、抜き去る。奥久慈のレースで私より15分ほど先にゴールしたビビちゃんに追いつくことは、今回の私の目標のうちのひとつでもあったので、ここで会えたことはとても嬉しかった。目標ひとつ達成!

ここから先の細かいアップダウンではストックを使いながら淡々と。いつもより開催時期が遅いこともあり、ナイトセクションが長くなることは予め分かっていたが、自分が以前より速く走れていたため、結局暗くなった場所は前回とほとんど同じだったような気がする。心配していた気温もそれほど低くない、というより、自分がずっと走っているので全く寒さを感じない。

西原峠に到着し、ここで初めて固形物を口にする。グミを一気に貪りゼリードリンクで飲み下すと三頭山の登りにとりかかった。00分になるとジェル1本、30分になるとアミノバイタルを1本、ペースを崩さず摂取しているせいか、時間の経過がとてもはやく感じる。30分というひとかたまりを幾度も幾度も繰り返しているだけで、もう5時間以上経ったのか。なんだかあっという間だしそこまで疲れていないなぁ、でも前回もまだここでは疲れていなくて、月夜見以降で一気にバテたんだっけか。そんなことを考えながら三頭山(P1531)までの登りを黙々と登っていたら小雨が降ってきた。持ってきたシェルは雨に抗うには心許ない。やばいな。そうこうしているうちにナガイくんに追いつき言葉を交わす。そこから三頭山の山頂まで、今度は私が人を引いて進む番だった。私にとって、途中でチームメイトと出くわして一緒に進む「トレイン」を組むことは初めてのこと。たかだかちょっとの登りで、既に戦友のような意識になってくるのは不思議なものだ。

長い登りを終えて三頭山の山頂に着くと、ベンチに腰を下ろして小休憩をとることにした。少し風もあってとても寒い。エネルギー補給をしているとすぐに体が冷えてきたので、先を急いだ方がよさそうだった。我々のすぐ前には誰も居なくて、三頭山からの下りでは私が先頭を走らなくてはならなかった。大してスピードも出せないガレと岩場の急な下りを、誰か追い抜いてくれー、とかなんとか言いながら、私がよっこらよっこらと格好悪い感じでこなしていく。そのうしろで「月夜見までトレインで行くかー、ジャッキーきっと喜ぶぞー」とナガイくん。と、ほどなくしてナガイくんが足を捻る。先行っていいよーと言われて残念ながらトレインは解散となってしまった。とはいうものの、一度の軽い捻挫ぐらいで走れなくはならないだろうからおそらく大丈夫だろうし、もしかしたら追いついてくるかもしれない。とりあえず再び一人になった。今日の森の中の闇は黒ではなく白に近い灰色のようだ。ガスが出てヘッドライトの光が拡散し、トレイルの状態が見えなくなってきた。

鞘口峠までの下りはそもそもスピードが出せないので光が拡散してもそんなに辛くはなかったのだが、問題は最後の月夜見に向かう下り。飛ばしたいのに見えなくて飛ばせない。でも、雨で少しトレイルが濡れているから・・・飛ばせないくらいが丁度いいのかもしれないな。いや、そんなこと言ってないで先にフォグフィルターをつけた方がいいのかな。あれこれ考えている内に月夜見のCPに到着。道路のガードレールにつけられた反射板がぴかぴかと光りながら出迎えてくれる。ああ、もうここに着いたんだ!タイムも落ちていないし、最初に稼いだ30分ほどの貯金はまだそのまま残っているし。サブ13が射程圏内に入ってきたのを確信した。

私はハイドレーションに麦茶を1.3L、ボトルにゼリードリンクを0.5L入れてスタートしていたのだが、ここで残っていた水分は麦茶が0.3-0.4Lほど。ボトルにポカリを0.25、水を0.25、そしてハイドレーションに水を1L足してもらって月夜見での水分補給は終了。行動食の入れ替えをしているとすぐにナガイくんがやってきたので少し話をすることができた。応援部隊のチームメイトからは3人がDNFだとの報告を受ける。今回ハセツネ6度目の参戦であるタケさんはそもそも胃腸炎をおして出場していたため、矢張りどうにもならなかったとのこと、物凄く速いのにいつもとんでもエピソードで皆を笑わせてくれるfuusoraさんは蜂に刺されてアナフィラキシーショック、カトさんは昨日まで38度の熱が出ていて体調不良だった上に蜂に刺されてそれぞれリタイヤとのこと。私の前を走っているのは、UTMB日本人第6位という好成績をおさめた次元の違うカノくんと、裏山が高尾という恵まれた環境でマイペースに脚を育てているまったりアキラさんの2人だけになった。ナガイくんは私と離れてからさらに何度か足首を捻ったらしく、あと1回捻ったら「オワリ」だと言う。さて・・・
ストレッチをする私と、その手前にナガイくん。photo by Jackieboyslim
ハンドライトにフォグフィルターを装着し、ライトは頭・お腹・手元の3つ体制に。ついさっきまでナガイくんと走っていたものだから、つい引っ張られて長く休憩しそうになるところを、いやいや私の方が先に到着しているんだから先に出発しないと、と思い直して再スタートを切る。時刻は19:30頃だった。