2016/09/02

20160827-0903_大雪山・台風停滞explorer(前編)

「先輩、亡くなったんだって。それがね、自害だったという事らしいんだ」

2015年1月某日、暫くぶりに大学時代のサークルの同期から連絡があった。大学でアルトサックスを吹いていた私の憧れの先輩は2014年の暮れに息絶えた状態で発見されたが、亡くなったのは12月25日頃だろうと推定された。彼とは大学を出てから会う機会もなく、人伝に近況を聞くことがあったりなかったりする程度の関係だった。まさか数年振りに耳にする近況がこんなものだなんて本当に信じられなかったけれど、彼に限ってはあり得ない話ではないなという感じもしていた。知らせを受けて、皆でお手紙や写真などを北海道のご実家へ送ったものの、葬儀に出席して亡骸を目の当たりにしている訳でもなかったので、本当に亡くなったのだろうか、と実感はいつまでも湧かないままだった。これまで通りまた暫くしたらどこかで何かしているというような風の便りが届くような気がし続けていた。

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今年の私の夏休みは9日間だった。これは今の仕事を始めてからとったお休みの中でも一番長い期間になる。さあどこへ行こう、国内か海外か、稜線か沢か。そもそも9日間も繋げて歩けるような場所は国内にあるのだろうか。

新しい、行ったことのない場所にそろそろ手を出してみようか、と思いついたのが北海道だった。初めてならやはり有名どころで大雪山だろう(というか、あまりにも知らなさすぎて他にすぐ思いつくような北海道の山がなかったw)。別に今まで大雪山に行きたいという思いを温めていたとかそういうことは一切なく、ただ名前を知っている程度で何も知らなかった。調べてみるとここは等高線もゆるく、穏やかなルートであるように見えた。アップダウンの激しい、きつい縦走の好きな私にとって、この稜線は物足りなくはないのだろうか。しかも大雪山を南北に縦走しても、せいぜい4-5日で終わってしまいそうだし、9日も要らないのではないだろうか。あれこれ考えあぐねている中でふと思い出し、先輩の実家から送られてきた手紙を見返し、封筒に書かれていた地名を調べてみると、帯広からほど近かった。もしかしたら立ち寄れるかもしれない、レンタサイクルもあるし、別の友人の家にも顔を出せるかもしれない。そう思って出発の1ヶ月ほど前に押さえたのは8/27朝・旭川空港in→9/3夜・帯広outの航空券だった。

予め行き先を決めてしまった場合に気になるのがお天気である。台風10号ライオンロックは日本のずっと南にいて、しかも南下していたのに、あろうことか私の夏休みが近づくにつれ北上を始めた。動きはのろく、時速10kmにも満たない。この後この台風はどう動くのか。そもそも北海道行きをキャンセルすべきか否か、行ったとしても前半は山行に充てるのではなく別のことに充てて、後半の台風一過を狙うべきなのではないか。試行錯誤を毎日毎日、気象庁の発表のたびに繰り返し、最終的に出した結論はこうだ。初日から歩きはじめて大雪山を4日で抜け、その後バスと電車で移動して芦別岳を登り、再びバス移動で友人宅と先輩の実家へ顔を出す、しめて8日間。立てた大雪山の計画は以下の通り、CT計算はおよそ×0.8。

【1日目】
旭岳登山口-(ロープウェイ不使用)-旭岳-北海岳-黒岳石室
【2日目】
黒岳石室-黒岳-黒岳石室-北海岳-白雲岳(ピストン)-白雲岳避難小屋-忠別岳-五色岳-化雲岳-ヒサゴのコル-トムラウシ山-南沼キャンプ指定地
【3日目】
南沼-三川台-コスマヌプリ-オプタテシケ山-ベベツ岳-美瑛岳-十勝岳-上ホロ避難小屋
【4日目】
上ホロ避難小屋-上富良野岳-三峰山-富良野岳-上ホロ避難小屋-三段山-吹上温泉

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2016/08/27 (Sat) 晴れ
11:15 旭岳登山口
↓ - 1:25
12:40 姿見駅分岐
↓ - 1:40
14:20 旭岳山頂
↓ - 0:58
15:18 間宮岳分岐
↓ - 0:42
16:00 北海岳
↓ - 1:05
17:05 黒岳石室
朝8時半には旭川に着いてしまうんだから凄いなぁ(久々の飛行機w)
旭川に到着してから暫し時間があくものの、旭岳の登山口に直行するバスがあるのでアプローチもラクラク。新千歳入りするのは絶対やめたほうがいい!という友人のアドバイスを聞いて正解だった。到着して身支度を整え、人の一切いないルートを歩き始める。ロープウェイ上部の姿見駅までCT2:30とあったが結局1時間半足らずで到着してしまい、旭岳山頂まで3時間しかかからなかった。とはいえ全然楽しい道でもなく、ぬかるんでいて歩きづらいので、歩く価値はない感じ。でもロープウェイがお高いので、その分節約にはなったような。。。
ぬかるみが酷いのであちこち板が渡してある。
北海道まできてこんな道歩きたくない!と思ってしまった・・・
ようやくロープウェイ利用の方々と合流する。一気に広がる大パノラマ!(ガス)
ルートがきついとか、きつくないとかそういうこと抜きにしてこの景色見られてよかったなと思った。
圧倒的なスケール!
花が咲き乱れる縦走路。左側は途中のテン場。
ヒグマの巣窟とのこと・・・。ものすごい地形
台地のようなものがポコポコしている不思議な地形。
黒岳石室の小屋でテントの受付をすると、通常はルートを記入する欄があり、ここも例外ではなかったのだが、誰一人としてそこに記入していなかった。書かなくて良いんですかと尋ねると「今歩けるルートはひとつふたつしか無いから、別に書かなくてもいいよワハハ」と、小屋番のおじさんの答え。すいません私トムラウシ方面に3泊4日なんですがと言うと、ギョッとして色々聞かれる。今日ここに到着するまでの所要時間、装備、普段歩く速さ、ソロのテント泊の経験等。その会話の中で、明日・明後日午前は晴れそうだけれど明々後日8/30は荒れそうだから停滞した方がいいかもしれない、とのアドバイスを受ける。予定だと上ホロ避難小屋に居る筈だと伝えると、避難小屋に居るべきだしそこなら安全だとのこと。停滞日が出てしまうのは織り込み済みだったので、天候を見ながら停滞日や停滞エリアを判断しようと心に決めつつ就寝。
登山口に続く道路があちこち台風のため崩落したり封鎖されたりしていて歩くルートが限られており
ここのテン場はとても賑わっていた。
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2016/08/28 (Sun) 晴れのち霧雨
5:40 黒岳石室
↓ - 1:07
6:47 北海岳
↓ - 0:50
7:37 白雲岳分岐
↓ - 0:23
8:00 白雲岳山頂
↓ - 0:20 (おじさんと話しながらのんびり)
8:20 白雲岳分岐
↓ - 0:40
9:00 白雲岳避難小屋
↓ - 2:18
11:18 忠別沼
↓ - 0:42
12:00 忠別岳
↓ - 0:45
12:45 忠別岳避難小屋分岐
↓ - 0:41
13:26 五色岳
↓ - 1:06
14:32 ヒサゴ沼避難小屋分岐
↓ - 0:38 (10分程悩んだ時間含む)
15:10 ヒサゴ沼避難小屋
黒岳の西にある桂月岳に登って日の出を拝む
黒岳の方にも足をのばす
朝は晴れ。今日明日できっちり進めるといいな、と思いながら5:40に小屋を出発。白雲岳あたりまでのCTを見ると、地図に書かれている時間の半分くらいで推移していて若干早すぎる感があった。そんなに速く歩く必要もないなぁと思いつつ、白雲岳で出くわしたおじさんと会話を楽しみつつ白雲岳のピストンではのんびり歩く。しかしその後のアップダウンのないコースではCT0.8で歩けず、段々とバッファが減ってきた。ほぼほぼ予定どおりの時間で進む。
昨日歩いた道を途中まで戻るような形で本日のルートに入る
見たことのない花
分岐に荷物をデポして白雲岳ピストン。山頂に向かって歩いているのにだだっ広い平地が。
ここで調査中の環境庁のおじさんに出くわす。この人とは今回の山行の最終日に再会した。
途中で一緒になった、同じくピストン中のおじさんに撮ってもらったが、すでにガス。
白雲岳避難小屋が見えてきた。ここは避難小屋だけれど、一応管理人さんがいる。
白雲岳避難小屋に到着する少し手前の水場で、北海道大学の学生2人が水をそのままゴクゴク飲んでいるのに出くわす。北海道の水問題といえばエキノコックス、、、煮沸とか浄水しないんですか!?と尋ねると、北海道の山どこもエキノコックスだし、いちいち煮沸とかやっていられないし、何年かに一回病院で検査すりゃいいんですよとのことだった。なるほど逞しい・・・。この日のルートはこの後彼らと抜きつ抜かれつで進むことになった。2人はヒサゴ沼避難小屋に2泊し、調査をしてから下山するとのことだったが、私にもヒサゴ沼避難小屋で泊まることを勧めてきた(本人たちはテント泊とのことだったがw)。
ガスり始めた白雲岳避難小屋界隈。すでに雨がぱらついてきて、レインウェアを着る。
早くも天候は崩れ出し、周囲はガスでほぼ何も見えなくなった。この区間の景色が最高に良いので、晴れの日をここにあてるべし!と友人から念押しされていて、今日は晴れる筈だし満喫できるぞと思っていたのに、まさかの1日中ガスでやさぐれながら歩く。そのうち霧雨も降り出し、最早楽しいのかどうかも怪しくなってきた。
雨でこういう道は萎える・・・風は避けられるけれども・・・
たまに雲が切れて景色が見える(けれどもこの程度しか見えない)
14時半にはヒサゴ沼の分岐に到着したが、この先予定通り南沼まで進むか、それとも学生らとヒサゴ沼避難小屋にとどまるか悩むこと暫し。黒岳石室のおじさんは29日午前中は晴れると言っていたが、そもそも28日は晴れると言いながらこの雨だ。ひょっとすると台風の速度が上がっているのかもしれない。いずれにしても台風情報が知りたい。落ち着いてラジオを聴くためにも、明日の天気が荒れて停滞になった時のためにも、今夜はヒサゴ沼に泊まるのが良いだろう。10分ほどの熟考ののちに道を降り、避難小屋に到着したのが15:10くらいだった。ガスが酷くて沼の全貌は見えないが、まだ日は高く外は明るい。
ひたすら木道のループを歩いているんじゃないかという気さえしてくる
沼が5mくらい先までしか見えないのでサイズがわからない
水場は小屋からそう離れていないところにあった。浄水器があったので、沼から取水しても良いかなと思ったが、学生に聞くと、向こうに取りに行った方が絶対に美味しいから取りに行った方が良いとのことだった。夕刻ラジオをつけてみると、どうやらまだ台風は北海道どころか伊豆半島にも達していないとの気象情報。とは言ってもこの空の様子だと明日も晴れる気配はない。

19時半頃、真っ暗のガスの中を若いカップルがトムラウシ側から歩いてきて小屋に到着した。双子池の野営場所からやってきたらしかったが、いくらなんでも歩みが遅すぎやしないだろうか。色々話しつつ就寝。

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2016/08/29 (Mon) 曇り時々雨・強風
停滞1日目。
外は雨こそ酷くなかったが、風がピューピューと鳴っていた。若いカップルは、忠別まで行ってみてもしもまだ歩けそうなら白雲小屋まで行くという。彼らはラジオがなかったので、私のラジオで一緒に予報を聞いていたが、ようやく台風は伊豆に上陸するとかしないとか言っている。まだそんなところにあるのにこんなに天気が悪いのかと愕然とする。カップルは、まだそんなに遠くにあるなら大丈夫だろうという判断で出発していった。私は、この先に控えているトムラウシがそんなに気軽な山ではないはずだと踏んで、停滞を決める。持っている食料の数を数えると、朝食3回分と夕食5回分といったところだった。割とギリギリ、というか動かない日に満足に食べるほどの余裕はない。棚を開けるとカンパンの文字のある段ボールがあったが、中を見ると割れた瀬戸物とかが入れられていて、
肝心のカンパンはなかった。

夕方頃、一度北大の学生のところに顔を出し、明日どうする予定ですかと尋ねることにする。あまり酷ければ停滞、問題なければ下山するとのことだった。出発するならば朝5:00には出発するとのこと。トムラウシの登山口に通じる道は通行止めで使えないため、この小屋から一番てっとり早いと思われたエスケープルートは、化雲岳から天人峡(道路は通行止)に降り、そこからトレイルを通って旭岳温泉まで抜けるルートだ。しかし化雲岳から天人峡までの道はぬかるんでいて歩きづらいと書いてある。こんな日に歩くルートではないだろうというのは明白だった。計画通り十勝方面に抜けたいという気持ちはもちろんあったが、それと並行して、安全に下山する方法も考えておくべき段階に来ているなという気配も薄々感じ始めていた。もしも一緒に、車のある層雲峡まで戻るのなら、車で送りますよ、という申し出をいただく。有難いことだ。
昨夜考えていたエスケープルートについても一応訪ねてみると、彼らももう久しく天人峡へ抜けるルートは歩いていないという。天人峡から旭岳温泉へ抜けるルートもあるにはあるけれど、通ったことあったかな、というレベルらしい。頻繁に山に来ている学生がこう言うぐらいだから、私なんかがエスケープとしてカウントして良いルートであるとは到底思えない。ここは却下だな。

ラジオでは、8/30から8/31の未明にかけて北海道に台風がやってくるとのことだった。

今回の旅のお供は「トムラウシ遭難はなぜ起きたのか」という本。事故のことは当然知っていて、本の存在も知っていたけれどまだ読んでいなかったので、トムラウシに行く前に是非読んでおこうと思ったのだ。遭難した彼等が前日に泊まっていたのがまさにこのヒサゴ沼避難小屋だった。この小屋の風上側は雨漏りがするということや、トムラウシの近くの沼が当時雨で氾濫していたということ、彼らがどのような服装で風雨のダメージを受けてどのくらいの時間をかけて命を落としたかなどが詳細に書かれており、それを読む限りとてもではないけれど無理して進むようなトレイルではないなという気になってくる。そもそも今回初めて足を踏み入れた山域で、本州のトレイルとの違いも感じていたし(その違いが何なのかはうまく説明はできないけれど)、兎に角安全に歩みを進めて生きて帰れる自信がないなら歩くべきではないなとぼんやり思っていた。

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2016/08/30 (Tue) 雨・暴風
停滞2日目。
4:00頃起床。外は大荒れで、聞くまでもなく学生2人も停滞だろうとは思ったが念のため確認に出向く。案の定停滞するとのことだったので安心して再び寝袋に入る。しかし安心したのも束の間、5:40頃になると彼らが避難小屋にやってきて「矢張り出発します」とのこと。しかしこの山域に慣れていて、若さ体力ともに私に勝る彼らがこの嵐の中を歩けたとしても、私にそれと同じことができるという保証はない。一緒に歩けなくなった時、彼らに私の世話をしてもらうわけにもいかないし、私はこの状況の中を一人で歩き通す自信はない。彼らは黒岳石室まで、もしかすると今日のうちに車のある出発地まで戻るらしかった。私の出した結論は、「停滞」。情報を聞き出すだけ聞き出し、連絡先を交換した後、私はひとりになった。

本当にカンパンは無いのだろうか、と思って再度棚をしっかり確認してみると、下の段ボールの奥の方だったか、大量のカンパンの缶が出てきた。もしかしたらトムラウシまで歩くかもしれないということを考えると、あまりに何も食べないでいると筋力が落ちすぎてしまうだろうと思い、少しずつこのカンパンでカロリーを摂ることにした。因みに期限は5年以上過ぎていたが気にしない。
持参した本も読み終え、棚に置いてあった文庫本も読み始める。
(死神という短編集もあって、最終的にはそれも読んだ。しかしあまり置いて欲しくない本だよなぁ)
たまにお湯を沸かして緑茶、珈琲、ウィスキーをローテーション。
カロリーのないお茶や珈琲といった嗜好品には、こういう時本当に救われる。
寝たり起きたり、起きたり寝たり。午後になり、次第に雨脚も風も強くなった。小屋が揺れる。ひょっとしてひょっとしたら屋根が飛んだり小屋が倒壊するかもしれない。最悪の事態を想定して、寒くもないのに小屋の中にテントを張ってその中に避難することにする。万が一屋根が飛んでもテントに全て入っていればなんとか対処できるだろう、それに風雨がうるさいのでシェルターを張った方が多少は静かに眠れるかなという期待もあった(実際は大差なかった)。夕飯を食べ、アルコールを飲んで早めに一度眠っておこうと思うものの、夜中何が起きるかわからないのでそうそう酔っ払う訳にもいかない。その微妙なさじ加減が難しい。

一旦眠ったものの、物凄い轟音で目を醒ますとまだ時刻は18時半。台風が一番酷くなるのは30日から31日にかけての未明頃というからまだまだこれは序の口なのだろう。待てばいい、ただただ嵐が去るのを待てば良いのだ。頭ではそう分かっているのに、今ここに自分が居なければならないという状況や、今この瞬間にはどうすることもできないしじっとしているしかないという状況はとても恐ろしいもので、漠然とした不安はどうやっても拭えない。
窓枠のところから激しく雨漏り。本に書いてあったとおりだ。
今回は、本に書かれていた方ではなく、扉を入って右側の壁が雨漏り。
こちらからずっと雨が吹き付けていたため。
途中、起きているのか眠っているのかわからないような状態が続き、夢もたくさん見た。一番覚えているのは、母親が車で迎えに来て「ほら帰るわよ」と私をどこかへ連れて帰っていく夢。ああなんだ、車ですぐ来られるんだから、セクションハイクで縦走していけばいいんじゃないか、台風が行ったらまた山に入って縦走を続ければいいや、なんて思いながら目を醒まし、ああそうだよね、また車でここまでくればいいじゃない、と本気で思うのだけれど、いや待てよここはそうそう下山できない稜線の途中だったんだっけ、歩かないと帰れないんだっけ、と現実に戻るのに時間がかかってみたり。そんな類の夢を数え切れないくらいたくさん見た。寝てはいたけれど、眠れていなかったのかもしれない。とても不思議な時間が流れていた。夢か現か、というのはまさにこういう状態のことを言うのかもしれない。

次に目を醒ますと0時半頃だった。それでもまだ風雨は酷くなるのかもしれない、と思うと本当に恐ろしかったが、怖い怖いと思いながらもトロトロと眠りについてしまって、気付いたらもう朝4時をまわっていて、台風のピークは過ぎたようだった。小屋は倒壊せずに済んだ。

後編へ続く

2016/05/29

20160528-29_奥久慈トレイル50K(衝撃の63km)(後編)

前編はこちら

CP2でのミッションはトイレ、日焼け止めの塗り直し(←重要w)、ジェル類の入れ替え作業、ドリンクの補給、ストレッチ。昨年はこの場所で20〜25分休憩をしていたけれど、今年の私にそこまで長い休憩は必要ない。14km地点あたりで私が大ゴケする少し前に偶々抜かれて声を掛け会話をし、しばらくしてからまた途中で出くわして私が追い抜いた、昨年奥久慈女子総合3位の關さんとCP2で再会をしたのだが、彼女は先週100マイルを走ったばかりとのことで今回はここでリタイヤするかもと話してくれた。ずっと会いたかった人とこの極上のトレイルの途中で初めて会って、そして会話して、近づいたり離れたりしながら、その力強い走りを見ることができたのは本当に嬉しかったし刺激になった。強い人はダメージの残った状態で走っていても私なんかよりずっと速く走れるんだなぁ(当たり前か)。。。
遅くとも11:45には出発しよう、と思っていたけれども全てが早く済んで11:40頃には走り出すことができた。昨年は熱中症になったタケさんがここに居たけれど、今年その姿は無くてホッと胸をなでおろす。タケさんもカノッチもCP3へと駒を進めているはずだ。

CP2を過ぎるとすぐ、26.9km地点赤岩地区の盛大な私設エイドが現れる。トレランのレースは大人数が同じコースを走るためトレイルへのダメージが大きいと問題視されたり、一部の人のマナーが悪くて地元の方からよく思われていなかったりすることも多いと聞くが、このレースは本当に地元の方からの歓迎ムードが凄くて毎回泣けてくる。ブリーフィングでは「このレースは赤岩地区の方々にとって、毎年恒例のお祭りみたいなものになっている。是非立ち寄って欲しい」との話を聞いたが、そんな風に地元の人が一緒に楽しんでくれているなんて有難い以外のなにものでもない。縁側でスイカを食べるようにおばあちゃん達がくつろぎながら、ほらこれ食べていきなさい、とあれこれ差し出してくれる。今年はリポビタンDまであった。これからもずっと愛されるレースであって欲しいものだなとつくづく思う。
横断幕を見ると胸が熱くなる
舗装路だったか林道だったかを暫く下ると今度は東金砂神社への階段の上り。昨年は何度も偽ピークに騙されたようなこの階段も、今年は「3パーツくらいに分かれている」と予め分かっているから前回ほど辛く感じない。次に目指すCP3(46km地点)までのコースは兎に角延々と続く林道なのだが、今年はCP2の時点で脚がまだ残っていたし、林道をある程度のスピードで走るだけの力がある。下りの度に爆走していると、近くにいた男性から「下りめちゃくちゃ速いですね!」と声を掛けられた。その人は上りが私より強くて下りが私より弱かったので、その後ゴールまでずっと抜いたり抜かれたりを繰り返すことになった。

とはいえ、小気味のいいペースで進んでいる割に、走れども走れどもCP3は現れない。Runmeterが46kmとアナウンスしてきたが、記憶の中のCP3間近なトレイルの様子とはだいぶかけ離れた光景が目の前に広がっている。一体CP3は何キロ地点にあるのだろう。。。46kmだと思って動かしていた脚は僅かに痛み始める。昨年は最後までほとんど痛みなんて出なかったのに、これは実力以上に走ってしまったということなのか?不安に思いながらも走り続けていると、51kmのアナウンスが過ぎたところでようやくCP3にたどり着いた。CPの場所は自分のログとおよそ5kmは離れているようだった。時刻は14:42、手元のタイム表を見ると、サブ11.5の場合CP3の到着目標時刻は14:50と書かれている。速い!

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水の補給もトイレも必要なさそうだったのですぐに出発したものの、補給食の入れ替えをしていなかったことに気付き坂の途中で立ち止まる。ここからまたガッツリ登るのだが、こんなところに辿り着いてもなおあちこちにパックが出来上がっていて、もっと速いペースで登れるのに前の人がつかえていて行く手を遮られ、なかなか思うように進めない。もどかしい気持ちもあったけれど自分に「大丈夫」と言い聞かせながら、前の人が疲れて休んだタイミングを見てはじわじわと抜いていった。昨年思い切り突っ走った下りが現れると、今年はそれを上回るくらいのペースでガンガン駆け下りていく。でもゴールまであと10kmちょっとのこの区間、足を捻ったりするわけにはいかない。(1)足は丁寧に置く!(2)集中しよう!(3)大丈夫! の3つの魔法の言葉を繰り返しながら、丁寧かつ素早く脚を動かす。約3週間カフェイン断ちをしていたが、レースの後半で切れ目なくチャージしていたカフェインが作用して、このとき脳はギラギラしていた。けれどイケイケで突っ込んだらいけない。そのギリギリのせめぎ合いだ。

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最終CPの持方には15:35に到着した。手元のチェック表のサブ11.5とまったく同じタイムだ。ペースが落ちなければ、11時間半を切れるかもしれない。ヘッドライトの点灯チェックを終えるとほとんど止まらず先を急ぐ。11時間半を目指すのなら休んでいる余裕などないのだ。似たペースで進んでいた男性と、サブ11.5できるかな、いやしましょうよ、と会話をしながら、最後のトレイルに足を踏み入れる。登り始めてほんの100mか200mのところで立ち止まってうつむく男性がいたので、あと少しがんばりましょー!と声を掛けたが、その人はもう全然それどころではなく嘔吐の真っ最中だった。相当追い込んでここまで来たのだろう。高度障害でもなければ、流石に陽が傾き始めたこの時刻に熱中症ということもないだろう。彼の気分の悪さが何に起因するものなのかはわからなかったがとりあえず彼を追い抜きながら、集中して歩みを進めた。

朝、通過したルートを逆からなぞってゆく。昨年も往復しているので、ここを通るのはこれで4回目だ。きついのは知っている。わかっている。そうは言っても信じられないくらいきつい。ありえないくらい斜度がある。これからゴールに向かっているというのに何故こんなにエグい登りが繰り返し繰り返しやってくるのか。とても女とは思えない(人とも思えない)ような声を出しながら気力だけで登り続ける。竜神大吊橋の先からスタートした30Kの人達が現れ、追い抜くパターンも出てきた。さあ、もうあと残り僅か!頑張れ私!一旦舗装路に出てから再度トレイルに入ったあたりで既にサブ11.5まであと3分くらいしかなく、流石に11時間半は難しいだろうなと思ったけれど、それでも最後の舗装路が現れると諦めきれずにカッ飛ばす。ずっと追いつ抜かれつしていた男性も私のわずか数秒前を爆走していた。
photo by Take-san
11時間31分09秒。ゴール手前まで友人達がお迎えにきてくれていた。昨年のような強烈な驚きや感動に包まれたゴールとはまた少し違った感触があったが、自分のレースができたという満足感に包まれた。涙はなかったけれど、代わりにニヤニヤが止まらなかった。そして、、、まだまだ走れると思った。

ICチップを回収されて暫くしてから完走証を貰いにブースへ行く。完走証係の地元の高校生みたいな女の子ふたりが、印刷されたその小さな紙を覗き込むと、二度見してからワッと目を開き「おめでとうございます年代別3位です!!」と、まるで我がことのように喜びながら口にした。私の緊張が一気にほぐれて口から出て行き、それと同時にいつものアレが聞こえた。耳の奥でグビグビっていうアレ。良い山行ができている時に聞こえる、脳の鳥肌みたいなアレだった。12時間を切って、そして入賞する、欲張りとも思えたその目標に手が届いたんだ。無理かもしれないという不安な気持ちもあったけれど、それでもどうにかして手に入れたかった。そう簡単に手に入るものではないのは解っていた。けれど少しずつ少しずつ望むものが近づいてきたとき、思い切って手を伸ばした。伸ばした私の大きな手は、望んだものをきちんと両方掴み取ってくれた。
ゴールして数分後に表彰式w photo by Take-san
昨年よりも走っていたけれど、坂を登る練習は少なかったし、昨年より強くなっていると信じたかったけれどその保証はなかった。昨年とまったく同じペースで走ったとしても、昨年はそれぞれの関門時間に対して10分とか15分しか余裕がなかったから、何かあればすぐに全てが崩れ去ってしまってもおかしくはなかった。捻挫もできない、鼻血も出せない、大きな怪我もできない、下痢もできない。前回女子の完走人数は22人で、私はその中の17位だった。遅くはないはずの自分がビリから数えた方が早いところに居た訳で、その時私はこのレースに出ている女子の強さを思い知っていた。昨年の完走女子のタイムを見ては、12時間を切ればいいところまでいけるかもしれない、と自分を奮い立たせてはいたものの、それは本当に不確かなものだった。ゴールゲートをくぐる最後の瞬間まで油断はできなかったけれど、ずっと「大丈夫」と言い続け励ましてくれた自分がいたのも確かだ。今このブログを書き進めながら、この喜びを伝えたくてあらゆる言葉で表現しようとしているのだけれど、なんというか、まだ言葉を全然知らず感情も未分化な幼児の頃に感じた「嬉しい」に近い嬉しさだった、と表現するのが一番近いのかもしれない・・・
30Kに出場したSBYさんも一緒に集合写真!
morijiさんは残念ながらDNFとなってしまったけれど、カノッチ9時間半、タケさん10時間40分という快挙!
つまり私はRun or Die完走メンバーの中でビリw 皆様流石でした・・・

そんなわけで今年の私のトレラン開幕戦は最高の幕開けとなった。
今年も忙しくなりそうです。応援してくださった皆様ありがとうございました!

(尚、Runmeterのログはまさかの63.29km。公称55kmでしたけども・・・)

20160528-29_奥久慈トレイル50K(衝撃の63km)(前編)

ひょっとしたらなんとか手が届くかなというイメージはあまりにも朧げで、ボタンの掛け違いがあればいつでもすぐに崩れてふっと消えてしまうようなものだった。だからこそ私にとってひときわ尊く、そして鈍く光り輝く、奥久慈での入賞という大きな憧れ。長いこと照準を合わせてきた正にその時が、刻一刻と消費されて私を通り過ぎてゆくのを、死に物狂いで走る私とは別の私が優雅に愛でていた至福のひととき。手が届くのに気付いた瞬間ぐっと手を伸ばして、握りしめた手を開くとそこにはブロンズのメダルがあった。
<記録>
スタート 5:30
第1関門 7:49:02 →昨年7:49:00(制限時間9:30)
第2関門 11:32:53 →昨年11:59:52(制限時間13:00)
第3関門 14:42:07 →昨年15:51:51(制限時間16:00)
第4関門 15:35:19 →昨年16:41:17(制限時間17:00)
ゴール    11時間31分09秒 →昨年12時間49分33秒
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5月26日(木)
昨年同様都内でキックオフ。完走に向けての作戦、抱負、意気込みなどを共有する大切な時間。(いや、ただの飲み会ですが)
因みに私の月間走行距離は1月60km / 2月45km / 3月116km+チャリ98km / 4月175km+チャリ92km / 5月254km(奥久慈含む)。5ヶ月間のトレランを除く山行日数・スキー日数は合計で22日ほどだった模様。

5月28日(土)

今回Run or Die!!からの奥久慈出走メンバーは昨年熱中症でDNFとなったタケさん、昨年UTMB日本人6位を誇る2013年奥久慈完走経験者カノッチ、奥久慈初エントリーのmorijiさんと私の4名。
1時間を越えるブリーフィングが終わって毎年恒例の前夜祭。ほんとにお祭りみたい!
昨年の反省(前夜祭で飲みすぎ、揚げ物食べすぎ、寝る時間遅すぎ等)を踏まえてアレコレ対策をとったので、21時頃にはお風呂を済ませて宿に戻ることができた。しかし準備の終わったザックに目をやると、そこにはびしょ濡れのザックが鎮座していた。もう4年くらいずっと使い続けているハイドレーションパックから麦茶が漏れていたのだ。調べてみるとどうやら本体とチューブを繋ぐプラスチックパーツの部分からの水漏れであるようだった。手持ちのダクトテープで問題箇所をぐるぐると補修してしばらく様子を見てみたが、とりあえず水漏れは防げそうだ。朝もし水漏れしていたらハンドボトルのほかにもうひとつペットボトルを持参するしかない。なんとも言えない不吉な出来事。余計な心配で緊張は膨らむ。
素泊まりのため夕飯はスーパーで買ったお弁当で済ませる。
カノッチはまさかの清酒ワンカップ。こうして見るとシュールw
5月29日(日)

昨年同様3時過ぎに起床。ハイドレーションからの水漏れはなかった。スタート地点最寄りの駐車場ははじめから諦め、ひとつ離れた駐車場に車を停めてバスでスタート地点へ移動をする。できるだけたくさんのエネルギーを体に蓄えようと、あれこれ食べ続けるけれど、お腹を壊してしまっては意味がない。そのギリギリのラインがどこなのかを探りながら、消化によさそうなものを摂取する。今回は道の駅で購入したお餅(やわらかい状態で売っていた、上の写真手前に写っている四角いパック入りのもの)を3個、大福2個、アサイードリンク少々、ゼリードリンク200kcal1本、くらいだったか。

スタート地点は去年と少しだけ異なる袋田第一駐車場だ。昨年スタート間際までお世話になったトイレからは少し遠かったけれど、仮設トイレが3台と常設トイレが1ヶ所あって行列にならずとても安心。結局今年もトイレを何度か往復したし、最後のトイレはスタート5分前くらいだったけれど、腹痛や下痢の類ではなかったのでとりあえず安心。並び始めたのはスタート30分前くらいだったにも関らず、スタートゲートは遥か遠い。皆一体何時に並び始めたんだよ・・・
今年は前の方から走りだそう!と思ったのにこの位置w
とはいえ、ブリーフィングによると今年は渋滞緩和のためトレイルに入るまでの登り基調のロード区間を2kmほど増やしたというから、後ろからスタートしても特に影響はないかもしれない。そんなことを自分に言い聞かせながら、朝5時半、Runmeterのスタートボタンを押した。今年の奥久慈の旅がどんな旅になるのだろう。期待と不安で脈拍があがる。
仲間と出走前に1枚!
序盤はそれほど飛ばさず、しかしのんびりもせず刻む。昨年同様、タケさんのペースに合わせて私も走り続ける。しかし案の定トレイルに入る前に千切られて、呆気なく一人旅が始まった。トレイルに入りしばらくすると背後から、調子はどうですかという声と共にカノッチが現れた。返事をしようとするけれど、私はまだ調子がいいのか悪いのか判断ができない。カノッチはそれほど速いように見えない動きでするりするりと進んで、あっという間に何人もゴボウ抜きにして視界から消えていった。うわぁ、やっぱりカノッチ速いな。しかし彼と自分を比較しても仕方がない、ペースを人に乱されないようにしよう。そう思い直して再びトレイルと向き合う。
渋滞中に1枚
第1CPは11km地点の持方。昨年は7:49に通過したが、目標としているサブ12を達成するには7:40に到着したいところだ。尚、サブ11.5ならば7:35到着が目安となる(私調べ)。とはいうものの、スタートからCP1までの区間はそこそこキツイし、走力があがっていたとしてもそこまでタイムはのびないだろうという気もしていた。コースの記憶はあちこち抜け落ちていたけれど、それでも矢張り一度は走ったことがあるだけに、展開は頭に入っていた。ここで去年はあの人に会ったなとか、ここのアップダウンは果てしないんだよなとか、ここで足を捻ったなとか。

それにしてもなかなかCP1に辿り着かない。昨年、経過地点の到着時刻をつぶさに記録していたわけではないから、CPに着いてみないとペースが速いのか遅いのかわからない。もどかしい。そうこうしているうちに1時間半、2時間と経過してしまった。若干の落胆を纏い、ようやくCPに到着したのが7:49。なんだよ去年から1分も縮められていないじゃないか。(実はこの時、ここまでの距離が昨年よりのびていたことを知らなかった。というか、おそらくここまでで12km以上はあった。)悔しい。どうしてだ?どうしたらいいんだ?

CPでは1時間に1本計算で持参していたジェルとアミノバイタルの入れ替え作業をする。正直ここは入れ替えをしなくて済むように組んでおいたほうがよかった。水もそれほど減っていなかったので、胸にさしたハンドボトルの水分だけ少し補給して先を急ぐ。ここに来るまでに時間をまったく縮められていないし、この先どんどん縮めないと目標タイムのクリアは絶望的になるだろう。元気な筈の区間で貯金ができなかったことへの焦りは隠せなかった。

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CP1を通過すると男体山の登りが待ち構える。男体山のピークから大円地越までの間だっただろうか、14-15km地点付近の下りを進んでいると視界がぐるんとひっくり返った。右肩から前転して肩と首から着地。たいして飛ばしていたわけでもないのだが、斜度がきつすぎて、倒れた後に体制を立て直すことができず若干谷側へ滑落しかけたのだった。一瞬自分がどこを向いて起き上がったのかよくわからなかったが、それを脳で処理するより先に、脚を電流が突き抜けた。なんだ?なんなんだ??と思ったら両脚のふくらはぎと左脚の内腿が攣っていた。

私はこれまでレースで脚が攣った経験がなかったけれど、今回は転倒という強烈な刺激も手伝って初めて攣ってしまったようだった。塩タブレットをガリガリと喰みながら、足を挫いたりしなくて良かったーと胸をなでおろし先を急ぐ。

17.1km地点のエイドは結局19kmか20kmくらいのところでようやく現れた。思ったところにエイドがない、CPが現れないということでいちいち精神的ダメージを食らう。太陽はますます高く、次第に暑くなってきた。CP2は26.9km地点の竜神大吊橋にあり、そこに着くには延々と階段を上らなくてはならないのだが、階段のすぐ手前には、昨年も御世話になった私設エイドが今年もあった。カットした生トマトとキンキンに冷えた缶ジュースが目に飛び込んでくる。昨年ゼリーとかお豆腐置いててくださいましたよね!?と声を掛けると、ゼリー不人気だったから今年はやめたのよ〜とのお返事。昨年ここで本当に救われましたとだけ伝え、三ツ矢サイダーの250ml缶を飲み干しトマトを頬張ると脚に力が宿った。同志たちは、これ本当に頂いていいんですか?とおもてなしのエイドに驚きの声をあげ、とびきりの笑顔でジュースを飲む。エイドの方々に伝えたいことはたくさんあったけれど、あまりにも力が漲りすぎて1秒でもはやく動き出したい衝動に駆られた。

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階段をあがる。一歩一歩橋が近づいてくる。たまに一歩では我慢できずに一段抜かしで登っていく。ツライ、けどツラクナイ。辛くないんだ。昨年自分がここにたどり着いた時の感覚と比較すると、かなり余力があるのがわかる。目安にしていた目標タイムにも近づいている。CP2でそんなに休憩をしなくてもよさそうだ。写真を撮る余力もあるんだ。
階段を登りきると、昨年見たこの景色が目に飛び込んできた。
1年前、私はきつい26kmを走り抜けようやくここに到着して、もうここでレースを終わりにしてもいいんじゃないか、いや本当にそれでいいのかと葛藤していた。あれは確かに私だったし、いまここにいる私も確かに私なのだ。走馬灯なんてぶっちゃけ見たことないけれど、これまでのことが走馬灯のように頭を流れていく。11:32:53、CP2に到着するとヨッシャと声をあげた。11:35迄にここに到着していれば、サブ12でゴールできる計算だ。今回のレースではもうきっと関門時間に追われることはないだろう。今年は関門時間を追う側にいるんだ。もうきっと大丈夫だ、そう確信した。

2015/12/20

20151220_高尾山天狗トレイル18K

視界に入った女子はすべて抜いてきた筈だ。
でも、見えない敵がいるのは判っていた。だから最後の最後まで全力で走った。

今年、レースに出るたびにほぼ入賞できていた私は、最後の一戦での入賞を狙っていなかったというと嘘になる。とはいうものの、このレースの女子は年代別ではなく、なんと「女子」という1カテゴリーしかなかった。しかも3位までしか表彰して貰えないと知ったのは本番数日前のこと、そして昨年の女子の優勝タイムは2時間19分。キロ8分とかそういうスピードだった。いやいや、別に私は入賞するためだけに走っている訳じゃない。けれど、手が届くかもしれないのならば、手に入れたいと思うのは性ではないのか。
朝9時前、仲間数名と高尾山の駅前で集まってタクシーで現地入り。みんなそれなりにレース経験豊富なメンバーだったし、何度もこのレースに出ている人もいたというのに、なんだかこの日はとても緩い雰囲気で、誰もレースの状況や詳細を把握していない。短距離だからなのか、よく知ったエリアだからなのか、はたまた忘年会気分なのか、兎に角みんな完全に舐めている・・・(自分も含め)。

コースは何度か走っているコースのツギハギみたいな感じだったのでなんとなく雰囲気は掴めていた。ただ、アップダウンが意外とあるんだなということに気付いたのも、途中のエイドで水の補給はできても食料の補給がないということを知ったのも、何を持って走るか決めたのも全てレースの前日。ロードもトレイルも含めて、自分が出た中で過去最短距離のレースだったので、いまいち感覚がわからないものの、スピードレースになるだろうということは予測がついた。どうして今年の締め括りとなる最終戦を苦手なショートレースにしたのかと、エントリーした自分を少し恨めしく思った。

スタートは、各自が申請したタイムを元に決められた11:00, 11:20, 11:40の3段階ウェーブスタート。私は11:20、他の仲間はビビちゃんが11:00、あとは全員11:40とのことだったが、いつの間にかビビちゃんは11:40スタートに変更手続きを済ませていて、結局先にスタートするのは私だけとなった。日影沢キャンプ場でスタートを待つ間、日の当たらない日影沢沿いはとてもとても寒く、ダウン上下を着ている人まで居る程だった。体を冷やさないようにと言ってもどうやっても冷えてしまうので、着替えてから荷物を預けるまでの間は適度に着込んだ状態でその場で足踏みをしてやり過ごす。荷物を預けてからは、ウォーミングアップがてら林道を登ったり下ったり。会場は狭く、端から端まで歩いても1分とかからないサイズ感、とてもアットホームでこぢんまりとした大会だ。女子と男子のトイレが別になっていないので、かなりの行列になっていたのが残念。。。

レースが本当にあっという間に終わってしまったので、あまりコースのことであれこれ書くことはない(すみませんw)。高低図を見るとわかるように、登りが3回あるのでこれをこなせばよいだけといった感じ。ちょいちょいロードや林道もあってそれなりに走れるコースなので、そこをきっちり走れないといいタイムは出せないし、登りもそれなりに攻めないとどんどん遅くなっていってしまう。想像よりもスピードレース感はなく、自分のペースで走ることができたのはよかった。

ロードを登り続けて山に入り、山から抜けてロードを走ると唯一スタッフの配置されている給水ポイントがある(のだったと思う)。給水所の少し手前を、自転車に乗ったサングラスの男が1人登ってきた。こんな坂道を一人でヒルクライムなんて馬鹿だな、でもその気持ちわかるぜ?と思って挨拶代わりにニヤリと笑顔を投げかけてみるとそれはJackieboyslimだった。なんだよ、応援行けないとか言ってたけど来てくれたのか!と嬉しく思いダベりながら進んでいくと、その先にanswer4コバちゃん & moonlight gearチヨちゃん夫妻の姿。皆、山が大好きで高尾にほど近いエリアに引っ越しをしてしまった人達だ。はええなと言われながらとりあえず水を一杯だけ補給して先を急ぐ。
最初の給水エイド手前にて。ジャッキー、チャリを漕ぎながらの1枚。(私つらそう・・・)
 photo by Jackieboyslim (応援ありがとう!)
そしてまたトレイル。登って降って元来た舗装路に出るとKMDの姿。後ろから写真を撮ってくれているのはわかっていたものの、ここからかっ飛ばすぜという意気込みと共に私は最後の大爆走をはじめた。

順位を狙う上でとても難しかったのは、ウェーブスタートだったという点。いくら女性を抜いたとしても、私より20分先に出発したグループの中にもし女性がいたとしたら、余程でない限り私がその人に追いつくことはない。同時にスタートしていないだけに、あと何人抜けば何位にあがるのかがまったく分からなかった。つまり、あと1秒速くゴールすれば見えない誰かを抜いて入賞できるのかもしれない。逆に、1秒遅くなったことによって、入賞を逃すかもしれない。けれど、それが一切見えない。仮に今ぶっちぎりの1位だったとしても、誰からもそれは教えて貰えないから、兎に角タイムを縮めるしかないのだ。整備された舗装路を抜けて状態の悪い林道に出ても私は止まらないし止まれない。走って抜かすのは男性ばかり、行けども行けどももう女性は見えてこない。そこへ再びJackieboyslimとコバちゃんが現れ、そして私の視界から消えていった。背後から「ヤスヨー!ブチかませーー!」というジャッキーの叫ぶ声がする。おう、ブチかますよ、もう別に脚を温存する理由なんてひとつも無いんだから。

20分後にスタートしたメンバーの中で最も速いアキラさんにも抜かれることなくとりあえずゴール。別に女性がゴールしましたということで盛り上がる訳でもない。ゴール地点ではチヨちゃん一家が出迎えてくれ「さっき一人目の女性がゴールしました!ってアナウンスしてたけど、それぐらいしか聞いてないからなぁ」と状況を教えてくれた。まだゴールしている女性が少なすぎて暫定順位表さえもなかなか貼り出されないし、ゴールしても結局何位かわからないままだ。アキラさんもまだゴールしない。

チヨちゃん達が車に戻ろうとして私と一旦離れて数十秒した頃、レーススタッフのおじさんが女子の順位表を貼りにきた。ドキドキ、、、ドキドキ、、、

ド!!!!!
キ!!!!!!!!!

待って!!ちょっと待って!!1位だよ!マジかよ!!
1人ではとてもじゃないけれど冷静で居られなくてすぐにチヨちゃん達の後を追いかけた。「ねえ!私優勝ぽいんだけど!!」私の興奮をすくい上げてくれる仲間が近くにいてよかった。そうこうしているうちにアキラさんがゴール、ほどなくして表彰式が始まった。男子の部の表彰がひとしきり終わり、最後に女子の部の表彰。
photo by チヨちゃん(だったかな?)
嗚呼、今年最後のレースで入賞どころか優勝できたなんて本当に夢を見ているみたいだった。だって、1年の締めくくりのレースで、自分が一番速いなんて、もうそれより上を目指しようのない最高の結果じゃないか。なんだこれ?こんなにいい目に遭っちゃって本当にいいの?
表彰式の時間帯があまりにも早過ぎて、応援部隊もランナー達もほとんど居ない中終了w
photo by KMD
戻ってきた仲間達は、賞状だの何だのと抱えている私を見つけるとすぐ、入賞したんだなと気付いて声を掛けてくれる。そこで私が一言、優勝しちゃいましたテヘと報告をする。もうね、やっぱり嬉しいもんは嬉しいんだわ。隠そうったって隠せないくらい嬉しい気持ちは溢れ出してくるんだよな。
お風呂はパスして近くの中華やさんで打ち上げ!
何年か前、ろくに練習もしないでレースに出て良い結果を出して調子に乗るなと詰られたことがあった。別に調子に乗っていたつもりはないけれど、その人からはそう見えるようだった。そんな風に言われて私は結構傷ついた。ただただレースに出ることが楽しかっただけなのにどうしてそんなことを言われなければならないのかわからなかった。そして私の周りの人が皆その人と同じように思っていて、嫌な思いをしているのだとしたらどうしようと思った。走るのが好きなら一人で走ればいいし、レースなんか出る必要があるのかとその人は言ったけれど、私はそんな風に言われた後も私は別に練習をするつもりもないままレースにエントリーし続けていた。けれど自分の中に答えは無かった。

いつどんなきっかけで人がトレーニングを始めるかなんて人それぞれだ。理由もまちまち。何がきっかけで走ることに対する情熱に火がつくかも人によってバラバラだ。詰られたことは割と長い間私の中で燻っていたのだけれど、2015年の途中から完全にそれが気にならなくなった。別にその言葉を浴びせてきた人への対抗心から走るようになった訳ではなく、心と体が内側から求めたものに従っただけだ。そう、奥久慈のレースを完走したくて走り出しただけのことだ。純粋な感情ほど強いものはない、そして私はここまできた。もうあの言葉を浴びせた人に何か言われることがあったとしても正面切って堂々としていられる。わたしはわたしなりに答えが見つかっているし、走りたい時に走り、走りたくない時は走らない、ただそれだけのことだ。やりたきゃやる、やりたくなきゃやらない。趣味だもの。
さあ今日は2016年奥久慈のエントリー。2015年の私を高みに引き揚げてくれた山に、今年はお礼を言いに行こうと思います。

2015/11/03

20151031-1101_第23回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

調子はどうだと応援部隊のジャッキーに聞かれ、興奮気味に「悪くない。悪くないよ」と答えながら給水した大休憩ポイント・月夜見CPを出発する。調子はすこぶる良かったけれど、goodというよりも、なんだかnot badとでも言いたい気分だった。少しぐらいは調子悪かったり、疲れていたりすると思っていたんだけどね、どこも悪いポイントが見つからないんだよ?というニュアンスだったのだけれど、そんなのは絶対伝わっていないw
フォグフィルターを付けたハンドライトで照らすトレイルの圧倒的な見えやすさに驚愕しながら勢い良く下りをかっ飛ばしたあとの登りはとうとうラスボス御前山。月夜見から御前山山頂までの目標タイムは1時間05分、時間にしてみればそれほど長い登りではないけれど、登山地図のCTだと2時間もある、割と長大な登りだ。月夜見でもしゃもしゃと食べたグミなどの固形物はこの登りに備えた補給だった。胃がまったくやられていなかったのは今回の圧倒的な強みだ。

登り始めてしまうと案外あっけなく、やはり自分は登りに強いのだなと思い知らされる。決して速くはない、けれども一切止まらない。止まらないとできない用事があるとき以外は一瞬たりとも止まらない。ひたすら登って登って登り続け、予定通りに御前山山頂に到着した。この山頂はなだらかすぎて山頂感のない山頂だなといつも思うんだよなぁ。ベンチを尻目に特に休憩もせずガレた下りを30分ほど進むと大ダワに到着した。後ろにいる仲間から追いつかれず、前にいる仲間に追いつかぬのなら、もう完全にここからは一人旅だ。追いつかれる可能性は勿論あったが、追いつく可能性はゼロに等しかった。

大ダワはCPではないので、仲間は応援にきていない。しかし大きなリタイヤポイントなので、救護班やボランティアスタッフが多数待機している。一昨年ハセツネに出た時は、このポイントはもっともっと自分にとってドラマティックで、そして肉体的にもキツくて、まだあと20kmもあるのかと精神的にも多少ガックリきていた気がするが、今年は全然違った。時間もまだ22時を少しまわったぐらいだったと思うし、まだまだ日が変わる前だし深夜っていうほど深夜でもないよねーという気持ちの余裕もあった。それに、前回はここからまたひとつ山を登らなくてはならないというイメージだったけれど今回は違う。ここからは「走れるセクション」らしいじゃん?という感じだった。

そう、私はレース直前に、大ダワから大岳山の間は走れると聞かされてきた。道のつき方を地形図で全部見ている訳でもなければ、行ったことがあるからと言ってどんなルートだったか逐一記憶している訳でもないので、山ひとつ越えるっていうのに本当に走れるのかよ、、、と半信半疑だったが、蓋を開けてみたら確かに走れた。私は一昨年このセクションで一体何を苦労していたんだろう?と少し不思議になるくらいフラットなセクションが多く、長いこと走り続けていた。スピードが出せるほど脚が元気な訳でもないのでただただ淡々と歩みを進めるのみではあったけれども、歩くことはあまりしなかった。これが練習の成果というやつなのかもしれない、緩やかな登りは気にせず走った。多少アップダウンがあっても、フラットなんだと脳内変換して走り続けた。しかし長尾平手前の水場に辿り着くと’、つい普通の登山の時のようにのんびり一本入れそうになってしまった。山の水を飲んだ方が元気になるしねーと自分に言い訳をしながら水を飲んでいると、後ろから女性が追い上げてきて一気に抜かれてしまった。嗚呼・・・しかも追いつかない。速い。。。

長尾平到着は23時34分、はじめの貯金を残したままだった。ここからゴールまでの目標タイムは1時間53分、サブ13?いやいやこれは上方修正してサブ12.5狙うべきなんじゃないか?というか・・・上方修正かけるのが遅すぎたなぁ。もっと早く気付いていればサブ12も射程圏内に入ってきていただろうけれど、後の祭り。とりあえず何もなければ普通に12.5は切れそうだったので、きちんと補給して、ロストをせず、足を捻ることなく下ることを心がけた。

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最後の登りともいえる日ノ出山を登りきると、相変わらずの美しい夜景が目に飛び込んでくる。前回のハセツネのことがいろいろと思い出されたけれど、とにかく前回は本当に疲れていたなぁという印象で、それと比べて今回は本当に元気だなとしみじみした。これならきっと最後まで走れるなぁという漠然とした期待。しかしもっとかっとばせるかと思いきや案外そうでもなかったのは自分の力不足なのか、はたまた得意な角度ではなかったのか、石ころの具合が好みではないのか。奥久慈のラストの方がよほど走れたしスピードに乗れたなぁという印象。それでもなんとか走っていると、あっと思った次の瞬間に滑って転んで尻もちついて、右尻に激しい痛みが。

こ・ん・な・と・こ・ろ・で(怒)

もうあと少しなのに!尻もちをついた場所に丁度鋭く尖った岩があったようで、そこにお尻を打ち付けてしまった。切れていないか?流血はないか?前後には誰もいなくて、ひとりでうずくまること暫し。切り傷というほどの外傷ではなく激しめの擦過傷だったのでとりあえず気付かないフリをして進む。痛い、けれどもあと少し。

下りに強い人が次第に追い上げてくる。やはり12時間台のゴールを目指す人に、金毘羅尾根で脚が死んでいるような人は誰もいない。そして私の脚はというと、死んでないけれどもそんなに速くまわりもしない。そしてまたひとり女性がやってきて、抜かれてしまった。また順位が落ちた・・・けれどまったく追いつけないから実力の差だわねーと思って諦めて見送る。みんな強い。

あまり最後の方の記憶が無いのだけれど、最後の00分の補給だけは(また女性に抜かれると悔しいので)すっ飛ばし、そうこうしているうちにあと2kmの看板が現れた。もうじき最後の激下りアスファルトになるなーと思っているとすぐアスファルトセクションが現れたが、それでも私の脚は止まらずに動き続けてくれた。ここ、前は脚が痛くて全然走れなかったんだよなぁ、よく走れるようになったなぁ、と自分の成長を噛み締めながら駆け下りていく。なんか、あれだな、もう終わりか。あっという間だったな。本当に72kmも走ったのかな私?サブ13なんて宣言したからには有言実行したくて、でも不安はあった。やっぱりできないんじゃないかとか、なんだかんだ言ってやっぱりハセツネは難しかった、って、14時間くらいにしかならなくて全然タイム縮まらないっていう展開だってあり得ると思った。でも今これさ、13時間どころか12.5時間切ってるじゃんね。切れるの確定したよね。もう少し突っ込めたかもしれないって今は思うけど、それでもよく頑張ったよ。私が私とダベりながら、ハセツネの最後の1kmを進んでいた。後ろから何人も男性が爆走してきて抜かされて、それでもなんだかもう色々嬉しくてニコニコと笑っていた。コケたし、怪我もしたし、仲間が脱落して心的ダメージを受けたりもしたし、それでも今回心から思うのは、自分のレースができたということ。under controlという言葉が相応しい。思い通りだった。

最後の50mほどをダッシュで駆け抜けるとそこは見知ったあのゴールだった。12時間22分02秒、ポールを2本並べて両手で握って頭の上に掲げ、「あ"ーーーーー!」と絶叫して私の2015年のハセツネは終わった。うるさいw
私が途中で追い抜いたチームメイトには最後まで結局抜き返されなかったけれど、抜いた3人は12時間46分〜55分の間に固まっていたのだから、接戦だったと言えるだろう。
私と25分差程で入って来たジムさんと豚汁(ふたりとも2杯目)。
胃がまったくやられていないのでお腹がすいて仕方がない
photo by Jackieboyslim
お風呂に行くバスも出ていたのだが結局多分誰もお風呂に行かなかった気がする(いつも混みすぎていてお風呂が大変なことになっているので懲りたのかも・・・)。汗拭きシートで体を拭いて着替え、ゴールした仲間達とレースの話をしながら寝袋に入りつつ朝を待つ。興奮のためか眠気はなかった。
身内の最終ランナーは16時間半でゴール。疲れと寒さでついつい体育館に居座ってしまい、誰のゴールも見届けられなかったのが心残り・・・
帰ってしまったメンバーもいたけれど、残っていた仲間で集合写真!みなさんお疲れ様でした!
photo by fuusora-san
ネットのハセツネ速報を見てみると、どうやら年代別で入賞している模様。表彰式は9時からとのことでかなりまだ時間があるけれど、、、やっぱりハセツネの表彰台なんてそうそう立てるものじゃないし立ちたい!!というわけで、時間潰しでアキラさん&ジャッキーと牛丼食べに行ってから再びジャッキーと会場へ戻って表彰式。
1位と2位が帰ってしまってちょっと寂しい感じになってしまったけれど、
だからといって台に乗せて貰えるわけではないw photo by Jackieboyslim
うれしいもんはうれしい。
私にとって今年は、本当の意味でのトレラン元年だったように思う。練習量が増えていたので回復に時間がかかると次のトレーニングができなくなるし、筋肉痛が出ると練習意欲がなくなるからその予防のために6月末くらいからほぼ毎日プロテインを飲んでいた。夕飯を家で食べるときや飲み会などでは炭水化物を摂るのは控え、代わりにできるだけタンパク質を摂るようにした。別に体重も体脂肪も減らなかったけど。また、山に行く頻度が高いとパッキングが早くなって持ち物も行動も無駄がなくなり、前回こうだったから次はこうしようといったようにディテールがブラッシュアップされていくのと同じように、レースに出る頻度を高くしたことで、私の中でのレース対策のノウハウがある程度集中的に蓄積されたように思う。自分がレース中にどんなところにストレスを受けて、どんなときに疲労が溜まって、といったクセも少しずつわかってきた。そして、トレランの先輩方から練習方法や走り方をこの半年間にたくさん落とし込んでもらった。更に今回はレース展開やコツについてもたくさんアドバイスを頂いた。勿論これまでにも先輩方からたくさんアドバイスは受けてきたのだけれど、おそらく私がそれを消化しきれなかったというか、そのアドバイスを受けて活かせるほどの力が私に備わっていなかったのだろうと思う。半年間、自分なりの試行錯誤で人体実験的に(そこまでストイックにやってはいないけど)面白がりながら、そしてお酒をじゃんじゃん飲みながら鍛えてきたけれど、こうして今年最後のビッグレースで大輪の花を咲かせられたことは純粋に嬉しいとしか言いようがない。これからまた来季にかけて練習を続けていけるのかは甚だ疑問ではあるけれど、ひとつ言えるのは、練習すれば誰でも速くなれるということだ。ただ、練習できるかどうかが分岐点であるように思う。とりあえず来年もしハセツネに出るのならサブ12は確実に狙いたい。でもそれはきっと今回の私にとってのサブ13と同じくらい、ぬるめの目標のようにも思うので、もっと追い込むのならサブ11.5を狙うべきかもしれない。いやいや、私は一体どこに向かっているのか・・・(いきなり全然走らなくなる可能性も大いにあるw)

というわけで、距離が縮んでしまった春と夏のレースの不完全燃焼感は解消されたものの、心の支えにしていたハセツネという大舞台が終わってしまったことで少し切なさの増した秋の夜半。そういえば月がとっても綺麗だったな。

最後に、孤独なレースを支えてくれた仲間達には感謝してもしきれません。寒い中スタートからゴールまで本当にありがとうございました。チームっていいよね。ていうか、うちのチーム最高でしょう?
浅間峠の応援を終えて下山する一行。次は月夜見へ。すべてのCPに応援部隊がいてくれるのは本当に心強い!
photo by Jackieboyslim
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おまけ。
レース48時間前からは恒例のカーボローディング。カーボローディングという名前にかこつけて兎に角食べまくる訳なのだが、今回のメニューはこんな感じだった。よく食べたなぁ。
【木曜昼】(外食)カオマンガイ大盛【木曜夜】(家食)アスパラガスのパスタ大量【金曜朝】忘れたけど多分プロテイン+豆乳?【金曜昼】(外食)バターチキンマサラカレー・ナン食べ放題(2枚)【金曜夜】(外食)神田わいずのたまごラーメン大盛り+小ライス

因みに会場に到着してからもずっとゼリードリンクやらメロンパンやらおにぎりやらゆで卵やらチーズやら、途切れることなくエネルギーを摂り続けていた。胃が丈夫だと体内ストレージにカロリー詰め込めるから、持って行くエネルギー量減らせるし食べるのにかかる時間も節約できるし一石二鳥だな。健康って素晴らしいw
大好きです。

2015/10/31

20151031-1101_第23回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

本当に私は71.5kmを走ったのだろうか?もうハセツネは終わってしまったのだろうか。いまだに少し実感が湧かず、良い結果が出せて嬉しいような、それでいて心に大きな穴が開いてしまったような。the party is overとでも表現しておこうか。

最後の瞬間が最上級の感動に包まれるように願いながら、毎日積み重ねていた何か。ここに書き残すのは、今年の私の集大成である秋の1日のおはなし。

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私の2015年のトレランは5月の奥久慈で始まった。初めてまともに練習をして本番に挑んだレースと言っても過言ではない。そして完走できるかどうか怪しいと思っていたその過酷なステージで、私は強烈な感動と共に完走を遂げた。私は元々レースに出るのが好きだったからこれまでにも何度もレースには出場していたのだけれど、この時はそれまでと違った快感が体を突き抜けるのが解った。自分で自分の心と体を完全にコントロールできたし、「走れば、例外なく強くなるんだ」という当たり前のことを身をもって感じた。

7月のキタタンでは年代別8位、8月の志賀高原Extreme Triangleでも年代別優勝と入賞が続いたものの、いずれも悪天候のため距離が短縮されてしまい不完全燃焼状態だった。だから、このもやもやを爆発させるにはハセツネという今年最後のビッグレースを最高のものにするしか方法がなかったのだ。とはいうものの9月は完全に練習をサボってしまい、月走15kmという体たらく。10月は再び走り始めて200kmほどの練習ののちに本番を迎えた。練習内容は皇居ラン、帰宅ラン、30km走、なんちゃってインターバル、ソロトレラン、チームメイトとの試走、といったところか。
控え室となっている体育館にて。チームの他の出場メンバーが全員男性のため私もここへ・・・
早朝に会場入りして体育館の奥の方を陣取る。スタートまで少しでも体力を温存しようと寝袋とマットを持参するも、興奮と装備の最終チェックで全く眠れない。持っていくつもりだった荷物を仲間と持ち比べては荷物を削り、削ってはまた持ち比べ、そんなことを繰り返して結局持参したエネルギーは2000kcal程度だっただろうか。あっという間に12時をまわっていざ出陣。
残念ながらひとりRUN+TRAILの取材で席外し中・・・。photo by Aya
恒例の!でもやっぱり数名不在w
どの辺並ぶ?もうそろそろ前の方攻めておかないと入れなくなりそうじゃん?などと言いながらジワリジワリと10時間台狙いの枠の方へと進んで行く。
前回よりもいい位置からスタート
13時。先を争うようにしてゲートをくぐる。チームの仲間が沿道から行ってらっしゃいと声を掛けて見送ってくれる。奥久慈で私を引いてくれたタケさんは今回も私のすぐ横にいたので、引き離されないようにしながら広徳寺までの舗装路を進んだ。広徳寺までは気合いでなんとか歩かずに進めたが、一旦トレイルに入ったらもう1mも走れなくなってしまったので、とっととパワーハイクに切り替え。タケさんの姿は一瞬にして見失った。
入山峠まで1時間10分を目安に進む。前回のハセツネでも1時間で通過していたので無謀なタイムではない。結果1時間ちょっとで入山峠に到着、その先のシングルトラックでは人を抜くことではなく自分のペースを守ることに専念する。自分のペースとは言ってもこのセクションでは苦しくなるくらいまで追い込もうと思っていたので、気が狂ったようにゼイゼイ言いながら登る。脚はあっという間にヘロヘロになってしまって、しょっちゅう躓いていた。こんなんで本当に大丈夫なの?体が72km持ち堪えるの??という自問自答もあったけれど、自分よりも信頼すべきは先輩方の教え。「浅間峠までを頑張らなくていつ頑張るんだ」という言葉を脳内で繰り返し、自分を奮い立たせては幾度となく現れる激登りに立ち向かう。がんばれがんばれ。とりあえず浅間峠までがんばれ。

市道分岐を過ぎたあたりだったか、タケさんより後ろ、私より先を走っていたであろうジムさんに追いつく。彼が初めてハセツネを走った昨年の記録はたしか14時間01分、これは私の一昨年の記録よりも30分速い。そして試走の時もとても速くて、私はまったく追いつけなかったのだが、今回何故か追いついてしまった。私の後から聞いたところによると彼は物凄いスロースターターらしく、走り始めて6時間くらい経ってようやくスイッチが入るのだとか(遅いw)。ジムさん、と声を掛けると「ああ、ヤスヨちゃん!頑張って」と彼はまるでもうリタイヤするかのように私に返事をした。ここは、頑張って、じゃなくて、頑張ろう、じゃないの...?でも後ろを振り返ると暫くは姿が確認できたので、ちょっと調子が悪いだけなのかもしれない、元々速い彼のことだから、きっと私とそんなに離れることなく浅間峠に到着するのだろう、とぼんやり思いながら進んでいった。

ジムさんを抜いてから吊尾根を走っていると左前方に今度はタケさんの姿があった。また仲間に会えたという嬉しさと、追いつけると思っていなかった人に追いつけた喜びで、手を振りながら、タケさん、と声を掛ける。ああ、という覇気のない声の波動がゆっくりと私の鼓膜に到達した。そのスピードと然程変わらないと思える程の速度で前から後ろへと流れていく景色。それを背景にしたまま一緒にタケさんが遠く小さくなっていく。あれ?私そこまで速くない筈なのになんでこの人を追い抜いた?抜いてようやく事態のおかしさに気付いたが、自分の前にも後ろにも人が連なっていて、引き返すことはできない。少しするとタケさんが人の流れに戻って進み始めるのが見えたが、振り返る度にその姿は小さくなり、そのうち見えなくなってしまった。怪我か?忘れ物か?すごく大事なものを落としてしまって続行不能なのか??兎に角何かトラブルがあったに違いない。事実がわからない内から自分のことのように悔しくてたまらず、しかし何か本当に危険な状態なのであれば早く誰かに伝えなければという思いで浅間峠を目指した。登り続きで脚を追い込んだせいか、下りで脚が思うようにまわらず、思い切り前方にスライディングで大ゴケしTシャツは真っ黒だった。さあ、あと少し。浅間峠には仲間が応援に来ているはずだ。
photo by Monami
今回の目標はサブ13。13時間を越えるという選択肢をなくすため、それ以外のタイム表は持たなかった。浅間峠を16:58に出発できればいいと思っていたが、到着したのは16:30。ここで頑張らなくていつ頑張るんだ、と自らを奮い立たせながら進んだ結果、かなり速く到着してしまった。これが吉とでるか凶とでるかはわからない。

大して疲れているわけでもないので休憩は最小限に。まずトイレへ。そして行動食の入れ替えとゴミの整理、ヘッドライトの装着とトレッキングポールの準備。ここでやることはそれだけ。タケさんがダメかも知れない、私の後で多分すぐジムさんが来る筈、私の状態は悪くない。これらの要件と報告を、応援にきていたジャッキーに簡潔に伝えつつ身支度を整える。予め、スタート〜浅間峠、浅間峠〜月夜見、月夜見〜ゴールの3ブロックで行動食をまとめておいたので、ここに辿り着くまでに食べたジェル類のゴミと、次のブロックで食べるべきジェル類とをごっそり入れ替えるだけ。私が休憩している間にビビちゃんが浅間峠を通過。

支度を済ませて私も再びトレイルに戻る。浅間峠を過ぎた登りのすぐ上でビビちゃんが装備を整えていたので声を掛けつつ、抜き去る。奥久慈のレースで私より15分ほど先にゴールしたビビちゃんに追いつくことは、今回の私の目標のうちのひとつでもあったので、ここで会えたことはとても嬉しかった。目標ひとつ達成!

ここから先の細かいアップダウンではストックを使いながら淡々と。いつもより開催時期が遅いこともあり、ナイトセクションが長くなることは予め分かっていたが、自分が以前より速く走れていたため、結局暗くなった場所は前回とほとんど同じだったような気がする。心配していた気温もそれほど低くない、というより、自分がずっと走っているので全く寒さを感じない。

西原峠に到着し、ここで初めて固形物を口にする。グミを一気に貪りゼリードリンクで飲み下すと三頭山の登りにとりかかった。00分になるとジェル1本、30分になるとアミノバイタルを1本、ペースを崩さず摂取しているせいか、時間の経過がとてもはやく感じる。30分というひとかたまりを幾度も幾度も繰り返しているだけで、もう5時間以上経ったのか。なんだかあっという間だしそこまで疲れていないなぁ、でも前回もまだここでは疲れていなくて、月夜見以降で一気にバテたんだっけか。そんなことを考えながら三頭山(P1531)までの登りを黙々と登っていたら小雨が降ってきた。持ってきたシェルは雨に抗うには心許ない。やばいな。そうこうしているうちにナガイくんに追いつき言葉を交わす。そこから三頭山の山頂まで、今度は私が人を引いて進む番だった。私にとって、途中でチームメイトと出くわして一緒に進む「トレイン」を組むことは初めてのこと。たかだかちょっとの登りで、既に戦友のような意識になってくるのは不思議なものだ。

長い登りを終えて三頭山の山頂に着くと、ベンチに腰を下ろして小休憩をとることにした。少し風もあってとても寒い。エネルギー補給をしているとすぐに体が冷えてきたので、先を急いだ方がよさそうだった。我々のすぐ前には誰も居なくて、三頭山からの下りでは私が先頭を走らなくてはならなかった。大してスピードも出せないガレと岩場の急な下りを、誰か追い抜いてくれー、とかなんとか言いながら、私がよっこらよっこらと格好悪い感じでこなしていく。そのうしろで「月夜見までトレインで行くかー、ジャッキーきっと喜ぶぞー」とナガイくん。と、ほどなくしてナガイくんが足を捻る。先行っていいよーと言われて残念ながらトレインは解散となってしまった。とはいうものの、一度の軽い捻挫ぐらいで走れなくはならないだろうからおそらく大丈夫だろうし、もしかしたら追いついてくるかもしれない。とりあえず再び一人になった。今日の森の中の闇は黒ではなく白に近い灰色のようだ。ガスが出てヘッドライトの光が拡散し、トレイルの状態が見えなくなってきた。

鞘口峠までの下りはそもそもスピードが出せないので光が拡散してもそんなに辛くはなかったのだが、問題は最後の月夜見に向かう下り。飛ばしたいのに見えなくて飛ばせない。でも、雨で少しトレイルが濡れているから・・・飛ばせないくらいが丁度いいのかもしれないな。いや、そんなこと言ってないで先にフォグフィルターをつけた方がいいのかな。あれこれ考えている内に月夜見のCPに到着。道路のガードレールにつけられた反射板がぴかぴかと光りながら出迎えてくれる。ああ、もうここに着いたんだ!タイムも落ちていないし、最初に稼いだ30分ほどの貯金はまだそのまま残っているし。サブ13が射程圏内に入ってきたのを確信した。

私はハイドレーションに麦茶を1.3L、ボトルにゼリードリンクを0.5L入れてスタートしていたのだが、ここで残っていた水分は麦茶が0.3-0.4Lほど。ボトルにポカリを0.25、水を0.25、そしてハイドレーションに水を1L足してもらって月夜見での水分補給は終了。行動食の入れ替えをしているとすぐにナガイくんがやってきたので少し話をすることができた。応援部隊のチームメイトからは3人がDNFだとの報告を受ける。今回ハセツネ6度目の参戦であるタケさんはそもそも胃腸炎をおして出場していたため、矢張りどうにもならなかったとのこと、物凄く速いのにいつもとんでもエピソードで皆を笑わせてくれるfuusoraさんは蜂に刺されてアナフィラキシーショック、カトさんは昨日まで38度の熱が出ていて体調不良だった上に蜂に刺されてそれぞれリタイヤとのこと。私の前を走っているのは、UTMB日本人第6位という好成績をおさめた次元の違うカノくんと、裏山が高尾という恵まれた環境でマイペースに脚を育てているまったりアキラさんの2人だけになった。ナガイくんは私と離れてからさらに何度か足首を捻ったらしく、あと1回捻ったら「オワリ」だと言う。さて・・・
ストレッチをする私と、その手前にナガイくん。photo by Jackieboyslim
ハンドライトにフォグフィルターを装着し、ライトは頭・お腹・手元の3つ体制に。ついさっきまでナガイくんと走っていたものだから、つい引っ張られて長く休憩しそうになるところを、いやいや私の方が先に到着しているんだから先に出発しないと、と思い直して再スタートを切る。時刻は19:30頃だった。