2010/04/23

20100420-20100423_酉谷山 - 小黒遭難未遂レポ(過去記事)

この記事は、ブログを始めるより前にmixiにUPした遭難未遂レポです。
尚、この下山ルートについては2011年10月にリベンジしてます。
行く予定のある方は上述の記録を参考になさってください。
以下、引用。

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twitterやmixiボイスで目にした方もいらっしゃるかと思いますが、 
先月20日に山に入り、なんと23日まで山にいました。 
初の泊まりでの山行だったのに、なんと1泊どころか3泊もしちまいました。 
軽く書いてますが、
実際山で彷徨っている間は真剣に「死ぬかも」と思ってました。 
いわゆる遭難未遂です。 

なんで未遂かって、 
遭難というのは「第三者の力を借りないと下山できない状態になった場合」
のことを指す単語らしいので、自力でなんとか下山した我々は「遭難未遂」
ということになるそうで。 
(ただ、携帯の電源が切れて警察に連絡できなかったから遭難に
ならなかっただけで、実際問題は95%くらい「遭難」と呼んで
問題ない状況だったと言えるでしょう。) 

●20日(1日目) 
東京都で最も高い山と言われている雲取山へ。 
東京都といえども、東京のきわきわ。 
周囲の山の様子はまったく東京ではありません。 

出発時間がなんだかんだ遅れてしまい、結局登り始めたのは13時半過ぎ。 
(これ、山登りの出発時間にしたら死ぬほど遅い時間です。) 
暗くなったり、途中で雨に降られたりしたものの、
無事に雲取山避難小屋へ到着。 
テント持参でしたが、元々雨が予想されていたため、
避難小屋に泊まる予定でいました。 

因みに、避難小屋というのは、本当に避難するためのものもでもあるけれど、 
無人の宿泊施設のようなところで、誰でも泊まれる代わりに、 
特に暖房とかそういうのもなく、簡素な小屋になっている場所であります。 

ご飯食べて普通に就寝。疲れもそれほど無し。 


●21日(2日目)←本当はこの日に下山する予定だった。 
雲取山からずっと東の方向へ伸びる尾根道を、
ピークを経つつひたすら歩く縦走な一日。 
東京とはいえ、泊まりがけで奥まできているため、普段の景色とは大分違う。 

朝から快晴。 
周りに広がる山々はもちろんのこと、遠くには北アルプスの山々も見えます。
(注::南アルプスだそうです・・・ご指導ありがとうございます工場長)

小屋の中はこんな感じで結構広くてきれいです。




山頂にて記念撮影。富士山がきれいに見えました! 

山深い尾根道は、道幅が細かったり、木の根っこがもりもりしていたりで 
大分歩きづらい場所もありましたが、概ね楽しい尾根歩き。 
特にペースも問題なかったですが、出発が少し遅かったので、 
酉谷山の山頂に着いて下山ルートに差し掛かる頃、 
とりあえず昼食を抜いて(行動食のみとし)、
ルートは短時間で下山できる方に変更することとしました。 
このときはまだ、この先の悪夢を知るよしもなく。。。 

元々計画していたルートにも、そうでないルートにも、 
どちらにも点線ルート(いわゆる難路)と呼ばれる箇所がありましたが、 
今まで点線は行ったことがなかったので、
どれくらいの難路か想像できておらず 
「慎重にいこう」というくらいの心づもりしかできていませんでした。 

(後日、別の山域の点線ルートを検証したところ、
点線だからといって全部難路かというと 
ぜんぜんそうでもないことが判明。
どうやら地域によって点線のレベルが大分異なるようです。) 

酉谷山から少し北にある小さなピーク、
「小黒」へ到着したところまでは良かった。 
その後少しだけ先に進み、分岐を経て、
林道へ向かう北西のルートを行くつもりだったのに、 
もう結構手前の時点で、別の踏み跡に騙されてしまって、
どんどん正規のルートから 外れて歩いてしまいました。 
酉谷山から1時間弱歩いたあたりでの写真。 

まだ写真撮ってる余裕がある。 

もうここから先、写真ないですから…。
酉谷山から小黒への道もすでに大分難しく、道もぐざぐざ、ルートも怪しい、 
といった状態だったので、正規のルートを外れてから出くわした様々な難関にも 
まったく問題を感じず、普通に歩いて行ってしまいました。 
点線ルートって、本当に道なき道を行くんだねぇ。とかなんとか言いながら、 
苔を踏み、足場をつくりながら進み、全身を使って崩落地を越えて、 
本来林道に着いてもおかしくないであろう時間になり、 
それでもなかなか林道に出ない、 
そこでようやく、おかしいな、ということになって。 

気付けば、
目印にしていた赤や黄色のビニールテープが見当たらなくなって久しく、 
周囲は次第に薄暗くなってくる。 
いや、これはまずい。 
早く抜けないと。 

結局、真っ暗になってしまった。 
その時居た場所は当然道でもなんでもない場所なので、足場も悪く、 
これ以上、暗い中で動きまわっても怪我をするだけだから、
動くのはもうやめよう。 
ビバークする? 
それとも警察に電話する? 

携帯で天気予報を調べたら、小雨。 
これはまずい、ってことで、警察に電話。 

しかし、電話するにしても、居場所を伝えないことには始まらない。 
というわけで、携帯でGPS情報を取得しようと試みる。 

そうこうしている内に、なんと携帯の電池が切れた… 
(ちなみに私はPHSなのでそもそも山の中では全く使えない。 
従って、ケンの携帯であれこれ行っていた。) 

ビバークして、自力でどうにかするしかない、と決まったのが、多分21時とか。 

ビバーク、つまり、体ひとつで山の中で夜明かしすること。 
そんなん、まだ登山歴も短いんだし、当然初めての経験になるわけで。 
怖いわけ。死ぬほど暗いし。 
大体、落ち着いて座れるようなスペースもないし。 

ようやく場所を作って、
アルミホイルみたいなエマージェンシーシートをかぶって、 
座ってうとうとしようとしたのが23時半頃。 

不安な夜。 
そもそも、山に行くなんて話、誰にもしてこなかったし、 
ましてや、どの山に行くなんて誰にも言ってないし、 
入山届も提出してこなかった(ポストどこにあったかわからなかった)。 
ここで迷って死んでも、
その死体を誰かが探し当ててくれるのは一体いつになるのだろう、 
と思ったら恐ろしかったです。 
(実際はtwitterに「雲取山」と書いていたので、
おおまかな山域は伝わっていたのですけどね。 
私はtwitterに書いたことさえ、この時忘れていました。) 

●22日(3日目) 
早朝、ケンが周囲の様子を見に徘徊。 
しかし一度、居場所がわからなくなってしまうと、もうどこにいるのか、 
地図見てもコンパス使っても、さっぱりわからない。 

よく居場所もわからず、どこから来たかもわからないままに、植生を見つつ 
朝5時頃から、何も食べずに行動開始。 
(21日夜の時点で大分食料がなくなってきている。まだ少し残っていたけど。) 

天気は雨。条件悪すぎる。 

傾斜45度くらいの植林地帯の中を、
トレッキングポールを使いながら必死に移動。 
木の根元は、根っこのお陰で土が安定しているので、
木から木を渡るようにして歩いていく。 

でも、傾斜がひどいので、
うっかりするとどんどん坂の下の方へ降りていってしまうのね。 

下の方に沢が見えて、しかもきっとその近くに林道があるはず
って思い込んでるから 
つい沢に降りようとしてしまった時もあった。 
それで、見るからに危険な白い石灰の崩落地に、ケンが入ったりもした。 
本当に死ぬかと思ったらしい… 
有機的な臭いの一切無い、恐ろしい場所でした。 

結局は、道に迷った時の大原則である「尾根に上れ」という言葉を思い出し、 
尾根を目指すことに。 
それがやはり正解でした。 

すごい大変だったけど、大変な思いをして尾根に出たら、 
木にテープが張られている場所に辿り付くことができて。 

しかしそれは前日に通った記憶のない場所で、
明らかに別の場所だったけれど、 
とりあえず絶対どこかに通じてるはず、と信じて先へ進んでみました。 

この時アラレが降ってました。 
だってこの日、例の58年ぶりの大寒波の日だったんだものね。 

もう飲み水もなくなって、ケンは朦朧としていたので、
私がルートファインディング役。 
ようやく、前日に通った場所に着きましたが、
天候が悪すぎて全然安心できない。 
とりあえず、酉谷山の山頂近くにある避難小屋までは行かないとまずい。 
というわけで、さらに進んで小黒まで到着。 

さてあとちょっと。 
酉谷山を目指します。 

しかし酉谷山だと思って降りた方向が、あまりに悪路で進めない。 
昨日、こんな悪路通ったんだったっけ… 
ここでコンパスでも出せば、ある程度色々わかったんだろうけど、
もうこの状況ではちょっと冷静な判断とかできなくなってました。 

あまりに悪路すぎて、ソッコー断念。 
またビバーク…?しかし悪天候すぎてテントが浸水するのは目に見えていた。 
酉谷山よりも圧倒的に遠い、熊倉山を、諦め半分で目指すしかないのか… 

もうイチかバチかでした。 

日が出ている時間は限られているのだし、小黒の時点で15時くらいだったので、 
もう先を急ぐしか方法は無いと思って、
とりあえず熊倉山(と思い込んでいる)方向へ進むことに。 

しばらく歩きました。 
いくつか小さなピークを越えました。 
とはいえ全体的には割と平坦なルートだったので、
熊倉山までこのぐらいの道ならいいなと祈りながら進みました。 

1時間ほどすると、なにやら大きなピークが見えてきました。 
ピークに向かって少し上ると、道標(山道案内の標識)があるように見えます。 
まだ熊倉山へは着かないはず、
だとするとその手前にある檜山の頂上だろうか。 
これが檜山だとすれば、少なくとも、方向は合っていることになるから 
それがわかるだけでもかなり勇気づけられる。 

淡い期待を胸に抱きつつ頂上に着き、道標の裏側から表を覗き込んだら、 
なんとそこは酉谷山でした。 

まったく予想だにしていなかった展開に、二人とも唖然。 
何が起きたのか全くわかりませんでしたが、
とりあえず命だけは助かったんだと確信しました。 

この時は本当に安心しました。 

そして、避難小屋へ向かって25分ほど歩くと、小屋へ到着。 
小屋のすぐ横には水場があり、当然水は飲み放題。水不足は一気に解消です。 
そして小屋に入ると棚の中に切り餅や醤油、塩コショウがありました。 
誰かが置いていってくれたのか、
避難小屋の管理をしている人が常備しているのかわかりませんでしたが、 
その頃1人前のラーメンと卵1個しか食料がなかった私達、
このお餅には本当に救われました。 
超おいしかった! 
しかも、塩分不足でもあったため、醤油だの塩コショウだのもとても有難かったです。 

ケンは雨具やザックの濡れ処理班として活躍してくれ、
私は疲労でソッコー熟睡。 
小屋の中も寒かったので、小屋の中に更にテントを張って、その中で寝ました。 

テントをたてたよ。もうぐったりです。 
(ちなみにこのテントは新品なんで、小屋の中に立てても小屋を汚すようなことはありません)
●23日(最終日) 
もう酉谷山から北方面に降りることはせず、
南方面の日原を目指して下山することに。 
こちらの方面は、すべてルートが実線なので、安心です。 

天気は曇。しかし雨が降る様子は無し。安心して下山できそうです。 

二人とも怪我もなかったので、そのままスムーズに下山、
14時過ぎに林道へ出ました。 
少しすると山の工事のおじさんたちがいたので、
そこで携帯を貸してくれないかと交渉。 
事情を話すと快く携帯を貸してくださったばかりか、
電波の通じるところまで工事用のトラックで送ってくださいました。 

そこでようやく、2日間も無断欠勤となっていた職場へ連絡を入れることに。 
「どこいってたの!?」てなるかと思っていたんですが、 
twitterのせいで「遭難してる」と大騒ぎになっていたようでした。 
捜索届けも提出した後であり、あわや捜索が始まって更なる大騒ぎになる、
その手前で私達が下山したとのこと。 

我々は案外下山後もピンピンしており、
怪我もないし体調不良もないしで大丈夫でしたが、 
冷静に考えると、4日間もずっと過酷に山道を歩き続けておきながら、
よく膝の故障も筋肉痛もなく居られたなぁと、我が事ながら感心しきりです。 


●振り返ってみて 
山をなめたらいけない、と、耳が痛くなるほど職場で言われましたが 
そんなになめてるつもりはなかったので、ちょっと悔しい思いをしました。。。 

今思い返すと、リアルに色々なシーンが蘇りもする一方、 
一切が記憶から消えてしまっているルートもあり、 
迷っていたルートがどこも似通っていて、
しかも自分の意識が安定していなかったのだろうなということが推測できます。 

ケンは途中で水分不足になり、朦朧としていたらしいですが 
私は結構平気で、自分としては冷静だったつもりです。 
とはいえ、場面場面で冷静で合理的な判断を下せていたわけではなく 
結構勘で動いた場面も多数ありました。 
根拠のない勘で動くなんて、普通に考えたら最悪ですが、 
神経が鋭敏になりまくっていたので、
ある意味勘が冴えていたのかもしれないです。 

下山後、嗅覚がめちゃくちゃ敏感になっていて気持ち悪かったです。 

今回初めての泊りがけの山行で、
今までの山行の中でも多分一番山奥に入っていて、 
迷うよりずっと手前から、その山奥っぷりにぞくぞくしていました。 
歩いている尾根から、普段なら街が見えたりするのに、
この時通った尾根からはほとんど街なんて見えず、ひたすら山、山、山。 
その山という存在に、自分の存在が包み込まれて守られている感覚たるや、
筆舌に尽くしがたいものがありました。 
ある意味守られていたけれど、ある意味惑わされたというか、何と言うか。 

周りに多大なるご迷惑とご心配をおかけした手前、
あまり大きな声では言えませんが、 
今回私達はすごく貴重で素晴らしい体験をしたと思っています。 
しかも、今思い返すと、楽しかったような気さえしてきます。 

あの危機感と恐ろしさを経験しなければ、
学ぼうという気がなかなか起こらなかったであろう緊急時のあれこれ。
読図の重要性、道迷い防止のノウハウ。気象のこと。 
やはり実感が伴わないと、それらの真の必要性って感じづらいものだし、 
私達にとって、今回のことは、通過儀礼だったんじゃないかとも思いました。 
とにかくとんでもない経験で、胃に穴でも開くんじゃないかとも思いましたが、 
とりあえずは結果オーライ。 
生きて帰ってこれた以上、これからもずっと山に登り続けることでしょうし 
今後こんなことが起こらないよう、努めていくしかないです。 

なんだかダラダラ書きましたが、この件で経験したことの数々、重み、
感じたことの量からしたらこんなの本当に氷山の一角みたいなもんです。 
書ききれないですよね。 
とか言って、あくまでも遭難みたいなものですから、
あんまり自慢できるような経験ではないんでしょうけど、
ちょっとだけ「こんな経験できて、羨ましいでしょ」と言いたい気もしているのです。 
あんな感覚、普通に生活してたんじゃ、そうそう経験できるものじゃないしね。 
人間という生き物が持ち得る、あらゆる「感じる」能力って 
きっと死ぬまでに全部は経験できないんだろうけど、 
今回のことがなければ経験できなかった感覚、いくつもあったんじゃないかなって思う。 

あーなんか書きすぎて眠くなってきた。 
寝ます。 


とにかく今私は生きてます。 
(因みに5月3日にも山行ってきましたw) 
生きてるって素晴らしい! 
そして山ってほんと広い!

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