2026/04/22

20260421-25_Gosaikunda Trekking(day2)

初日はこちら

2026/4/22 (Wed) day2 Dimsa-Gosaikunda Lake
(10.5km/1477mD+/106mD-)

おはようございます
朝食も選べたので、茶色っぽそうな粉のパンケーキを選択。ふわふわ分厚いのを想像したらクレープみたいな厚さのものが出てきて面食らう。今日の登山のエネルギーとしてこれは足りるんだろうか・・・?瓶ごと出てきた蜂蜜をたっぷりとっていただく。
キビか蕎麦かどちらかの粉のパンケーキ(どっちを頼んだのだったか忘れたw)。
この蜂蜜は現地の定番のようだったので日本に帰る前にスーパーで小さめの瓶を買って帰った。結構安い。

7時半頃に出発。この時期ここはシャクナゲのシーズンらしく、あちこちでシャクナゲが咲き乱れていた。葉より花の体積の方が多い・・・日本のシャクナゲともちょっと雰囲気が違う感じがする。ネパール語ではらラリグラスと呼ぶそうで(Laligurans / लालीगुराँस)、ネパールの国花なのだとか。少しでも時期がずれると見られないらしい。
途中の山小屋でちょいちょい止まって休憩しては珈琲やらお茶をいただく。
どこの小屋でも、小屋の人が編んだらしきニット帽やら手袋やらを売っていた。カラフルでかわいい
途中、神様が祀られている小屋があって中を覗いてみるとマンジュシュリーが居るではないの!マンジュシュリーは学業の神様でもあり知恵の象徴でもあるが、元々湖だったカトマンズ盆地を剣で切り拓いて水を抜き、人が住めるようにした神様でもあるという。だからこそカトマンズの外輪山を周回するレースの名前もマンジュシュリーになったのだろうし、ネパールのあちこちで祀られているのだろう。
写真向かって左がマンジュシュリー。右手(向かって左)には剣を持ち、左手には蓮の花、花の上には巻物(書物)が乗っている。レース前にマンジュシュリーを調べていたせいでマンジュシュリーだけは見てすぐ認識できるようになったw 他の神様は全くわからない。
大きな荷物をおでこだけを使って運ぶポーターさん達。(※私の荷物ではない)
7000-8000m峰が見える最高の天気!
自分のいる高さが既に3000mより上だというのに、更にあんなに高いところに山が連なっているという事実に感動するというよりすこし恐ろしさまで感じる。ここ、私が住んでいる日本と同じ地球上のはずだけど、こんなことってあるんだなと思ってしまった。知っていて来ているはずなのに、実際に目にするととんでもないなぁ。スケールが違いすぎる。日本を縦(高さ?)に2つ積み重ねても届かないんだよなぁとか思うとすさまじい。
写真だけだと何の山を撮影したのか後になるとわからないが・・・ランタン方面だと思う
いやー景色最高ですね!
ティータイム。相変わらずのコミュ力を発揮する心強いNgimaがふらふら歩いてどこか行ったなと思ったら楽器を手にして戻ってきた。トゥンナという楽器のよう。なにやら歌い出すw
後ろの景色が良すぎる
先程見かけたポーターさんと一緒になった。あれはデコだけで支えてるのかとNgimaに聞いたら矢張りそうらしい。デコの他に支えているベルトとかは一切ないそうで、小さい頃から練習してるから首が鍛えられているのだとか。Ngimaはシェルパ族の人で、小さい頃からやっているから担げるんだそうだ。私も試してみたくなったのでお願いしてデコ持ちさせてもらう。腰云々以上にダイレクトに首にくる上すぐにふらつくし、自分の重心と荷物の重心を一致させるのが難しい。よくこんな持ち方してサンダルで歩けるな・・・
帽子の上からだと微妙にずれるので帽子を脱いでトライ。貴重な体験w
ティータイムから1時間ほどで早目のランチ。景色が相変わらず良すぎる・・・。天気もべらぼうに良くて晴れまくっている。標高も高いわけだしヤケーヌとか持ってくるべきだったなとか思ったけれど、まぁ仕方ないさ、レースの準備と山の準備と両方やるの大変だったんだからさw
ダルバート続きで少しだけマンネリになってきたので昨夜はカレーにしてみたものの、結局またダルバートが食べたくなって再びダルバートに戻る。でもネパールにいる間に何度も何度もダルバートを食べてみてわかったのは、店や宿によって味もトロトロ加減も色も豆もみんな違ってみんな良くて、食べれば食べるほど飽きないということだった。ただどれも過激な味付けはなく穏やかで優しく、ネパールの国民性に通じるものがあり、人が料理を作り、食べ物が人をつくっているのだなという気がしてならない。卵が先かニワトリが先かみたいな話になるけれども。そして相変わらず、山小屋でも食事の提供には時間がかかる。一体どこから作り始めているのだろうかw
美味しかった!
プレートには載っていない何かをNgimaが載せてもらっていたので私も食べたいといって載せてもらった。ネパール版の食べるラー油に近いようなもので、味が濃くて美味しかった。買って帰っておつまみにしたいくらいw
そうこう言っているうちに標高が4000mを突破!私の時計にこんな数字が出るのがバグみたいな感じがしてとりあえず写真に残す。本当にそんな高い場所にいるのだなぁ
標高もいよいよ上がって気温も下がり、スタートから苦しかった呼吸がますます辛くなってきた。嗚呼、ゴリゴリの急登・・・。酸素が足りない。下界と同じくらい空気を吸っていても酸素感がない。
雪が出てきた
ガイドさんというのはかくありなんとでも言うべきか、Ngimaには自分より歩けない人や具合の悪い人のエスコートする場合におけるプロフェッショナルの立ち居振る舞いというもののあるべき姿を見せてもらったように思う。彼はするすると良いペースで登っていくし空気が薄いことなんて気にも留めていないが、それでいて、遅すぎる私を見ても嫌な顔やイラついた表情ひとつ見せず、ほんの少し先で待っていてくれる。待たせて申し訳ないなと思う隙さえも、私に与えないのだ。具合が悪かったりペースがあがらなかったりする人、ペースの違う人にナチュラルに寄りそう人柄に触れて本当に癒された。ここまで思うように進めない状態になるのは久々のことだったが、こういう時の気持ちやしんどさを改めて感じたし、今後自分が誰かを連れていくときにこのことをちゃんと思い出したいなと心底思った。しんどい人はしんどくなりたくてしんどくなっている訳ではないのだ。私も誰かを山に連れていく時は、しんどい誰かの心にそっと寄り添えるようになれたら素敵だ。

彼は7000m級の山のガイドもしたことがあるらしく、流石にそこまで標高が高いと空気が薄いなってわかるのか?と尋ねてみたが、it doesn't matterとのことだった。自分は山の方で生まれ育っているから別に何も感じないらしい(強いw)。
日本語で何て言うのかと聞かれたので「気にしない」と教えておいた。関係ない、でもいいと思うけど発音ややこしいだろうから・・・(最終日までに色々な文脈で「キニシナイ!」を使って、だいぶ使いこなせるようになっていた)。
人を乗せて登ってくる馬も、荷物を運ばされている馬もいる。空気薄いのに馬も頑張っている。馬は登りは得意そうだったが降りは怖いみたいで結構拒否していた。
初日頑張って上の小屋まで行っておいて良かったw のんびり進んで15時前くらいにようやく湖に到着。こんなところにこんなに大きな湖があるなんて!初めて見つけた人は感動にうち震えただろうな。
着いたーー!
いくつも湖がある。美しい・・・
明日行く側ではない方の稜線は岩場、こちらも美しい。
(手前の小屋は宿泊用の小屋ではない)
こちらがメインの湖のよう。周回できる遊歩道もあった。酸欠で疲弊していたが、ここまで来たのだし周回しておくべきかなと思ってNgimaに言ってみたら「明日一番きつい日だから体力温存しときなさい」とのことだったので諦めw 周回は小一時間程度かかる模様。
写真左下から右上へ向かっている道が翌日登るルート。あのコルを越える。
部屋は相変わらず2人部屋。誰か一緒に来られたら入れたのになぁと思う一方で、前日あんなに具合が悪くなったりしていたことを考えると迷惑かけたり気を遣ったり何かと大変だっただろうし、1人で良かったなとも思った・・・
部屋でSpO2を計測するとまさかの数値!64て!
前日のお酒も悪さをしないでくれたようで頭痛や気分の悪さなどもなく登って来られたとはいえ、標高のせいで息も絶え絶えだったのでとりあえずパルスオキシメーターで数値をはかる。いや私、大丈夫なのかい?でもこのパルスオキシメーター、コロナ禍に不良品だの粗悪品だのが散々出回っていた時期に入手したものだし、正しい数値が出ているのか怪しい。まぁ参考値程度に見ておいて、体の声を一番に聞くようにしよう・・・

寒くてハイカーは皆小屋の中に居たが、私は一旦防寒具を着込んでから暫く外にいた。折角こんなところまで登ってきたのだから山が見たい!でも中の雰囲気も楽しみたい。自分の体が2つあったらいいのになぁ。

トレッキング中に着ていたのは化繊混メリノのBlack Diamondロングスリーブフーディー、防寒はPatagoniaのキャプリーン4+Western Mounaineeringのフラッシュジャケット。下半身はトレッキング中に寒かった場合に履いたまま歩ける方が良さそうだなと思ってワークマンのダウンパンツ(多分化繊混)を持参。
小屋に戻って今日の夕食をオーダー。今日はトゥクパ(麺)にしてみた。他のお客さんも多くて、それぞれ別の夕食を頼んでいるため、矢張り待ち時間が滅茶苦茶長いw 多分1時間以上待っていたと思う。
はじめはストーブから離れた席に通されて、皆の輪から離れていてうすら寂しい感じだったのだけれども「私も寒いのでストーブに当たりたいんです」感を出しながらぐいぐい輪に入り込むことにした。ネパールまで来ていい歳してモジモジしていたってなにも始まらない。
炒飯みたいなのを食べる人、ダルバートの人、モモの人など皆まちまち。そりゃ作るのも時間かかる
トゥクパ着丼。タメルで食べたりしていたトゥクパとはまた一味も二味も違った感じでこれもとても美味しかった。今回もミックスを頼んだら、具材全部乗せみたいなのが出てきた。
上に乗っているのはシュレッドチーズ。ここのトゥクパの麺は結構コシが強かった。
スープも美味しく完飲。
この日メニューを見ていたらスイーツが載っていたので、たまにはと思ってオーダーしてみることに。(ガイド費用には食事が全部含まれていたのだが、ご飯を食べた上にスイーツまで頼んでも大丈夫なのかは不明だった・・・)
量が多いかもしれないからシェアしないかとNgimaに提案すると快く受け入れてくれた。結果的にはNgimaは食べなかったけれども(なんでw)。

そうこうしている内にストーブの周りの人達が英語を話し始めてくれたので、私も話の輪に入れるように。イスラエル人が多かったようで、ヘブライ語トークを繰り広げていた模様。世の中には、聞いても何語なのかもわからない言語が山ほどあるんだなぁなどと当たり前のことを思う。
飲む?飲む?と言ってくるので少し飲みたいとお返事したにも関らず、綺麗に三等分された現地のラム。アルコール度数42.8%w
チョコレートプリンと書いてあったのだけれど、さっきのトゥクパと同じ器(どんぶりw)になみなみ入ったチョコレートプリンが着丼w 深めの器で、1辺13-14cmくらいはあったと思う。
プリンはゼラチンのようなぷるぷるしたものではなくてもったりして糊のよう。冷たいどころかむしろ熱々で、固まってはおらず濃い液体状だった。ライスプディングのチョコレート味といった感じだ。改めてメニューを見てみると、プリンはRiceのカテゴリーに書かれていた。食後のデザートにするには重すぎて食べ切れない。ラムにも合うよといって他の人にも一口どうですかと勧めたが誰も食べてくれない。でも味は嫌いじゃなかったし冷やしたのも美味しいかもしれないと思ったので、部屋に持ち帰って明日の朝食べることにした。
アルコールは、今日まで我慢すればそろそろメトロニダゾールも体から抜けるだろうし、明日の4600m越えさえ乗り切れば下り基調のはずなので、明日からは飲めるだろう。
おいしかったKhukuri Rum(帰国前に750mlのボトルを買って帰った)
食後もしつこく外に出て山鑑賞。星が綺麗だった!

2026/04/21

20260421-25_Gosaikunda Trekking(day0-day1)

2026/4/20 (Mon)
Manjushree Trail Raceの翌日4月20日は丸一日OFF、翌21日からはGosaikundaという4400mほどの標高にある湖へのトレッキングを予定していた。OFFの日、目が覚めると体調はイマイチ。同室のM月さんが朝早くから散歩に出掛けるのに気付いたが自分はどうにも動ける体調ではない。食欲もあまり無かった(と言いつつ朝食は結構食べたw)。次の宿はすぐ近くだったので先にチェックインを済ませY田さんと合流して観光に繰り出す。レース前日の観光同様、この日の観光もおんぶにだっこ状態。タクシーで移動して2ヶ所ほどうろうろしたが、1ヶ所目の途中で既に調子が悪くなっていく私は階段の途中で休憩させてほしいと頼みだす始末。筋肉痛ではないし二日酔いでもない。熱っぽいしコロナかインフルエンザに似た感覚。

シヴァ神の結婚記念日だとかでやたら混んでいたが、後で調べてみたらシヴァ神には何人も奥さんがいるようだったしどの奥さんの誕生日でもなくて、結局何の記念日だったのかはよくわからなかった

部屋目一杯のマニ車。このためだけに部屋があるということが凄い
お昼ご飯を食べる余力もなかったのが悔しいが意地で2ヶ所の観光を終えて解散、宿へ一旦戻ってからトレッキングの打合せに向かう。体温計を借りて体温を測ると37.1度ほど、熱はあるようなないような、しかし確実に熱っぽいし食欲もない。ビール飲む?何か食べる?と言われても何も食べられる気がしないのでとりあえず生姜と蜂蜜のホットドリンクをいただく。飲めず食えず、これでは明日のトレッキングが怪しい。AIに聞けば「すぐに現地の病院へ行け、その状態で4600mまで登るなんて自殺行為だ」などと脅される始末だった。しかしChhapteも、明日一緒にトレッキングをするNgimaも、口を揃えて大丈夫だよと言う。パルスオキシメーターを持参していたのだが、今spO2が95しかなくて、普段私は98とか99なんだよと伝えてみても「50くらいになったらやばいけど、95なんて全然問題ないよ」とのこと。いやいや50はほぼ死んでいる気がするぞ。沢山走った後だしカトマンズは空気も悪いから調子悪くなるんだよ、山に行ったら空気も澄んでいるし、2日も歩けば調子は戻るよ!と彼等は実にあっけらかんとしている。どちらかといえばガイドさんって安全マージン多くとるものなんじゃないのか・・・?とりあえず何も食べない訳にもいかないしスープ食べるかと勧めてくるので、肉を入れない軽めのスープなら飲めるかも知れないと伝えてみたらとても美味しい野菜のスープが出てきた。細かく切られた野菜が煮込まれていてバター風味のとても美味しいスープなのはよくわかったが如何せん食が進まない。とはいえこのままの状態では明日からのトレッキングに向けて体力がもたない。無理を言ってアルミの容器に入れてもらいテイクアウトさせてもらった。
お仲間の方々がいたので何やかんや喋る(この人達は日本語はわからず英語)。打合せでもないこの謎の時間、体調が良ければ楽しめるのだろうけれど、この時の私はそれどころではなく一刻も早く帰って横になりたかった・・・w
17時に打合せに行って解散したのが18時過ぎくらいだったか(特に打合せにもなっていなかったがなんとなく喋っていた感じ)。朦朧とした意識のままホテルに戻るとシャワーも浴びず電気も消さず、パッキングも着替えもせずにそのままベッドになだれ込んで爆睡。具合が悪くなった原因が何だったのかは分からなかったが、調べたところによるとどうやらレースの途中で飲んだメトロニダゾールという下痢止め薬とアルコールの相性によるもののようだった。メトロニダゾールは体から成分が抜けるのに3日くらいかかるみたいで、成分が抜ける前にアルコールを飲むと頭痛が出たり気持ち悪くなったりするらしい。水を多く飲むといいとのことだったので、夜中目が覚める度にできるだけ水を飲むようにした。

2026/4/21 (Tue) day1 Dhunche-Dhimsa 7.4km/1161mD+/110mD-
7:00にタクシーでホテル前に迎えに行くと言われて4:00だか5:00だかに起きると体調は落ち着いていた。これなら歩けそうだ。夜中だったか朝起きてからだったかは忘れてしまったが、冷めたスープを口に入れてみると美味しく食べられたので一気に完食した。
シャワーを浴びて急いでパッキングを済ませ、ホテルに荷物を預けていざ出発。タクシーで少し移動した後、ぎゅうぎゅうのバンに乗り換えると数時間で登山口だ。
バンに乗り換えるのに路上に居たら、道に居た人にお祈りされながら赤いのをおでこに塗られ、少しばかりのお金をせびられる。一緒に乗っている皆がトレッキングに行くのだろうかと思っていたが、ただ単に同じ方向の村へ向かう人達なだけだった。私の隣に座っているのはガイドさんのNgima。後ろの若者達は楽しげに歌を歌ったりなどしていた。
車も長丁場なので途中でご飯やお茶休憩を挟む。ランチは再びダルバート。
やっとスープを食べられた程度の体調の私に出されたのは勿論ダルバート(他の選択肢がないw)。うわー食べて大丈夫なのか?食べられるのか?流石にここでのお代わりはひたすらお断りをしたのだったと思うが、周りを見渡すとネパールの人々はこれでもかとお代わりを続け無心で食べていた。お店の人もお代わりに対応するのにいそいそと歩き回って大忙しである。これまでネパール人の誰かが近くでダルバートを食べていて、それをまじまじと見るということがなかったけれど、改めて見ていたらその食べる量の凄まじさに完全に圧倒されてしまった。ネパールの人って滅茶苦茶食べるよねとNgimaに尋ねると、肉体労働が多いからその分食べるんだよとの事。こんな高所で肉体労働していたらそりゃいくら食べても足りないか。多分、2合くらい平気で食べている。
食べ終わる頃、コップになみなみとヨーグルトが運ばれてきた。Ngimaが自身のダルバートを食べ終えてから店員さんと何か話していたが、どうやら彼が頼んでくれたようだ。私が昨日から胃腸の調子が悪いのを知ってくれていたからヨーグルトを食べさせようとしたのだ。いや、それにしてもヨーグルトの量もすごい・・・。ヨーグルトは途中までしか食べ切れなかった、多分400mlくらいはあったと思う。

バンで移動中に国立公園のentrance permitの手続きのため2度ほど下車
Dhuncheの集落に入って少しすると商店立ち並ぶ道の途中で車が停まり、着いたよと言われて急にトレッキングが始まった。なにかこう、もっと日本の所謂「登山口」的なところに到着して歩き始めるものと思い込んでいたので不意打ちを食らう。田舎の町中の売店の前で準備を整えいざ出発、標高の低い所は暑いと聞いていたので初日は短パンにTシャツという格好でスタートだ。
今回の目的地でもあるGosaikundaはシヴァ神によって創られたとされる湖で、ヒンドゥー教徒や仏教徒にとっての聖地といわれているそうだ。私がこの場所をトレッキング先に選んだ理由としては、ネパールに詳しい複数の日本人から薦められていたことと、地球の歩き方におすすめコースとして載っていたことの2つが挙げられる。初めてのネパールだし、そもそもレース直後で筋肉痛や怪我、疲労など、どのようなコンディションでトレッキングがスタートするかもわからなかったので、行程もガイドさんにお任せすることにして5日間で組んでもらった。実のところ、地球の歩き方には7-8日間の行程として掲載されていたが、これを5日間に凝縮させた感じだったので、はじめの2日間はそこそこきつかった。(かといって、7-8日もかけるのは時間をかけすぎのような気もするので、5日間で組んでもらえてとても良かった。)
沢沿いの道はまるで日本にいるかのよう
ずっと上まで小屋があり電気が通っているので電柱が続く。こんな高い場所に電柱が連続している景色は不思議な感じがする。遠くに見えている白い山のあたりが明日の夜の宿泊地だそう。滅茶苦茶遠く見えるけど本当にあんなところまで行けるのだろうかw
スタート地点で既に標高2000mを越えている。普段2000mくらいを歩いていても呼吸が苦しいなどということはないのだが、レースで長いこと酸欠状態にあったせいかいつも以上に呼吸が苦しい。
道中多数ある山小屋のうちのひとつで休憩をとる。Ngimaがザックから徐にブドウを取り出した。日本では見かけることのないサイズの小さな赤いレジ袋から出てきたそのブドウには種もない。甘くておいしかった。
荷運びの馬、水牛、犬、ニワトリ、ヤギなんかがそこかしこを歩いている。レースでも犬やニワトリ、アヒル、ヤギにはしょっちゅう遭遇していたが、この国は動物と共存している感じがとても強い。動物側も人からきちんと愛されて暮らしている顔つきや態度で、人に対して攻撃性もなく自由にしている。野犬なんて噛みついてきて怖いものだと思っていたが、実際には撫でても全然怒らないし、犬も人を信頼して路上で溶けている。馬もヤギもびっくりするくらい近くにやってくる。たとえて言うなら、逃げることさえ忘れた雷鳥のような。穏やかな国民性が動物に伝播しているのだろうか。

あと、このルートはGosaikundaへ向かう人がピストンで使うメジャールートでもあるため結構多くの人が歩いていた。地元民らしき人達は大抵トレッキングスタイルではなく民族衣装のような服を身に纏っていたりしているのが印象的だった。山と離れた場所に住む私にとって山は行先であり目的地なのだけれど、彼等にとっては山は行先じゃなくて生活の一部というか山と共に暮らしているだけというか、生きる場所の延長線上しかも結構な近いところで地面が盛り上がっているだけ、のような位置付けなんじゃないのかなと思った(本人達がどう思って登っているかは知らないけれども)。とはいえ民族衣装的な恰好で、吸湿速乾とか無関係の服を着て、適当なリュックサックみたいなのを背負ってすいすい登っていくのだから、彼等は色々と強すぎる。

初日は調子が悪かったら予定を変更して短めの行程にしてもOKだよとのことだったが、初日を短めにしたら翌日がキツくなるのは言われなくても分かっていた。やっぱり今日もう少しがんばろうか、との事で結局予定通りDhimsaまで。Dhimsaエリアの一番上に建っていた小屋へいくと満員だと断られたので、ひとつ下の小屋で宿泊することにした。ガイドさんは小屋の予約とかしないものなのね!?と驚いたが、1エリアに1小屋スタイルの日本の山小屋と違って1エリアに何軒も小屋があるので全部が満員ということはまずないので、予約システムそのものが存在していないのかもしれない。
come as a tourist, go as a friend
写真で初めてよく読んだけど・・・素敵なことが書いてあったんだな
小屋に着いてびっくりしたのは、メニューが豊富でその中から自由にオーダーができるということ。下界のレストランと同じくらい種類がある。私は優柔不断なので選べるのは逆に困る。作る側が兎に角すごいよな、どれをオーダーされても基本的には対応できるって、材料揃えるのも大変だし全部作れる腕があるのもすごい。大人数チェックインして皆が別々のものを頼んだら本当に大変そう。
シンプルなつくりにして清潔感の漂う整然とした内部。主の几帳面な性格が見てとれる
ガイドさんとトレッキングをするという経験がそもそも初めてだったが、ガイドのNgimaは宿について暫くはずっとネパール語で宿の人と話をしていて、はじめのうちは客としての私と距離をとっている感じがした。翌日の宿では他の観光客とそのガイドさんが何組かいたが、基本的にはお客さんとガイドさんは離れていることが多かった。仕事のオンとオフ的な感じで離れているのかも知れない。Ngimaとは次第に距離が近くなって仲良くなれて良かったし、小屋の人達にも良くしてもらったけれど、小屋で快適かつフレンドリーに接してもらえたのはNgimaのコミュニケーション能力の高さ故だったと思っている。

Ngimaはキッチンへ入り宿の人と話していたが私は少し離れたダイニングテーブルで静かにご飯待ち。でもご飯を作る様子を近くで見たかったし喋りたかったので、近くで見たいといって私もキッチンへ入れさせてもらう。
オーダーしたのはミックスカレー。鉄鍋をかまどにくべて調理。数日前、街中に鍋やフライパンを売る店があったので店の中を覗いてみたら、鉄を熱している鍛冶屋がいて驚いたのだが、薪調理のかまどの火力あってのこの鍋だよな・・・
細身の可愛い女性がここの主。厨房も整っていてとても綺麗。
妹だか子供だかわからない小さい女の子も一緒にキッチンを手伝っていて可愛かった!
途中で乱入した宿泊客ではない誰かが、地酒のような薄く白濁した酒を振る舞ってくれた(多分ロキシーという地酒)。メトロニダゾールの件もあり、明日また体調が悪化すると山行が破綻するので、飲みたいけれどほんの僅かだけ貰ってあとは我慢。こんな山の中でお酒を振舞ってもらえるなんて有難いことなのに、断らなければならないなんてつらい!味は焼酎系で普通に美味しかった。Ngimaは隣で美味しそうに飲み続けていたw
カレー完成。
ここまでずっとダルバートだったのでカレーにしてみた。ネパールのカレーは全体的にあっさりさらさら系で軽く、野菜中心な感じ。スパイスもどぎつくない。
メニューにはベジカレー、マッシュルームカレー、エッグカレー、ミックスカレーが載っていたが、ミックスというのはベジとマッシュルームとエッグの全部入れということだった。因みに写真には卵は入っていないのだが、後から焼いた卵が別皿で出てきた。乗せるのを忘れたとのこと。
肉類魚類を入れず、野菜ときのこの炒め物にスパイスを加えた煮込みで基本塩味。なのですごく淡泊なのだが、卵が"焼き"というより"揚げ"で、そいつを入れることによってコクとカロリーが足される感じだった。卵は言うなれば"揚げた錦糸卵の、細く切る前のやつ"で、スプーンでざくざく切ってカレーに浸すとちょっと油揚げみたいな感じになる。とても美味しい。自分でも真似したいなと思った。
部屋はとても綺麗でカラフル。日本の小屋だと大部屋もあるから、ここはガイドさんが隣のベッドを使うのかなと思って聞いてみたが別室とのことだったw そりゃそうか。
部屋にはコンセントの差し込み口があって充電もできる。そうとは知らず、たまたまプラグを持ってきていて良かった!
部屋のこともあるし、きっとトレッキングは2人とかでガイドさんを頼んだ方が絶対にお得

2026/04/18

20260417-19_Manjushree Trail Race 100mi(レース後編)

準備~前日編はこちら
レース前編はこちら

スマホは昨年5月に機種変更をしてリファービッシュ品のiPhone14を使っているが、まだ1年くらいしか経っていないのにやたらと充電の減りがはやい。あまりに様子がおかしいのでレース半月前くらいに販売会社へ端末を送り確認してもらったのだが、特に異常はないとのことでそのまま送り返されてしまった。CP5での休憩中に25%くらいまで充電したがすぐに電源は落ちた。携行しているモバイルバッテリーから充電しながら進んでも良かったのだが、どうせしばらく夜間なので充電もせず暫く写真は撮らないまま進んだ。眠気と疲れ、写真もないので記憶もほぼ無く、途切れ途切れのエピソードだけが残った。

CP6 Kalamasi Bus Park (89km) 
記憶がない。地図を見ると林道というか道路のようなところが多かったようだが全然覚えていない・・・。こぢんまりとした道路の脇にあるエイドだったような気がする。ここに着く手前くらいで一度道端に横になったりしてほんの数分程度休憩したのだったか。

CP7 Sanga Bridge (96km) 5:40頃
吊り橋というのは基本的に川に架かっているものだと思っていたが、ここの下はとんでもない道幅の土色の道路だった。疲れて朦朧としていることもあり、遥か下を通るトラックの群れに目をやるとそのまま吸い込まれそうな気がした。吊り橋のど真ん中から写真を撮りたかったが、スマホを落としそうな気がしたのでやめた。
渡り切って少しするとY河内さんが追い付いてきた。彼はCP5での仮眠を10-15分程で切り上げたようだった。相変わらず胃の調子が悪そうだったが、私より後でエイドに着いたにも関わらず先に出発していった。私も正直そこまで胃の調子は良くなかった気がするが、CPに初登場したリッツのようなクラッカーが食べられたので良かった。胃に不調がくるにしてはタイミングが早いなと思って少し不安を覚えつつ、自分も慌てて彼の後を追う。朝になって眠気は一旦落ち着いた。

左手前に書かれた黄色と白のペンキマークが100マイル用のマーキング。
道路、人の家の壁、橋桁、木の幹・・・あらゆるところにペンキマークがあったが、このペンキは数日経つと勝手に落ちる仕様の物なのか??人の家の壁にレースのペンキマークを書くとか、日本ではとても考えられないw
ここのCPにはコンセントがあり充電できるようになっていたが、コンセントの存在に気付いたのがここを再出発する間際だったので結局充電はできなかった

CP8 Ashapuri (101km) 7:48頃
自分の汗でスマホのカメラが曇っていて写真がぼんやりしている。
エイドのクローズ時刻と自分の到着時刻の差は一向に縮まらない。序盤の関門を突破して安心し切っていたけれど、これは歩いていたら全然間に合わない気がしてきた。Y川さんがスタート前に言っていた「関門越えたら歩いていても完走できる」という言葉は信じてはいけないのでは・・・。
ここでもY河内さんと一緒になった。M月さんも追いついてきて三人一緒になったような気がする(うろ覚え)。

CP9 Chapakharka (109km) 10:00頃

日数が経っているから記憶が消えたとかではなく、レース直後からほぼ記憶が無いあたりが私にとっての100マイルだなぁという気がしてならない。レースの最中は割と意識ははっきりしているつもりで走っているのだけれど記憶に残らないのは、なんだかんだ矢張りすごく疲れているからなのだろうな。
ここはマッサージとダルバートのあるエイドだったと思うが、既に誰かがマッサージを受けていて順番待ちをするにしても何分くらい待てばいいのかもよく分からなかったので諦めることにした。とりあえずダルバートは食べたが、ここでもデフォルトの量が多くて食べ切れなかったような気がする。スイカは水分とミネラル・ビタミン補給になると思って毎回食べるようにしていたが、食べ過ぎるとまたお腹を壊しそうなので1回に2-3切れにとどめておいた。このあとは再び2700m越えの登りが控えている。

CP10 Phulchoki (115km) 12:36頃
確かこの辺りの登りで鼻血が出始めたのだったと思う(違ったかな・・・)。暫くY河内さんと一緒に走っていたが、日陰もなく暑くて鼻血も止まらず、小さな木陰を見つけて立ち止まったりしていたのでY河内さんには先に行ってもらうことにした。
山頂は踏まずに山頂近くにCP10があった。ここまで、標高差はそこまででもなかったが中々登りに転じずに延々トラバースが続いていて無駄にアップダウンさせられたような気がする。CP10のあと林道は降りになる。食欲はそれほど無かったが、エイドのスタッフのためのおやつと思われるポテトチップスは食べられそうだったので数枚いただいた。酸っぱいスナック菓子みたいなのものも勧められてそれもすごく美味しかったが、いくつも食べられる状況ではなかった。ここから延々と降り、写真はもう夜のCP13まで一切ないw

CP11 Nallu (123km) 16:04頃
長い降りを終えて細い道路の脇にあったエイドだったと思うがあまり記憶がない。多分、ここにいる間に山の方が暗くなってきて雷鳴が聞こえてきたのだったと思う。これからあの雷の中に突っ込むのは嫌だなぁと思ったが、方角的に雨雲の中にある山頂はこれから目指す山頂ではないなという気がして少しだけほっとした。
案の定、CPでパラパラと小雨を受けた程度で、その後雨の影響は無かった。

CP12Tikabhairab (129km)
ここもエイドの記憶がないが、このエイドのあと川沿いを延々歩いたり走ったりを繰り返していたと思う。自分より速いメンバーはここを日の高い時間帯に歩いていたようでとても暑かったらしいが、私が通った時は既に日は傾いていたので灼熱地獄ということはなかった。ただ、ゴーロ帯のようなところもあって歩きづらかった上に日が落ちてマーキングが見えなくてちょこちょこ行く方向がわからなくなったりしていた。
以前走ったことがある人だったのか、追いついてきた人が「あの吊り橋を渡るんだよ」と教えてくれたのでそれに従って進むも、その先に見える急斜面の舗装路に心を砕かれる。

書いていて思い出したが、ここで眠気がMAXになったのだったと思う。道は暗くて見えない上にやたら白い道路が無機質で気持ち悪かった。何のために作られたなのかよくわからない道を無駄に登らされたり、車が通れるくらいの幅はあるものの車が通れるのか甚だ怪しいような急斜面だったりして、道そのものに疑問を抱きながら登っていたのがここだったような気がする。ザックを下ろして枕にし、そのまま仰向けになって目を閉じていてもぎりぎり寒くないくらいの心地良い風が吹いてきたが、暫くすると矢張り少し汗冷えしてきて寒くなる。しかも大会と関係のない普通の住民がバイクで近付いてきたりする。急に路上で横になっている人が居るとか、正直このままだとうっかり轢かれてしまいそうだ。

次のCPまで、距離を見ると大したことなかったのだなと今になって思うが、眠気もあってとても遠く感じた。次のドロップバッグポイントに着く手前で田んぼみたいなところの間を散々歩かされたが、ここでは雑草の夜露で靴がかなり濡れてしまった。1ヶ所目のドロップバッグには替えの靴を入れていたが、次のドロップバッグには入れていないので靴はゴールまでこの靴でいくしかないというのに・・・。

CP13 Pharping (137km) 21:08頃
誘導スタッフのいる道路に出るとそこは別カテゴリーのためのエイドで、ドロップバッグポイントはこの先の坂を登った途中の貼り紙のあるところを入ったところにあるよとのことだった。言われるままに坂を登ったが貼り紙がわからずに坂を登り切ってしまったので、再びスタッフのところへ戻って道案内をしてもらいようやくCP13に到着。場所は滅茶苦茶分かりづらくて、こんな山の中に建物があるのか??と思わずにはいられないほど奥まで進まされたが、結局他の舗装路がそこの建物に通じており、コースから行こうとしてショートカットをすると山道になるみたいな感じだった。赤青黄の照明が灯り、誰かがギターで歌っているというやたら賑やかなエイドだった。ここで一旦仮眠をとろうとしていたので、この賑やかさに不安を覚える。

ドロップバッグに入れてあった無印のバウムクーヘンはもう食べられる気がしなかった、というか食べたいと思えなかった。普段散々脂っこい物やら揚げ物やら、脂質の高い物を食べるくせして、こういう時だけは油脂に敏感になるのだから厄介である。
しかし先に着いた人が食べていたダルバートを見たらとても美味しそうに見えたので早速食べることにした。美味しそうと思えたことはとても大事だ。一刻も早く、温かいうちに食べたいと思いながらも、勧められるがままにマッサージを受けることになってダルバートは暫しおあずけ。CP5のダルバートで物凄い量のライスを盛られた経験を踏まえて少な目でお願いしたが、結局お代わりをしてしまった。
マッサージが終わってから食べた黄色っぽくてとろみのある美味しいダルバート。
他の人が食べていた写真を見ると、ひよこ豆のカレーみたいなものもあったようだが私の時は既になくなっていたのか、この黄色いのしかなかった。かなりクミンが効いていた。
優しくて献身的にサポートしてくれるスタッフの方々
私はここに着くまでの間に大分ヨレヨレになっていて、平らな直線道路を進むにも蛇行するような状態で若干危なっかしかった。途中に細いシングルトラックがあって、踏み外したら崖のようになっている箇所もいくつか認識していたこともあり、このエイドでしっかり休むことにしようと決めた。過去のレースで47時間半までは仮眠なしで進んだことがあるので、今回も仮眠無しで最後までいけるかなぁと思っていたのだが、矢張り序盤の関門ファイトで無理をした分、疲労が溜まるのが早かったのだろう。今ここで休んでも制限時間内にはどうにかゴールできるだろうという見込みもついたつもりだったので一旦眠っても良いだろう。何を基準にそう考えたのか、今となってはよくわからないが・・・。
ダルバートを食べている間にM月さんが到着したので少しお喋り。彼女はCP5で少し仮眠したようで、今は眠くないからこのまま行くと言う。私にとってはゴールできるかどうかが最重要課題のくせして、僅かに残る負けん気が頭をもたげそうになるがぐっとこらえる。自分が自分のコンディションを冷静に観察して決めたことを、他人の行動を見て安易に変更するのはトラブルや事故のもとである。私は最低でも30分は眠ろうと思っていたので、もうこの先彼女に追い付くことはないだろうと思った。もうこればかりは仕方ない、眠ることに集中する。たっぷり食べたしきっとよく眠れるはずだ。

いつもレース中は興奮してなかなか寝付けないのだが、仮眠したいといって通された個室にはベッドがあり、脇にトイレとシャワーもあった。こんな汗ダクで汚くて臭いのにベッドに入って布団を掛けて大丈夫なの!?と思ったが、よくよく考えたらこのベッドに既に何人もの汗ダクの臭い人達が横になり眠ってきている訳で、今更私が気を遣うこともなかった。ベッドは特に他の人のにおいで臭いということもなく(何かファブリーズ的な処理をしてくれていたのかどうかは不明)、どちらかというと掛け布団から丁度良い塩梅で人間のにおいがして心地良かった。外では相変わらず誰かがギターで弾き語りをして犬が吠えていたが、私は45分ほど深い眠りに落ちた。自分でアラームもかけていたが、事前に伝えておいた仮眠時間通りにスタッフの方が起こしに来てくれ、私はまだまだ眠りたい気持ちをこらえて出発の準備をする。結局ここのCPには1時間半以上居たと思う。
普通枕の位置手前じゃなくて奥だと思うのだが、私が部屋に入った時既にこの状態だったので、私もわざわざ方向を変えることなくこの向きのまま眠った。

CP14 Deurali (148km)

CP13を出るともうレースは終盤だというのに2400m越えの山々をいくつか登らされる。真っ暗闇の中を延々続く階段、一歩一歩登っていくが遅々として進まない。このペースで果たしてゴールできるのだろうか。ペースが遅すぎて寒い。しかもしっかり仮眠したというのに眠気も完全に消えたとは言い難く、寝た意味あったのだろうかなどと考え始めてしまう。
冷静に考えてみると、20:00クローズと書かれていたCP13に21:00過ぎに入って、そこから1時間半以上休憩していることを踏まえると、クローズ時刻をベースに考えたら2時間以上のビハインドの筈である。いやいやこれまずいんじゃないの、ここまで来ておきながらゴールできなかったら洒落にならない。丁度走りやすい降りで焦って走り出すと脚は残っていて、一気に駆け降りてCP14に着いた。
追い付くと思っていなかったM月さんがCP14の椅子に座っていた。ゴール間に合うか不安になってきたんですけど!!と話しかけると、大丈夫じゃないですか?と余裕の返答。あれ?間に合うのかな?しかしこの先、標高や距離といった数字ではわからないような面倒なサーフェスに苦しめられるかも知れず、絶対間に合うと誰かが保証してくれる訳でもない。ここのCPは結構風が抜けて寒かったので私は水分を補給するだけにとどめて先行させてもらうことにした。
CP14を出て再びひと山越えるとCP15、その後一気に降ってゴールだ。

CP15 Chitlang Road (153km) 4:30頃
旅も終わりが近い。CP14の手前みたいにかっ飛ばせたらいいなぁ等と思っていたが階段の降りに手古摺ってもたもたしていたらまたM月さんが追い付いてきたのだったような気がする。
ここから少しだけ登って一気に降り。かなりの急斜面ではあったが土がふわふわ柔らかくて速度を出しても止まれるので飛ばしても大丈夫だ。というか、この斜度の降りを走っても前腿が痛くないという事実に驚く。決してゴールが近いからといって痛みを捻じ伏せているいう訳でもなかった。前回のチェンマイと何が違うのかはよく分からないが、ここまできて走れていることに感動して私はどんどんスピードを上げた。スピードが上がるにつれ興奮が増して集中し、やれ全然痛くないだの走れてるよマジかヤバいなだのとごちゃごちゃ口に出しながら進んだ。嬉しさが爆発していた。
私は160km以上のレースはこれが3度目で、これまでの2回は最後ほとんど走れなくなってゴールしていたので、100マイルをレースとしてどうやってまとめ上げることが自分にとっての100マイルなのか正直分からないままネパールに来ていた。しかも今回は序盤に関門があることでマイペースを貫くことは不可能であるのがはじめから分かっていたし、序盤のオーバーペースのせいで後半脚は終わるんじゃないかと思っていた。しかし中盤に一旦脚が終わりかけて(登りに関して言えば脚はほぼ終わっていた)、逆にそこで脚が休まって終盤に復活したのかも知れない。標高の高いところでペースが上がらなかったことも功を奏した可能性もある。自分らしくまとめたと言うとちょっと違うけれども、最後に思いきり走れたのは無茶苦茶嬉しかった。50-60kmのレースでも、初めてきちんと最後まで走って終われたレースというのは記憶も鮮明で、今回もその時同様に腑からこみ上げるものがあった。レースにエントリーしてから今日まで最大限の努力を日々積み重ねてきたとは言い難く、頑張ってトレーニングできた日もあった一方でぐうたら無駄にした休日やそれを悔やんで凹んだ日も多々あった。もうネパール行きそのものをキャンセルしてしまいたいと直前に考えたりもしていた。それらのすべてがこの降りで完全に昇華した気がした。ネパールに来られて良かった。

WP Nagdhunga (159km)
ふわふわトレイルから舗装路の降りになり少しペースは落ちたが汗ダクで降り切って大きな道路の横断手前で最後のWP。少し水を補充したいような気もしたが、雰囲気的にもうこのまますぐ終わりそうだったので補充せずに進む。車線とかが無いので何車線かわからないけれど兎に角凄まじい幅の道路で信号も横断歩道もなく、これを「渡れ」とあっさり言われてかなりビビった。途中で交通整理みたいなことをしてくれたので何とか渡れたが、ネパールの人達はこういう道路もすいすい渡ってしまうのだから肝が据わっている。
ここがWPの手前だったか後だったか忘れてしまったが、ところどころに書かれたKVRの意味をゴール直前になってようやく知るw Kathmandu Valley Rim!

Finish Pataleban (161km) 6:33
二度目の朝。ネパールの朝日は毎回濃い橙色に熟れる
国道を越えても民家の間の急坂をいくつか登らされ、降り切ってゴールという展開ではないのがもどかしい。とはいえ本当にあと少しだ、終わりが近付くといつも、長いようで短かったなぁと思う。早くにゴールして眠っていた人達もぼちぼち起きてくる頃かなぁ等と思いながら2日前に通ったルートを少しだけ逆走してホテル前を通過した。ゴールゲートの向こうに人が居るのが見えたが誰も私がゴールするのに気付いてくれそうにない。少し焦ったが、ゴール直前にMCのSophieとN鳥さんに気付いて貰えて良かったw こうして旅は終わった。
このレースはゴールさえすれば女子は入賞ですよなんてY川さんに言われていたので、滅茶苦茶強いネパール人選手だけぶっちぎりで私とM月さんが2位と3位とかかな?なんて浮かれたことを考えていたが、今年は強い欧米人が何人も出ていたので入賞は程遠かった。女子10人中7人完走で私は6位。でも誕生日明け1発目のレースで完走できて感無量、良い一年になりそうだ。

汗ダクの私を一瞬の迷いもなく抱きしめてくれたSophieとはこの後ツーショットの自撮りをして貰ってSNSのアカウントを交換した。私のアカウントには誕生日の数字が入っているので、この数字は私の誕生日で、つまり誕生日をネパールで迎えてすぐにこのレースだったんだよと伝えると、彼女は底抜けの笑顔で喜んでくれた。
階段の上にいたY河内さんが撮ってくれた
貰った瞬間から傷だらけのフィニッシャーメダルw
標高もそれなりに高いこともあり汗冷えしてきたので、一旦N鳥さんの部屋のシャワーをお借りして着替え。そうこうしている間にM月さんもゴールし、結果的に日本から集まった全員が完走するという快挙だった。打ち上げらしい打ち上げができる!誰も悲しくないやつ!

男子6位でゴールしたY田さんは前日夜のうちにタメルに戻っていたが(速すぎw)、他の5人は昼過ぎにタメルへ移動して一旦解散してから夕方改めて集合し盛大に打ち上げ。ゴールしたその日のうちに全員で打ち上げができて、しかも全員が完走しているなんて、こんな清々しい打ち上げは中々無いと思う。最高という言葉以外に見つからない。レースのあそこがどうだった、ああだった、この区間が長かった、怖かった、いや全然覚えてない、眠かった、暑かった、そんな話でひとしきり盛り上がっている内に夜も更けて、N鳥さんはそのまま夜の便でインドネシアのご自宅へ飛んでいった。タイトスケジュール。
この時は全員元気で元気に飲み食い。しかし私は翌朝具合が悪くなって死にそうだった(二日酔いではない)。これについてはまた次回・・・

15日に渡航して17日に走り出し、レースが終わって19日はもうネパール5日目。あっという間だった。私にとっては、初めての奥久慈50k以来の、関門に追われるレースだったけれど、レース前日に思いつめることなく仲間と観光ができたことで気が紛れたし、口を開けばゴールできないかもしれない不安ばかり言っていた私を受け入れ話を聞いてくれた人達がいたことにどれだけ救われたか。
とはいえ、最初に知らされていたコースプロファイル通りだったら関門突破できなかったのは確かだし、エントリーする前にこのプロファイルをきちんと見ていたらきっとエントリーしなかったと思う。ある意味、きちんと見ていなかったからこそシンプルに「ネパールに行ってみたい」という気持ちが先に立って、前のめりにエントリーしてしまったのだろう。これもまた星の巡り合わせとも言うべきか。

30年以上前にユーミンが「Kathmandu」という曲をリリースしていて、その前後でユーミン自身もネパールに行っていた。私にとってカトマンズは登山を始めてから意識した都市ではなく、曲を知った頃から薄ぼんやりと意識していた場所だった。その地に初めて降り立ったと思ったら160km以上走ることになるとは誰が想像するだろうか。当時コンサートグッズとして購入した香水はカトマンズをイメージして作られたものだといい、私はその香りがとても好きでいまだに手元に残してあったのだが、引っ張り出してみたら蒸発してもう1滴も残ってはいなかった。レース序盤で指輪が無いと思った時も不吉だなと思ったし、渡航前に香水が蒸発していることに気付いた時も不吉だなと思って、あらゆることが良い方へ考えられず、レース中もかなり終盤になるまでゴールのイメージができなかった。それでもどうにかゴールできたのは、なんだかんだそれなりに練習していたからだろうし、結果的に「ネパールまで来てDNF」という物語にならなくて本当に良かった。

友達は私が不安を漏らしているのを見聞きするといつだって「絶対大丈夫でしょ」と言う。友人が面と向かって「無理だろうね」なんて言う訳がないのは判っているけれど、それでも「大丈夫」と言われると「大丈夫じゃない」と思ってしまう。そのやり取りが繰り返されることを分かっていながら何故わざわざ不安を口にするのか。でも言わずにはいられない。もう少し自信をもってレースに臨めるよう積み重ねれば良いのだろうけれど結局のところキツい練習が嫌いで、それ故いつまで経ってもスピードは上がらないし心肺も弱いままだ。趣味のために体を酷使するだけならいざ知らず、今回のようにメンタルまで酷使するのは果たして趣味なのかと自問自答もあるけれど、ゴールした後のやり切った感は矢張りきついことをすればする程大きいのも確かだ。もうこんなしんどい趣味に時間を割くのは止めたいと思う一方で、体が動くうちはもう少し続けてみたいような気もする。まぁいずれにせよ、私の体は丈夫にできているものだなと毎度関心するし、丈夫に産み育ててくれた両親には猛烈に感謝している。

「執着を捨てたとたん きっとわかる いちばん大事なことは何なのか」
これからの1年、ユーミンのKathmanduの歌詞にあるこのフレーズを課題のひとつとしたい。何にせよぼちぼち人生も折り返しだ、執着は捨てて、少しずつでも大事なものに気付いてゆける日々がいい。

レース編おしまい
↓↓↓楽しんで貰えたら嬉しいです!応援どうぞ宜しくお願いします!


おまけ
今回のレースをN鳥さんが動画にしてくれています。こちらもどうぞお楽しみください♪
N鳥さんのYouTube