2015/08/30

20150828-30_志賀高原Extreme Triangle 62K

奥久慈のレースを終えた翌日は6月1日だった。レースのゴール時間によっては東京に戻るのが深夜になるかもしれないからという理由でその日は半休をとっていたのだが、よくよく考えてみたらハセツネのエントリー日だった(すっかり忘れていたけどラッキー!)。無事にエントリーできたはいいが、キタタンまで1ヶ月ちょっと、そしてその次は10月末のハセツネとなると、間にもう1つくらいレースがあってもいいのではないかという気になってくる。そして6/9に見つけたのが志賀高原Extreme Triangleというレース。確か、Facebookかなにかで、知り合いの知り合いが出ていた昨年の写真とかがたまたま目に付いたんだったとかだったと思う。距離は62km、累積標高は4500mとある。そこまではいい。しかし「トレイル率96%」で「コースの20%が標高2000mを越える」のか・・・。更に去年出た人の話を聞いてみると「腿まで泥に浸かりながら走るどろんこレース」「パンツが裂けた」「全然走れない」等、エクストリームの名に相応しい逸話がバシバシでてくる。なんだそりゃ。今年エントリーしている人が自分の界隈に数名いるのは把握したものの、私がどうやって行くのか、現地までの足が調達できるのかも定かでない。50km以上のレースで上位50%以上でゴールした経験のある人、という条件が邪魔をして、Run or Dieのチームの中で出ると言ってくれる人は今の所ひとりも居ない。金曜日に現地入りしなければいけないけれど休みをとれる保証もない。でもなんだかもう心を奪われてしまって、見切り発車でエントリーを済ませた。あとはどうにかなるだろう、どうにかすればいいだろう。

私のエントリーからほどなくして、奥久慈を一緒に走ったチームメイトのタケさんがエントリーした。ハセツネでサブ12というタイムを叩き出す彼の職場は私の職場と近いということもあり、平日は一緒に走ったり、休みの日はロードバイクでツーリングに行ったりしていた。7月は共に月間走行距離200kmを達成(もっと走っている人はたくさんいるけれども。。)。8月はレース前の1週間をレストに充てたためそこまで走れなかったものの、それでも自分としてはかなり頑張れたと思う。走り終わるたびにチーズとかササミの燻製なんかを齧りながら外飲みして解散する私達の夏の集大成は大雨の予報。
金曜の19:00までに受付を終了しなくてはならないため、フルタイムで仕事をしていたのでは間に合わない。結局タケさんは全休、私はかろうじて半休をとり車で会場に向かう。会場近くにある唯一のキャンプ場でテントを張る予定でいたものの、もうすでに雨が降り始めているし夜の予報も酷いので、翌朝の撤収の煩わしさを鑑みて車中泊に決めた。受付の際に装備チェックがあるとのことでザックを持って受付に並ぶ。バスツアーの集団より僅か先に到着したのでスムースだった。
公式ページphotoより。タケさん受付中
荷物を一旦車に置いたらすぐにブリーフィングがスタート。コースのプロデューサーである山田琢也氏と実行委員長である大塚浩司氏による、脅しに近い笑顔のブリーフィングが1時間ほど続き、皆が完全にビビった状態で解散。ざわつく会場。 トレイルではなく、なんか「沼」らしい・・・
公式ページphotoより
翌朝は4時出走。ブリーフィングを終えてすでに17時半頃なので、ゆっくりもしていられない。ブリーフィングをしたホテルに宿泊する人が多数だったものと思われるが、ホテル脇の駐車場での車中泊は認められていない。装備を整え、事前に調べておいた温泉施設へ移動して温泉に入り、そこでご飯を食べたりと慌ただしく諸々済ませてから、近くの道の駅へ移動して車中泊。雨は一晩中降り続いて、あまりの雨音の凄まじさに途中目を覚ましたりしながら寝不足のまま当日を迎える。

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車でホテルへ移動し、ロビーでしばし待機。雨が酷すぎて、スタートまであと10分くらいに差し迫っているというのに皆ホテルから出ようとしない。
「写真撮ろう!」と言われて出走前に1枚。顔が完全にひきつっている・・・
ようやく諦めたようにスタート地点であるスキー場の麓へと移動をする。芝生に足を乗せるとじわぁと染み出す泥水。既に足元はぐしょぐしょだ。
写真に雨粒が写り込むことってそうそう無いと思うけど、写り込んでいる・・・
つまり大雨
飛ばすようなコースでもない。というか、飛ばせるようなコンディションでもない。階段状のところは滝のように水が流れていて、水といっても透明なんかじゃなく泥を押し流す濁流で、もう誰が何のシューズを履いているのか一切見分けがつかないくらい全員の靴が一瞬で泥だらけになっていた。気温は低い。タケさんもまだ飛ばさないのですぐ前にいる。日が出てきて少しずつ空が白み出してくると景色が良いであろう高い場所に出た。登り基調になるとタケさんがするりするりと遠ざかっていく。奥久慈のときも思ったけれど、きっともうコース上で会うことはないのだろう。

コースは本当に沼だった。沼とは、「一般に水深 5 m 以内の水域であり、イネ科やシダ、ヨシ、ガマ、スゲなどの草に占められ、透明度が低く、規模があまり大きくないもの」だそうだが、この定義で考えたらここは完全に沼。足首が泥に埋もれる、なんてもんじゃない。脹脛?それでもまだ甘い。ズボッとはまると太腿まで泥や泥水の中に沈み込んでしまう。深いところなんて本当に泥水が腰までくるのだ。パンツの中まで泥が入ってくる。もう、辛いとかしんどいとかそういうのを通り越して途中から面白くなってしまって、泥に埋まるたびにキャッキャと笑っていた。泥斜面の傾斜がきついところはとてもじゃないけど立っていられない。シリセードするにはランパンが破けそうだし、私はしゃがんでグリセードをしつつ下った。それでも途中でバランスを崩せばごろんごろんと転がり落ちるし、短く切られたネマガリダケの切り株にザックやストックが引っかかれば突然止まったりして体が前後逆転するし、もう無茶苦茶だった。トラバースでは道が谷に向かって斜めになっていてまっすぐ立てず、笹に掴まりながら縦型の雲梯のように進む。雨は途中で止む予報だったのに一向に止む気配もない。

今回は友人からのアドバイスもあって、ジェルを00分に、アミノバイタルを30分に必ず飲むよう心がけた。つまりどちらも1時間に1本ペースで。しかしどこもかしこも泥だらけなので、パッケージを切るのも一苦労。ジェルに泥が混ざらないように気を遣う必要がある(それがまた疲れる・・・)。 とばしすぎないようにと思いながらも泥斜面グリセードはネジが外れたように突っ込んで転げ落ちまくっていたのだが、そこまでしていても関門に間に合わないかもしれないという事実に気付いたのは制限時間30分前。突っ込みすぎないようにとセーブしたのが仇となったか、まだこんなに脚が残っているのに関門で足切りとか絶対嫌だ!と思っているうちにもう時間になってしまった。いや、もしかしたら関門延びているかもしれないし、と思って諦めずに走る。それしかできない。
公式ページphotoより
切明の関門に到着するとなんだか普通の雰囲気。あれ?と思って確認すると、関門時刻を自分が30分勘違いしていただけだった。11時関門じゃなくて11時半だったのだ、そして到着したのは11:10頃。よかった、とりあえず間に合った。しかし関門時間の変更を知らせる張り紙がしてある。なんだろう?どこの関門?どういうことだろう?ぼんやりとした頭で考えようとして、でも考えられずにいるとどこか背後から自分の名前を呼ぶ声がした。タケさんだった。
目線の高さでキョロキョロと見回しても見つからなかったタケさんは、私の目線よりも高いところにいた。バスの中だった。関門手前の激下りのどろんこで派手に転倒し太腿を強打したためここでリタイヤを決めたとのこと。私が貼り紙を見ても理解できなかった関門時間の変更について、タケさんが詳しく説明してくれた。元々第二関門は16:00だったのだが、14:00に繰り上がるのだそうだ。天候の悪化で関門が繰り上がるってどういうことなんだろう?とも思ったが、昨年も最終ランナーが無事トレイルから戻ってこられたのも深夜0時過ぎだったりするほどの、リタイヤさえも過酷なレースなので、14:00までに第二関門を越えられない人をそれ以上走らせるとリタイヤもままならないし危険だろう、という意味での関門繰り上げのようだった。
私が参考にしていた、昨年完走の女性ランナーみどりさんのタイムは、第一関門で10時半、第二関門で14時半。第一関門に到着してすぐに出発したとしても彼女との差は40分以上。彼女が4時間かかったところを、私が3時間ちょっとで行けるとはとても思えない。第二関門は繰り上がったものの、第二関門に16時までに到着すれば「完走扱い」になるというが、完走扱いって一体なんだよ、と悶々とする。うーん、16時には間に合いそうだけれど。。。走ってもゴールまで行かれないのがわかりきっていて、それでも第二関門まで行く意味はあるのか?でも、ここまできてるし、走らせて貰えるのなら走ってきた方がいいか。。。
走っておいでよと言われて我に返る。そうだな、折角だから走ってこよう。水はまだあるので補充はせず、代わりにここでたくさん水分をとることにする。どうにもならない泥汚れを池ですすいだりして気持ちを切り替え、11時半過ぎにようやく第一関門を後にした。ここから沢沿い林道をゆるやかに降り、東電の水平歩道に入る。 天気が少しだけ回復してきて景色が見えるようになった。なんだかどこかで見たような景色だな、と思いながら水平歩道をひた走る。脚が結構元気なので、たまに人に出くわしては抜いていった。水平歩道が終わって渋沢ダムのところに出ると、これまたどこかで見たような景色、いやこれは見たことのある景色だなとようやく気付いた。そうだ、野反湖から魚野川に抜けようとしてMTBを担いでここまできて、結局魚野川に到達するのは無理だということになって水平歩道をMTBで抜けて切明に降りたんだった!そのときこのダムの監視小屋のあたりでで幕営したんだ。すっかり忘れていたけど。
ならば話は早い、ここから野反湖のルートは、私がMTBを担いで上がったルートだ。大まかな距離とアップダウンの記憶を呼び起こし、(きついのがわかっていたので)気合を入れ直して進むことにした。ビビりながらゆっくり渡渉する人の脇を、私が粗野にバチャバチャと進む。西大倉山の長い登りが終わり、もうどろんこグリセードはないのかなと思いきや、結局最後の方にもまた泥斜面がでてきたりして、飽きることのないトレイルを4時間ほど行くと、15:20頃ようやく第二関門である野反湖に到着した。
「お疲れ様でした!女子総合7位です!」そう言われて山田さんに出迎えられた第二関門はゴールではないけれど私のゴール地点だった。天気が悪くなければ走らせてもらえたであろうトレイルが先に続いていて、関門時間が繰り上がっていなければ私は当然その先に行けた。でも今日は行かせてもらえないんだな。途轍もなくモヤモヤしながら、直前の数時間を共にしたよく喋る男性ランナーと他愛のない会話をする。スタッフの人に「あと10分で出るバスを逃すと、次のバスは何時に出発になるかわからないし、これに乗った方がいいよ」と言われて急いで支度をする。エイドのお饅頭とかを適当に口に放り込んでバスに乗車すると、車内は汗臭くて物凄かった。リタイヤしたことがないのでこういうバスに乗るのは初めてだったが、すべてのシートにゴミ袋が被せられていて、シートが汚れないようになっていた。これ被せるのも結構大変な作業だよなぁ・・・。バスに揺られること2時間、硫黄の臭いのする道路を進み、ようやくスタート/ゴール地点に帰還。
しばらくシェルを着ていたのでシャツはまだドロドロではないけれど、脚がドロドロw
(これでも一度、切明エイドの後の沢で水洗いしているんだけど・・・)photo by take-san
ホテルのお風呂で汗を流してからラーメン食べて買い出し行って、再び道の駅の駐車場にチェックインして車で後夜祭。タケさんが怪我をした太腿は腫れて痛そうだったけれど、歩行困難なほどではなかったようで一安心。
記念撮影!
実は私はレース直前の土日に、会津駒ケ岳を登ってからとある沢を下降をして御神楽沢を目指す釣行をしていたのだが、沢の下降時に転倒して膝を強打し、歩くだけでも痛いほどになっていた。整形外科に行ってレントゲンを撮ったところ、とりあえず骨に異常はないとのことだったが、レントゲンではわからないダメージがあった場合にはCTスキャンが必要だと脅されていて、このレースに出てもすぐに痛みが出て走れなくなるのではないかと心配していた。蓋を開けてみたら、第一関門の直前あたりで痛みが出たものの、その後その痛みは消えていき、結局全然痛く無くなってしまった。体に強烈な刺激を長時間与え続けると、体はなにか勘違いをして、悪いところを補修してしまうのかもしれない。そしてその後一切痛みが出ることはなくなってしまった。なんだったんだろうな。
基本的に車移動なので外で飲めないw というわけで車内で打ち上げ
土曜日のうちに帰ることもできたが打ち上げもしたかったので(というか飲みたかったので)、もう1泊して日曜日の午前中に都内に戻ることに。二人ともゴールに至らなかったので、完走したら飲む、完走できなかったら飲まないよ、といってタケさんが買ってきてくれていたCaptain Crowで乾杯をしてからハイボールやら何やらのんびりとアルコールを摂取しつつレースの振り返りをして就寝。

レースの表彰式は日曜日10:00からだったらしいが、表彰されるのは総合6位までだしねと思って普通にスルー。しかししばらくしてから家に大きなダンボールが到着。玉手箱?
どかーん!
総合6位までの人は年代別でのダブル入賞で表彰されることはないため、7位だった私は自動的に年代別1位ということに(笑)。女子の出走はたったの23名、ゴールまで完走したのは3名、第二関門まで到達した女子は5名とのこと。エクストリームすぎるw 

結構トレーニングを積んで挑んだレースだったけれど関門短縮で最後まで走らせてもらえず消化不良感が否めなかったが、これ以上のどろんこレースなんて無い気がするから、もうどんなぐちゃぐちゃトレイルでも走れるという自信がついた。関門時間が短縮にならなければきっと完走できるはずなので、来年は必ずリベンジしたい。あと、奥久慈のときもそうだったけれど、少し遠くの土地でやるレースは旅っぽくていい。来年出るときは絶対全休取ってやる。やっぱり行くからにはその土地を楽しんできたいからね。

さて、次のレースは10月のハセツネ。今年春にまともに練習を初めてから僅か半年間だったけれど、たかが半年、されど半年。どこまで力がついたのか試すのをとても楽しみにしている。