2026/06/28

20260626-28 Deep Japan Ultra 100 (後編)

前編はこちら

CP9 八木ヶ鼻舞復路 (128.8km)    27日20:59
2度目の夜。再び戻ってきた八木ヶ鼻舞であれこれ飲み食いして、また20分くらい滞在してしまった。疲れを取るみたいなCP滞在ではなく、何やかんややっている内にいつの間にか20分も経過してしまうのは良くない(またまた反省)。時間が迫っているというのに結局21:20くらいまで休んで、八木ヶ鼻舞関門40分前に出発となった。着替えも、軟膏系の塗り直しも無し(CPではなく別のところでは何度も塗り直したけれど)。CPを出てすぐの道路にいた誘導の人にエールを貰って「ギリギリだけど頑張ってゴール目指します!」と宣言すると、ギリギリって言ってもまだ関門40分前だよ!大丈夫!という返事がかえってきた。信じて良いのかわからないけれど、まぁ頑張らないといけないのは確かなので聞き流して先を急ぐ。

次のCPまで6kmちょっと、自分のタイム表では早くて1時間半となっていたが、次までずっとロードだというので1時間半もかからないと思った。少し登りもあって歩いたりもしたけれど、ぴったり1時間で到着。

CP10 よってげ邸 (135km) 27日22:20
ここまでずっとエイド食は米中心だったが、ここだけはスープパスタということでちょっと楽しみにしていた(写真はないw)。大麦の入ったトマト味のスープで、大麦のプチプチした食感が楽しくてトマトの酸味が疲れに効いてとても美味しい!地元のおばちゃんが漬けた胡瓜の一本漬けを半分にしたくらいのものやミニトマトも美味しくて、すぐ出発しようと思っていたのにスープも2杯お代わりをして10分ほどの滞在になってしまった。美味しいのは罪だ。今回Solt Stickなるものを初めて導入してみたが、そのお陰なのか胃腸の調子は結構良く、このままゴールまで行けたらいいなと思った。でも今になって考えるとここはまだ135km地点だし自分的に調子が悪くなるのは130km超えた後が多いので、まだ油断はできなかったのだと思う。次まで12.4km。

美味しいですねぇと話しながら一緒にスープを食べていた男性がここでリタイヤを決めた。同じ時刻に同じ場所に居て、私はまだまだ進む気持ちでいるのに、かたやここで試合を終わらせると言う。まだ何とかなるかもしれないし行きましょうみたいな声をかけたと思うけれど、脚は元気だが足の裏が痛いとのことでもう無理だと言った。彼に別れを告げて私は出発した。もう私より後ろの人達は全員リタイヤしていて、いつの間にか最終ランナーになったようだったが、このCPを出発する時はそのことを知らずにいた。

CP10を出発して山の中の峠道みたいなぐねぐねしたところを進むと結構降り基調で飛ばせたりなんかして、ちょっといい感じにペースが上がってきた。でも降りたらまた登ったりして、今度は眠気がやってきた。左右に何もないただのだだっ広い道路を黙々と進むが欠伸が止まらない。走っているので声が揺れて歌えないけれど、前後に人が居ないのを良いことにPerfumeのアルバムを大音量でスマホから流しながら眠気を誤魔化す。登りはすべて歩いていたけれど、なるべくスピードを上げて大股で歩くように心掛けた。股擦れは走ると相変わらず痛かったけれど、塗りたくった軟膏と服用した痛み止めのお陰でなんとかなっている。恥ずかしいくらいの音量でPerfumeをかけていると、関係者の車が追い越し際に応援してくれた。いや恥ずかしい、まぁきっと聞こえていなかったはずと思いたいけれど絶対聞こえていたと思うw

大きな道路を終え誘導されるがままに林道に入り、暫くすると人が追い付いてきた。あれ?女子選手かな?また順位が落ちるのかな?とか呑気なことを思っていたが、そもそも追い抜いてくるのが女子とか男子とか気にしているフェーズでもない。きっと朦朧としていたのだろう。近付いてくる足音と話し声で、後ろに2人いると分かり、それが2人とも男性だということに気付くと、ようやくそれがスイーパーだと認識できた。ギリギリとはいえ八木ヶ鼻舞を40分前に通過しているし、まさか自分より後ろが全員もうリタイヤしているなんて思っていなかったのでちょっと驚いた。八王子と千葉と話していただろうか、2人の楽しいスイーパーの方々とあれこれ喋っていると眠気も飛んだ。「喋ってるとペース遅くなるから気を付けて!」と何度も言われながらせっせと進んでCP11。サーフェスも安定していて難しくなく、結構ペースを上げやすかった。スイーパーの2人がすごく褒め上手で、「全然動けてる!大丈夫!すごい!」と持ち上げてくれたのも凄く有難かった。

CP11 塩谷川復路 (147.4km) 28日1:08
2度目の塩谷川到着。ここでスイーパーが交代となり、別の2人が私に付くことになった。最後の選手ということもあってCP11はそろそろ撤収準備といった雰囲気で、汁物は既に鍋が片付けられていた。最後の汁物が発泡スチロールの器4つに入っていて、既に汁は冷めていた。片付けをしながらにせよ、ここの全員が私を待っていたのだ。有難く、そして申し訳ない気持ちがしたが、それを打ち消すかのように皆が力強く応援してくれる。全然私は諦めていなかった、何故なら諦めが悪いからだ。1度目の塩谷川エイドで食べたちまきはくるみだれだったが、今度はきな粉まぶし。きな粉が口の中の水分を全て吸っていった。

まだまだゴールまでは長く、しかも3回目の大きな登りが待っているというのに、ここが最後のエイドである。水を持たないと足りなくなるし、もう食べ物も持っている中でやりくりしなくてはならない。下調べの段階で分かっていたことだが、こんな終盤に25km以上エイドがないのは結構鬼だ。まぁ文句を言っても仕方がないので十分に水を持ち、おにぎりを1つ持ってエイドを後にする。

交代したスイーパーの方の1人はすごく無口でほとんど喋らず、かろうじてもう1人の方が喋ってくれたのであれこれ話しながら大岳へ挑んだ。2度目の大岳は往路と逆ルートになるのだが往路で繰り返した渡渉のことなどすっかり記憶から消えており、スイーパーの方々を従えて黙々と、怪我だけはしないようにと慎重に進んでいった。いやーこんなにインパクトのある道を憶えていないなんてどういうことなの。しかも登る気満々でCP11を出発したというのに渡渉ばかりで全然登り始めてくれない。稜線に出たらもしかして朝焼けとか見られたりしません?と尋ねると、もう2時間もすると明るくなるし、2時間じゃ上に着かないし、朝焼けには間に合いませんとバッサリ。1000mちょっとの登りなら、頑張れば2時間ちょっとでいけるのでは?と思ったりもしたけれど、結局渡渉渡渉で全然標高を上げないので2時間なんてとんでもなかった。そもそも、タイム表でも5時間くらい見込んであったのだけれど、面倒になってきてこの時全然タイム表を見ていなかった。

スイーパーさん曰く、大岳から降りたところにあるCPが最後の関門だからそこだけ注意する必要があるとのことだった。関門は7時半、大岳から1時間半見ておけばまぁ大丈夫だと言う。しかし時計を見ればひたすら700mとかのあたりでうろうろするばかりで登ったり降りたりをゆるやかに繰り返し、一向に標高を上げてくれないコースにやや焦り始める。空も白みだしてヘッデンを消した4時半頃、私はまだ700mあたりを進んでいた。もう脚の温存とか考えなくていい頃だというのに、息があがるような登り方はせずに淡々とやっていたのだ。大岳は1432m、まだ700m以上ある。登り一辺倒のコース取りになったとしても私はせいぜい1時間500mアップが関の山、山頂に着いたら6時近くなるのではないかとようやく気付いた。

「これ、ひょっとして結構時間間に合わない感じじゃないですか・・・?」
恐る恐るスイーパーさんに尋ねると「そうだね」と言う。気付いてたならもっと早く言ってよ!!!とも思ったが、その手の誘導やアドバイスはレースとしての公平性を損なう行為でもあり、きっとそれはやってはいけないことなのだろう。脚はまだ残っていたので一気にペースアップして息を切らせながらぐいぐい進んで一気に150m以上登ったが、それでもたかだか150m、先は長いし一気にペースを上げたせいか少し気持ちが悪くなってきた。気付けば最後のSalt Stickを服用してから3時間以上経っていた。いかんいかん、これが原因かも知れない。慌ててカプセルを飲み込んだが暫く気持ち悪さは続いて眠気もやってきた。もうなんでもいいから私をプッシュしてくれよという想いでTop Speedを飲んでみる。相変わらず美味しくない。
800mか900mくらいを登っていると誰か登山者が大岳方面から下山してきた。こんな早い時間に登山者か~ソロでトレランしている人かな~応援かな~などと思っていたらシューズに計測チップが付いているのをスイーパーさんが目ざとく見つけて暫しのやり取り。上から着たシェルだかシャツのせいでゼッケンは隠れていたが明らかに選手だった。よくよく服装を見るとTシャツにはピョン吉が書いてあって、途中暫く一緒に進んでいた男性だと分かった。その人は、大岳登り切って今から下山ですと答えるのだけれど、大岳はピストンではなくて先に進まなければならず完全に逆走していた。脚は元気なようで、逆走を伝えるとスタスタと登り返していって一瞬で見えなくなってしまって私はまったく彼に追い付くことはできなかった。

珍しい人も居たもんだなどと思いながら男性を追っていたが、暫くするとまたその人が降りてきて、さっきと全く同じことを言い始めた。今山頂まで行って、これから下山です・・・。いよいよ様子がおかしいので、2人のスイーパーさんが1人ずつに別れ、その男性と私にそれぞれ付くことになった。眠すぎて朦朧としているのだろうか。一度は二手に分かれたスイーパーチームだったが、結局2人とも男性につくこととなり、私はひとりで大岳を目指すことになった。暫くしたらまた1人こちらに戻ってくるのかなと思ったが、最後まで私はひとりのままだった。

5:50頃 もっと早い時間帯は真っ赤に空が燃えて美しかったが樹林帯の中だったので写真が撮れなかった・・・(こんなの撮ってないで登れよ)

気持ち悪さは続き、途中何度か吐き気を催しながら必死に進んだが、大岳山頂に着きそうで着かない。もう稜線にいて、中津又岳を過ぎても、大岳に着かない。4:45に900mくらいに居たので、頑張れば5:45には1400mくらいまで行けると思っていたが、実際は稜線に出てからの斜度がゆるくて距離を稼ぐ感じになってしまった。5:45を過ぎたな、もう5:55だな、うわぁもう6:00で関門まで1時間半だ、まだ着かない!間に合わない!頭上でブーンと音がしていた。ドローンで私を探しているのだろうか、それとも撮影でもしているのか。そんなことを思いながら進んでいるとようやく大岳山頂に到着した。時刻は6:17、遅い!!(泣)間に合わないかもしれない、否、なんかもう十中八九間に合わないんじゃないだろうか。思わず顔が歪む。

CP12 大岳復路 (159.1km)  28日6:17

昼間のヒメサユリが見られたのは嬉しい!

山頂には複数のスタッフさんが居た。後ろの挙動不審な選手の話を手短に報告し、私にはスイーパーがついていないということを伝えると急いで下山を開始した。山頂のスタッフの方によるとCTで1時間半とのこと。おや?自分のタイム表でも1時間ちょっとで見積もられていたのでひょっとしてギリギリ間に合うかも?一旦落ち込んだ気持ちが再び上向きになった。トレランペースならCTの半分で45分、足場が悪くて遅くなることを考慮しても60分みればいいだろうと脳内で計算をする。下山してから少し舗装路を進んだ後に関門があって、のんびりしていると危ないから急ぎ目で降りてー!と言われたが、たぶん「いそぎめ」よりもスピードを上げないと危ないだろうという気がしてハイペースで降りて行った。メジャールートで人の往来もあり、ゴルジュのようにえぐられた粘土質のトレイルで、走れるという感じでもない。丁度早朝ということもあって登山者が登ってくるので、すれ違いではできるだけ足を止める。登り優先、それでもレースのことを知ってくれている登山者は私に道を譲ってくれるなどしてとても有難かった。徐々にゴールするイメージやゴールの瞬間をリアルに想像し始めたのもこのくらいだったか。このブログの冒頭に書いたような「諦めなくて良かった」というようなことをしみじみと感じていた。たまに登山者とひとことふたこと会話をしながら降っていったのだが、気付けば沢の音が結構遠い。関門の標高を把握していなかったので段々不安になってきた。一体標高何mのところに関門があるのか、あとどれくらい降りたらいいのか。時間が迫ってきた頃に一度舗装路のようなところに出たので、スタッフの人が話していた「下山してから少し舗装路を進んだ後に関門」という話でいうところの「舗装路」がこれかなと喜んだのも束の間、再びトレイルに放り込まれてしまった。今、応援してくれたのスタッフだったよね!?もう関門が近いから関門の手前に出てきていたじゃないの!?うわああああ。ひょっとしてさっきの人はただの応援の人?もはやプチパニックである。

再度放り込まれたトレイルは里山の沢沿いの雑な藪といった体で足場は少々ぬかるんでいたが、もう背に腹はかえられないとばかりになりふり構わず走った。転ぶかも知れないけれどそんなこと構っていられない。途中登山者とすれ違って、舗装路ってまだ遠いですかと尋ねると、道路までならもう少しですという返事が返ってきた。「道路まで『なら』」という言い回しに一抹の不安をおぼえる。この人が関門のある場所を通過して、歩いてアプローチしてきたのだとしたら、関門はまだ先だけど道路までであればあと少し(関門は遠いけど、関門については聞かれていないから答えないし、答えたらこの選手はがっかりしてしまうから言わないでおこう)、そんなニュアンスを含めて発語している可能性が高い。まずいまずいまずい。スイーパーさんと一緒に大岳を登っている間に「最終関門で関門アウトは絶対に嫌ですよね・・・」なんて話していたのがまさか現実になってしまうのか。私がその「絶対嫌」を体験するのか。こんな最後に足切りしようなんて意図はないから、最終関門はそこまで厳しく設けられている訳ではないですよって言ってたアレは嘘だったのか。いや別に嘘とかではない、単に自分が間に合わないかもしれないっていうだけなのだけれども。頭がフル回転して止まらない。考えたってどうにもならないのに、頭が考えることを止めてくれない。

ようやく舗装路に出た。まだ7:30にはなっていないがもう7:26とかそのくらいだったと思う。しかし「少し舗装路を進んだ後に関門」の「少し」が何キロか何mか分かっていないので、諦めるわけにもいかず無心でガンガン走る。そりゃもう必死で、ゲーゲーというよりはヒューヒューというような音を立てながら関門を目指した。気分的にはキロ5分を切るくらい出ていたけれど、後でログを見たらキロ5:40くらいしか出ていなかったし喉から血の味がするほど追い込めた訳でもなかった。7:28を過ぎてからは時計で秒まで見ていたが、ここからの2分は人生で1番短く感じた。28分は0秒から59秒まで本当にあっという間で、29分になってからは30秒を見たと思ったらもう次の瞬間には58秒だった。嘘みたいだった。ここまで来たのに、あと9kmでゴールなのに、私のレースはここで終わるのか。いやしかし私の時計が狂っているかも知れないし、僅かに遅れたくらいなら恩赦みたいなこともあるかもしれない。一縷の望みを捨てずに走り続けていると鼻血が出てきた。道中どこで出したかは忘れてしまったのでここまで書かなかったが、3度目の鼻血だった。

ポケットに入れたティッシュを詰めてそれでも走り続けているとスタッフの男性が歩いてきた。関門時刻を過ぎているのにこいつまだ走ってるよと思われるだろうか、もう関門過ぎましたよと言われるのだろうか。そんなことを思いながらも走ることは止められず、関門まだですかと聞くと「もうすぐだけど、そこ関門じゃないから、IBUKIでタイム計測しているだけで先に進めるよ!」とのことだった。間に合ってるとか間に合ってないとかは関係なくて、ゴールまで行かせて貰えるって本当なのか!?胸は高鳴った。走るのを止めて歩いたりしなくて良かった!仮にゴールまで行くとしたって決して時間に余裕はないのだ。

CP13 二口登山道入口復路 (164km) 28日7:35頃
右手にこぢんまりとした関門が見えた。ようやく着いた・・・!と思ったら、視線の先に4-5人のスタッフが立ちはだかって手で大きく×を作っていた。関門時間ですと彼等は言った。さっきすれ違ったスタッフの人が、ここはタイムの記録だけで関門じゃないから先に進めるって言ってたんですけど・・・と聞くと「情報が錯綜していてすみません、でもここは関門なので」みたいな返事だった。2-3回ほど「どうにかならないですかね、なりませんよね」とダメ元で食い下がってみたが、どうにもならないですねとのことで私のDeep Japanはあっけなく終わった。まじか。こんな終わり方があるのか。トレッキングポールに上半身を預け、体を二つに折って地面を見た。しばらく動けずにじっとしていたが、涙は出なかった。悲しいとかそういう感情を通り越して、なんというか、どうしたらいいのかわからなかった。この関門で引っかかった絶望的に不幸な選手はわたしただ一人だと思ったら、もうネタにするしかないよなぁなんて余計なことまで考え始めていた。しかし関門の奥の常設のお手洗いの前に女子選手が1人座っていて、なんとその人もここの関門アウトを食らったのだった。私以外にも不幸な奴がもう1人居た!しかも彼女はここに関門があると思っていなくてのんびり走っていたらしい。私のほんの1、2分前に着いたばかりとのことだった。いやはや、まさかこんな近くに女性が居たなんて全然気付かなかった。一旦走ることを止めたら、思い出したように体のあちこちが痛み出し、座ったり立ったりすることも難しくなっていた。満身創痍でドナドナカーに揺られ、彼女と私は入広瀬の会場へ戻った。

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会場に着くと肩身を狭くしてそそくさとドロップバッグやメインバッグを回収して建物の脇で身支度を整えることにした。一緒の車だった彼女は「もうこの会場に居たくない、少しでも早くここを出たい」と言ってどこかへ消えていった。姐御肌の彼女は口悪いながらも彼女なりにショックを受けているようだったので一緒の写真も撮らずにそのまま別れた。私はと言えばお腹がすいていたので表彰式の壇上脇で振舞われていた最後のおにぎりなんかを食べに向かった。私のこの悲劇は黙っているとより悲壮感が増すような気がして、人と話せば真っ先に最終関門アウトの話をして道化を演じるしかなかった。おにぎりを貰いながら、スタッフの女性に「聞いてくださいよ、私、最終関門であと9kmで引っかかったんですよwww」と話すと、その人は慌てて「あなたに会いたいっていう人が居るから呼んでくる!ちょっと待ってて」と言っておにぎりブースを離れてどこかへ走っていった。はて、誰だろう?というかどういうこと??

少しするとおばあちゃんが1人やってきて、そのあとから2人3人と人が集まってきた。見たことのある顔や記憶にない顔などまちまちで、でもその全員がスタッフの人達のようだった。おばあちゃんがどこにいた誰だったのか分からなかったが、私の手をあたたかい両手で握って話し始めた。八木ヶ鼻舞かよってげ邸あたりにいらした方で、私が最終ランナーとして出発するのを見送ってくれていたようだった。その最終ランナーだった女性(私)が、関門に引っかかってゴール出来なかったという連絡を既に受けていて、私に会いたがっていたらしい。
私は45時間以上動き続けていた疲れと、自分がゴール出来なかったことによる放心状態と、その他もろもろ重なって頭が中々追い付かなかった。おばあちゃんが私に何を話してくれていたのかきちんと覚えてはいないのだけれど、すごく頑張った、残念だったけど本当にお疲れ様、そんなようなことを言われたんだと思う。おばあちゃんはちょっと泣いていた。おばあちゃんの手のぬくもりが私の手に伝わってくると、一気に自分の感情が正常値に戻っていくのが分かった。関門の先へ進めなかったショックで思考停止してバグっていた感情が堰を切ったように流れ出し、おばあちゃんの潤んだ目に引きずられるようにして私はようやく泣くことができた。関門アウトから1時間半近く経ってようやく判った、私はすごく悲しくて辛かったのだと。

すぐ近くの表彰台では表彰式が終盤を迎えていた。人目も憚らず、たくさんの初めて会う人達の真ん中で私は大泣きした。ひとしきり泣いたら少し気持ちも落ち着いて、お礼を言って一緒に写真を撮ってもらった。あとで写真を見るまで気付かなかったが、白のノースリーブの男性はよってけ邸からスイーパーしてくれた2人のうちの1人だった。最後に会えていたというのに、ちゃんとお礼が言えなかったのは心残りだ。

この後も、SNSで繋がっただけで実際に会うのは初めてのN間さんに会えたり、バリ島で出たレースのコースディレクターのNizar氏と去年のDeep Japanぶりに再会できたのも嬉しかった。あれこれしている内に温泉施設のオープン時刻の10時になり、会場を後にした。私は後泊してI﨑さんと宴会キャンプの予定だったので、初日に通ったハーブ香園を再び訪れ、月曜日まで魚沼を楽しんだ。因みに完走できなかった反省点としてはまず下準備としてのタイム表の精度が低かったことが大きいと思っている。あと1時間早く、関門に間に合わないかも知れないということに気付いていればゴール出来ただろう。あとは後半の休憩を長めに取り過ぎたこと、そもそもの基礎走力がこのレースに対して不足していたこと、挙げたらきりがないくらい色々思いつく。今になってあれこれ言っても仕方がないので、次回以降に活かしていくしかない。
黄色のテープは八木ヶ鼻舞往路で1枚、もう1枚はどこだったかもう少し先で付けられたもの。ゴールに近付いた選手の証。
レース2番目は少し欠けていた月も満ちて、この日は満月だった。
夜も朝も肉と酒!
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ゴールしてから言う筈だった『 最後まで諦めないで良かった』という台詞は結局言わぬまま終わってしまった。でも『最後まで諦め』なかったのは事実で、なんなら最後の瞬間である7:30を過ぎたって私は諦めていなかった。ちょっと頭悪いんじゃないのかと思うくらいに諦めが悪かった。まさか自分がそこまで諦めが悪いとも思っていなかった。

ゴール出来なかった私にとっての最後というのは最終関門でログを止めた瞬間になる訳だけれども、じゃあその最終関門まで諦めなかったのは果たして良くないことだったのだろうか。仮に「完走できなかった」という一点だけにフォーカスするなら、無駄に疲弊して走り続けただけで何の意味もなく、諦めが悪いということは良くないことだったのかもしれない。でも私にはそうは思えなかった。これが自分の生き方でもあり、性格であり、死ぬまで付き合っていかなければいけない私という人間なのだ。確かに何の記録も残らないしただのDNFなだけで価値はないかも知れない、でもそんな自分の無様な走りを見ておばあちゃんは涙を流し、スタッフの方々は必死に励まし私を憶えてくれ、応援にきてくれた友人は感化されて人生初のレースにエントリーしてしまった。人のモチベーションになったり人の心を動かしたりできたのなら、それは自分が走った意味も価値もあったというものだ。頑張った証、スポーツのあるべき姿。残念で想像もしていなかった結末だったけれど、想像もできないようなことが起きるのが人生なのかも知れない。それでも負けず、めげず、諦めることなく生きていくしかないのだ。

「日本の深い所(DEEP JAPAN)手付かずの自然に入り、
自分の深い所を見つめ、なぜ生きるのか、
その答えを描けるような経験を提供。」

大袈裟すぎるだろと思っていたDeep Japanのモットーみたいなこの文章、やっぱり今見ても仰々しいなと思ってしまうのだけれど、なにか松永さんが伝えようとしていたことに近いことを今回感じられたような気はしている。なぜ生きるのか、それは多分生きるしかないからだと思う。生きるしかないというのは生きなければならないという義務感や諦めとかではなくて、希望の光に満ちた残りの50年であって欲しいと願うが故の「生きてやるぞ」という強い意思に近い感じ。何度も言うけど、私は諦めが悪いからね。

きっと私はこのレースのことを一生忘れないだろう。

↓↓↓楽しんで貰えたら嬉しいです!応援どうぞ宜しくお願いします!




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