2013/08/21

20130817-21_神通川水系金木戸川蓮華谷(5日目:九郎右衛門谷出合〜蓮華谷〜双六南峰)

朝6時頃、アラームの音で目を覚ましたのか雨音で目を覚ましたのかは覚えていないけれど、兎に角酷い雨だった。かろうじて携帯の電波が通じるところだったので、ウェザーニュースで天気図と雨雲レーダーをチェックする。昨夜の時点では雨予報ではなかった筈なのに、午前中いっぱい雨との予報に愕然とする。13時半には雲が切れるようだったが、そこまで待っていたら今日中に東京に帰れない。

そうは言ってもこの先どれほど続くかわからないハイマツ帯。幕営地点はまだ風をよけた場所にあったが、ここから先は風を受けながら進まなくてはならないことは目に見えていた。まだ服も濡れているし、無理矢理突っ込んだら低体温症になるかもしれない。まだ午前中だし、ハイマツを漕いでいれば低体温症になる可能性はきわめて低かったが、そんな理由をつけてでもテントの外に出たくなかった。帰れなくなるかもしれない危険性を考慮に入れながらも、雨がおさまるまで暫く仮眠することにした。

雨音が弱まった11時半頃、ようやく出発の準備を始める。外へ出てハイマツ漕ぎを始めると、思いの外あっという間にハイマツ帯が終わって岩がごろごろ転がった草地に入った。こんなことならとっとと出発しておけば良かった・・・
南峰のピークがどこだったかは結局よくわからなかったが、知らない間に脇を通り過ぎたようで、そうこうしているうちにメジャールートに復帰した。ひとつめのケルンを見付けると、その後しつこいくらいにケルンのオンパレード。そんなに積まなくてもルート判るってば・・・
そして遂に登山客に会い、追い越して、辿りついた双六小屋で至福のビールとうどん。
3日目くらいからお腹の調子が悪くて下痢していたので、私はお腹にやさしい饂飩をチョイス。
ワンさんはラーメンを。1杯800円。出汁がきいていて美味しい。

彩り鮮やかな登山客のレインウェアや小屋のテレビの色で目をチカチカさせられながらお腹を満たした後は、16:55新穂高温泉発平湯温泉行きのバスに間に合うかどうかもわからないままとりあえず急いで下山。計算上は全然間に合わないけれど、とりあえず最悪の場合は平湯までタクシーに乗って、その後18時平湯温泉発新宿行きのバスに間に合わせればいいと考えていた。
ようやく見えた美しい景色
新穂高温泉に着いたのは17時半頃で、すぐタクシーに乗れたとしても18時発の新宿行きバスに間に合うかは微妙だった。しかも新穂高には一切のタクシーが居なかった。万事休す、と思った直後、新穂高温泉界隈の工事に携わっている業者の方のバンが1台ツツーと現れ、反射的に私はヒッチハイクをしていた。運転していたお兄さんと私の目がバチっと合ったと思ったら車は目の前に止まった。ありがとうお兄さん!!

田舎道をまさかの90km超えで突っ走ったその車は、途中大きなトラックに行く手を阻まれてノロノロ運転になったものの、18時丁度に平湯温泉のバスターミナルに到着した。眼前には新宿行きのバス。走って!というお兄さんの声に急き立てられて車を駆け下りて滑り込み乗車。温泉に入れずに都内に戻る羽目になってしまったけれど、とりあえず結果オーライ、無事に帰路についた。お兄さんありがとう!!

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こうして4泊5日の旅は終わった。
2人で4合しか持たなかった無洗米、絶対足りないと思っていたのに結局2合しか食べないというまさかの食欲減退っぷりだった。4月末に尾瀬の雪道を15時間ラッセルしたのを最後に、最近ハードな山行をやっていなかったので今回の山行は結構堪えた。ましてや、食べられなかったので筋肉痛も酷く、腕も脚も背中もバキバキに。

ここまで怖くて辛い山行を別に望んでいるわけではないし、もうこんなに危ないのは止めた方が良いと思う。そもそも、私自身には登攀力があまり無いので、人の登攀力に頼った今回のような山行はすべきではないと思う。もしも今回、ワンさんが滑落してしまって私が高巻き中に1人ぼっちになったら、間違いなくワンさんを助けに行くことはできなかったし自分自身も助かる気がしないから救助要請したと思うし、そんな危ない橋を渡るような山行は周りに迷惑をかけてしまう可能性も高い。

あまり行くルートを調べ尽くしてしまうのも面白味に欠けるというものだけれど、かといって調べなさすぎると日程の予測もつきづらいし、間に合わないと判った時に無茶をして事故に繋がる可能性もある。適度な調査、といっても、この適度というのが難しい塩梅でもある訳だけれど、いずれにしても、滝の情報くらいは調べておくべきだなという結論には至った。
結局、蓮華谷のこのルートを遡行しているブログというのはほとんど無くて(というか、今のところ1つも見つからない)、実際に高巻き中にも一切の踏み跡がなかったことからも、ひょっとしたら殆ど人が入ったことのないルートだったのではないかと思う。逆に九郎右衛門谷の方はいくつか遡行記録があった。これだけでも知っていればまた歩くルートは変わっていたのだろうと思うが、無事に帰ってこられたからこそ、そんな呑気なことを言っていられる訳で。

脆い岩に必死に張り付いている時は、そりゃもう怖くて仕方なかったし、物理的肉体的には言葉通り死と隣り合わせのところに立っていたから精神的にも半分死んだみたいになっていたけれど、とりあえず下山できた今となっては、これもまた楽しい山行だったと言わずにはいられない。嗚呼、こんなことしていたら本当にいつか死んでしまうから気をつけなければ。

おしまい!

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