2021/07/25

20210722-25_乳川谷北沢-餓鬼岳-東沢乗越-中房温泉(後編)

前編はこちら

Day3--2021/7/24 (Sat)
タープ2枚連結張り
寝袋がないし昨夜のツェルトに比べるとタープは風通しがいい。昨日より標高も若干上がっているし寒いかなぁと心配していたが結局そこまで寒くもなく、この日も割と質の良い睡眠をとることができた。強いて言えば丁度腰骨の下あたりにあった石が邪魔で時々目が覚めたくらいか。問題はここから1000mほど上がる今夜の寝床の気温だろう。

焚火の香りとお湯の沸く気配で目が覚めた。朝はうどん、と聞いていたけれど、まさかの大好きな吉田うどん(生麺担いできてたのかよ)!起き抜けからお腹いっぱい胸いっぱいである。そういえば23日の夜に、今回やってみたかった「みつまめを作る」というミッションを遂行したのだが、寒天を冷やしている時に鍋に沢水が盛大に入ってしまって寒天成分が薄まり失敗、不気味な流動食のようになってしまった。朝もまだ半分ほど残っていたので、責任を持って消費する。
今日も気合い入れていきましょう。
しかしまぁ滝ひとつ越えたと思ったらまた滝、滝、滝の連続で一向に進まない。とはいえ割と直登しているので、巻くよりは時短できている気もする。いやどうかな・・・。
赤のルートはGPSログではないですが大体こんな感じ、2350mより上の赤線はほぼ正確だと思われる
3人と自分の登攀力の差に思いを馳せ、これ本当に私大丈夫なんだろうかと結構心配になる、というか緊張で呼吸が浅くなる。でも誰も、やめておこうかとか、エスケープしようかとか、巻こうとか、そういうことを言わない。それが少しまた心配にもなるのだけれど、3人はさしたる不安な表情をしないで基本ニコニコしているので、あれれ、これは単なる私の杞憂なのか??という気もしてくる。
果敢に攻めるK氏。1ヶ所もランニング取らずに登り切るメンタルよ・・・
その後に続く3名はかなり手古摺った
クライミングの強さと、沢での登攀の強さは綺麗に比例する訳ではないらしくて、それがまた不思議なところでもある。U氏とN氏はクライミングはK氏より強いのに、何故か沢だとK氏が強いらしい。因みに、ぱっと見「案外私も行けるのでは??」なんて思いそうになるこの岩だが、私はこの写真のポジションからまず離陸するのに数分かかったし、荷物背負って登ろうとしたらまず無理だったので荷物だけ先に引き上げて貰った。。。一度離陸してしまったらその先は割とするする登れたのでホッとしたのだけれども。

しかし登り切って上で皆に再会したと思ったらまだまだ滝は続いている。標高図でもわかる通りで、山頂に向かってどんどん斜度が上がっていくのだから当然といえば当然の連瀑。

一人目、例の如くK氏があっさり登っていったのだが、ホールドやスタンスが悉くボロボロで岩が剝がれまくっていた。ここは滝が2段構えのようになっており、トップの姿が見えなくなった後も2段目の登攀が続いていたのだが、見えないところからガラガラと音がして、その度我々はぴったりと壁に張り付いて落石から身を避けた。大小様々な石が容赦なく降ってきて、我々は意味もなく息を潜める。U氏も一度はフリーで登ろうとトライしてはいたのだが、落石が酷すぎて諦めざるを得なかった。一人が登っている間に次がおいそれと登れるような状況ではないのだ。

K氏が上で支点工作を終えたが、今度はロープダウンの衝撃で激しい落石が起きそうで怖いといってロープダウンを躊躇っている。すこし懸垂で下に降りてからロープダウンしてくれたお陰で、さしたる落石もなくロープは無事こちらに届いた。U氏とN氏がタイブロックで登り切った後、最後に私はビレイを懇願して皆を追う。私より全然登れる筈の人達がヒーヒー言いながら登っていたこの壁を私ごときが登るのだから、本来なら荷物なんて先に引き上げておかなければ登れないに決まっていると思うのだが、ここは岩が脆すぎてザックを引き上げることができないのだ(引き上げるときの衝撃でまた落石するため)。今思えば、荷物を下に置いてロープに繋いでおいて、自分はアッセンダーで登るという方法もあったのか・・・アッセンダー苦手なんだけどね・・
上から見えている時点で既に核心は越えている私。登り始めが一番怖かった!
あとはなんとかなったけれど、ロープがあるからそんなこと言っていられるだけ。
ビレイって素晴らしい。ありがとう!!
個人的には、百曲りの手前(東)の登山道に詰め上がって、そのあとは登山道で餓鬼岳行くのが危険もなくて良いのでは?と思っていたのだが、、、その分岐に辿り着いた時まだ午前中だったのでもう少し山頂直下まで行きたいなという気持ちになったのも確か。
水はまだ枯れていないのだが、いよいよガレがすごいことになってきた。地形図見る限り行ける気がしないなぁと話していたが、実際にその場に来てみても矢張り行ける気はしない。地形図通りだね~なんて言いながら休憩をとるが行動食も喉を通らない・・・ということはなく普通に腹は減る。因みに今回の行動食はいつもの柿ピーとクリーム玄米ブラン以外に、業務スーパーに売っていた税別58円(激安)のシリアルバーと5個入りの木村屋のミニカレーパンというラインナップが加わり、いずれも美味しかった。
相変わらず岩は脆い
後ろを歩いているK氏が、雪渓あったらやばかったなぁみたいなことを言った。前の週に私は唐松~針ノ木あたりを歩いていたのだがそちらはあちこちの沢に雪渓が残っていた。多少エリアは違えど、ここがこんな状況では餓鬼岳の方はどうだろうか、という類の話を散々していた筈なのに、ここまで来るのに必死すぎてこの瞬間まですっかり雪渓のことなど忘れていたのだ。こんなにも脆い場所にもし雪渓が残っていたら、日中の太陽で雪が溶けて岩と共に剥がれ落ちたり、上に乗った石が落ちまくる中を歩くなんてことになっていたかも知れないよねぇ・・・・・いやー本当に雪渓あったらヤバかったかもねぇ・・・なくて良かった・・・あ”?
雪渓かよ!
溶けまくる雪渓の上の、しかも端っこの方に乗った石が今にも落ちてきそう。というかたまに落ちてくる。雪渓からできるだけ離れつつ進む。怖いよ。
ザレザレの左岸の様子を見にゆくU氏とそれに続くK氏の視点から。
これは無理だろうということで引き返す
ちょっと写真だけでは記憶が曖昧なのだが、この後いよいよ沢筋がどうにもならなくなり右岸側の尾根に乗ったのだったと思う。
藪の安心感に歓喜する一同。藪に歓ぶってどうかしてるぜ!!などとこの状況下にも関わらずワイワイ笑いながら進む。簡単に死を想像させるガレザレに比べ、生命力漲る木々の安心感と安定感は凄まじいものがある。ここにいればまぁ割と大丈夫だ。生木は体重をも跳ね返す。
先頭がコッチジャナイと言うと最後尾が先頭になり、さっきまで最後尾だった先頭がコッチジャナイと言うと再び最後尾が先頭になる、ちょっとしたスイッチバックの亜種みたいな方式で進む。細くて急な藪尾根を地形図を見ながら攀じっていくと藪が少し穏やかになり、その先の岩尾根は更に険しそうに見えた。この尾根の先までいけるのか?いやこれもう一度沢に降りた方が良いのでは?降りられる?下は歩けそう?ロープ足りる?1ピッチ?2ピッチ?
結局30mロープ2ピッチ弱で懸垂で沢床へ戻る。さっきまでいた尾根のその先を下から改めて眺めてみると、案の定険しさを増しているのがわかった。議論して、どちらかが折れるとか諦めるとかそういうのではなく、突破に向けた最適解を求めて意見を交わし、出した結論(ルート)が正しかったと実感できるのは尊く大切な瞬間だ。私はといえば、ここまでの行程で静かに、けれど確実に、必要以上のメンタルを削られていて地形図を見る余裕もなく、ルートの検討にはほぼ関われなかった。情けない。懸垂も久々すぎて滅茶苦茶緊張した。懸垂を終えて時刻は14時半過ぎ。
あんなに高く登っていたのにまたこんなに降りてしまった・・・。稜線はまだ遠い。
多少傾斜が緩くなってきた気もする。一番過酷なゾーンは越えたかもしれない。17時近くなってしまったので小屋へ一度連絡を入れることにした。山に入る前からテン場の予約を入れたり人数を変更したりで何度か事前に電話を入れて麓の電話番のおばちゃんと喋っていたのだが、この日もいつものおばちゃんが電話に出てくれた。ルートは事前に申告してあり、最初から心配されていたのだが、現在地を伝えると到着が遅いことを咎められるなんてことも全くなく、寧ろ「この辺は20時くらいまで明るいから大丈夫!」「ガンバレ!ガンバレ!」と励ましてくださった。スピーカーフォンから聞こえるおばちゃんの声に一同も再びやる気を出し、あと数百mの登りにとりかかる。
しかしまだ雪渓も残っている。雪渓の上の端を歩こうとして突入したN氏が苦労している。やむを得ず、この太陽に晒されて一番崩れやすいであろう時間帯の雪渓をダッシュでくぐる。
終盤までえぐい。
そして藪
山頂直下に詰め上がると最後がかなりきつそうだったので、小屋よりさらに西側のテン場あたりをゴールに定めて進むことにした。激しい呼吸でブヨの群れの中を進むものだから、目やら口やらお構いなしにブヨが入って不快なことこの上ない。振り返るとK氏が周囲のシダを束ねて両手に握りしめブンブン振り回し虫を払っている。御幣を振る神主の如くである。
ゴールは近い!先をゆくU氏とN氏はもう上に出た模様
藪の先に青いものが見えて、人工物だ!と思って近付くと、他の登山客のテントだった。テン場目指して詰め上がって、本当にどんぴしゃで他人のテントに詰め上がったのにはちょっと笑ってしまった。18時頃、ようやく沢登りが終わった。長かった。
燕岳方面
手続きを済ませて乾杯!
沁みたぜ!
小屋に着くや否や雨が降り出した。と思ったら豪雨になり雷が轟き、しかも前日のような1時間程度で止む雨ではなく21時過ぎまで緩急つけながら降り続いた。雨が弱まったタイミングでどうにかタープを張ったが雨の対応に追われて中々夕飯を食べる余裕がない。タープの下4分の1くらいが水溜まりになったりして本当に大変だった。ようやくペペロンチーノにありつき、酒を飲み眠ろうとしたが、今度は寒くてほとんど眠れない。私はシュラフカバーとシーツのさらに内側にツェルトをくしゃくしゃとねじ込み、簡易ポリゴンとか言いながら寒さをしのいだ(しのげない)。焚火がしたい(できない)。

そして実はU氏以外誰も寝袋を持ってきていなかったw 寒さで眠れない3人が交互に起き上ったりしながら長い夜をやり過ごす。眠れないとトイレが近くなるみたいで、夜の間に3回以上トイレに行った。満月が美しかったらしいが、雲の流れが速すぎて起きるたびに月が隠れてしまっていて、私は一度も見られなかった。

Day4--2021/7/25 (Sun)
ひとり勝ち組、寝袋持参で快眠のU氏
朝は旭川ラーメン、トッピングにネギ。つまみ用の鴨パストラミがまだ残っていたのでスライスしてチャーシュー代わりに。
ご褒美ブロッケン。
朝方は少しガス気味で山頂もあまり景色は見えず、本来見えるはずの槍の穂先などはお目にかかれなかったのが少し残念。皆の初餓鬼だったのに!
7:00くらいにようやく出発して燕岳を目指す。のんびり。
高瀬ダムが見える
ちょっと雲の多い稜線歩きにはなってしまったけれど、ガスガス真っ白とかではなくて良かった
朝ゆっくりしすぎ&私の歩くペースが遅すぎ&休憩とりすぎのため燕岳山頂まで行っている余裕がなくなってしまった。というのも、夏山シーズンの中房温泉は駐車場が満車で停められず手前のしゃくなげの湯に駐車していたため、一旦バスで駐車場まで移動しなければならなかったのでバスの時間を気にする必要があったのだ。餓鬼岳からの縦走路なんて誰にも会わなかったんだけども、燕岳がぶっちぎりで人気すぎる。というわけで東沢乗越からおとなしく下山することになった。ここも破線ルートだが去年歩いており利用可能なことは分かっていたので躊躇いなく選択。しかし私が前回歩いたのはたかだか10か月前程度だというのにルートのことをあまりよく覚えておらず、後半のアップダウンがかなりきつかった。
はじめは急斜面をジグザグと下る。その後大きな堰堤が出てくるタイミングでいちいち巻き道を歩かされて汗だくに。。。沢ルートなのでたまに沢でクールダウンできるのは有難い。
盛大にクールダウンするK氏
このあと結構頑張ったとしても、下山はバス出発直後とかになるのでは・・・という危うい時間に最後の休憩をとったが、いよいよ私のお尻にも火がついてどうにか14:05に下山、14:15出発のバスに間に合った。私もそんなに歩くの遅い方ではないのだけれど、今回はメンバーが強すぎてついていくのもやっとだった。とりあえず怪我もなく、無事にしゃくなげの湯側の車もマムシ平側の車も回収し、ラーメンを食べて解散と相成った。
下山途中でN氏が笹藪に目をやると、その地味すぎる稲穂のようなものを手に取り、コレ笹の花だと思う、と言った。初めて知ったのだが、笹は周囲一帯地下茎で繋がるすべてが同時に開花して、その後全部枯れるのだそうだ。調べてみると、笹の一生は60‐120年と言われていて、一生に一度だけ開花して枯れてしまうらしい。こんなにそこらじゅうで見かける、雑草のような扱いを受けている笹という奴らが、こんなにドラマティックな植物だとは知らなかった。これまでも花を見かけていたのに見つけられていなかったのか、それとも本当に初めて出くわしたのか。ひたすらバスの時間に間に合うようにかっ飛ばしていた道中で、一人だったら絶対に見逃していた笹の花という笹にとっての集大成を見ることが出来てとても嬉しかったけれど、なんだかとても複雑な気分になった。取るに足らない笹という存在でさえも、この環境の中で命を紡ぎ、一生を終えてゆくのかと思うと何とも言えない気持ちになった。来年ここへ来たら、笹藪は消えて無くなっているのだろうか。別に笹のことを想って鬱々としたり悶々としたり暗い気持ちになった訳ではないけれど、ちょっとした清々しさと、輪廻みたいなことをぼんやりと考えた。笹よ、いつも束ねてグイグイ引っ張ったりしてごめんな。そして急ぎ足で通過してしまってごめんよ。

因みに手拭いは残念ながらデザインが変わってしまっており、前編に貼ったデザインのものは入手できなかった。現行の手拭はこちらの2種類。広げて見られなかったので現地ではよくわからなかったのだが、紺色の方はひたすら餓鬼がいっぱいだったのね。赤の方はカモシカと花も混じっていて餓鬼すくなめ。何の花をあしらっているのか小屋番さんに尋ねたらなんだったっけとのことだったが、調べてみるとトウヤクリンドウというリンドウみたいだった(本当かどうかは不明w)。餓鬼の「よくきた」という台詞が消えてしまっているのがとても惜しい。矢張り旧デザインの方が圧倒的に人気らしく、新デザインは売れ行きが無茶苦茶悪いらしい。これが捌けないと前のデザインを新規発注できないそうなので皆買ってあげてね。
赤というかちょっとピンクに近い赤で珍しかったので、私はこちらを購入。
昨年の黄蓮谷のように記録があってそこそこ難しめの沢というのも勿論楽しいのだけれど、記録がほとんどない沢(しかもかなり規模の大きい沢)をドキドキしながら進むのはまた輪をかけて楽しいものだ。行く前にK氏が「沢はどうにかなります」と言っていて、私は技術が不足しすぎているので「そんなことあるかよw」と思っていたのだが、本当にどうにかなってしまったのは1に技術2に技術、3、4がなくて5に度胸といったところか。

無茶はいけないけれど、身の程を弁えつつ、しかしほんの少しの背伸びを繰り返さないと身長は伸びないのだ。最近ちょっと背伸びをしなくなってきているので、ここらでもう一度くらい背伸びをすべきだなぁと思った。体力を伸ばすか、技術を伸ばすか。良いバランスで進めていけたら良いなと強く思う。ヘタレな自分を笑顔でプッシュしてくれた、愉快で楽しく朗らかな仲間達に心からの感謝を!

20210722-25_乳川谷北沢-餓鬼岳-東沢乗越-中房温泉(前編)

餓鬼岳の手拭いが、渋くてさ、次行ったら欲しいんだよね。と言ったら友人が共感してくれたので、今年はソロではなく友人と、しかも沢から餓鬼岳を目指すことになった。地形図を見る限りガレと岩場の連続だし、ろくに上部詰め上がり付近の記録が出てこない。正直、ほぼ山頂近くに詰め上げる乳川谷北沢の完全遡行は出来ないだろうと思っていた。良くても百曲りのあたりにそれて登山道にエスケープかなと。しかし実際は北沢の完全遡行が出来てしまって、私は結構感動した。今まで私なんかは、しょっちゅう、無理はしないとかできる範囲でとか、そんな言葉で沢山のことから逃げて(良くも悪くも)身を守ってきたのだけれど、真っ向からその無理かもしれないものに立ち向かって明るく楽しくいつも笑顔で深刻にならずに突き進める人達の強さと尊さをまざまざと見せつけられた気がした。もっと精神的にも肉体的にも強くなりたいものである。

手拭いの画像は知り合いのブログより転載

過去にソロで白沢登山口から3回登って毎度燕方面へ縦走している、私のお気に入りの山・餓鬼岳。2018、2019年に行った時は10月の小屋閉め後だったので、2020年こそ小屋の営業している時期に訪れて手拭いを購入したいと思っていた。しかし台風の影響で、餓鬼岳のメインの登山道である白沢登山口からのルートが派手に崩落してしまい小屋の営業期間が極端に短かく、結局この年も営業中の小屋へ行くことはできなかった。

そうこうしている内に季節は進みスキーシーズンとなった。山やら移動中の車やらでK氏と喋っている時に私がたまたま餓鬼岳とこの手拭いの話をしたところ、K氏が手拭いに滅茶苦茶食いついてくれたことで緩やかに計画が始まった。行くなら沢から行きたいけどどの沢から行くのが良いか?みたいなことを考え、半年ほど経過して季節は梅雨を終えて夏になった。メンバーは最終的に昨年黄蓮谷に一緒に行ったK氏とU氏、そして二人の山仲間であるN氏と私の4人。U氏とN氏は北海道からクライミングの特訓のため2週間本州にきていた北海道勢だ。N氏のことはU氏の動画などで見て一方的に知っていたので、今回ひょんなことからご一緒できたのはとても嬉しかった。想像通り、いや想像以上のキャラクターで楽しませてくれた。


Day0--2021/7/21 (Wed)
全員揃うのは23日。私は22日からカレンダー通りお休みなので、1人で1日前倒しで現地入りした。安曇沓掛の駅でステビ。駅の近くにコンビニがないことが分かっていたので到着してからの晩酌は諦め、電車で晩酌を済ませ、到着後は即就寝zzz
座布団があったのでマット要らずw カナブン多数。

Day1--2021/7/22 (Thu)
駅から入渓点まで2時間弱の舗装路&林道歩き。前方に聳える餓鬼岳の山頂直下には、白いガレがあって、それは遠くからでもよく見えた。林道に入ると軽トラ2台ほどに追い抜かれたが、その後1台が戻ってきて「どこに行くの?」と尋ねてきた。私が「乳川谷です」と答えると軽トラの夫妻はホッとしつつも驚いた表情をした。私が餓鬼岳に行こうとしてルートを間違えているのではないかと思ったらしく、一旦私を追い抜いて行ったにも関わらずわざわざ引き返してきてくれたのだ。まだまだ先の長い林道、私は軽トラの荷台に乗せられ、ラッキーな時短でマムシ平に到着した。夫妻は乳川谷のヒョングリの滝まで行ってピストンしてくるとのことだった。帰りにもしお会いできたら是非沢のお話聞かせてくださいと伝えて夫妻を見送った。

初日はソロだし釣りをしたかったので、その名もズバリな「釣魚沢」を探釣することに。一旦幕営地を決めてツェルトを張った後、出合まで下って釣魚沢へ。しかし沢の入り口付近に多摩ナンバーの車が一台。まさかの先行者に呆然としつつ、とりあえず行ってみたが、まぁ残念ながらボウズ、魚影もない。

おたすけロープも持参していないので、滝の巻きも2つめくらいでとっとと諦めて乳川谷の本流へ移動。
先行者がいるのに面倒な巻きとかやりたくない!ということでとっとと撤収した釣魚沢。
沢のサイズ感は本流より圧倒的に小さい
その後本流では5センチくらいの稚魚みたいなのを見かけた程度で魚影は見ずに終了。しかもハリス・フォーセップ・ラインカッター・ラインのごみ入れ・フロータント・フライボックス等をセットにしたものを落として失くしたたり、グラベルガードを沢の流れに持っていかれたりなどしてしまって釣りが成り立たなくなり、早々に幕営地に撤収。まぁちょっと前の週の山の疲れも残っていたのでゆっくりしようと思っていた割にはついつい長時間釣っていたなぁという感じではあった。焚火の火も何故かロクにつかないし、ついても全然長持ちしないで消える(着火剤代わりのダクトテープがそもそも湿っていたのか全然着火しなかった)。連日夕立があるとの地元民情報もあったが、この日はほとんど降らずに済んだのは不幸中の幸いか。

18時頃、軽トラに乗せてくれた夫妻が疲弊した表情で下山してきた。水が多くて大変でした、、、明日泊まり装備を背負って行くなんて本当にすごいです・・・と言われて一抹の不安を覚えた。
適当に夕飯食べて赤ワイン飲んで就寝。

Day2--2021/7/23 (Fri)
私が幕を張っていた場所はかなり半端でわかりづらく、携帯の電波も入らなかったので、朝食後に私は仲間を迎えにマムシ平まで戻ることにした。今回軽量化のために私は寝袋を持参せずシュラフカバーとシーツのみ(防寒具は上半身は化繊ジャケット、下半身はキャプリーン4の薄手フリース)だったのだが、1200m以下のこの地点で既にぽかぽか快眠というわけでもなく、残りの2泊について不安がよぎっていた。そこそこ寒かったなーと思いながらの朝食はそうめん2束(白目)。沢水でワシワシと洗った麺が胃を冷やす。

マムシ平を越えて進んできた仲間の車を見つけ無事合流、いざ乳川谷へ!前日からそうだったけれど、相変わらず水量が多いが、お構いなしに突入して泳ぎだす面々。私も今回から導入したFinetrackの厚手のフラッドラッシュ(上)のお陰で、上半身まで水につかってもさほど寒くなく快適だった。
自ら進んで踏み台になる漢K氏「俺の屍を越えてゆけ」
水自体は透明なのだけれど、花崗岩の白い岩の上に空気をたっぷり含んだ沢水がドッと押し寄せて乳白色に見える。「水を口に含むとほんのり甘く美味しい。これはこの川の水が乳、だからではなく花崗岩質のため苦味成分となる2価金属イオンや植物由来の塩基性物質が少ないためなのだろう」(こちらのブログより抜粋)とのことだが、水の味はよくわからなかった・・・。
何段も続く美しい釜、私も一度はトライしたがドボンして諦め、結局一人で右岸を巻いた。
ほかの3人は突破したけれど、かなり難儀していた様子。幅がそこそこ広くて大変!
ヒョングリの滝(1500m付近?)
「ひょうぐる」「ひょぐる」という動詞があるのを私は今回初めて知りました・・・
私だけ突破できずに高巻いたところが2ヶ所ほど(メンタル不足)、そしてスリングやお助け紐で手を借りたところが数ヶ所あったけれども、概して楽しく綺麗な水量豊富な沢といった印象でずんずん進み、中沢出合の手前あたりで16時前くらいにようやく幕営適地を見つけて23日の行動は終了。せっせと幕を張って乾杯をした頃にぽつぽつと雨が降り出した。と思ったら大雨になった(1時間も経たずに止んだけれど)。皆で一緒にいればある程度までは笑って過ごせる大雨も、1人だったら結構すぐに緊張するものよなぁ。
食担はK氏、私はつまみ。U氏とN氏は登攀具担当。今夜のごはんはリュウジのバズレシピの至高シリーズのカレーとのこと。美味しかった!私はヒラタケとスモークしたホタテのオイル漬缶と何かを炒めたようなのを作ったのだった気がする(詳細忘れた)。
焚火缶(大)にたっぷりのカレーと焚火缶(中)には炊き立ての玄米。
4人で全部きれいに平らげた。

後編へつづく