2023/10/09

20231008-09_第31回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

月夜見には21時すこし前に到着、雨は幸いにしてほぼ止んでいた。月夜見まで結構良いペースでずっと走れていた気がしたが、13時間半以上かかってゴールした昨年より遅い到着だった。歩行区間が設けられたせいかという気もしないでもないが、そもそも歩行区間のうち何割が走れる区間だったかといえばたぶん3割くらい、走れなくて遅くなった時間がどれくらいかといえばおそらく10分にも満たないはずなので、月夜見に着くのが遅くなったのは歩行区間があったのが理由ではない。失速してあっという間に14時間台に乗ってしまうのかなぁと不安に思いながら後半戦の用意をする。まずは水分、水500mlを2本とポカリ500mlを1本貰ってポカリはすべてその場で一気飲みした。ハイドレーションにはまだ少し麦茶が残っていたが、そこに水を追加した。これでおそらく綾広の滝での追加は必要ないだろう。続いて行動食類のゴミと後半の行動食の入れ替え作業をしながら羊羹やグミを放り込む。金比羅尾根に光量を温存しておきたかったので、ここでのヘッドライトの電池交換はやめておいた。フォグフィルターをつけたハンドライトはたしかここで出したのだったと思う。かなり雨も降って三頭山からの下りもガスが出るのでは?と予想していたのだけれど案外ガスらなかったので、月夜見まではヘッドライトだけで済んだ。

昨年ほどの寒さはない、とはいえ徐々に冷えてきたので最後にお手洗いだけ済ませて先を急ぐ。ここでも休憩はかなり短く、ストレッチもまったくしなかった。走るペースが遅い分、とにかくずっと休まず進む必要があった。月夜見からの下り、去年は雨が今年よりずっと酷くてずるずる滑りまくっていたけれど今年はそうでもない。そんなにスピードを出して走れるものではないけれど、そんなに滑りもしないので、転ばないように気を付けながら歩みを進めた。

御前山の登りは体感として結構あっという間に終わったのだが、山頂手前の尾根は左側から風が吹きつけて相当寒く、ロンTを着ようかと少し考えたくらいだった。あっさり山頂に着いて、その後もちょっとしたパックが作られたり解消したりを繰り返しながら大ダワへ。地面がドライな訳ではないのでコンディションは良くなかったけれど、それなりに走って元気に大ダワまで辿り着いた。前半に引き続き、謎の暗さがあって色々とよく見えていなかった(物理的に本当に暗かったのか、謎のメンタル的な暗さだったのかは不明w)。というかこのうすぼんやりとした記憶を綴ることに意味はあるのだろうかと今更ながら考えつつブログを書いているwトレイルの記憶がなさすぎる。

大ダワではスポーツようかん(ココア)かみたらし団子味のジェルのどちらかとTop Speedを摂ったのだったと思う。ここからは「走れる」セクションなのでギアを上げていく。別にハイスピードで走るわけではないけれど、それでも周りの人が走っているところではできるだけ食らいつき、追い抜き、人が走っていないところでも自分がいけるなら兎に角脚を止めず回し続けた。そして今年も案外よく脚が回った。そんなに練習していない割によく動くなぁ、と俯瞰しながら淡々と進み、タイム表も全然見なかった。タイム表を見たところで、あと数分でサブ〇〇だから追い込もう、みたいなことが今回はできる気がしなかったし、その時その瞬間に一番効率の良いペースで力を出し続けていくという作業に集中するのが良さそうだなと思ったのだった。レース中の俯瞰感覚は割とよくあるのだけれど、今回は大分上の方から俯瞰している感覚があって、冷静でいられたような気がしている。Top Speedは相変わらず自分にはとても合っていて、特にハセツネとの相性がいい。いつも大ダワで投入するけれど、そのあとゴールまでの20kmをしっかり粘れるようになる。(因みにVespa Hyperだと一気にピークがきてしまう感じがする)

月夜見から金比羅尾根に入るまでの間あたりでまた転んで左太腿を岩に強打し大痣を作ったが、これも捻挫とかにはならなかったので特に走りに影響はなかった。大岳山の山頂でようやくヘッドライトの電池を交換し、最後に日の出山を登ってあとは下り、そんなに走れなかったけれど極端なのろのろにもならずに黙々とこなしてゴールまで。天気がこんなに悪かったのに、日の出山から夜景が見えたのは嬉しかった。最初にハセツネを走った時にも見たこの夜景、本当に感動したんだよなぁ。って、夜景が見えるたびに毎回思い出しては感傷に浸るのでもういい加減しつこいのだけれどもw

結局チームメンバーには道中一度も会わずにゴールw
真夜中、しかも女子ひとりでゴールで待っていてくれたのには本当に感謝!

記録は13時間26分。例年は体育館のところに順位表が貼り出されるのだが、今年はそれがなかった。代わりに、ランナーズアップデートでの速報が出るようになっており、私は年代別6位に入ったようだというのはゴールを出迎えてくれた仲間が教えてくれた。タイムはPBから1時間以上遅かったけれど、それでも2度目の年代別入賞ということでテンションもブチ上がった。そして、PBを出した年の女子総合順位が21位だったので、今年の総合順位も気になるところ。しばらく総合順位の見方がわからずやきもきしていたのだが、夜が明けてから予想外にも自分の母親からのLINEメッセージで自分が20位以内に入っていたことを知った。年代別入賞よりずっと嬉しい20位以内という知らせに、思わず泣き笑い。PB更新して、20位以内、ついでに年代別入賞というのが理想的な形だと思っていたけれど、まぁすべてがそこまで完璧にいくものでもないからね、これはこれとして良しとしよう。ようやく、目下の目標であった翌年の招待枠に入ることができたのは本当に嬉しかった。そんなに追い込んだつもりもなかったし無理に走っていた訳ではなかったけれど、アドレナリンが出ていたのか完全に力を出し切っていて全身が痛く、仲間のゴールも見届けられない程疲弊していたくせに、かといってその間眠れもせず、寝返りもあまり打てぬまま横になって朝まで過ごした。

いつもは年代別入賞も表彰式があって表彰台に乗れるので、わざわざ朝10時の表彰式に仲間もほぼ勢揃いで参加してソワソワしていたのだけれど、表彰式は総合6位までの表彰しかされずに肩透かしを食らった(今年からそうなったとかいう噂)。しかも後日聞いた話によると、20位以内の招待枠ももう無くなってしまったたらしい(号泣)。親にその話をしたら、最近は物価が上がるだけじゃなくてそういうご褒美みたいなものも削られていって悲しいわねというようなことを言われた。親のその冷静な分析を聞いて、まぁ確かにそうよな・・・なんか切ないな・・としみじみしてしまった。なんだか夢や希望までも削り取られていっているような気がしてしまうな。

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私はつい女子が前にいるか、後ろに迫ってきているか、そういうのを考えながら走ってしまうし、自分で作ったタイム表に縛られて逆に無理をしてしまって後半失速したりすることもあった。今回に関して言えば、広島からはるばる参戦しに来ていたまだ20代の友人としばらく競り合っていて、負けられない!いや絶対私より強い筈だし早く抜き去って見えなくなって欲しい!いや彼女が近くにいるからと言って無理して突っ込み過ぎたり心を乱されたりしてはいけない!とかそんなことを考えながら進んでいた。中盤を過ぎてから抜かれてそれきり心は落ち着いた。
私が順位を気にしたり、女子との競り合いについて人に話す度に「人と比べるんじゃなくて自分との闘いだ」なんて言葉を聞き飽きるくらい聞かされてきた。言ってる人達は私に敵意が有るのでもなく、勿論悪意も無い。しかし私は、そうは言ってもそうなれないんだから仕方ないじゃんよ、と思うこともあった。それに、君はそれができないよね、と少し馬鹿にされているように感じて不貞腐れた気分になることもあったし、そもそも自分との闘いができる方が偉いのかよ?という反発心が生まれることもあった。今だって別にそういう気持ちがゼロな訳ではない。しかし今回ちょびっとだけ自分との闘いってのがわかったような気もした。表彰台に乗っていたとある選手が「道中つらい時に『自分との闘いだ』という言葉を思い出して頑張れた」というようなことを発言していて、それがたまたま今回自分の心にとても響いたのだった。何十年も何百年も前から繰り返され、使い古されたような言葉かも知れないけれど、それが自分の腑に落ちる(言葉通り、内臓の「腑」に落ちて腹落ちする)と、ああこういうことか、と感じるものなんだな。闘ったという感じのハセツネではなかったけれど、今回は途中でそういうしがらみみたいなものから一気に解き放たれた感じがして楽になれた。かといって別に頑張らなかった訳ではなく、自分にとっての最前は尽くせたのかなという気はしていて、それが順位という結果に繋がったのだから、こういう走り方もありなんだなという理解になった。苦しくても、順位が悪くても、タイムが悪くても、そういうことは抜きにして自分に負けずに頑張るということが自分と闘うということだというような浅い理解しかしていなかったけれど、多分そういうことじゃないんだろうな。もう今となってはどこが一番腑に落ちていたのかという記憶も怪しくなってきたけれど、とりあえず一回腑に落ちた訳だから、また次は更に理解が深まると良いなと思う。ごちゃごちゃ書いているけれど、シンプルな言葉ほど腑に落ちるまでに時間がかかるのかも知れないし、意味も深いのかもしれない。それに、人が考えている「自分との闘い」が、自分の考える「自分との闘い」と完全一致する訳でもない。うーん、うまく言い表せずもどかしいけれども。

ま、今回もこのラーメンのお陰で無事完走です。ありがとうございました。
チャーシューメン普通盛(麺かため)+小ライス@神田わいず(金曜夜)

ハセツネ記録まとめ、今年新たに一行追加となります。

Year
CP1
CP2
CP3
Goal
20133:52:404:15:358:08:154:11:5012:20:052:11:4314:31:48
20153:30:403:40:487:11:283:22:3210:34:001:48:0212:22:02
20163:49:314:15:048:04:353:14:3311:19:081:37:0612:56:14
20174:08:474:09:498:18:363:29:1611:47:521:36:3513:24:27
20223:43:564:01:167:45:123:35:5711:21:092:13:3013:34:39
20233:53:594:04:557:58:543:30:3911:29:331:56:4313:26:16

2013:初ツネ。最後に前腿死ぬ。ゴール後何も食えず。

2015:レースのたびに入賞続きでバリバリ仕上がった年、チームの皆もPB出した人多め
2016:蒸し暑かったムシツネ、序盤で水切れを起こし脱水、からの月夜見で復活
2017:頑張らずにのんびり進んでレース感がなかった
2022:復帰戦、ずっと雨のアメツネ。過去2番目に遅かったけれど泥濘地獄の割に頑張った

2023:アメツネ&寒ツネ。初めて歩行区間が導入された年、個人的トラブルは無く、しかしのんびり進んだと書いている2017年とほぼタイム同じ(切ない)◀NEW!

入山峠まで1時間ではなく1時間10分かけた分がそのままCP1浅間峠到着時刻に影響して昨年より10分遅れ、うまく登りがこなせずに月夜見まで。そこから割と走れた印象でCP3までのタイムも上々、ラストの下りは飛ばしていない割には遅くもなかった感じでフィニッシュ。自分にとって無理なく安全にいけるタイムがきっとこれくらいなんだろうなという感じ。年齢を重ね体力は下降線をたどっている筈なのにどうにか加齢に抗って2017年から似たようなタイムで維持できているところは我ながら評価しても良いのかもしれないけれど、とはいえ最近ずっと横這いなのでそろそろまた12時間台できっちり走り切るハセツネもやってみたいものだな。でも趣味だし気楽にやりたい。頑張りたい時がまたやってきたらその時は頑張ろうと思う。

相変わらずハセツネは面白いし、走り出してしまうと本当にあっという間に終わってしまうんだよなぁ。今回もあっという間に半分まできて、気付いたらもうゴールまであと7kmみたいな感じだった。本当に70km以上あるんだろうかといまだに不思議なくらいだ。

次回2024年10月!7度目のハセツネ!

2023/10/08

20231008-09_第31回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

今年の頭、物凄く久々にフルマラソンを2本走った。自分なりに頑張ってトラック練をやってみたりしたけれど、その割には7年くらい前のPBを8分くらいしか更新できず3時間45分という凡庸なタイムで私のマラソンシーズンは終わった。マラソンが速ければトレランも速いとは言い切れないと思うけれど、例えば女子で3時間15分とかを切っているランナーがトレイルを走ればそりゃ速い。私がもっと山で強くなるためには一度ロードの走力の底上げをして、それから改めてトレランをやるのが良いだろうと思ったのがマラソンを走った大きな理由の1つだった。しかし息の切れる練習を日常的に行うのは私にとっては結構辛くて、そもそも家から出発する気さえ起きず、嫌々重い腰をあげて出掛けるといった始末。ロング走は割と好きなのだけれど、スピード練が兎に角苦手で全然練習ができなかった。スピード練をしなくても速い人というのも居ることは居るのだろうけれど、というかそもそも、速くなるノウハウを調べたところで複雑すぎて全然私の頭には入らず(きっと興味がないんだと思う)、全方位的に無理だった。私はロードはそんなに速く走れないんだなと思った。

しかも悲しいことに、行きたい山を我慢してマラソンの練習に時間を割いていたつもりになっていた割に走っていなかったためか、マラソン時期が終わって山に戻ったら登りが無茶苦茶弱くなってしまっていた。本末転倒すぎる。というわけで春過ぎから夏にかけてはせっせと山に通って体力を戻し、6月に戸隠マウンテントレイル(20kmの部)、9月には昨年同様西駒んボッカ(薪15kgの部)に出場し、ハセツネに挑んだ。とはいえ今年は6月の戸隠以降、一度もトレランをしていない。捻挫などがなければ歩いてでも完走する気ではあったが、そもそも走れるイメージがつかず不安しかない。天気予報はどんどん悪くなり、ほぼ全行程で雨が確定。しかも明け方の雨量予想が酷い。雨が酷くなる前にゴールしたい。

今年の行動食ラインナップ!

<エネルギーと水分>

・エネルギー:持参-2530kcal→ゴール時残500kcalほど 矢張り毎年2000kcalほどで足りるので次回減らしても良いかも(とはいえ何かあった時のことを思うと怖くて削れないのだけれども)

・水分:麦茶1500mlを水250mlで薄めたもの、合計1750ml→月夜見ちょい残し(水分追加するときに残っている量をよく見なかったので詳細は不明)/綾広の滝での追加なし(素通り)、ゴール時残200mlほど。月夜見では水500×2とポカリ×1を貰ってポカリはその場で一気飲み

※水分はほぼジャスト。最低気温6度くらいでこの減り方、今後の参考としたい。会場入り~スタートまでに500mlの水1本消費。

※VESPA HYPERよりTOP SPEEDが良かったという昨年の自分のブログに従い、今年はTOP SPEEDに。やはり正解だった、メンタル・フィジカル共にねばれる強さが出てくると思う

※ジェルのメインにアミノバイタルのパーフェクトエネルギーを初採用。価格的にも安く、しかもアミノ酸2500mgとのことで顆粒のアミノ酸を摂取するよりコスパが良い気がする。若干の酸味がいい。

※レース前は月曜夜から金曜昼まで糖質制限、その後カーボローディング気味としたが土曜昼間から日本酒を飲んでしまった(リラックス効果ということで良しとするw)。美味しそうな牡蠣が売られており食べるか迷ったが、リスクヘッジとしてやめておいた・・・

※レース当日の朝は卵かけご飯(350)、会場ではパン2個(300+400)とウィダーインゼリー(180)
)などで昼1000kcalほど投入。

新規投入のTR10(Sサイズ)。ハイドレーション満タンで背負うとかなりショルダーハーネスがパツパツw
Mサイズにしても良かったかなと思うけれど、水が減ってくるとSでいいなと思う。
すごく悩ましいサイズ感・・・

<服装、装備>

・ヘッドギア:HerenessのFOCUS CAP(チームのロゴ入りオリジナルデザイン)

・上半身:Finetrackのノースリーブドライレイヤー+Patagnia半袖T(製品名忘れたけどチームのロゴ入りオリジナルデザイン)、ORのアームカバー、チャリ用グローブ

・下半身:Patagoniaのメンズのランパン(インナーは切った)、モンベルのパンツ、ドライマックスのソックス、cepのカーフサポーターみたいなやつ(厚手の方、ハセツネ会場で昨年買ったもの)

・ライト:ヘッドライトはBlack Diamondの超古いSPOT 200ルーメン(昨年買ったモンベルのライトは細かく調光できないため、調光可能なBDに戻してみた)、ジェントス閃ハンドライト(325時代のもの、150ルーメン)+黄色フィルター
・ザック:The North FaceのTR10(前ポケットが深くて浅間峠でのジェル入れ替えが発生しなかったのが最大の評価ポイント→後述。但しポケットにベルクロなどがないので落とさないかが心配だった)

・シューズ:Salomon Sense ride 4

・その他:ハイドレーションシステム、エマージェンシーキット(エマージェンシーシートはシンプルな四角い銀シート。寒さ対策でニトリル手袋追加、途中でのトイレを想定してティッシュも数枚持参→結果的にはいずれも使わず。その他基本装備として鎮痛剤、テーピング、コンタクトレンズ予備、手鏡等)、雨具(降雨の確実性と寒さを想定しモンベルのストームクルーザーを上のみ持参→三頭山の登りあたりで着用しそのままゴールまで着たまま)、今年からレギュレーションに加わったココヘリ端末

初参戦の仲間も加わり集合写真

仲間達とはスタート1時間前に受付近くで集合した。今年も昨年同様にエリート枠エントリーというものがあったのだけれど、昨年はスタート時刻が15分くらい違っていたのに対し、今年は一般もエリートも同時スタート。エリートは最前ブロックに並べるというだけだった。それ以外でこれまでと違ったのは、自己申告による予想タイム別に並ぶスタイルではなく、ITRA Performance Index別にブロック分けになっていた点だろうか。今年から、事前に郵送される封筒にそれぞれのブロックが記載されていて、そのブロックのところに並ぶスタイルになっていた。因みに私は一般第2ブロックだったのだが、同じブロックの知り合いは近くに誰もおらず、これまでにないくらい孤独な感じでスタートを待った。

スタートゲートの直線の最後のカーブあたりでスタンバイ。既に雨がぽつぽつ・・・

何を考えていたのかあまり覚えていないが、スタートはかなりナーバスになっていた。スタートゲートをくぐって角を右に曲がるより手前、いつもの位置に仲間が応援で立っていてくれるのがわかっていたので列の右側の方を走る。それを考えて位置取りをしていたというのに走り出したらいきなり意識がすっ飛んでしまい、仲間から声を掛けられてようやくその存在に気付くという始末である。大丈夫なんだろうか。とりあえず淡々とロードを進み、最初の己のコンディションの判断ポイントである上り坂は走り切れた。あと70km!という市長さんか誰かの掛け声に思わず笑いが起きる。

昨年はエリートのウェーブスタートの影響もあってか全然渋滞がなく、己の仕上がり具合とは裏腹な1時間というタイムで入山峠に着いてしまった。今年の自分も去年と似たような(下手したら去年より仕上がりは良くないかもしれない)コンディションと認識していたので、入山峠までは1時間10分を想定する。とはいえ、コンスタントに進みながらの1時間10分想定なので、渋滞して止まることになるとそれはそれで気が焦るものだ。これまで渋滞した記憶がないような辺りから早々に渋滞が始まってしまって焦りつつもなんだかんだで結局1時間10分くらいで着いたので良かったけれど。最近序盤に突っ込むと後半にタイムが落ちがちなのは自覚していたものの、雨足が段々強まることを見越せば序盤突っ込んだ方が良いのかなとも思ったが、それでも入山峠はこのくらいで丁度いいだろう。入山峠到着直前の丁度1時間目あたりで投入したアミノバイタルパーフェクトエネルギーは、下界で味見した時よりずっと美味しく感じた。全部で7本しかないのが残念なくらいだった。


CP1の浅間峠には4時間以内くらいで入りたい。CP1までは死ぬ気でいけ、と諭された時代もあったけれど今年は意識的に温存するよう努める。市道山を過ぎて醍醐丸の登りに差し掛かるとなんだか上の方がやたら騒がしい。と、そこに見えてきたのはこれまでに見たことがないくらい沢山の応援の人!これには驚いた。確かにいつもここは人が多いのだけれど、それにしても多分過去一で人が多かったと思う。序盤での熱い声援に、こちらも思わず目が潤む。特に、女子はそもそも参加人数が少ないし、自分は割と速いところにいるものだから余計に声援がすごいのだ。うわぁ女子!頑張って!!と女性陣がワイワイ盛り上げてくれる。これは本当に嬉しいものだ。いつも仮装したり鳴り物で音出して応援してくださる皆様、本当にありがとうございます(見てるか分からないけれどこの場を借りて御礼w)。

転倒もなく浅間峠に到着すると時刻は17時前、計画通りである。いつもはここで行動食の入れ替え(Start-CP1で食べた物のゴミと、ザック本体に入れてあるCP1-CP2区間用の行動食の詰め替え)を行うのだが、今回はザックがかわって前ポケットのキャパが大きくなったためその作業の必要がなくなったのはちょっと楽だった。スタート時点からCP2月夜見までの行動食がすべて前ポケットに入っているのだ。ポケットが深すぎて、ジェルを取り出すのにガサゴソしてしまったのが若干鬱陶しかったので、次回以降どうするかソリューションは考えたい・・・。
というわけで浅間峠ではストックとヘッドライトを出す作業のみ。
雨は既に降り始めていたが、レインウェアを着るほどかというとそうでもないし寒さよりも暑さが勝りそうだったのでもう少しそのまま進むことにした。例年は必ずここでお手洗いにも行くのだが、今年は7人くらい並んでいたので諦めた。そんなに疲れていなかったし休んでいる時間が勿体無いなと思ったので、3分くらいの滞在で応援にきてくれた仲間に別れを告げて浅間峠を後にする。因みに後続の友人から聞いた話によると、ここのお手洗いは70人待ちとかそんな状態になっていたりしたらしい(いやそんなに待てないだろうよ!)。


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そして今回の大転倒1発目は浅間峠を出発し日原峠までの下りあたりで突然やってきた。何かに足を取られた、と思ったら一瞬にして前方にビッターンとスライディング。

近くの人「大丈夫ですか・・・?

私「ハイ大丈夫そうですが何か落としてないかな・・・」
近くの人「これ違いますか?(ヘッドライト)」
私「!!!ありがとうございます!ありがとうございますっっ!!!!」
(いや本当に有難うございました・・・ヘッドライト無かったら本当に終わってました。)

足を捻挫したわけでもなく、ちょっと首が鞭打ちみたいになった程度だったのでそのまま再び走り出して事無きを得る。そしてその後順調に駒を進めていったけれど、なんだか体感としていつもより周囲が暗く感じて色々とよく見えず、やっとここだとかここからどういうコースだとか考えることも無くひたすら黙々と走っていた。とりあえず登りが始まる前の峠で固形物、たしかそれって西原峠だったよな、とか思いながら走っていたら結構あっという間に西原峠が出てきて、あれ?もう固形物食べていいんだっけ??本当に西原峠でいいんだっけ・・・?とか思いながらとりあえず食欲にまかせてセブンイレブンの黒糖わらびを放り込む。疲れが吹き飛ぶ美味しさ。

今年から制定された自然保護のための歩行区間

三頭山の登りが始まる。少し気温が低くなり始めていたので19時頃からアームカバーを肘くらいまで上げていたのだが、登りの途中くらいで雨が強まってきたこともありレインを着たのだったと思う。ここの登りは思うように登れず、足取りは重かった。ハイペースで登ったり止まったりするくらいならゆっくりでも止まらない方が良いと思ってゆっくりめに登ってみるのだが、それでも呼吸がしんどくなって、立ち止まって息を整えては登る、みたいなことを繰り返していた。あー、だめだな。登れないな。体重落とし切れなかったせいなのか、加齢のせいか、それとも矢張り今年の登山の強度の低さが原因か、疲労が抜けきらなかったのか、後悔ではないけれど何とも言えない内省をぐるぐると繰り返して山頂に到着したのは20時頃。三頭山までの時間のおよそ倍でゴールというのが定説だから、ここまでで7時間かかっているならもしかして14時間オーバーするんじゃなかろうか思ったら結構気持ちがどんよりと曇った。まぁ案の定三頭山山頂は寒くて(例年寒い)、着たタイミングはおおよそ正解だっただろう。今年から制定された歩行区間は早歩きでこなし、あとは走れるだけ走って、水分は僅かに残した状態で月夜見に到着。水の見積りがほぼパーフェクトだったのがせめてもの救いだったか。


後編へ続く

2023/05/25

20230525_奥久慈トレイル50k (62km) DNS

GWが明けてようやく奥久慈の新コースのマップをきちんと確認してみたら距離も累積標高もとんでもないバージョンアップを遂げていた。累積標高が1000mも増えている。気付くのが遅すぎた、けれど今からでもきっと出来ることはあるはずだ。焦った私は故障しない程度に練習の計画を立てた。しかしその計画が始まって間もない5/12、帰宅ランの途中で転んで右膝を強く打ってしまった。骨に異常はないと医者に言われ、一週間くらいで治るかなと思っていたけれど痛みは落ち着かず、整骨院に行ったら治るまでもう少しかかりそうだけれどそろそろ走り始めたほうがいいとのこと、そうこうしている内にレースは4日後に迫った。4月まではそれなりに走っていたけれど5月はまだ40kmくらいしか走っていないので仮に痛みが残ったままで出走したとしても完走は難しいだろう。完走できないのが明白なのにスタートするということに意味があるのか、ないのか。無理して走って悪化するかというときっとそうではないような気はするけれど、スタート直後から痛む膝を庇って走ったらきっとまた転んでより酷い怪我をしてしまうような気もする。バランスを崩した時に咄嗟のリカバリーも難しいだろう。それでもこの伝説になるであろう新コース1発目、少しでもいいから走りたい気持ちもある。いろんな可能性を探って水曜朝の6kmほどのジョギングをして最後に出した答えはDNS、予約してあった宿にキャンセルの連絡を入れ、OSJに参加賞送付依頼のメールを送り、私の2023年奥久慈トレイルは終わった。

また右膝かよ、という気持ち。
なーにやってんだよ自分、という気持ち。
心のどこかでなんだかんだ完走できるだろうと思ってしまっていたのか、完走できたとしても無茶苦茶悪い成績を残しそうで怖かったのか複雑な気持ち。
でも矢張りこのレースは、やれるだけのことはやった、と思えるくらいでないと殺られてしまうので、今回そう思えていないのだからきっとダメだったんだろうなという気がする。最終案内のハガキに書かれたありきたりな言葉がこんなにも刺さったことはなかった。

「健康管理には十分ご注意いただき、当日は万全の体調でお越しください」

2023年マップ。マップの上の方のゾーンは「デビル5マイル」と呼ばれる厳しいコース。
20の細かなアップダウンがあるという。そもそも公式が「デビル」って言ってる・・・w
過去のマップ(これ何年のだろ?)

奥久慈を最後に走ったのは2017年、それから実に6年越しの一戦だった。ほかに一緒に出る人がいるかどうかとか、一人だったらどうやって現地までアクセスすればいいかとか、コースがどうなるか等なんの検討もせず見切り発車的にエントリーをしていた訳なのだけれど、それなりに熱い想いがあっての参加だったにもかかわらず準備不足すぎた。走れない理由も色々あったけれど、反省の意味も込めてここに文章として残しておきたいと思う。次はこんなことがないように。
  1. 1ヶ月前に旅行の計画があった。スケジュール管理不足。
    4月20~26日で台湾へ行っていた。台湾行きを決めたのが1月末くらいで、奥久慈にエントリーしたのが2月1日だったのだが、この旅行がこんなにレースに影響を及ぼすことになろうとはその時気付けていなかった。
    そもそも台湾は登山をしに行ったのではなく音楽フェスと観光が目的だったので、観光でハイキングしたり、道中10km程度のランニングはしたものの、レース1ヶ月前の1週間の運動量としては少なすぎた。
    また、現地でインフルエンザを貰ってきてしまい、帰国後も暫く走ることができなかった。今後難易度の高いレースに出走する場合は最後の1-2ヶ月の練習時間を絶対確保するように気を付けたい。また怪我や病気のリスクは最大限に避けて過ごすようにしたい。(とはいえ練習はするわけなので怪我のリスクはついて回る訳だけれども・・・)

  2. コース変更を甘く見ていた
    スタート/ゴール地点が竜神大橋に変更となったのはかなり前から認識していたが、正直以前のルートと半周かわったくらいのイメージでしかなく、具体的なコースマップを見たのはGW明けだった。
    50kと言いながら毎回57kmだったり60kmを超えたりしているのは知っていたが、公式に60kmを超えていると謳ってきたのは今回が初めてだったように思う。また累積標高は4200m→5200mにアップしているにもかかわらず制限時間は14時間→14時間半と30分しか増えていない。過去3回出走し、いずれも完走できているとはいえ、正直1000mも累積標高が増えていて、練習もうまくできていない状況では完走が難しいというのは自分がよくわかっていた。
    既知のレースでも、コース変更がある場合はできるだけ早い段階で確認すること。ルート研究やタイム表を作るタイミングもいつもより早めに、そして練習量や内容も早い段階できちんと考えること。

  3. マラソンの練習をしていたことによる弊害
    1月にフルとハーフ、3月にフルを入れていたこともあり、2022年のハセツネ以降ロードの練習を中心にしていたため、普段に比べて登山の頻度が低く登りが弱くなっているのをGWの南アの山行で実感していた。
    一応フルマラソンのタイムは2015年くらいに出した3時間53分から3時間45分まで縮めることができたものの、山に行かずにロード練をしていた割には伸び悩んだ。もっとマラソンのタイムが良くなるくらいの練習できていればまた話はかわってくるのだろうけれど、遅くとも3時間半を切るくらい、欲を言えば3時間20分くらいでないと練習がそのままトレランの強さには直結しない気がする。
    ロード練も勿論トレランのレースの練習にはなるけれど、累積標高を稼ぎながらロード練を並行してやるのが矢張り一番良いので、バランスを考えて練習する(遊びに行く)ことが大事。いつもなら特に意識しなくても山なんて毎週泊まりで行っている訳で、そのことが体作りに直結しているという実感が持てていなかったようにも思う。やはり定期的に山に行き続けること。

  4. 太りすぎ
    出社制限下の在宅勤務で一度増えた体重は半年かけて元に戻ったのだけれど、その後また増えた体重まで戻ってしまっていてそもそも体が重かった(それでもフルマラソンのPBを更新していたのは逆に我ながら凄まじいとは思うが、体重を戻してからマラソンに出ていたらもっと良いタイムが出せたのではないかと思うと悔やまれる)。
    元々胃のキャパシティがかなりある方なのだけれど、きついレースに向けたダイエットや一時的な減量などは必要。食べたいのか、痩せたいのか。痩せたいなら何故痩せたいのか。レースを完走したいのであればそこはきっちり自制すべき。
腸脛靭帯を患っていた期間も長かったので、同じ過ちを繰り返さないようにストレッチや筋膜リリースは以前よりは多少増やしていた(それでも足りていないとは思う)。それに昨年のハセツネで膝が痛まなかったので、ある程度メンテナンスしていれば腸脛は大丈夫そうだなと思っていたが、まさかの外傷と打ち身でこんなことになるとは。情けないけれどこれが現実。矢張り強く思うのは、当日のスタートラインに立てるということ自体がひとつの奇跡でもあり、セルフコントロールの賜物であり、スケジュール調整の成功であり、貴重であるということだ。練習がたとえ順調に進んでいたとしても、どれかひとつでも失敗すればスタートさえできない。4月上旬までのロード練に、下旬から登りのトレーニングとトレランで刺激が入れば結構良いところまで持っていけたのだろうけれど、まぁ今なら何とでもいえる。出走される方、どうか無事に事故なく現地に辿り着き、レースもどうか怪我なく、暑さに負けず、辛さと苦しさと最大限の筋疲労を楽しんできてください!