2026/04/18

20260417-19_Manjushree Trail Race 100mi(レース後編)

準備~前日編はこちら
レース前編はこちら

スマホは昨年5月に機種変更をしてリファービッシュ品のiPhone14を使っているが、まだ1年くらいしか経っていないのにやたらと充電の減りがはやい。あまりに様子がおかしいのでレース半月前くらいに販売会社へ端末を送り確認してもらったのだが、特に異常はないとのことでそのまま送り返されてしまった。CP5での休憩中に25%くらいまで充電したがすぐに電源は落ちた。携行しているモバイルバッテリーから充電しながら進んでも良かったのだが、どうせしばらく夜間なので充電もせず暫く写真は撮らないまま進んだ。眠気と疲れ、写真もないので記憶もほぼ無く、途切れ途切れのエピソードだけが残った。

CP6 Kalamasi Bus Park (89km) 
記憶がない。地図を見ると林道というか道路のようなところが多かったようだが全然覚えていない・・・。こぢんまりとした道路の脇にあるエイドだったような気がする。ここに着く手前くらいで一度道端に横になったりしてほんの数分程度休憩したのだったか。

CP7 Sanga Bridge (96km) 5:40頃
吊り橋というのは基本的に川に架かっているものだと思っていたが、ここの下はとんでもない道幅の土色の道路だった。疲れて朦朧としていることもあり、遥か下を通るトラックの群れに目をやるとそのまま吸い込まれそうな気がした。吊り橋のど真ん中から写真を撮りたかったが、スマホを落としそうな気がしたのでやめた。
渡り切って少しするとY河内さんが追い付いてきた。彼はCP5での仮眠を10-15分程で切り上げたようだった。相変わらず胃の調子が悪そうだったが、私より後でエイドに着いたにも関わらず先に出発していった。私も正直そこまで胃の調子は良くなかった気がするが、CPに初登場したリッツのようなクラッカーが食べられたので良かった。胃に不調がくるにしてはタイミングが早いなと思って少し不安を覚えつつ、自分も慌てて彼の後を追う。朝になって眠気は一旦落ち着いた。

左手前に書かれた黄色と白のペンキマークが100マイル用のマーキング。
道路、人の家の壁、橋桁、木の幹・・・あらゆるところにペンキマークがあったが、このペンキは数日経つと勝手に落ちる仕様の物なのか??人の家の壁にレースのペンキマークを書くとか、日本ではとても考えられないw
ここのCPにはコンセントがあり充電できるようになっていたが、コンセントの存在に気付いたのがここを再出発する間際だったので結局充電はできなかった

CP8 Ashapuri (101km) 7:48頃
自分の汗でスマホのカメラが曇っていて写真がぼんやりしている。
エイドのクローズ時刻と自分の到着時刻の差は一向に縮まらない。序盤の関門を突破して安心し切っていたけれど、これは歩いていたら全然間に合わない気がしてきた。Y川さんがスタート前に言っていた「関門越えたら歩いていても完走できる」という言葉は信じてはいけないのでは・・・。
ここでもY河内さんと一緒になった。M月さんも追いついてきて三人一緒になったような気がする(うろ覚え)。

CP9 Chapakharka (109km) 10:00頃

日数が経っているから記憶が消えたとかではなく、レース直後からほぼ記憶が無いあたりが私にとっての100マイルだなぁという気がしてならない。レースの最中は割と意識ははっきりしているつもりで走っているのだけれど記憶に残らないのは、なんだかんだ矢張りすごく疲れているからなのだろうな。
ここはマッサージとダルバートのあるエイドだったと思うが、既に誰かがマッサージを受けていて順番待ちをするにしても何分くらい待てばいいのかもよく分からなかったので諦めることにした。とりあえずダルバートは食べたが、ここでもデフォルトの量が多くて食べ切れなかったような気がする。スイカは水分とミネラル・ビタミン補給になると思って毎回食べるようにしていたが、食べ過ぎるとまたお腹を壊しそうなので1回に2-3切れにとどめておいた。このあとは再び2700m越えの登りが控えている。

CP10 Phulchoki (115km) 12:36頃
確かこの辺りの登りで鼻血が出始めたのだったと思う(違ったかな・・・)。暫くY河内さんと一緒に走っていたが、日陰もなく暑くて鼻血も止まらず、小さな木陰を見つけて立ち止まったりしていたのでY河内さんには先に行ってもらうことにした。
山頂は踏まずに山頂近くにCP10があった。ここまで、標高差はそこまででもなかったが中々登りに転じずに延々トラバースが続いていて無駄にアップダウンさせられたような気がする。CP10のあと林道は降りになる。食欲はそれほど無かったが、エイドのスタッフのためのおやつと思われるポテトチップスは食べられそうだったので数枚いただいた。酸っぱいスナック菓子みたいなのものも勧められてそれもすごく美味しかったが、いくつも食べられる状況ではなかった。ここから延々と降り、写真はもう夜のCP13まで一切ないw

CP11 Nallu (123km) 16:04頃
長い降りを終えて細い道路の脇にあったエイドだったと思うがあまり記憶がない。多分、ここにいる間に山の方が暗くなってきて雷鳴が聞こえてきたのだったと思う。これからあの雷の中に突っ込むのは嫌だなぁと思ったが、方角的に雨雲の中にある山頂はこれから目指す山頂ではないなという気がして少しだけほっとした。
案の定、CPでパラパラと小雨を受けた程度で、その後雨の影響は無かった。

CP12Tikabhairab (129km)
ここもエイドの記憶がないが、このエイドのあと川沿いを延々歩いたり走ったりを繰り返していたと思う。自分より速いメンバーはここを日の高い時間帯に歩いていたようでとても暑かったらしいが、私が通った時は既に日は傾いていたので灼熱地獄ということはなかった。ただ、ゴーロ帯のようなところもあって歩きづらかった上に日が落ちてマーキングが見えなくてちょこちょこ行く方向がわからなくなったりしていた。
以前走ったことがある人だったのか、追いついてきた人が「あの吊り橋を渡るんだよ」と教えてくれたのでそれに従って進むも、その先に見える急斜面の舗装路に心を砕かれる。

書いていて思い出したが、ここで眠気がMAXになったのだったと思う。道は暗くて見えない上にやたら白い道路が無機質で気持ち悪かった。何のために作られたなのかよくわからない道を無駄に登らされたり、車が通れるくらいの幅はあるものの車が通れるのか甚だ怪しいような急斜面だったりして、道そのものに疑問を抱きながら登っていたのがここだったような気がする。ザックを下ろして枕にし、そのまま仰向けになって目を閉じていてもぎりぎり寒くないくらいの心地良い風が吹いてきたが、暫くすると矢張り少し汗冷えしてきて寒くなる。しかも大会と関係のない普通の住民がバイクで近付いてきたりする。急に路上で横になっている人が居るとか、正直このままだとうっかり轢かれてしまいそうだ。

次のCPまで、距離を見ると大したことなかったのだなと今になって思うが、眠気もあってとても遠く感じた。次のドロップバッグポイントに着く手前で田んぼみたいなところの間を散々歩かされたが、ここでは雑草の夜露で靴がかなり濡れてしまった。1ヶ所目のドロップバッグには替えの靴を入れていたが、次のドロップバッグには入れていないので靴はゴールまでこの靴でいくしかないというのに・・・。

CP13 Pharping (137km) 21:08頃
誘導スタッフのいる道路に出るとそこは別カテゴリーのためのエイドで、ドロップバッグポイントはこの先の坂を登った途中の貼り紙のあるところを入ったところにあるよとのことだった。言われるままに坂を登ったが貼り紙がわからずに坂を登り切ってしまったので、再びスタッフのところへ戻って道案内をしてもらいようやくCP13に到着。場所は滅茶苦茶分かりづらくて、こんな山の中に建物があるのか??と思わずにはいられないほど奥まで進まされたが、結局他の舗装路がそこの建物に通じており、コースから行こうとしてショートカットをすると山道になるみたいな感じだった。赤青黄の照明が灯り、誰かがギターで歌っているというやたら賑やかなエイドだった。ここで一旦仮眠をとろうとしていたので、この賑やかさに不安を覚える。

ドロップバッグに入れてあった無印のバウムクーヘンはもう食べられる気がしなかった、というか食べたいと思えなかった。普段散々脂っこい物やら揚げ物やら、脂質の高い物を食べるくせして、こういう時だけは油脂に敏感になるのだから厄介である。
しかし先に着いた人が食べていたダルバートを見たらとても美味しそうに見えたので早速食べることにした。美味しそうと思えたことはとても大事だ。一刻も早く、温かいうちに食べたいと思いながらも、勧められるがままにマッサージを受けることになってダルバートは暫しおあずけ。CP5のダルバートで物凄い量のライスを盛られた経験を踏まえて少な目でお願いしたが、結局お代わりをしてしまった。
マッサージが終わってから食べた黄色っぽくてとろみのある美味しいダルバート。
他の人が食べていた写真を見ると、ひよこ豆のカレーみたいなものもあったようだが私の時は既になくなっていたのか、この黄色いのしかなかった。かなりクミンが効いていた。
優しくて献身的にサポートしてくれるスタッフの方々
私はここに着くまでの間に大分ヨレヨレになっていて、平らな直線道路を進むにも蛇行するような状態で若干危なっかしかった。途中に細いシングルトラックがあって、踏み外したら崖のようになっている箇所もいくつか認識していたこともあり、このエイドでしっかり休むことにしようと決めた。過去のレースで47時間半までは仮眠なしで進んだことがあるので、今回も仮眠無しで最後までいけるかなぁと思っていたのだが、矢張り序盤の関門ファイトで無理をした分、疲労が溜まるのが早かったのだろう。今ここで休んでも制限時間内にはどうにかゴールできるだろうという見込みもついたつもりだったので一旦眠っても良いだろう。何を基準にそう考えたのか、今となってはよくわからないが・・・。
ダルバートを食べている間にM月さんが到着したので少しお喋り。彼女はCP5で少し仮眠したようで、今は眠くないからこのまま行くと言う。私にとってはゴールできるかどうかが最重要課題のくせして、僅かに残る負けん気が頭をもたげそうになるがぐっとこらえる。自分が自分のコンディションを冷静に観察して決めたことを、他人の行動を見て安易に変更するのはトラブルや事故のもとである。私は最低でも30分は眠ろうと思っていたので、もうこの先彼女に追い付くことはないだろうと思った。もうこればかりは仕方ない、眠ることに集中する。たっぷり食べたしきっとよく眠れるはずだ。

いつもレース中は興奮してなかなか寝付けないのだが、仮眠したいといって通された個室にはベッドがあり、脇にトイレとシャワーもあった。こんな汗ダクで汚くて臭いのにベッドに入って布団を掛けて大丈夫なの!?と思ったが、よくよく考えたらこのベッドに既に何人もの汗ダクの臭い人達が横になり眠ってきている訳で、今更私が気を遣うこともなかった。ベッドは特に他の人のにおいで臭いということもなく(何かファブリーズ的な処理をしてくれていたのかどうかは不明)、どちらかというと掛け布団から丁度良い塩梅で人間のにおいがして心地良かった。外では相変わらず誰かがギターで弾き語りをして犬が吠えていたが、私は45分ほど深い眠りに落ちた。自分でアラームもかけていたが、事前に伝えておいた仮眠時間通りにスタッフの方が起こしに来てくれ、私はまだまだ眠りたい気持ちをこらえて出発の準備をする。結局ここのCPには1時間半以上居たと思う。
普通枕の位置手前じゃなくて奥だと思うのだが、私が部屋に入った時既にこの状態だったので、私もわざわざ方向を変えることなくこの向きのまま眠った。

CP14 Deurali (148km)

CP13を出るともうレースは終盤だというのに2400m越えの山々をいくつか登らされる。真っ暗闇の中を延々続く階段、一歩一歩登っていくが遅々として進まない。このペースで果たしてゴールできるのだろうか。ペースが遅すぎて寒い。しかもしっかり仮眠したというのに眠気も完全に消えたとは言い難く、寝た意味あったのだろうかなどと考え始めてしまう。
冷静に考えてみると、20:00クローズと書かれていたCP13に21:00過ぎに入って、そこから1時間半以上休憩していることを踏まえると、クローズ時刻をベースに考えたら2時間以上のビハインドの筈である。いやいやこれまずいんじゃないの、ここまで来ておきながらゴールできなかったら洒落にならない。丁度走りやすい降りで焦って走り出すと脚は残っていて、一気に駆け降りてCP14に着いた。
追い付くと思っていなかったM月さんがCP14の椅子に座っていた。ゴール間に合うか不安になってきたんですけど!!と話しかけると、大丈夫じゃないですか?と余裕の返答。あれ?間に合うのかな?しかしこの先、標高や距離といった数字ではわからないような面倒なサーフェスに苦しめられるかも知れず、絶対間に合うと誰かが保証してくれる訳でもない。ここのCPは結構風が抜けて寒かったので私は水分を補給するだけにとどめて先行させてもらうことにした。
CP14を出て再びひと山越えるとCP15、その後一気に降ってゴールだ。

CP15 Chitlang Road (153km) 4:30頃
旅も終わりが近い。CP14の手前みたいにかっ飛ばせたらいいなぁ等と思っていたが階段の降りに手古摺ってもたもたしていたらまたM月さんが追い付いてきたのだったような気がする。
ここから少しだけ登って一気に降り。かなりの急斜面ではあったが土がふわふわ柔らかくて速度を出しても止まれるので飛ばしても大丈夫だ。というか、この斜度の降りを走っても前腿が痛くないという事実に驚く。決してゴールが近いからといって痛みを捻じ伏せているいう訳でもなかった。前回のチェンマイと何が違うのかはよく分からないが、ここまできて走れていることに感動して私はどんどんスピードを上げた。スピードが上がるにつれ興奮が増して集中し、やれ全然痛くないだの走れてるよマジかヤバいなだのとごちゃごちゃ口に出しながら進んだ。嬉しさが爆発していた。
私は160km以上のレースはこれが3度目で、これまでの2回は最後ほとんど走れなくなってゴールしていたので、100マイルをレースとしてどうやってまとめ上げることが自分にとっての100マイルなのか正直分からないままネパールに来ていた。しかも今回は序盤に関門があることでマイペースを貫くことは不可能であるのがはじめから分かっていたし、序盤のオーバーペースのせいで後半脚は終わるんじゃないかと思っていた。しかし中盤に一旦脚が終わりかけて(登りに関して言えば脚はほぼ終わっていた)、逆にそこで脚が休まって終盤に復活したのかも知れない。標高の高いところでペースが上がらなかったことも功を奏した可能性もある。自分らしくまとめたと言うとちょっと違うけれども、最後に思いきり走れたのは無茶苦茶嬉しかった。50-60kmのレースでも、初めてきちんと最後まで走って終われたレースというのは記憶も鮮明で、今回もその時同様に腑からこみ上げるものがあった。レースにエントリーしてから今日まで最大限の努力を日々積み重ねてきたとは言い難く、頑張ってトレーニングできた日もあった一方でぐうたら無駄にした休日やそれを悔やんで凹んだ日も多々あった。もうネパール行きそのものをキャンセルしてしまいたいと直前に考えたりもしていた。それらのすべてがこの降りで完全に昇華した気がした。ネパールに来られて良かった。

WP Nagdhunga (159km)
ふわふわトレイルから舗装路の降りになり少しペースは落ちたが汗ダクで降り切って大きな道路の横断手前で最後のWP。少し水を補充したいような気もしたが、雰囲気的にもうこのまますぐ終わりそうだったので補充せずに進む。車線とかが無いので何車線かわからないけれど兎に角凄まじい幅の道路で信号も横断歩道もなく、これを「渡れ」とあっさり言われてかなりビビった。途中で交通整理みたいなことをしてくれたので何とか渡れたが、ネパールの人達はこういう道路もすいすい渡ってしまうのだから肝が据わっている。
ここがWPの手前だったか後だったか忘れてしまったが、ところどころに書かれたKVMの意味をゴール直前になってようやく知るw Kathmandu Valley Rim!

Finish Pataleban (161km) 6:33
二度目の朝。ネパールの朝日は毎回濃い橙色に熟れる
国道を越えても民家の間の急坂をいくつか登らされ、降り切ってゴールという展開ではないのがもどかしい。とはいえ本当にあと少しだ、終わりが近付くといつも、長いようで短かったなぁと思う。早くにゴールして眠っていた人達もぼちぼち起きてくる頃かなぁ等と思いながら2日前に通ったルートを少しだけ逆走してホテル前を通過した。ゴールゲートの向こうに人が居るのが見えたが誰も私がゴールするのに気付いてくれそうにない。少し焦ったが、ゴール直前にMCのSophieとN鳥さんに気付いて貰えて良かったw こうして旅は終わった。
このレースはゴールさえすれば女子は入賞ですよなんてY川さんに言われていたので、滅茶苦茶強いネパール人選手だけぶっちぎりで私とM月さんが2位と3位とかかな?なんて浮かれたことを考えていたが、今年は強い欧米人が何人も出ていたので入賞は程遠かった。女子10人中7人完走で私は6位。でも誕生日明け1発目のレースで完走できて感無量、良い一年になりそうだ。

汗ダクの私を一瞬の迷いもなく抱きしめてくれたSophieとはこの後ツーショットの自撮りをして貰ってSNSのアカウントを交換した。私のアカウントには誕生日の数字が入っているので、この数字は私の誕生日で、つまり誕生日をネパールで迎えてすぐにこのレースだったんだよと伝えると、彼女は底抜けの笑顔で喜んでくれた。
階段の上にいたY河内さんが撮ってくれた
貰った瞬間から傷だらけのフィニッシャーメダルw
標高もそれなりに高いこともあり汗冷えしてきたので、一旦N鳥さんの部屋のシャワーをお借りして着替え。そうこうしている間にM月さんもゴールし、結果的に日本から集まった全員が完走するという快挙だった。打ち上げらしい打ち上げができる!誰も悲しくないやつ!

男子6位でゴールしたY田さんは前日夜のうちにタメルに戻っていたが(速すぎw)、他の5人は昼過ぎにタメルへ移動して一旦解散してから夕方改めて集合し盛大に打ち上げ。ゴールしたその日のうちに全員で打ち上げができて、しかも全員が完走しているなんて、こんな清々しい打ち上げは中々無いと思う。最高という言葉以外に見つからない。レースのあそこがどうだった、ああだった、この区間が長かった、怖かった、いや全然覚えてない、眠かった、暑かった、そんな話でひとしきり盛り上がっている内に夜も更けて、N鳥さんはそのまま夜の便でインドネシアのご自宅へ飛んでいった。タイトスケジュール。
この時は全員元気で元気に飲み食い。しかし私は翌朝具合が悪くなって死にそうだった(二日酔いではない)。これについてはまた次回・・・

15日に渡航して17日に走り出し、レースが終わって19日はもうネパール5日目。あっという間だった。私にとっては、初めての奥久慈50k以来の、関門に追われるレースだったけれど、レース前日に思いつめることなく仲間と観光ができたことで気が紛れたし、口を開けばゴールできないかもしれない不安ばかり言っていた私を受け入れ話を聞いてくれた人達がいたことにどれだけ救われたか。
とはいえ、最初に知らされていたコースプロファイル通りだったら関門突破できなかったのは確かだし、エントリーする前にこのプロファイルをきちんと見ていたらきっとエントリーしなかったと思う。ある意味、きちんと見ていなかったからこそシンプルに「ネパールに行ってみたい」という気持ちが先に立って、前のめりにエントリーしてしまったのだろう。これもまた星の巡り合わせとも言うべきか。

30年以上前にユーミンが「Kathmandu」という曲をリリースしていて、その前後でユーミン自身もネパールに行っていた。私にとってカトマンズは登山を始めてから意識した都市ではなく、曲を知った頃から薄ぼんやりと意識していた場所だった。その地に初めて降り立ったと思ったら160km以上走ることになるとは誰が想像するだろうか。当時コンサートグッズとして購入した香水はカトマンズをイメージして作られたものだといい、私はその香りがとても好きでいまだに手元に残してあったのだが、引っ張り出してみたら蒸発してもう1滴も残ってはいなかった。レース序盤で指輪が無いと思った時も不吉だなと思ったし、渡航前に香水が蒸発していることに気付いた時も不吉だなと思って、あらゆることが良い方へ考えられず、レース中もかなり終盤になるまでゴールのイメージができなかった。それでもどうにかゴールできたのは、なんだかんだそれなりに練習していたからだろうし、結果的に「ネパールまで来てDNF」という物語にならなくて本当に良かった。

友達は私が不安を漏らしているのを見聞きするといつだって「絶対大丈夫でしょ」と言う。友人が面と向かって「無理だろうね」なんて言う訳がないのは判っているけれど、それでも「大丈夫」と言われると「大丈夫じゃない」と思ってしまう。そのやり取りが繰り返されることを分かっていながら何故わざわざ不安を口にするのか。でも言わずにはいられない。もう少し自信をもってレースに臨めるよう積み重ねれば良いのだろうけれど結局のところキツい練習が嫌いで、それ故いつまで経ってもスピードは上がらないし心肺も弱いままだ。趣味のために体を酷使するだけならいざ知らず、今回のようにメンタルまで酷使するのは果たして趣味なのかと自問自答もあるけれど、ゴールした後のやり切った感は矢張りきついことをすればする程大きいのも確かだ。もうこんなしんどい趣味に時間を割くのは止めたいと思う一方で、体が動くうちはもう少し続けてみたいような気もする。まぁいずれにせよ、私の体は丈夫にできているものだなと毎度関心するし、丈夫に産み育ててくれた両親には猛烈に感謝している。

「執着を捨てたとたん きっとわかる いちばん大事なことは何なのか」
これからの1年、ユーミンのKathmanduの歌詞にあるこのフレーズを課題のひとつとしたい。何にせよぼちぼち人生も折り返しだ、執着は捨てて、少しずつでも大事なものに気付いてゆける日々がいい。

レース編おしまい

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