けれども夫と呼ばれ、父と呼ばれ、はたまた妻と呼ばれ、母と呼ばれるようになると、大きな何かを得ると同時に大きな何かを失うものなのだろうと思う。そのこと自体の良し悪しは別として。
配偶者、ましてや子供がいて家族という運命共同体を持てば、1つ自分が何かをするにつけても1人だけの問題ではなくなる。それに対してに歓びを感じる人もニュートラルでいる人も、苦痛と思う人も居る。そして与えられたその状況を純粋に楽しんでしまう人も、ただ淡々と役割をこなす人も、はたまた苦痛を感じてドロップアウトしてしまう人も居る筈だ。それは人それぞれであって、そのこと自体の良し悪しというのは多分特に関係がない。
彼は2年遅れの勤続10周年祝いの5連休に土日を足した7日間の連休を作り、その全てを自分のために使うことを家族に許された。
勿論お盆休みや年末年始など、連休が取れるタイミングは他にもあるだろう。ただ、この貴重な12年に1度のタイミングで彼と一緒に長い旅ができたことは、私にとっても非常に意義深いものだった。彼がどんな想いでこの12年間を過ごしてきたのか、そしてそれより長い年月を共に生きて何を感じるのか、深い部分は私の知るところではないし知ることができる訳もないが、とりあえず、12年同じ会社で働き続けたから連休を貰えたんだっけな、と後々振り返るタイミングであることには間違いない。そして彼のその記憶に自分が一生居続けるということ自体も幸せだと思う。大切な仲間の、稀にしかない大きなタイミングに居合わせられる、居合わせることを許されるということは、私にとってはすごく意味のあることだ。およそ大袈裟な言い方かも知れないけれども。
兎に角毎日がエキサイティングだった。お酒も飲んでないくせして昼間からダイナミックな渓相と景色、取り巻く状況に圧倒されすぎて、私はちょくちょく意識をすっ飛ばしていた。空を見上げれば遠くまで続く青色を背景にして、秋の始まりを思わせるような雲がゆっくりと流れていた。足元に意識を移せば硫黄の入った乳白色のほの温かい水だとか、透明度の高すぎる美しい水だとかが力強く重たく押し寄せていた。夕方になれば岩稜の猛々しいラインに日が沈み、冷え出す戌の刻にはちびちびやりながら焚火を囲む。沢を詰めて稜線に上がったのに、また沢に降りて更に稜線に上がるとかいうのを幾度も繰り返し、もう何時までも何処までもこれが続いていくような気がして、良い意味で、終わりは無いように思った。だから、終わらないで欲しいとかも全然思わなかった。終わらないものだと信じ込んでしまっていたから。それはまるで現実とは離れたところで時が流れたパラレルワールドのような、恍惚の7日間だった。
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ナッツさん、タンクロさん(タンさん)、私。今回の登場人物はこの3人。
今回勤続12周年で連休を貰い、このイベントを企画したのはナッツさんだ。
本当はワンさんも含めた4人パーティーの予定でいたが、ワンさんは仕事の都合で行かれなくなってしまったので、当日になってから3人パーティーになるということが決まったのだった。最初は「4人のつもりで計画して食材持ってきたのに、3人だったらこれ多すぎじゃね?」と話していたが、結果から言うとこれが功を奏したとも言える。なんせ4泊5日が6泊7日まで延びた訳だから。まぁそもそもナッツさんの持参した食材の多さは実に変態的であったということは言わずもがな。
(このルートの掲載について是非があるのは知りつつも敢えて載せることにしました。但しどこで釣りをしたかは伏せます。よってご飯のクダリについては記述しません。後で気が向いたらご飯編として書くかもです。)
6:00 松本駅
↓ - 1:10
7:10 信濃大町駅
↓ - 0:33(タクシーで移動)
7:43 高瀬ダム
↓ - 1:32
9:15 林道終点
↓ - 1:20
10:35 晴嵐荘
↓ - 1:19(ご飯休憩)
↓ - 1:58
16:13 赤沢出合(写真見ても記憶ないので曖昧・・・)
17:06 硫黄沢出合
夜0時近かったこともあり、開いているのはマックと松屋くらいで殆ど店が無い。イタリアン居酒屋のようなところがかろうじて開いていたので入ることにしたが意外と高い上に出てくるのが遅かったので2品くらいしか頼まず退店。美味しかったけど。
松本発信濃大町行電車にゆられて1時間程移動する。ちんたら走る上に各駅でやたらと停車するので遅々として進まず |
松屋でテイクアウトした牛丼を食らう朝 |
信濃大町駅 |
信濃大町の前にタクシーが待機しているのでここでタクシーに乗る。30分ほどで高瀬ダムに到着、そこから3時間程歩くと湯俣山荘(晴嵐荘)に辿り着く。
荷物がタクシーのトランクに入りきらず、ゴムバンドで固定 |
トンネルをこえて暫く歩くと、関係者用のパーキングに到着。ここで林道は終わり、ここから先はトレイルになる |
途中にこんな小屋も。 |
でかい。 |
1人ずつ、と書かれた貼り紙のある、かなり揺れる吊橋を渡ると晴嵐荘。 |
小奇麗な小屋。トイレは左後方の小屋の中 |
すぐに沢に入るのであまり水も要らないのだけれど、本流は硫黄が入り込んでいて飲めないので一応ここで水を補給(勿論支流からとれば硫黄は入らない)。
いきなりこんな序盤で小屋飯を食らう。
黒ラーメン、味は淡白。チャーシューは美味しかった。 |
温泉のモトを入れたような乳白色の沢水 |
また別の吊橋を渡り、湯俣川へ突入する。水俣川と湯俣川の出合。 水俣川といえば、上流は天井沢だ。まさに先日行った北鎌の取り付きの沢。色々と点と点が繋がって線になり楽しい |
どっぎゃーん! |
この濁った水色の沢水は、温泉成分のせいなのだが、それにしてもこの沢の規模、色、水の量。沢そのものが持つダイナミックさと躍動感がひしひしと我が身に押し寄せてきて、思わず顔がニヤけてしまう。脳から何かドバドバ出てきて危ない。とんでもないところに来たもんだ。
水が少ない時期とはいうものの、トイ状の滝のようなものがあちこちにあり、水が差してくる。地形図を見てもごくごく僅かな等高線のゆれに過ぎないから、わざわざ水線なんて引いていなかったようなところが、あれもこれも滝になっている。普段よく行く奥秩父界隈の沢の規模とはスケールが違いすぎて、水線の感覚が物凄くズレているのを感じる。。。こんな微妙な谷筋からも水が流れているのか、といちいち考えていたら段々面倒臭くなってきた。これはあまりにもわからん。
遡行に関してさしたる難所は無い。登攀要素もあまり無く、強いていうならたまに深い釜なんかがある程度。でもそれも簡単なへつりなどでドボンを回避できる。
途中赤沢との出合もあったのだが、写真を見てもいまいちどれだかわからなかったので割愛。
1日目なので別にそれほど体が臭いわけでもなく、特に温泉への執着もなかったが、見つけた野湯に入れるというのは、これはまた違った楽しさもある。なんとなく皆で浮かれながら農ポリタープを張り、とりあえず夕飯を済ませることにする。
硫黄成分?が固まってまるくなったもの。こういうのが其処此処にある。結晶が太陽の光を受けてキラキラと輝く。 |
流れはそれなりに速いので水は重いが水量はそれほどでもない。場所を選んで歩けば 腰より上が水に浸かることもなかった。(時期的なものだと思うが) |
ワリモ沢出合(だったと思う) |
白くて肌理の細かい岩肌とそれを撫でるように流れる乳白色の沢水のコントラストが美しい |
こんなのが横並びに何本もあったりする。この辺から水を汲めば飲める。 |
ここは確か右側をへつった。 |
ナッツさん登り中 |
温泉成分は白いドゥルドゥルを作るだけでなく、こういうコールタールのように真っ黒な皮膜をも作る。 なんでだかよくわからないが、水面がギラリと光って鏡のようになっている。 ここで転びたくないな・・・ |
これも温泉成分が凝固したもの |
ただ、赤沢という名前だけのことはあって、水が赤く、石も赤茶色くなっていた。鉄分が多いのだろうか?
そして本日の幕営ポイントとして考えていた硫黄沢との出合に到着。あからさまな幕営適地はなかったのであちこち探してみて、結局右岸のあたりの砂地に寝床を構えることにした。薪は豊富とは言い難かったがどうにか焚火ができる程度の薪を集めることはできた。
どこに幕営しようかと3人でうろうろしていたところ、どうも錯覚ではないぐらいに水温が高いのに気付く。ここ、ひょっとして温泉なんじゃないか?というわけで一番水温の高いところをなんとなく探してみると、どうやらここが一番温かいっぽい。
大分生ぬるい感じ。温泉浸かれるじゃないか! |
少し斜めになっていたが寝心地はそこそこ良い。 |
この後タンさんは酒で撃沈してしまい、温泉に入らずに終わるという何とも勿体無い状況になったが、ナッツさんと私はミッション遂行。ここは入っとかないと。
しかしながら、ネオプレンゲイターだの服だの靴だのを身につけた状態で「温水だ!」と認識した程度で温泉だと勘違いした我々はいかにもマヌケだった。実際裸になって入ってみたら超絶冷たく、30秒と入っていられない。しかも水から出たら出たで風に吹かれて益々寒く、最早歯がガチガチ言うレベル。とりあえず汗は流したけれども疲れが取れるとかそういう次元ではない。まぁ何事も経験ということで。ああ寒かった。
2日目へ
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