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Day4--2026/1/3 (Sat) 行動時間約9時間半 松畑茶屋跡手前211m付近~登立茶屋跡
流石に大分時間的に前倒しになりすぎてきたのでそこまで早起きする必要もない。天気も安定していて、雪がぱらついても本降りになることは無い。もう大丈夫だろう。連日の朝の支度の所要時間も読めてきたので、ゆっくりめの5:00起床6:00出発。 |
| 早朝の清々しい景色! |
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| 林道脇に石碑。ここも歩かれていらっしゃるのね~ |
本宮を越えて中辺路に入ると小雲取・大雲取という山越えがある訳なのだが、小雲取は小という名前が付くだけあって大したことはなくあっさりと終わってしまい、途中いくつか茶屋跡を通りながら一旦小和瀬という地に降りてきた。橋を渡ったところに東屋とトイレがあったのでここで水を少し補充。今までの感じからしてまだまだ頻繁に水場は登場するだろ、と高を括っていたがこの先結構水場がないことが後で分かった。ここが肝心の水補給エリアで、計画にもしっかり書いてあったというのにうっかり忘れていた。まぁなんとかなったので良かったけれども。
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| 誰かが忘れていったペットボトル |
続くは大雲取越え。これがでかい。長く続く石段が地味に足にダメージを与えてくる。脚の筋肉痛などはここまで特になかったのだが、アキレス腱の上あたりに軽い腫れと、足首から下に疲労がたまってきているのがわかった。地面が土なら有難いのだが、ここへきて石が続くのは疲れる。気温が低いことで水分補給が疎かになっていて体もだいぶ浮腫んできた。特に足の甲がぷよぷよに膨らんで、まるで赤ちゃんの手足のようになって足指が曲げづらい。
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この日の幕営地候補に考えていた円座石(わろうだいし)←絶対読めない 10:30に到着してしまったので勿論ここでは宿泊しない。しかもあんまり適地でもなかったw |
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| これがその円座石。上に何が書いてあるかは素人には全然読めない。 |
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円座石の少し先の東屋に水場というか蛇口のついた水道が2つ(写真左)。 きっと夏場などは水が出ているのだろうけれど、今回は若干涸れていた。長時間蛇口をひねらないでおけば少し水が溜まって出てくるけれど、出切ったらもうまた暫くは溜まるまで出てこないという感じだった。出てくるだけの水をとりあえず汲んでいくことにする。 |
また少し進むと楠の久保旅籠跡という小さな平場があった。この札の右側あたりにその平場はあり、私はその場所の写真は撮っていなかった。
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「約1.5kmの区間に数か所の屋敷跡が見られる。江戸時代には、十数軒の旅籠があり、大変にぎわったという。北に見える小雲取の桜茶屋を指差して、あそこまで宿屋がないからここに泊まるように、と客引きをしたとの話ものこる。 18世紀の参詣者の日記に、旅籠の亭主がいろいろもてなしてくれるが、野菜を植えても猿と鹿に食べられてしまうので、干ワラビ以外には菜や大根の類はない、ということなども記されている。 ここには、大正年代まで旅籠が営まれており、『豆腐あります、風呂わいてます』が宿の宣伝文句であったという。」 |
ここに書かれた文章はちょっとした小噺のようで私の心を掴んで離さなかった。読んで目に浮かぶ情景、そして大正といえば祖母はもう生まれていた頃である。祖母は東京の人だが、もし奈良・和歌山界隈に住んでいたらこの旅籠に泊まることがあったかも知れないということだ。
長い長い大雲取越えの登り、無理に歩き続けても徒にペースが落ちるだけ、ここらで一泊しようという人々が散り散りに旅籠に吸い込まれてゆく。ここに商いがあった。そして旅籠の主人たちは知恵を絞って客引き合戦を繰り広げていたはずだ。
さてどこで泊まろうかと悩んだ旅人の目に飛び込んでくるのが豆腐と風呂のパワーワードである。人はその文字を見て、美味しい豆腐と熱い湯舟を想い浮かべて抗うことも出来ずにここに吸い込まれていったに違いない(実際はわからないけどw)。当時ぐったり疲れた人々にとって豆腐は、体に染み渡る栄養価の高い食べ物の頂だったということなのか。嗚呼、豆腐なんだなぁ。そう思ったら無性に豆腐が食べたくなってしまった。美味しいお豆腐。下山したらお豆腐をアテにして日本酒が飲みたい。日本人にとって豆腐というのは、ただの食品ではなく文化なのだろうなぁと思った。そして美味しい豆腐を食べて風呂に入って英気を養い、翌日も人々は旅を続け、大雲取へ挑むのだ。そして彼等が踏みしめたのも、私の足の下にあるのも、同じ土だ。脳内でそんな想像をあれこれ膨らませていたらなんだか泣けてきてしまった。世界は横だけではなくて、時代的な意味で縦にも繋がっているのだというような感覚。当たり前と言えば当たり前のこと、ご先祖様と血が繋がっているということはそういうことなんだな。頭でわかっていたことを体が理解したような気がした。
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| これは札の左側だったと思う |
私以外の人がこんな豆腐だの風呂だのでここまで考えるかといえばそんなことはないのだろうけれど、人がそれぞれ違うように、感動ポイントだって人によって違う。人づきあいというのはそういうのを交換し合うからこそ面白いものだ。付き合いのない相手とだってこういうことは共有したいし自分で記録にも残しておいて、後で読み返して楽しみたい。私がブログを書く原動力のうちのひとつでもある。
登って登って越前峠到着。お疲れ様でした。
峠越えを終えて下山してくると幕営適地ふたたび。脇に沢もあるので水にも困らない。
更に進んで地蔵茶屋跡の小屋。小屋というか立派すぎてびっくり。ここでスウェーデン人の2人組とすれ違ったので暫し談笑。これから登るといっていたけれど大丈夫だったのか、一体どこまで行ったのか・・・(このとき13時半過ぎ)。
因みに、彼らは私とすれ違う前にソロの男性とすれ違ったそうで、その人は吉野から大峯奥駈道を歩いてきて既に10日目だったらしい。自衛隊の方だったそうで、信じられないくらい巨大な荷物を担いでいたとのことだった。
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| トイレは冬季閉鎖中(右側) |
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| 左の休憩所は解放中 |
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| 中もすごい。左奥の板の間で眠りたいw |
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| 水道はほぼ水は出ず(夏は出るんだろうか?)ガスコンロもあったが、使い方いまいち分からず。というかこの設備がここにあるのがそもそもすごい。どういうことなんだろうw |
本気でここに泊まってもいいような(泊まりたいような)気もして少し考えたが、それでもちょっと時間的に早すぎるので歩みを進めることにした。昼過ぎに行動を終えてのんびりするほどの酒やつまみは持ち合わせていない。
あちこちに立っている札の文言を読み続けながら進む。見てもフーンとしか思わなかったりする内容なこともあったが、たまに引き付けられたりする。
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| 亡くなった人と会えることが多い道らしい。気味の悪い感じというよりは、会いたい人に会えるかもしれないような期待の道みたいな感じ |
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| 丁度この左手前に札が立っていた。 |
そうこう言っている内にこの日も次の神社に近付いてきてしまった。頑張って夕方の那智大社に飛び込むか、それとも時間調整して明朝にするか(こんなことばかり言ってるw)。
しかし前倒しで推移しているのは相変わらずであり、ここで頑張ってペースを上げる必要もないし、もっとじっくり楽しみたい。それに、もし那智大社界隈の営業が終わった時間帯に到着してしまった場合、更に進んでテントを張って翌日戻るのか?そんなことを考えたら、那智より手前である程度時間調整して明朝ゆっくり出発する方がいいような気がしてきた。
道の脇の高台に東屋があり、そこは舟見茶屋跡だった。海が見えた。朝ここから景色を見たらいいだろうなぁとも思ったが朝日の見える方向ではないし、そもそも風が強くて寒そう。夏はいいかもしれないが今日の幕営には向いていない。
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| とうとうここまで来た! |
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| かつての茶屋跡の基礎の上に東屋を建てたらしい |
舟見茶屋から少し標高を下げつつ、しかしどのあたりから下が観光地化して街っぽくなりだすのかがよくわからないので探り探り進む。降り切ったところにある公園ももしかしたら泊まれるのでは?と思ったが、普通の公園だったら困るので、登立茶屋跡というところで手を打つことにした。
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