2017/07/16

20170715-17_分水嶺トレイル(ソロ・Bコース)後編


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水とエネルギーの補給を済ませ、甲武信小屋を5時半頃に出発したのだったと思う。ペースは落ちてきていたが、前半に作った貯金のお陰で、その時間を食いつぶしてもまだだいぶ余裕があった。しかし、富士見の登りにさしかかるとなぜか脚が前に出なくなってきた。ペースが極端に落ちている気がするが原因がいまいちわからない。眠いと口に出してはみるものの、実際は眠い感じはそれほどないし、脚も痛くなく筋肉痛もあまりない。となると矢張り普通に考えてこのペースの乱れは疲労からくるものなのだろうか。

抗いようのない眠気が訪れて、それでも動かざるを得ない時のためにと思って、カフェインの錠剤を持参していたのだが、眠くないときにカフェインを摂ってはいけないなんてルールはない。単に集中したいという時にも摂って良い筈だ。実際、トレランのレースの時はカフェイン入りのジェルをそういう目的で摂取している。本当は、眠気が錠剤で吹っ飛んだ!みたいな感覚をギラギラ味わいたかったのだが、なんだかこのままだと歩きがダレるなと思って、集中力アップのために錠剤を飲んでみることにした。効果は6時間とのこと。錠剤を投入した富士見の山頂あたりでは、サキさんのお友達が逆走で応援ランをしているのに出くわすことができた。

この区間は、事前に試走をしてあったし、しかも試走をした時は残雪が凄くて踏み抜き地獄だったので、それに比べたら雪もないしきっと何の問題もなく通過できるだろうと思っていたが、違った。とにかくきつい。特に、想像以上にきつかったのが国師ヶ岳の最後の登りだ。偽ピーク的なものが何度も続いて、山頂かなと期待させては裏切るというのを数回繰り返す。あまり疲れていない時に登るとそこまでしんどい感じはしないのだが、疲れた状態で登るのは本当にしんどい。というか、どこを歩いているかは関係なくて、単純にここまで疲れた状態で山を登っているというのが初めてなんじゃないのかという気がしてくる。もうひたすらつらい。国師まだか国師。しかし、そうこうしているうちに私は少しずつ進めるようになってきた。逆に今度はサキさんが眠気にやられ始めてところどころ止まって仮眠をし始めた。そのまま寝てたら虫に刺されるよ〜と言っても、ちょっとだからーと言ってそのまま座って眠ってしまう彼女。私は何故か細切れの睡眠ができなかったからカフェインを投入したのだけれど、こうやって少しずつでも仮眠が取れるのであれば絶対にその方がいいに決まっている。眠れていいなぁ、羨ましい。サキさんは歩くのが早いので、サキさんが眠っている間私が歩いて進んでいても、必ず私に追いついてしまう。眠らずにひたすら進み続ける私と、進んでは眠り進んでは眠りを繰り返すサキさん。いずれにしても二人ともギリギリのところで闘っていた。国師はまだか。
9:30、ようやく国師ヶ岳の山頂に着いた。もう本当にヘロヘロ。本当に長い長い登りだった!山頂で特に何をするわけでもないので、さっさと次の関門である大弛峠へ向かう。さぁ、待ちに待ったカレーが待っているぞ!

木段をテンポよく下ってゆくと35分ほどで小屋に到着した。まだ手持ちの食料はたっぷり残っていた私と、もうほとんどの食べ物を食べ尽くしていたサキさん。二人で小屋のカレーを食べ、サキさんは小屋のお稲荷さんやら秩父B級グルメであるみそポテトやらを調達した。手持ちの食料ではなく私がカレーを食べたのは、矢張り、ホットミールが食べたかったから。ガスを持たない代わり、小屋では小屋のご飯を食べようと決めていた。小屋前に設けられたエイドで無料のお味噌汁とお菓子をいただき、ここではまったりと1時間にわたる大休憩をとることとなった。
ご馳走様でした!
ここでもサキさんは横になって僅かばかりの仮眠をとっていたが、私は相変わらず眠れないのでそのまま座って体を休めることに。エイドのお味噌汁は、切ったネギと出汁を味噌に混ぜたものをお湯で溶かすというお手製即席味噌汁で、お好みで乾燥ワカメを入れることができた。これがまた美味しくて、疲れた体にじんわりと染み入った。エイドを後にするとき、エイドの方がナルゲンボトルにそのお味噌を入れて、冷汁みたいなものを持たせてくれた。その後しばらくの間、摂る水分のすべてがお味噌汁になった。

11:15、大弛峠出発。ここから朝日、金峰、富士見平小屋と人気の高い山々を繋いでゆく。時間帯的にも一般登山客の方もかなり多かったと思う。疲れてはいたけれど、荷物も重くないし、そこそこのペースで登山客の方を抜きながら進むことができた。富士見で入れたカフェインがまだ効いていて、眠気もあまりない。体が疲れて眠気というサインを出すから体は休むことができるのに、眠気というサインを強制的にOFFにしているから、体の疲れだけが先行して不思議な感じがした。体の疲れといっても筋肉疲労とかそういうものではなくて、目の奥が重いといったような疲労だ。本当は閉じている筈の目を無理矢理見えない力でゆっくり開かされているような感じ。
金峰山からの下りで、富士見で遭遇したのとは別の、サキさんのお友達と会う。
写真の中の私達の笑顔は、完全にひきつっていた。もうね、疲れすぎてうまく笑えない。
遠く遠く見えていた五丈石がようやく目の前に現れ、ああやっとここまで来たんだなぁと思うも束の間、まだあと12時間くらいはかかるんだっけと我に帰る。先は長い。

どのあたりからだったかは忘れたが、息が上がらないが故にペースアップできる下りセクションで、私はしつこいぐらいに鼻血が出るようになってしまっていた。この写真を撮ってもらった前後にも鼻血を出していたと思う。自分のこととはいえ、鼻血が出てはティッシュを詰めてしばらく静かにして、止まったのを確認し様子を見ながら再スタートをする、というのを何度も繰り返していると面倒で本当に嫌になってくる。ソロでのエントリーなので、私が鼻血を出したからといって別にサキさんは私を待っている義務もなければ、私にはサキさんを待たせて良いなんて権利もなかったのだが、彼女は私を待ってくれたし、私は彼女に待っていて欲しいと思っていた。普段ひとりで山に入ることの多い私達が、お互いそんな風に思って長いこと一緒に居たのはとても不思議だ。

金峰山から富士見平小屋に至るまでの区間で、私達二人は少しだけ離れた。私が彼女のペースに追いつけなくなる形で、二人の間には距離ができた。富士見平の関門に到着すると、彼女はまだ休憩中だったのでしばらく一緒に過ごしたが、彼女は小屋を出発するとき「地図読みの区間を一緒にいるのはよくない」とか「一緒にいるのはダメな気がする」とか、そんなようなことを私に言い残し、細い肢体でするすると沢筋へ降りて行った。富士見平小屋から瑞牆山へのルートは一旦沢に降り、再びその沢から岩を攀じ登りながら山頂へ向かうというルートを辿るのだが、登りに転じた頃、もうこれは着いていけないし、着いていくべきではないなと感じた。後半戦とはいえ、思っている以上にこの先が長いことはわかっているつもりだった。自分のペースを守った方がいい。

私が彼女と初めて会ったのは2016年のUTMFの会場だった。私と一緒に出場した友人の友人だったのだが、レース前日に道路で一言二言交わした程度。一緒に山に行ったこともなければ、レースで遭遇したこともなく、ただ周りの噂で、強くてマラソンがとても速い人だというのを知っている程度だった。

バラけたらきっと私は負ける。彼女はロゲイニングもやっているようだったので地図読みも強いのだろうと思ったから、予め読図セクションの試走をしてある私が有利であるとも思えなかった(実際彼女がロゲイニングに出る時はペアを組む相手が地図読みに長けているだけで本人は地図読みが苦手であると後で知った)。分水嶺はいわゆるレースとは違った大会だし、順位とかそういうことじゃない。そもそも自分は120km移動するということ自体が初めてだったし、欲を出すようなことでもない。そう分かってはいても矢張り誰かに負けるのは悔しかった。せめて一緒にゴールしたい。黙々とマイペースで瑞牆山を登っていたが、私はサキさんと、もうひとり別の女の人にも抜かれて(この人はAコース・鴨沢からの80kmコースの人だったが)、その差は広がる一方だった。サキさんに離されるのはわかる、でも別の女の人に今ここでこんなに差をつけられるのはちょっとおかしい。脚が思うように前に出ないにも程があるのではないか、そう感じたのは沢から瑞牆に向かう登りに入って10-15分くらい経過した頃だったかと思う。体が本当に鉛にように感じられ、呼吸をしても思うように肺に酸素が入らない。はたと気付いて前回カフェインの錠剤を飲んだのがいつか考えてみると、ほぼ6時間前。そうか、カフェインが切れたのだ。眠いのだ。慌てて錠剤を摂取すると、そこから10-20分くらいでカフェインが効いてきた。登りが下りに転じる少し手前くらいから再び体が動くようになり、頭が冴えてきた。わかりやすいなぁ・・・。サキさんとの登りのスピードの差を目の当たりにして、これが実力の差なのかとかなり凹んでいたのだが、これは眠気の差だったのだ。うーん、眠くなければ着いて行けたのだろうか・・・いやしかしそれだけでもないような。
瑞牆山の山頂は踏まなくてもよいので、そのままスルーして不動沢へ下る。このとき既に16時半過ぎ。このあと沢へ出るあたりからが今回の分水嶺の最難関、読図セクションだ。読図セクションに突入する直前の林道で、絶対に追いつかないと思っていたサキさんらしき姿を見かけたが(本人ではなかったかもしれないが)、読図セクション手前だったのでそのまま静かに森の中へ入ることにした。試走で突入した極めて薄い踏み跡を辿り、ふかふかの土に靴をうずめながら沢に向かう。沢を渡る頃、雨足が強まり土砂降りになったが、すぐ止むだろうと高を括っていたら案の定すぐ止んでくれた。廃道のような林道を進んだ後で尾根に乗り上を目指すと、フシノソリと石ッコツの間のコルに出た。

この先、石ッコツから信州峠の間の下りあたりで完全に日が暮れてしまい(暗闇で鼻血を出したりなどもしつつ)何も見えず苦労した。しかし試走してあったのと、試走の際注意が必要だと思ったポイントにはGPS上でピンを打っておいたのでそれが助けになった。それでも、昼間の試走で注意が必要とも思わなかったようなところで迷ったりしたのでだいぶ時間がかかり、結局笹薮の中をうろうろしている間にあっちこっちから色々な集団が現れて合流し、20:50に信州峠に着いた頃には結構な大所帯になってしまった。その中にサキさんもいた。追いついたのか、それとも私が追い抜いてから再び追いつかれたのかよくわからなかったが、私達は再び一緒になった。時間的にはCTの0.7、4時間睡眠で20:12着予定だったので、そこまでのビハインドでもない。たしかここで最後のカフェインを投入したんだったと思うが、ちょっと記憶がない。逆算して5-6時間あれば、ゴール後眠れるだろうと踏んでここで飲んだのだったような気がする。

サキさんより少し先に信州峠を出発し、まずはひとつめのピーク横尾山へ向かう。信州峠から先は歩いたことのないルートだ。瑞牆〜信州峠間の試走に行ったとき、峠で出会った家族連れはちょうど横尾山から下りてきたところだったのだが、初めての登山だという幼稚園児くらいの子供もいたので、ここはメジャールートだしきっと普通の里山だろうと思っていた。ところが、尾根にあがる手前の斜面がまるで壁のようで「殺す気か!!!」と言いそうになった。この期に及んでこんな斜面なのか。

斜面に張り付いている間にサキさんと、瑞牆山で見かけたAコースの女性が追いついてきた。横尾山をすぎて飯盛山までは再び破線ルートとなるが、瑞牆〜信州峠の一部が無線ルートだったことを考えるとまだマシだろうと思っていた。しかし、無線だろうが破線だろうが、歩きにくさわかりにくさの傾向はそれぞれというもの。この破線ルートはひたすら笹などワサワサしたやわらかい草の藪だった。背丈を越えるすすきのようなものに覆われたところもあれば、膝下くらいの高さの笹もある。ヘッドライトの明かりが葉に当たって跳ね返ってきて眩しいとか、足元が見えずに、横倒しになった枯れ木や横に這った丈夫な茎などに足をとられることも屡々だった。それと、これまでずっと元気だったサキさんがとうとう眠気で体力を奪われてぼうっとし始めたのが印象的だった。ここへきて、女三人が口々に「眠気はヤバイ」「息が吸えない」「肺に酸素がこない」というトークを繰り広げた。それまでは、私が体力的に劣っていてまだまだ弱いから息が吸えなくなったりしてしまうという、もしかしたら特異なもので、サキさんはそうはならないんだろうなぁとずっと思っていたけれど、彼女は眠気に対する耐性が強かったのと、眠い時に興奮を抑えてきちんと眠れていた(もしくはあまり興奮していなかった?)のとで、眠気によるダメージをここまで受けていなかったというだけなのだ。まさかとは思ったけれど、きっと普通の人はみんな眠すぎると息が吸えなくなるのだ(たぶん)。こんなの初めてだ。

眠いサキさん、あまり山歴がないから先頭は歩けないというAコースの女性(これだけ聞くと、どうしてソロにエントリーできたのか不明・・・)の二人を従えて、藪漕ぎセクションではずっと先頭を歩いた。暗闇にうかぶ草の谷のシルエットを辿り、足裏の踏み心地を確認しながら進む作業は結構しんどかったが、後ろに人が居ようが居まいがあまり関係ないので黙々と進んだ。途中明るい時間帯に自分を引っ張ってくれていたサキさんへの恩返しができるのかなぁというような気もしたが、まぁ彼女は私がいなくてもこのセクションを一人でも歩けただろうから、自分が居た価値があったかどうかは謎だ。

平沢牧場付近では雨も降ってきて寒かった。途中で合流した男性の道案内に惑わされたりもしたが、なんとかはるばる飯盛山の分岐まで辿りついた。飯盛山は、大会で定められた電話連絡ポイントのひとつで、それ以外は甲武信ヶ岳、金峰山でそれぞれメール連絡をすることになっている。このときその男性も含めて4人で居たので4人まとめて連絡を入れたが、特に「誰が着きます」という報告は必要ないようだった。

ここからゴールの平沢峠まではCTで45分でメジャールートだし、全く心配もしていなかった。しかし最後の登り(平沢山)があるはずなのに下りすぎじゃないかとAコースの女性が言い出し、方角とGPSを確認してみると確かに向きが違った。もっと下りた後じゃなくて良かった〜なんて話をしながらとりあえず元の場所へ戻ってみるものの、正解がどこなのか、道の入り口が全くわからない。道がある筈の場所に道がない。暫く右往左往して見つけたルートには入り口がなくて、なにやら別のどこかから繋がっているようだった。こんな道ってあり得る?でも絶対ここだよね、と行って道を進むとようやく「しし岩」の文字。この道は平沢峠・獅子岩に続いている!後少しだ!
暫くするとAコースの女性が「眠いしもうここまでくれば安心だから寝ていく」と言いだして道脇に寝床を作り始めた。えー、もう少しなのに?と促したが、もう少しだけど、別に急がないし、寝たいというのでサキさんと私は再びゴールを目指した(あとでわかったことだが、この人がもしここで眠らずに下ればAコースソロ女性の優勝だったw)。途中、離れたりくっついたり、他の人が加わったり、大所帯になったり、そしてまた小さなパックになって、最終的には二人きりになった。後になってサキさんから「(瑞牆山のあたりのことを指して)待っても待たなくても私たちどのみち同じようなペースだから、先にいってもまた会うだろうなと思って」とメールを貰った。自分よりすごく速いんだろうと思っていた彼女からのその言葉、なんだかとても嬉しかったし、きっとやっぱりこの時は全体的にペースが似ていたのだろう。飯盛山の道迷いが影響したため、飯盛山からの所要時間が想定以上にかかってしまい、タイムは51時間、時刻は3時丁度だった。予想タイムは、よくて50時間だろうと思っていて、予想の本命はCT0.7掛け、仮眠2回の50時間55分としていたから、途中のペースの波があったとはいえ、トータルでの誤差は僅か5分だったと言える。タイムは振るわなかったけれど、なんというか、この予想タイム通りに到着したということは自分的には凄かったなぁと思った。

平沢峠のゴール地点は一般登山客の方も普通に利用されているので、誰かがゴールするときだけ横断幕が手動で出てきて、それ以外は端っこに寄せられている。ゴール後は大会本部からビールかコーラが進呈されると聞いていたのだが、きっと疲れすぎててビールどころじゃないかもしれないよねーなどとサキさんと話しながら下山していた。結局はビールをプシュっと。半日くらい前にゴールした女性ソロBコース1位と思われた人はコースアウトをしていて結局参考記録にしかならず、サキさんと私が1位であると知らされた。こういうこともあるんだなぁ。一気に酔いがまわり、ぐるぐるふわふわしながらツェルトを立て、臭い臭い靴下を外に脱ぎ捨てて就寝。興奮していてしばらく眠れなかった。

翌朝。主催の武田さんと記念撮影。
目がさめると、まわりにたくさんあったみんなのツェルトはきれいにひとつもなくなっていて、皆帰った後だった。ツェルトの中がうだるように暑くなってきて目を覚まし慌てて撤収すると、早々に怪我をしてリタイヤしていたチームメイトのOさんがスイカを持って応援側に回っていた。特に急いで帰る予定も何もなかったので、のんびりと応援をしながらスイカをいただいて帰路についた。

長くて長くて長すぎて、似たような道が延々続いて飽きてきて、それでもタイムアウトにはならないしリタイヤするほどのトラブルにも見舞われていないから進むしかない。ガツガツ進んで120km歩き通せる自信もないから、ほとんど走ることもなく、全体的に抑えめでいかなくてはならない我慢大会のような感じがしたこの大会。一度出場したからといって次回の大会が全く同じコースというわけでもないので今回の教訓がまるまる生きる訳でもない(ちなみに次回は後半がかなり変わるらしいとすでに発表されている・・・)。しかし、これまでの縦走や山行がそのまま生きたような気がしたのは確かで、大会の後ほとんど全く筋肉痛が出なかったことにはとても驚いた。体力的には無理せず淡々と進んでいただけで、眠さに抗ってまで歩いていたことによる疲労こそあったけれど、それ以外の疲労はなかったのだ。普段やっていることを、ただ夜間も止まらず歩くというイレギュラーを加えただけで、お金を出してやることなのかというと少し疑問もあるけれど、このルートを個人的に夜通し歩いて51時間で歩くなどということはきっとしないだろうから、それだけでも大会に出る価値はあるのかなと思った。こうでもしないとこのルートをこんな短時間で歩けないし、かといって長い休みがとれたらもっと他のところに行ってしまってここを歩くチャンスはなかっただろう。

次回またこの大会に出場するかどうかは分からないけれど、直後に感じた「もうしばらくはいいや」感は大分薄れてきているので、もしかするとまた出るかもしれない。でも連休だしどこか普通に縦走に行きたいような気もする。とりあえず、お疲れ様でした!




20170715-17_分水嶺トレイル(ソロ・Bコース)中編


酉谷で追いついてきたイケダさんは、私より後に酉谷を出発したけれど途中で私を追い抜き、雲取山荘で今度は私が追いつき先に出発したけれど、山頂に着くまでにまた追い抜かれた。私が山頂を過ぎた頃、鴨沢からスタートのAコースのトップ選手が石尾根からあがってきて私を追い抜いた。私とイケダさんはしばらく一緒に走っていたが、イケダさんのペースについていったら私は潰れるだろうなぁと思い、ついていくのはすぐ止めた。

Aコースのトップが来たのであれば、そろそろカノッチが上がってきてもおかしくはない。しばらく気にしながら進んでいると、薄暗いトラバースの途中で後ろからカノッチがくるのが目に入った。二言三言交わし、先に行ってもらったが、このあと暫くの間ぽつぽつとAコースの速い人達に抜かれる時が続いた。自分のペースが落ちてきているんだろうかと不安になるのだけれど、Aの文字が書かれたゼッケン代わりの札を見てほっと胸を撫でおろす。

山荘到着から休憩込み3時間弱で飛龍権現を通過。前飛龍のあたりの景色の良いところは通過しないので特に面白味はない。淡々と進んでいるので眠くなりそうなものだが、特に眠気もない。途中、ヘルメットを被りハーネスをつけたおじさん二人組と抜きつ抜かれつを繰り返しながら将監小屋へ向かっていたのだが、どこの沢に入っていたのですかと聞くと飛龍界隈で行方不明になっている方の捜索に出ていたののことだった。

将監小屋は特に立ち寄らなくてはならない小屋というわけではなかったが、おそらくほとんどの人が水補給のために立ち寄っていたと思う。時刻は16:55、多くの選手で賑わっていた。イケダさんにまた追いつき、再びサキさんに追いつかれて、Aコースで参加のハルオさんもやってきた。なんだかんだ知り合いに殆ど会っている。皆そこそこペースに差があると思うのだが、それでも不思議と会いまくる。私は捜索にでていた小屋の方から冷えたプラムを頂き美味しく頂いた。もうひとつ食べなよと言われて食べそうになったが、プラムって繊維多かったよなぁと思い返して食べるのを止めた。お腹をよく壊す私がレースの最中に食べるには危険すぎる。食べたい気持ちをこらえ、水を汲んで飲んでトイレ行って出発。ここから尾根に戻る登りがまたスキーのゲレンデを登るようでえぐい。
将監小屋でハルオさん捕獲
ハルオさんが出発して少ししてから私も出発したが、速くて全然追いつかず、結局それきりゴールまで一度も会わなかった。そしてついに山ノ神土の分岐から尾根へ!
これまでは山ノ神土からトラバース道を行けば良かったが、今回は崩落のため赤矢印をつけた尾根ルートと
なった。笠取山の山頂は踏まなくて良いし笠取小屋に寄らなくても良い。
この界隈は、バリエーションルートの宝庫である和名倉山を絡めてしょっちゅう来ていた時期があったのだが、山ノ神土と将監小屋のあたりまで来たのは今回久しぶりだった。当然トラバースルートしか歩いたことはなく、尾根を行くのは初めてだった。そりゃ高いところへ登るのだからトラバースよりはきついだろうとは思っていたが、そのキツさは想像以上で本当にうんざりしてしまった。将監小屋の少し手前あたりから似たようなペースで歩いていた北海道のお兄さんと抜きつ抜かれつで歩いていると、後ろからサキさんが迫ってきて、そのまま暫く3人で歩いていた。どの辺からだったかはもう忘れてしまったが、なんだかもう虫が多くて鬱陶しく、ハッカスプレーを頻繁に噴霧しながら歩いた。色々と面倒くさく気怠い感じになってきて、握力が落ち、ストックを握りしめるのも億劫で、一度トレイルを外れて下へ落としてしまったりもした(降りて取り戻した)。特に景色が良いわけでもないその道は想像以上に長く辛く、トラバース道と同様に崩落が激しかった。崩落箇所はほとんど上から巻くような形でトレースがついていて、いちいち物凄く高いところまで這い上っては降りてくる、というのを繰り返し繰り返し強いられた。いつの間にか北海道のお兄さんには置いてゆかれ、私とサキさんは二人きりになった。黒槐をすぎて下りきったあたりだったと思うが、彼女と私は一緒にヘッドライトを装着し、カロリーを補給し、夜間セクションに突入した。多摩川の最初の一滴は残念ながら出ていなかったが、かろうじて水干の写真を撮影し先を急ぐ。
今思い返すと、やっぱり黒槐の尾根上にいた時は疲労が出ていたのかもしれない。
雁峠分岐を見落として一度笠取小屋まで降りてしまったが、再び石畳のような道を登り返して雁峠へ。休憩でもないのにこれで30分のロス。ここまでノーミスだったのに時間的にも体力的にも勿体無い・・・

20:00、雁峠に到着。想定していたタイムと比較して遅くはない。とはいえ、途中までCT×0.6より大分速いペースだったものが、ここへきて0.6より遅くなり始めているのは理解していた。この場所にこの時刻なら、このまま雁坂峠まで行ってしまっても悪くはない。
0.7で歩いていると雁峠に着くのは22:30のはずだった。眠り始めるのを21-22時台に設定して予定を組んでいたので
20:00に眠り始めることには若干の抵抗が。まだ頑張れるんじゃないのか?
地図を見ると先は長い。雁坂峠までは0.7で歩いても2時間はかかる。間には燕山 (P2004)、古礼山 (P2112)、水晶山 (P2158)とピークが3つもある。しかも山の名前が北アルプスの燕岳や水晶岳とダブり、キツそうだなというイメージしか湧かない(きっと北アとは全然関係ないけれど)。もう歩き始めてからかれこれ20時間も経つし、まぁ仮眠とるのもアリか・・・ちょっと早目だけど・・・でもこれから休まずにまた山3つも越えるのしんどいだろうし・・・。全然眠くはなかったのだけれど、少し体を休めた方が良さそうだなと思ったので、サキさんと相談の上で一緒に3時間ほど仮眠をとることにした。幕営地以外でのシェルター設営は禁止されていたので、雁峠の大きなベンチを一人ひとつ使い、ベンチの上にマットを敷いて簡単な寝床を作ってから、体温をあげるためにまずは食事をした。私はカモシカの山飯(水不要の揚げご飯。カリカリしている)を少し、サキさんはビバークレーションを。食べ終えて、これまでずっと心臓より下にあった脚を心臓と同じ高さへ持ち上げると、もうそれだけで脚が全然違った。疲れが抜ける感じがした。

あまり風のない夜だったが、それでも峠は風が抜けて寒い。シュラフも防寒用のダウンも持参していなかった私は、キャプ4とレインウェア上下を着てエマージェンシーシートに包まっても寒く、さらに上からツェルトを被ったがほとんど眠れず、幕を結露させただけで3時間経ってしまった。サキさんはシュラフもダウンもあったので、どうやらちゃんと熟睡していたらしい。羨ましい。。。荷物を軽くすることによる睡眠の質の低下。このあたりのトレードは経験値なのか。というか、眠る場所をもっと選べばよかったか。。。

23:20になり再スタートをすると、懸念していたキツい登りが我々を待ち受けていた。いやぁ、やっぱり一旦寝て良かったよ!とかなんとか言いながら再び歩みを進めたが、眠れなくても休む前後での脚の軽さが全然違うのがわかった。変に頑張って雁坂峠まで歩いていたら、逆に余計に時間がかかってしまっていただろう。実際、雁峠から雁坂峠に向かう途中で行き倒れてシートに包まっている人を何人も見かけた。

いつ頃からかは忘れてしまったが、私は食べ物をあまりきちんと食べられなくなっていた。逆にサキさんは食べるペースが早すぎて、最後まで行動食がもたないかもしれないと心配をしはじめていた。雁坂峠は関門だし、雲取みたいにカップヌードルとかまた置いてあるかもしれないよ、と話をしていたが、地図をよく見ると峠と小屋は少し離れていたので食べ物補給の望みは消えた。

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7/16 (Sun)
1:06 雁坂峠の関門に到着。数名がシートに包まって眠っていた。
食べ物はやっぱりなかった・・・
仮眠という名の休憩で完全にライフが復活し、1時間46分で雁坂峠に到着。眠れなかった割にまったく眠くない。一体このままいくといつ、眠気がくるのだろう。私は日常生活における眠気の度合いが人一倍強く、しかも一度眠ると起きられないので、こんなに運動した後の抗いようのない眠気って一体どれほどなのかと想像すると少し恐ろしくもあった。死んだように眠って、眠り呆けて、タイムアウトするんじゃないだろうか。サキさんには先に行ってもらうしかなくなってしまうのではないだろうか。自分で自分に不安がよぎる。

雁峠も雁坂峠も、確か水の補給はパスしたんだったと思う。次に目指す大きなピークは甲武信ヶ岳、甲武信小屋には水があるけれど万が一その前に水が足りなくなったら破風山避難小屋の下の水場に汲みにいこう(片道20分)。でも涼しいしなんとかギリギリ足りるはず!多めに持つのは安心だけれど、少しずつでも荷物の負荷をさげて体力を温存しないと、先はまだまだ長いのだ。我々が眠っている間にAコースの人達が何人も抜いていったようで、通過時刻記入用紙の欄はだいぶ埋まっていた。

ここから甲武信もかなりある。しかも、後になって思ったが、雁坂峠から甲武信ヶ岳の間って今まで歩いたことがなかったかもしれない。西沢渓谷側からナメラ沢という沢を詰め上がってどこかに抜けたことはあった筈だが、この稜線を歩いたのは今回が初めてだったような気がする。ひたすら真っ暗、しかもなんだかAコースの人達のボリュームゾーン的な位置だったようで人とよく会ったし、場所によっては詰まったりもした。月は明るかったが木が生い茂っていて森の中は暗い。東破風山から先は岩場になって、まるで小さな金峰山みたいだった。サキさんもこのあたりは過去に来たことがなかったのか、それとも記憶がなかったのか、「破風って、こんな山なんだっけ??」とそればかり言い合って進んだ。夜間の岩場はいつも不気味で怖い。

3:30、ようやく破風山避難小屋に到着。まだ外は暗い。小屋を見ても記憶がないということは、おそらく本当に私はここに来たことがなかったのだろう。避難小屋を見て、ああこの中で眠ったら寒くなかったんだろうなぁと咄嗟に思ってしまったが、それでもまだ私は眠くなかった。眠くなくても条件のいいところで効率よく質の良い眠りを確保する技術というのも、ロングレースを闘い抜くために必要なものなのだろう・・・(とはいっても一般登山客で満員の場合は小屋は使えない。そのあたりの見極めは難しい)。

水はまだ残っていたので、水場へ降りずにそのまま甲武信小屋を目指す。この登りをやっているうちに空が白み出した。丁度サイノ河原のあたりだったのだろうか、後ろを振り返ると、これだよ・・・
一気に疲れが吹き飛んで体が朝に切り替わる。夜通し歩いていようがそんなことは関係ない。不思議なもので、人は朝がくると体が朝になるようにできている。この人の体の仕組みは、体が疲れていればいるほどよく機能するように感じる。こんなに僅かな太陽の光にも反応して鳥が囀り始めて、つられるようにしてたくさんの鳥が歌い出して、あっという間に賑やかになる。朝がきたんだ。

別に生きるか死ぬかのレースをしている訳じゃない。でも何故か、嗚呼、生きている、生きて朝が迎えられたんだ、と、太陽の光を受けたときに強く思うのだ。隣りにはずっと一緒に歩いてきたバディもいる。色んなことを思いながら、否、何も思わずに、ただただひたすらにひろがりのあるこの世界を感じ揺蕩うていた。幸せだなぁと思った。
水場!
木賊山なんて登らず巻道使えば良かったのに、うっかり間違えて木賊山も登ってしまうというミスをしつつもなんとか甲武信小屋へ。あーついた!ちょっと眠いような気がする。サキさんはここで仮眠をしようかと言っていたが、人と虫が多くて諦めたようだった。あまりにも虫がすごくて、私は休憩中バグネットをしていた。甲武信小屋ってこの時期こんなに虫多いのか・・・

虫が多いくせに寒い。休憩していたらすぐに寒くなってきたので雨具を羽織る。なんだかんだここは標高も高いから寒いのだ。
地図チェック中のサキさん(何をチェックしてたんだろう?)
サキさんはカップヌードルのリフィルを食べ、私はアルファ米に水を注いでお米が食べられるようになるのを歩きながら待つことにした。少しわけてもらった温かいカップヌードルとそのスープは本当に美味しくて、わかってはいたけれど、疲れた時のホットミールの偉大さを強く感じた。次にもし分水嶺に出るとしたら・・・火器・・持つだろうか。しかし温かいものが食べたくなったら小屋のご飯を利用すれば良いわけで、とはいえ温かいものが欲しくなった時に温かいものが食べられるというアドバンテージと、その分荷物が重くなるというディスアドバンテージを比較すると、結局のところどちらが正解かはわからないなぁ。。。

後編へつづく

2017/07/15

20170715-17_分水嶺トレイル(ソロ・Bコース)前編

夏休みとかの個人的な縦走だとかそういうのを除いた、「今年の大一番」はトレイルランのレースではなく、2泊3日120km、累積標高12,000mに及ぶ壮大な山旅。小屋のご飯は食べてもいいけれど大会の公式エイドはない。縦走大会と呼ぶ人もいる。普段個人的に行くような縦走との違いは、タイトな制限時間があるということだ。のんびり歩いたり眠ったりしているとまずゴールできない。私の普段の縦走のペースは、長期山行でCTの0.75くらいだが、これはきちんと眠って休んでの速度だから、制限時間64時間のなかでできるだけ早くゴールしようとした場合にどのくらいのペースで進めるかは全く想像がつかなかった。

出発は青梅駅近くの永山公園グランド入口、ゴールは長野県の清里駅近くの平沢峠。眠りもしないのにダラダラと1時間も休憩をしてしまったり、眠くてペースが無茶苦茶遅くなったり、寒くて眠れなかったり、本当に色々なことが起き続けた51時間だった。

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このレースはただ先着順でエントリーできるわけではなく、抽選でもなく、書類選考を通過して初めて出走が可能となる。2017年大会の書類の提出期間は2月初旬〜4月25日、発表は4月末〜5月初旬、実際にメールで結果が届いたのはGWの後くらいだったと思う。まず選ばなくてはならないのは(1)ソロ or チーム (2)84kmコース or 120kmコース の2点。「ソロ・120km」の組合わせはすぐに決まったが、過去の山行記録等を書き連ねた提出書類を作るという作業が割と面倒で億劫だった。こういうことを想定していた訳ではなかったが、山行はすべて ブログの下書きとして保存してきていたため、そのリストの中からいかにもな山行をピックアップして申告することができ、多少書類作成の時間短縮にはなったと思う。とはいえ、提出書類のフォーマットであるExcelは、家のMacには入っていない為、Numbersで作成したものをExcelに変換して提出するという面倒なステップを踏まされたのは残念だった。なんで私Mac使ってんだろ・・
バリエーションルートを含んだ山行の経験を申告するよう指示があったため、いくつかのバリエーションや
沢の遡行記録等を申告。あとはロングルートをソロで歩いた記録や、タフなルートを選んで書いた。
トレイルランのレースの記録は重視しないとの注意書きがあったので完走したレースの名前のみ列記。
レースのフィニッシュタイムなどはおそらく書いても無意味な気がする
準備で最も気を使ったのが装備だ。私はあまりタイトなファストパッキングをしてきていなかったので、ザックやマットなどの装備が足りていなかった。ザックはOMMのClassic25(これまでに2度ほど友人から借りて使ったことはあった)、マットはザックの付属品のマットを使用(硬くて眠れなかった・・・)、ペグ(重くて丈夫なものばかり残っていて、手持ちの軽量ペグはほぼ曲がっていた)を新たに購入し大会に挑んだ。結局荷物はかなりコンパクトに収まってしまったため、荷物の量に対してこのザックは大きすぎたと思う。装備は以下のとおり。重さは・・・量っておりません。

<装備>
ザック:OMM / Classic 25(マットはザックに付属のものを使用)
トレッキングポール:ヘリテイジ / UL trail pole 105cm
レインウェア:mont-bell / ストームクルーザー上下
エマージェンシーキット:自作キット(ポイズンリムーバー、ティックピッカー、固定テーピング用テープ、三角巾、ダクトテープ、ライター、薬類、バンドエイド、コンタクトレンズ予備等含む)
虫除け:ハッカ油+シーブリーズのオリジナルスプレー
寝具:SOL / Heatsheets Emergency Blanket(寝具兼レギュレーションのemergency sheet)
上記寝具用スタッフサック:Jindaiji Mountain Works / キューベン巾着(no name)
防寒: Patagonia / W's Capilene Thermal Weight Zip Neck Hoody
ヘッドライト:Black Diamond / Spot(かなり古いバージョン+ヘッドバンド自作)
ハンドライト:Gentos / 閃SG325
手拭い:TJARオリジナル手拭い
ツェルト:mont-bell / U.L. zelt
ガイライン:Locus Gear / Dyneema Reflective Guyline+Mini Line Lok
ペグ1:アライテント:ライペンスティックペグ
ペグ2:Vargo:チタニウム ウルトラライトステイク
ウォーターストレージ1:Platypus / ソフトボトル1L×2
ウォーターストレージ2:いろはす500ml
ウォーターストレージ3:Nalgene / 広口0.5Lボトル
予備靴下:Bridgedale / ウールのトレッキングソックス(製品名不明)
ロープ:Climb Zone / おたすけ紐ダイニーマ
スリング1:Mammut / Contact Slings Dyneema (8mm)
スリング2:Black Diamond / 20mm幅くらいのスリング(製品名不明)
カラビナ:Wild country / Helium ×2
環付きHMSカラビナ:Mammut / Bionic HMS carabiner ×1
コンパス:Suunto / A10
財布:100均 / 厚手チャック付き袋(suicaならびにレギュレーションの健康保険証含む)
地図:山と高原地図のカラーコピーを必要箇所だけ+バリエーションエリアは地形図
スタッフサック:Ospray / Ultralight Dry Sack 20L
スマートフォン:iPhone 6(安物の防水ケースに入れて)
スマートフォン充電器:cheero / Power Plus 3 mini 5200mAh
時計:Suunto / Core
その他:歯ブラシ、ティッシュペーパーなど

<服>
上:Mountain Hardware / Estero Long Sleeve Zip Tee
上インナー:Finetrack / Floodrush Skin mesh No sleeve
下:Patagonia / Women's Trail Chaser Shorts
カーフガード:C3 fit / Performance Gaiter
ゲイター:inov8 / Race Ultra Gaiter
靴:inov8 / Trail Talon 275 men's
帽子:mont-bell / ストレッチO.D.ハット
グローブ:自転車用の指切りグローブを持参したものの使用せず
テーピング:ニューハレ / ニーダッシュ(前腿の外側に1枚ずつ)、一般的なロールタイプのキネシオを自分でカットし、足首捻挫予防と足裏アーチ確保用に
その他:Buff(夜間はハットを外してヘアバンド代わりに)
食料。写真を撮った後で安心米1、山飯1、カロリーメイト1、ジェル1くらいを削って持参。
さらにここからドライカレー1/3, 山飯少々、アミノバイタル数本、rich green4本、ナッツとカルパスをかなり残した状態でゴール。今回あまり食べられなかった。ドライカレーの下の白いのはプロテインの粉。
ルートはほとんど歩いたことがあったので、本番に向けた試走は3回だけ。まずは長時間行動の練習として西沢渓谷〜甲武信ヶ岳〜瑞牆山間をソロで(GW後くらいに行ったので、途中雪の踏み抜きが激しく大変だった)、次に歩いたことのなかった青梅〜棒の折間をソロで、そしてレースの直前に瑞牆山荘の先の不動沢〜信州峠間をAコース出走のカノッチ氏と(信州峠で豪雨襲来のため試走リタイヤ)。時間がなくて歩けなかったのは瑞牆山〜不動沢間と、信州峠〜平沢峠間の2ヶ所。
スクリーンショットなので見づらいですが参考まで・・・
0:00 スタート(青梅)
2:28 高水山
2:47 岩茸石山
4:20 棒ノ折山
6:58 蕎麦粒山
7:38 一杯水避難小屋 水ほぼ補給できず(無料)
9:05 酉谷避難小屋 水補給(無料)
10:44 長沢山
11:51 芋の木ドッケ
12:13 大ダワ
12:31 雲取山荘(関門)コーラ補給(400円)
15:20 飛龍権現
16:55 将監小屋 水補給(無料)
20:00 雁峠(仮眠)
23:20 雁峠出発
0:43 水晶山
1:06 雁坂峠(関門)
1:46 雁坂嶺
2:30 東破風山
3:00 西破風山
3:30 破風山避難小屋
4:50 甲武信小屋 水1L補給(50円)
7:25 東梓
9:30 国師ヶ岳
10:06 大弛小屋(関門・休憩)カレーライス補給(700円)
11:15 大弛小屋出発 水補給(無料)
12:55 金峰山
14:46 富士見平小屋(関門・休憩)水補給(無料)
15:15 富士見平小屋出発
16:36 瑞牆分岐 不動沢で水補給(沢水)
20:50 信州峠
1:25 飯盛山
3:00 ゴール(平沢峠)

7/14 (Fri)

午後半休を取得。帰りにラーメンを食べて帰宅し、シャワーを浴びて4時間ほどガッツリ仮眠をとる。ラーメン食べてすぐ寝たのに、起きてまたそうめんを200gほど平らげて出発。0時に青梅スタートなので青梅駅には22:40頃到着。コンビニで水その他調達してからスタート地点まで13分ほど歩く。コンビニ前でおにぎりなどを食べる選手も多数。
装備チェック(チェックされているのは私ではありません)
充電しておいたeneloopを持参するのを忘れていたため、装備チェック後に再びコンビニへ向かい、単4電池を調達。ヘッドライトのほかにハンドライトも持っていたので、予備電池のレギュレーション的にはOKだったのだが、自分的には2泊3日を歩き切るには不足であると判断し電池を4本追加。ヘッドライトとハンドライトとバラの予備電池で合計10本の電池を持って出走した。

しばらく雨が降っていないから酉谷の水場も出ているか怪しい、との事前情報があったので、水は3L担ぐことに。これもまたコンビニで追加調達(結局酉谷の水場はドバドバ出ていたけれども)。
集合写真の撮影 
諸々説明を受ける。知り合いが2人いる筈だったのでキョロキョロしてみたが見当たらなかった
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7/15 (Sat)

0時になるとゆるゆるとスタート。事前に調べたところによると「誰も走りださない」とのことだったが、確かに誰も走りださない。とはいうものの、スタートから暫くはゆるやかでほぼ平坦な公園の遊歩道のような道なので、それとなく速い人達が群れとなって小走りになってゆき、あっという間に全体が縦長にばらけた。榎峠に着いた頃にはもう前にも後ろにも誰もいなかった。

榎峠からロードに出て、降ってしばらくすると右折して高水山へ続く道に入る。試走のときは右折ポイントを見落としたので、本番は見落とさないように慎重に進んだ。右折後の沢沿いの道からは、沢の上にふわふわ浮かぶホタルの姿をいくつか見ることができた。それを共有できる友がいる訳でもなく、一人でその黄色い光を眺めながら黙々と進む。

前後にメチャクチャ頑張るタイプの人が必死に走って登って人を焦らせる訳でもなければ、のんびり歩いている誰かがいて安心させてくれる訳でもない。参加人数が少ないので、孤独感はハセツネの比ではなく、ひたすら一人で、しかも夜だ。一晩ではなくこれが二回あるのだ。一体こんな時間がどれくらい続くのだろう?そんなことをふと思ってしまったりして、何を以ってモチベーションを保てば良いのかよくわからなくなってくる。ただただ自分と向き合うしかなくて、そうなってくると気になるのはワサワサと足元に覆いかぶさってくる草と夜露と、なにやら刺してきそうな虫たち、そして蒸し暑さ・・・(つまり不快)。でもまだ元気なのでそこそこ楽しい。

高水山が近づいてくるとちらほら人影が現れる。しかし山頂でのんびりしている人がいたりする訳でもない。皆まだ元気なので全然休まない。オーバーペースなんじゃないの?と他人の心配などしながら自分のタイムを見てみると2:28で自分の方こそオーバーペース。CTの0.6計算でもここに着くのは3:12の筈なのに・・・・。しかしゼーハー頑張りすぎているつもりもなく、ちょっとでもつらいなと思ったらすぐに休んだりペースを落としたり、走っていても少し登りの傾斜が出てきたらあっという間に諦めて歩くといったマイペースを守っていたので、しばらくはこのままペースダウンせず様子を見ることにした。そもそも120kmなんて歩いたことも走ったこともないから、どのくらい体がもつのかさっぱり見当もつかなかったのだが、人からよく聞かされていた「温存」という魔法の言葉を繰り返し繰り返し心で唱えながら進んだ。常に余力を残し、目一杯頑張ることはしない。

棒ノ折山に着くと夜明けは間近だった。金曜日、夕方の仮眠できちんと睡眠時間を確保できたためか眠気は全くない。眠くて眠くて仕方がないと言っていた赤い装備のおじさんは、私を抜いてはしゃがんで眠り、起きて追い抜いては眠り、ということを繰り返していた。15日のお昼くらいまではこのおじさんと抜きつ抜かれつを繰り返していた気がする。
夜明け。この時点で水不足に陥った3人組のチームもいて、山頂で待機していた1人から聞いたところによると、わざわざこの棒ノ折のピークから最寄りの沢へ下りて沢水を調達に行ったとのこと。大変だ・・・
ようやく辿り着いたひらけた山頂ということもあり、棒ノ折では何組もの人が休憩をしていたが、私は特にやることもないのでカロリーメイトを食べて駒を先に進めることにした。とにかく暑くて暑くて全身汗でびっしょり、ランニングパンツから汗が滴り落ちて靴下に流れ込み、靴下が濡れるほどの汗。ランニングパンツが腿に張り付いて股擦れが起きないかも心配だ。次の水場まで水が足りるという保証はまだない。ペースはおろか、水も「温存」したほうが良いと思われる中で、少量の水と流し込むモソモソのカロリーメイトは本当に食べるのが嫌だった。多少重くてもいいから、もっと喉越しのいい水気のあるものも持ってくるのだったなぁと思いつつ塊を必死に頬張る。

棒ノ折〜蕎麦粒山までのルートは多分2-3回通ったことがあると思う。かつては破線ルートだったが今は確か実線ルートになっていたはずだ。直前に誰かが「ここは登りがものすごく急だ」と言っていたのだが、私にはその記憶はなかった。しかし蓋を開けてみると物凄い急斜面が待ち受けていて、なんで私はこんなにもきつい斜面の記憶を無くしているんだろう・・・と自らの記憶力の悪さを憂いた。ちょっとうっかりバランスを崩したらハラリと剥がれ落ちそうな急斜面をグイグイと登り、これでもかこれでもかと続く斜面を登り続けてようやく日向沢ノ峰のあたりに飛び出した。ここから先は多少覚えていた。蕎麦粒山の登りをこなすとようやく水の心配をしなくても良さそうなエリアに突入できたという安堵感で胸を撫で下ろす。山頂で一緒になった2人と少しだけ会話して先を急ぐ。自分はそんなに歩くのが早いわけではないから、それほど疲れていない時はあまり休まないようにしようと思った。

一杯水の水場に着くと、ちょろちょろとほんの僅かに水が出ていた。まだまだ水も残っていたから特にここで水をとる必要はなかったが、少しでも冷たい天然水が飲みたいという思いで少しだけボトルに水を汲んだ。ちょっとだけだったけれどとても美味しかった。なんだかんだ言ってやはり山の水は美味しいし、飲むと一気に力が漲るように感じる。小屋で用を足し、次の目的地は酉谷避難小屋、あの名水の飲める水場だ!かつてこの工場長さんの記事よろしく、私も美味しい水割りを楽しませてもらったあの水場!どうか水が出ていてくれますように・・・

途中、answer4のザックを背負った男性が「女性でこの位置にいるなんて滅茶苦茶速いですね・・」と言いながら私を抜いて行った。一杯水からひたすらトラバースで長く感じる酉谷避難小屋までのルートをまだかまだかと進むと、前方にその男性が立ち止まっているのが見えた。ルートから少し下に降りないと小屋がないので、少し考えてしまっていたようだった。下にあるのが小屋ですよ、と促すと男性は荷物を背負ったまま降りていった。私は荷物をその場に置いてウォーターストレージと手拭いを携えて降りることにした。細かく、ケチくさいくらいに、体力は温存温存・・・

水場の水は潤沢で、まるで尽きることを知らないかのように流れていた。嗚呼、冷たくて美味しい水!水!水!眠らずに動き続けてすでに9時間が経過、水がキラキラと光って眩しいくらいだった。手拭いを水に浸して太腿に当ててアイシングをしたり、頭から水を被ったり、ゴクゴクと飲んだり、アルファ米に注いだり、ああもう何て美味しいの!!その写真がないのが今回とても残念なのだけれど、あんなに水量の多い酉谷の水は初めて見たようにも思う。いつも水量の多い場所ではあるのだけれど、今回は特に多かった気がする。それにしても、普段たいして水なんて飲まないのに、山に来るとバカみたいに水を飲みまくるんだよなぁ。うん、こんな美味しい水だったら毎日たくさん飲めるよ・・・

水を補給している内に、集合時間に30分遅刻してしまったという知り合いのイケダさんがハイスピードで追いついてきた。そして更に、水場を後にしてザックをデポした場所に戻ると、これまた知り合いのサキさんが到着したところだった。いずれも、スタート時に見つけたかったけれど見つけられなかった人達だ。ここへきて二人とも会うことができて嬉しかった。道のりは長くて長くて、別に誰と順位を競い合うわけでもなく、皆がゴールを目指すというひとつの目標に向かってお互いを励まし合いながら進んでいく。全員がそんな意識でいるような独特な感じがあった。1分1秒を争う感じが、良い意味で、誰にも、どこにも無いのだ。

雲取までの区間に必要と思われる2Lほどの水を背負って酉谷小屋を後にすると、雲取までの区間は大好きな長沢背稜の、とりわけメインディッシュ的なエリアだ。このレースで初めてここを通るという人もきっと居ただろうなと思うけれど、そういう人が一人でもこのルートを好きになってくれたらいいなというような勝手な親心を抱きながら歩いた。何度歩いてもここはいいルートだ。しかし酉谷→雲取の方向に歩くのは初めてだったかもしれない。雲取→酉谷よりもかなりきつかった。
予備関門雲取山荘。カップ麺と500mlコーラを各400円で販売してくれる。物資は雲取小屋による提供、
レース運営スタッフ側の利益は一切ないとのことw
分水嶺トレイルの関門って一体どんな感じになっているんだろう?予備関門(自主関門?)ってスタッフ居るのかな、時間を記入してくださいって言われてたけれどもどこに紙があるかわかるんだろうか?見落としたりしないか??等等、到着するまで謎だらけだったのだが、小屋手前から簡単な案内看板もかけてあり、到着したら明るい色のビブを身につけたスタッフが複数名待機してくれていたのでひと安心。時刻記入用のボードはテーブルに置いてあり、書き忘れなど心配する必要もなかった。自分のゼッケン番号と到着・出発時刻を自らサインペンで記入するアナログ形式。
たまに他人の欄に出発時刻を記入して出発してしまう人も居るそう。
(実際他の関門でそういう人いました)
温かいものを食べたいような気はしたけれど、手持ちの食料はまだまだあるのでカップヌードルは食べずにコーラだけ購入。途中まで飲んであとは手持ちのいろはすボトルに移し替え持っていくことにした。火器の所持はレギュレーションに定められていなかったので今回は軽量化のため持って行かなかったのだが、温かいものは小屋で食べれば良いと割り切っての判断だったとはいえ、火器がないのはなんとなく心細かったなぁ。

中編へ続く

2017/07/02

20170702_第19回北丹沢12時間山岳耐久レース

私には、一方的に目標にしていた人がいた。その人はどんなレースでも、一緒に出れば必ず私よりも速くて、絶対に勝つことはできなかった。彼女はロングレースに強いようで、私よりも圧倒的に速いタイムでゴールしているレースもたくさんあったけれど、入賞すればいつだって順位はひとつ違い、歳もたしか近かったと思う。手が届きそうで届かない目標だったその人を、今回、初めて抜いた。

優子さん、ありがとう。私はまたあなたとレースで闘いたい。

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青根キャンプ場に前乗りして本番に臨むいつものスタイルで今年も参戦。もうかれこれ5年連続出場となるキタタン、タイム表は6:15, 6:25, 6:30, 6:35, 6:45と5パターンを揃えて挑む。昨年6時間34分でゴールしていたので、その時の区間タイムをもとに組んだ。今年は昨年より走れていない気がするし、今年の5月の奥久慈トレイルも昨年より30分くらい遅かったから、強気な予想ばかりではなく弱気なタイムも計算しておくことにした。
ブリーフィングの様子。楽しかったw
初めてブリーフィングに出席したのだが、そこで早速優子さんの姿を見付けて声を掛ける。去年のキタタンで話して以来だったので、向こうは私のことは覚えていない様子だったけれど、いつも追いつかないけれど今回は少しでも追いかけられるように頑張りますと伝えた。優子さんは今回は全然ダメだから〜なんて話していたけれど、きっとそんなことないはず・・・。試験前に全然勉強してないよ〜と言うクラスメイトみたいな感じなんじゃないのか、なんて話しながら仲間と乾杯。
ビールとかノンアルコールビールとかお茶とかで乾杯。
お茶で乾杯している彼女はサブ⒊5の走力を持つキタタンビギナー。結果はいかに。
レース当日。明け方にはかなりの降雨があり、雨レースになるのかとヒヤヒヤさせられたが、朝になると雨は止んだ。キタタンビギナーであるチームメイトのまりこさんはマラソンで3.5の走力を持ち、過日の奥三河パワートレイルも完走している強いランナーだ。でもキタタンはキタタン、私は負けるわけにはいかない。けれど私は勝てる根拠となるような練習を積んでいる訳でもなく自信も全く無かった。競おうと思うと今回は優子さんとかまりこさんとか、相手が二人いるというだけでもう私には情報量が多すぎてパンクしそうだったので、とにかく前回の自分よりも少しでも速くゴールできればそれでいい、そう思ってスタートを切った。毎度のことながらお腹は痛い。。。
昨年も完走している私とタケさん、そしてフルマラソンのタイムが良いまりこさん、3人は揃いも揃ってウェーブ前半の6:30スタート。毎度ながらきつい舗装路の登りをのろのろと走り、斜度のきつくなったあたりで優子さんが視界に入った。ついていけるところまでついていきたい、そう思って背中を追いかけたけれどジワジワとその差は広がっていく。嗚呼、こんなに急なところも彼女は走っていくんだ。この差なんだ。圧倒的な強さを見せつけられ、そうこうしている内にも彼女は見えなくなってしまった。このまま一度も会えずに終わってしまうのだろうなぁ、そんなことを思いながら、早くも走れなくなった私は歩きに切り替えた。

一旦トレイルに入って渋滞し、渋滞したまま下りきると再び舗装路だ。舗装路終盤、鐘撞山の登りに差し掛かる一歩手前のトンネルの登り坂で私が止まりかけていると、脚の綺麗なお姐さんが何か声を掛けてくれたので必死になってついていった。なんとかそのトンネルを走りきることができたのは彼女のお陰。このトンネルを走って抜けたのは始めてかもしれない。引っ張って貰って本当にありがとうとお礼を言い、辿り着いた給水所で水を補給すると、いよいよ鐘撞山を目指してトレイルに突入した。因みに今回は気温高めの予報が出ていたのだけれど、実際は割と気温も低めで風もあり、条件は悪くなかったと思う。
以前ブログにも使った画像なので、左上のキナバル山云々というのは今年は関係ないです
鐘撞山の登りの斜面は壁みたいに立っていて、毎回何事かと思わされるのだけれど、今回も例に漏れず何事かと思わずにはいられなかった。そして尾根に出てもまだまだ登らされてようやく県境尾根分岐へ。そこから一気に下って神ノ川ヒュッテの第1CP。鐘撞山から県境尾根分岐へあがる途中あたりに落石による怪我人がいたことや、神ノ川ヒュッテに向かう下りでかなり詰まっていたことが理由で大分タイムが遅くなった感じがしていたのだが、蓋を開けてみると所要時間3時間、去年とほぼ同じペースだった。CPに着くと、応援のために一緒に前泊までしてくれているKMDの私設エイドが、美味しいスイカとコーラで出迎えてくれた。また冷たいものの飲み過ぎ食べ過ぎでお腹壊すかなぁと思いながらも、ついついガブガブバクバクと飲み食いしてしまう。20分ほど前にタケさんが来た、まりこさんはまだ、女子は15番目くらいと聞かされ、あまり長居できるほどの時間的余裕もないので、ひとしきり補給をするとCPを出発した。この時点ですでに前に女子は14人もいるのか・・・

400m以上登って日陰沢源頭に着くと、今度は林道のダラダラした下りに差し掛かる。日陰沢源頭までの登りで、自分のいたパックの先頭の人が自分のペースよりもかなり遅かったのだが、なかなか抜かせてもらえなくて、どうにか抜くことができた頃にはもう源頭間近だった。もう少し、ここは登りでタイムを稼ぎたかったな。。。

そしてようやく飛び出した林道セクション。それなりに走り、ここでは女子を一人抜いた。けれども昨年のように脚がどんどん前に出ていく感じがない。ギアが一段上に入らない。ギアを入れてもすぐに元に戻ってしまってキープができないのだ。ああこれが練習不足の結果なのか。時刻と標高を見比べて、これは第二CPに予定通りには辿り着けないなぁとか考えながらとりあえず進んでゆくのだけれど、6時間35分にゴールするための第二CP到着目標タイムから3分経っても5分経っても7分経っても、一向に第二CPが現れない。一体去年よりどれだけ遅いんだ!?そうこうしている内にようやく現れた第二CP、時計をみると去年より10分も遅かった。そんなにか。そんなになのか。

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公式エイドでクリームパンとプチトマト、OS-1を飲んで少し進むと再びKMD私設エイドが現れた。10分も遅い、ダメだー、何がそんなに遅いんだろうー、などとひとしきり話を聞いてもらって再出発。頑張って!と激励され、姫次の登りは割と得意なので頑張りますと返事をしてエイドを後にした。普通に考えて10分をこの後巻き返すのは難しいと思ったけれど、PBを諦めたら今度は一体何を目標に進めばいいのか。とりあえず少しでも早くゴールすること、それだけが目下の目標となった。

さあ泣いても笑っても最後のひと山。登り始めると案の定調子は上がってきて、私の脚が私自身に対して止まろうよと誘いをかけることが一切なくなった。どんどん行けよ行けよと呼吸を煽る。人がトレイルのわきによけて私に道を譲る。女の人に追いつかないかなぁと思いながら定期的に前方に目線を送っていると、ようやくぼんやりと女性らしいシルエットが見えてきた。その人にジワジワと近付いてきて、その後ろ姿が優子さんだとわかると、嬉しいのと、何故か恐ろしいのと、色々な感情が渦巻くまま後ろに張り付いた。でも自分がすぐ後ろにいることがわかったらきっとまた引き離されてしまうのではないかと思って、暫くの間は声もかけずに着いていくことにした。黙ったまま引っ張ってもらうのが一番体力温存になりそうな気がしたし、そもそも彼女を打ちのめすほど圧倒的な速さでブチ抜けるほどの余力もない。目標としていた人は目の前にいる。

一緒になって進んでいる間、彼女が私に気付いていたのかどうかはわからないけれど、彼女の調子はどんどんあがっていった。彼女が人を抜き、私と彼女の間に人が入り込んだことも何度もあったけれど、彼女が抜いた人は私も抜くという作業をひたすら繰り返した。その作業の間に女子も何人か抜いた。抜いた女子の中には、鐘撞山手前のトンネルで私を引いてくれたお姐さんもいた。そう、ここで優子さんから離れるわけにはいかないのだ。しかし彼女はほんの僅かな下りでもササッと走っていくし、木段のようなところでの足さばきがとても上手いので、ちょっとの気の緩みですぐに私は引き離される。いよいよ本当にダメかと思うほど引き離されたこともあったけれど、それでもどうにか食らいついていると、姫次の手前の登りでいよいよ自分のペースが彼女のペースを上回る瞬間がきた。それでも後ろにつくべきか、それとも一気に抜くべきか、私の一瞬の迷いを突いて彼女が声をかけてきた。

具体的になんと言われたかは正直覚えていない。けれど、いいねーどんどん行っちゃって!ってそんなようなことを明るい声で言われたような気がする。私が同じ立場だったら、そんな風に言えるだろうか。自分のことを抜き去って順位をあげようとしている相手がいたとして、その人に対してそんな愛に溢れた言葉を掛けられるのだろうか。そう思ったら、メラメラと闘志を燃やして後ろにひっついていた自分が突然恥ずかしくなった。優子さんは強い。なんだってそうだ、本当に強い人は優しいのだ。私は弱いからこういう闘い方しか出来ないけれど、本当に強い上位層の人達がお互いに仲良く会話をしたり称え合ったりしているのってきっとこういうことなんだ。次のレースでは勝つとか、次は負けるかもしれないとかいう相手と仲良くするなんて、表面的なものなんじゃないのかなんて思っていたけれど、きっと本当はそうじゃないんだろうな。

姫次に到着し、私が施設エイドの方々から1杯お水を飲ませて貰っている間に、優子さんは補給もせず私を抜かして走っていった。折角登りで抜いたのに、水の補給で抜かれるなんて勿体無い(しかも水はまだ十分持っていて、冷たいのを飲みたいというだけで止まって補給しただけなのに)!そう思ってすぐに追いかけて追いつくと、彼女は私に「行けるなら抜いて行ってね」というような声を掛けてくれた。それは決して、後ろから追われて鬱陶しいから先に行けというようなぶっきらぼうな言い方でなくて、彼女が私を選手としてリスペクトした上で前を譲るよという言い方だったように思う。

少しだけ後ろについたまま走っていたけれど、「もう少し行ってみます」と声を掛けて、いよいよ優子さんを抜かせてもらうことにした。うん、行きなー!という声がして、私はもう後には引けない、引かないと覚悟を決めた。一気に転げ落ちるように、集中してトレイルを進む。木段でテンポを挫かれそうになると宙空に浮かんでコンマ何秒というような時間調整をしながら次に足を置くポジションを目で計算する。キロ4分半を切るぐらいのスピードでひとしきり進むとトレイルが平坦になり、少し速度が落ちたところで後ろを見るともうそこには優子さんはおろか誰も居なかった。因みに姫次の時点で、私より先を走っている女子とは8分くらい開いていると聞いていたので抜ける気はしなかったけれど、とにかくゴールまで優子さんに抜き返されないようにとそれだけを目標に頑張ることにした。これで抜き返されていたのでは、折角前を譲ってくれた彼女に対して申し訳ないような気がした。

平丸分岐からは毎年苦戦させられる急な下りに切り替わり、思うように走れなくなる。ここからラストの5キロ、もう脚も疲れてきて大したペースで走れず、ここを優子さんが普通に走ってきたらきっと抜かれるんだろうなぁと思いながらも、自分に出来る最大限のペースで着実に進むことに集中した。毎年熱中症が続出するセクションなだけに、必要以上に水を頻繁に補給しながら進むこと暫し、ようやく舗装路に出て水を頭からかけてもらうとそのままゴールへまっしぐら。自分にとって満足のいくレースだったかというとそうではないけれど、またひとつ素敵なレースの記憶が増えた。記録は6時間40分16秒、総合10位、年代別6位。第二CPで昨年より10分遅くなっていたタイムをゴールまでに4分巻き返し、昨年より5分38秒遅れでゴール。優子さんは7位だった。
39歳以下の部表彰。年齢の幅が広いんですけど・・・
ゴール地点で待ってくれていると思っていた応援のKMDも、先にゴールしているはずのタケさんも誰もいなくて不思議に思っていると、第一CPまでに20分も私を引き離したタケさんを私が後半追い上げたらしく、丁度タケさんが36秒前にゴールしたところだった。そちらが盛り上がっているうちに私がゴールしてしまったのだ。それから30分ほどするとまりこさんも無事ゴール。負けてしまうかもとヒヤヒヤしていたので負けずに済んでホッとしたけれど、そういうライバルが居るということも素晴らしいことだ。

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キタタンは、NESチャンピオンシップという全4戦のシリーズ戦の最終戦でもあり、シリーズでエントリーしていた友人は家庭の事情で今回DNSだった。これまでの3戦を全て闘い抜いてきて、最終戦に向けて私なんかよりも余程練習を積み重ねていたのにDNSというのは、聞いているだけでも辛かった。私はこうしていつもレースにエントリーして、当日まで怪我や事故、やむを得ない事情でのDNSもなく走らせて貰えて、完走できるということはそれだけでも本当に有難いし貴重なことだ。この環境と境遇がいつまで続くのかはわからないけれど、今与えられている状況には心から感謝したい。そしていつも表彰台に上がるより先に必ずビールを飲んでしまう、格好良くて愉快で素敵な優子さん、まだまだ未熟な私を受け止めてくれて本当にありがとう。次に優子さんと走るのはおそらくハセツネだ、タイム差は1時間以上あるけれど、少しでも近付けるように秋までまた頑張ろう。