2026/06/28

20260626-28 Deep Japan Ultra 100 (後編)

前編はこちら

CP9 八木ヶ鼻舞復路 (128.8km)    27日20:59
2度目の夜。再び戻ってきた八木ヶ鼻舞であれこれ飲み食いして、また20分くらい滞在してしまった。疲れを取るみたいなCP滞在ではなく、何やかんややっている内にいつの間にか20分も経過してしまうのは良くない(またまた反省)。時間が迫っているというのに結局21:20くらいまで休んで、八木ヶ鼻舞関門40分前に出発となった。着替えも、軟膏系の塗り直しも無し(CPではなく別のところでは何度も塗り直したけれど)。CPを出てすぐの道路にいた誘導の人にエールを貰って「ギリギリだけど頑張ってゴール目指します!」と宣言すると、ギリギリって言ってもまだ関門40分前だよ!大丈夫!という返事がかえってきた。信じて良いのかわからないけれど、まぁ頑張らないといけないのは確かなので聞き流して先を急ぐ。

次のCPまで6kmちょっと、自分のタイム表では早くて1時間半となっていたが、次までずっとロードだというので1時間半もかからないと思った。少し登りもあって歩いたりもしたけれど、ぴったり1時間で到着。

CP10 よってげ邸 (135km) 27日22:20
ここまでずっとエイド食は米中心だったが、ここだけはスープパスタということでちょっと楽しみにしていた(写真はないw)。大麦の入ったトマト味のスープで、大麦のプチプチした食感が楽しくてトマトの酸味が疲れに効いてとても美味しい!地元のおばちゃんが漬けた胡瓜の一本漬けを半分にしたくらいのものやミニトマトも美味しくて、すぐ出発しようと思っていたのにスープも2杯お代わりをして10分ほどの滞在になってしまった。美味しいのは罪だ。今回Solt Stickなるものを初めて導入してみたが、そのお陰なのか胃腸の調子は結構良く、このままゴールまで行けたらいいなと思った。でも今になって考えるとここはまだ135km地点だし自分的に調子が悪くなるのは130km超えた後が多いので、まだ油断はできなかったのだと思う。次まで12.4km。

美味しいですねぇと話しながら一緒にスープを食べていた男性がここでリタイヤを決めた。同じ時刻に同じ場所に居て、私はまだまだ進む気持ちでいるのに、かたやここで試合を終わらせると言う。まだ何とかなるかもしれないし行きましょうみたいな声をかけたと思うけれど、脚は元気だが足の裏が痛いとのことでもう無理だと言った。彼に別れを告げて私は出発した。もう私より後ろの人達は全員リタイヤしていて、いつの間にか最終ランナーになったようだったが、このCPを出発する時はそのことを知らずにいた。

CP10を出発して山の中の峠道みたいなぐねぐねしたところを進むと結構降り基調で飛ばせたりなんかして、ちょっといい感じにペースが上がってきた。でも降りたらまた登ったりして、今度は眠気がやってきた。左右に何もないただのだだっ広い道路を黙々と進むが欠伸が止まらない。走っているので声が揺れて歌えないけれど、前後に人が居ないのを良いことにPerfumeのアルバムを大音量でスマホから流しながら眠気を誤魔化す。登りはすべて歩いていたけれど、なるべくスピードを上げて大股で歩くように心掛けた。股擦れは走ると相変わらず痛かったけれど、塗りたくった軟膏と服用した痛み止めのお陰でなんとかなっている。恥ずかしいくらいの音量でPerfumeをかけていると、関係者の車が追い越し際に応援してくれた。いや恥ずかしい、まぁきっと聞こえていなかったはずと思いたいけれど絶対聞こえていたと思うw

大きな道路を終え誘導されるがままに林道に入り、暫くすると人が追い付いてきた。あれ?女子選手かな?また順位が落ちるのかな?とか呑気なことを思っていたが、そもそも追い抜いてくるのが女子とか男子とか気にしているフェーズでもない。きっと朦朧としていたのだろう。近付いてくる足音と話し声で、後ろに2人いると分かり、それが2人とも男性だということに気付くと、ようやくそれがスイーパーだと認識できた。ギリギリとはいえ八木ヶ鼻舞を40分前に通過しているし、まさか自分より後ろが全員もうリタイヤしているなんて思っていなかったのでちょっと驚いた。八王子と千葉と話していただろうか、2人の楽しいスイーパーの方々とあれこれ喋っていると眠気も飛んだ。「喋ってるとペース遅くなるから気を付けて!」と何度も言われながらせっせと進んでCP11。サーフェスも安定していて難しくなく、結構ペースを上げやすかった。スイーパーの2人がすごく褒め上手で、「全然動けてる!大丈夫!すごい!」と持ち上げてくれたのも凄く有難かった。

CP11 塩谷川復路 (147.4km) 28日1:08
2度目の塩谷川到着。ここでスイーパーが交代となり、別の2人が私に付くことになった。最後の選手ということもあってCP11はそろそろ撤収準備といった雰囲気で、汁物は既に鍋が片付けられていた。最後の汁物が発泡スチロールの器4つに入っていて、既に汁は冷めていた。片付けをしながらにせよ、ここの全員が私を待っていたのだ。有難く、そして申し訳ない気持ちがしたが、それを打ち消すかのように皆が力強く応援してくれる。全然私は諦めていなかった、何故なら諦めが悪いからだ。1度目の塩谷川エイドで食べたちまきはくるみだれだったが、今度はきな粉まぶし。きな粉が口の中の水分を全て吸っていった。

まだまだゴールまでは長く、しかも3回目の大きな登りが待っているというのに、ここが最後のエイドである。水を持たないと足りなくなるし、もう食べ物も持っている中でやりくりしなくてはならない。下調べの段階で分かっていたことだが、こんな終盤に25km以上エイドがないのは結構鬼だ。まぁ文句を言っても仕方がないので十分に水を持ち、おにぎりを1つ持ってエイドを後にする。

交代したスイーパーの方の1人はすごく無口でほとんど喋らず、かろうじてもう1人の方が喋ってくれたのであれこれ話しながら大岳へ挑んだ。2度目の大岳は往路と逆ルートになるのだが往路で繰り返した渡渉のことなどすっかり記憶から消えており、スイーパーの方々を従えて黙々と、怪我だけはしないようにと慎重に進んでいった。いやーこんなにインパクトのある道を憶えていないなんてどういうことなの。しかも登る気満々でCP11を出発したというのに渡渉ばかりで全然登り始めてくれない。稜線に出たらもしかして朝焼けとか見られたりしません?と尋ねると、もう2時間もすると明るくなるし、2時間じゃ上に着かないし、朝焼けには間に合いませんとバッサリ。1000mちょっとの登りなら、頑張れば2時間ちょっとでいけるのでは?と思ったりもしたけれど、結局渡渉渡渉で全然標高を上げないので2時間なんてとんでもなかった。そもそも、タイム表でも5時間くらい見込んであったのだけれど、面倒になってきてこの時全然タイム表を見ていなかった。

スイーパーさん曰く、大岳から降りたところにあるCPが最後の関門だからそこだけ注意する必要があるとのことだった。関門は7時半、大岳から1時間半見ておけばまぁ大丈夫だと言う。しかし時計を見ればひたすら700mとかのあたりでうろうろするばかりで登ったり降りたりをゆるやかに繰り返し、一向に標高を上げてくれないコースにやや焦り始める。空も白みだしてヘッデンを消した4時半頃、私はまだ700mあたりを進んでいた。もう脚の温存とか考えなくていい頃だというのに、息があがるような登り方はせずに淡々とやっていたのだ。大岳は1432m、まだ700m以上ある。登り一辺倒のコース取りになったとしても私はせいぜい1時間500mアップが関の山、山頂に着いたら6時近くなるのではないかとようやく気付いた。

「これ、ひょっとして結構時間間に合わない感じじゃないですか・・・?」
恐る恐るスイーパーさんに尋ねると「そうだね」と言う。気付いてたならもっと早く言ってよ!!!とも思ったが、その手の誘導やアドバイスはレースとしての公平性を損なう行為でもあり、きっとそれはやってはいけないことなのだろう。脚はまだ残っていたので一気にペースアップして息を切らせながらぐいぐい進んで一気に150m以上登ったが、それでもたかだか150m、先は長いし一気にペースを上げたせいか少し気持ちが悪くなってきた。気付けば最後のSalt Stickを服用してから3時間以上経っていた。いかんいかん、これが原因かも知れない。慌ててカプセルを飲み込んだが暫く気持ち悪さは続いて眠気もやってきた。もうなんでもいいから私をプッシュしてくれよという想いでTop Speedを飲んでみる。相変わらず美味しくない。
800mか900mくらいを登っていると誰か登山者が大岳方面から下山してきた。こんな早い時間に登山者か~ソロでトレランしている人かな~応援かな~などと思っていたらシューズに計測チップが付いているのをスイーパーさんが目ざとく見つけて暫しのやり取り。上から着たシェルだかシャツのせいでゼッケンは隠れていたが明らかに選手だった。よくよく服装を見るとTシャツにはピョン吉が書いてあって、途中暫く一緒に進んでいた男性だと分かった。その人は、大岳登り切って今から下山ですと答えるのだけれど、大岳はピストンではなくて先に進まなければならず完全に逆走していた。脚は元気なようで、逆走を伝えるとスタスタと登り返していって一瞬で見えなくなってしまって私はまったく彼に追い付くことはできなかった。

珍しい人も居たもんだなどと思いながら男性を追っていたが、暫くするとまたその人が降りてきて、さっきと全く同じことを言い始めた。今山頂まで行って、これから下山です・・・。いよいよ様子がおかしいので、2人のスイーパーさんが1人ずつに別れ、その男性と私にそれぞれ付くことになった。眠すぎて朦朧としているのだろうか。一度は二手に分かれたスイーパーチームだったが、結局2人とも男性につくこととなり、私はひとりで大岳を目指すことになった。暫くしたらまた1人こちらに戻ってくるのかなと思ったが、最後まで私はひとりのままだった。

5:50頃 もっと早い時間帯は真っ赤に空が燃えて美しかったが樹林帯の中だったので写真が撮れなかった・・・(こんなの撮ってないで登れよ)

気持ち悪さは続き、途中何度か吐き気を催しながら必死に進んだが、大岳山頂に着きそうで着かない。もう稜線にいて、中津又岳を過ぎても、大岳に着かない。4:45に900mくらいに居たので、頑張れば5:45には1400mくらいまで行けると思っていたが、実際は稜線に出てからの斜度がゆるくて距離を稼ぐ感じになってしまった。5:45を過ぎたな、もう5:55だな、うわぁもう6:00で関門まで1時間半だ、まだ着かない!間に合わない!頭上でブーンと音がしていた。ドローンで私を探しているのだろうか、それとも撮影でもしているのか。そんなことを思いながら進んでいるとようやく大岳山頂に到着した。時刻は6:17、遅い!!(泣)間に合わないかもしれない、否、なんかもう十中八九間に合わないんじゃないだろうか。思わず顔が歪む。

CP12 大岳復路 (159.1km)  28日6:17

昼間のヒメサユリが見られたのは嬉しい!

山頂には複数のスタッフさんが居た。後ろの挙動不審な選手の話を手短に報告し、私にはスイーパーがついていないということを伝えると急いで下山を開始した。山頂のスタッフの方によるとCTで1時間半とのこと。おや?自分のタイム表でも1時間ちょっとで見積もられていたのでひょっとしてギリギリ間に合うかも?一旦落ち込んだ気持ちが再び上向きになった。トレランペースならCTの半分で45分、足場が悪くて遅くなることを考慮しても60分みればいいだろうと脳内で計算をする。下山してから少し舗装路を進んだ後に関門があって、のんびりしていると危ないから急ぎ目で降りてー!と言われたが、たぶん「いそぎめ」よりもスピードを上げないと危ないだろうという気がしてハイペースで降りて行った。メジャールートで人の往来もあり、ゴルジュのようにえぐられた粘土質のトレイルで、走れるという感じでもない。丁度早朝ということもあって登山者が登ってくるので、すれ違いではできるだけ足を止める。登り優先、それでもレースのことを知ってくれている登山者は私に道を譲ってくれるなどしてとても有難かった。徐々にゴールするイメージやゴールの瞬間をリアルに想像し始めたのもこのくらいだったか。このブログの冒頭に書いたような「諦めなくて良かった」というようなことをしみじみと感じていた。たまに登山者とひとことふたこと会話をしながら降っていったのだが、気付けば沢の音が結構遠い。関門の標高を把握していなかったので段々不安になってきた。一体標高何mのところに関門があるのか、あとどれくらい降りたらいいのか。時間が迫ってきた頃に一度舗装路のようなところに出たので、スタッフの人が話していた「下山してから少し舗装路を進んだ後に関門」という話でいうところの「舗装路」がこれかなと喜んだのも束の間、再びトレイルに放り込まれてしまった。今、応援してくれたのスタッフだったよね!?もう関門が近いから関門の手前に出てきていたじゃないの!?うわああああ。ひょっとしてさっきの人はただの応援の人?もはやプチパニックである。

再度放り込まれたトレイルは里山の沢沿いの雑な藪といった体で足場は少々ぬかるんでいたが、もう背に腹はかえられないとばかりになりふり構わず走った。転ぶかも知れないけれどそんなこと構っていられない。途中登山者とすれ違って、舗装路ってまだ遠いですかと尋ねると、道路までならもう少しですという返事が返ってきた。「道路まで『なら』」という言い回しに一抹の不安をおぼえる。この人が関門のある場所を通過して、歩いてアプローチしてきたのだとしたら、関門はまだ先だけど道路までであればあと少し(関門は遠いけど、関門については聞かれていないから答えないし、答えたらこの選手はがっかりしてしまうから言わないでおこう)、そんなニュアンスを含めて発語している可能性が高い。まずいまずいまずい。スイーパーさんと一緒に大岳を登っている間に「最終関門で関門アウトは絶対に嫌ですよね・・・」なんて話していたのがまさか現実になってしまうのか。私がその「絶対嫌」を体験するのか。こんな最後に足切りしようなんて意図はないから、最終関門はそこまで厳しく設けられている訳ではないですよって言ってたアレは嘘だったのか。いや別に嘘とかではない、単に自分が間に合わないかもしれないっていうだけなのだけれども。頭がフル回転して止まらない。考えたってどうにもならないのに、頭が考えることを止めてくれない。

ようやく舗装路に出た。まだ7:30にはなっていないがもう7:26とかそのくらいだったと思う。しかし「少し舗装路を進んだ後に関門」の「少し」が何キロか何mか分かっていないので、諦めるわけにもいかず無心でガンガン走る。そりゃもう必死で、ゲーゲーというよりはヒューヒューというような音を立てながら関門を目指した。気分的にはキロ5分を切るくらい出ていたけれど、後でログを見たらキロ5:40くらいしか出ていなかったし喉から血の味がするほど追い込めた訳でもなかった。7:28を過ぎてからは時計で秒まで見ていたが、ここからの2分は人生で1番短く感じた。28分は0秒から59秒まで本当にあっという間で、29分になってからは30秒を見たと思ったらもう次の瞬間には58秒だった。嘘みたいだった。ここまで来たのに、あと9kmでゴールなのに、私のレースはここで終わるのか。いやしかし私の時計が狂っているかも知れないし、僅かに遅れたくらいなら恩赦みたいなこともあるかもしれない。一縷の望みを捨てずに走り続けていると鼻血が出てきた。道中どこで出したかは忘れてしまったのでここまで書かなかったが、3度目の鼻血だった。

ポケットに入れたティッシュを詰めてそれでも走り続けているとスタッフの男性が歩いてきた。関門時刻を過ぎているのにこいつまだ走ってるよと思われるだろうか、もう関門過ぎましたよと言われるのだろうか。そんなことを思いながらも走ることは止められず、関門まだですかと聞くと「もうすぐだけど、そこ関門じゃないから、IBUKIでタイム計測しているだけで先に進めるよ!」とのことだった。間に合ってるとか間に合ってないとかは関係なくて、ゴールまで行かせて貰えるって本当なのか!?胸は高鳴った。走るのを止めて歩いたりしなくて良かった!仮にゴールまで行くとしたって決して時間に余裕はないのだ。

CP13 二口登山道入口復路 (164km) 28日7:35頃
右手にこぢんまりとした関門が見えた。ようやく着いた・・・!と思ったら、視線の先に4-5人のスタッフが立ちはだかって手で大きく×を作っていた。関門時間ですと彼等は言った。さっきすれ違ったスタッフの人が、ここはタイムの記録だけで関門じゃないから先に進めるって言ってたんですけど・・・と聞くと「情報が錯綜していてすみません、でもここは関門なので」みたいな返事だった。2-3回ほど「どうにかならないですかね、なりませんよね」とダメ元で食い下がってみたが、どうにもならないですねとのことで私のDeep Japanはあっけなく終わった。まじか。こんな終わり方があるのか。トレッキングポールに上半身を預け、体を二つに折って地面を見た。しばらく動けずにじっとしていたが、涙は出なかった。悲しいとかそういう感情を通り越して、なんというか、どうしたらいいのかわからなかった。この関門で引っかかった絶望的に不幸な選手はわたしただ一人だと思ったら、もうネタにするしかないよなぁなんて余計なことまで考え始めていた。しかし関門の奥の常設のお手洗いの前に女子選手が1人座っていて、なんとその人もここの関門アウトを食らったのだった。私以外にも不幸な奴がもう1人居た!しかも彼女はここに関門があると思っていなくてのんびり走っていたらしい。私のほんの1、2分前に着いたばかりとのことだった。いやはや、まさかこんな近くに女性が居たなんて全然気付かなかった。一旦走ることを止めたら、思い出したように体のあちこちが痛み出し、座ったり立ったりすることも難しくなっていた。満身創痍でドナドナカーに揺られ、彼女と私は入広瀬の会場へ戻った。

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会場に着くと肩身を狭くしてそそくさとドロップバッグやメインバッグを回収して建物の脇で身支度を整えることにした。一緒の車だった彼女は「もうこの会場に居たくない、少しでも早くここを出たい」と言ってどこかへ消えていった。姐御肌の彼女は口悪いながらも彼女なりにショックを受けているようだったので一緒の写真も撮らずにそのまま別れた。私はと言えばお腹がすいていたので表彰式の壇上脇で振舞われていた最後のおにぎりなんかを食べに向かった。私のこの悲劇は黙っているとより悲壮感が増すような気がして、人と話せば真っ先に最終関門アウトの話をして道化を演じるしかなかった。おにぎりを貰いながら、スタッフの女性に「聞いてくださいよ、私、最終関門であと9kmで引っかかったんですよwww」と話すと、その人は慌てて「あなたに会いたいっていう人が居るから呼んでくる!ちょっと待ってて」と言っておにぎりブースを離れてどこかへ走っていった。はて、誰だろう?というかどういうこと??

少しするとおばあちゃんが1人やってきて、そのあとから2人3人と人が集まってきた。見たことのある顔や記憶にない顔などまちまちで、でもその全員がスタッフの人達のようだった。おばあちゃんがどこにいた誰だったのか分からなかったが、私の手をあたたかい両手で握って話し始めた。八木ヶ鼻舞かよってげ邸あたりにいらした方で、私が最終ランナーとして出発するのを見送ってくれていたようだった。その最終ランナーだった女性(私)が、関門に引っかかってゴール出来なかったという連絡を既に受けていて、私に会いたがっていたらしい。
私は45時間以上動き続けていた疲れと、自分がゴール出来なかったことによる放心状態と、その他もろもろ重なって頭が中々追い付かなかった。おばあちゃんが私に何を話してくれていたのかきちんと覚えてはいないのだけれど、すごく頑張った、残念だったけど本当にお疲れ様、そんなようなことを言われたんだと思う。おばあちゃんはちょっと泣いていた。おばあちゃんの手のぬくもりが私の手に伝わってくると、一気に自分の感情が正常値に戻っていくのが分かった。関門の先へ進めなかったショックで思考停止してバグっていた感情が堰を切ったように流れ出し、おばあちゃんの潤んだ目に引きずられるようにして私はようやく泣くことができた。関門アウトから1時間半近く経ってようやく判った、私はすごく悲しくて辛かったのだと。

すぐ近くの表彰台では表彰式が終盤を迎えていた。人目も憚らず、たくさんの初めて会う人達の真ん中で私は大泣きした。ひとしきり泣いたら少し気持ちも落ち着いて、お礼を言って一緒に写真を撮ってもらった。あとで写真を見るまで気付かなかったが、白のノースリーブの男性はよってけ邸からスイーパーしてくれた2人のうちの1人だった。最後に会えていたというのに、ちゃんとお礼が言えなかったのは心残りだ。

この後も、SNSで繋がっただけで実際に会うのは初めてのN間さんに会えたり、バリ島で出たレースのコースディレクターのNizar氏と去年のDeep Japanぶりに再会できたのも嬉しかった。あれこれしている内に温泉施設のオープン時刻の10時になり、会場を後にした。私は後泊してI﨑さんと宴会キャンプの予定だったので、初日に通ったハーブ香園を再び訪れ、月曜日まで魚沼を楽しんだ。因みに完走できなかった反省点としてはまず下準備としてのタイム表の精度が低かったことが大きいと思っている。あと1時間早く、関門に間に合わないかも知れないということに気付いていればゴール出来ただろう。あとは後半の休憩を長めに取り過ぎたこと、そもそもの基礎走力がこのレースに対して不足していたこと、挙げたらきりがないくらい色々思いつく。今になってあれこれ言っても仕方がないので、次回以降に活かしていくしかない。
黄色のテープは八木ヶ鼻舞往路で1枚、もう1枚はどこだったかもう少し先で付けられたもの。ゴールに近付いた選手の証。
レース2番目は少し欠けていた月も満ちて、この日は満月だった。
夜も朝も肉と酒!
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ゴールしてから言う筈だった『 最後まで諦めないで良かった』という台詞は結局言わぬまま終わってしまった。でも『最後まで諦め』なかったのは事実で、なんなら最後の瞬間である7:30を過ぎたって私は諦めていなかった。ちょっと頭悪いんじゃないのかと思うくらいに諦めが悪かった。まさか自分がそこまで諦めが悪いとも思っていなかった。

ゴール出来なかった私にとっての最後というのは最終関門でログを止めた瞬間になる訳だけれども、じゃあその最終関門まで諦めなかったのは果たして良くないことだったのだろうか。仮に「完走できなかった」という一点だけにフォーカスするなら、無駄に疲弊して走り続けただけで何の意味もなく、諦めが悪いということは良くないことだったのかもしれない。でも私にはそうは思えなかった。これが自分の生き方でもあり、性格であり、死ぬまで付き合っていかなければいけない私という人間なのだ。確かに何の記録も残らないしただのDNFなだけで価値はないかも知れない、でもそんな自分の無様な走りを見ておばあちゃんは涙を流し、スタッフの方々は必死に励まし私を憶えてくれ、応援にきてくれた友人は感化されて人生初のレースにエントリーしてしまった。人のモチベーションになったり人の心を動かしたりできたのなら、それは自分が走った意味も価値もあったというものだ。頑張った証、スポーツのあるべき姿。残念で想像もしていなかった結末だったけれど、想像もできないようなことが起きるのが人生なのかも知れない。それでも負けず、めげず、諦めることなく生きていくしかないのだ。

「日本の深い所(DEEP JAPAN)手付かずの自然に入り、
自分の深い所を見つめ、なぜ生きるのか、
その答えを描けるような経験を提供。」

大袈裟すぎるだろと思っていたDeep Japanのモットーみたいなこの文章、やっぱり今見ても仰々しいなと思ってしまうのだけれど、なにか松永さんが伝えようとしていたことに近いことを今回感じられたような気はしている。なぜ生きるのか、それは多分生きるしかないからだと思う。生きるしかないというのは生きなければならないという義務感や諦めとかではなくて、希望の光に満ちた残りの50年であって欲しいと願うが故の「生きてやるぞ」という強い意思に近い感じ。何度も言うけど、私は諦めが悪いからね。

きっと私はこのレースのことを一生忘れないだろう。

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2026/06/27

20260626-28_Deep Japan Ultra 100(前編)

『 最後まで諦めないで良かった』

ゴールゲートに辿り着いた瞬間真っ先に言う台詞というのは、そのとき一番強く周りの人達に伝えたいと思ったことが口をついて出るものであるだろう。その台詞は、自分にとってこのレースはどんなものだったかを端的に表現した言葉になるはずだ。ゴール予定時刻の数時間前、その台詞は何になるだろうかと考えたら、すぐにこの台詞が自分の中から湧いて出てきた。女子はほとんどゴールしていなかったので、ゴールさえすれば入賞できる。脚はまだ残っていて走れるし、眠気も何とか捻じ伏せられそう。ゴール地点に戻ると、きっと主催の松永さんが興奮気味に完走を称えてくれるだろう。その声が今にも聞こえてきそうだった。ほぼ最終ランナーである私は、会場の人達の拍手と笑顔で温かく迎え入れられる。感動して泣くかなぁ、それとも興奮して暫くは笑ったままだろうか。ゴールしたら今年もまたポートレート撮影があるだろう。私はどんな表情をしているんだろう、わくわくとドキドキ。途中でやめたいと思った時間帯もあったし、そもそもこのまま続行しても大丈夫とはとても思えず、リタイヤすべきなんじゃないかと真剣に考えたりもした。それでもどうにかその葛藤を押さえ込んで進み続け、ゴールできるとスタッフの方々に言われてからも凡ミスを警戒し決して油断はしなかった。もうここまできたらきっと大丈夫のはず、諦めずに走って本当に良かったと心から思った。
しかしその台詞は私の口から世に放たれる機会を失ってしまった。間違いなく最後まで諦めなかったけれど、完走には届かなかった。止めたくなかった時計のアクティビティログを止めると距離は170kmと記録された。残り9kmだった。

私は泣かなかった。泣けもしなかった。

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昨年出走したDeep Japan Uonumaで2位だった副賞でタイのレースに招待され1位をとり、今度はタイのレースの副賞で今回のDeep Japan Ultra 100に招待された逆輸入選手のわたし。自分はそこまで速い選手ではないが、成り行きで招待枠を手にしDeep Japanの100マイルに挑戦することになった。易しいレースでないのはわかっていたのでそれなりに練習はしていたけれど何かに特化した練習をしたという訳ではなく、よく登りよく走り、なるべく荷を背負い、30時間近く歩くみたいなことをちょこちょこやったりして当日を迎えた。練習をやり切ったという自負もなければ強くなった実感を持って挑んだ訳でもなかったので、うすぼんやりとした不安を残していた。ひとまず途中の関門を突破しなければ自動的に130kmしか走らせて貰えなくなるルールのため、その関門を越えることを目標にした。でもそのための平均ペースの計算とかはすっかり忘れていたり、色々と準備不足な感じがあった。

出発はレース前日。昨年同様、各駅停車で乗り鉄しながら現地へ向かう。

小出駅での只見線乗り換えは1時間半近くあるため徒歩15分ほどのセブンイレブンへ向かう
1両編成の只見線(萌え)
レースの案内はよく見ていたつもりが、会場が去年から変更になっていたことには気付いていなかった。去年の会場は廃校になった小学校だったが駐車場が工事中のため、今年は近くのスポーツセンターだった。受付を済ませて仮眠室を確認してから夕飯。
草地を避けたものの矢張り蚊やブユがいていくつも刺された・・・
蚊取り線香を焚いたが効果は無しw
ミートソースパスタ(パスタ150g)
これにポテチやセブンのお惣菜など食べた上にパンも食べ、摂り過ぎなくらいカロリーを入れる(食べすぎ)。
女子仮眠室は体育館のステージ。緞帳が下りていて目隠しになっているものの、空気が流れず暑い。夜間利用していた選手は私ともう1人だけだった(後で知ったが、この時一緒だった人はレース序盤を1位で走っている選手だった)。
台風が接近していたためレース当日は朝から土砂降り。しかしレースのエリアは微妙に台風の進路から外れていて影響も大きくなく、レースは短縮されずに開催されることになった。気温は高く、レインウェアを着るのは憚られる。結局スタート直前に雨が少し弱まったこともあり、ほとんどの人がレインウェアを着ずに走り出していたようだった。もちろん自分も。
スタート直前はDeep Japan恒例、六花さん作のテーマソングの演奏!
聞いた人ならわかる、耳に残って一生忘れられない歌声とリフ、そして松永さんのラップw
(今回走りながらずっとこの曲が頭の中をループしていた)
長いレースで前に並んでも私にとっては全く意味がないので、ほぼ最後尾からのスタート
演奏が終わるといよいよスタートだ。
Start                            26日11:00
CP1 山菜会館往路 (10.4km)          26日12:28
CP2 山菜会館復路 (36.6km)          26日17:46

1日中1mm程度の雨が降り続く予報だった割に思ったほど酷くはならず、逆に日が出てくると暑いなとか思いながら蒸し暑い曇天の下を走り始める。昨年走ったコースを守門岳までなぞってから100マイルのコースへと分岐していくので、序盤暫くは気楽に進む。去年より速いペースで進む訳にはいかないので、できるだけ心拍をあげないように調整して慎重にいく。とかなんとか書いているけれど、実はこれまでレースで心拍なんて気にしたこともなかった。
心拍を気にしていると、心拍計が合っているのかどうなのかは分からないがあっという間に160とか超えてしまう。しかも呼吸が荒いからといって心拍が高いという訳でもないのでどういうことなんだろうか(不勉強)。去年は80kmのレースだったこともあって登りもゼーハー言いながら頑張って、いけるところまで走って登る!みたいな根性論で進んでいたが、今回は距離も長いのでそんなことをしていては終盤脚が終わるので淡々と刻むことにした。100マイルは我慢の走り。
11:57、山菜会館より手前の登り。もっと悪天候だと思っていたので展望があってうれしい!
12:28、1年振りの山菜会館に到着。目を引くカラフルな建物が懐かしい。一度浅草岳近くの前岳を登って降りて再び山菜会館に戻ってくるまで25kmほどの区間はエイドがないので水をしっかりチャージする。まだそこまでお腹もすいていなかったが暑いので、楽しみにしていた「かわいいあまざけ」をガブ飲みさせてもらう。今年もめちゃくちゃ美味しい。確かこの山菜会館の手前の降りくらいでSさんに会い、ここでもまた合流したのだったと思う。Sさんは昨年のDeep Japanを完走した女性のうちのひとりで、昔から「強い選手」として憧れ尊敬していた。以前奥久慈トレイルでも似たような感じで追い着いて話しかけたことがあったので、今回もコース上で会えてすごく嬉しかった。ついつい長居しそうになるエイド、気付けばSさんがもう出発しようとしていたのでいそいそと追いかける。
13:58 スマホのレンズが曇って、拭こうとしても乾いたものが全く無いので拭ききれず・・・
この時期の浅草岳はヒメサユリが美しい。去年も見ることができたけれど、今年はどうかなと思っていたら、去年にも増して数も多くてとても可愛いらしい。色の濃い個体もあって暫し癒される。
道の脇を固めるヒメサユリ
去年に続き今年も「低温セット」「残雪セット」の装備が除外され、必携装備としては最軽量となったものの、残雪がない訳ではない。僅かな雪の上をゆくとひんやり涼しい。
この写真に写っている人とは暫く抜いたり抜かれたりしていた。
ゴールしたんだろうか・・・
再び山菜会館。長い区間だったが水は多めに持ったので十分足りた。往路で写真を撮り忘れてしまったので復路はあまざけブースの写真を撮ることにする。相変わらずレンズの曇りが酷い。ここでもあまざけガブ飲み。そして往路で食べなかった豚汁もいただく。そして魚沼の米で握ったおにぎりは最高に美味しい。
山菜会館を出発して少し進んだあたりでIBUKI端末を付けた筈のところにIBUKIが見当たらない。焦って会館へ戻ろうとしたが、端末の重みで少し下にずれていただけだった。無くさないようにしなくては。。。
ここからハーブ香園まではロードもあって走れるところは走って進む。想定していたタイムよりかなり速いが、心拍を抑えているので結構ゆっくり走っているし、登りはほぼ歩いているので突っ込みすぎということもないだろう。汗で微妙な写真しか撮れないということや、長丁場であらゆる体力を温存したい気持ちがあって、今回は全然写真が撮れておらず、この区間がどんなだったかあまり記憶が無い。

CP3 ハーブ香園 (51.5km)                26日20:31
CP4 大岳往路 (62.5km)                    27日0:08
CP5 塩谷川往路 (74.6km)                27日2:28
序盤は去年と同じだし、80kmくらいまでは普通に進むだろう。ましてやペースも抑えるだろうからそんなに疲弊しないはずだ。というか、序盤で疲弊していたら160kmも走り切れる気がしない。
しかしどうだろう、50kmくらいでもう相当やられている。Sさんとそのお友達の3人パーティはロードの登りがとても速くて、私は何度も置いて行かれては降りで抜き返し、そんなことを繰り返して再びハーブ香園で一緒になった。私は割と真剣に黙々と進んでやっとこの速度なのに、彼女達はやいのやいのとお喋りしながら似たような速度を保っていて余裕がある。矢張り強い人は違う。とはいえ比べていても仕方がないしまだまだレースは3分の2以上残っているので自分のレースに集中すべきだ。豚汁やおにぎり、浅漬けやスイカを食べお手洗いを済ませてエイドを後にする。前岳の降りもかなりずるずるで尻もちをついたりしていたからか、下着の中まで枯葉のくずが入り込んでいた。どのあたりからだったか忘れたが、股擦れも酷かった。

去年の記憶が確かならば、大岳の登りは前岳の登りよりもさくさく進んで登りやすかった筈だ。決して楽な登りではないのだけれど、自分に合っているというか、難しいことを考えずひたすら頑張れば良いという感じ。脚も呼吸も、まだまだいけるぜプッシュしていけよと自分を煽ってくるのだがぐっとなだめる。ここはクレバーにいかなくてはならない、プッシュするのは今じゃない。ぐいぐい登りたい欲求をこらえて登っていく。
0:08 往路の大岳到着。
初日の夜は山頂付近の風が強まる予報が出ていたが、想定していたほどの風はなかったので特にシェルを着たりすることもなかった。数人がほぼ同時に山頂に到着し、待機のスタッフの方が「100マイルですか?80kmですか?」と質問をする。「残念ながら100マイルです」というと私を含め数名が北のルートへ足を踏み入れた。1歩目からなんだか藪がちで刈り払いされ切っていない。ガサガサと進む。ここから先は知らない場所だ。レースはおろか、登山でも歩いたことがない。どんなルートなんだろうとわくわくしつつ、しかし疲労はあり、そして真っ暗だった。

すぐ先の中津又岳を過ぎて稜線を少し進むと稜線を離れて下山路にさしかかる。はじめは尾根道だが700mくらいから下は沢沿いで、数えきれないほどの渡渉を繰り返す。夜中1時を過ぎた頃、雨足が強まり、おそらく10mmくらいの降雨だったと思う。山頂通過時にこの大雨じゃなくて良かったと心から思った。それにしたって、予報ではこんな大雨だなんて言っていなかった!降り過ぎじゃないの!流石にレインウェアを着るべきか悩んだが、既に汗で全身びしょびしょだったのでレインウェアは着ずにそのまま進むことにした。

ここの区間は復路でも使うのだが、実は復路では往路の渡渉の記憶は完全に消え去っていて「大岳の登り(往路では降り)ってこんなに渡渉があったんだっけ・・・・・」と狐につままれたような気分だった。

降り切ると塩谷川エイド。新潟の友人であるI﨑さんが土曜の朝から応援に駆けつけてくれるというのでタイム表を共有していたのだが、早くて塩谷川5時過ぎ着予定だったのに2時半に着いてしまったため友人とは合流できず。
地元の奥様方が優しく迎え入れてくれるエイド。「とても2時半とは思えない状況よね」と笑っていたが、彼女達だってこんな時間まで起きていることなんて年に何度も無いだろうし疲れや眠気があることくらい簡単に想像がつく。サポートが心に沁みる。
エイド初登場のちまき。笹の葉に包まれたお米はおはぎのようにぎゅっと固められている。くるみだれをかけて頂く。とっても美味しくていくつも食べたくなったが、食べ過ぎて気持ち悪くなっても厄介なのでひとつにしておく。
まだ1晩目なので胃腸の調子が悪いということも眠いということもあまり無く、しかし過信は禁物なので何事もほどほどに。今回のレース中はパンをあまり受け付けなかったのが印象的だった。食べてもあんぱんだけ、クリームパン系はまったく美味しく感じられず、ほとんど手を付けなかった。米とジェルと汁物は相性が良かった、特に米はおにぎりを持ってエイドを出発し、途中でひとくちずつ食べるととても調子が良かった。液体になるくらいまでよく噛んでから飲み込むと、ほぼジェルみたいなものだ。

ここから16kmほど進むと遂にドロップバッグポイントである八木ヶ鼻舞に着く。どんなだったか?地図を見る限り割と山の中を進んでいたみたい。あまり記憶はないが八木ヶ鼻舞の近くの田んぼのあたりで蛍が飛んでいて綺麗だったのを覚えている。八木ヶ鼻舞から先の最北のループが一番きつくて、しかもそのあたりからヒルが出始めるとの前情報だったが、八木ヶ鼻舞より手前のどこかの渡渉で早くも手足にヒルがついてきた。まぁ、血が出るだけで痛くも痒くもないのでそれほど気にしない。

CP6 八木ヶ鼻舞往路 (91.2km)                                  27日6:38
応援のI﨑さんとようやく八木ヶ鼻舞で合流、そしてここのCPのCut Offである10:00には余裕をもって到着することができた。ここの関門を越えられないと北のループに入れてもらえず130kmのコースに切り替えられてしまうのだ。昨年、一昨年と2年連続でこの関門に引っかかってしまった友人を知っていたので、私はここをとても警戒していた。ここさえ突破すればあとはなんとかなるだろう!・・・とまで楽観視はしていなかったけれども、それでもひとつ目標はクリアできてほっと一安心。順位もまさかの6位まで上昇、ようやくドロップバッグとご対面だ。

I﨑さんはトレランをするでもランニングをするでもない登山友達なので所謂サポートという位置付けではなかったが、事前にあれこれ他人のレースレポートを見たりポッドキャストを聞いたりしていたら、サポートしてもらえるなら絶対にサポートがある方がいいと言っている人が多かったので、相手に期待しすぎない程度にゆるやかに、事前に頼み事をしておいた。エイドに珈琲などはあるようだったがカフェイン系のなにか、胃腸トラブルに備えて葛湯のようなもの、保冷剤的ななにかを用意して貰えると有難いということ。用意してもらっても使わないかもしれないものも多いこと、場合によってはピリついているかもしれないということなどを伝えてあったと思う。
顔までこんなに泥だらけだったのは、写真を見て後で知ったw
数量限定だったイノシシ汁にありつけて良かった!歯ごたえのある肉肉しい猪肉をぎゅぎゅっと噛みしめる。以前友人と話したことがあったが、ジビエというのは鹿にせよ猪にせよ力強くて、動物が生き抜いたエネルギーがそのまま体に入ってくるような感じがして食べると疲れる。でもその食べ疲れを上回るようなパワーが漲るものだ。何杯でも食べたい気持ちだったが数量限定なので後の人のことも考え、また消化の負担もあるので1杯だけにとどめる。1回目の八木ヶ鼻舞では着替えも靴の交換もせず、ザックに食料の追加をして先へ進んだ。エイドワークがいまいちスムーズでなかったので、八木ヶ鼻舞の往路と復路でやることをきちんと整理して書き出したり袋を分けたり、もう少しやり方があったんじゃないだろうか。猛烈な眠気みたいなものはなかったけれど、それでもやっぱり脳は疲れてきていたのだろう。もたもたして20分以上滞在してしまった。眠気らしい眠気はまだなかったので、I﨑さんが用意してくれたレッドブルはここでは飲まず、エイドのアイスコーヒーやコーラを少し飲むだけにとどめた。

八木ヶ鼻舞を出発して少しすると一度目の眠気がやってきたのだったと思う。まだ24時間未満なのにちょっと眠気が来るのが早いなぁと思いながら、なにかしらのカフェインを投入した。標高100mに満たないCP6から袴腰山のピーク526mを踏み、細かくアップダウンを繰り返しながら進む。Deep Japanのコースは大きな登りが3回あって、浅草岳と守門岳の激しさからほかの細かいアップダウンを甘く見てしまうのだが、よくよく見れば細かいと思われるアップダウンも冷静に考えたらいちいちパンチがきいている。しかも、雨が降った後でなくても滑るというコースに雨が降ってしまったせいで、ぬかるんで道がほぼ滑り台である。

CP7 三条市中浦ヒメサユリ森林公園 (103.3km)    27日10:58
I﨑さんの顔を見るや否や、マジでヤバイwwwとか漠然とした感想を言ったような気がする。語彙力ゼロ。いや本当にヤバい。
こぢんまりとしたエイドだった。ここでようやくI﨑さんに用意してもらっていたレッドブルを飲む。一旦眠気はおさまっていたので飲まなくても良かったのかも知れないけれど、缶のまま持っていって途中で飲むと空の缶が邪魔なのでCP7で飲み干すことにした。順位はまだ6位をキープ。今回の女子出走者のほとんどがITRAのPerformance Index500をゆうに超えていたので、PI 518の自分が思ったより上位に留まっていることが不思議でもあり、そして不気味でもあった。
ドロドロw
ちょっとこの区間だったかどうか定かではないけれど、北のループはとにかくずっとそんな感じで滑って転んでばかりいた。しりもちしてバウンドして次にザックから着地したあと、なんなら頭まで打ち付けて頭に巻いた手拭いが土色の模様をつけた。幅5mくらいの斜面一面に誰かの滑り落ちた痕が残り、もうどこを選んでも滑るしかないようなのが延々と続く。かと思えばシングルトラックも脇にそれたプチ滑落痕が其処彼処に残されている。本当にどうしようもない時はシリセード、ギリギリでグリセード。どうにかなりそうなときは土の滑り台の脇にある木の枝を雲梯のようにして伝ったり、そこらのバリエーションルートより余程激しかった。腕が筋肉痛。このレースは腕力も問われるのか。

CP8 ビジターセンター (117.1km)       27日16:00
何故かハワイがテーマになったような陽気なエイド。到着したのは16時だった。CP7までは、元々作ってあったタイム表よりも巻いていたが、ここからはタイム表より遅れ始めた。というか、おそらくタイム表の作り込みが甘かったのだと思う。今回Ultrapacerというサイトで自動生成させたタイム表を使っていて、この区間はロードだとかサーフェスが厄介だとかそういう細かい設定を省いてしまっていた。いつもは過去の選手の記録とかをいくつか比較したりしてタイム表を作っていたのだが、それをやらなかったせいでタイム表の精度が低かったのだろう。CP7からCP8の区間で3人パックになっていた女性陣に追い抜かれて、ここで9位に落ちた。ロードで鼻血を出して休んだのもこの区間だったような気がする(うろ覚え)。
汁物やおにぎりにスイカ、そしてI﨑さんが持ってきてくれたアイスを1本食べ、靴の中のヒル退治をする。血ぐらい吸わせとけぐらいに思っていたが、エイドの方々が靴を脱ぐよう強く促すのでとりあえず脱いでみることにする。血を吸われてはいなかったが靴の中には複数のヒルがいて、靴も靴下も見事に塩まぶしに遭うw
段々時間感覚がおかしくなってきて、外は明るいのに脳は静かに動きを止めようとしてくる感じがある。明るいから昼過ぎのまま時間が止まっているような気分なのだけれど実はもう16時で2日目の夜が迫っていた。次のエイドは2度目の八木ヶ鼻舞、僅か12km弱しかないと聞いて「じゃあそこまで水持たなくてもいいか」と口にすると、あのTJARの土井さんでも3時間かかったから結構かかるだろうと聞かされて血の気が引いた。土井さんで3時間なら、私なら5時間で突破できるかもちょっと怪しい。
2度目の八木ヶ鼻舞を19時に出発しないと完走は厳しいと話す人がいた。でも八木ヶ鼻舞の関門は22時ですよね?いや22時に着いたのでは絶対に間に合わない。そんなこと言っても19時に八木ヶ鼻舞に着くのは実際もう無理ですよね?うん、だから完走厳しくなってきたなっていう。
またある人は、19時に着かなくてもまあ20時でもなんとかなるかも、みたいなことを言っていた。それだってここから4時間だ。こう見えて私だって割と真面目に山をやっているつもりだから、土井さん3時間のところを4時間以内で進めないことぐらいわかる。トレランをしないI﨑さんに「土井さんというのは、TJARで優勝する人だよ」と説明を加え、私は多分5時間はかかると思うと伝えてビジターセンターを出発した。

北のループが終わればようやく帰ってきたなという感じになる、終わりが見える、というようなことを事前に誰かから聞かされていたから、ここの区間さえ終われば一番辛いセクションは終わるんだと言い聞かせて己を奮い立たせて進む。しかし日が落ちる前に取り付いた急登りのあたりで本当に全然登れなくなってしまい、前後に人もいなくて半べそで壁を攀じ登る始末。こんな山の上で、もう登れないなんて言ったところで、下山しなければリタイヤだってできない。途中で動けなくなったら遭難だ。(つい普段の登山の最中と混同して「遭難する」とか思っていたけれど、実際はスイーパーもいるし、滑落して行方不明にでもならない限り遭難はしないw)自分でやめるのは嫌だけど、でももうやめたい。つらい。怪我しそう。もう嫌だ。繰り返すマイナス思考と物理的に目の前に立ちはだかる壁でメンタルはボロボロだった。しかもこんない頑張ったって間に合わないかも知れないのだ。次の関門は間に合うかもしれないけれど、きっとその次から先が怪しくなってくる。しかしそんなことを考えたとき頭に浮かんできたのは、かつて奥久慈トレイルを初めて走って関門ファイターになりながらも完走した時に自分が書いたブログの文章だった。この文言は一字一句間違えずに記憶していた。なんだかとても語呂が良くてなにかの標語のようだ。

これだけ頑張ってもやっぱり間に合わないかもしれない、けれど間に合わないだろうからといって走るのを止めてしまえるほど諦めが良くもない。」

この時から11年も経っている。でも本質的には私は変わっていない。そう、間に合わないかもしれないけど、諦められないのだ。しかももうひとつ思い出したのはまた同じ時の奥久慈のエピソードで、「関門に間に合ったにも関わらずもう無理だといって諦めたメンバーは誰も居なかった。この仲間達と一緒に走れたことを心から誇りに思った。」という部分だった。もし私が関門に間に合っておきながら諦めてしまうなら、私が私自身を誇りに思えないということになる。あれやこれやと気持ちを乱高下させながら、できることといえば脚を前へ出すことのみ。がんばれわたし。

半べその登りを過ぎると今度は激しい降り。数十メートルもあるフィックスロープで降ったり登ったりを繰り返し、一体何がしたいのかわからないルート取りで選手に追い着いたり追い着かれたりして人が集まってきた。長いダイナミックロープなので足を滑らせてロープに頼るとロープが伸びてめちゃくちゃ怖いのだが、かと言って滑らずに進むのも難しいくらいの泥斜面。因みに何がしたいのかわからないルート取りについてスタッフの人に尋ねると、マタギの道を少しアレンジしたものなのだとか。熊や鹿を追いかけて沢に降りたり登ったり、そんな道だというならまぁ理解はできる。レースのコースがマタギの道だなんて聞いたこともない。

想定通り、土井さん3時間のところを私は5時間弱だった。もう21時、聞いていた話が本当なら、もうゴールは絶望的なのかもしれない。まかり間違って全然5時間かからずに到着しちゃったりしたらいいなぁなどと思って出発したCP8だったが、そんな嬉しい誤算はまったく無かった。それでも最後の降りで沢沿いの道を終えたあたりに居た男女2人組のスタッフの方が「この時間にここを通過した人も、去年はゴールできてるから大丈夫!」と言ってくれた。正直21時をまわって八木ヶ鼻舞に着いたらもう無理かなという気持ちが7割以上を占めていてほぼ絶望的な気分でいたのだけれど、ここで声をかけてもらったことで少し気持ちが前向きになった。まだ脚は残っているし、ある程度の速さでコンスタントに進める限りは間に合うのかも知れない。勿論、眠気による失速はとても心配。


一旦本編を離れて以下データまとめ
<エネルギーと水分>

・エネルギー:レギュレーションで800kcalとあったので800~1000kcalほど持って出発。CPでKODAのジェルがあるので所々で貰って走ったが、結局好きな味が欲しくなるのでセブンイレブンのわらびシリーズ(さくらと宇治抹茶)はドロップバッグで都度追加。所謂トレラン用のジェルとしてはメダリスト、アミノバイタル、トップスピードを数本投入。

・水分:2Lのウォーターストレージがレギュレーションのためハイドレ2L+インナーファクトのフラスク500ml。ハイドレへのチャージが少々面倒だったので、次挑戦するならハイドレ+フラスク500ml×2にして、フラスクだけで事足りる区間はハイドレへアクセスする時間を節約したい。

<服装、装備> ※服や装備はドロップバッグでの交換・着替え無し

・ヘッドギア:Hunger Knockの甲州アルプスオートルートチャレンジ2024の参加賞キャップ

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー+Patagonia半袖T(Run or Dieロゴ入り)、ORのアームスリーブ(肌寒い時たまに伸ばして使用)、チャリ用指切りグローブ(Amazonで1000円くらいのもの)

・下半身:知り合いがカモシカの刺繍を入れて販売してくれているバギーズショーツみたいな感じの短パン(3000円くらいの)、ドライマックスのトレイルラン1/4クルー
・ライト:レッドレンザーH8R(メイン)+モンベルマルチパワーヘッドランプ(予備)

・ザック:Black DiamondのDistance15(必携装備が多く、TR10には収まらず)

・シューズ:HOKAのTorrent4

・その他(必携装備等):エマージェンシーキット、雨具(モンベルのストームクルーザー上下、一度も着ず)、大会レンタルのGPS付きココヘリ端末、IBUKI端末、Mountain HardwareのハイネックのロンT(モデル名不明)+ONのZero Jacket(規定のミッドレイヤーとして持参したが一度も着ず)、ヘッドライト予備電池(レッドレンザー用とモンベル用といずれも)、モバイルバッテリー(Ankerの10000mAh)+ケーブル(タイプCとライトニング)、ヘリテイジのULトレイルポール、Extremetiesのグローブ(モデル名不明、防寒用)、ティッシュ&ビニール袋、モンベル熊鈴(小)、Fold-a-cup(マイカップ必携のため)、モンベルの携帯トイレ、手拭い、現金400円、サングラス、ソルトスティック(初導入、割と良かったような気がする)

後編へつづく