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■A4富士見茶屋~A5和田峠 118km
勝手知ったる城山を登って天狗様にご挨拶、ベンチで少しだけ脚をあげて休み、いつ来ても水浸しの日影沢林道を下る。転びたくないし、飛ばすと前腿が死ぬのでゆっくり進んでいたが、誰にも追い付かれないし当然誰にも追い付かない。途中鼻血が出たりなどしつつ、水場ではコップ1杯ほどの水を飲む。山の水は飲んでおいた方が元気になれると信じているのでね。それにしてもスタート時からずっと思っていたけれど、荷物が軽いんだよね。私は縦走の時はおろか走る時でさえも荷物が重いだけに、水とレインウェアと行動食とヘッドライト+α程度の荷物で走っていると実に軽くてそれはそれは本当に楽だなと感じていた。100マイルレース前の練習量としてはそんなに多くなかった筈なのにここまで走ってこられているのは普段の荷物が重いお陰かもしれない。
久々の城山山頂なので天狗様とツーショット。 撮った後、あまりにも顔が死んでいるのに気付いたけれど撮り直すほどの気力もなかった |
まもなくA5和田峠だ。初めて奥久慈トレイル50Kを走った時、高尾エリアの友人らと一緒に和田峠で練習をしていた時期があったのだが、まさかそれから9年後にこんな形で再びここに来ることになるとは思ってもみなかった。というか和田峠ってこんなところだったっけ。A5に到着すると蛍光灯が眩しく、そして笑い上戸なボランティアの女性の止まらない笑い声になごむ。何にツボって笑い続けていたのかはわからないけれど滅茶苦茶癒された。そしてみんなが優しい。激しいスポーツの最中なのに、穏やかな時間が流れる。
鶏粥エイド到着! |
エイドのご飯がどんどん胃に優しいメニューに変わっていくw |
■A5和田峠~予備関門・今熊山登山口~A6十里木 134km
さあ南側のループも残り僅か、和田峠を出発し再び醍醐丸へ戻ってきた。この時の醍醐丸の道標を私は一生忘れない。やっとここまできたんだ!「これでまた南ループに入ったら無限ループ過ぎて死んじゃうよね」とか言って笑っていたのに、この時彼女と私は二人して南ループの生藤山方面に向かってしまったのはここだけの話。無限ループしたいんでしょうかね・・・ある意味眠気によって引き起こされたリングワンダリングとでも言うべきか(すぐ気付いて引き返したけど)。
このレースを走っていない人から見たらなんの意味もなさない普通の道標、 しかしこのレースを走った人ならわかる、大きな意味のある道標。 |
それでも下り切るまで私は周りの人より多少速いペースをキープできていたのだが、下りきってからは違った。皆歩くのが速く、何なら走り出す人までいた。いやいや、発電所脇のこの林道、登りだよ!?皆全然脚が残っている。闘い方が判っている人達はきちんとここまで脚を温存しているから所謂「脚の売り切れ」を起こしていないのだろう。流石すぎる。私はといえば、坂を走って登るような気力や体力は既に無く、走れないこともない平地や下りをきっちり走ることもなく怠けながら進んだ。発電所の後再び山に入り、武蔵五日市方面に行かずに分岐を左へ進むと十里木方面に抜けるのだが、ここも過去散々歩いてきていたのにこんな風に道が繋がっているとは知らなかった。この区間も地味に長く、私は下半身をショッキングピンクで統一した男性と2人で歩みを進めていたが、彼は途中で眠くなって眠ってしまったので私は一人で山を抜けて十里木に向かった。私は十里木のすぐ手前のコンビニはスルーしたが、発電所あたりで私を引き離していった人の集団は丁度そこで買い物をしているところだった。何時間か前に離れ離れになった彼女もまだいたので追い付いたけれど、その後一緒にA6を出発することはできなかった。私の調子がおかしくなってきたからだった。
■A6十里木~A7都民の森(トチノキ広場)152km
A6十里木をでるとすぐ高明山の激登りが始まり、腹痛は収まったがそれと引き換えに吐き気が酷くなってきて嘔吐(えず)くようになってきた(えずく、って嘔吐くって書くの今初めて知ったw)。登っていると胃が押されるような体勢になるからか非常につらい。いっそ吐いて楽になりたい。というか吐かせて欲しい。どうやったら吐けるのか教えて欲しい。しかし全く吐けない。下痢止めに続いて今度は胃薬系を漢方と西洋医学と両方放り込み最早薬漬け状態。カフェインで麻痺していただけなのか日が昇って明るくなったからなのかわからないが眠気はあまりなく、しかし気持ち悪い時は横になると治ったりするという話を聞きかじったことがあったのでベンチを見つけては横になったりしてみた。全然良くならなくてやりきれない。気持ち悪いなと少しでも思ったらすぐに薬を!と言われていたけれど、予兆なく吐き気がやってきたのでもうどうにもならなかったし手遅れだったのだろう。しんどい。しんどい。どんどん後ろから人がやってきては抜いていく。男性も女性もいる。順位はどんどん下がっていくけれどもうそれどころではない、自分との闘いだ。しかし気持ち悪いからと言って何も食べずに進める距離でもないので、残してあったTop Speedとアミノバイタルのジェルを1本くらい飲んだのだったと思う。Top Speedは600円以上したし、これ飲んでから吐きたくないなぁとかしょうもないことを考えていた。
あれこれ喋りながらスイーパーとH氏と4人で降りてくると13:30過ぎにA7に着いた。結構余裕があるじゃないか!とホッと胸をなでおろす。和菓子エイドとのことでここではわらび餅とだんご汁(あんこの入ったお餅が麺つゆみたいな汁の中に入ったもの)、コーラなどを頂いた。吐き気が完全におさまった訳ではなかったが食べることはできるようになっていたので元気も出てきた。残りもあと少しなので休憩は手短かにし、46時間台でのゴールを目指して出発した。それにしてもA6十里木に45時間想定のタイムで到着していたのに、A7都民の森に着いた頃には47時間想定のタイムまで落ち込んでいた。仕方がないとはいえ再び大失速。
■A7都民の森(トチノキ広場)~FIN奥多摩運動公園 159km(171km)
H氏より先にA7を出発したものの、下りの脚が残っているH氏にはすぐ追い付かれて追い抜かれ、そしてまた私が追い付いたりなどを繰り返していた。舗装から砂利の林道に入る手前の立哨で友人のO氏がいたので暫し談笑。
眠くて日の光が眩しく、写真を撮っても全然目が開いてないw |
スタート/ゴールがこの急坂の上なので、最後までまだ登らされてうんざり。 もう走らんw |
終わったーーー! |
ありがとうございました! |
相変わらず私の目はあまり開かないw(眠い)
参加賞は350mlくらいのスープジャー。持っていなかったのでちょっと嬉しい♪ 体の前側につけていたゼッケンはA1御岳の時点ですでに汗でボロボロだった |
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私はレースの時のメンタルが強く、多分自覚している以上に人からそう言われる。今回も、吐き気がある中でよくここまで耐えたね、というようなことを人から言われたけれど、自分としてはリタイヤするほどの吐き気ではないと思ったし、ラスト30kmでリタイヤするほどの吐き気ってどんな吐き気だよと思う。吐けなかったからこそカップヌードルのカロリーが体内にとどまってゴールまで進むためのエネルギーが足りたのだろうし、なかなか効かなかったとはいえ胃薬とかが効いてくれたのかもしれないし、はたまたちゃんとどこかで眠っていればこんなに気持ち悪くならなかったのかもという気もするけれど、眠っていたら関門に引っかかってゴールできていなかったかもしれない。たらればを言い出してもどうしようもないのだけれど、私の周りにいる一部の100マイルレースジャンキーな人達は、こういうPDCAをまわすことに快感を覚えたりしているのかもしれないなと思った。こりゃ頭脳戦だわ、事前の準備も緻密にやらないとすぐ破綻するし、レース中も今回のようにマーキング無しだと終始頭使いっぱなしだもの。因みに、ルートファインディングに頭を使うから眠くなりづらいんじゃないかなとか思ったりもしたけれど結局普通に全然眠かった。
次にまた100マイルを走る時には、最後の舗装路を軽々と走りきってゴールしたいなぁと思う。しかし準備を始めてから本当にいろんなことを考えたり、買ったり、コース分析したり、カフェイン抜きをしたり、お酒を抜いたり、ローカーボにしたりカーボローディングしたり。長いようで短い2ヶ月だったなぁ。ずっとずっとレースのことを考えて過ごしていたような気がする。ゴール直後の強烈な感動ではなく、長く尾を引く多幸感が今もまだ続いていて、きっとこれは準備期間と本番を含めた時間が長かったからこその長い幸福感なのだろうなという気がしている。木が大きく育ったのは、深く深く根を張っていたからだ。
CT0.57で進み続けるだなんて、完走可能性は3割くらいか、多く見積もっても5割くらいかもしれないと思っていたけれど、私はもっと強かった。自分を低く見積もりすぎていたのか自分に少し申し訳ない気持ち。本当に完走したんだろうかと今でもちょっと信じられなかったりもするけれど、本当に完走したんだよな。私は今じわじわと幸せだ。
結局行動食はジェルとアミノバイタルの顆粒、グミ中心でした。 あと、低GIアップルハニーをスポドリで溶いたものが滅茶苦茶美味しかった! 尚、走ってるとやっぱり柿ピーは欲さない。 |