2013/10/14

20131013−14_日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP レース編前編

初めてこのレースの存在を知った時に思ったのだ、
私はいつかきっとこれに出ることになる、出るべきである、出なくてはならない、と。

どうしてそう思ったのか、正直よくわからない。ただ、辛い筈のレースを終えた選手達がカメラに向かって見せる、突き抜けた笑顔や涙の理由を自分で確かめたかったのだと思う。ゴールしたその瞬間は純粋な幸せに満ち満ちたものなのか、はたまた苦しみからの解放による安堵なのか。さもなくば、肉体的な限界を越えて、意味もなく笑い泣くだけなのか。いずれにせよ自分の知らない何かがそこにあると思ったし、私はそれを見る必要があった。走ったからといって何かが変わるとか、そういうことを期待してはいなかった。けれども、参加者全員のこの数ヶ月の練習や準備などがその日のためにすべて注がれた熱量の高さを想い浮かべては、彼等の狂気の集中の只中に我が身を置きたかったのだと思う。

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「日本山岳耐久レース 60km地点」
60km地点だったか55km地点だったか具体的な数値や場所は覚えていない。山を始めたばかりの頃、奥多摩を歩いていて出くわしたその標識に書かれていた数字は、フルマラソンの距離をはるかに越えていた。「山岳」を「耐」えて、競う「レース」があるのだと知り、その距離が想像を絶する長さであることに衝撃を受けたのは、少なくとも3年以上は前のこと。調べると、距離は71.5km、制限時間は24時間とあった。衝撃的だった。当時フルマラソンさえ出たことのなかった私にとってその距離は想像の及ばないものだった。でも何故か心がざわついた。きっとこれは私がいつか関わるレースだろう、そう直感した。

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2013年6月、本戦にエントリー。
過去に一度、2011年の30Kにエントリーしたことがあったが、その年は震災でレースが中止になった。そして2012年はアクションさえ起こさず、2013年は30Kの応援に行ったのみで自分は走っていなかった。本戦にエントリーしたのも、エントリー当日、team Run or Die!!のメンバーがハセツネハセツネと盛り上がっていたので、ノリでついクリックしてみたらエントリーできてしまった、というくらいの軽い理由からだった。いざエントリーしてみてから、実際に走るメンバーの錚々たる顔ぶれに怯んだのは言うまでもない。
相変わらず練習はあまりしないまま本番になってしまった。しいて言えば7月のキタタン、9月の乗鞍ヒルクライムレース(チャリのレース。ブログまだ)に出たことくらい、と、直前に22kmほどの試走を2回、あとは近所を21km走ったことくらい。キタタンは44kmのレースだがハセツネよりキツイと言われることもある、と聞いていたので、これを走り切れたということで多少の自信はついていた。とはいうものの距離はキタタンから更に27kmも長いし、リタイヤしたくないし、ある程度走っておかないとまずいなと思ってはいたのだが、キタタン、夏休み、乗鞍、と続けていたらもうそれ以外に練習する時間を割くことができなくなってしまった。否、単に走るのがそんなに好きではないから時間が作れないっていうだけなんだけどね・・・

そして迎えた当日。
13時出走ということで、もし1人で参戦していたらおそらく11時半到着がいいところだったと思うが、そこはハセツネ経験者のいるチームに所属している強み。ほぼ始発で出発して現地到着は8時過ぎくらい。今夜は徹夜で走るのだから、できれば朝はギリギリまで寝ていたいと思いがちだが、こうして早い時間に乗り込むことで、控え室である体育館の奥の方を陣取ることができる。逆に陣地が入口付近だと人の往来が激しくて全くリラックスできないのだとか。なるほど。
でも何気にここは男子控え室w 後で知らされた・・・
場所を確保してからコンビニへ買い出しに行き、受付を済ませ、ニューハレのブースでテーピングをしてもらい、携行する食料の最終チェックと調整をしているともう結構いい時間に。。。起きたのが早かったので段々目がしょぼしょぼしてくる。なけなしの時間でどうにか横になり、持参したマットとシーツにくるまりしばしの休息。しかし緊張して眠れない。ロードレースを走る時いつも聞いているDonato Dozzyのmixを聞いて集中力を高める。
出走まであと30分ちょい
兎に角緊張する。ワクワク、ドキドキ、ソワソワ。そればかり。でも頭の中では、人から聞いた作戦と、自分なりの作戦を反芻する。最初はトレイルに入るまでキロ4分半くらいで飛ばして行く、それは自分がハァハァ言うくらいのペースだから、ハァハァ言うかどうかを目安にする、そして入山峠まで1時間という目安はサブ12くらいの人のペースだから自分はもう少し遅いペースで入るようにする、登りは無理して走らないけれどハイペースで歩く、できるだけ止まらない、食べたくなくても1時間に1度は何か口にする、そして食べ過ぎない、40キロまで水の補給がないことを踏まえ、前半でドリンクを飲み過ぎない、あとは、自分はナイトランの練習をしていないから、できるだけ日の高いうちに突っ込んでおこう。そんなようなことを頭に叩き込む。

後ろにいると渋滞にはまりやすいと言われて、実力以上に前の方からスタートをする。抜かれたら抜かれたで構わない、けれど前が詰まって進めないようなことは避けたい。
わけもわからず鳥肌が立つ
途中でまた会うかもしれない、けれどゴールまで会うことはないかもしれない、一緒に並んでいた仲間と、必ずゴールしようぜと言い合いながら固い握手を交わす。速い仲間は列のずっと前の方に進んで行って見えなくなってしまった。肩を寄せ合いながら、カウントダウンのアナウンスに震える。お互いの緊張は手を通して伝わって、それは余計に増幅して、もう居ても立ってもいられなくなった頃、ようやくスタートのピストル音が鳴った。行こう。
いってらっしゃい!の声に見送られながら進む舗装路
人の流れは真ん中は流れが淀むので、道の端の方から抜いていく。こんなペースそう長いこと持つ訳も無いので今だけだからと自分に言い聞かせながらゲーゲー言いながら踏ん張る。ここはオーバーペースでいい、どうせ後で渋滞にはまって脚は回復するから。そんなアドバイスを信じて抜いていく。握手を交わした仲間は見失ってしまったが、逆に前を走っていたタケさんとハリさんに追いつく。いいペースだ。

トレイルに入ってすぐペースを落とした。ここから渋滞が始まると聞いていたが一向に渋滞しない。道幅がそこそこある間はどんどん追い抜いてもらえば良いのだが、シングルトラックみたいになるとそうもいかない。後ろにせっつかれるままにハイペースで進む。71kmもあるレースとは思えないスピード感に自分が巻き込まれてしまっている。集団も全然ばらけないし、かといって渋滞もない。あっという間に入山峠まで着いてしまった。時間はまだ14:02くらい。速すぎる。おそらく自分の周りに居る人達はサブ12でゴールする人達なのだ。巻き込まれすぎたら自滅する。

ここから緩やかな登り。細かなアップダウンを繰り返しながら市道山、醍醐丸、連行峰、生藤山、三国峠、熊倉山を経て第1関門となる22.66km地点の浅間峠まで進む。どこでどんなだったかはまるで覚えていないが、スタートから浅間峠の手前までは試走してあったのでなんとなく気楽だった。16:52に浅間峠に到着するとすぐトイレで用を足し、ハイドレーションの水の量を確認し、補給食をザックから手前のポケットに移動させ、ヘッドライトを装着してバイザーバフを脱いだ。興奮して手が震えて、色々なことがなかなかうまくいかない。ここのポイントは誰も応援来ないんだったっけかー、と思いながら出発しようとすると応援団発見!うおお、速いよ、と言われたけれど、この時点でサブ13ペースにまで落ちていた。ここからどこまで落ち続けるのか不安もあった。必ず失速するんだ。あれこれしていたら、それまで一番気になっていた「誰が私より前にいて誰が私より後ろにいるのか」を聞き忘れてしまった。永遠のライバル・ひらどんと、鋸山では似たようなタイムだったものの今回は私と違ってかなり練習を積んできたジャッキーの2人は一体どこにいるのだろう。

浅間峠を過ぎてほんの数十秒進むと、すぐ前の人がストックを使って走っているのが見えた。地図を開きながら、ストック禁止区間は浅間峠まででしたっけ、と係の人に確認すると、そうだよもう使っていいよーとの答え。ああしまったココからだったか、休憩中に出しておけば良かった、と後悔しながら大急ぎでストックを出す。ここからゴールまで、ストックは一度もしまうことなく使い続けた。ストックを使って走ったのは、実に1週間前の試走が初めてだったのだけれど、普段のハイクでストックそのものに慣れているということもあって、何の問題もなく使いこなすことができた。
秋の日はつるべ落とし。森の中が一気に暗くなると、森に住む者たちが動きを止めるからなのか、圧倒的な静けさが訪れた。いつも山の中で経験していることだから別に驚くものでもないけれど、うっかりしていた。ここから先ずっと、粛々と鼓動する森の中を進まなくてはいけないのだ。こういう状況になるということは判っていた筈なのに忘れていた。ヘッドライトを点ける人がぽつぽつと現れ、お互いがお互いのライトの明かりを見ながら静かに歩みを進める時間が続く。良くも悪くも、前後の人の様子は暗くてよく見えない。景色は無く、ただただ目の前のトレイルを踏みしめながら進む作業。修行僧の列はひとつのかたまりとなって、たまに誰かが脱落したり、前を歩く誰かを吸収したりしながら、縦に伸びたり縮んだりする。それはまるでマスゲームでなにかを演じる人々のアメーバのような動きにも似ていた。どんどん自分が無になっていくような気がした。色々と考え事をしようかなとも思ったが、その余裕はなかった。

どのタイミングだったか、突然ストックのストラップが外れた。まだ半分もきていないのに、面倒なことになったが、まぁやむを得ないので、とりあえずストックを落とさないようにしようと気持ちを切り替えて進むことにする。

アップダウンは相変わらず続いていたが、今回で一番高い1527mの三頭山が目下の目標。浅間峠までの間の水の消費量が多かったので、40km地点まで水がもつかどうか少し心配だったのだが、日が落ちると水の消費は一気に少なくなった。逆に意識してどんどん飲むように気をつけながら進む。試走をしていなかった区間を闇雲に進んでいると、山の上の方に光が見えた。「山頂でーす、ここから下りでーす!頑張ってー!」とスタッフの人の声がする。三頭山山頂だ。
とても寒い
19:55だった。ペースはまた落ちていた。でも勇気を出して休むことにした。周りの人達の顔が見るからにゲッソリと疲れ果てて悲惨だった。もう走りたくないオーラを出しまくっている人、食べないといけないけれど食べられないといった面持ちの人、積極的にストレッチをする人、ベンチを丸ごと占拠して横になる人。私はというと、何か固形物を口にしたような気がする。何だったかな。夜20時の奥多摩1527m地点はそれなりに寒く、汗で濡れた服が風を受けると一気に汗冷えしそうだった。登り基調でずっと下ろしたままにしていたアームウォーマーを二の腕まで引き上げて寒さをしのぎながら入念に脚のストレッチをし、下りに備えて体勢を整えると一気に駆け下りた。

ここから鞘口峠までの下りは途中にガレがあって嫌らしいと、事前にジャッキーから聞いていたが、三頭山から暫くの間は普通に走ることができた。冷えていた体はあっという間に温度を上げていった。タイムを稼げるなと思えるくらいのとても良いペースだ。しかし標高が下がって気温と体温が上がったと思うや否や、鼻に異変がおきた。

鼻血だった。

気持ちよく下りで飛ばしている真っ最中にこれだ。勘弁してくれよ。しかもすすりながら走れるような生やさしい鼻血ではない。かなり酷い。下を向くとボタボタと勢い良く血が垂れる。顔の真下の土や草を赤褐色の斑点で埋め尽くしながら、ザックの中に入れたかもしれないティッシュペーパーを漁る。ああ、そういえば、スタート直前にティッシュを持つのをやめて置いてきたんだった。もしかして、ティッシュと同じジップロックに入れていた予備のヘッドライト用電池も置いてきてしまったのではあるまいか。不安がよぎる。

10人以上20人未満くらいに抜かれただろうか、悔しすぎてまた鼻血が酷くなるんじゃないかと思うくらいだったけれど、時間の経過とともに体温も下がり、ようやく鼻血は少しずつおさまってきた。その辺の枯葉で最後にチンと鼻をかみ、携行していたチャリ用の指切りグローブをはめた。グローブの親指の付け根のあたりがタオル地だったので、ティッシュ代わりにグローブで鼻血を拭うことにした。

その内に鼻血は止まり、前の週に試走した鞘口峠に到着した。もっとワイワイしているのかと思ったら、スタッフは数人しかいなくて、リタイヤしたと思われる人も別に居なくて、本当にここがリタイヤポイントなのだろうかと疑うくらいだった。特に休憩も挟まずにそのまま通過。そしてここからはぐぐっと登って、その先は大きな落ち葉で滑りやすそうな下り。それが終われば第2関門だ。
相変わらずチームの人には誰とも出くわさなかった。この区間の記憶はあまり無いけれど、ひょっとしたら無いかもしれないライトの予備電池のことを思って、できれば誰かの明かりに便乗したかったのに前後に誰もいなくてやむを得ず自分のライトでルートを照らしながら走っていた気がする。
アップダウンの少ない穏やかな下りを終えて一気に林道へ抜けると、ガードレールがぴかぴか光っていた。関門まできた!と思って、思わず「わぁー!」と声を上げるとすぐ近くにいたおじさんが「ここの景色が一番好きなんだー」と嬉しそうに声を掛けながら私を抜いていった。追いつけないけれど着実に関門を求めて走る。久しぶりに明るいところにきたなぁ、それに、もう水の心配しなくてよくなるんだなぁ、そう思って関門に着くと、応援団がいた。嬉しかった。嬉しくてついつい時間計測用のバーを踏み忘れて注意されてしまった。
ポカリと水を1.5Lだけ貰える唯一の公式エイド。ここから先も水は補給できるが自然水のみ。
水とポカリを半々くらい貰ったものの、この場で500ml以上飲み干してしまった
後編へ続く
装備編はこちら

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