2015/12/20

20151220_高尾山天狗トレイル18K

視界に入った女子はすべて抜いてきた筈だ。
でも、見えない敵がいるのは判っていた。だから最後の最後まで全力で走った。

今年、レースに出るたびにほぼ入賞できていた私は、最後の一戦での入賞を狙っていなかったというと嘘になる。とはいうものの、このレースの女子は年代別ではなく、なんと「女子」という1カテゴリーしかなかった。しかも3位までしか表彰して貰えないと知ったのは本番数日前のこと、そして昨年の女子の優勝タイムは2時間19分。キロ8分とかそういうスピードだった。いやいや、別に私は入賞するためだけに走っている訳じゃない。けれど、手が届くかもしれないのならば、手に入れたいと思うのは性ではないのか。
朝9時前、仲間数名と高尾山の駅前で集まってタクシーで現地入り。みんなそれなりにレース経験豊富なメンバーだったし、何度もこのレースに出ている人もいたというのに、なんだかこの日はとても緩い雰囲気で、誰もレースの状況や詳細を把握していない。短距離だからなのか、よく知ったエリアだからなのか、はたまた忘年会気分なのか、兎に角みんな完全に舐めている・・・(自分も含め)。

コースは何度か走っているコースのツギハギみたいな感じだったのでなんとなく雰囲気は掴めていた。ただ、アップダウンが意外とあるんだなということに気付いたのも、途中のエイドで水の補給はできても食料の補給がないということを知ったのも、何を持って走るか決めたのも全てレースの前日。ロードもトレイルも含めて、自分が出た中で過去最短距離のレースだったので、いまいち感覚がわからないものの、スピードレースになるだろうということは予測がついた。どうして今年の締め括りとなる最終戦を苦手なショートレースにしたのかと、エントリーした自分を少し恨めしく思った。

スタートは、各自が申請したタイムを元に決められた11:00, 11:20, 11:40の3段階ウェーブスタート。私は11:20、他の仲間はビビちゃんが11:00、あとは全員11:40とのことだったが、いつの間にかビビちゃんは11:40スタートに変更手続きを済ませていて、結局先にスタートするのは私だけとなった。日影沢キャンプ場でスタートを待つ間、日の当たらない日影沢沿いはとてもとても寒く、ダウン上下を着ている人まで居る程だった。体を冷やさないようにと言ってもどうやっても冷えてしまうので、着替えてから荷物を預けるまでの間は適度に着込んだ状態でその場で足踏みをしてやり過ごす。荷物を預けてからは、ウォーミングアップがてら林道を登ったり下ったり。会場は狭く、端から端まで歩いても1分とかからないサイズ感、とてもアットホームでこぢんまりとした大会だ。女子と男子のトイレが別になっていないので、かなりの行列になっていたのが残念。。。

レースが本当にあっという間に終わってしまったので、あまりコースのことであれこれ書くことはない(すみませんw)。高低図を見るとわかるように、登りが3回あるのでこれをこなせばよいだけといった感じ。ちょいちょいロードや林道もあってそれなりに走れるコースなので、そこをきっちり走れないといいタイムは出せないし、登りもそれなりに攻めないとどんどん遅くなっていってしまう。想像よりもスピードレース感はなく、自分のペースで走ることができたのはよかった。

ロードを登り続けて山に入り、山から抜けてロードを走ると唯一スタッフの配置されている給水ポイントがある(のだったと思う)。給水所の少し手前を、自転車に乗ったサングラスの男が1人登ってきた。こんな坂道を一人でヒルクライムなんて馬鹿だな、でもその気持ちわかるぜ?と思って挨拶代わりにニヤリと笑顔を投げかけてみるとそれはJackieboyslimだった。なんだよ、応援行けないとか言ってたけど来てくれたのか!と嬉しく思いダベりながら進んでいくと、その先にanswer4コバちゃん & moonlight gearチヨちゃん夫妻の姿。皆、山が大好きで高尾にほど近いエリアに引っ越しをしてしまった人達だ。はええなと言われながらとりあえず水を一杯だけ補給して先を急ぐ。
最初の給水エイド手前にて。ジャッキー、チャリを漕ぎながらの1枚。(私つらそう・・・)
 photo by Jackieboyslim (応援ありがとう!)
そしてまたトレイル。登って降って元来た舗装路に出るとKMDの姿。後ろから写真を撮ってくれているのはわかっていたものの、ここからかっ飛ばすぜという意気込みと共に私は最後の大爆走をはじめた。

順位を狙う上でとても難しかったのは、ウェーブスタートだったという点。いくら女性を抜いたとしても、私より20分先に出発したグループの中にもし女性がいたとしたら、余程でない限り私がその人に追いつくことはない。同時にスタートしていないだけに、あと何人抜けば何位にあがるのかがまったく分からなかった。つまり、あと1秒速くゴールすれば見えない誰かを抜いて入賞できるのかもしれない。逆に、1秒遅くなったことによって、入賞を逃すかもしれない。けれど、それが一切見えない。仮に今ぶっちぎりの1位だったとしても、誰からもそれは教えて貰えないから、兎に角タイムを縮めるしかないのだ。整備された舗装路を抜けて状態の悪い林道に出ても私は止まらないし止まれない。走って抜かすのは男性ばかり、行けども行けどももう女性は見えてこない。そこへ再びJackieboyslimとコバちゃんが現れ、そして私の視界から消えていった。背後から「ヤスヨー!ブチかませーー!」というジャッキーの叫ぶ声がする。おう、ブチかますよ、もう別に脚を温存する理由なんてひとつも無いんだから。

20分後にスタートしたメンバーの中で最も速いアキラさんにも抜かれることなくとりあえずゴール。別に女性がゴールしましたということで盛り上がる訳でもない。ゴール地点ではチヨちゃん一家が出迎えてくれ「さっき一人目の女性がゴールしました!ってアナウンスしてたけど、それぐらいしか聞いてないからなぁ」と状況を教えてくれた。まだゴールしている女性が少なすぎて暫定順位表さえもなかなか貼り出されないし、ゴールしても結局何位かわからないままだ。アキラさんもまだゴールしない。

チヨちゃん達が車に戻ろうとして私と一旦離れて数十秒した頃、レーススタッフのおじさんが女子の順位表を貼りにきた。ドキドキ、、、ドキドキ、、、

ド!!!!!
キ!!!!!!!!!

待って!!ちょっと待って!!1位だよ!マジかよ!!
1人ではとてもじゃないけれど冷静で居られなくてすぐにチヨちゃん達の後を追いかけた。「ねえ!私優勝ぽいんだけど!!」私の興奮をすくい上げてくれる仲間が近くにいてよかった。そうこうしているうちにアキラさんがゴール、ほどなくして表彰式が始まった。男子の部の表彰がひとしきり終わり、最後に女子の部の表彰。
photo by チヨちゃん(だったかな?)
嗚呼、今年最後のレースで入賞どころか優勝できたなんて本当に夢を見ているみたいだった。だって、1年の締めくくりのレースで、自分が一番速いなんて、もうそれより上を目指しようのない最高の結果じゃないか。なんだこれ?こんなにいい目に遭っちゃって本当にいいの?
表彰式の時間帯があまりにも早過ぎて、応援部隊もランナー達もほとんど居ない中終了w
photo by KMD
戻ってきた仲間達は、賞状だの何だのと抱えている私を見つけるとすぐ、入賞したんだなと気付いて声を掛けてくれる。そこで私が一言、優勝しちゃいましたテヘと報告をする。もうね、やっぱり嬉しいもんは嬉しいんだわ。隠そうったって隠せないくらい嬉しい気持ちは溢れ出してくるんだよな。
お風呂はパスして近くの中華やさんで打ち上げ!
何年か前、ろくに練習もしないでレースに出て良い結果を出して調子に乗るなと詰られたことがあった。別に調子に乗っていたつもりはないけれど、その人からはそう見えるようだった。そんな風に言われて私は結構傷ついた。ただただレースに出ることが楽しかっただけなのにどうしてそんなことを言われなければならないのかわからなかった。そして私の周りの人が皆その人と同じように思っていて、嫌な思いをしているのだとしたらどうしようと思った。走るのが好きなら一人で走ればいいし、レースなんか出る必要があるのかとその人は言ったけれど、私はそんな風に言われた後も私は別に練習をするつもりもないままレースにエントリーし続けていた。けれど自分の中に答えは無かった。

いつどんなきっかけで人がトレーニングを始めるかなんて人それぞれだ。理由もまちまち。何がきっかけで走ることに対する情熱に火がつくかも人によってバラバラだ。詰られたことは割と長い間私の中で燻っていたのだけれど、2015年の途中から完全にそれが気にならなくなった。別にその言葉を浴びせてきた人への対抗心から走るようになった訳ではなく、心と体が内側から求めたものに従っただけだ。そう、奥久慈のレースを完走したくて走り出しただけのことだ。純粋な感情ほど強いものはない、そして私はここまできた。もうあの言葉を浴びせた人に何か言われることがあったとしても正面切って堂々としていられる。わたしはわたしなりに答えが見つかっているし、走りたい時に走り、走りたくない時は走らない、ただそれだけのことだ。やりたきゃやる、やりたくなきゃやらない。趣味だもの。
さあ今日は2016年奥久慈のエントリー。2015年の私を高みに引き揚げてくれた山に、今年はお礼を言いに行こうと思います。

2015/11/03

20151031-1101_第23回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(後編)

前編はこちら

調子はどうだと応援部隊のジャッキーに聞かれ、興奮気味に「悪くない。悪くないよ」と答えながら給水した大休憩ポイント・月夜見CPを出発する。調子はすこぶる良かったけれど、goodというよりも、なんだかnot badとでも言いたい気分だった。少しぐらいは調子悪かったり、疲れていたりすると思っていたんだけどね、どこも悪いポイントが見つからないんだよ?というニュアンスだったのだけれど、そんなのは絶対伝わっていないw
フォグフィルターを付けたハンドライトで照らすトレイルの圧倒的な見えやすさに驚愕しながら勢い良く下りをかっ飛ばしたあとの登りはとうとうラスボス御前山。月夜見から御前山山頂までの目標タイムは1時間05分、時間にしてみればそれほど長い登りではないけれど、登山地図のCTだと2時間もある、割と長大な登りだ。月夜見でもしゃもしゃと食べたグミなどの固形物はこの登りに備えた補給だった。胃がまったくやられていなかったのは今回の圧倒的な強みだ。

登り始めてしまうと案外あっけなく、やはり自分は登りに強いのだなと思い知らされる。決して速くはない、けれども一切止まらない。止まらないとできない用事があるとき以外は一瞬たりとも止まらない。ひたすら登って登って登り続け、予定通りに御前山山頂に到着した。この山頂はなだらかすぎて山頂感のない山頂だなといつも思うんだよなぁ。ベンチを尻目に特に休憩もせずガレた下りを30分ほど進むと大ダワに到着した。後ろにいる仲間から追いつかれず、前にいる仲間に追いつかぬのなら、もう完全にここからは一人旅だ。追いつかれる可能性は勿論あったが、追いつく可能性はゼロに等しかった。

大ダワはCPではないので、仲間は応援にきていない。しかし大きなリタイヤポイントなので、救護班やボランティアスタッフが多数待機している。一昨年ハセツネに出た時は、このポイントはもっともっと自分にとってドラマティックで、そして肉体的にもキツくて、まだあと20kmもあるのかと精神的にも多少ガックリきていた気がするが、今年は全然違った。時間もまだ22時を少しまわったぐらいだったと思うし、まだまだ日が変わる前だし深夜っていうほど深夜でもないよねーという気持ちの余裕もあった。それに、前回はここからまたひとつ山を登らなくてはならないというイメージだったけれど今回は違う。ここからは「走れるセクション」らしいじゃん?という感じだった。

そう、私はレース直前に、大ダワから大岳山の間は走れると聞かされてきた。道のつき方を地形図で全部見ている訳でもなければ、行ったことがあるからと言ってどんなルートだったか逐一記憶している訳でもないので、山ひとつ越えるっていうのに本当に走れるのかよ、、、と半信半疑だったが、蓋を開けてみたら確かに走れた。私は一昨年このセクションで一体何を苦労していたんだろう?と少し不思議になるくらいフラットなセクションが多く、長いこと走り続けていた。スピードが出せるほど脚が元気な訳でもないのでただただ淡々と歩みを進めるのみではあったけれども、歩くことはあまりしなかった。これが練習の成果というやつなのかもしれない、緩やかな登りは気にせず走った。多少アップダウンがあっても、フラットなんだと脳内変換して走り続けた。しかし長尾平手前の水場に辿り着くと’、つい普通の登山の時のようにのんびり一本入れそうになってしまった。山の水を飲んだ方が元気になるしねーと自分に言い訳をしながら水を飲んでいると、後ろから女性が追い上げてきて一気に抜かれてしまった。嗚呼・・・しかも追いつかない。速い。。。

長尾平到着は23時34分、はじめの貯金を残したままだった。ここからゴールまでの目標タイムは1時間53分、サブ13?いやいやこれは上方修正してサブ12.5狙うべきなんじゃないか?というか・・・上方修正かけるのが遅すぎたなぁ。もっと早く気付いていればサブ12も射程圏内に入ってきていただろうけれど、後の祭り。とりあえず何もなければ普通に12.5は切れそうだったので、きちんと補給して、ロストをせず、足を捻ることなく下ることを心がけた。

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最後の登りともいえる日ノ出山を登りきると、相変わらずの美しい夜景が目に飛び込んでくる。前回のハセツネのことがいろいろと思い出されたけれど、とにかく前回は本当に疲れていたなぁという印象で、それと比べて今回は本当に元気だなとしみじみした。これならきっと最後まで走れるなぁという漠然とした期待。しかしもっとかっとばせるかと思いきや案外そうでもなかったのは自分の力不足なのか、はたまた得意な角度ではなかったのか、石ころの具合が好みではないのか。奥久慈のラストの方がよほど走れたしスピードに乗れたなぁという印象。それでもなんとか走っていると、あっと思った次の瞬間に滑って転んで尻もちついて、右尻に激しい痛みが。

こ・ん・な・と・こ・ろ・で(怒)

もうあと少しなのに!尻もちをついた場所に丁度鋭く尖った岩があったようで、そこにお尻を打ち付けてしまった。切れていないか?流血はないか?前後には誰もいなくて、ひとりでうずくまること暫し。切り傷というほどの外傷ではなく激しめの擦過傷だったのでとりあえず気付かないフリをして進む。痛い、けれどもあと少し。

下りに強い人が次第に追い上げてくる。やはり12時間台のゴールを目指す人に、金毘羅尾根で脚が死んでいるような人は誰もいない。そして私の脚はというと、死んでないけれどもそんなに速くまわりもしない。そしてまたひとり女性がやってきて、抜かれてしまった。また順位が落ちた・・・けれどまったく追いつけないから実力の差だわねーと思って諦めて見送る。みんな強い。

あまり最後の方の記憶が無いのだけれど、最後の00分の補給だけは(また女性に抜かれると悔しいので)すっ飛ばし、そうこうしているうちにあと2kmの看板が現れた。もうじき最後の激下りアスファルトになるなーと思っているとすぐアスファルトセクションが現れたが、それでも私の脚は止まらずに動き続けてくれた。ここ、前は脚が痛くて全然走れなかったんだよなぁ、よく走れるようになったなぁ、と自分の成長を噛み締めながら駆け下りていく。なんか、あれだな、もう終わりか。あっという間だったな。本当に72kmも走ったのかな私?サブ13なんて宣言したからには有言実行したくて、でも不安はあった。やっぱりできないんじゃないかとか、なんだかんだ言ってやっぱりハセツネは難しかった、って、14時間くらいにしかならなくて全然タイム縮まらないっていう展開だってあり得ると思った。でも今これさ、13時間どころか12.5時間切ってるじゃんね。切れるの確定したよね。もう少し突っ込めたかもしれないって今は思うけど、それでもよく頑張ったよ。私が私とダベりながら、ハセツネの最後の1kmを進んでいた。後ろから何人も男性が爆走してきて抜かされて、それでもなんだかもう色々嬉しくてニコニコと笑っていた。コケたし、怪我もしたし、仲間が脱落して心的ダメージを受けたりもしたし、それでも今回心から思うのは、自分のレースができたということ。under controlという言葉が相応しい。思い通りだった。

最後の50mほどをダッシュで駆け抜けるとそこは見知ったあのゴールだった。12時間22分02秒、ポールを2本並べて両手で握って頭の上に掲げ、「あ"ーーーーー!」と絶叫して私の2015年のハセツネは終わった。うるさいw
私が途中で追い抜いたチームメイトには最後まで結局抜き返されなかったけれど、抜いた3人は12時間46分〜55分の間に固まっていたのだから、接戦だったと言えるだろう。
私と25分差程で入って来たジムさんと豚汁(ふたりとも2杯目)。
胃がまったくやられていないのでお腹がすいて仕方がない
photo by Jackieboyslim
お風呂に行くバスも出ていたのだが結局多分誰もお風呂に行かなかった気がする(いつも混みすぎていてお風呂が大変なことになっているので懲りたのかも・・・)。汗拭きシートで体を拭いて着替え、ゴールした仲間達とレースの話をしながら寝袋に入りつつ朝を待つ。興奮のためか眠気はなかった。
身内の最終ランナーは16時間半でゴール。疲れと寒さでついつい体育館に居座ってしまい、誰のゴールも見届けられなかったのが心残り・・・
帰ってしまったメンバーもいたけれど、残っていた仲間で集合写真!みなさんお疲れ様でした!
photo by fuusora-san
ネットのハセツネ速報を見てみると、どうやら年代別で入賞している模様。表彰式は9時からとのことでかなりまだ時間があるけれど、、、やっぱりハセツネの表彰台なんてそうそう立てるものじゃないし立ちたい!!というわけで、時間潰しでアキラさん&ジャッキーと牛丼食べに行ってから再びジャッキーと会場へ戻って表彰式。
1位と2位が帰ってしまってちょっと寂しい感じになってしまったけれど、
だからといって台に乗せて貰えるわけではないw photo by Jackieboyslim
うれしいもんはうれしい。
私にとって今年は、本当の意味でのトレラン元年だったように思う。練習量が増えていたので回復に時間がかかると次のトレーニングができなくなるし、筋肉痛が出ると練習意欲がなくなるからその予防のために6月末くらいからほぼ毎日プロテインを飲んでいた。夕飯を家で食べるときや飲み会などでは炭水化物を摂るのは控え、代わりにできるだけタンパク質を摂るようにした。別に体重も体脂肪も減らなかったけど。また、山に行く頻度が高いとパッキングが早くなって持ち物も行動も無駄がなくなり、前回こうだったから次はこうしようといったようにディテールがブラッシュアップされていくのと同じように、レースに出る頻度を高くしたことで、私の中でのレース対策のノウハウがある程度集中的に蓄積されたように思う。自分がレース中にどんなところにストレスを受けて、どんなときに疲労が溜まって、といったクセも少しずつわかってきた。そして、トレランの先輩方から練習方法や走り方をこの半年間にたくさん落とし込んでもらった。更に今回はレース展開やコツについてもたくさんアドバイスを頂いた。勿論これまでにも先輩方からたくさんアドバイスは受けてきたのだけれど、おそらく私がそれを消化しきれなかったというか、そのアドバイスを受けて活かせるほどの力が私に備わっていなかったのだろうと思う。半年間、自分なりの試行錯誤で人体実験的に(そこまでストイックにやってはいないけど)面白がりながら、そしてお酒をじゃんじゃん飲みながら鍛えてきたけれど、こうして今年最後のビッグレースで大輪の花を咲かせられたことは純粋に嬉しいとしか言いようがない。これからまた来季にかけて練習を続けていけるのかは甚だ疑問ではあるけれど、ひとつ言えるのは、練習すれば誰でも速くなれるということだ。ただ、練習できるかどうかが分岐点であるように思う。とりあえず来年もしハセツネに出るのならサブ12は確実に狙いたい。でもそれはきっと今回の私にとってのサブ13と同じくらい、ぬるめの目標のようにも思うので、もっと追い込むのならサブ11.5を狙うべきかもしれない。いやいや、私は一体どこに向かっているのか・・・(いきなり全然走らなくなる可能性も大いにあるw)

というわけで、距離が縮んでしまった春と夏のレースの不完全燃焼感は解消されたものの、心の支えにしていたハセツネという大舞台が終わってしまったことで少し切なさの増した秋の夜半。そういえば月がとっても綺麗だったな。

最後に、孤独なレースを支えてくれた仲間達には感謝してもしきれません。寒い中スタートからゴールまで本当にありがとうございました。チームっていいよね。ていうか、うちのチーム最高でしょう?
浅間峠の応援を終えて下山する一行。次は月夜見へ。すべてのCPに応援部隊がいてくれるのは本当に心強い!
photo by Jackieboyslim
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おまけ。
レース48時間前からは恒例のカーボローディング。カーボローディングという名前にかこつけて兎に角食べまくる訳なのだが、今回のメニューはこんな感じだった。よく食べたなぁ。
【木曜昼】(外食)カオマンガイ大盛【木曜夜】(家食)アスパラガスのパスタ大量【金曜朝】忘れたけど多分プロテイン+豆乳?【金曜昼】(外食)バターチキンマサラカレー・ナン食べ放題(2枚)【金曜夜】(外食)神田わいずのたまごラーメン大盛り+小ライス

因みに会場に到着してからもずっとゼリードリンクやらメロンパンやらおにぎりやらゆで卵やらチーズやら、途切れることなくエネルギーを摂り続けていた。胃が丈夫だと体内ストレージにカロリー詰め込めるから、持って行くエネルギー量減らせるし食べるのにかかる時間も節約できるし一石二鳥だな。健康って素晴らしいw
大好きです。

2015/10/31

20151031-1101_第23回日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP(前編)

本当に私は71.5kmを走ったのだろうか?もうハセツネは終わってしまったのだろうか。いまだに少し実感が湧かず、良い結果が出せて嬉しいような、それでいて心に大きな穴が開いてしまったような。the party is overとでも表現しておこうか。

最後の瞬間が最上級の感動に包まれるように願いながら、毎日積み重ねていた何か。ここに書き残すのは、今年の私の集大成である秋の1日のおはなし。

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私の2015年のトレランは5月の奥久慈で始まった。初めてまともに練習をして本番に挑んだレースと言っても過言ではない。そして完走できるかどうか怪しいと思っていたその過酷なステージで、私は強烈な感動と共に完走を遂げた。私は元々レースに出るのが好きだったからこれまでにも何度もレースには出場していたのだけれど、この時はそれまでと違った快感が体を突き抜けるのが解った。自分で自分の心と体を完全にコントロールできたし、「走れば、例外なく強くなるんだ」という当たり前のことを身をもって感じた。

7月のキタタンでは年代別8位、8月の志賀高原Extreme Triangleでも年代別優勝と入賞が続いたものの、いずれも悪天候のため距離が短縮されてしまい不完全燃焼状態だった。だから、このもやもやを爆発させるにはハセツネという今年最後のビッグレースを最高のものにするしか方法がなかったのだ。とはいうものの9月は完全に練習をサボってしまい、月走15kmという体たらく。10月は再び走り始めて200kmほどの練習ののちに本番を迎えた。練習内容は皇居ラン、帰宅ラン、30km走、なんちゃってインターバル、ソロトレラン、チームメイトとの試走、といったところか。
控え室となっている体育館にて。チームの他の出場メンバーが全員男性のため私もここへ・・・
早朝に会場入りして体育館の奥の方を陣取る。スタートまで少しでも体力を温存しようと寝袋とマットを持参するも、興奮と装備の最終チェックで全く眠れない。持っていくつもりだった荷物を仲間と持ち比べては荷物を削り、削ってはまた持ち比べ、そんなことを繰り返して結局持参したエネルギーは2000kcal程度だっただろうか。あっという間に12時をまわっていざ出陣。
残念ながらひとりRUN+TRAILの取材で席外し中・・・。photo by Aya
恒例の!でもやっぱり数名不在w
どの辺並ぶ?もうそろそろ前の方攻めておかないと入れなくなりそうじゃん?などと言いながらジワリジワリと10時間台狙いの枠の方へと進んで行く。
前回よりもいい位置からスタート
13時。先を争うようにしてゲートをくぐる。チームの仲間が沿道から行ってらっしゃいと声を掛けて見送ってくれる。奥久慈で私を引いてくれたタケさんは今回も私のすぐ横にいたので、引き離されないようにしながら広徳寺までの舗装路を進んだ。広徳寺までは気合いでなんとか歩かずに進めたが、一旦トレイルに入ったらもう1mも走れなくなってしまったので、とっととパワーハイクに切り替え。タケさんの姿は一瞬にして見失った。
入山峠まで1時間10分を目安に進む。前回のハセツネでも1時間で通過していたので無謀なタイムではない。結果1時間ちょっとで入山峠に到着、その先のシングルトラックでは人を抜くことではなく自分のペースを守ることに専念する。自分のペースとは言ってもこのセクションでは苦しくなるくらいまで追い込もうと思っていたので、気が狂ったようにゼイゼイ言いながら登る。脚はあっという間にヘロヘロになってしまって、しょっちゅう躓いていた。こんなんで本当に大丈夫なの?体が72km持ち堪えるの??という自問自答もあったけれど、自分よりも信頼すべきは先輩方の教え。「浅間峠までを頑張らなくていつ頑張るんだ」という言葉を脳内で繰り返し、自分を奮い立たせては幾度となく現れる激登りに立ち向かう。がんばれがんばれ。とりあえず浅間峠までがんばれ。

市道分岐を過ぎたあたりだったか、タケさんより後ろ、私より先を走っていたであろうジムさんに追いつく。彼が初めてハセツネを走った昨年の記録はたしか14時間01分、これは私の一昨年の記録よりも30分速い。そして試走の時もとても速くて、私はまったく追いつけなかったのだが、今回何故か追いついてしまった。私の後から聞いたところによると彼は物凄いスロースターターらしく、走り始めて6時間くらい経ってようやくスイッチが入るのだとか(遅いw)。ジムさん、と声を掛けると「ああ、ヤスヨちゃん!頑張って」と彼はまるでもうリタイヤするかのように私に返事をした。ここは、頑張って、じゃなくて、頑張ろう、じゃないの...?でも後ろを振り返ると暫くは姿が確認できたので、ちょっと調子が悪いだけなのかもしれない、元々速い彼のことだから、きっと私とそんなに離れることなく浅間峠に到着するのだろう、とぼんやり思いながら進んでいった。

ジムさんを抜いてから吊尾根を走っていると左前方に今度はタケさんの姿があった。また仲間に会えたという嬉しさと、追いつけると思っていなかった人に追いつけた喜びで、手を振りながら、タケさん、と声を掛ける。ああ、という覇気のない声の波動がゆっくりと私の鼓膜に到達した。そのスピードと然程変わらないと思える程の速度で前から後ろへと流れていく景色。それを背景にしたまま一緒にタケさんが遠く小さくなっていく。あれ?私そこまで速くない筈なのになんでこの人を追い抜いた?抜いてようやく事態のおかしさに気付いたが、自分の前にも後ろにも人が連なっていて、引き返すことはできない。少しするとタケさんが人の流れに戻って進み始めるのが見えたが、振り返る度にその姿は小さくなり、そのうち見えなくなってしまった。怪我か?忘れ物か?すごく大事なものを落としてしまって続行不能なのか??兎に角何かトラブルがあったに違いない。事実がわからない内から自分のことのように悔しくてたまらず、しかし何か本当に危険な状態なのであれば早く誰かに伝えなければという思いで浅間峠を目指した。登り続きで脚を追い込んだせいか、下りで脚が思うようにまわらず、思い切り前方にスライディングで大ゴケしTシャツは真っ黒だった。さあ、あと少し。浅間峠には仲間が応援に来ているはずだ。
photo by Monami
今回の目標はサブ13。13時間を越えるという選択肢をなくすため、それ以外のタイム表は持たなかった。浅間峠を16:58に出発できればいいと思っていたが、到着したのは16:30。ここで頑張らなくていつ頑張るんだ、と自らを奮い立たせながら進んだ結果、かなり速く到着してしまった。これが吉とでるか凶とでるかはわからない。

大して疲れているわけでもないので休憩は最小限に。まずトイレへ。そして行動食の入れ替えとゴミの整理、ヘッドライトの装着とトレッキングポールの準備。ここでやることはそれだけ。タケさんがダメかも知れない、私の後で多分すぐジムさんが来る筈、私の状態は悪くない。これらの要件と報告を、応援にきていたジャッキーに簡潔に伝えつつ身支度を整える。予め、スタート〜浅間峠、浅間峠〜月夜見、月夜見〜ゴールの3ブロックで行動食をまとめておいたので、ここに辿り着くまでに食べたジェル類のゴミと、次のブロックで食べるべきジェル類とをごっそり入れ替えるだけ。私が休憩している間にビビちゃんが浅間峠を通過。

支度を済ませて私も再びトレイルに戻る。浅間峠を過ぎた登りのすぐ上でビビちゃんが装備を整えていたので声を掛けつつ、抜き去る。奥久慈のレースで私より15分ほど先にゴールしたビビちゃんに追いつくことは、今回の私の目標のうちのひとつでもあったので、ここで会えたことはとても嬉しかった。目標ひとつ達成!

ここから先の細かいアップダウンではストックを使いながら淡々と。いつもより開催時期が遅いこともあり、ナイトセクションが長くなることは予め分かっていたが、自分が以前より速く走れていたため、結局暗くなった場所は前回とほとんど同じだったような気がする。心配していた気温もそれほど低くない、というより、自分がずっと走っているので全く寒さを感じない。

西原峠に到着し、ここで初めて固形物を口にする。グミを一気に貪りゼリードリンクで飲み下すと三頭山の登りにとりかかった。00分になるとジェル1本、30分になるとアミノバイタルを1本、ペースを崩さず摂取しているせいか、時間の経過がとてもはやく感じる。30分というひとかたまりを幾度も幾度も繰り返しているだけで、もう5時間以上経ったのか。なんだかあっという間だしそこまで疲れていないなぁ、でも前回もまだここでは疲れていなくて、月夜見以降で一気にバテたんだっけか。そんなことを考えながら三頭山(P1531)までの登りを黙々と登っていたら小雨が降ってきた。持ってきたシェルは雨に抗うには心許ない。やばいな。そうこうしているうちにナガイくんに追いつき言葉を交わす。そこから三頭山の山頂まで、今度は私が人を引いて進む番だった。私にとって、途中でチームメイトと出くわして一緒に進む「トレイン」を組むことは初めてのこと。たかだかちょっとの登りで、既に戦友のような意識になってくるのは不思議なものだ。

長い登りを終えて三頭山の山頂に着くと、ベンチに腰を下ろして小休憩をとることにした。少し風もあってとても寒い。エネルギー補給をしているとすぐに体が冷えてきたので、先を急いだ方がよさそうだった。我々のすぐ前には誰も居なくて、三頭山からの下りでは私が先頭を走らなくてはならなかった。大してスピードも出せないガレと岩場の急な下りを、誰か追い抜いてくれー、とかなんとか言いながら、私がよっこらよっこらと格好悪い感じでこなしていく。そのうしろで「月夜見までトレインで行くかー、ジャッキーきっと喜ぶぞー」とナガイくん。と、ほどなくしてナガイくんが足を捻る。先行っていいよーと言われて残念ながらトレインは解散となってしまった。とはいうものの、一度の軽い捻挫ぐらいで走れなくはならないだろうからおそらく大丈夫だろうし、もしかしたら追いついてくるかもしれない。とりあえず再び一人になった。今日の森の中の闇は黒ではなく白に近い灰色のようだ。ガスが出てヘッドライトの光が拡散し、トレイルの状態が見えなくなってきた。

鞘口峠までの下りはそもそもスピードが出せないので光が拡散してもそんなに辛くはなかったのだが、問題は最後の月夜見に向かう下り。飛ばしたいのに見えなくて飛ばせない。でも、雨で少しトレイルが濡れているから・・・飛ばせないくらいが丁度いいのかもしれないな。いや、そんなこと言ってないで先にフォグフィルターをつけた方がいいのかな。あれこれ考えている内に月夜見のCPに到着。道路のガードレールにつけられた反射板がぴかぴかと光りながら出迎えてくれる。ああ、もうここに着いたんだ!タイムも落ちていないし、最初に稼いだ30分ほどの貯金はまだそのまま残っているし。サブ13が射程圏内に入ってきたのを確信した。

私はハイドレーションに麦茶を1.3L、ボトルにゼリードリンクを0.5L入れてスタートしていたのだが、ここで残っていた水分は麦茶が0.3-0.4Lほど。ボトルにポカリを0.25、水を0.25、そしてハイドレーションに水を1L足してもらって月夜見での水分補給は終了。行動食の入れ替えをしているとすぐにナガイくんがやってきたので少し話をすることができた。応援部隊のチームメイトからは3人がDNFだとの報告を受ける。今回ハセツネ6度目の参戦であるタケさんはそもそも胃腸炎をおして出場していたため、矢張りどうにもならなかったとのこと、物凄く速いのにいつもとんでもエピソードで皆を笑わせてくれるfuusoraさんは蜂に刺されてアナフィラキシーショック、カトさんは昨日まで38度の熱が出ていて体調不良だった上に蜂に刺されてそれぞれリタイヤとのこと。私の前を走っているのは、UTMB日本人第6位という好成績をおさめた次元の違うカノくんと、裏山が高尾という恵まれた環境でマイペースに脚を育てているまったりアキラさんの2人だけになった。ナガイくんは私と離れてからさらに何度か足首を捻ったらしく、あと1回捻ったら「オワリ」だと言う。さて・・・
ストレッチをする私と、その手前にナガイくん。photo by Jackieboyslim
ハンドライトにフォグフィルターを装着し、ライトは頭・お腹・手元の3つ体制に。ついさっきまでナガイくんと走っていたものだから、つい引っ張られて長く休憩しそうになるところを、いやいや私の方が先に到着しているんだから先に出発しないと、と思い直して再スタートを切る。時刻は19:30頃だった。

2015/08/30

20150828-30_志賀高原Extreme Triangle 62K

奥久慈のレースを終えた翌日は6月1日だった。レースのゴール時間によっては東京に戻るのが深夜になるかもしれないからという理由でその日は半休をとっていたのだが、よくよく考えてみたらハセツネのエントリー日だった(すっかり忘れていたけどラッキー!)。無事にエントリーできたはいいが、キタタンまで1ヶ月ちょっと、そしてその次は10月末のハセツネとなると、間にもう1つくらいレースがあってもいいのではないかという気になってくる。そして6/9に見つけたのが志賀高原Extreme Triangleというレース。確か、Facebookかなにかで、知り合いの知り合いが出ていた昨年の写真とかがたまたま目に付いたんだったとかだったと思う。距離は62km、累積標高は4500mとある。そこまではいい。しかし「トレイル率96%」で「コースの20%が標高2000mを越える」のか・・・。更に去年出た人の話を聞いてみると「腿まで泥に浸かりながら走るどろんこレース」「パンツが裂けた」「全然走れない」等、エクストリームの名に相応しい逸話がバシバシでてくる。なんだそりゃ。今年エントリーしている人が自分の界隈に数名いるのは把握したものの、私がどうやって行くのか、現地までの足が調達できるのかも定かでない。50km以上のレースで上位50%以上でゴールした経験のある人、という条件が邪魔をして、Run or Dieのチームの中で出ると言ってくれる人は今の所ひとりも居ない。金曜日に現地入りしなければいけないけれど休みをとれる保証もない。でもなんだかもう心を奪われてしまって、見切り発車でエントリーを済ませた。あとはどうにかなるだろう、どうにかすればいいだろう。

私のエントリーからほどなくして、奥久慈を一緒に走ったチームメイトのタケさんがエントリーした。ハセツネでサブ12というタイムを叩き出す彼の職場は私の職場と近いということもあり、平日は一緒に走ったり、休みの日はロードバイクでツーリングに行ったりしていた。7月は共に月間走行距離200kmを達成(もっと走っている人はたくさんいるけれども。。)。8月はレース前の1週間をレストに充てたためそこまで走れなかったものの、それでも自分としてはかなり頑張れたと思う。走り終わるたびにチーズとかササミの燻製なんかを齧りながら外飲みして解散する私達の夏の集大成は大雨の予報。
金曜の19:00までに受付を終了しなくてはならないため、フルタイムで仕事をしていたのでは間に合わない。結局タケさんは全休、私はかろうじて半休をとり車で会場に向かう。会場近くにある唯一のキャンプ場でテントを張る予定でいたものの、もうすでに雨が降り始めているし夜の予報も酷いので、翌朝の撤収の煩わしさを鑑みて車中泊に決めた。受付の際に装備チェックがあるとのことでザックを持って受付に並ぶ。バスツアーの集団より僅か先に到着したのでスムースだった。
公式ページphotoより。タケさん受付中
荷物を一旦車に置いたらすぐにブリーフィングがスタート。コースのプロデューサーである山田琢也氏と実行委員長である大塚浩司氏による、脅しに近い笑顔のブリーフィングが1時間ほど続き、皆が完全にビビった状態で解散。ざわつく会場。 トレイルではなく、なんか「沼」らしい・・・
公式ページphotoより
翌朝は4時出走。ブリーフィングを終えてすでに17時半頃なので、ゆっくりもしていられない。ブリーフィングをしたホテルに宿泊する人が多数だったものと思われるが、ホテル脇の駐車場での車中泊は認められていない。装備を整え、事前に調べておいた温泉施設へ移動して温泉に入り、そこでご飯を食べたりと慌ただしく諸々済ませてから、近くの道の駅へ移動して車中泊。雨は一晩中降り続いて、あまりの雨音の凄まじさに途中目を覚ましたりしながら寝不足のまま当日を迎える。

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車でホテルへ移動し、ロビーでしばし待機。雨が酷すぎて、スタートまであと10分くらいに差し迫っているというのに皆ホテルから出ようとしない。
「写真撮ろう!」と言われて出走前に1枚。顔が完全にひきつっている・・・
ようやく諦めたようにスタート地点であるスキー場の麓へと移動をする。芝生に足を乗せるとじわぁと染み出す泥水。既に足元はぐしょぐしょだ。
写真に雨粒が写り込むことってそうそう無いと思うけど、写り込んでいる・・・
つまり大雨
飛ばすようなコースでもない。というか、飛ばせるようなコンディションでもない。階段状のところは滝のように水が流れていて、水といっても透明なんかじゃなく泥を押し流す濁流で、もう誰が何のシューズを履いているのか一切見分けがつかないくらい全員の靴が一瞬で泥だらけになっていた。気温は低い。タケさんもまだ飛ばさないのですぐ前にいる。日が出てきて少しずつ空が白み出してくると景色が良いであろう高い場所に出た。登り基調になるとタケさんがするりするりと遠ざかっていく。奥久慈のときも思ったけれど、きっともうコース上で会うことはないのだろう。

コースは本当に沼だった。沼とは、「一般に水深 5 m 以内の水域であり、イネ科やシダ、ヨシ、ガマ、スゲなどの草に占められ、透明度が低く、規模があまり大きくないもの」だそうだが、この定義で考えたらここは完全に沼。足首が泥に埋もれる、なんてもんじゃない。脹脛?それでもまだ甘い。ズボッとはまると太腿まで泥や泥水の中に沈み込んでしまう。深いところなんて本当に泥水が腰までくるのだ。パンツの中まで泥が入ってくる。もう、辛いとかしんどいとかそういうのを通り越して途中から面白くなってしまって、泥に埋まるたびにキャッキャと笑っていた。泥斜面の傾斜がきついところはとてもじゃないけど立っていられない。シリセードするにはランパンが破けそうだし、私はしゃがんでグリセードをしつつ下った。それでも途中でバランスを崩せばごろんごろんと転がり落ちるし、短く切られたネマガリダケの切り株にザックやストックが引っかかれば突然止まったりして体が前後逆転するし、もう無茶苦茶だった。トラバースでは道が谷に向かって斜めになっていてまっすぐ立てず、笹に掴まりながら縦型の雲梯のように進む。雨は途中で止む予報だったのに一向に止む気配もない。

今回は友人からのアドバイスもあって、ジェルを00分に、アミノバイタルを30分に必ず飲むよう心がけた。つまりどちらも1時間に1本ペースで。しかしどこもかしこも泥だらけなので、パッケージを切るのも一苦労。ジェルに泥が混ざらないように気を遣う必要がある(それがまた疲れる・・・)。 とばしすぎないようにと思いながらも泥斜面グリセードはネジが外れたように突っ込んで転げ落ちまくっていたのだが、そこまでしていても関門に間に合わないかもしれないという事実に気付いたのは制限時間30分前。突っ込みすぎないようにとセーブしたのが仇となったか、まだこんなに脚が残っているのに関門で足切りとか絶対嫌だ!と思っているうちにもう時間になってしまった。いや、もしかしたら関門延びているかもしれないし、と思って諦めずに走る。それしかできない。
公式ページphotoより
切明の関門に到着するとなんだか普通の雰囲気。あれ?と思って確認すると、関門時刻を自分が30分勘違いしていただけだった。11時関門じゃなくて11時半だったのだ、そして到着したのは11:10頃。よかった、とりあえず間に合った。しかし関門時間の変更を知らせる張り紙がしてある。なんだろう?どこの関門?どういうことだろう?ぼんやりとした頭で考えようとして、でも考えられずにいるとどこか背後から自分の名前を呼ぶ声がした。タケさんだった。
目線の高さでキョロキョロと見回しても見つからなかったタケさんは、私の目線よりも高いところにいた。バスの中だった。関門手前の激下りのどろんこで派手に転倒し太腿を強打したためここでリタイヤを決めたとのこと。私が貼り紙を見ても理解できなかった関門時間の変更について、タケさんが詳しく説明してくれた。元々第二関門は16:00だったのだが、14:00に繰り上がるのだそうだ。天候の悪化で関門が繰り上がるってどういうことなんだろう?とも思ったが、昨年も最終ランナーが無事トレイルから戻ってこられたのも深夜0時過ぎだったりするほどの、リタイヤさえも過酷なレースなので、14:00までに第二関門を越えられない人をそれ以上走らせるとリタイヤもままならないし危険だろう、という意味での関門繰り上げのようだった。
私が参考にしていた、昨年完走の女性ランナーみどりさんのタイムは、第一関門で10時半、第二関門で14時半。第一関門に到着してすぐに出発したとしても彼女との差は40分以上。彼女が4時間かかったところを、私が3時間ちょっとで行けるとはとても思えない。第二関門は繰り上がったものの、第二関門に16時までに到着すれば「完走扱い」になるというが、完走扱いって一体なんだよ、と悶々とする。うーん、16時には間に合いそうだけれど。。。走ってもゴールまで行かれないのがわかりきっていて、それでも第二関門まで行く意味はあるのか?でも、ここまできてるし、走らせて貰えるのなら走ってきた方がいいか。。。
走っておいでよと言われて我に返る。そうだな、折角だから走ってこよう。水はまだあるので補充はせず、代わりにここでたくさん水分をとることにする。どうにもならない泥汚れを池ですすいだりして気持ちを切り替え、11時半過ぎにようやく第一関門を後にした。ここから沢沿い林道をゆるやかに降り、東電の水平歩道に入る。 天気が少しだけ回復してきて景色が見えるようになった。なんだかどこかで見たような景色だな、と思いながら水平歩道をひた走る。脚が結構元気なので、たまに人に出くわしては抜いていった。水平歩道が終わって渋沢ダムのところに出ると、これまたどこかで見たような景色、いやこれは見たことのある景色だなとようやく気付いた。そうだ、野反湖から魚野川に抜けようとしてMTBを担いでここまできて、結局魚野川に到達するのは無理だということになって水平歩道をMTBで抜けて切明に降りたんだった!そのときこのダムの監視小屋のあたりでで幕営したんだ。すっかり忘れていたけど。
ならば話は早い、ここから野反湖のルートは、私がMTBを担いで上がったルートだ。大まかな距離とアップダウンの記憶を呼び起こし、(きついのがわかっていたので)気合を入れ直して進むことにした。ビビりながらゆっくり渡渉する人の脇を、私が粗野にバチャバチャと進む。西大倉山の長い登りが終わり、もうどろんこグリセードはないのかなと思いきや、結局最後の方にもまた泥斜面がでてきたりして、飽きることのないトレイルを4時間ほど行くと、15:20頃ようやく第二関門である野反湖に到着した。
「お疲れ様でした!女子総合7位です!」そう言われて山田さんに出迎えられた第二関門はゴールではないけれど私のゴール地点だった。天気が悪くなければ走らせてもらえたであろうトレイルが先に続いていて、関門時間が繰り上がっていなければ私は当然その先に行けた。でも今日は行かせてもらえないんだな。途轍もなくモヤモヤしながら、直前の数時間を共にしたよく喋る男性ランナーと他愛のない会話をする。スタッフの人に「あと10分で出るバスを逃すと、次のバスは何時に出発になるかわからないし、これに乗った方がいいよ」と言われて急いで支度をする。エイドのお饅頭とかを適当に口に放り込んでバスに乗車すると、車内は汗臭くて物凄かった。リタイヤしたことがないのでこういうバスに乗るのは初めてだったが、すべてのシートにゴミ袋が被せられていて、シートが汚れないようになっていた。これ被せるのも結構大変な作業だよなぁ・・・。バスに揺られること2時間、硫黄の臭いのする道路を進み、ようやくスタート/ゴール地点に帰還。
しばらくシェルを着ていたのでシャツはまだドロドロではないけれど、脚がドロドロw
(これでも一度、切明エイドの後の沢で水洗いしているんだけど・・・)photo by take-san
ホテルのお風呂で汗を流してからラーメン食べて買い出し行って、再び道の駅の駐車場にチェックインして車で後夜祭。タケさんが怪我をした太腿は腫れて痛そうだったけれど、歩行困難なほどではなかったようで一安心。
記念撮影!
実は私はレース直前の土日に、会津駒ケ岳を登ってからとある沢を下降をして御神楽沢を目指す釣行をしていたのだが、沢の下降時に転倒して膝を強打し、歩くだけでも痛いほどになっていた。整形外科に行ってレントゲンを撮ったところ、とりあえず骨に異常はないとのことだったが、レントゲンではわからないダメージがあった場合にはCTスキャンが必要だと脅されていて、このレースに出てもすぐに痛みが出て走れなくなるのではないかと心配していた。蓋を開けてみたら、第一関門の直前あたりで痛みが出たものの、その後その痛みは消えていき、結局全然痛く無くなってしまった。体に強烈な刺激を長時間与え続けると、体はなにか勘違いをして、悪いところを補修してしまうのかもしれない。そしてその後一切痛みが出ることはなくなってしまった。なんだったんだろうな。
基本的に車移動なので外で飲めないw というわけで車内で打ち上げ
土曜日のうちに帰ることもできたが打ち上げもしたかったので(というか飲みたかったので)、もう1泊して日曜日の午前中に都内に戻ることに。二人ともゴールに至らなかったので、完走したら飲む、完走できなかったら飲まないよ、といってタケさんが買ってきてくれていたCaptain Crowで乾杯をしてからハイボールやら何やらのんびりとアルコールを摂取しつつレースの振り返りをして就寝。

レースの表彰式は日曜日10:00からだったらしいが、表彰されるのは総合6位までだしねと思って普通にスルー。しかししばらくしてから家に大きなダンボールが到着。玉手箱?
どかーん!
総合6位までの人は年代別でのダブル入賞で表彰されることはないため、7位だった私は自動的に年代別1位ということに(笑)。女子の出走はたったの23名、ゴールまで完走したのは3名、第二関門まで到達した女子は5名とのこと。エクストリームすぎるw 

結構トレーニングを積んで挑んだレースだったけれど関門短縮で最後まで走らせてもらえず消化不良感が否めなかったが、これ以上のどろんこレースなんて無い気がするから、もうどんなぐちゃぐちゃトレイルでも走れるという自信がついた。関門時間が短縮にならなければきっと完走できるはずなので、来年は必ずリベンジしたい。あと、奥久慈のときもそうだったけれど、少し遠くの土地でやるレースは旅っぽくていい。来年出るときは絶対全休取ってやる。やっぱり行くからにはその土地を楽しんできたいからね。

さて、次のレースは10月のハセツネ。今年春にまともに練習を初めてから僅か半年間だったけれど、たかが半年、されど半年。どこまで力がついたのか試すのをとても楽しみにしている。

2015/07/05

20150705_北丹沢12時間山岳耐久レース

5月末の奥久慈のレースから約1ヶ月ちょっとでやってきた毎年恒例キタタンは、かれこれ今年で3年目の出場。2回目となった昨年は気温も涼しく天気も曇りで走りやすかったにもかかわらず、酷暑の1回目と比べてたかだか15分程度しかタイムは伸びなかったのだが、今年は奥久慈のために相当走り込んだし、その後も走っているし、タイムは大幅に更新できてもおかしくないはずだろうと思っていた。

レースは日曜日。コンディションを万全に整えて立ち向かってPBを更新したいと思う気持ちに待ったをかけたのは金曜夜のNathan Fake来日。いやもう久しくクラブなんて行ってないけど、一時期かなりハマったアーティストの来日で、しかもいつかのイベントで凄く良い音をかけていたのをきっかけに注目していたGonnoさんも出るとのことだったので結局行ってしまった。朝になるまでひたすら踊り続けてしまって帰宅は7時過ぎ。持参したプロテインは音終了直後に摂取、帰宅してシャワー浴びて2時間ほど仮眠し、Run or Dieの仲間と車で現地入り。絶対車で寝てしまうだろうなぁ申し訳ないなぁと思いつつも、妙な興奮状態で結局一睡もできず。ここ1週間ほど降り続いている雨でトレイルはぬかるんでいるだろうし、昨日も大雨だった。勿論土日の天気予報もとても悪い。

えー、前日なのに飲んじゃう?でも意識高くノンアルコールビールにする?早い時間なら少しくらいいいんじゃないかな。夜何食べる?朝は?どうする?とか言いながら皆でスーパーで買い出し。受付を済ませるとなんだかざわついている一角がある。コース短縮?どれどれ?
山いっこ消えた・・・
自称登りに強い私にとって、山がいっこ消えるというのはダメージが大きい。そもそも、今回の目標が「PB更新」だったのに、コースが変更になったらもう何を目標にしたらいいのかわからないじゃないか。動揺すると同時にちょっとやさぐれる。ええい、もう飲んでしまえ!飲んでしまえ!
photo by fuusora-san
お酒は敢えてほとんど買ってきていなかったけれど、結局人から譲ってもらったりして飲んでやった(ヤケ酒気味)。一体何を目標に走ったらいいんだ!一体いつどこに着けば早いのか、遅いのか、もうさっぱりわからない。どういう時間配分でいけばいいのかよくわからない。自分の走りがキロ何分なのかというログをとることぐらいしかできないじゃないか。もやもやする気持ちを酒にぶつける(最悪w)。雨は益々酷く、タープの真ん中くらいから雨が滴り落ちる始末。夜はそれぞれ、車中やらテントやらゴロ寝やらで就寝。着替えもしないといけないので、私は自分のエスパースに撤収。

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朝起きてもまだ雨模様。夜は雨が酷くて目が覚めてしまったという仲間もいた程。予報は益々酷く、雨は4mmとか5mmとか書いてあったように思う。朝食と支度を済ませてスタート地点へ向かうと、コースはさらに短縮されて、ラスボス姫次まで消えていた。距離は44から37kmとそこまで大きな短縮にはなっていないものの、こんなの山岳耐久レースじゃない!ほとんどロードじゃん!もはや脱力感しかない。これからほとんどロードの37kmを走るのか・・・と思うと本当にやっていられない。まぁしかし、これまでのキタタンの歴史でコース短縮は初めてのことだったらしいし、その年に参加しているというのもある意味貴重な経験なのかもしれない。「キタタンて、昔、山3つのうち2つカットになったことがあるらしいよ!」って、将来語り継がれることになるかもしれないのだから。
photo by take-san
ちょっとネジ外れ気味に激坂を走りながらスタート。6月の頭に皆で試走に行ったのだけれど、そのときに登ったところは全部カットになってしまったので全く試走の意味がない。試走と今回を足してやっとキタタンと呼べるのか、呼べないのか、、、最早何のレースだかわからない。今回選んだシューズはinov8のTrailroc235だったけれど、今回はロード用のシューズでもよかったんじゃないかと思った。
photo by take-san
雨は酷く、修行さながら。しかしCP手前くらいから予報に反して雨が止み、すっかり蒸し暑くなってきたのでシェルを脱いで走る。待ってくれていた応援部隊は寒くてインナーダウンを着込んだりしていたようだけれども。
最早自分がどこを走っていてあとどれくらいかも大して把握していない。あれこれ考える余裕もないくらいにずっとロードなのでひたすら走らされる。大して走ってないしそんな疲れてもいないけれどもうじき終わるよねこのレース(なんだこりゃ)。

疲れてはいないんだけれどもラストスパートをかけるほど気持ちも昂ぶらず、そして太腿にはそれなりの疲労はあって上にあがらず、なんだかもっさりとした感じでゴール。私はスタート時刻が6:30で皆よりも30分くらい早いので、果たして早かったのか遅かったのかもよくわからない。まぁとりあえずお疲れ様でしたってことで・・・
奥久慈で共にゴールを決めたビビちゃんのラスト快心の爆走!
photo by Akira-san
普段山に行って疲れる程度の疲れしかないので食欲がある。ゴール後に提供された恒例の冷やしうどんをペロリと平らげ、応援部隊が用意してくれていたソーダやコーラを飲みつつ、仲間のゴールを待つ。川で靴を洗っていると体がいよいよ冷えてきたので、お風呂セットをとりにテントへ戻ることにした。

と、そこへ背後から私の名前を呼ぶ大きな声が聞こえた。ん?アナウンスは繰り返される。私か!私なのか!入賞か!
photo by fuusora-san
39歳以下の部で入賞!
photo by Akira-san
ひとつのレースに3回も出ていることなんてキタタン以外になくて、そのレースで表彰台に上がれたことの幸せ。コースは短縮になってしまったし、このコースはキタタンとは呼べないと思うけれど、モチベーションを削がれて雨の中走らなくてはならないという条件下、それでもなんとかギリギリのところで気持ちを保って走り切って結果を残せたということは誇りに思っていいだろう。そして来年は本来のキタタンのコースを走って入賞してみたい。

結局私は本当に登りに強いと言えるのだろうか。。。
誰が撮った写真だかわからなくなってしまったスミマセン
お疲れ様でした!

2015/05/31

20150531_奥久慈トレイル50K (57km)(本編の後編)

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本編の前編はこちら
26km地点の第二関門から程なくして26.9km地点にエイドステーションが現れた。でかでかと掲げられた横断幕には「歓迎」の文字。地元の方々の歓迎ムードが有難い。それにしてもちょっとエイドのインターバル狭くない?さっき休憩したばっかりだよ?と思いながらも目の前に並んだグレープフルーツが美味しそうすぎてふた切れほど頬張る。まだ全然喉は乾いていないけれど麦茶を一杯だけ頂き、エイドのおばちゃんと談笑する。

私「いやぁ、キッツイ!」
おばちゃん「だろうねぇ!このレースは初めて?」
私「そうです」
おばちゃん「初めてなら30kにしておけばよかったのに・・・w」
(※このレースは30kの部と50kの部がある)
私「いや、やっぱり50k走りたくて。3年前からずっと走ってみたかったんです。絶対完走したい。」

言いながら早くも泣きそうになる。そう、ここは3年越しの憧れのステージだ。絶対に完走したい、改めてそう口にすると気持ちはますます昂った。おばちゃん達にアリガトーと言い残し、たぷたぷになったお腹のまま再び私は走り出す。レースも後半戦に入ると前半戦より舗装路や林道も多くトレイルのアップダウンも穏やかで、思ったよりも進めて脚へのダメージも少ないし、もしかするとゴールできるのかも、という淡い期待を抱く。吊橋から少し登って再びエイドを通り、そのあとひとしきり降って今度は東金砂神社まで階段の上り。階段は何度も終わっては始まり、終わっては始まり、いくつものパーツに分かれていて、しかも次の階段が微妙に見えないから、毎回「これで終わりかな?」と期待させられては裏切られるという嫌らしい作り。偽ピークを何度も踏んだような脱力感に襲われ、必要以上のダメージを受けた。神社を過ぎて少しすると「もうすぐ関門」の看板があったので、え、そんなに早く着くわけないよねと動揺していたら、案の定30kの部の9km地点にある予備関門だった。私自身、第三関門が37kmくらいのところにあるように錯覚していたので(単なる勘違い)ひょっとして本当に第三関門に着いたのかなと思ってしまったのだけれど、実際はまだそこは34.7km地点で、次の関門までまだあと11.3kmもあった。エイドでおまんじゅうを1/4切れだけ食べたような気がする。水の補給もせず再び走り出した。第3関門は16:00がリミットだ。
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ここからは林道セクション(写真が全くなくて本当にすみません・・・)。またの名を修行。くじけない、怠けない、そしてできる限り歩かずに走るんだという強い精神力が問われる。単品で見れば決してコースがきついわけではないが、兎に角精神的に追い込まれる。林道手前の舗装路あたりだったか、おじさん2人が「ゴールできるか、ギリギリのラインだな」と話していた。1人は「死んでも完走したい」と口にした。表現の仕方は無茶苦茶だけれども、その気持ちはよくわかった。私もそれと似たような気持ちだし、この人は死んでも完走するんだろうから、最終的にこの人に千切られないようにしたいなという思いで林道に突入した。昼前から風が出てきたので、高いところにいれば風が気持ちよかったのだが、林道では当然風などほとんど吹いてくれない。つまり暑い。

普段ロードを走り込んでいる訳ではないので、私は平地を速く走ることはできない。ここでは必要以上に蹴らず、飛ばさず、呼吸を整えて進む作業に専念した。1, 2, 3, 4で左右左右と脚を運び、呼吸は1, 2で鼻から吸って3, 4で口から吐く。どんなに勾配がきつくなってペースが落ちても、テンポは乱さない。どうしてもきつくなったら、区間を決めて歩く。決めた区間が終わったら必ずまた走る。下りも上りもできるだけ走る。歩く時は競歩のように肘を90度に曲げて勢いよく振って早歩きをする。ここまで散々しんどいルートを走ってきた脚には、緩やかな傾斜も相当きつく感じられるため、ついついすぐに歩きたくなるのだけれど、そこは踏ん張りどころ。なんせ神社に着いたのが確か14:20くらいで、そこから関門までの11.3km、猶予は1時間半程度しかなかったのだから。

これだけ頑張ってもやっぱり間に合わないかもしれない、けれど間に合わないだろうからといって走るのを止めてしまえるほど諦めが良くもない。走れるところまで走ると決めて第2関門を出発したんじゃないかと自分で自分を奮い立たせ、走力がそれほど自分と違う訳でもなさそうな周りの人達と、抜いたり抜かれたりを繰り返しながら黙々と進む。誰かが一人、二人と脱落して見えなくなってしまったりもしたけれど、皆が関門目指して必死に進んでいた。他の人が走る勾配なら私も走る、他の人が走らなくても私が走れるようなら走る。とにかく全体的に走る。コース説明の時に「林道をたらたら歩いていたらまず間に合いません」と言われたし、そもそも11kmを1時間半ちょっとで抜けるのがミッションなのだ、歩いて良い訳がない。

林道に入って数十分くらいした頃だったか、お腹からギュルルルルルルルと音がした。顔からサッと血の気が引いて、お尻をキュッと締める。やばい、下痢だ。朝あれだけ出して(汚くてすみません)、しかもレースが始まってからほとんど食べることができていないのに、出すものなんて何もない筈だろう?最早ザックの揺れもお腹の贅肉の揺れも全てが下痢を助長するような気がして、ザックのショルダーストラップを手で握り、そのまま脇腹の肉をぎゅっと両脇から掴んで全部が動かないように固定したまま走った。それがなぜ効果があったのか理屈は全くわからないけれど、何もしないよりは余程マシだった。すぐにでも薬を飲むべきだったのかもしれないけれど、ザックから薬を取り出すために立ち止まっている余裕は1分たりとも無いと思ったから、とにかく進んだ。関門にたどり着いたら、たどり着けたら薬を飲もう。そうしよう。水を飲むとお腹の痛みが増すような気がして水もあまり飲めなくなった。午前中、あれだけ水を飲んでいても熱中症気味になったのに、水が飲めないなんて熱中症になるに決まってるじゃないか。とりあえず塩熱サプリと梅味のグミを食べて塩分を摂ってみる。午後になり気温が少し下がってきているのがせめてもの救いか。事前に、第二関門まで行けばなんとかなる、とチームの先輩から聞いていたが、実際は第二関門まで行ったとしてもこれはどうにもならないんじゃないのかと疑念を抱く。

死んでもゴールしたいと言っていたおじさんはまだ私の近くにいた。いつも少し先にいたけれど、でも視界から見えなくはならない。私のiPhoneのRunmeterのアプリが「キョリ・42キロメートル」「キョリ・43キロメートル」と読み上げる度に、あと4キロ、あと3キロ、そして制限時間まであと何分、と脳内でカウントダウンをする。間に合うかも、と思ってからも意外と辿り着かない。最後に少しだけトレイルを走って下り舗装路に出ると、「間に合うよー!」とスタッフに声をかけられて遠くに視線をやると、水の入った大きなバケツが並んでいるのが見えた。第3関門だ!到着は15:43頃、関門17分前。一番手前にいたスタッフにまずはトイレの有無を確認。ありますと言われて胸をなでおろす。バケツの横にいたスタッフは「お疲れ様です!!頭から水かけますよー♪」と無邪気に声を掛けてくれたが、私は蒼白い顔で「トイレどこですか」と返すのが精一杯だった。

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この関門に着いた時、RUN OR DIE!!と親交のあるトレイル鳥羽ちゃんというランニングチームのキドゥンが関門を出発するところだった。私より先を走っていたビビちゃんとほぼ同時に第2関門を通過していたキドゥンに会えたということは、私のペースが前半に比べて後半上がってきているということかもしれなかった。

リタイヤを申し出ている人を尻目に、私はザックから正露丸とロキソニンを取り出し一緒に飲んだ。ロキソニンは何のために飲んだかって、別にどこかが痛いわけではなかったのだが、前腿の筋肉痛が出た時に軽減されたらいいなと思って飲んだだけだった。エイド以外の場所で、薬飲もうかどうしようかなどと迷ったりしたくなかったのだ。エイドにある冷たい水を飲むのは危険だと思ったので、ぬるくなったハイドレーションの水を口のなかでさらに温めて薬と一緒に飲み下す。それでもやっぱりギュルルルとお腹が鳴る。ひとつだけ持ってきたvespa hyperと、さらにMAGMAだかアミノバイタルプロだったかを飲むと最後にもう一度トイレに行き、10分ほどの休憩で関門を出発することにした。相変わらずvespa hyperは不味かった。関門を出るところがチェックポイントだったので、関門通過時刻は15:51:51としてカウントされた。

最後の関門は51km地点で17:00。第3関門を16:00ギリギリに出たのでは17:00の関門通過は怪しい、と聞かされていたのでまだ油断はできなかった。というかもうかれこれ46kmも走ってきているのに、まだ関門に怯えなければならないというこの精神的圧迫は一体なんなんだろう。そして第3関門を出発するとすぐに激登りが始まった。ここから第4関門までは8割くらいがトレイルで、視界に入っている全員が、のろのろと、それはもう第4関門に間に合うのか甚だ怪しいペースで死の行進のようにして進んでいた。それでも誰一人として第4関門の通過、そしてゴールを諦めてはいなかった。ここまできてゴールできないなんて絶対に嫌だ。完走したい!手を合わせてカンソウシタイカンソウシタイと言っては目に涙が溢れた。こんなところで終わりたくない。しかも、第3関門にパイセンとニゴちゃんがまた現れるものと思っていたら居なかったので、ひょっとしてタケさんの熱中症の具合が悪化して、応援どころじゃなくなっているのかもしれないという不安もあった。私が完走したからといって彼の具合がよくなる訳でもなんでもないのはわかっていたが、これで完走さえもできなかったら、あの時折角吸い上げたつもりになっていたタケさんの有り余ったエネルギーはなんだったのかという気がした。そんな無駄遣い許せないしくだらないし面白くない。

しばらく激登りを続けると、ところどころフラットなところが現れるようになった。走れるところはすべて走ろうと思って走っていると、前方の集団に追いついたり追い越したりするようになってきた。少しでも下りになるとスピードが出て、ガンガン走れた。vespa hyperで何かスイッチでも入ったのだろうかと思うくらい、テンションも上がって頭もクリアになってきた。路面の凹凸を脳内で処理する速度があがり、いつもより少し遠くまでトレイルを把握できるようになっていた。脚は・・・全然痛くない。どこも痛くないのだ。正露丸が効いて腹痛も消えた。状態は完璧だった。股関節の可動域はここまで走ってきた中で最大と思えるほどに広がって、まるで油を注したようにスムースだった。流石に登りをとまらず走れるほどの脚は残っていなかったが、それでもほかの人より速かった。抜き去る時に、ここであのペースとかマジかよwという声が聞こえて、私は密かにニンマリした。自分でも信じられないんだけどさ、走れるんだよ、まだ全然脚が死んでないんだ。嘘みたいだろ?物凄い勢いで林道に出ると、再びキドゥンに会った。ハンガーノックになってしまったと彼は言う。手持ちの食料が尽きてしまったのかと思い、抜いて少ししてからまだ食べ物はあるのかと聞くと有ると言う。途中までいいペースできてたのになぁ、もういいわ・・・と肩を落としながら彼は言う。食料が尽きたのなら私が持っている分を渡そうと思ったが、尽きた訳ではないと知り、私は自分がまだ走れるということが嬉しくてたまらず、爆走を続けた。

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舗装路を少しあがった先に最後の関門が見えてくると、まるでそこがもうゴールかのように泣けてきた。このレースは一体何度私を泣かせたら気が済むのだろう。第2関門と第3関門の間あたりだったか、お豆腐とひとくちゼリーとキュウリを置いていた小さなエイドがあって、そこで私はキュウリとゼリーを頂きながらおばちゃんに「完走できるのかなぁ」とこぼした。おばちゃんは、「できるよぉ、大丈夫だよ。このレースは女の子は完走するだけでも凄いことだよ、頑張って!」と言って励ましてくれた。その時点で完走できるかなんて他人が断言できるわけがないのだけれど、それでもそんな風に言ってもらえて救われた。ここまできたら、本当に、もしかしたら本当に?完走できるのかもしれない。嗚呼、やっとここまできた。16:41、ライトの点灯チェックと共に第4関門を通過した。

日が傾いたせいでだいぶ気温が下がってきていたが、下りで爆走しすぎて汗が酷い。エイドに置かれた塩を指でつまんでジャリジャリと喰む。目が潤んで視界は歪み、興奮のあまり手は震えていた。もう腹痛の心配もないから水も飲める。けれどそれでも関門時間ギリギリの到着、ここからたかだか6kmでゴールとはいえども、いつどこで脚が死ぬかはわからない。一度脚が死んだらもう走れないしペースが一気に落ちるということは、これまでの経験で嫌という程よく判っていた。まだ、わからない。気力は持つけれど、痛みが出たら痛みに耐えられるかわからない。この関門を通過できたことは泣く程嬉しかったが、でもこの関門を通過しておきながらゴールできなかったなんてことになったら、想像しただけで悔しくてたまらなかった。

キドゥンがやってきた。感極まった私は、完走したい絶対完走したいと彼に言った。すると、ここまで来れば絶対大丈夫、あと6kmだし完走は絶対出来る、と言われた。うん、まぁそうか、ちょっと気が動転しすぎていたが、仮に走れなくなって歩いたとしても、制限時間まではあと2時間半もあるし、もうきっと完走はできるのだ。彼の言葉に少しだけ安心して、一緒に関門を後にした。トレイルに入るとすぐ登りになり、彼のペースには追いつけなくなったので私はのろのろと自分のペースで進んだ。

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最後の関門からゴールまでは、往路で通ったところをほぼなぞってゆくルートだ。行きに散々呼吸を乱されながら進んだ、あのアップダウンの激しいルートを逆走する形となる。最後の最後まで喘がされ、そこに慈悲のかけらも無い。登るための脚はもう残っていなかったので、登りは本当にゆっくりと、ゾンビのように、腕で岩を押しながら這い上がるようにして進む。しかしアップダウンの合間に訪れる僅かな下り坂を駆け下りるだけの脚はまだ残っていた。まだ11時間台、なんだかこれタイム狙ってもいいんじゃないの?という気が起きてくる。この辺りまで進んできてから、完走したいという想いは、少しでもいいタイムでゴールしたいという想いへと変わっていった。

私はこれまでいつも走ってゴールすることができなかった。キタタンでも、ハセツネでも、毎回私は練習不足という理由で最後の気持ち良いはずの下りでほとんど走れなかった。ショボショボと降りながら、何十人という人に抜かれて抜かれて抜かれ続けるあの悔しさと情けなさたるや。それが今回はどうだ?今回は私が抜いて抜いて抜き続ける側にいる。第4関門からゴールまでの間に男子は数え切れないほど、女子も2人抜いた。そして「死んでもゴールしたい」と言っていたあのおじさんさえも抜き去った。嗚呼、なんという快感だろう!走れる走れる走れる!!私は最高に楽しくて幸せだった。私走れてるよ!何度もそう口にしながら、軽やかにステップを切った。急な下りになると多少ペースは落ちたけれど、そんな区間でさえも人を抜きながら駆け下りた。私はいつもこれができなくて、自分を抜いていく人を指を咥えて羨ましそうに見送っていたのだ。最後走れるっていうのはこんなにも楽しいのか。12時間前に登ったルートを勢いよく下りながら、あと僅かな奥久慈のトレイルを頭と体に刻んだ。最高だった。

最後のロード。おかえり!おかえり!あと少し!沿道の人達がこちらに向かって拍手を送ってくれる。私さ、下りのトレイルで今さっきまで全力で走れてたんだよね、こんなの初めてなんだよ、と全員に言って回りたいくらい興奮していた。全身で喜びを表現するかのように人々の視線のなかを駆け抜けた。あと少し!猛ダッシュでゴールゲートを抜けるなんてこれまでに一度もなかったけれど、今日はそれができるんだ。だって脚が残っているから。ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!!!
ビビちゃんは12時間35分、キドゥンは12時間40分にそれぞれゴールしたばかりだった。ビビちゃんのゴールは、まるで事前に私と打ち合わせをしたかのように全く同じゴールの仕方だったらしく、矢張り猛ダッシュでゴールゲートをくぐったのだとか。
ビビちゃんゴール!
熱中症でリタイヤしたタケさんもすっかり元気になってゴール地点にいたので一安心。他のメンバーも第2、第3関門にそれぞれ間に合わずバスに収容されたとのことだったが、関門に間に合ったにも関わらずもう無理だといって諦めたメンバーは誰も居なかった。この仲間達と一緒に走れたことを心から誇りに思った。
というわけで今回のRun or Die!!のFinisherは私とビビちゃんの2人
速い筈のチームのエースが潰れたり、そんなつもりはなかったのに途中で寝てしまったメンバーがいたり。以前奥久慈を完走したことのある、奥久慈の先輩が関門に間に合わなかったり、コンディションは悪くなかった筈なのにダメだった仲間がいたり、出し切ってゴールして、本当に燃え尽きてそのあと暫くぐったりしていた同志がいたり。それぞれがそれぞれの状況で、それぞれの距離を走った奥久慈トレイル。私はというと、実はそのあと割とピンピンしていたのだけれど、それでも今回はこれ以上ないというところまで出し切ったと思っている。過去に一度もできなかった"must be white out"に、少しだけ近付けたような気がした。走りながら頭の中でずっとイメージしていた感動のゴールシーンに、私は登場することができたんだ。

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因みに私の食料計画はこんな感じでした。ほとんど持って運んだだけで食べられなかったけど。
持っていったのは上2段。けれど、結局消費したのは極僅か。
一応左上がカフェイン部隊、右側は普通のカフェインレスエネルギー系。
左下がサプリ系、一番下はレース前摂取系。レースに持っていったのは2000kcalちょい
朝食は前夜祭で出たお稲荷さんを3個とHOKUOのくるみパンを1個食べ、レース1時間前くらいに最下段のVAAMゼリーときびだんご、アミノバイタルプロ、攣り防止用に芍薬甘草湯の漢方を1袋摂取。レース中は左上からShotzカプチーノ、Clif Shot ダブルエスプレッソ、Honey Stinger1個、中段左のサプリ系すべて、右側はザバスのpit inゼリー、一番右の自作梅ジェルのみしか食べられなかった。MAGMAはレース前には飲まず、レース中に2本消費、アミノバイタルプロは全部で4本くらい摂取した。エイドでの固形物はどこかで水羊羹みたいなおばちゃんの手作り羊羹を2切れ、グレープフルーツ2切れ、おまんじゅう1/4個、あと塩、きゅうり、梅干し、ひとくちゼリーを少しずつ食べた程度か。エイドにはどら焼きやおむすびなども色々用意されていたが、暑すぎて気持ち悪くて全然食べられなかった。

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レース前、私が完走したい完走したい完走したいとうるさく言っていたら、去年一緒に上州武尊のレースを走った友人は、大抵のことは3回言ったら叶うと言ってくれた。確かに叶ったね。
今回の完走率は48%、女子の完走率は39%だった。キツくて辛くて過酷なことは、沢だって雪山だってトレランだって、いつもやり切るのが難しいけれど、やり切った時に与えられる達成感というのは何物にも代え難くて、それは人に説明し尽くせるものでもなくて、矢張り本人にしかわからない尊いものだ。きついことをやり遂げてその快感を得ようとする私の性質はおそらく一般的な女性よりも強く、ときにそれは自分の首を絞め、自分で自分のその性質が疎ましく思えることもある。けれど、幸か不幸か私は元来怠惰でもあるので、立ち向かいやり切ろうとする意思は何に対しても毎回現れるという訳ではない。だからこそ、その時が来たらそれは貴重なタイミングなのだ。今回は、多分、「その時」だったのだと思う。大嫌いな練習を続けることができたのは、ただただこのレースを完走したかったからだった。そして走った距離と累積標高は決して私を裏切らなかった。

最後まで歩かず、走れた。ただそれだけのことがこんなに嬉しいなんて、今まで知らなかった。これから先もっとトレランが楽しくなりそうだ。もっともっときつくて、長い距離を走ってみたい、今はそんな風に思っている。
最高の仲間と車に揺られ、ラーメン食べたりソフトクリーム食べたり、前夜祭で食べ物の行列に並んだり、コンビニで買い出しをしたり、部屋で一緒にレースの準備をしたりお酒飲んだり布団並べて眠ったり。2日間本当にありがとう!最高だったよ!

20150531_奥久慈トレイル50K (57km)(本編の前編)

導入編はこちら

もう走りたくない、と何度思ったことだろう。
もうやめよう、と何度思ったことだろう。
レース中、こんな風に思ったのは初めてだったから、自分のその感情に動揺もした。
でも、諦めなかった。
そして、最後までその気持ちに脚がついてきた。
いや、脚に気持ちがついてきたのかもしれない。

繰り返し手を合わせては、自分自身の体と山に祈りを捧げた。とにかく完走したかった。その先に続くトレイルを見ながらのゲームオーバーは嫌だった。ひたすら関門に追われながら進み続けた12時間49分33秒。

関門の制限時間は未だかつて経験したことがないほど厳しいものだったので、自分の実力ではゴールまで辿り着けない可能性はとても高いとわかっていた。トレーニングを始めた時期は確かに遅かったかもしれない、けれど私は私なりにやるだけのことをやってきた。今の私にできた最大のことをしたつもりだった。これ以上やっていたら故障していたかも知れないし、疲れて仕事にならなかったかもしれない。これが精一杯だったんだ。もう泣いても笑っても本番、やれるところまでやるしかない。そして挑んだ奥久慈の山々に、祈りは、届いた。
<記録>
スタート 5:30
第1関門 7:49:00(制限時間9:30)
第2関門 11:59:52(制限時間13:00)
第3関門 15:51:51(制限時間16:00)
第4関門 16:41:17(制限時間17:00)
ゴール  12:49:33
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5月26日(火)
都内でキックオフ。お酒は抜いた方がいい時期ではあるけれど、自分的にもチームからの参加人数的にも、レースの規模や過酷さ的にも、これほど大きなレースで決起会をしない理由はない。仕事後の隙間時間を使って、持参するエネルギージェル系を散々調達し散財してから飲み会に向かう。つい数日前にできあがったばかりのPatagonia製のチームロゴ入Tシャツの引き渡しも兼ねての大所帯での決起会。チームシャツはこれまでにも作ってきたけれど全部綿シャツで、チーム外の人にも販売をしたりしていたのだが、今回は初めての化繊。これはチームメンバーしか着られないものだ。それを受け取り、身が引き締まる思い。今回はこれを着て走るんだ。レース当日の天気は雨予報。

5月30日(土)
9時半に都内に集合し、仲間と5人で奥久慈を目指す。道路も混んでおらず早々に到着したので、お昼ご飯も兼ねて福島の方まで脚をのばす。なんだかやたらと楽しくて、口々に「レースってこんな楽しかったっけw」「なんか楽しいねぇ〜」とか言いながら車の中でも終始お喋り。カーボローディングを兼ねてラーメンを食べ、その後の道すがら河原に降りて遊んだりしてから宿にチェックイン。雨予報はすっかり晴れ予報に変わっていた。しかしこれは暑すぎるのではないかと危機感を覚える(このとき32℃)。
福島から宿に向かう途中に川を見つけてつい降り立つメンバー達w
根っからのアウトドア好き・・・
コース説明会はこんなに立派な講堂で行なわれた。
極度の眠気と戦いながら、延々1時間に及ぶコース説明。このレースは毎年コースが微妙に変わることで有名らしいのだが、今回は過去最高に過酷といわれる2014年のコースと同じだ。第1関門の制限時間はかなりゆるいので引っかかることはまずないけれど、その関門を余裕で通過したからといって安心しているとまず完走は無理とのこと。関門はどんどんきつくなるらしい。しかも、曰く第1関門は1時間半で通過するのが理想と・・・え、登り基調の過酷な11kmを1時間半ですと?ロードの10kmのたかだか1.5倍程度の速さで・・・?それまでチーム内で共有していた目標タイム表の想定がガラガラと音を立てて崩れ去る。会場内がざわつく。皆がスマホでスライドのタイム予想表を撮影した。林道は歩いていたらまず関門は間に合わない、って言われても、その林道って下りだけじゃなくて上りもあるよね・・・?

激震の走った説明会が終わると前夜祭。鮎の塩焼きなどが振舞われると聞いていたが、奥久慈しゃもとかお稲荷さんとか唐揚げとか、あらゆるブースが出ていて色々なものが振舞われた。町をあげての歓迎ムードに、のっけから胸を熱くさせられる。しかしレース前日なのに結局ビールを飲みながらこんなアブラモノ食べてて体調は大丈夫なのか。子供の運動会観戦を終えたシンゴプロ(別に何のプロでもないんだけど、ただのニックネーム)が夜合流し、さらなる宴を繰り広げ、結局就寝は23時過ぎ・・・(翌朝3時起き)
鮎を食べる一同。応援に駆けつけた仲間も一緒に前夜祭に参加。
ひとりたったの910円でふた部屋も借りられた公共の宿。一部屋を作成部屋に、もう一部屋を就寝部屋に。
最後にジェルの個数や持参する水分、全体的な作戦なんかを共有したりしながら飲み。(まだ飲んでる)
おやすみなさいzzzzz

5月31日(日)
5時半出走。3時起床3時半出発で宿を後にする。臨戦態勢。
宿からスタート地点まで、30分ほど車を走らせる。スタート地点に近い駐車場は残念ながら既に埋まっていたので(想定内)、少し離れた駐車場に車を停めてシャトルバスで会場を目指す。シャトルバス出発直前に腹痛を訴えたビビさんと私は、今回運転をしてくれたタケさんのご厚意で近くの道の駅へ。結局最終シャトルバスの1本前で会場入りすることになった。

私はその後も会場でスタート前に3回もトイレに通い、最後のトイレはスタート10分前。今回女子の出走者は70人くらいだったようだが、これだけ女子が少ないとトイレが混まなくていい。
序盤3kmをキロ4分台で突っ込んでトレイルの渋滞を避けるか、それとも後半に脚を残すためにダッシュしないで淡々と進むかかなり迷ったのだけれど、前日の説明会で「第一関門1時間半で通過すべし」と聞いてしまったので、とてもじゃないけど淡々と進んで渋滞に巻き込まれている場合ではないだろうという気がした。前の方に並べば、ダッシュしなくても大丈夫と聞いてはいたけれど、後ろの方に並ぶ羽目になってしまったから突っ込まざるを得なくなった。全員で完走しよう、と誰かが言ったけれど、緊張と不安で何も言葉は出ない。朝5時半、ゴールゲートをくぐるとレースがはじまった。最初の舗装路で突っ込んでトレイル以降の渋滞を回避する予定なのはタケさん、ハギー、ビビちゃん、私の4人、最初は突っ込まず淡々と進む戦法なのはシンゴさんとcossy。

突っ込むなら引くよ(前を走ることで、走るペースを引っ張ってくれるという意味)、と、今回の出場メンバーで最速を誇るタケさんに言われていたので序盤は必死についていった。袋田の滝を見てトンネルをピストンし、スタートから約3kmほど走るとトレイルに突入だ。トレイルに入ってしばらくはタケさんの後ろにひっついていたが、タケさんが1人、2人と追い抜いて前に行ってしまったと思ったら、あっという間に50mほども差ができて、何かの拍子に視界から消えた。最初だけならついていくのもいいけれど、こんなに強い人にずっとついていったら確実に私は潰れてしまうから、この辺りでサヨナラするのが丁度良かったのだろう。次にコース上で会うことはきっとないのだろうなと思ってタケさんを見送る。2年前のキタタンで私より先にゴールしたハギーは、舗装路だけでなく前半をとばして後半はその貯金を崩していく戦法とのことだったので、タケさんよりも更に少し前に居た。他は全員見失ってしまった。

孤独な闘いが始まった。コース説明の時、「第2関門まで細かいアップダウンが続きます」「ずっと細かいアップダウンが」「アップダウン・・・」としつこいくらい聞かされていたので、多少のアップダウンでは驚きもしなかった。逆に、これだけ頻繁にアップとダウンが繰り返されるのなら、体の1ヶ所だけに疲労がたまったりせず分散されていいんじゃないかとさえ思った。それにしてもちょっと登っては下り、登っては下り、せっかく登ったのに下らされる、本当に過酷なゾーンで滅茶苦茶暑かった。風はない。このゾーンはほとんどがトレイルだが、関門の手前で舗装路になる。舗装路のすこし手前で、一度は見失ったハギーに追いついた。「もう貯金なくなっちゃいましたね〜」とニコニコするハギーの後ろを進んでいると、足首があらぬ方向に曲がり激痛が走る。おいおいまだ第1関門だろ?一瞬焦ったが、大した捻挫ではなかったのでそのまま騙し騙し進んでいると調子は戻ってきた。説明会で1時間半がリミットと聞かされていた第1関門だが、私が到着したのは7:49、スタートから既に2時間20分が経過していた。頭から水をかけてもらい、水を飲み、ハギーと話して、すこし何か口にしてすぐ出発したのだったと思う。1.25Lほど積んできたハイドレーションの水はまだたっぷり残っていた。

ここからは男体山を含んだアップダウンゾーン。高低図を見てもギザギザすぎて意味がわからないし細かい記憶ももう無い。ただ、とにかく暑かったので、喉が渇いていなくてもこまめに水分を摂るようにした。ハイドレーションにはアクエリアスと水を半々に割ったものを入れてきていたので、少しずつ摂取することでスポーツドリンクの成分も摂取できて熱中症対策になると思った。それでも少し塩分不足を感じて塩梅グミを食べたり、自作の梅ジェルを食べたりしていた。17.1km地点にはエイドステーションがあったが、ここで選手達は「これでたったの17kmとか、どんだけきついんだよ・・・」と口々に溜め息混じりの泣き言をいっていた。私も、こんなにきつい17kmは経験したことがなかったし、これが延々50kmも続くのであれば無理だろうなと思った。関門に間に合ったとしても、その先歩みを進めたあとで走れなくなったら、次の関門まで進むか、手前の関門まで引き返すかしなければならないのだろうし、余力を残してリタイヤしたほうがいいのかなとも思った。ああ、やっぱり私が安易に出場するような大会じゃなかった、時期尚早だった、ぼんやりとそんなことを考えていた。でも、大抵レース序盤てのはきつく感じるものだから、きっと途中から調子があがってくるだろう、と期待もしていた。

第2関門は26km地点、竜神大吊橋を渡った先にある。橋の手前には4kmほどの舗装路と、そこから続く心臓破りの439段の階段が待ち受ける。階段にたどり着くまでにも散々きついアップダウンを強いられ、アスファルトで脚を傷めつけてられてからの、長大な階段に行く手を阻まれる絶望感たるや筆舌に尽くしがたい。過去にこのレースに出場した人のブログを事前に読んで、「階段の手すりにすがりついて、腕で体を引きあげるようにして登った」なんて記録を見ては「大袈裟だろww」と思っていたのだが、、、まさに自分が同じようにして階段をあがっていた。太腿が思うように上にあがらない。前腿を使いすぎないように、ハムストリングを積極的に使うよう心掛けて一歩一歩階段をのぼった。階段ではマッチョな女性ランナーと抜いたり抜かれたりを繰り返しながら、きついよーきついよーあと少しで関門だーと励ましあって進んだ。外国人男性ランナーが「ガンバリマショー!!」と言いながら追い抜いていく。そう、みんな想いは一つ。
竜神大吊橋(公式ページより)
無心になってのぼっていくと、もうすぐ関門、という看板が現れた。視界の先にはここ数時間見かけたことのない小綺麗な人達が談笑している。この吊橋は観光スポットでもあるので、普通に橋を見に来ている人達で賑わっていたのだ。彼らとの温度差。おまえらこのクソ暑い日に何を好き好んで山ん中走ってんだよ、という好奇の目に晒されながらもちょっと得意気に橋を駆け抜ける。うちら、今朝起きてから、山の中を登ったり下ったり、かれこれもう26kmも走ってるんだぜ?知らないかもしれないけど、これね、無茶苦茶楽しいんだぜ?楽しそうに見えないかもしれないけどね、とりあえずここまで来られて私は無茶苦茶嬉しいんだぜ。ここにいる全員に拍手されながら真ん中を走っても恥ずかしくないくらい最高の気分だ。それでもまだここで走るのをやめてもいいんじゃないかと思っていた。ここをゴールにしてもいいんじゃないか?

階段で抜きつ抜かれつしていた女性ランナーに再び橋の途中で追いついた。「11時台になんとか関門通過できますね!ギリギリゴールできるかなぁ」と声をかけると「いやぁ、無理じゃないかなぁw」との返事。まじか。。。あと7時間半もあるけどゴールは無理かもしれないのかw

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きっとすごく長く感じるんだろうなと思っていた吊橋だったが、走り出したらどんどん向こう岸にあるOSJと書かれた横断幕が近付いてきた。けれどまだ全行程のたったの半分・・・心がくじけそうになるけれどとりあえずここで大休憩を取ろう。落ち着こう。クールダウンしよう。すると目の前に赤いコーラの缶を持ったニゴちゃんがいた。そして奥久慈フィニッシャーであるパイセンもいた(ニゴちゃんはパイセンの弟)。ああああああああキンキンに冷えたコーラあああああああ!!!!うああああああああ!(喜)

缶が冷たくて気持ち良い。貪るようにプルタブに指をかけ、力を込めて手前に引くと、カシュッというあの音がした。中の液体がシュワシュワと音を立てる。ごくり、とひとくち。ふたくち。逝ってしまいそうになるのをかろうじて止めたけれど、その後はほとんど一気飲み。うんまい。最高にうんまい。2ヶ月くらいカフェイン断ちをしていた細胞のひとつひとつに、コーラのカフェインがガツンと喝を入れる。元々カフェイン中毒だったので、このコーラで何かが目覚めたような感じもした。

タケさんは一番最初に到着したけれど熱中症気味でまだ休んでる、ビビちゃんはその後到着してさっき出発したとこ。状況報告を受けてタケさんの様子を見がてら積極的に休憩をする。序盤私を引いてくれたタケさんが横になってぐったりしていた。私はそんなに速くないからわからないのだけれど、走れる人というのは得てして走れるだけ走って体温を上げすぎてしまう。自分が彼の立場だったらどれほど悔しいだろう。想像しただけで悔し涙が出そうだった。手足が痺れてきた、もうこれ以上はやめておく、リタイヤするわ、と、私の休憩中に彼はそう言った。私の前にはもうビビちゃんしかいない。

タケさんのリタイヤを受けて、私の中からは完全にこの関門でリタイヤするという選択肢が消えた。例え第三関門にたどり着かなかったとしても構わない。でもここで諦めることはしない。できない。Run or Die!!のチーム理念はmust be white out!、走りたくないなんて理由で走るのを辞めるなんてクールじゃないし有り得ない。走れるだけ走るんだ。それしかないんだ。

ニゴちゃんとパイセンがハイドレーションの水を補給してくれ、食べ物もあるよと促してくれ、調子はどうだと気遣ってくれる。エイドに置いてあったパワーバーは1切れしか食べられなかったが、カフェイン入りのジェルとアミノバイタルプロ、MAGMAを1本ずつぶち込んだ。というか、全体的にエネルギーが摂取できていないし気持ちが悪い。軽い熱中症だったのだろう。仕方なく、普段は摂取したことのないサプリメント的なものでどうにか繋ぐ作戦に出る。20分近い休憩を終えると、タケさんの余ったエネルギーを吸い上げるようにして私は再び走り出した。階段を降りてぐるりと休憩地点の真下を駆けると、上から「ランオアダーイ!!」という声がして、私は思い切り手を振った。

後編へ続く