2016/05/29

20160528-29_奥久慈トレイル50K(衝撃の63km)(後編)

前編はこちら

CP2でのミッションはトイレ、日焼け止めの塗り直し(←重要w)、ジェル類の入れ替え作業、ドリンクの補給、ストレッチ。昨年はこの場所で20〜25分休憩をしていたけれど、今年の私にそこまで長い休憩は必要ない。14km地点あたりで私が大ゴケする少し前に偶々抜かれて声を掛け会話をし、しばらくしてからまた途中で出くわして私が追い抜いた、昨年奥久慈女子総合3位の關さんとCP2で再会をしたのだが、彼女は先週100マイルを走ったばかりとのことで今回はここでリタイヤするかもと話してくれた。ずっと会いたかった人とこの極上のトレイルの途中で初めて会って、そして会話して、近づいたり離れたりしながら、その力強い走りを見ることができたのは本当に嬉しかったし刺激になった。強い人はダメージの残った状態で走っていても私なんかよりずっと速く走れるんだなぁ(当たり前か)。。。
遅くとも11:45には出発しよう、と思っていたけれども全てが早く済んで11:40頃には走り出すことができた。昨年は熱中症になったタケさんがここに居たけれど、今年その姿は無くてホッと胸をなでおろす。タケさんもカノッチもCP3へと駒を進めているはずだ。

CP2を過ぎるとすぐ、26.9km地点赤岩地区の盛大な私設エイドが現れる。トレランのレースは大人数が同じコースを走るためトレイルへのダメージが大きいと問題視されたり、一部の人のマナーが悪くて地元の方からよく思われていなかったりすることも多いと聞くが、このレースは本当に地元の方からの歓迎ムードが凄くて毎回泣けてくる。ブリーフィングでは「このレースは赤岩地区の方々にとって、毎年恒例のお祭りみたいなものになっている。是非立ち寄って欲しい」との話を聞いたが、そんな風に地元の人が一緒に楽しんでくれているなんて有難い以外のなにものでもない。縁側でスイカを食べるようにおばあちゃん達がくつろぎながら、ほらこれ食べていきなさい、とあれこれ差し出してくれる。今年はリポビタンDまであった。これからもずっと愛されるレースであって欲しいものだなとつくづく思う。
横断幕を見ると胸が熱くなる
舗装路だったか林道だったかを暫く下ると今度は東金砂神社への階段の上り。昨年は何度も偽ピークに騙されたようなこの階段も、今年は「3パーツくらいに分かれている」と予め分かっているから前回ほど辛く感じない。次に目指すCP3(46km地点)までのコースは兎に角延々と続く林道なのだが、今年はCP2の時点で脚がまだ残っていたし、林道をある程度のスピードで走るだけの力がある。下りの度に爆走していると、近くにいた男性から「下りめちゃくちゃ速いですね!」と声を掛けられた。その人は上りが私より強くて下りが私より弱かったので、その後ゴールまでずっと抜いたり抜かれたりを繰り返すことになった。

とはいえ、小気味のいいペースで進んでいる割に、走れども走れどもCP3は現れない。Runmeterが46kmとアナウンスしてきたが、記憶の中のCP3間近なトレイルの様子とはだいぶかけ離れた光景が目の前に広がっている。一体CP3は何キロ地点にあるのだろう。。。46kmだと思って動かしていた脚は僅かに痛み始める。昨年は最後までほとんど痛みなんて出なかったのに、これは実力以上に走ってしまったということなのか?不安に思いながらも走り続けていると、51kmのアナウンスが過ぎたところでようやくCP3にたどり着いた。CPの場所は自分のログとおよそ5kmは離れているようだった。時刻は14:42、手元のタイム表を見ると、サブ11.5の場合CP3の到着目標時刻は14:50と書かれている。速い!

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水の補給もトイレも必要なさそうだったのですぐに出発したものの、補給食の入れ替えをしていなかったことに気付き坂の途中で立ち止まる。ここからまたガッツリ登るのだが、こんなところに辿り着いてもなおあちこちにパックが出来上がっていて、もっと速いペースで登れるのに前の人がつかえていて行く手を遮られ、なかなか思うように進めない。もどかしい気持ちもあったけれど自分に「大丈夫」と言い聞かせながら、前の人が疲れて休んだタイミングを見てはじわじわと抜いていった。昨年思い切り突っ走った下りが現れると、今年はそれを上回るくらいのペースでガンガン駆け下りていく。でもゴールまであと10kmちょっとのこの区間、足を捻ったりするわけにはいかない。(1)足は丁寧に置く!(2)集中しよう!(3)大丈夫! の3つの魔法の言葉を繰り返しながら、丁寧かつ素早く脚を動かす。約3週間カフェイン断ちをしていたが、レースの後半で切れ目なくチャージしていたカフェインが作用して、このとき脳はギラギラしていた。けれどイケイケで突っ込んだらいけない。そのギリギリのせめぎ合いだ。

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最終CPの持方には15:35に到着した。手元のチェック表のサブ11.5とまったく同じタイムだ。ペースが落ちなければ、11時間半を切れるかもしれない。ヘッドライトの点灯チェックを終えるとほとんど止まらず先を急ぐ。11時間半を目指すのなら休んでいる余裕などないのだ。似たペースで進んでいた男性と、サブ11.5できるかな、いやしましょうよ、と会話をしながら、最後のトレイルに足を踏み入れる。登り始めてほんの100mか200mのところで立ち止まってうつむく男性がいたので、あと少しがんばりましょー!と声を掛けたが、その人はもう全然それどころではなく嘔吐の真っ最中だった。相当追い込んでここまで来たのだろう。高度障害でもなければ、流石に陽が傾き始めたこの時刻に熱中症ということもないだろう。彼の気分の悪さが何に起因するものなのかはわからなかったがとりあえず彼を追い抜きながら、集中して歩みを進めた。

朝、通過したルートを逆からなぞってゆく。昨年も往復しているので、ここを通るのはこれで4回目だ。きついのは知っている。わかっている。そうは言っても信じられないくらいきつい。ありえないくらい斜度がある。これからゴールに向かっているというのに何故こんなにエグい登りが繰り返し繰り返しやってくるのか。とても女とは思えない(人とも思えない)ような声を出しながら気力だけで登り続ける。竜神大吊橋の先からスタートした30Kの人達が現れ、追い抜くパターンも出てきた。さあ、もうあと残り僅か!頑張れ私!一旦舗装路に出てから再度トレイルに入ったあたりで既にサブ11.5まであと3分くらいしかなく、流石に11時間半は難しいだろうなと思ったけれど、それでも最後の舗装路が現れると諦めきれずにカッ飛ばす。ずっと追いつ抜かれつしていた男性も私のわずか数秒前を爆走していた。
photo by Take-san
11時間31分09秒。ゴール手前まで友人達がお迎えにきてくれていた。昨年のような強烈な驚きや感動に包まれたゴールとはまた少し違った感触があったが、自分のレースができたという満足感に包まれた。涙はなかったけれど、代わりにニヤニヤが止まらなかった。そして、、、まだまだ走れると思った。

ICチップを回収されて暫くしてから完走証を貰いにブースへ行く。完走証係の地元の高校生みたいな女の子ふたりが、印刷されたその小さな紙を覗き込むと、二度見してからワッと目を開き「おめでとうございます年代別3位です!!」と、まるで我がことのように喜びながら口にした。私の緊張が一気にほぐれて口から出て行き、それと同時にいつものアレが聞こえた。耳の奥でグビグビっていうアレ。良い山行ができている時に聞こえる、脳の鳥肌みたいなアレだった。12時間を切って、そして入賞する、欲張りとも思えたその目標に手が届いたんだ。無理かもしれないという不安な気持ちもあったけれど、それでもどうにかして手に入れたかった。そう簡単に手に入るものではないのは解っていた。けれど少しずつ少しずつ望むものが近づいてきたとき、思い切って手を伸ばした。伸ばした私の大きな手は、望んだものをきちんと両方掴み取ってくれた。
ゴールして数分後に表彰式w photo by Take-san
昨年よりも走っていたけれど、坂を登る練習は少なかったし、昨年より強くなっていると信じたかったけれどその保証はなかった。昨年とまったく同じペースで走ったとしても、昨年はそれぞれの関門時間に対して10分とか15分しか余裕がなかったから、何かあればすぐに全てが崩れ去ってしまってもおかしくはなかった。捻挫もできない、鼻血も出せない、大きな怪我もできない、下痢もできない。前回女子の完走人数は22人で、私はその中の17位だった。遅くはないはずの自分がビリから数えた方が早いところに居た訳で、その時私はこのレースに出ている女子の強さを思い知っていた。昨年の完走女子のタイムを見ては、12時間を切ればいいところまでいけるかもしれない、と自分を奮い立たせてはいたものの、それは本当に不確かなものだった。ゴールゲートをくぐる最後の瞬間まで油断はできなかったけれど、ずっと「大丈夫」と言い続け励ましてくれた自分がいたのも確かだ。今このブログを書き進めながら、この喜びを伝えたくてあらゆる言葉で表現しようとしているのだけれど、なんというか、まだ言葉を全然知らず感情も未分化な幼児の頃に感じた「嬉しい」に近い嬉しさだった、と表現するのが一番近いのかもしれない・・・
30Kに出場したSBYさんも一緒に集合写真!
morijiさんは残念ながらDNFとなってしまったけれど、カノッチ9時間半、タケさん10時間40分という快挙!
つまり私はRun or Die完走メンバーの中でビリw 皆様流石でした・・・

そんなわけで今年の私のトレラン開幕戦は最高の幕開けとなった。
今年も忙しくなりそうです。応援してくださった皆様ありがとうございました!

(尚、Runmeterのログはまさかの63.29km。公称55kmでしたけども・・・)

20160528-29_奥久慈トレイル50K(衝撃の63km)(前編)

ひょっとしたらなんとか手が届くかなというイメージはあまりにも朧げで、ボタンの掛け違いがあればいつでもすぐに崩れてふっと消えてしまうようなものだった。だからこそ私にとってひときわ尊く、そして鈍く光り輝く、奥久慈での入賞という大きな憧れ。長いこと照準を合わせてきた正にその時が、刻一刻と消費されて私を通り過ぎてゆくのを、死に物狂いで走る私とは別の私が優雅に愛でていた至福のひととき。手が届くのに気付いた瞬間ぐっと手を伸ばして、握りしめた手を開くとそこにはブロンズのメダルがあった。
<記録>
スタート 5:30
第1関門 7:49:02 →昨年7:49:00(制限時間9:30)
第2関門 11:32:53 →昨年11:59:52(制限時間13:00)
第3関門 14:42:07 →昨年15:51:51(制限時間16:00)
第4関門 15:35:19 →昨年16:41:17(制限時間17:00)
ゴール    11時間31分09秒 →昨年12時間49分33秒
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5月26日(木)
昨年同様都内でキックオフ。完走に向けての作戦、抱負、意気込みなどを共有する大切な時間。(いや、ただの飲み会ですが)
因みに私の月間走行距離は1月60km / 2月45km / 3月116km+チャリ98km / 4月175km+チャリ92km / 5月254km(奥久慈含む)。5ヶ月間のトレランを除く山行日数・スキー日数は合計で22日ほどだった模様。

5月28日(土)

今回Run or Die!!からの奥久慈出走メンバーは昨年熱中症でDNFとなったタケさん、昨年UTMB日本人6位を誇る2013年奥久慈完走経験者カノッチ、奥久慈初エントリーのmorijiさんと私の4名。
1時間を越えるブリーフィングが終わって毎年恒例の前夜祭。ほんとにお祭りみたい!
昨年の反省(前夜祭で飲みすぎ、揚げ物食べすぎ、寝る時間遅すぎ等)を踏まえてアレコレ対策をとったので、21時頃にはお風呂を済ませて宿に戻ることができた。しかし準備の終わったザックに目をやると、そこにはびしょ濡れのザックが鎮座していた。もう4年くらいずっと使い続けているハイドレーションパックから麦茶が漏れていたのだ。調べてみるとどうやら本体とチューブを繋ぐプラスチックパーツの部分からの水漏れであるようだった。手持ちのダクトテープで問題箇所をぐるぐると補修してしばらく様子を見てみたが、とりあえず水漏れは防げそうだ。朝もし水漏れしていたらハンドボトルのほかにもうひとつペットボトルを持参するしかない。なんとも言えない不吉な出来事。余計な心配で緊張は膨らむ。
素泊まりのため夕飯はスーパーで買ったお弁当で済ませる。
カノッチはまさかの清酒ワンカップ。こうして見るとシュールw
5月29日(日)

昨年同様3時過ぎに起床。ハイドレーションからの水漏れはなかった。スタート地点最寄りの駐車場ははじめから諦め、ひとつ離れた駐車場に車を停めてバスでスタート地点へ移動をする。できるだけたくさんのエネルギーを体に蓄えようと、あれこれ食べ続けるけれど、お腹を壊してしまっては意味がない。そのギリギリのラインがどこなのかを探りながら、消化によさそうなものを摂取する。今回は道の駅で購入したお餅(やわらかい状態で売っていた、上の写真手前に写っている四角いパック入りのもの)を3個、大福2個、アサイードリンク少々、ゼリードリンク200kcal1本、くらいだったか。

スタート地点は去年と少しだけ異なる袋田第一駐車場だ。昨年スタート間際までお世話になったトイレからは少し遠かったけれど、仮設トイレが3台と常設トイレが1ヶ所あって行列にならずとても安心。結局今年もトイレを何度か往復したし、最後のトイレはスタート5分前くらいだったけれど、腹痛や下痢の類ではなかったのでとりあえず安心。並び始めたのはスタート30分前くらいだったにも関らず、スタートゲートは遥か遠い。皆一体何時に並び始めたんだよ・・・
今年は前の方から走りだそう!と思ったのにこの位置w
とはいえ、ブリーフィングによると今年は渋滞緩和のためトレイルに入るまでの登り基調のロード区間を2kmほど増やしたというから、後ろからスタートしても特に影響はないかもしれない。そんなことを自分に言い聞かせながら、朝5時半、Runmeterのスタートボタンを押した。今年の奥久慈の旅がどんな旅になるのだろう。期待と不安で脈拍があがる。
仲間と出走前に1枚!
序盤はそれほど飛ばさず、しかしのんびりもせず刻む。昨年同様、タケさんのペースに合わせて私も走り続ける。しかし案の定トレイルに入る前に千切られて、呆気なく一人旅が始まった。トレイルに入りしばらくすると背後から、調子はどうですかという声と共にカノッチが現れた。返事をしようとするけれど、私はまだ調子がいいのか悪いのか判断ができない。カノッチはそれほど速いように見えない動きでするりするりと進んで、あっという間に何人もゴボウ抜きにして視界から消えていった。うわぁ、やっぱりカノッチ速いな。しかし彼と自分を比較しても仕方がない、ペースを人に乱されないようにしよう。そう思い直して再びトレイルと向き合う。
渋滞中に1枚
第1CPは11km地点の持方。昨年は7:49に通過したが、目標としているサブ12を達成するには7:40に到着したいところだ。尚、サブ11.5ならば7:35到着が目安となる(私調べ)。とはいうものの、スタートからCP1までの区間はそこそこキツイし、走力があがっていたとしてもそこまでタイムはのびないだろうという気もしていた。コースの記憶はあちこち抜け落ちていたけれど、それでも矢張り一度は走ったことがあるだけに、展開は頭に入っていた。ここで去年はあの人に会ったなとか、ここのアップダウンは果てしないんだよなとか、ここで足を捻ったなとか。

それにしてもなかなかCP1に辿り着かない。昨年、経過地点の到着時刻をつぶさに記録していたわけではないから、CPに着いてみないとペースが速いのか遅いのかわからない。もどかしい。そうこうしているうちに1時間半、2時間と経過してしまった。若干の落胆を纏い、ようやくCPに到着したのが7:49。なんだよ去年から1分も縮められていないじゃないか。(実はこの時、ここまでの距離が昨年よりのびていたことを知らなかった。というか、おそらくここまでで12km以上はあった。)悔しい。どうしてだ?どうしたらいいんだ?

CPでは1時間に1本計算で持参していたジェルとアミノバイタルの入れ替え作業をする。正直ここは入れ替えをしなくて済むように組んでおいたほうがよかった。水もそれほど減っていなかったので、胸にさしたハンドボトルの水分だけ少し補給して先を急ぐ。ここに来るまでに時間をまったく縮められていないし、この先どんどん縮めないと目標タイムのクリアは絶望的になるだろう。元気な筈の区間で貯金ができなかったことへの焦りは隠せなかった。

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CP1を通過すると男体山の登りが待ち構える。男体山のピークから大円地越までの間だっただろうか、14-15km地点付近の下りを進んでいると視界がぐるんとひっくり返った。右肩から前転して肩と首から着地。たいして飛ばしていたわけでもないのだが、斜度がきつすぎて、倒れた後に体制を立て直すことができず若干谷側へ滑落しかけたのだった。一瞬自分がどこを向いて起き上がったのかよくわからなかったが、それを脳で処理するより先に、脚を電流が突き抜けた。なんだ?なんなんだ??と思ったら両脚のふくらはぎと左脚の内腿が攣っていた。

私はこれまでレースで脚が攣った経験がなかったけれど、今回は転倒という強烈な刺激も手伝って初めて攣ってしまったようだった。塩タブレットをガリガリと喰みながら、足を挫いたりしなくて良かったーと胸をなでおろし先を急ぐ。

17.1km地点のエイドは結局19kmか20kmくらいのところでようやく現れた。思ったところにエイドがない、CPが現れないということでいちいち精神的ダメージを食らう。太陽はますます高く、次第に暑くなってきた。CP2は26.9km地点の竜神大吊橋にあり、そこに着くには延々と階段を上らなくてはならないのだが、階段のすぐ手前には、昨年も御世話になった私設エイドが今年もあった。カットした生トマトとキンキンに冷えた缶ジュースが目に飛び込んでくる。昨年ゼリーとかお豆腐置いててくださいましたよね!?と声を掛けると、ゼリー不人気だったから今年はやめたのよ〜とのお返事。昨年ここで本当に救われましたとだけ伝え、三ツ矢サイダーの250ml缶を飲み干しトマトを頬張ると脚に力が宿った。同志たちは、これ本当に頂いていいんですか?とおもてなしのエイドに驚きの声をあげ、とびきりの笑顔でジュースを飲む。エイドの方々に伝えたいことはたくさんあったけれど、あまりにも力が漲りすぎて1秒でもはやく動き出したい衝動に駆られた。

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階段をあがる。一歩一歩橋が近づいてくる。たまに一歩では我慢できずに一段抜かしで登っていく。ツライ、けどツラクナイ。辛くないんだ。昨年自分がここにたどり着いた時の感覚と比較すると、かなり余力があるのがわかる。目安にしていた目標タイムにも近づいている。CP2でそんなに休憩をしなくてもよさそうだ。写真を撮る余力もあるんだ。
階段を登りきると、昨年見たこの景色が目に飛び込んできた。
1年前、私はきつい26kmを走り抜けようやくここに到着して、もうここでレースを終わりにしてもいいんじゃないか、いや本当にそれでいいのかと葛藤していた。あれは確かに私だったし、いまここにいる私も確かに私なのだ。走馬灯なんてぶっちゃけ見たことないけれど、これまでのことが走馬灯のように頭を流れていく。11:32:53、CP2に到着するとヨッシャと声をあげた。11:35迄にここに到着していれば、サブ12でゴールできる計算だ。今回のレースではもうきっと関門時間に追われることはないだろう。今年は関門時間を追う側にいるんだ。もうきっと大丈夫だ、そう確信した。