2016/10/10

20161009-10_第24回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

「私は去年ちょっと実力以上に速すぎました、今年調子が悪いのは完全に練習不足だと思います、おそらく調子に乗っていたんだと思います」第2CPの月夜見第二駐車場で給水を終えた直後、チームRun or DieのKMDに向かってこんなことを言ったと思う。認めたくはなかったけど認めざるを得なかった練習不足という理由。そう、きっと昨年は幻を見ていたんだろう。きちんと積み重ねたものがなければ、毎年毎年タイムを更新することなんてできないんだ。勿論、同じレースに繰り返し出ることでコースに慣れて速くなっていくことはあるだろうけれど、ある程度から先は、きちんとトレーニングを積み重ねなければ前の年と同じタイムでゴールすることでさえも難しくなっていく筈だ。きっと私の去年と今年の間に、その「ある程度」というポイントがあったのだろうなとぼんやり思った。

水と食料を補給して、仲間の声に励まされて後にした月夜見。体に必要なものが入ってきたからなのか、仲間に会えて精神的に救われたからなのか、自分のダメだった部分をきちんと認めて受け入れてわざわざ口に出して人に伝えて形にしたことで、情けないながらも楽になれたからなのか、はたまたその全てがあったからなのか、理由はわからない。ただ気付いた時には、女性ランナーの姿を見つけて咄嗟に「抜いてやる」と思えるようになっていた。

ああ、これ、この意識は自分だ。自分が戻ってきた。確かに私は今年練習不足だったかもしれないけど、そうでもなかった。そうでもなかったんだ!別に練習不足を誰か他人に咎められた訳でもなかったけれど、走れる自分が戻ってきたことで物凄く安心した。誰かに向かって、ほらね大丈夫でしょう?とでも言いたいくらいだった。さあ、こうなったらいけるところまでいこう。さっきまでは14時間を切るのも厳しいかと思っていたけれど、この自分が戻ってきた時点で、もう13時間台は手堅い気がした。

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そのとき私の周りには、脚が売り切れになり始めた人達や、元々のゴールタイムが14時間前後だろうと思われる人達が沢山走っていた。CP1からCP2までの間、私はその人達に抜かれ続けてきたけれど、今は違う。全員抜き返せる。すぐにどこかのパックに追い着くと、そのパックごとさっさと抜き去りたいのに、しばらく続くシングルトラックのせいでなかなか前に出られない。いちいちこうして前が詰まって走れずもどかしい。もっといける、でも周りとペースが合わない。今まで、どうしてこの人この期に及んでこんなに脚が残ってるんだろう??という人が自分の周りにいて不思議に思ったりすることがあったけれど、きっとこういうことだったんだろうなと妙に納得してしまった。どこかでトラブルがあったり力が出せない理由があって、偶々順位が極端に落ちてしまった人が、無駄に温存してしまった脚を持て余して後半でブチかましていたのだろう。そして今回は完全に自分がそちら側の人だった。

御前山の長い登りに差し掛かるも、自分が元気すぎて案の定あっという間に山頂に辿り着いてしまう。御前山からのガレた下りをこなし、大ダワではアキちゃんがスタート前にわけてくれたういろうを頬張って、その後間髪入れず一気にTop Speedを飲み込んだ。大岳山からは走れる区間が多くて、昨年はかなりずっと走っていた記憶だったのだけれど、今年は坂道を上り続けるような練習をあまりしていなかったので、ところどころ休みながら(自分の感覚では昨年よりも走れなかった印象で)進む。但し、結果的には去年より区間タイムは速かったので、人の感覚なんて曖昧なものだなと思い知らされる。

綾広の滝の水場で喉を潤した後ぐらいだったか、見たことのある真っ赤なウェアの男性が前を走るのが見えた。前半三頭山で私を抜き去った友人に、再び追いついたのだった。彼もとても速いランナーなので、追いつけたことは本当に嬉しかった。そこから少し喋りながら並走していたが、暫くするとゆるい上り坂で置いていかれてしまった。私はというと、今回新たに導入したGentosのヘッドライト(300lm)の明かりが次第に暗くなってきたのを感じて、CP3で電池の交換をすることにした。最後の金毘羅尾根はヘッドライトの明るさ不足など気にせず全力で進みたいと思ったからだ。(おそらくここで電池の交換をしていなければもう1人女性ランナーを抜くことができて、来年の招待選手枠に入れただろうと思うのだが、後の祭りだ。)

脚はどこも痛くなく、疲労もなく、空腹をしのぐだけの食料も残っていた。荷物も重くなく、水は豊富にあり、好きなだけ飲めた。日ノ出山では相変わらず素晴らしい夜景が広がっていて、私は確かここで浅間峠からずっと出しっ放しにしていたストックを1本畳んだのだったと思う。過去のハセツネのこの区間で出会った人達との会話のことを思い出したりなんかしながら走っていた。あの時は14時間半以上かかってゴールして、その後ぜんぜん物が食べられない程ぐったりしていたんだっけなぁ、と。

ハセツネは「⚪︎km地点」というような表記が少ない気がするのだが、最後になって残り5kmの看板が現れた。おお、もうあと5kmか。その時点で何時だったかは覚えていないが、残り2kmの看板が出てきた時点ではサブ13まであと14分だった。まだ微妙に山の中にいるし、ひょっとしたら間に合わないかもしれないけれど、ここまできたら死ぬ気で12時間台に滑りこんでやろう、そう思って最後は本当に気が狂ったように猛スピードで走った。今年はログをとらなかったので、最後どれくらいのスピードだったかはわからないけれど、瞬間的にはキロ3分半とかは出ていたかもしれない。

結果は12時間56分14秒、女子21位。浅間峠から月夜見までに抜かれた11人のうち、9人は抜き返したようだった。10人抜かれて10人抜いたかなと思っていたけれど、、、だいたい記憶は合っていたようだ。応援部隊が想像していたよりも早くゴールしてしまったようで、ゴールシーンは誰にも見てもらえなかったwそして以下は昨年のタイムとの比較。

Year
CP1
CP2
CP3
Goal
2015 3:30:403:40:487:11:283:22:3210:34:001:48:0212:22:02
2016 3:49:314:15:048:04:353:14:3311:19:081:37:0612:56:14

比較してわかる通り、CP1までは少し抑えようとした結果周りのペースに飲まれて遅くなりすぎ。その後具合悪くなり失速して大幅にタイムを落とす(昨年より35分近くかかっている)。CP2で復活を遂げてそこから先は昨年よりも速いペースでゴールまで突っ走れたという感じ。とてもわかりやすい・・・
昨年三頭山付近でトレインを組んだナガイくんは月夜見でDNFとなったとのことで、すでにゴール地点にいた。全然ダメだった、辛かった、と言っていたけれど、その気持ちはとてもとてもよくわかった。去年12時間台でゴールしていて、スタート前調子が悪そうでもなかった彼が、そこまで辛いと感じてリタイヤしたということは、私と同じように辛い区間を過ごしたであろうということは容易に想像ができた。

あとになって改めて、三頭山の上りのあのつらさはなんだったのだろうと考えてみると、矢張り脱水が一番の原因だったのではないかなと思う。普段食べているのと同じだけ食べていて、これまでにハンガーノックになったことがなかったので、今回だけハンガーノックになるとは考えにくかった。仮にハンガーノックだったとすれば、レース前に食べたもののカロリーが不足していて、体内の蓄えがいつもより少なかったかもしれないということぐらいだ。しかしハンガーノックも脱水も、いずれも私は経験したことがなかったから、自分の体に何が起きているのかわからなかったし、結局のところ何が真の理由なのかについての答えは闇の中だ。ふらふらして貧血のようになったし、走ろう・登ろう・抜こう・進もうといった意思が消えて無気力になった瞬間があったのが印象的だった。
私は山を始めて半年くらいの頃に友人と2名で遭難未遂をしたのだけれど、あまり水のない状態でビバークし、夜が明けて暫く進んだあとルートファインディング役を私が交代した。あとになって友人に話を聞くと、朦朧として先に進む気力が失せていたしよくわからなくなってきていたと言う。今回の自分の状況とあまりにも似ているし、あれはきっと脱水だったのだろう。もちろんその時も食料は不足していたし、ハンガーノックもあったかもしれない。でももしかしたらハンガーノックよりも脱水の方が辛いのかもしれないという気もする。あと、これは想像でしかないのだけれど、脱水状態を抜け出すには当然水を飲むことが必要で、しかし飲んでしまいさえすれば案外あっという間に回復するような気がする。

一度折れた心でも、どうにか戻すことはできる。但し、そこには折れた心を戻そうとする意思や気力が必要で、それさえも失われてしまえばもう折れたまま戻ることはない。それから、折れた心のまま進み続けなければいけない状況がどれほどしんどいか、実際に経験してみて初めて知った。2013年、とてもしんどくて最後は全然走れずに歩いて終わったハセツネ。2014年、応援側から見てみていろんな闘い方があるのだと知ったハセツネ。2015年、思い通りに走れた夢のようなハセツネ。そして2016年、これまで見たことも経験したこともないような自分に出会ってそれにどうにか立ち向かい、対処し、まとめたハセツネ。出会ってから4度目、出場して3度目のハセツネとなったが、二度として同じハセツネは無かった。まったく同じコースを走らせているのに、毎回色々な姿で魅了するこのレースに、10回・20回と出場して完走している人がいるというのもなんだか分かるような気がした。やっぱりこのレース、楽しいんだよ。
コース上では誰とも会わなかったけれど、いつも心は繋がっている。
今回チームフラッグを持ってこなかったのだが、山と道ミニマリストパッドを掲げたところに
後日、ひらどんがロゴをぶち込んでフラッグ風にwナイスアイディア!
私にういろうをくれたアキちゃんは、初のハセツネをサブ16で完走した。その後ぐったりして横になっている姿を見て、まるで数年前に初ハセツネを走った自分を見ているかのようだった。ただ走っているだけなのに、気持ちよくなったり悪くなったり、興奮したり落ち込んだり、実に不思議なものだなぁ。未だ見ぬ感覚を求めて、きっと私はこれからもこのレースに出続けるだろう。

夜通し応援してくれたチームの皆、そして一緒に走ってくれた仲間、ありがとう!

20161009-10_第24回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

どうして走れないんだろう。どうしてだ。
なんで?なんなの?どうしてなの?

みんながどんどん抜いてゆく。私を置いて、黙々と山を登ってゆく。

私は少し進んでは立ち止まり、またちょっと進んでは脇へよけて休んだ。辺りを覆う濃い霧の中に消えてしまいたいくらい恥ずかしくて、こんな自分の姿は誰にも見られたくなかった。情けなくて仕方がなくて、脇へよける度にヘッデンを消した。乱れた息を整える振りをしながらぽろぽろと涙をこぼし、どさくさ紛れに鼻をすすった。泣いているのを隣で休んでいる人に気付かれそうになるとそっと逃げた。

まるで何らかの辱めを受けているようだった。屈辱的だった。逃げ出したかった。
けれど逃げ出さなかった。辱めだと思っていたものは全然辱めなんかではなかった。

ハセツネというレースが両腕を広げて、大きな愛で私を受け止めてくれたんだと思う。甘やかさず、叱らず、自分で考えなさいと聡いやり方で私を育ててくれた。終わってみて、より一層このレースに対する想いが深まっているのが、何よりの証拠だ。

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9月下旬、私は初めての100マイルレースとなるUTMFにエントリーしていた。40時間程かけて169kmを走るはずだったこのレースは、悪天候のため44kmに短縮となってしまった(エントリーフィー36000円だったのに!w)。翌日、緊急措置として走らせて貰ったSTYも72km→17kmに短縮となり、使わなくなってしまった大量のエネルギージェルの在庫が家に残された。最早ハセツネ用として買い足すものもないし、もう三度目の参戦だからコースもわかっている。大して事前準備に時間はかからないだろうと高を括り、直前までほとんど準備をしていなかった今年のハセツネ。とはいえ、使おうと思っていたザックに自分の持っているストックを付けようとすると仕舞い寸が長すぎて付けられないとか、そもそもストックをつける機構が無いとか、やれアレが見つからないとか、やれヘッデンの電池はエネループじゃなくて乾電池の方が良さそうだけど乾電池の在庫切らしているとかでレース前日はそれなりにバタつく。しかもパッキングが出来てからもなんやかんや時間を食ってしまった。土曜日まるまるお休みだったにもかかわらず、結局睡眠時間は3時間くらいという・・・
過去2回はUltrAspireのomegaを使っていたけれど、今回はUltimate DirectionのAK vestに。
シューズは3回ともinov8のTrailroc255、ストックはこのために調達したニューアイテム、
ヘリテイジのULトレイルポール。
武蔵五日市駅7:34着の電車で仲間達数名と一緒に現地入り。そして外は雨。例年通り、駅前のコンビニで買い物をして会場入りすると、体育館の奥の方に敷物を広げて人数分弱程度の場所を確保する。受付を済ませ、ゼッケンやICタグ、ハイドレーションの準備などを一通り済ませてから朝食をとり、一旦横になって一時間ほど仮眠。ガヤガヤしているのでそんなに熟睡できるものでもないけれど、体力の無駄使いを控えつつスタート時刻が来るのを待つ。雨は一度本降りとなり、体育館には激しい雨音が鳴り響いていたが、予報通り昼には止み、曇り空の下でのスタートとなった。
昨年のタイムは12時間22分。昨年の時点でもう少しいけると思ったこともあり、今年の目標タイムは11時間半としていた。ちょっと無理かもしれないけどもしかしたら手が届くかもしれない、そして手が届いたらいいな、という少し欲張りな目標。スタート直前に応援部隊の某氏に目標タイムを聞かれ、躊躇いがちに答えてはみたものの、嗚呼言っちゃった、どうしよう、でも口にしたから叶うかな?という感じでスタートの列に並ぶ。レースってのは何回出てもやっぱり緊張するものだ。
スタート時は毎度テンション高めw
トレイルに入ってからの渋滞をできる限り回避するため、スタート地点から広徳寺までの舗装路は目一杯ダッシュするのが掟。去年はどうにかトレイルに入るまで足を休めず走り切ったのだが、今年はあとちょっとのところで力尽きた。去年、CP1の浅間峠までは兎に角死ぬ気でいけと言われて死ぬ気で行ったら3時間半で到着してしまったのだが、これは自分の目標タイムから計算するとちょっと早すぎていた。今年は序盤にそこまで頑張らなくていいだろうし、その方が後半もっといいパフォーマンスが出せるかもしれないなという思いがあった。とはいうものの、蓋を開けてみると矢張り目一杯ダッシュした時に自分の周りを固めるメンバーと、ダッシュしなかった場合のメンバーとでは全体的なペースがまるで違って、想像以上に列が詰まりヤキモキさせられる。自ら「序盤、去年よりも少しだけ温存しよう」と決めていったのに、想像以上にのんびりになってしまったことで心が乱された。変電所を過ぎ舗装路が終わって、今熊神社の登りを進んでいると、すぐ後ろでハァハァと息をあげる女性がいて、振り返ると、あらゆるレースで入賞しているベテラントレイルランナーの野間陽子さんだった。私は息が上がるのがすごく早いのだが、こんなに強い人でもこんなに息が上がるんだなということに何故か少し安心感を抱いた。当然ながらあっという間に抜かれ、抜かれたと思った直後に彼女はするすると10人くらいごぼう抜きにしていき、一瞬で見えなくなってしまった。

1:05くらいで入山峠に到着。去年よりは少し遅いけれど許容範囲。流れに合わせつつ、抜けるところは抜きつつでその先もまろやかに進んで行く。明らかに去年より遅いペースなのに汗が止まらない。物凄く暑いというわけではないのだが、午前中降っていた雨のせいか湿度は異常なまでに高いのがわかる。暑いのだろうけれど、あまり暑さを主張してこないとでも言うべきか。これがジワジワと体力を奪っているということにこの時は気付ける筈もなかったのだが。

ただただ喉を潤し続けておきたいという感じだったので、一度に飲むのはハイドレーションの管の部分だけと決めてチビチビ飲む。管の中の水は外気に晒されて冷たくなっているので、ぬるいところが出てきたら飲むのを止める。私が持った水分は、麦茶が1.3Lと、マツモトキヨシオリジナルのゼリードリンク(ウィダーインみたいな感じ)をボトルに詰め替えたもの0.5L強の合計1.8L。去年も同じだけ持ったのだが、月夜見CP到着時に0.3Lほど余っていたと自分でブログに書いていたので、時期の違いや気温差などを考慮しても同じだけ持てば足りなくなることはないだろうと思った。不安だからといって多めに持つことは簡単だが、持ちすぎても体力を削られるしタイムに響く。

醍醐丸を過ぎた頃だったかその手前だったか、荷物に押されてパンパンになったハイドレーションから伝わる反発がないことにふと違和感を覚えた。意識を背中に移すと、確かにザックの背面はしっとりと体になじんでいるのが解る。おそるおそる腰のあたりからザックの背面に手を入れて触ると、トロンとして張りがない。この圧の無さは・・・信じたくはない、けれどひょっとしたらひょっとするのか。いやどうなんだ?気のせいか?
3時間49分で浅間峠に到着。
仲間内で最も早く到着したタケさんは既に浅間峠を出発していた。
私の後ろもだいぶ離れていたので、誰とも会えず。
本当は3時間40-45分で到着したかった浅間峠、実際の所要時間は3時間49分だった。こんな僅かな違いでも、積み重なれば大きな違いになってくるということは自分が一番よくわかっているので地味に焦る。応援に来てくれた仲間に一言かけてまずはトイレ。続けてジェルの入れ替え、ポールやヘッデンの準備とタスクをこなしてゆく。そして一番確認しなければならないこと、でも一番知りたくないことを確認する。ハイドレーションを目視すると明らかにもう半分以上の麦茶がなくなっているのが判った。ボトルに入れたゼリードリンクももう残り200mlを切っている。どんなに多く見積もっても両方合わせた水分量は800ml、サブ12のペースで駒を進められたとしても補給ポイントまであと3時間半はかかる計算だ。その間、レース最高地点である三頭山(P1531)もある。もうじき日が暮れて涼しくなり、水分摂取は少なくなると判ってはいても、好きに水が飲めるという状況でないのは明らかだった。10分くらいの休憩ののちに浅間峠を後にしたが、気にしなければならないことがひとつ増えてしまったということそれ自体が私に大きなダメージを与えた。ここからは頭脳戦になるのかもしれないと思った。

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西原峠までの細かいアップダウンではストックを使って脚を温存しながら進む。毎時00分にジェルをとり、30分にアミノバイタルを飲むようにしていたのだが、18時半にアミノバイタルを飲んで麦茶で流し込もうとした時が最後の麦茶だった。残された水分は100ml程度のゼリードリンクだけとなった。手元のタイム表を見ると、サブ12ペースで浅間峠〜西原峠は1時間半程とあるが、麦茶がなくなった時はまだ西原峠に到達していなかった気がする。おかしいな、いつまで経っても三頭山の登りが現れない。西原峠で固形物を補給しようとしていたので早く着いて食べたいなぁと思っていたが、なかなか着かないので食べられない。痺れを切らしてフライング気味にグミを頬張り、もぐもぐしながら進む。ようやく現れた西原峠で残っていたグミを更に口に放り込むと三頭山にとりついた。しかしどうだろう、別にそこまで暑くもない、具合が悪いわけでもない、なのにどういうわけか進めないし進まない。

調子おかしいかな?
おかしいのかな?
いや、おかしいな。
おかしいよな・・・

私は結構本番に強くて、普段出せないような力が本番で出せる傾向があるということを自覚していた。信じられないほど頑張れたりすることも結構多くて、無理かなと思っていても大抵出来てしまった。でも今はまるでその逆で、できる筈のことができない。去年より走力が上がっているかどうかはわからないけれど、著しく下がっているということもない筈だった。なのに、登れない。浅間峠から西原峠間の細かなアップダウンでも感じていたのだが、下りはそれなりに走れるのに登りが辛いのだ。三頭山の登りが現れて、ダウンがなくなりアップのみになった途端、本当に全然進めなくなってしまった。

ほら、8月は山には登っていたけれど、ほとんど走らなかったじゃん。
8月下旬〜9月の頭にかけて行った夏休みの大雪山縦走は、結局台風にやられて3日も避難小屋に停滞して運動できなかったじゃん。
UTMFがハセツネ直前にあって、脚がいい具合に熟成すると思っていたけれど、結局距離短縮になってしまったからあんまり走っていないしね。
去年より体重も増えてるし体脂肪率も上がっている。
ハムストリングも相変わらず違和感あるままでしょう。直前に追い込みすぎなんだよ。限度ってものがあるだろう。
サブ11.5が目標ですなんて言ってたけど、去年の方が走り込んでいたし、大体からしてサブ11.5を達成する為に具体的になにかした訳でもないのだから、速くなるなんてことはあり得ないんだよ。
大体、浅間峠までのタイムが去年より20分も遅いのに、去年よりも50分も早くゴールしようなんてもう無謀なわけよ。

とにかくツライ。ぼんやりした頭が、なんでこんなにツライんだろうかとその理由に思いを巡らせる。もう一人の私が、ほらお前今年こんなだったじゃんか、ツライに決まっているだろう、調子乗ってたんだよ、ハセツネ甘く見るなよと罵る。怒られて悲しくなってくる。脚はますます動かず、登れないし進めない。息が上がってすぐ止まる。ナニクソと堪えながら顔を歪めてゴリゴリ登るいつもの私はどこかへ消えて居なくなってしまった。ネガティブをお団子にして握りしめたような醜くて情けない大きなカタマリは、幾度となく立ち止まり、腰を下ろした。これまで走ってきたハセツネで、CPや山頂などの場所以外で途中で腰を下ろしたのは初めてだった。体が動かないのは明らかだったしそのこと自体は受け入れなければならないと思ったけれど、何よりも衝撃的で受け入れ難かったのは、兎に角「負けないぞ」「登るぞ」「もっと頑張ろう」というような私の中のアグレッシブな思いがきれいさっぱり消えてしまったことだった。気持ちがなくなるってこんなに辛いものなのか。何のトラブルもないのに気持ちが折れてリタイヤする人の気持ちなんてほとんど解らなかったのだけれど、実際に自分がこうなってみてようやく少しわかった気がした。

こんな筈じゃない。けど、私なんか結局こんな程度なのかも知れない。段々頭が働かなくなってきた。私は浅間峠を女子19位で通過していたようだが、ここからじゃんじゃん抜かれて月夜見では30位まで順位を落とした。参加人数の少ない女子の、しかもボリュームゾーンより速い12時間前後のタイムの人達に10人抜かれるというのは相当のことだ。このレースに限らず、ほんの数時間の間にこんなに一気に抜かれたことはおそらくなかったと思う。もう順位も、タイムも、何も狙うものは無くなっただろう。悔しいけれど、完走だけはしよう、と気持ちを切り替えてじりじりと進み、やっとのことで三頭山の山頂に着いた。月夜見に20時に着くことができればサブ12は手堅いと思っていたけれど、山頂の時点で既に20時近かった気がする(たぶん)。

去年、一緒に三頭山の登りからトレインを組んで暫く一緒だったナガイくんは今どこを走っているだろう。そういえばここでナガイくんは足を捻ったんだっけ、と思い出して慎重に足を置く。登りは完全にダメになっていたけれど、下りは割と普通に走れたのでマイペースに進んでいった。あんまり飛ばして喉が渇いてしまっても水もないので控えめに行くことにした。

CP2の月夜見に近付き、一旦道路に出されてから再びトレイルに戻り、また道路に出てくるとようやくCPの大きな明かりが見えてきた。水を求め、そして会える筈の仲間を求めて必死に走る。去年ここを走った時のあの余裕は一体どこへいってしまったのか。こんな時間になってここに到着するなんて、と思ったら本当に情けなく、恥ずかしくて、もうサブ11.5なんて言うんじゃなかったなー格好悪すぎるなーという気持ちと、もっと根源的な安堵感とが入り混じってぐちゃぐちゃになった。応援に来ていたJackieboyslimの顔を見て、全然走れないんだよ、と口にした途端、堰を切ったように涙が出てきた。つらかった。ひとまずハイドレーションに500mlずつの水とポカリスウェット、ボトルに水500mlの水を注いで貰い、腰を下ろして休憩。ボトルの水を思わずその場で一気飲みすると、いつも通り補給食の入れ替え作業に取り掛かった。
黙々と補給
コバちゃんと私の、補給についての一問一答が暫く続いた。

コバ「ちゃんと食べてるのか?」
ヤスヨ「食べてる」
コ「何食べてるの?」
ヤ「ジェルをコンスタントにいつも通り食べてる」
コ「ペースは?」
ヤ「1時間に1本、メダリストとかを(1本105kcal程度)」
コ「少なすぎだよ!ハンガーノックだろ、まとめてジェル何本か食え」
ヤ「いつもと同じ量だし、ハンガーノックになったこともないし、ジェル以外にグミとかも食べてる」
コ「とにかく食え」
ヤ「今そんなに食べたら後半食べるものなくなっちゃう」
コ「いいから食え!(怒)」

こちらは精神的にだいぶやられているので、怒られて若干泣きそうだった(※コバちゃんは年下です)。とりあえず唯一カフェインの入ったレモン味のマグオンを飲む。初めて飲むのでどんな味だろうとちょっと楽しみにしていたのだが、夢中で摂取したので味の記憶が全然ない。私の固形物袋を眺め、羊羹食え羊羹!と指示を出すコバちゃん。言われるがままにチョコ味のえいようかんを頬張る私(これも初めて食べた。結構美味しかったけれど羊羹ぽい弾力感はなかったなぁ)。さらにグミを半袋くらい食べてからトイレへ行くと、いよいよ月夜見を立ち去る瞬間が近付いてきたのを感じる。ここ数時間眠り呆けていた、私の体の中の私の魂が、この時やっとほんの少しだけ目を醒ましてくれたのかもしれない、と今になって思う。仲間が起こしてくれたんだ。少しでもボタンを掛け違えていたら、きっとこのブログはここで終わって、後編は無かっただろう。

幸いにして、後編へ続く