2015/02/22

20150221-22_谷川岳-茂倉新道(後編)


焦らずに落ち着いて淡々と目の前にあることを続けていくということは難しくて、けれどそうすることこそ、最も確実に結果に繫がるのだと、きっと誰もがわかっている。わかっていてもなかなかできなくて、だからこそもどかしい。それでつい、やればできるんだと強がりを言う。自分にはそれができないと知っていて、自分を茶化しながらそう言う。そして心のどこかでずっと焦ってもやもやしている。そんな堂々巡りを繰り返すのが下界での生活だとしたら、せめて山の中だけでも淡々と歩みを続けてみたらいいのかもしれない。そうしないと死んでしまうんだから、そうしないと山から降りられないのだからきっとできる。山でしかそれができないとしても、それはそれでいいじゃないかと思う。
こうして繰り返した淡々とした歩みが、森林限界より上にいた私を樹林帯へと導いてくれた。それにしても、すぐ近くに見えていたはずの樹林帯の遠かったことといったらなかった。結局茂倉岳から樹林帯までの所要時間は2時間ほど。CTで茂倉岳から矢場ノ頭まで55分とあるから、ほぼ倍と思えば通常の私の雪山CTの計算通りではあるのだけれども。

矢場ノ頭のピークは北斜面をトラバースして巻いた。南斜面のクラックが大きく怪しかったのと、ピーク直下の尾根の斜面が意外と急だったからだ。それでもまだ尾根は続いている。右にカーブする尾根とわたしを、太陽が左側から低く照らしていた。遠くの稜線に太陽が近づいてゆくのを横目に確認しながら、緩やかにおちてゆく尾根の東側を黙々と進んでゆくと、17時半頃、ようやく樹林帯と呼べる程度に木の生えた場所へ突入した。間に合った。

16時過ぎから風が出てきていたので、このまま明日までどんどん風が強まるのかなと思いきや、日が落ちた17時半過ぎには風は一旦止み、テントを張る必要があるのかどうかと迷う程だった。バスタブ型の簡易雪洞を掘ってそこに蓋をして寝る程度にしておこうか、そうすれば空を見ながら眠れるなとか、でもやっぱり夜中は寒いかもしれないし、寒くなってからテント張るの面倒だしなとか、あれこれ考えた挙句、結局テントが3分の1ほど埋まる程度の穴をなんとなく掘ってそこにテントを嵌め込んだ。ご飯食べてとりあえず就寝。
余談だが、某100均のシリコンの漏斗がジェットボイルの下のところにぴったりはまる
下界の光が空に反射して明るい(カメラの設定で実際より明るく写っているけれども)
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テントの内側に張ってある細引きにひっかけておいた2本のブリザードステイクがカチャカチャいう音で目を覚ますと、外は強風だった。まだ午前2時。ここから5時間ほどひたすら強風で、途中少し眠れない時間帯もあったのだけれど、それでもどうにか意地で眠り続けて朝を迎える。陽が出たら少しはおさまるかなと思ってダラダラしていたら案の定風がおさまった。出発は少し遅めの8時。テントを畳むと、風のせいか、一箇所テントポールが歪んでいた。
全部ガイラインを張ったわけでもない中途半端な設営でよくもあの強風に耐えたものだ・・・樹林帯でよかった
というか半端な設営でごめんなさい
吾作新道方面の眺め
踏み抜きそうなので、暑いだろうけれどシェルを履いていざ出発
もうここまでくればあとはCT1時間半の樹林帯歩き、倍で計算しても3時間だし余裕で下山できるだろう。そう思って歩き出したのだが様子がおかしい。雪深い谷川エリアの樹林帯とはこんなにも手ごわいものなのか。2013年12月に雪の降る中このルートを登って矢場ノ頭で撤退したことがあったのだけれど、その時この辺りは何のことはないただの雪道だった。しかし時期が進み、とりわけ雪の多い今年ともなると訳が違う。細い尾根に積もり過ぎた雪は明らかに頭でっかちすぎて、地面がどこまであるのかさっぱりわからない。思いの外尾根の左右は切れ落ちているし、結構際どい尾根歩きが続く。平らな尾根の筈なのに、風の具合や地面の凹凸に影響されて雪が波打ちアップダウンが激しい。ただ、この辺りには道案内のウサギがいた。姿は見えなかったけれど、かなり新しい足跡があったので、彼らの通ったルートを参考にしてルート取りをすることにした。彼らが通って通れたからといって私が通っても安心だという保証はないけれど、彼らが歩けないと判断して諦めたルートを私が敢えて選んで歩く必要はないのだから、それだけでもだいぶ助かる。野生の感覚というのは素晴らしいな。
数メートル先の木にたどり着くのに、登ったり降りたりしなくてはならない。
うっかり笹やシャクナゲの上を歩いて踏み抜くと、一気に肩まで雪に埋まる。這いあがるのも一苦労。
ここまでくればなんとか雪の具合も落ち着いてくる。結局下までずっとトレースは無し。
尾根が少しずつ広くなってきてひと安心。このあともう一度細い尾根が現れたけれど、標高の高いところより積雪量が少なくなっているため大分ましだった。あと少しでこの山行が終わるなと思いながらも、最後まで油断はできないから、来し方を振り返って山に声をかけた。あと少し宜しくお願いします、そして今とても楽しませてもらっています、と(作り話じゃなくて本当に口に出してる)。

雲がすごい速さで遠くの稜線を通り抜けていて、その様子が木々の間から見え隠れしていた。もしも私が稜線上で幕営していたら、今あの稜線を歩かなくてはならなかったのだろうなと思うと恐ろしくなって震えた。
道路は目と鼻の先
朝10時過ぎに下山するとそこは雪原だった。しばし余韻に浸りながらクリーム玄米ブランをかじり白湯をすする。上は強風だろうけれど、下は穏やかで良いお天気。誰もいない。
すぐそこは高速道路なのにこの穏やかさ。ここでもう一泊したいくらいだ
最寄り駅の土樽まで歩けるので歩こうとしたら道を間違え、気付いたら高速道路に迷い込むというオチ。パトカーに乗った巡回中の新潟県警の警察官に呼び止められて、結局越後湯沢まで運ばれてしまったというとんでもない旅の終わりとなったが、なんとか無事にこのルートを踏破することができた。

この日にこのエリアを選んだこと、この方向で登って降りると決めたこと。そして勇気をもってロープウェイであがったこと、足を置く位置を一歩一歩選び続けて、それがひとつも間違わなかったこと。焦らずに急いで、土曜日のうちに樹林帯まで行けたこと、稜線ビバークの誘惑に打ち勝ったこと、野営ではなくきちんと幕を張って眠ったこと。万が一のために何度か自分の位置をツイートしたこと。きっとどれが欠けても今回の結果は残せなかったと思う。いずれも私なりに重ねた経験からくる判断だったのだろうけれど、死なずに済んだのは判断が正しかったからではなく、ひょっとすると単に運が良かっただけなのかもしれない。でも本当はそんなことじゃいけない。本当は賭けで山を歩いたらいけない。とはいえ大自然を相手にしているのだから絶対大丈夫ということもない。ただ、賭けの割合を減らすことはできるし減らしていくべきではあるのだろう。賭ければ賭けるほどアドレナリンが出るというものでもないだろう。今回出てきたアドレナリンは、賭けたから出てきたのはなくて、私なりに考えて下した判断がきれいにはまってくれたからこそ出てきたのだろうと思う。

雪山をはじめてもう何年も経つが、ソロでここまで雪深いところにノートレースで入ったのは初めてのことだったと思う。アドレナリン山行は精神疲労を伴うから、山から帰って2日目の今日はとてもとても眠い(普段私はほとんど眠くないというのに)。でもその分清々しい充実感があるのも確か。クリスタルボウルの演奏をきいたりすると、音の粒子が体に入って細胞のすべてが綺麗に整列したようなすっきりした感覚になるけれど、アドレナリン山行の後というのはそれに近い感じがする。1-2日もすればこの感覚は消えてまた元に戻ってしまうということを私は知っているし、直後の感覚の永続性なんて決して求めていない。だからこそまたこの感覚を得たくて繰り返しアドレナリン山行を求めるのだろう。危険度をあげていって出すアドレナリンよりも、自分の判断でルートを歩けたというアドレナリンの方がきっと純度が高い(純度ってなんだろう?)。次の冬はひと冬費やしてしっかり雪山と向き合い、確かなものを積み重ねたいと思う。長く付き合っていくために。

2015/02/21

20150221-22_谷川岳-茂倉新道(前編)

すべての判断がピタッとはまった。この言葉に尽きる。

今の私が雪山でできることなんてそう多いわけではないし、判断できるだけの知識も少ないし経験だって浅い。正直知識を増やす努力だって怠っている。今回のルートをこの時期に行くべきでなかったという人もいるかも知れないし、私の判断が正しかったかどうかは判らない。ただ、谷川から先、誰の足跡もないルートに足を踏み入れた以上、今の私にできる最大限のことをしなくてはならなかったし、そうでないといけなかった。だからそうした。「私が居ようと居まいと関係なくいつだってそこにある山」と、「山たちの日常にたまたま分け入った私」、両者を隔てる境界線はとても細くて見えづらいけれど、しかし明らかな境界線があるのだと認識した状態で山たちの今の状態を教えてもらいに懐に飛び込み受け入れられて我を忘れ、そしてまた我に返って自問自答を続ける。山の中にいた時間はおそらくたったの24時間程度だったけれど、稀に見る恍惚のひとときだった。

10:00 天神平
↓ - 2:00
12:00 肩ノ小屋
↓ - 0:39
12:20 トマの耳
↓ - 2:10(オキの耳の山頂標見逃す)
14:30 一ノ倉岳
↓ - 1:00
15:30 茂倉岳
↓ - 2:00(矢場ノ頭のピークは踏まず少し巻いた)
17:30 1392m地点(矢場ノ頭より少し下)

個人的には夜のうちに出発して現地に前乗りしておく方が好きなのだが、このエリアへ行こうとすると終電が早すぎて途中までしか行かれないため朝出発することにした。土合駅着8時半頃。これまでに何度もこの駅から山に向かっているけれど、いつも車だったのでホームに降り立つのは初めてだった。駅があまりにも深いので、地上に出るまでにちょっと疲れてしまったのはご愛嬌・・・
谷川は晴天率が低いと言われているけれど、この日は本当に良い天気の予報。朝から雲ひとつない。ただし日曜日は強風が吹き天気は崩れるという。さてこれをどう見るか。

私は実はまだ谷川岳のピークを踏んだことがなかった。肩ノ小屋まで行ったり、近くを歩いたりはしているのに、ピークには一度も行っていなかった。当初の予定は西黒尾根-谷川-茂倉岳-茂倉新道というルートだったのだが、土合の駅で地元のおじさんに話しかけられて、西黒尾根へ一人で行くと私が伝えた時の、おじさんのぎょっとしたような顔で色々悟ってしまった。トレースは多分ないと言う。ならば今日中に肩ノ小屋まで行かれないだろう。

ぐるぐる考えた。今回の目的は何だ?西黒尾根か、それとも谷川岳のピークか。茂倉新道までの縦走か、西黒尾根のラッセルか。たしかにどれも目的ではあったけれど、ピークも縦走も日曜日になったら叶わないはずだ。西黒尾根を調子よく登れたとしても、日曜日に強い風が吹けばピークも縦走もできずにそのまま降ってくるしかなくなってしまうだろう。土曜日にこの快晴無風で稜線を歩ければ、茂倉新道までいけるかもしれない。

やはりロープウェイに乗るしかなかった。文明の利器で上にあがるのはあまり好きではないのだけれど、致し方ない。
ピーカン
さすがの晴天で登山客はかなりの数。10:00過ぎからのんびりと登り始める。BCの人も多く、スキーやスノーボードを背負ってのハイクアップも多数。山スキーを始めたい身としては、あれこれ聞いて回りたかったが、如何せんまだ自分でまだ全然調べ切れていないので質問のしようがないし返事を貰っても理解できないだろう。人との会話などは一切諦めて黙々とのぼる。
雲ひとつないとはまさにこのこと 
肩ノ小屋はこれくらい埋まっていた
思っていたよりも時間がかかり、しかし思っていたよりはゆるふわでトマの耳に到着。もっと急峻なのかと勝手に思っていたので若干拍子抜け(調べてない)。。。とはいえ、天候次第では大変になるのだろう。人のいる山なので、人に撮影してもらったりなどしつつオキの耳に向かう。
ヒールリフターあげたままなので背伸びしてるみたいになってる・・・
オキの耳は山頂標が見当たらなかったので写真を撮ることはできなかった。オキの耳と思われる場所をすぎてもすぐ前に先行者がいたのでそのまま私は後を追う。その人が途中で立ち止まったのでどうしたかと尋ねると、「この先トレースないですね」と言い、その彼はあっさり引き返してしまった。私はそこから一人と覚悟しつつアイゼンに履き替えたが、潜ってしまって歯が立たず結局再びスノーシューに戻した。結局その先行者は大きな岩の左側を巻くようにつけられたトレースを見落としていただけだったので、私はそのトレースをたどることにした。

しばらくすると、向かう先からこちらに向かって歩いてくる2人組の姿があった。これはもしかして茂倉新道からきた人なのではと期待を寄せるも、すれ違う時に話を聞くと谷川からピストンしただけとのことだった。というかそもそも一ノ倉岳も登れずに引き返したという。。。二人とも耳が不自由なようだったのでジェスチャーで会話をしたため、話の細かいニュアンスはわからなかったのだが、引き返すくらいだからおそらくトレースは無いのだろう。無理なら引き返すし、私は今シュラフを持っているから、いざとなったらここで眠れる、と伝えて別れた。

ひとまずこの人達のトレースのあるところまでは行ってみようと思ってさらに進んでいくと、今度はわかんをつけたソロの外国人がこちらへ向かってきた。今日の雪質は良くない、落ちそう、途中で引き返してきた、すごく危険、いくなら気をつけて、一番遠くまでついてるトレースは僕のだよ、とのこと。そこまで言われると私も尻込みせざるを得ない。彼らと比較して私の実力が上である保証はないし、彼らが行けない場所へ私が行けるのかどうかは全くわからない。

外国人がつけたトレースの末端に着いた。その先の斜面を眺め、さらに進むかどうか私自身も考える。しかしここさえ越えれば先の急登はそこまで危なくもなさそうだし、ここも慎重に行けばそれほど危険というわけでもなさそうだ。確かに雪は緩んでいるし崩れるけれど、すぐに止まるし、自分と自分の荷物の負荷がかかっても耐えてくれそうに見える。それに、万が一滑ったとしても雪崩れそうではないし、斜度からいっても上がってこられるだろう。

慎重に雪の状態と斜度を観察して、一番良さそうなラインを脳内にイメージしながら一歩一歩進む。クリア。外国人が諦めたポイントを通過したら、今度はさらにその先の尾根に大きくせり出している雪庇を遠巻きに予め観察して進む。あの岩の先は雪庇が消えているから尾根寄りをいっても大丈夫そうだな、とか、あそこまでは危なそうだからなるべく尾根に近づかないようにしよう、とか。
一ノ倉岳の最後の登り。右側(東)に雪庇ができているけれど頂上のほうには雪庇はない。
風で雪面に海老の尻尾がたくさん。舞茸みたい
気温が上がりすぎてとても暑い。海老の尻尾も少し柔らかくなっていたので、手当たり次第にもぎ取ってはシャクシャクと齧りながら登る。冷たくておいしい。
来し方を振り返る。斜面にうっすらと自分のトレースが見える
一ノ倉の最後の上り斜面も近付くと割と複雑な凹凸と傾斜の変化があったので、あれこれ考えながら登っていった。登り終えても避難小屋や山頂標は完全に雪に埋まって一切見当たらなかった。雪原のような平らな山頂。
スノーシューで多少沈むくらいの積雪と締まり具合。バフバフ歩いて楽しむ
一ノ倉岳に今日登った人は誰もいない筈だよ、と外国人が教えてくれたけれど、何人もこのピークを求めて諦めて、そこに私が立っているというだけでもう十分なんじゃないか?なんならいっそここで野営して明日引き返すのでも十分楽しめるんじゃないか?明日の強風はどれくらいのものになるのだろう。そしてこの先のルートはどうなっているのだろう・・・

どうせ一ノ倉岳の山頂はしばらく平らなのだから、少し進んだところで戻るのはさほど大変ではないだろう。引き返すにしても、とりあえずこの先の茂倉岳をこの目に焼きつけておきたい。そんな想いで茂倉岳の姿が見える辺りまで歩みを進めることにした。すると、ぬらり、と眼前に現れた堂々たる頂とうつくしい尾根。さて・・・
うねる稜線
戻るか進むかふたつにひとつ。このぬらりとした稜線は果たして私の手に負えるものなのだろうか。そして、あのピークに立たなければ見ることのできない、その先の茂倉新道はいかほどのものなのか。茂倉のピークまで登ってから、やはり無理だと判断してひきかえすとしたら、日没までにどこまで戻れるのか。後ろを振り返ると、正午過ぎに通過した谷川岳のピークは遥か遠く小さい。一ノ倉岳山頂現在の時刻は14時半。

登ったからといって降りられない場所ではないだろう、無理なら勇気を持って引き返そう。そう判断を下して茂倉岳にとりかかる。近づけば近づくほど目に入ってくる南西斜面の大きなクラック。尾根の左をいったり右をいったり、雪庇、左右の斜面の角度、クラックと相談しながら自分でラインをひいてゆく。誰もそれが正しいと言ってくれないし誰もどこがいいか教えてくれない。一歩一歩が自分に任されているとこんなに強く感じた山行が今までにあっただろうか。
茂倉岳山頂付近
15時半。茂倉岳の山頂付近に到達すると、茂倉新道の全貌が明らかになった。ズバーンと降ったその尾根の先には樹林帯が見えた。ギリギリ射程圏内のようにも、そうでないようにも見える。
写真左手前から右に見える高速道路に向かって伸びる尾根が茂倉新道。
向かう先が見えているというだけでだいぶ安心できる。好天て素晴らしい。
尾根の様子(拡大)
手前はいい。しかし樹林帯に入る前までこの調子で歩けるのか。尾根伝いに歩けない箇所で、果たしてトラバースができる程度の傾斜なのか。雪崩れることはないのか。クラックはどうか。雪質はどうか。気温は高いし、この数時間太陽に照らされているし、そもそもアイゼンの効くような雪でもない。ここまでずっとスノーシューだけれども、このままこのスノーシューで歩き続けることはできるのか。しかし目と鼻の先には樹林帯、その先には道路まで見えている。行ってみよう。そして、明日の天候を考えたら絶対に樹林帯まで到達しなくてはならない。しかも、焦ったらいけない。落ち着いて、落ち着いて。
矢場ノ頭のクラック
ところどころ際どい箇所を「落ち着いて、落ち着いて」と実際に口にしながら、急ぐ。危ない橋は渡らない。遠回りでも、時間をかけてでも、安心できる斜面まで移動しては前進する。ストックを自分の下側に、ピッケルを上側に突き刺しながら歩く。危なそうなところは、どんなに面倒でも、確実にストックを深くさしこんでからそこに足を乗せるようにして進む。それをひたすら繰り返す。陽は傾く。落ち着いて急ぐ、それだけ。

後編へ続く