スタート前編はこちら
レース前編はこちら
CP9/ Doi "13 Bodies" Entrance (107.3km) 9:33
CP8~CP9の間でようやく100km超え。爽やかな朝はそう長くは続かない。再び強い日差しに晒される時間がはじまる。
日陰はない |
暫く黙々と登っていると後ろの気配がしなくなってきた。薄々感じていたが、どうやらトゥイーティーは私より登りが弱く、私より下りが強い。もしかして千切っちゃったかも知れないな(ほっとしたような、それでいて申し訳ないような)と思いながらCP9直前まで到達すると、結局またトゥイーティーが追い付いてきた。そろそろ1人にさせてよという気持ちも少しあったのは否めないが、別に彼はイライラするようなことをしてくる訳でもなければとても紳士な振る舞いであるので、これもまた運命共同体なのかもしれないと思って一緒に過ごすことにした。本当にペースが合わなくなった時は離れればいい。
ブリーフィングの際、「CP3とCP9が最もリタイヤするのに楽な場所なので、その先に進めるかどうか怪しいなと思ったらいずれかのCPでリタイヤするのが無難だ」というようなことを言われていた。CP3でリタイヤというのは序盤すぎてまずあり得ないだろうが、CP9では本当にこの先進んで大丈夫か検討すべきポイントではあった。救急車が控えている。
ブリーフィングの際、「CP3とCP9が最もリタイヤするのに楽な場所なので、その先に進めるかどうか怪しいなと思ったらいずれかのCPでリタイヤするのが無難だ」というようなことを言われていた。CP3でリタイヤというのは序盤すぎてまずあり得ないだろうが、CP9では本当にこの先進んで大丈夫か検討すべきポイントではあった。救急車が控えている。
180kだけが走る区間は終わり、ようやく南側に戻ってきた。 |
私が手に持っているのは、ここまで散々世話になっている甘いコーヒーのペットボトル。 |
現地の救急車。カラーリングが派手w |
木の棒に何か巻き付けて焼いていた。蛇かなと思って尋ねたが蛇ではないらしい。ただの肉?ベーコン作成中??結局何だったかはわからなかった。エイド担当者もそれなりに楽しんでいる様子w |
たまにこういう一斗缶に入ったスナックみたいなものが置いてあるエイドがあった。ここはクラッカーに固いジャムが挟まったみたいなのが置いてあったのだが、これが結構美味しくてかなり食べた。まとめて袋に入れて持っていきたいくらいだったけど、多分それは食べすぎw |
CP10/ Doi "13 Bodies" (116.8km) 12:38
CP9~CP10はまた日中帯の直射日光にやられ続け、日なたを歩いては日陰を走りというのを繰り返していた。途中でトノサマバッタがいてたので興奮して捕まえてトゥイーティーに見せたら「それはタイ語でバッタンカーって言うんだよ」と教えてくれたので「日本語ではバッタって言うから似てるね」と答えた。帰国して調べたらバッタは全然バッタンカーじゃなくて、結局トゥイーティーはあの昆虫を何だと思っていたのかよくわからなかった。何のことをタイ語でバッタンカーって言うんだろうか。
トゥイーティーとは近付いたり遠ざかったりを繰り返しながら進んだ。この区間ではドロップバッグポイントにいた撮影クルーの車が近付いてきてちょいちょい写真を撮られたのだったと思う。仙人のようなもじゃもじゃの髭を生やしたカメラマンのおじさんが声を掛けながら写真を撮ってくる。沿道に応援がいるわけでもないので、こういう応援も嬉しい。ひとしきり写真を撮ると彼らは車で登っていってしまったが、いやーほんとにこの坂よく車で登るよね大丈夫?って言いたくなるような坂である。こんな急坂運転しろって言われたら私怖いわ・・・
ここのエイドではウィンナーにベーコンを巻いたものとか、何故か滅茶苦茶脂っこいものを焼いていた。いやいや116kmまできて何故このラインナップなのか。。。とりあえずウィンナーベーコンをひとつふたつ口にしてみたけれども、強靭な胃腸を自負している私でさえも体が拒否しているのがわかる。ほかに何を食べたのか忘れてしまったが、カップ麺とかカップ粥とかそういうものは食べなかったと思う。ここのエイドが一番調子が悪くて食欲もなかった。
前回TGTで胃腸に異変があったのが130km、このエイドが117kmあたりだ。前回よりも手前で異変がきているのは暑さによるダメージのせいと考えたら合点がいく。今の自分にはこの辺りに何らかの境界線があるのだろう。
結構手前から予防的に胃薬を飲み始めていたのだが、ここで改めて胃薬を投入することにする。頼む、これ以上の不調は起きないでくれ。食べないと動けないタイプの私は、胃腸が終わるとあっという間にパフォーマンスが落ちて動けなくなる。
CP11/ Ban Sam Muen BPP School (123.5km) 14:34
CP9~CP10はまた日中帯の直射日光にやられ続け、日なたを歩いては日陰を走りというのを繰り返していた。途中でトノサマバッタがいてたので興奮して捕まえてトゥイーティーに見せたら「それはタイ語でバッタンカーって言うんだよ」と教えてくれたので「日本語ではバッタって言うから似てるね」と答えた。帰国して調べたらバッタは全然バッタンカーじゃなくて、結局トゥイーティーはあの昆虫を何だと思っていたのかよくわからなかった。何のことをタイ語でバッタンカーって言うんだろうか。
写真だとやっぱりうまく伝わらないが物凄い斜度の坂、しかも路面が白くて照り返しがすごい |
着いたー! |
前回TGTで胃腸に異変があったのが130km、このエイドが117kmあたりだ。前回よりも手前で異変がきているのは暑さによるダメージのせいと考えたら合点がいく。今の自分にはこの辺りに何らかの境界線があるのだろう。
結構手前から予防的に胃薬を飲み始めていたのだが、ここで改めて胃薬を投入することにする。頼む、これ以上の不調は起きないでくれ。食べないと動けないタイプの私は、胃腸が終わるとあっという間にパフォーマンスが落ちて動けなくなる。
CP11/ Ban Sam Muen BPP School (123.5km) 14:34
CP10を出てから、この不調の原因が何なのか脳内でぐるぐる考えた。そういえばCP3でタンポンが降りてきてから1度どこかで交換したと思うのだが、それでも最後に交換してから大分経つ。トゥイーティーが近くにいるということもあって青空トイレがしづらかった。何なら大がしたい。その辺を解決できたら気持ち悪い感じとか食欲がない感じが少しはマシになるかもしれない。
CP10を出て割と早い段階で見切りをつけ、どこかのタイミングで茂みに入りタンポンを外して大を済ませた。運動量が多すぎてもう多分経血は出切っているのでタンポンも必要ないだろう。大もまぁまぁ出て色々とすっきりした。これでどうだろう?思って進んでいくと、さっきまでの気持ち悪さは何だったのかと思うくらい具合が良くなった。胃腸薬が効いたのか、それともタンポンやら排便が効いたのか、はたまたそれらの複合的な結果なのかはわからないが、窮地はおそらく脱した気がした。当然私のこんな個人的な葛藤を初対面のトゥイーティーに話せるはずもないので1人静かに腑に落とす。
ようやくCP11に到着。さぁ、多分食べられるぞ。
CP12/ Doi Sam Muen School (131.7km) *Drop Bag 17:15
ようやくCP11に到着。さぁ、多分食べられるぞ。
エイドの日陰が嬉しい。 |
気持ち悪さが落ち着いて空腹がやってきたので辛くないヌードルをいただく。 スープがめちゃくちゃ美味しくて沁みた!よくよく咀嚼してから飲み込むよう心掛ける。 |
CP12/ Doi Sam Muen School (131.7km) *Drop Bag 17:15
CP11でようやくまた食べられるようになったという安心感と、実際にカロリーが体内に入ってきたという事実とでゴールが見えてきた気がした。でも油断したらいけない。ここから徐々に体力は削られていく筈なので慎重なカロリー摂取を心掛けないといけない。
レース中に自分が残したメモによると、どうやらCP12に着く少し手前で1度目のロキソニンを飲んだらしい。筋肉痛が出てきたのだったと思うが詳細は忘れてしまった。ロキソニンもそのまま飲んだら胃に悪いので、病院で処方された錠剤の胃薬とセットで飲み下す。ロキソニンはじわじわ効いて、気付いた頃には脚の筋肉痛をあまり感じなくなって下りのペースが上がっていた。
ドロップバッグを開ける。 |
ドロップバッグポイントだからといって目隠しされたような着替えスペースは特にない。バスタオルで首から下などを覆って着替えている人が多く、おそらくこちらではそれがよくあるスタイルなのだろうなと思った。昔プールで子供が使っていたような感じのバスタオルをドロップバッグに入れていて、それを被って巨大てるてる坊主みたいになりながら着替えたりしている。私は当然そんなものは持ってきていなかったし、かと言ってどうしても着替えたいという感じでもなかったので、とりあえずTシャツと靴下だけ替えてインナーは替えないことにした。靴下交換と同時に足指のプロテクトJ1を塗り直し、首など気になる所だけは汗拭きシートで軽く拭く。気温は相変わらず高くてホットミールを食べる気がおきなかったので、ここでは飲み物とフルーツくらいの補給にとどめ、持参した無印バウムクーヘンを1本食べた。トゥイーティーは全身着替えて別人のようなカラーリングになってリフレッシュしていた。ここでもトゥイーティーはビールを飲んでいて(強い)、そこそこ準備に時間がかかっていたので私が先に出発してしまっても良かったのだが、もう先に出てもどこかで追い付かれるのが分かっていたからのんびり一緒に出発することにした。彼のTシャツはトゥイーティーからOne Pieceに変わった。以降トゥイーティーはルフィと呼ぶこととする。
CP13/ Doi Chang Community Shop (140.9km) 19:19
日が暮れて2晩目がやってくると途端にまた眠気に襲われ始めた。暗くなると眠くなる、分かりやすいな。道もなんだか山の中腹のトラバース林道のような単調なもので、せいぜい水溜まりやぬかるみを避ける程度の緊張感しかない。夕焼けが綺麗で写真を何枚か撮った。CP14までは割と標高も高いところにいてそこから一気に降るので、ここはまだ激しい下りもなく脚の負担は軽い。
淡々と進む |
まだ夜の入口だというのに矢張り2晩目は眠い。19時台の暗さが、まるで26時半くらいのように感じられる。少し遠くの暗闇に目をやると、まるで宇宙の果てに放られたようだった。
CP13は広場のようなところにあった。100kの人も混じってきて、エイドとしては結構賑わっていたと思う。炊き立てのご飯があって、葉っぱに包まった何かがあったので早速いただくことに。これは何かと尋ねると、ココナッツミルクとかが入ったペースト状のものを蒸した料理だとかなんとか言っている。わくわく。
辛ッッッッ!!! |
因みに、調べたところによるとこれはおそらくホーモックプラー(※)という料理。
TGTでカップヌードルカレー味を食べた時は、食べている途中ですぐ気持ち悪さと腹痛が出てきて撃沈したが、今回このホーモックプラーを食べていてもそのような症状は出なかった。スパイスの影響が出ないか心配ではあったけれど、あまり心配しすぎるとメンタルでお腹を壊しかねないので「きっと大丈夫だろう」と自分に暗示をかけるようにしてエイドを出発した。
※ホーモックプラー
ココナッツミルクと卵、レッドカレーペーストを溶いたベースに「魚のすり身」を入れて練り混ぜ、ナンプラーなどで味付けした生地を作り、その生地とコブミカンの葉 (バイマックル:ใบมะกรูด) とスイートバジル (ホーラパー:โหระพา) を一緒にバナナの葉に乗せ簀巻きにして、炭火で炙って蒸し焼きにする。なお、バナナの葉で完全に包んだり、バナナの葉の容器などに流し入れて、鍋で蒸して作るのが蒸しスタイルのホーモックプラー。(焼くスタイルのものはホーモックプラー・ヤーンと呼ぶ)。ココナッツミルクと卵を混ぜているのでカスタードプリンと同じように、蒸し焼きスタイルの方が硬めの食感になる。
CP14/ Huay Nam Dang D. Campsite (149.3km) 21:55
CP13~CP14のあたりはコース上にキャンプ場などが点在したりしていたので、一般キャンパーがうろついており物珍しそうにこちらに目を向けていた。道に謎の大きな穴が開いていて三角コーンが立っていたりしたのもこの辺りだったと思う。残り30km! |
お粥っぽい何かをいただく |
今回パンツを履かずに直接CW-Wのショートスパッツを履いていた。普段からそのパターンなことは多いのだが、こんな痛みに苛まれたことは一度もなかったのに何故今回に限ってこんなことになっているのか。パンツを履いてからスパッツにした方が良かったのか、正解はわからない。兎に角痛くてできる限り摩擦が起きないようにガニ股になってみたり、少しスパッツを下げてみたり、逆にスパッツを手で股に押し当ててみたりした。しかしスパッツを下げると皮膚同士が擦れて痛く、スパッツを押し当てるとその時だけは痛くないのだが手を離した途端に痛くなり、もう解決策は何も思い浮かばなかった。生理による出血は終わったが、今度は傷で血が出始めるんじゃないかと思った。
残り30km程、ここからどんなルートが待ち受けているのかは分からないが、自分が元気でルートが平坦であれば4時間もあれば終わる距離だ。しかし私は体中痛くてろくに走れず、もし全部歩いたとしたら早歩きだって6時間はかかる。ここまでで既に36時間ほど経過していて、仮にスムーズにゴールまでいけたとしても42時間だ。40時間くらいでゴールできちゃったりして!?などと思っていたが今回も結局大失速である。無念。
残り30km程、ここからどんなルートが待ち受けているのかは分からないが、自分が元気でルートが平坦であれば4時間もあれば終わる距離だ。しかし私は体中痛くてろくに走れず、もし全部歩いたとしたら早歩きだって6時間はかかる。ここまでで既に36時間ほど経過していて、仮にスムーズにゴールまでいけたとしても42時間だ。40時間くらいでゴールできちゃったりして!?などと思っていたが今回も結局大失速である。無念。
CP15/ Apuchi Camping (156.3km) 23:21
CP14から一気に1000m近く降ってCP15へ。GPXを見る限りずっとロードのようだったので嫌な予感はしていたが、案の定アスファルトの急坂を駆け降りるセクションになった。初めて出た時のハセツネの、ゴール直前の下りを彷彿とさせるような容赦ないアスファルトの衝撃。一歩ごとに脹脛と前腿に痛みが走る。日本では見かけないような細長くて太いダンゴムシのボスみたいな虫が路面に蠢いていて、そいつらを踏まないように気を付けていたら目まで疲れてしまった。序盤でパックになっていた連中は全然追い付いて来なくて完全にルフィとの二人旅になっていたが、流石にここまでペースを落としていたら誰かに追いつかれてしまいそうである。最後まで足を残した人がやってきたら、一気に刺されるだろう。
ルフィはたまにバーッと駆け降りては歩いてみたいなことを繰り返していたが、本当は走れるのに私を待っていてくれたのか、それとも一時的に痛みに目を瞑ってダッシュしてはやめるというのが彼なりの戦略だったのかは分からなかった。私はといえば脚も股間も痛くて歩くのがやっと、極くたまにジョグを挟むくらいしかできなかった。足首とかその辺は大丈夫だったが、トレッキングポールをずっと使っていたので腕もかなり怠い。全身が疲れている(そりゃそうか)。ただただ、ご飯を食べ続けられていることが有難かった。とりあえずこれで最後と思いながら追加のロキソニンを投入。前回の服薬から時間も経っているし大丈夫だろう、でもこれ以上は飲まないようにしたい。
疲労困憊、眠気で目が自動的に閉じていきそうな状態でようやくCP15。胃腸は快調とまではいかないが食べられない訳ではない。胃に食べ物が全然無いという状態にすると胃液で胃壁がやられると思ったので少しずつでも何か入れ続けておきたい。エイドのラインナップを聞くとご飯と卵焼きがあるよというのでそれを頂くことにした。そしてなにやら茶色いものを乗せられたのでこれは何かと尋ねると、豚肉だという・・・(やめろ)。
ご飯はもち米のような感じで腹持ちは良さそうだったが、消化に悪そうな雰囲気があるので長い時間をかけて咀嚼してから飲み込むようにした。食べるのに時間がかかりすぎて結局半分くらいしか食べずにあとはテイクアウト。卵焼きはほぼ食べて、ポークジャーキーのようなものは2-3個しか食べられなかった。味は美味しかったけど、今じゃないだろ感がすごい。これは完全にビールか紹興酒のアテなのよ。ルフィはたまにバーッと駆け降りては歩いてみたいなことを繰り返していたが、本当は走れるのに私を待っていてくれたのか、それとも一時的に痛みに目を瞑ってダッシュしてはやめるというのが彼なりの戦略だったのかは分からなかった。私はといえば脚も股間も痛くて歩くのがやっと、極くたまにジョグを挟むくらいしかできなかった。足首とかその辺は大丈夫だったが、トレッキングポールをずっと使っていたので腕もかなり怠い。全身が疲れている(そりゃそうか)。ただただ、ご飯を食べ続けられていることが有難かった。とりあえずこれで最後と思いながら追加のロキソニンを投入。前回の服薬から時間も経っているし大丈夫だろう、でもこれ以上は飲まないようにしたい。
疲労困憊、眠気で目が自動的に閉じていきそうな状態でようやくCP15。胃腸は快調とまではいかないが食べられない訳ではない。胃に食べ物が全然無いという状態にすると胃液で胃壁がやられると思ったので少しずつでも何か入れ続けておきたい。エイドのラインナップを聞くとご飯と卵焼きがあるよというのでそれを頂くことにした。そしてなにやら茶色いものを乗せられたのでこれは何かと尋ねると、豚肉だという・・・(やめろ)。
胃の心配とカフェイン欲の葛藤。甘くて冷えたペットボトルコーヒーは飲みたくなかったが温かいコーヒーをお願いしてみた。ドリップコーヒーをインスタントコーヒーのようにお湯に入れて渡してきたので、コーヒーかすが口に入ってきて全然飲めないw |
多分ここのエイドで公式に撮られた写真だと思う、疲弊する私と眠いながらも笑顔のルフィ。ルフィは何か饒舌になってスタッフと話しているけれど、タイ語なので何を言っているのかはさっぱり分からないw |
CP16/ Ban Buak Kwai (166.5km) unknown
このエイドの記憶が全く無く、しかも通過タイムも記録されていなくて写真も撮っていなかった。。。ただこの辺りはずっと工事現場みたいなところの地味なアップダウンを走らされ、100kの人達に追い抜かれ、ずっと景色は暗く意識も朦朧として、視界の隅のルフィの姿を追っていたと思う。水っぽいところを渡ったり、急斜面を登ってはすぐ降りたり、あの区間は一体何の場所だったのだろう。幻覚を見たというわけではないにせよ何やら既視感のあるところのように思えて、でもそれがどこで通った場所だったのかまでは思い出せなかった。右下に川が流れて道は切れ落ちており、左の山肌は工事中で人工物が沢山あった。でもその景色ももしかすると夢だったかもしれない。CP15で食べ切れずにテイクアウトしてきたもち米をひとくちふたくち齧っては何分も咀嚼してお粥状にしてから飲み込むみたいなことをしながら進んだ。
CP17/ Non Na Doo Dao Campsite (175.3km) 4:32
ゴール地点の周りを無駄にぐるぐる遠回りをしつつようやくゴールゲートへ。ゴールまで2kmくらいのところでもうあとちょっと我慢すりゃいいのにルフィがトイレに行ってびっくりしたが出てくるのを待って最後まで一緒に進んだ。
これまで出てこなかったエイド食ラインナップ。手前のジャムサンドみたいなビスケットが美味しかった。奥側にあるクリームパンみたいなものも1つ食べた。もうあと5kmなのにまだ食べ続ける私w(ルフィはこれといって特に食べず) |
やっと夢の中のような工事現場エリアから脱して街中へ出たが、その後もちょこちょこ笹薮の生い茂る裏山みたいなところを歩かされたりなどしつつ最終エイドへ。もうあとちょっとというところでルフィがベンチに横になり出したので驚いたが、そろそろ出発しようかなと思って声を掛けるとすぐ起き上がったので一緒にゴールへ向かった。180kの選手にはまだ追いつかれていない。このまま逃げ切れるか。
Goal/ Muang Khong SAO Office (180.5km) 5:36
レース前々日くらいにゴール手前のルートが変更になっていて、その分のGPXファイルは更新されていなかったので現地のマーキングを頼りに進んだ。疲れ切った状態で最後の最後にGPXと実際のルートが異なるみたいなのは正直やめて欲しいwゴール地点の周りを無駄にぐるぐる遠回りをしつつようやくゴールゲートへ。ゴールまで2kmくらいのところでもうあとちょっと我慢すりゃいいのにルフィがトイレに行ってびっくりしたが出てくるのを待って最後まで一緒に進んだ。
レディーファーストと言われてゲートは私が先に潜ったが、ほぼ同時のゴール。 結局43時間36分かかり、ルフィは男子5位、私は女子1位! よく写真を見ると、私はゴールの興奮で目がギンギンに冴えていて、ルフィはめっちゃ眠そうw |
どこのタイミングだったか忘れたが、私はルフィに「ペースが合わなければ私のことは無視して構わないし貴方のペースで進んでレースを楽しんでくれ」と伝えていた。言い方によっては、一緒に走るのが嫌なのかなと勘違いされかねないし、別に私も一緒にいるのがすごく嫌とかではないから私が意図していないニュアンスで伝わってしまってルフィを傷付けてしまうようなことは避けたかった。結局ルフィが私の発言をどう捉えていたのかは分からない、タイ語のわからない日本人がひとりでこんな長い距離を走るのは心細いはずなのに強がっているだけだろうから一緒に走ってあげようと慈悲をかけてくれたのかもしれないし、はたまた本当に完全にペースが一緒だっただけなのかもしれない。私が真意を根掘り葉掘り聞き出すのも無粋だし、彼は彼で細かい感情を英語で表現できるほど英語が堪能でもなかった。我々の間には確かに言語の壁があったけれども私は彼を同志だと思えたし、彼も私のことをそのように思ってくれていたら嬉しいなと思う。途中多少離れたりしたこともあったとはいえ、30時間以上一緒って中々無いことだよなぁ。ありがとうルフィ。私がOne Pieceを見たことがないばっかりに、Tシャツきっかけに何も会話が弾まなかったのは申し訳なかった。
---
MCの女性も一緒の宿だったのだが、彼女はかなり英語が堪能だったので何かと助かった。一旦宿に戻ってシャワーを浴びてから8:00の表彰式に戻りたいと言ったら車を出してくれる人を見付けてくれたり、Danon達の車のトランクに私の荷物が入っててそこに着替えが入ってるけどDanon今寝てるよねどうしよ?みたいなことを相談したら、あの人鍵かけてるの見たことないから多分荷物取り出せるよと言ってくれたり、何かと面倒を見てくれて本当に有難かった。
結局シャワーの時間はなくて、宿からとんぼ返りでDanonと会場へ戻り表彰式。
日本から個人的に出走していた方々や、私と同じくDeep Japanの副賞で参戦していた駒井さんとも合流してお話もできて良かった。皆好成績でトロフィーを搔っ攫っていった。
結局シャワーの時間はなくて、宿からとんぼ返りでDanonと会場へ戻り表彰式。
DanonはAltraのサポートも受けてるガチのアスリートw 同じルートを走ったのに、こちらはさっきまで走っててようやく明け方ゴールしたばかり、かたや前の晩ベッドで眠れているのだから信じられない。同じ1位でも格が違う・・・ |
ゴール後のご飯やソフトドリンクまで用意されてるの有難すぎる |
本当は宿で仮眠くらいとりたかったのだが、12時だからチェックアウトしてくれと言われて一睡もできずに再び会場に戻ることになった。TGTの時はゴールしてもビールが飲めないくらい疲れていたが今回は大丈夫だったので350-350-500mlと都合3缶ほど飲んだ。
制限時間は54時間だったが、宿が一緒だったもう一人のインスタグラマーの女子とその取り巻き2人は52時間ほどでゴール。レース前日一緒に飲んでいた人達の職業がどうやらトレーナーとかだったようで、彼女のサポート役として一緒に走っていたみたい。
皆のゴールを見届けてから、14時頃には公式のバンが会場を出発、3時間程でチェンマイ空港の近くまで移動した。バンは元々16時出発のスケジュールだったのだが、乗客10名程が早い段階で揃ってしまったので早目に出発したのだった。もう少しゆっくりできる筈だったのが最後ドタバタになって、ビール片手にバンに乗り込むような形になった。
---
皆のゴールを見届けてから、14時頃には公式のバンが会場を出発、3時間程でチェンマイ空港の近くまで移動した。バンは元々16時出発のスケジュールだったのだが、乗客10名程が早い段階で揃ってしまったので早目に出発したのだった。もう少しゆっくりできる筈だったのが最後ドタバタになって、ビール片手にバンに乗り込むような形になった。
---
シャワーを浴びる時に靴下を脱いで右の足首を見たらえらく腫れていた。序盤に捻った捻挫はこんなに大ごとになっていたのか!?しかし足首を曲げたり回したりしてみると確かに痛みがある。こんな足でよく完走したなぁ、などと我ながら感心していたが、暫くすると両足首が腫れてきて、更に足の甲もむっちり膨らんできた。ははぁ、これは浮腫みってやつか。ロングレースや長期山行の後で浮腫むことがあるというのは人から聞いて知識としては知っていたし写真でも見たことがあったけれど自分がこんなに浮腫んだのは初めてだったのですぐには理解できなかったのだ。水分摂取が少ないと浮腫みやすいと聞くのでレース中は意識的に水を飲んでいたつもりだったが、それでも暑さによる消耗が激しかったから体内の水分量としては枯渇していたのかもしれない。膝下の浮腫みは帰りのフライト中も酷くて、このまま皮膚が弾けるんじゃないかと思えるほどパンパンだった。浮腫みがおさまるまでに何日かかかった。
股間はといえば、シャワーの僅かな水圧が沁みるくらい擦れており、普段小ぶりであった筈の箇所は腫れて肥大化してなにか別の生物のようになっていた。盛大にリンパ液も滲み出してきて、ものの数分でびしゃびしゃである。散々運動して生理は完全に終わっていたが、このリンパ液を吸い取ってもらうのに再びナプキン先生に頑張っていただく必要があった。いやはや、こんな状況を誰が想像しただろうか。というか、誰か同じような状況になった人が居たらこっそりでもいいから男女問わず教えて欲しい。股間の大怪我だよ!
股間はといえば、シャワーの僅かな水圧が沁みるくらい擦れており、普段小ぶりであった筈の箇所は腫れて肥大化してなにか別の生物のようになっていた。盛大にリンパ液も滲み出してきて、ものの数分でびしゃびしゃである。散々運動して生理は完全に終わっていたが、このリンパ液を吸い取ってもらうのに再びナプキン先生に頑張っていただく必要があった。いやはや、こんな状況を誰が想像しただろうか。というか、誰か同じような状況になった人が居たらこっそりでもいいから男女問わず教えて欲しい。股間の大怪我だよ!
こんな長距離走るのは体に良くないとつくづく思う・・・。健康のために続けている登山であったりランニングであったりするのに、何故このような不健康なことに・・・
大会の終わりに、残っていた人達で集合写真! |
観光その他編へつづく
0 件のコメント:
コメントを投稿