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2016/08/31 (Wed) 雨のちガス・強風
停滞3日目。
朝起きてもまだまだ外はガスだったが、体ひとつで外へ出ても平気そうな風になったようだったので12時間ぶりぐらいにトイレに出てみると、トイレの木枠は釘が抜けて菱形に歪み、2つあるトイレのうちの1つは完全にドアが開かなくなっていた。避難小屋本体が無事で本当に良かった・・と胸をなでおろす。
それほど酷い風雨でもなく、ガスの具合も28日と同じような感じだったので、出発しても良いかなとも思えたが、そもそも私はこの後どこへ向かうべきなのか。そもそも降りようとしていた吹上温泉の道路は一度通行止になって、通行止解除になった経緯があるので、また今回の台風の影響で通行止になっている可能性は高いだろう。ラジオを聴いていると、吹上温泉から乗るバスの行き先である富良野エリアは川が氾濫して洪水になっているとか避難勧告が出ているとかそんな話も聞こえてくる。仮に道路が通行止めになっていなかったとしても、富良野からの交通が麻痺していたらどこにも動けなくなる。しかし南(南西)に向かえばもうここしか降り口はないのだ。これはもう、北に戻るしかないのではないだろうか。一旦通った道ならば、少しくらいガスでも、トレイルの状態が悪くても、きっと自分の力でどうにかできる筈だ。わかった、私は元のトレイルに戻ろう。大嫌いなピストンになるけれど、これも英断だ。勇気を持って引き返そう。
昼過ぎに僅かに見えた青空とヒサゴ沼全容、そして左手前は北大生が残していったテント(倒壊)。 中の銀マットが飛び出して、テントのファスナーが開いてしまっていたので、とりあえずマットを仕舞い ファスナーを閉じる。ごめん、建て直せなかった・・・ |
歪んだトイレ。右側はこれ以上ドアが開かないし閉じない。 右下のところの釘?が抜けてしまっている。 |
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2016/09/01 (Thu) ガスのち晴れ・夜間に雨
6:30 ヒサゴ沼避難小屋
↓ - 0:37
7:07 ヒサゴ沼分岐
アルコールを飲みきってしまっていたので、商品販売のない白雲岳はスルーして初日お世話になった黒岳石室に再びチェックイン。北海岳をすぎて黒岳石室に向かう途中の沢で洗髪を試みる。まぁ髪の毛が抜けること抜けることwお天気も良いし暖かいので、ひとしきり洗った後は手拭いで髪を拭いたらそのまま自然乾燥。うひゃー、頭皮がすっきりして気持ちが良い!小屋に着いてテントを張ってまずはビールとご飯、からの日本酒でほろ酔いに。ソロのおじいちゃん2人とダベったりなどしつつ就寝。本格的に眠る前にテント内でうとうとしていたら、枕元で物音がした。何人もテントに躓いていくなぁと思ったら、キツネがテントを齧っている音だった。。。フライの内側に食べ物を置くと齧られたり持って行かれたりすると聞いていたのでテントの中にすべて置いてあったのだが、テントの端に置いてあったゴミのにおいにつられてやってきたらしかった。
2016/09/01 (Thu) ガスのち晴れ・夜間に雨
6:30 ヒサゴ沼避難小屋
↓ - 0:37
7:07 ヒサゴ沼分岐
↓ - 0:50
7:57 五色岳
7:57 五色岳
↓ - 0:29
8:26 忠別岳避難小屋分岐
8:26 忠別岳避難小屋分岐
↓ - 0:56 (下界に連絡したりなどしつつ)
9:30 忠別岳
9:30 忠別岳
↓ - 0:50 (下界に連絡したりなどしつつ)
10:20 忠別沼
↓ - 3:00 (下界に連絡したりなどしつつ)
13:20 白雲岳避難小屋
↓ - 1:36(避難小屋での20分休憩含む)
14:56 北海岳
↓ - 1:04 (渡渉時の洗髪時間含む)
16:00 黒岳石室
朝起きてみると今日もガス。トムラウシは次回の宿題に残しておくべき課題なのだろうと思って登頂は潔く諦めて元来た道を引き返すことにする。二回も歩くのだから、少しくらい景色見せてくれてもいいじゃない、と思うものの、結局往路と同じようなガスの中を歩くこととなった。忠別岳を過ぎて沼に差し掛かる頃になってようやく霧が晴れて景色が見え始めたが、結局そこは往路も見た景色だった。行きに見えなかった景色は、帰りも見えないままだ。運が悪いというべきか、否しかしそうではなくて南側がとにかく天気が悪いということなのだろう。今日だってきっと、南下していたらトレイルはずっと雲の中だった筈だ。
忠別沼より北はとても良い天気で、気持ち良く歩くことができた。ガスっていたり雨が降っていても楽しめるトレイルというのは確かにあるけれど、ここはそういうところではない気がした。すっきりと晴れて不安なく気持ち良く歩けてこそ、楽しめるトレイルなのだ。10:20 忠別沼
↓ - 3:00 (下界に連絡したりなどしつつ)
13:20 白雲岳避難小屋
↓ - 1:36(避難小屋での20分休憩含む)
14:56 北海岳
↓ - 1:04 (渡渉時の洗髪時間含む)
16:00 黒岳石室
とうとうお別れのとき。 |
アルコールを飲みきってしまっていたので、商品販売のない白雲岳はスルーして初日お世話になった黒岳石室に再びチェックイン。北海岳をすぎて黒岳石室に向かう途中の沢で洗髪を試みる。まぁ髪の毛が抜けること抜けることwお天気も良いし暖かいので、ひとしきり洗った後は手拭いで髪を拭いたらそのまま自然乾燥。うひゃー、頭皮がすっきりして気持ちが良い!小屋に着いてテントを張ってまずはビールとご飯、からの日本酒でほろ酔いに。ソロのおじいちゃん2人とダベったりなどしつつ就寝。本格的に眠る前にテント内でうとうとしていたら、枕元で物音がした。何人もテントに躓いていくなぁと思ったら、キツネがテントを齧っている音だった。。。フライの内側に食べ物を置くと齧られたり持って行かれたりすると聞いていたのでテントの中にすべて置いてあったのだが、テントの端に置いてあったゴミのにおいにつられてやってきたらしかった。
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2016/09/02 (Fri) 晴れのちガス・夕方昼以降ゲリラ豪雨あり
6:30 黒岳石室
このロケーション、湯温、深さ、人の少なさ、、、これは入るでしょう。全裸でいくでしょう。
最高の泉質!湯温も申し分なし。うっとりまったりしているとソロの男性が通過していった、、、とりあえず手拭いを前に当てつつ御挨拶をしてしのぐ。(後でその人に追いついて見てみたら、二日目に白雲岳ピストンのときに出くわした環境庁の調査の方だった。一旦下山してからまた調査のために入山したらしい。長靴を履いていたのですぐに分かった。)
その男性が通過して暫くしてから温泉を上がって着替えて、のんびり珈琲を飲んでいたら今度はソロの女の子がやってきた。このエリアでULザックを背負っていたのは彼女しか居なかったのですぐに二日目にすれ違ったあの子だと分かった。すれ違ったのは北海岳から白雲岳に向かうトレイルの途中だったのだが、その時そこに落ちていた手拭いを拾って道標の跡みたいな棒切れに結びつけておいた、その手拭いの持ち主でもあった。まさかこんなところで再会するとは。彼女は転職活動中とのことで、お休みを使って一ヶ月以上北海道をぐるぐるしているのだということだった。彼女もまた一旦下山してまた登っていたのだったかな(うろ覚え)。
珈琲を振舞ったりして、そこから彼女と下山し旭川までご一緒することに。どうやらトレランもやっているらしい。どうりで一緒に歩けるわけだ。(大抵私は人と歩くと速すぎると言われて一緒に歩けないことが多い)
とはいえ、何気に彼女の普段のペースよりはずっと速かったらしい。一緒に歩いていて女の人でこんな速い人は会ったことがないと言われた。。。それはそうと、姿見ノ池が近づいてきたら次第に雲行きが怪しくなり、ガスが出て、ロープウェイ姿見駅に到着した瞬間に突然豪雨に。間一髪!自分のペースで歩いていたらこの雨にやられてましたありがとうございますっ!と感謝されてしまった。まぁ雨を避けられたのは偶然だったけれど、とりあえず良かった良かった。
2016/09/02 (Fri) 晴れのちガス・夕方昼以降ゲリラ豪雨あり
6:30 黒岳石室
↓ - 1:07
7:37 北鎮岳分岐
↓ - 0:12
7:49 北鎮岳山頂
↓ - 0:15 (山頂での記念撮影等の時間含むため登りより長い)
8:04 北鎮岳分岐
完全にピストンするのもつまらないので、旭岳に登らずに中岳温泉を経由するアップダウンの少ないコースを通ってみることにして、朝6時半過ぎに黒岳石室を出発した。どうなっているのかさっぱりわからないけれど、地図にある中岳温泉というのが気になって仕方ないのでここを目指すことに。地図には「露天の石で囲ってある湯舟のみ、土砂を排出するスコップは設置されている」とある。これ如何に。
中岳に向かう稜線の途中で携帯電話の電波が通じた。下山予定も立ったので、その日のうちに帯広に入れるよう電話でバスの予約をする。旭川駅前から帯広行のバスは運行しており空きもあるとのことだったのでその場で1席確保してもらった(4000円弱だったかな)。と同時に、しばらく連絡を入れられていなかった先輩のお母様にもメールを入れて今日の動きを伝えることに。結局夜21:00頃に帯広に到着する私を、わざわざ車で迎えに来てくださるという。ありがたいことだ。
中岳を過ぎてゆるやかに下っていくと、左手前方に向かってトレイルが九十九折になりはじめた。急に高度を落とした先には、目指した温泉の姿が!うわー!なんだこれ
7:37 北鎮岳分岐
↓ - 0:12
7:49 北鎮岳山頂
↓ - 0:15 (山頂での記念撮影等の時間含むため登りより長い)
8:04 北鎮岳分岐
↓ - 0:16
8:20 中岳
↓ - 0:45 (バスの予約電話入れるなどしつつ)
9:05 中岳温泉
8:20 中岳
↓ - 0:45 (バスの予約電話入れるなどしつつ)
9:05 中岳温泉
↓ - 2:35 (入浴に40-50分&ガールとお喋りしながらのんびりハイク)
11:40 ロープウェイ山頂姿見駅
11:40 ロープウェイ山頂姿見駅
完全にピストンするのもつまらないので、旭岳に登らずに中岳温泉を経由するアップダウンの少ないコースを通ってみることにして、朝6時半過ぎに黒岳石室を出発した。どうなっているのかさっぱりわからないけれど、地図にある中岳温泉というのが気になって仕方ないのでここを目指すことに。地図には「露天の石で囲ってある湯舟のみ、土砂を排出するスコップは設置されている」とある。これ如何に。
黒岳石室から北海岳に向かわず北鎮岳方面に向かう。 |
白いの全部チングルマ!圧巻。 |
ちょろっと登ってピークへ。こちら方面に進むと温泉に入れないので今回はピークハントだけ。 |
中岳に向かう稜線 |
中岳を過ぎてゆるやかに下っていくと、左手前方に向かってトレイルが九十九折になりはじめた。急に高度を落とした先には、目指した温泉の姿が!うわー!なんだこれ
このガレの先(写真でいうところの右下あたり)に温泉がある |
着いた! |
この眺め! |
その男性が通過して暫くしてから温泉を上がって着替えて、のんびり珈琲を飲んでいたら今度はソロの女の子がやってきた。このエリアでULザックを背負っていたのは彼女しか居なかったのですぐに二日目にすれ違ったあの子だと分かった。すれ違ったのは北海岳から白雲岳に向かうトレイルの途中だったのだが、その時そこに落ちていた手拭いを拾って道標の跡みたいな棒切れに結びつけておいた、その手拭いの持ち主でもあった。まさかこんなところで再会するとは。彼女は転職活動中とのことで、お休みを使って一ヶ月以上北海道をぐるぐるしているのだということだった。彼女もまた一旦下山してまた登っていたのだったかな(うろ覚え)。
一応立派な看板?があるけれど、その辺に転がっていたw |
とはいえ、何気に彼女の普段のペースよりはずっと速かったらしい。一緒に歩いていて女の人でこんな速い人は会ったことがないと言われた。。。それはそうと、姿見ノ池が近づいてきたら次第に雲行きが怪しくなり、ガスが出て、ロープウェイ姿見駅に到着した瞬間に突然豪雨に。間一髪!自分のペースで歩いていたらこの雨にやられてましたありがとうございますっ!と感謝されてしまった。まぁ雨を避けられたのは偶然だったけれど、とりあえず良かった良かった。
ロープウェイはガスガスw 幼稚園児達が遠足で上がってきていたのだけれど、何も見え無さすぎてなんか可哀想・・・ |
よく運転できるなぁ、、、と感心するくらい視界が悪くなって物凄かった。 |
帯広でザックを背負って立っていたら、先輩のお母様と、お姉様とその息子さんに発見された。お母様は一人暮らしをされているということだったので、途中お寿司やさんでお寿司をご馳走になってからそのままお母様のご自宅に泊めていただくことに。
一週間ずっと山に篭っていて、停滞こそ長かったもののそれなりに疲れていたはずだけれど、話を始めたら止まらなくなってしまって、結局眠ったのは朝4時半くらいだった。昔の写真とか、本人が持っていた本やCDとか色々見せて貰った。自害の本当の理由なんて彼自身にしか分からないけれど、省庁勤めで真面目に立派に仕事をして、自分なんかより余程稼ぎだって良かったに違いない彼のような人がどうして自ら命を絶ってしまったのかと思うと本当に悔やまれてならない。彼がこの世を去ってから半年くらいでお父様も亡くなってしまったとのことだったけれど、そんな辛い状況でも一人気丈に生きていらっしゃるお母様とたくさんお話しができたことは本当に良かった。あと、とりあえず捨てないで全部とってあるけど私全然音楽わからないから、記念に何か持っていっていいよ、と言われてこのCDを頂いてきた。大学時代の私の友人ならばこれを見てアッと思うに違いない。今、これ、私の手元にある。ジャケットは色褪せていたけれど、これ聞くと色々と思い出すなぁ。
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朝から秋刀魚を焼いて頂いたりして遅めの朝ごはんを食べてから、ご自宅近くの池田ワイン城というところへ観光。
池田町からほど近いところにある音更町 へは車で送っていただき、最後に音更の友人のところへ顔を出す。東京に住んでいた時は1年くらいご近所だったけれど、まさか嫁いでこんな遠くに行ってしまうとは思わなかったなぁ。パンを焼くのが好きなのは聞いていたけど、まさか編み物もこんなに上手いとは・・・存じ上げませんでした。オトプケニットの中の人。 |
空港で唐揚げかなにかを頬張りながら搭乗手続きをしてドタバタと飛行機に乗りましたとさ・・・
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自宅に戻ってから、真っ先に、テントを修理に出した。私が愛用しているのはエスパースのマキシムミニ(現在廃盤)という1-2人用テントだ。キツネに齧られた穴を修理してもらおうと思ったのだが、一緒に直して貰えるところがないかとあちこち見ていたら、フライのシームが古くなって剥がれているのがわかったので、シームを全てやり直してもらった。一週間経たずに綺麗に修繕されたテントが戻ってきて、日本メーカーの底力を痛感したものだ。それからレインウェアの撥水を見直した。すっかり撥水の落ちたレインウェアはもう意味がないのかもしれないと思ったけれど、専用洗剤で洗ったり乾燥機にかけたり撥水スプレーをかけたりすることで大分性能はあがった。
トムラウシの遭難事故の本に書いてあったが、命を落とされた方と生き延びた方の境目は、元々の体力の差こそあれ、防水性能のきちんとしたレインウェアを着ていたどうか、レインウェアの下に保温用のインサレーションを着ていたかどうかだったといって過言ではないそうだ。全員ゴアテックスまたはそれに準ずるレインウェアを着ていたらしいのだが、ウェアがきちんとメンテナンスされていなかった人が命を落としているのだということだった。私もそれなりに何年も山をやっていて、自分ひとりである程度あちこち行けるようになって経験値は上がっているけれど、持ち物は確実に古くなっていて、状態が悪くなっていることにはなかなか気付けていなかった。私は何かと物持ちが良くて、色々なものを大切に、長く使うようにしているのだけれど、それらの道具がきちんと性能を発揮できない状態になっているのであれば、メンテナンスをしたり、それでもダメな場合は買い替えたりするべきなのだろう。道具は飾りではないし、登山用の服はファッションではない。いずれも自分の命を守ってくれる大切な山行のパートナーだ。これから先、手元にある道具や服はどんどん古くなるけれど、常にコンディションを見て、メンテナンスをして、ダメな時は見切りをつけながら、自分の山行に最も相応しい道具や服と一緒に山に行きたいと思う。
北海道は広くて、山のスケールも大きくて、そして初めて入るには勝手が分からなさすぎて、土地勘もないし、山ではトレイルの具合がわからないし、下界に降りてもバス・電車の様子がさっぱりわからなかったけれど、色々な人に助けられてなんとか旅を終えることができた。こんなに長いこと停滞するのは初めてだったけれど、とにかく安全に下山することだけを第一に考えて行動できたのは良かったと思う。あと、以前持っていたラジオを失って以来、長いこと手元にラジオがなかったのだけれど、今回の夏休みの1-2日前に思い立って突然買いに行き、それを持って行ったのも本当に良かった。もっと天候が悪くなったらマズイ、と思って予報もわからずに突っ込んでいたらきっと大変なことになっていただろう。ある程度先が見えていて、この日になったら動けるだろう、という見込みがあったからこそ余裕をもって停滞できたのだ。
とりあえず今回は事故なく山行を終えることができたので良い夏休みだったとは思うが、次行く時は是非トムラウシを含めた縦走コースを踏破してみたい。しかし改めて思うのは、天気、日程、アクセス、色々な意味で、多くの人にとってトムラウシは遠く深く憧れの山なのだろうなということだ。きっと事故で命を落とされた方々も、長く憧れてやっと到達した場所だったに違いない。そしてきっと、亡くなった誰もがお天気のいい日に歩きたかったなと思いながら意識を失っていったのだろう。ショッキングな事故だったけれど、今こうして幸運にも山に行ける私達が事故から学べることはまだまだたくさんある筈だ。
道程の後半で山以外の要素が混ざってきて、ブログとしては若干収拾がつかない感じになってしまったけれど、色々なことを考えさせられた旅となった。とにかくあれだ、山で死んだらいけない。無論、下界で死んでもいけない。