「私は去年ちょっと実力以上に速すぎました、今年調子が悪いのは完全に練習不足だと思います、おそらく調子に乗っていたんだと思います」第2CPの月夜見第二駐車場で給水を終えた直後、チームRun or DieのKMDに向かってこんなことを言ったと思う。認めたくはなかったけど認めざるを得なかった練習不足という理由。そう、きっと昨年は幻を見ていたんだろう。きちんと積み重ねたものがなければ、毎年毎年タイムを更新することなんてできないんだ。勿論、同じレースに繰り返し出ることでコースに慣れて速くなっていくことはあるだろうけれど、ある程度から先は、きちんとトレーニングを積み重ねなければ前の年と同じタイムでゴールすることでさえも難しくなっていく筈だ。きっと私の去年と今年の間に、その「ある程度」というポイントがあったのだろうなとぼんやり思った。
水と食料を補給して、仲間の声に励まされて後にした月夜見。体に必要なものが入ってきたからなのか、仲間に会えて精神的に救われたからなのか、自分のダメだった部分をきちんと認めて受け入れてわざわざ口に出して人に伝えて形にしたことで、情けないながらも楽になれたからなのか、はたまたその全てがあったからなのか、理由はわからない。ただ気付いた時には、女性ランナーの姿を見つけて咄嗟に「抜いてやる」と思えるようになっていた。
ああ、これ、この意識は自分だ。自分が戻ってきた。確かに私は今年練習不足だったかもしれないけど、そうでもなかった。そうでもなかったんだ!別に練習不足を誰か他人に咎められた訳でもなかったけれど、走れる自分が戻ってきたことで物凄く安心した。誰かに向かって、ほらね大丈夫でしょう?とでも言いたいくらいだった。さあ、こうなったらいけるところまでいこう。さっきまでは14時間を切るのも厳しいかと思っていたけれど、この自分が戻ってきた時点で、もう13時間台は手堅い気がした。
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そのとき私の周りには、脚が売り切れになり始めた人達や、元々のゴールタイムが14時間前後だろうと思われる人達が沢山走っていた。CP1からCP2までの間、私はその人達に抜かれ続けてきたけれど、今は違う。全員抜き返せる。すぐにどこかのパックに追い着くと、そのパックごとさっさと抜き去りたいのに、しばらく続くシングルトラックのせいでなかなか前に出られない。いちいちこうして前が詰まって走れずもどかしい。もっといける、でも周りとペースが合わない。今まで、どうしてこの人この期に及んでこんなに脚が残ってるんだろう??という人が自分の周りにいて不思議に思ったりすることがあったけれど、きっとこういうことだったんだろうなと妙に納得してしまった。どこかでトラブルがあったり力が出せない理由があって、偶々順位が極端に落ちてしまった人が、無駄に温存してしまった脚を持て余して後半でブチかましていたのだろう。そして今回は完全に自分がそちら側の人だった。
御前山の長い登りに差し掛かるも、自分が元気すぎて案の定あっという間に山頂に辿り着いてしまう。御前山からのガレた下りをこなし、大ダワではアキちゃんがスタート前にわけてくれたういろうを頬張って、その後間髪入れず一気にTop Speedを飲み込んだ。大岳山からは走れる区間が多くて、昨年はかなりずっと走っていた記憶だったのだけれど、今年は坂道を上り続けるような練習をあまりしていなかったので、ところどころ休みながら(自分の感覚では昨年よりも走れなかった印象で)進む。但し、結果的には去年より区間タイムは速かったので、人の感覚なんて曖昧なものだなと思い知らされる。
綾広の滝の水場で喉を潤した後ぐらいだったか、見たことのある真っ赤なウェアの男性が前を走るのが見えた。前半三頭山で私を抜き去った友人に、再び追いついたのだった。彼もとても速いランナーなので、追いつけたことは本当に嬉しかった。そこから少し喋りながら並走していたが、暫くするとゆるい上り坂で置いていかれてしまった。私はというと、今回新たに導入したGentosのヘッドライト(300lm)の明かりが次第に暗くなってきたのを感じて、CP3で電池の交換をすることにした。最後の金毘羅尾根はヘッドライトの明るさ不足など気にせず全力で進みたいと思ったからだ。(おそらくここで電池の交換をしていなければもう1人女性ランナーを抜くことができて、来年の招待選手枠に入れただろうと思うのだが、後の祭りだ。)
脚はどこも痛くなく、疲労もなく、空腹をしのぐだけの食料も残っていた。荷物も重くなく、水は豊富にあり、好きなだけ飲めた。日ノ出山では相変わらず素晴らしい夜景が広がっていて、私は確かここで浅間峠からずっと出しっ放しにしていたストックを1本畳んだのだったと思う。過去のハセツネのこの区間で出会った人達との会話のことを思い出したりなんかしながら走っていた。あの時は14時間半以上かかってゴールして、その後ぜんぜん物が食べられない程ぐったりしていたんだっけなぁ、と。
ハセツネは「⚪︎km地点」というような表記が少ない気がするのだが、最後になって残り5kmの看板が現れた。おお、もうあと5kmか。その時点で何時だったかは覚えていないが、残り2kmの看板が出てきた時点ではサブ13まであと14分だった。まだ微妙に山の中にいるし、ひょっとしたら間に合わないかもしれないけれど、ここまできたら死ぬ気で12時間台に滑りこんでやろう、そう思って最後は本当に気が狂ったように猛スピードで走った。今年はログをとらなかったので、最後どれくらいのスピードだったかはわからないけれど、瞬間的にはキロ3分半とかは出ていたかもしれない。
結果は12時間56分14秒、女子21位。浅間峠から月夜見までに抜かれた11人のうち、9人は抜き返したようだった。10人抜かれて10人抜いたかなと思っていたけれど、、、だいたい記憶は合っていたようだ。応援部隊が想像していたよりも早くゴールしてしまったようで、ゴールシーンは誰にも見てもらえなかったwそして以下は昨年のタイムとの比較。
あとになって改めて、三頭山の上りのあのつらさはなんだったのだろうと考えてみると、矢張り脱水が一番の原因だったのではないかなと思う。普段食べているのと同じだけ食べていて、これまでにハンガーノックになったことがなかったので、今回だけハンガーノックになるとは考えにくかった。仮にハンガーノックだったとすれば、レース前に食べたもののカロリーが不足していて、体内の蓄えがいつもより少なかったかもしれないということぐらいだ。しかしハンガーノックも脱水も、いずれも私は経験したことがなかったから、自分の体に何が起きているのかわからなかったし、結局のところ何が真の理由なのかについての答えは闇の中だ。ふらふらして貧血のようになったし、走ろう・登ろう・抜こう・進もうといった意思が消えて無気力になった瞬間があったのが印象的だった。
私にういろうをくれたアキちゃんは、初のハセツネをサブ16で完走した。その後ぐったりして横になっている姿を見て、まるで数年前に初ハセツネを走った自分を見ているかのようだった。ただ走っているだけなのに、気持ちよくなったり悪くなったり、興奮したり落ち込んだり、実に不思議なものだなぁ。未だ見ぬ感覚を求めて、きっと私はこれからもこのレースに出続けるだろう。
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そのとき私の周りには、脚が売り切れになり始めた人達や、元々のゴールタイムが14時間前後だろうと思われる人達が沢山走っていた。CP1からCP2までの間、私はその人達に抜かれ続けてきたけれど、今は違う。全員抜き返せる。すぐにどこかのパックに追い着くと、そのパックごとさっさと抜き去りたいのに、しばらく続くシングルトラックのせいでなかなか前に出られない。いちいちこうして前が詰まって走れずもどかしい。もっといける、でも周りとペースが合わない。今まで、どうしてこの人この期に及んでこんなに脚が残ってるんだろう??という人が自分の周りにいて不思議に思ったりすることがあったけれど、きっとこういうことだったんだろうなと妙に納得してしまった。どこかでトラブルがあったり力が出せない理由があって、偶々順位が極端に落ちてしまった人が、無駄に温存してしまった脚を持て余して後半でブチかましていたのだろう。そして今回は完全に自分がそちら側の人だった。
御前山の長い登りに差し掛かるも、自分が元気すぎて案の定あっという間に山頂に辿り着いてしまう。御前山からのガレた下りをこなし、大ダワではアキちゃんがスタート前にわけてくれたういろうを頬張って、その後間髪入れず一気にTop Speedを飲み込んだ。大岳山からは走れる区間が多くて、昨年はかなりずっと走っていた記憶だったのだけれど、今年は坂道を上り続けるような練習をあまりしていなかったので、ところどころ休みながら(自分の感覚では昨年よりも走れなかった印象で)進む。但し、結果的には去年より区間タイムは速かったので、人の感覚なんて曖昧なものだなと思い知らされる。
綾広の滝の水場で喉を潤した後ぐらいだったか、見たことのある真っ赤なウェアの男性が前を走るのが見えた。前半三頭山で私を抜き去った友人に、再び追いついたのだった。彼もとても速いランナーなので、追いつけたことは本当に嬉しかった。そこから少し喋りながら並走していたが、暫くするとゆるい上り坂で置いていかれてしまった。私はというと、今回新たに導入したGentosのヘッドライト(300lm)の明かりが次第に暗くなってきたのを感じて、CP3で電池の交換をすることにした。最後の金毘羅尾根はヘッドライトの明るさ不足など気にせず全力で進みたいと思ったからだ。(おそらくここで電池の交換をしていなければもう1人女性ランナーを抜くことができて、来年の招待選手枠に入れただろうと思うのだが、後の祭りだ。)
脚はどこも痛くなく、疲労もなく、空腹をしのぐだけの食料も残っていた。荷物も重くなく、水は豊富にあり、好きなだけ飲めた。日ノ出山では相変わらず素晴らしい夜景が広がっていて、私は確かここで浅間峠からずっと出しっ放しにしていたストックを1本畳んだのだったと思う。過去のハセツネのこの区間で出会った人達との会話のことを思い出したりなんかしながら走っていた。あの時は14時間半以上かかってゴールして、その後ぜんぜん物が食べられない程ぐったりしていたんだっけなぁ、と。
ハセツネは「⚪︎km地点」というような表記が少ない気がするのだが、最後になって残り5kmの看板が現れた。おお、もうあと5kmか。その時点で何時だったかは覚えていないが、残り2kmの看板が出てきた時点ではサブ13まであと14分だった。まだ微妙に山の中にいるし、ひょっとしたら間に合わないかもしれないけれど、ここまできたら死ぬ気で12時間台に滑りこんでやろう、そう思って最後は本当に気が狂ったように猛スピードで走った。今年はログをとらなかったので、最後どれくらいのスピードだったかはわからないけれど、瞬間的にはキロ3分半とかは出ていたかもしれない。
結果は12時間56分14秒、女子21位。浅間峠から月夜見までに抜かれた11人のうち、9人は抜き返したようだった。10人抜かれて10人抜いたかなと思っていたけれど、、、だいたい記憶は合っていたようだ。応援部隊が想像していたよりも早くゴールしてしまったようで、ゴールシーンは誰にも見てもらえなかったwそして以下は昨年のタイムとの比較。
Year | |||||||
2015 | 3:30:40 | 3:40:48 | 7:11:28 | 3:22:32 | 10:34:00 | 1:48:02 | 12:22:02 |
2016 | 3:49:31 | 4:15:04 | 8:04:35 | 3:14:33 | 11:19:08 | 1:37:06 | 12:56:14 |
比較してわかる通り、CP1までは少し抑えようとした結果周りのペースに飲まれて遅くなりすぎ。その後具合悪くなり失速して大幅にタイムを落とす(昨年より35分近くかかっている)。CP2で復活を遂げてそこから先は昨年よりも速いペースでゴールまで突っ走れたという感じ。とてもわかりやすい・・・
昨年三頭山付近でトレインを組んだナガイくんは月夜見でDNFとなったとのことで、すでにゴール地点にいた。全然ダメだった、辛かった、と言っていたけれど、その気持ちはとてもとてもよくわかった。去年12時間台でゴールしていて、スタート前調子が悪そうでもなかった彼が、そこまで辛いと感じてリタイヤしたということは、私と同じように辛い区間を過ごしたであろうということは容易に想像ができた。
私は山を始めて半年くらいの頃に友人と2名で遭難未遂をしたのだけれど、あまり水のない状態でビバークし、夜が明けて暫く進んだあとルートファインディング役を私が交代した。あとになって友人に話を聞くと、朦朧として先に進む気力が失せていたしよくわからなくなってきていたと言う。今回の自分の状況とあまりにも似ているし、あれはきっと脱水だったのだろう。もちろんその時も食料は不足していたし、ハンガーノックもあったかもしれない。でももしかしたらハンガーノックよりも脱水の方が辛いのかもしれないという気もする。あと、これは想像でしかないのだけれど、脱水状態を抜け出すには当然水を飲むことが必要で、しかし飲んでしまいさえすれば案外あっという間に回復するような気がする。
一度折れた心でも、どうにか戻すことはできる。但し、そこには折れた心を戻そうとする意思や気力が必要で、それさえも失われてしまえばもう折れたまま戻ることはない。それから、折れた心のまま進み続けなければいけない状況がどれほどしんどいか、実際に経験してみて初めて知った。2013年、とてもしんどくて最後は全然走れずに歩いて終わったハセツネ。2014年、応援側から見てみていろんな闘い方があるのだと知ったハセツネ。2015年、思い通りに走れた夢のようなハセツネ。そして2016年、これまで見たことも経験したこともないような自分に出会ってそれにどうにか立ち向かい、対処し、まとめたハセツネ。出会ってから4度目、出場して3度目のハセツネとなったが、二度として同じハセツネは無かった。まったく同じコースを走らせているのに、毎回色々な姿で魅了するこのレースに、10回・20回と出場して完走している人がいるというのもなんだか分かるような気がした。やっぱりこのレース、楽しいんだよ。
一度折れた心でも、どうにか戻すことはできる。但し、そこには折れた心を戻そうとする意思や気力が必要で、それさえも失われてしまえばもう折れたまま戻ることはない。それから、折れた心のまま進み続けなければいけない状況がどれほどしんどいか、実際に経験してみて初めて知った。2013年、とてもしんどくて最後は全然走れずに歩いて終わったハセツネ。2014年、応援側から見てみていろんな闘い方があるのだと知ったハセツネ。2015年、思い通りに走れた夢のようなハセツネ。そして2016年、これまで見たことも経験したこともないような自分に出会ってそれにどうにか立ち向かい、対処し、まとめたハセツネ。出会ってから4度目、出場して3度目のハセツネとなったが、二度として同じハセツネは無かった。まったく同じコースを走らせているのに、毎回色々な姿で魅了するこのレースに、10回・20回と出場して完走している人がいるというのもなんだか分かるような気がした。やっぱりこのレース、楽しいんだよ。
コース上では誰とも会わなかったけれど、いつも心は繋がっている。 今回チームフラッグを持ってこなかったのだが、山と道ミニマリストパッドを掲げたところに 後日、ひらどんがロゴをぶち込んでフラッグ風にwナイスアイディア! |
夜通し応援してくれたチームの皆、そして一緒に走ってくれた仲間、ありがとう!