CP2でのミッションはトイレ、日焼け止めの塗り直し(←重要w)、ジェル類の入れ替え作業、ドリンクの補給、ストレッチ。昨年はこの場所で20〜25分休憩をしていたけれど、今年の私にそこまで長い休憩は必要ない。14km地点あたりで私が大ゴケする少し前に偶々抜かれて声を掛け会話をし、しばらくしてからまた途中で出くわして私が追い抜いた、昨年奥久慈女子総合3位の關さんとCP2で再会をしたのだが、彼女は先週100マイルを走ったばかりとのことで今回はここでリタイヤするかもと話してくれた。ずっと会いたかった人とこの極上のトレイルの途中で初めて会って、そして会話して、近づいたり離れたりしながら、その力強い走りを見ることができたのは本当に嬉しかったし刺激になった。強い人はダメージの残った状態で走っていても私なんかよりずっと速く走れるんだなぁ(当たり前か)。。。
遅くとも11:45には出発しよう、と思っていたけれども全てが早く済んで11:40頃には走り出すことができた。昨年は熱中症になったタケさんがここに居たけれど、今年その姿は無くてホッと胸をなでおろす。タケさんもカノッチもCP3へと駒を進めているはずだ。
CP2を過ぎるとすぐ、26.9km地点赤岩地区の盛大な私設エイドが現れる。トレランのレースは大人数が同じコースを走るためトレイルへのダメージが大きいと問題視されたり、一部の人のマナーが悪くて地元の方からよく思われていなかったりすることも多いと聞くが、このレースは本当に地元の方からの歓迎ムードが凄くて毎回泣けてくる。ブリーフィングでは「このレースは赤岩地区の方々にとって、毎年恒例のお祭りみたいなものになっている。是非立ち寄って欲しい」との話を聞いたが、そんな風に地元の人が一緒に楽しんでくれているなんて有難い以外のなにものでもない。縁側でスイカを食べるようにおばあちゃん達がくつろぎながら、ほらこれ食べていきなさい、とあれこれ差し出してくれる。今年はリポビタンDまであった。これからもずっと愛されるレースであって欲しいものだなとつくづく思う。
横断幕を見ると胸が熱くなる |
とはいえ、小気味のいいペースで進んでいる割に、走れども走れどもCP3は現れない。Runmeterが46kmとアナウンスしてきたが、記憶の中のCP3間近なトレイルの様子とはだいぶかけ離れた光景が目の前に広がっている。一体CP3は何キロ地点にあるのだろう。。。46kmだと思って動かしていた脚は僅かに痛み始める。昨年は最後までほとんど痛みなんて出なかったのに、これは実力以上に走ってしまったということなのか?不安に思いながらも走り続けていると、51kmのアナウンスが過ぎたところでようやくCP3にたどり着いた。CPの場所は自分のログとおよそ5kmは離れているようだった。時刻は14:42、手元のタイム表を見ると、サブ11.5の場合CP3の到着目標時刻は14:50と書かれている。速い!
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水の補給もトイレも必要なさそうだったのですぐに出発したものの、補給食の入れ替えをしていなかったことに気付き坂の途中で立ち止まる。ここからまたガッツリ登るのだが、こんなところに辿り着いてもなおあちこちにパックが出来上がっていて、もっと速いペースで登れるのに前の人がつかえていて行く手を遮られ、なかなか思うように進めない。もどかしい気持ちもあったけれど自分に「大丈夫」と言い聞かせながら、前の人が疲れて休んだタイミングを見てはじわじわと抜いていった。昨年思い切り突っ走った下りが現れると、今年はそれを上回るくらいのペースでガンガン駆け下りていく。でもゴールまであと10kmちょっとのこの区間、足を捻ったりするわけにはいかない。(1)足は丁寧に置く!(2)集中しよう!(3)大丈夫! の3つの魔法の言葉を繰り返しながら、丁寧かつ素早く脚を動かす。約3週間カフェイン断ちをしていたが、レースの後半で切れ目なくチャージしていたカフェインが作用して、このとき脳はギラギラしていた。けれどイケイケで突っ込んだらいけない。そのギリギリのせめぎ合いだ。
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水の補給もトイレも必要なさそうだったのですぐに出発したものの、補給食の入れ替えをしていなかったことに気付き坂の途中で立ち止まる。ここからまたガッツリ登るのだが、こんなところに辿り着いてもなおあちこちにパックが出来上がっていて、もっと速いペースで登れるのに前の人がつかえていて行く手を遮られ、なかなか思うように進めない。もどかしい気持ちもあったけれど自分に「大丈夫」と言い聞かせながら、前の人が疲れて休んだタイミングを見てはじわじわと抜いていった。昨年思い切り突っ走った下りが現れると、今年はそれを上回るくらいのペースでガンガン駆け下りていく。でもゴールまであと10kmちょっとのこの区間、足を捻ったりするわけにはいかない。(1)足は丁寧に置く!(2)集中しよう!(3)大丈夫! の3つの魔法の言葉を繰り返しながら、丁寧かつ素早く脚を動かす。約3週間カフェイン断ちをしていたが、レースの後半で切れ目なくチャージしていたカフェインが作用して、このとき脳はギラギラしていた。けれどイケイケで突っ込んだらいけない。そのギリギリのせめぎ合いだ。
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最終CPの持方には15:35に到着した。手元のチェック表のサブ11.5とまったく同じタイムだ。ペースが落ちなければ、11時間半を切れるかもしれない。ヘッドライトの点灯チェックを終えるとほとんど止まらず先を急ぐ。11時間半を目指すのなら休んでいる余裕などないのだ。似たペースで進んでいた男性と、サブ11.5できるかな、いやしましょうよ、と会話をしながら、最後のトレイルに足を踏み入れる。登り始めてほんの100mか200mのところで立ち止まってうつむく男性がいたので、あと少しがんばりましょー!と声を掛けたが、その人はもう全然それどころではなく嘔吐の真っ最中だった。相当追い込んでここまで来たのだろう。高度障害でもなければ、流石に陽が傾き始めたこの時刻に熱中症ということもないだろう。彼の気分の悪さが何に起因するものなのかはわからなかったがとりあえず彼を追い抜きながら、集中して歩みを進めた。
朝、通過したルートを逆からなぞってゆく。昨年も往復しているので、ここを通るのはこれで4回目だ。きついのは知っている。わかっている。そうは言っても信じられないくらいきつい。ありえないくらい斜度がある。これからゴールに向かっているというのに何故こんなにエグい登りが繰り返し繰り返しやってくるのか。とても女とは思えない(人とも思えない)ような声を出しながら気力だけで登り続ける。竜神大吊橋の先からスタートした30Kの人達が現れ、追い抜くパターンも出てきた。さあ、もうあと残り僅か!頑張れ私!一旦舗装路に出てから再度トレイルに入ったあたりで既にサブ11.5まであと3分くらいしかなく、流石に11時間半は難しいだろうなと思ったけれど、それでも最後の舗装路が現れると諦めきれずにカッ飛ばす。ずっと追いつ抜かれつしていた男性も私のわずか数秒前を爆走していた。
11時間31分09秒。ゴール手前まで友人達がお迎えにきてくれていた。昨年のような強烈な驚きや感動に包まれたゴールとはまた少し違った感触があったが、自分のレースができたという満足感に包まれた。涙はなかったけれど、代わりにニヤニヤが止まらなかった。そして、、、まだまだ走れると思った。
ICチップを回収されて暫くしてから完走証を貰いにブースへ行く。完走証係の地元の高校生みたいな女の子ふたりが、印刷されたその小さな紙を覗き込むと、二度見してからワッと目を開き「おめでとうございます年代別3位です!!」と、まるで我がことのように喜びながら口にした。私の緊張が一気にほぐれて口から出て行き、それと同時にいつものアレが聞こえた。耳の奥でグビグビっていうアレ。良い山行ができている時に聞こえる、脳の鳥肌みたいなアレだった。12時間を切って、そして入賞する、欲張りとも思えたその目標に手が届いたんだ。無理かもしれないという不安な気持ちもあったけれど、それでもどうにかして手に入れたかった。そう簡単に手に入るものではないのは解っていた。けれど少しずつ少しずつ望むものが近づいてきたとき、思い切って手を伸ばした。伸ばした私の大きな手は、望んだものをきちんと両方掴み取ってくれた。
昨年よりも走っていたけれど、坂を登る練習は少なかったし、昨年より強くなっていると信じたかったけれどその保証はなかった。昨年とまったく同じペースで走ったとしても、昨年はそれぞれの関門時間に対して10分とか15分しか余裕がなかったから、何かあればすぐに全てが崩れ去ってしまってもおかしくはなかった。捻挫もできない、鼻血も出せない、大きな怪我もできない、下痢もできない。前回女子の完走人数は22人で、私はその中の17位だった。遅くはないはずの自分がビリから数えた方が早いところに居た訳で、その時私はこのレースに出ている女子の強さを思い知っていた。昨年の完走女子のタイムを見ては、12時間を切ればいいところまでいけるかもしれない、と自分を奮い立たせてはいたものの、それは本当に不確かなものだった。ゴールゲートをくぐる最後の瞬間まで油断はできなかったけれど、ずっと「大丈夫」と言い続け励ましてくれた自分がいたのも確かだ。今このブログを書き進めながら、この喜びを伝えたくてあらゆる言葉で表現しようとしているのだけれど、なんというか、まだ言葉を全然知らず感情も未分化な幼児の頃に感じた「嬉しい」に近い嬉しさだった、と表現するのが一番近いのかもしれない・・・
そんなわけで今年の私のトレラン開幕戦は最高の幕開けとなった。
今年も忙しくなりそうです。応援してくださった皆様ありがとうございました!
(尚、Runmeterのログはまさかの63.29km。公称55kmでしたけども・・・)
最終CPの持方には15:35に到着した。手元のチェック表のサブ11.5とまったく同じタイムだ。ペースが落ちなければ、11時間半を切れるかもしれない。ヘッドライトの点灯チェックを終えるとほとんど止まらず先を急ぐ。11時間半を目指すのなら休んでいる余裕などないのだ。似たペースで進んでいた男性と、サブ11.5できるかな、いやしましょうよ、と会話をしながら、最後のトレイルに足を踏み入れる。登り始めてほんの100mか200mのところで立ち止まってうつむく男性がいたので、あと少しがんばりましょー!と声を掛けたが、その人はもう全然それどころではなく嘔吐の真っ最中だった。相当追い込んでここまで来たのだろう。高度障害でもなければ、流石に陽が傾き始めたこの時刻に熱中症ということもないだろう。彼の気分の悪さが何に起因するものなのかはわからなかったがとりあえず彼を追い抜きながら、集中して歩みを進めた。
朝、通過したルートを逆からなぞってゆく。昨年も往復しているので、ここを通るのはこれで4回目だ。きついのは知っている。わかっている。そうは言っても信じられないくらいきつい。ありえないくらい斜度がある。これからゴールに向かっているというのに何故こんなにエグい登りが繰り返し繰り返しやってくるのか。とても女とは思えない(人とも思えない)ような声を出しながら気力だけで登り続ける。竜神大吊橋の先からスタートした30Kの人達が現れ、追い抜くパターンも出てきた。さあ、もうあと残り僅か!頑張れ私!一旦舗装路に出てから再度トレイルに入ったあたりで既にサブ11.5まであと3分くらいしかなく、流石に11時間半は難しいだろうなと思ったけれど、それでも最後の舗装路が現れると諦めきれずにカッ飛ばす。ずっと追いつ抜かれつしていた男性も私のわずか数秒前を爆走していた。
photo by Take-san |
ICチップを回収されて暫くしてから完走証を貰いにブースへ行く。完走証係の地元の高校生みたいな女の子ふたりが、印刷されたその小さな紙を覗き込むと、二度見してからワッと目を開き「おめでとうございます年代別3位です!!」と、まるで我がことのように喜びながら口にした。私の緊張が一気にほぐれて口から出て行き、それと同時にいつものアレが聞こえた。耳の奥でグビグビっていうアレ。良い山行ができている時に聞こえる、脳の鳥肌みたいなアレだった。12時間を切って、そして入賞する、欲張りとも思えたその目標に手が届いたんだ。無理かもしれないという不安な気持ちもあったけれど、それでもどうにかして手に入れたかった。そう簡単に手に入るものではないのは解っていた。けれど少しずつ少しずつ望むものが近づいてきたとき、思い切って手を伸ばした。伸ばした私の大きな手は、望んだものをきちんと両方掴み取ってくれた。
ゴールして数分後に表彰式w photo by Take-san |
30Kに出場したSBYさんも一緒に集合写真! morijiさんは残念ながらDNFとなってしまったけれど、カノッチ9時間半、タケさん10時間40分という快挙! つまり私はRun or Die完走メンバーの中でビリw 皆様流石でした・・・ |
今年も忙しくなりそうです。応援してくださった皆様ありがとうございました!
(尚、Runmeterのログはまさかの63.29km。公称55kmでしたけども・・・)