2012/02/26

20120225-26_谷川岳一ノ倉沢雪洞宴会山行

今日のこの瞬間を迎えるまでに積み重ねてきた、
9人それぞれの毎日が、この日の宴を造り上げた。
細かくて儚くて、それでいて主張があって尊い、自分達が経験してきた1つ1つの事柄、
きっとどれも欠けてはならなかった。

大のオトナが9人、雪に深くて大きな穴を掘ってきた。
そしてその穴の中で、食べて、飲んで、語って、笑って、眠った。それだけ。
でも、それはもう筆舌に尽くしがたい程の深い深い幸せな時間だった。
■2012/02/25(土)雪
8:00 土合駅出発
↓ - 2:00
10:00 避難小屋到着
↓ - 0:25(雪洞を掘る場所を探す)
10:25 掘り始め
↓ - 1:50
12:15 お昼休憩
↓ - 1:00
13:15 作業再開
↓ - 2:30
15:45 雪洞完成!
↓ - 0:45(宴の準備等)
16:30 宴スタート
↓ - 6:30(大宴会)
23:00 就寝

2011年雪洞に続く第二弾開催ということでお誘い頂きありがとうございました。
24日の深夜に都内を出発し、ナッツさんの車でfooさんとマスタと4人で土合駅を目指す。
何組ものパーティーがステビしていた無人駅のJR土合駅
462段もある階段を降りると、駅のホームに着くらしい。降りませんでしたがw
翌朝、4台の車が土合駅に到着。
車1:joさん
車2:大将
車3:もりおさんjanさん、よーこさん
車4:nutsさんfooさん、マスタ、私
天気は雪
決起集会(?)
出発します。暫く道路を進んで
スノーシューやワカンを装着して更に進む
湯桧曽川


雪崩の跡。初めて見ましたが、やはり所謂「雪崩易い地形」で雪崩ていました。
ダイナミックすぎて見るからに怖い。
一つ目の小屋発見。雪深いですね
ほんの僅かな雲の切れ間から浮かび上がる稜線の姿があまりにも幻想的、
まるで浮かんでいるかのよう。
もう1つの小屋に到着、この辺りで雪洞が掘れるといいのですが
今回参加予定だったけれど参加できなくなってしまったタンクロさんから
プローブだけお借りしてきたので、それを使ってナッツさんによる積雪調査スタート。



20分ほど探したところで、作りたい雪洞の幅・奥行き共に3mが確保されている場所を見定めて
いよいよ掘り始めます。
ヤマケイテクニカルブックに「ゴム手袋が良い」と書いてあったので、私はキッチン用ゴム手袋を装着。
joさんは-20度対応の作業用ゴム手袋をしていた、中がボアになっていてとても暖かそうだった。
キッチン用手袋は、ショベルの柄の金属部分を掴んだ時にとても冷たく感じたので
中に薄手の100均手袋をはめても大丈夫な大きめサイズにしたら良いのかもと思った。
ゴアのオーバーグローブなどでもずっと雪を触っていると濡れてしまうのだそう。
入口は3ヶ所。少し下向きに掘り進めてゆく
最初はスノーシューやワカンをつけたまま掘っていたが、少し深くなってくるとすぐ邪魔になってきて外した
右穴。大将の掘りが滅茶苦茶速い!
みるみるうちに穴が深くなるし、掘り出す雪の塊がいちいち巨大。

左穴もなかなか深い。
右穴。
ビニールシートを敷いた所に中から掻きだした雪を載せて外へ運び出す作戦。
大将の声掛けで、作業効率が一気にアップ。
しかし雪はかなりの重さになるので、ビニールはかなり傷む。
この穴ではオールウェザーブランケットを使用したが
他2つの穴では薄手のブルーシート、タイベックのようなものを使用した。
タイベック的なシートはかなり痛んでしまった・・・
右穴と中央穴が繋がった!
そして左穴も合体、といったところでようやくお昼休憩。
小屋に戻って休憩。人によってはプシュッと一杯フライングw
休憩を1時間程で終え、いよいよ奥の部屋を拡大してゆく。
なんだか3ヶ所の入口が繋がってから後があっという間の出来事だったように感じるが、
改めて時間軸を見てみると案外後半戦の方が時間がかかっている。
きっと繋がってからの方が楽しかったから短時間だったように感じたのだろう。
奥へ横へと掘り進めていく。
3つの入口から目分量で掘って、床の高さってそうそうバランスとれるのかな?
と思っていたけれど、うまい具合に平らな床になりそうで驚いた。
人間の目分量ってなかなか凄い。
夢中で全員が雪を掘ったり削ったりしている。
たった1晩眠るため、中で宴会をするというささやかな目的のために必死になって
ここをもう少し掘り下げようだとか、あっちを削ると木が出てくるからもう止めようだとか、
真剣に議論をしている。
自分は自分で階段を作ったりトイレまでのルートを考えたりして、矢張り真剣に雪と格闘している。
作業は私達を夢中にさせる、他のことなんて一切考えられないくらいに。
本気で雪と向き合う。協力する。
全ては今夜の宴会と、今晩の快適な寝床の為だ。
考えれば考えるほど、このメンバーの真剣な作業が心から愛おしく思える。皆最高だ。
そして今ここに自分が居ることも最高だ!
大体の全体像が整ってきたら、床を均し、寝ていても人が滑ってこないように整えつつ
宴会用の中央テーブルを作成する。どんな向きでどのように作るか少し相談し、
結局中央出入口のところに縦に長テーブルを作ることにした。
天井部分も雪を均す。
凸凹のないようにしないと水滴が垂れてくるとの前情報もあったが結構ガタガタでも大丈夫だった。
床の微調整、雪洞そのもののサイズの微調整、
更に自分の座る席を見越しての棚作りを経て、ようやく雪洞が完成!
荷物棚、キャンドル棚、ワインサーバー用の棚が出来上がり、居住性抜群の予感。
右側の壁に刺さっているのはスノーソー。なんと9名で4本もあったw
小屋に置いておいた荷物と共に民族大移動をし、
各自座る場所に防寒アイテムを敷くなどしたところで、乾杯、からの6時間半に及ぶ大宴会の幕開け。
奥が黄色いのは雪洞の蓋代わりのタープやシートの色が雪に映っているから。
16時半から宴が始まると、外はこんなにも明るい。当然ランプも不要。
なんと驚いたことに料理やお酒の写真が殆ど皆無。。。残念すぎる・・・
しかしメニューは豊富で、フードファイターさながらであった。

トムヤム水餃子と普通の水餃子、おでん、鴨鍋&鴨雑炊、スパイスから作ったカレーライス、
参鶏湯、蒸し野菜のオリーブオイル和え、野菜の漬物、
イタリア産からすみとパルミジャーノレッジャーノのオリーブオイル和え&バゲット、
アンチョビ、ブルーチーズ&クラッカー、ハバネロのオイルサーディン、ドライフィグのケーキ、
バタードラム、ウィスキー各種、日本酒、赤ワイン、キンミヤ、泡盛、ラム入りの珈琲(ドリップ)。

全員の荷物のうち、一体何割が食料とアルコールだったのだろうw
どれも皆本当に美味しくて、夢中で食べて食べ尽くした。
参鶏湯と、鴨雑炊だけは翌朝に残し、それ以外は全て皆で平らげた。
奥の壁、左側に縦に埋まっているのはジャンさんのワインサーバー。
からすみやチーズ類と相性抜群で、あっという間にこの赤ワインは完売してしまった。 
この時点で20時過ぎ。でもここからまだ3時間くらい宴が続く。
とはいえ18時頃から先があっという間だった!
飲み食いで疲れたところで大将がドリップコーヒーを淹れてくれる。
痒い所に手が届く素晴らしいタイミング。
珈琲で復活してからカレー、からの就寝。
棚にきっちり荷物を埋め込むと結構な場所の節約になる。床もあまり散らからないし荷物の取り違えも無い。
■2012/02/26(日)雪
8:00 起床
↓ - 2:45
10:45 出発
↓ - 1:05
11:50 下山&土合駅到着
翌朝は特に目覚ましを掛けることもなかったが8時頃には皆が目を覚まして朝食をとる。
各自の朝食に加え、昨夜食べきれなかった汁もので温まる。
出発時刻を定めることもしなかったが、
朝食が一段落すると皆が習慣のようにあれこれザックにまとめていて、
気がつけば出発できる状態になっていた。とてもスマートで粋だった。
役目を果たし、これから人知れず消えてゆく雪の宿。
皆の手で造り上げた、儚くて温かい思い出の空間に別れを告げる。
雪洞に感情があったら、きっと皆を寂しい気持ちでこんな風に見送るのだろうか
二度と無い場所
今日も雪。夜積もった雪で道はふかふか。
あっという間に下山しました
昨年も立ち寄ったというラーメン屋さんで濃厚なラーメンを食べ、
地元のディープなお風呂屋さんで汗を流し、
解散。
宴の最中、「人生楽しんだ者勝ち」の話になったのだが、僕らは完全に勝っていると思った。
別に勝ち負けとかどうでもいいけれど、でもこんな雪山に穴掘って飲み食いしているなんて、
もうこれは確実に楽しくてどうしようもないのだ。

日常でただなんとなく過ごす日々には心から楽しめることってそうそう無いと思うけれど
こういう強烈に楽しい日が私達の日常を支えてくれている気がする。
僕らには山が在って、
しかも山を一緒に楽しめる仲間がこんなに沢山居るっていうのは本当に素敵だ。

大袈裟だが、この日を迎える為に私が経験してきたすべての事柄と手に入れたギア、
皆とコミュニケートしてきた些細な話題、登ってきた山、してきた仕事、仕事を辞めたタイミング、
どれも全て意味があって、どれが欠けても私はココに居合わせなかったと思う。
これらの思いは、雪洞が形になるにつれて深まり、腹の底に染み込み、
雪洞を去る時、更に崇高なものになった。
幸せってこういうものだ。

不思議なことにO型とB型しか居なかった雪洞2012のメンバーの皆様、本当にありがとうございました!

2012/02/22

20120219-22_硫黄岳・赤岳・阿弥陀岳(後編)

前編はこちらからドゾ

前半2日と後半2日で前編後編に分けてみたものの、後半2日の方が明らかに濃かったので
後編がやたらと長いです・・・前中後と3部作にすれば良かったか、、、
いやいや3泊4日で3部作というのも半端だろうが、、、

さて3日目の朝。この日もまた快晴。
晴れてはいるが、阿弥陀岳から雪煙が上がっているのが見える。風が強いのだろうか
■2012/02/21(火)晴れ【硫黄岳アタック】
8:45 出発
↓ - 0:22
9:07 赤岳鉱泉到着
↓ - 0:18(アイスキャンディー見つつまったりアイゼン装着等)
9:25 出発
↓ - 1:42
11:07 赤岩ノ頭
↓ - 0:33
11:40 硫黄岳山頂
↓ - 0:35(爆裂火口見学・写真撮影)
12:15 下山開始
↓ - 1:05
13:20 赤岳鉱泉到着
↓ - 0:20 休憩
13:50 赤岳鉱泉出発
↓ - 0:50
14:40 行者小屋到着
昨日クライマーの方が言った通り。稜線を見上げる限り今日は我々の力では赤岳は無理そうである。
昨日の内に赤岳をやっつけておいて良かった。

一旦赤岳鉱泉へ移動し、そこから硫黄岳を目指す。

行者小屋から赤岳鉱泉の間の道はとても平ら。
 1月に硫黄岳にトライして2日間とも悪天候で敗退しているので、既に2度も歩いている
赤岳鉱泉~赤岩ノ頭まではルートも分かっているし、何も気にせずただひたすら登る。
今回こそ、落とす。(そもそもここまで梃子摺るつもりもなかったのだが。)
前回の天候の悪さとは裏腹に快晴
これだけ天気が良いなら、稜線に出てもバラクラバとか要らないんじゃ??と思ったものの
雪煙・・・。矢張りバラクラバ+ゴーグルで挑みましょう。
赤岩ノ頭まであと少し
赤岳方面。前回はもうこの辺全部ホワイトアウトしていた
硫黄岳方面
上がっていきます
前回は赤岩ノ頭~硫黄岳のコルのあたりに出たが、このコルの辺りは雪庇が凄い模様。
積雪期はコルではなく赤岩ノ頭のピークに出るのが正しいみたい。
矢印のように進み、P2656に一旦上がってからコルへ向かう。

赤岩ノ頭でジャンプ!(アイゼンが重くてあんまり飛べてない)
赤岩ノ頭のコルの雪庇
前回は全く見えなかったけれど山頂こんなに近いのね
で、30分程で山頂に到着
爆裂火口とやらを見学
そこそこの強風。しかしバラクラバとゴーグルのお陰でおバカ撮影会をしている余裕もある。
ひとしきり写真を撮ってから山を降りる
硫黄岳~赤岳~硫黄岳までの稜線が綺麗。
前回のホワイトアウトが嘘のように快晴で大満足。写真撮りまくってきた。
うねうねしたトレースを真面目に辿らず、それらを直切るシリセード跡がちょこちょこあったので、
たまに短距離のシリセードをしたりしながらあっという間に赤岳鉱泉に戻った。
次の土日がアイスキャンディーフェスティバルだったので、看板が付けられていた。
前回は誰もアイスクライミングしていなかったけれど、今回は1組登っていた。
下にいる2人は今回初めてアイスクライミングをするようで、登っている人が2人を指導していた。
少し体勢を整えてから行者小屋へ戻る。
行者小屋までの道すがら、大同心がよく見えた。この形、、、皆がこぞって行きたがるわけだ。
あと1晩あるので、この日も太陽が出ている内にシュラフを干すなどしつつゆったりと過ごす。

ところで、行者小屋はこの時期営業はしていないが、トイレと水場は使うことが出来る。
居合わせた人の話によると、たまーに(土日だけかも?)赤岳鉱泉のスタッフがテン場使用料を
集金に来るらしいが、我々が居た4日間は1度も集金が無かった。

トイレは、冬季用として開放されている個室が2ヶ所。特に男女で分かれている訳ではないが
割と綺麗。ペーパーが途中で無くなったけれど、もしかしたらちょこちょこ赤岳鉱泉の
スタッフの方が補充をしてくれている。かもしれない。。。わからないw

水場の場所については、行者小屋の阿弥陀の方を向いているベランダに向かって左下の付近に
張り紙がしてあるので、それを参考にすると良い。
赤矢印の方へ進み、登山道をそれて右側の辺りに水場がある。
この時期雪に埋まってしまうので、降雪の後は掘らないと見つからないかも知れない。
文三郎道へ行くルートの途中の右側にある。ワイヤーのようなものが渡してある付近に。

ここが水場
水量は豊富だったが、出方が不安定。突然ぶしゃぁあ!と出たりするので手が濡れる。
グローブは外した方が良い。
のんびりご飯でも。
この日は、賞味期限間近で1袋50円に値下げして売られていた乾燥キムチ「カラットキムチ」
棒ラーメン塩味の中に投入して食べてみることに。見た目が悪くてどうしようかと思ったが
思いの外うまい!その上、辛いので体が温まる。。。
この製品、食べ方などがパッケージに一切書かれておらず、
買ってきてすぐそのまま食べてみたのだが、しなっとして硬くて紙みたいだった。
鍋の絵が書いてあったが、これまで山で鍋をしてこなかったので山へ持参することもなく、
なんとなく放置していた。
かと言って、わざわざ水分飛ばして軽くなっているキムチを家でやるキムチ鍋に使う気もせず
そうこうしている内に期限が切れて、、、ようやくここへ来て陽の目を見たというわけ。
ここまで長かったw

見た目は悪い
これは20g入りだが、ググったら50g入りも売っている模様。
山に持って行くならこれで十分。そんなにキムチばかり持って行く必要もなかろう…
しかしひょっとしたら韓国人トレッカーはこういうキムチを大量に持参して歩いているのかも知れん。

ラーメンだけで食欲が満たされる筈も無く、その後フリーズドライの玄米雑炊などを食らってようやく落ち着く。
ご近所のテントの方々と会話を楽しむ日々ももう終わり。
2日目から2泊3日で山に入っていたA山さんというおじさまとはとりわけよく話をした。
我々と同じく明日下山するとのことで、美濃戸の駐車場から車に乗せてくださるという。
美濃戸口までの道路を歩くのは別に面白くもないので、この区間を歩かなくて済むというのは
非常に有難い。
下山日は天気が下り坂のようだったので、早々に出発して下山しようと約束を交わして眠った。


■2012/02/22(水)晴れ【阿弥陀岳北稜チャレンジ+下山】
7:40 出発
↓ - 1:40
9:20 阿弥陀北稜の岩稜帯取り付き地点
↓ - 1:40(撤退)
11:00 行者小屋到着
↓ - 1:20(テント撤収と出発準備等)
12:20 行者小屋出発、下山
↓ - 1:10
13:30 美濃戸山荘
↓ - 0:30(荷物積み込み+車にて移動)
14:00 美濃戸口到着
あれ?晴れてる。下り坂じゃなかったのかい
初日の夜に-24度を示した温度計だったが、結局その後そこまで気温が下がることはなかった。
初日に寒い思いをして、それに懲りて2日目3日目と着込んで寝たら暑いこと暑いこと。
逆に初日の気温が高かったら油断して薄着して寝ていたのかも知れないし、
寒かったのが初日で良かったのだろう。


寒かった、といえば寝袋の中での事故ネタをひとつ。
ダイソーの100円オイルライターのオイルをジッポーのハクキンカイロに入れて使ったら
肌がかぶれてしまった。マスタはかぶれなかったので、体質によるものかもしれない。
肌に直接つけていた訳ではなく、アンダーレイヤーとフリースを着た外側にカイロを入れていたのだが
寝ていたらいきなりヒヤッと冷たいような感覚。一瞬液体が漏れたのかなと思った。
低温火傷の経験がないので、低温火傷かなとも思ったがよくわからず、なんだかピリピリする。
しばらくカイロを離しておいたら肌の感覚も通常に戻った。
その時一体何が起きたのか、帰ってきてググってみてもよくわからなかった。
背中とお腹と1ヶ所ずつやってしまったが、背中は跡形もない。
お腹は少し跡が残っているがもうじき治りそうだ。
痛くも痒くもないが、なんだか表面を擦った擦り傷がカサブタになったような感じになっており
手で触るとガサガサしていて、肌はその部分だけ薄茶色になっている(只今約1週間経過)。

話を元に戻す。
朝起きるとこの青空・・・朝早くにここを出発してしまうには勿体無い。
A山さんはアマチュア写真家の川井靖元氏も所属している山岳写真同人『四季』で活動中の
写真愛好家。このお天気ならもう少しココにいて写真を撮っていても良いかな…
という訳で出発時刻を正午まで後ろ倒しにすることになった。
我々も、昼間でグダグダしていても仕方が無いので、阿弥陀岳に取り付いてみることにした。

A山さんによると、中岳のコルに通じる谷筋は過去に何度も雪崩が起きている場所だという。

それを踏まえて、取り付く。
ここから右に入る。ドキドキ。
快晴。天気予報ハズレ。
我々の前に1人だけ阿弥陀に向かった人がいたようで、トレースがついていた。
コルに向かうトレースもあったが、そのすぐ右の尾根に乗るトレースもあったので、
雪崩の可能性のあるルートは避け、尾根道を進むことにした。
尾根をしばらく進んだところで左にトラバース道が登場し、そこからまわりこむように阿弥陀山頂を
目指すルートだ。


結構な急斜面になってくる
ジャンクションピークと呼ばれる辺り
ジャンクションピークを過ぎると少しだけ傾斜がゆるくなるものの
再び傾斜がきつくなる。登っている時に膝が斜面に付くくらいの斜度である
写真のド真ん中に岩。これって阿弥陀の筈だけど…?
普段行っている無雪期バリエーションルートみたいになってきた・・・
普通の人も登る有名な山に、何故木の幹を掴みながら攀じ登っているのだろう?
何かがおかしい・・・
おかしい訳だよ。コレ阿弥陀北稜だった。
下山してコレコレしかじかA山さんに話したら「それ北稜だよ」と教えてくださった。
北稜てのは初日に赤岳山荘のところで出くわしたてっちゃんが「2ピッチだった」と
宣っていたルート、それをロープ無しで突っ込めば、そりゃ怖いのは当然というもの。
富士山だ!なんて余裕ぶっこいていられるような傾斜でもない
写真左下に見えているのが中岳のコル。あれより下でトラバースするって地図には書いてあったけど
自分ら明らかにコルよりも上にいる。・・・っておい!
The END
この岩の上こそが阿弥陀岳の頂上・・・でもこれは越えられそうにない。
後で調べたところによると、ここが第二岩稜と呼ばれるところのようで、これより手前に第一岩稜が
あったようなのだが、雪に覆われていたためフリーで越えてきてしまったらしかった。
岩の左側の雪の積もっているところを無理矢理登っても登れなくはなかったかも知れないが
さすがに怖くなってこのままおとなしく引き返すことに。
ここをアイゼン付けてロープ無しで登るとか、まだ無理ですから・・・
この斜度だし、岩から剥がれたらズサーって下まで落ちるかもしれないと思うと真っ青。
とても前を向いて下れないのでゆっくりとクライムダウン。
一息入れる。
まだまだ急斜面
登ってきた時はまだ日が出ていなかったので雪が締まっていたが
大分日が昇ってきて気温が上がり、雪がゆるくなってしまった。いつズズズと足元が崩れるか分からない怖さ。
下から見ているとそれ程でもない斜面でも、いざ上から見ると結構な斜度に見えてビビる。
なので「もう平気じゃね?」という場所も、ギリギリまで後ろ向きになって進む。ビビりすぎかも・・・
大分下りてきた
ようやく前を向いて歩けるようになりまして
うさぎの足跡発見。私はほぼ放心状態w 疲れたw
こんな道誰も来やしない。というわけで樹林帯の中はシリセードで滑り降りる。
無事生還。
ただ下山するだけの日だった筈が、どれだけキツイ日に急遽化けたんだっていう。
テントを畳んで下山。A山さんのザックが巨大すぎる・・・
A山さん御年69歳。椎間板ヘルニアと腰椎狭窄症を経てこの健脚。おそるべしである。
ザックの重さは30キロ近くあった。場合によっては40キロぐらい担ぐこともあるという。
A山さん黙々と進む。歩みが安定していて流石だ。しかも速い。
1時間ちょっとで駐車場に到着。ここから美濃戸口まではA山さんの車で移動。
想像以上に早く美濃戸口に着いたので、小屋で少し休憩する余裕を享受してバスに乗る。
硫黄岳は想像していた以上の過酷さもなく普通に落とせた訳だが、
まさかの阿弥陀北稜は冷や汗ものだった。。。
A山さんは、我々が文三郎道から上がって阿弥陀方面に行くのだと思っていたらしく、
コルから降りずに引き返しなさいねと仰っていたらしい。話が噛み合っていなかったのだ。
しかし第二岩稜のところまで続いていたトレースは、岩稜のあたりで消えていたので、
おそらく先行者はロープ持参で、岩稜をそのまま山頂に向かって登っていったものと思われる。


しかしこんないとも簡単にバリエーションルート入れてしまうというのも怖い。
因みに、阿弥陀北稜についてはここにとても詳しく書いてあるのでご参考まで。