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関門通過時刻の計測バーを目前にして、応援にきてくれていた仲間の姿を見付けた。時刻は21:08過ぎ。鼻と口は鼻血まみれ、ザックには赤い斑点、ストックのストラップは外れ、ないかもしれないヘッドライトの予備電池に対する不安・・・自分がまだ元気であるということ以外はなんだか結構悲惨である。ヘッドライトは既に心許なく、ハンドライトで走ることに慣れていない私にとって、ハンドライトで照らしながらストックを持って走るのが容易でなさそうなのは明らかだった。
応援メンバーに聞くと、図らずも、サブ13程度のペースでここまで来ているようだった。ひらどんとジャッキーはもう来たかと尋ねると、まだだと言う。思わず声をあげて喜んだのも束の間、私より速いタイムでゴールすべきメンバーが数名リタイアしたことを知らされると動揺を隠せなかった。この月夜見山駐車場に私より先に到着した仲間は2人しかいないという。絶対に走れる筈の人が崩れ去る、そんなことが起こりうるレースなのだと肌で感じて、改めてハセツネに畏怖の念を覚えた。
攣ったりしていないし膝に痛みもない。足を捻ってもいない。眠くもない。しかし休憩が長くなるにつれ、体が軋んでくるのがわかる。ハンドボトルに入れてもらったポカリの水割りを一気に飲み干した後、ハイドレーションに入れたポカリの水割でもう一度ハンドボトルを満タンにしてVAAMを溶かし、グミ程度の固形物を口にする。因みに、スタート時のハンドボトルには、先輩からのアドバイスに従ってお茶(緑茶)を入れてあったのだが、甘いジェルを食べ続ける合間に口を洗い流してくれるお茶の苦みは、いい気分転換にもなったし、なによりも口の中がスッキリして気持ちがよかった。粉のお茶でも持ってくればよかったなぁと思った。
ひらどんやジャッキーは自分より後ろにいる、と聞かされても、そこまで私が引き離しているともあまり思えない(実際はひらどんとは30分、ジャッキーとは1時間程差があったようだった)。焦る気持ちでついついろくに休みもせずに出発しようとする私を、仲間は優しく引き止める。もう少しちゃんと休んだ方がいい、と言われて我に返り、あれこれ話をしながらVESPA hyperを口に入れる。思わず眉間に皺が寄る。この関門ではこれを食べる、あれを飲む、あれをここに入れて、これをこっちに移して、、極度の興奮状態の中で装備を整えていたけれど、興奮しすぎて色々と空回る。空回っているうちに、寒くて手はかじかんでくる。トイレに行きたくもなかったが、途中で行きたくなっても面倒なのでとりあえず用を足す。また鼻血が出たら困るから、トイレットペーパーを少し巻き取って持っていこうか、いやでもそれってルール違反になるのかな?そもそも邪魔かな?濡れたら面倒かな。——結局トイレットペーパーは一切持たずにトイレを出る。少しくらい持った方がよかったかな、などと、些細なことにしつこく思いを巡らせる。落ち着かない。でも皆が居てくれるからまだマシなのだ。1人だったらもっとどうしようもない感じになっているのだろうと思う。居心地が良くてついつい長居してしまいそうになるが、これ以上休んでも体が冷えすぎてしまうから、と、そろそろ出発の心づもりを始める。これまでに最長で44kmしかトレイルを走ったことのない私にとって、ここから先が本当の戦いなのだろうと思うと、緊張がますます高まってきた。いいペースだと褒められても、純粋には喜べなかった。この後、脚が一気に故障するかもしれないし、全然走れなくなって一気に失速し、歩いてゴールを目指すしかなくなるかもしれない。途中で堪え難い眠気に襲われて、ろくに防寒具もないのに眠り惚けて、低体温症みたくなって動けなくなってしまうかもしれない。こんな真夜中に、しかも走ったことの無い距離を行くというのはそういうことだ。でも、不安を感じているという事実そのものをあっさり受け入れてしまえば、受け入れた途端に何かが崩れてしまうような気がしたから、ずっと自分で自分の中の不安な感情に蓋をしようとしていた。結局のところ蓋のできるような不安ではなくて、蓋からはみ出してしまっていたのだけれど、休憩していたアスファルトの駐車場から土のトレイルに一歩足を踏み出した途端、黒く大きく高いエネルギーを持った山々が、私を優しく引っ張ってくれて頭が空っぽになった。そう、不安は消えたのだ。その瞬間に、私は山と同化したような気がした。集中力は一気に高まった。
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鞘口峠から御岳山までは1週間前に試走してあった。少し急坂を下ってから御前山へ登り、そのあと下ってまずは大ダワまで。御前山までの登りは、試走の時は大したことないなと思ったけれど、流石にここまで40km以上走ってきた身にはそれなりに堪えた。途中、ライトでトレイルの脇を照らすと、誰かの装備の何らかの反射板が浮かび上がって、そこに選手がうずくまって眠っているのが分かった。そんな姿があちらこちらで見られるようになった。幸いにして眠気と戦わずに済んだ私は、スタッフの人達の掛け声に引っ張られるようにして御前山の山頂に辿り着き、とりあえず席を見付けて一旦腰を下ろすとゆっくりストレッチをした。このまま下りに突入したら途中で動けなくのではないかと思うくらいお腹がすいていたが、食欲はなかった。でも、食ベなければ進めなくなる。食べて体にエネルギーを取り込むことさえもレースの一環であり、闘いなのだ。ここまでにも散々エネルギーを摂取し続けていたが、今ここで摂るべきは、ある程度腹持ちのするまとまったエネルギーだ。ジェルよりも吸収の速度が遅く、1本171kcalあるスポーツようかんならば腹持ちもしそうだし、じわじわと効いてくれそうな気がした。封を切ってようかんを齧ると、思った以上に咀嚼して嚥下するという一連の作業が面倒で厄介で鬱陶しく辛い。疲れすぎて味もしないし、最早食べることを途中でやめたくなってしまったのだけれど、これは作業だ、餌を摂っているだけなのだと頭を切り替えて、無心でもしゃもしゃ食べ続けた。凄い速さで食べ切った。
関門通過時刻の計測バーを目前にして、応援にきてくれていた仲間の姿を見付けた。時刻は21:08過ぎ。鼻と口は鼻血まみれ、ザックには赤い斑点、ストックのストラップは外れ、ないかもしれないヘッドライトの予備電池に対する不安・・・自分がまだ元気であるということ以外はなんだか結構悲惨である。ヘッドライトは既に心許なく、ハンドライトで走ることに慣れていない私にとって、ハンドライトで照らしながらストックを持って走るのが容易でなさそうなのは明らかだった。
応援メンバーに聞くと、図らずも、サブ13程度のペースでここまで来ているようだった。ひらどんとジャッキーはもう来たかと尋ねると、まだだと言う。思わず声をあげて喜んだのも束の間、私より速いタイムでゴールすべきメンバーが数名リタイアしたことを知らされると動揺を隠せなかった。この月夜見山駐車場に私より先に到着した仲間は2人しかいないという。絶対に走れる筈の人が崩れ去る、そんなことが起こりうるレースなのだと肌で感じて、改めてハセツネに畏怖の念を覚えた。
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ひらどんやジャッキーは自分より後ろにいる、と聞かされても、そこまで私が引き離しているともあまり思えない(実際はひらどんとは30分、ジャッキーとは1時間程差があったようだった)。焦る気持ちでついついろくに休みもせずに出発しようとする私を、仲間は優しく引き止める。もう少しちゃんと休んだ方がいい、と言われて我に返り、あれこれ話をしながらVESPA hyperを口に入れる。思わず眉間に皺が寄る。この関門ではこれを食べる、あれを飲む、あれをここに入れて、これをこっちに移して、、極度の興奮状態の中で装備を整えていたけれど、興奮しすぎて色々と空回る。空回っているうちに、寒くて手はかじかんでくる。トイレに行きたくもなかったが、途中で行きたくなっても面倒なのでとりあえず用を足す。また鼻血が出たら困るから、トイレットペーパーを少し巻き取って持っていこうか、いやでもそれってルール違反になるのかな?そもそも邪魔かな?濡れたら面倒かな。——結局トイレットペーパーは一切持たずにトイレを出る。少しくらい持った方がよかったかな、などと、些細なことにしつこく思いを巡らせる。落ち着かない。でも皆が居てくれるからまだマシなのだ。1人だったらもっとどうしようもない感じになっているのだろうと思う。居心地が良くてついつい長居してしまいそうになるが、これ以上休んでも体が冷えすぎてしまうから、と、そろそろ出発の心づもりを始める。これまでに最長で44kmしかトレイルを走ったことのない私にとって、ここから先が本当の戦いなのだろうと思うと、緊張がますます高まってきた。いいペースだと褒められても、純粋には喜べなかった。この後、脚が一気に故障するかもしれないし、全然走れなくなって一気に失速し、歩いてゴールを目指すしかなくなるかもしれない。途中で堪え難い眠気に襲われて、ろくに防寒具もないのに眠り惚けて、低体温症みたくなって動けなくなってしまうかもしれない。こんな真夜中に、しかも走ったことの無い距離を行くというのはそういうことだ。でも、不安を感じているという事実そのものをあっさり受け入れてしまえば、受け入れた途端に何かが崩れてしまうような気がしたから、ずっと自分で自分の中の不安な感情に蓋をしようとしていた。結局のところ蓋のできるような不安ではなくて、蓋からはみ出してしまっていたのだけれど、休憩していたアスファルトの駐車場から土のトレイルに一歩足を踏み出した途端、黒く大きく高いエネルギーを持った山々が、私を優しく引っ張ってくれて頭が空っぽになった。そう、不安は消えたのだ。その瞬間に、私は山と同化したような気がした。集中力は一気に高まった。
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鞘口峠から御岳山までは1週間前に試走してあった。少し急坂を下ってから御前山へ登り、そのあと下ってまずは大ダワまで。御前山までの登りは、試走の時は大したことないなと思ったけれど、流石にここまで40km以上走ってきた身にはそれなりに堪えた。途中、ライトでトレイルの脇を照らすと、誰かの装備の何らかの反射板が浮かび上がって、そこに選手がうずくまって眠っているのが分かった。そんな姿があちらこちらで見られるようになった。幸いにして眠気と戦わずに済んだ私は、スタッフの人達の掛け声に引っ張られるようにして御前山の山頂に辿り着き、とりあえず席を見付けて一旦腰を下ろすとゆっくりストレッチをした。このまま下りに突入したら途中で動けなくのではないかと思うくらいお腹がすいていたが、食欲はなかった。でも、食ベなければ進めなくなる。食べて体にエネルギーを取り込むことさえもレースの一環であり、闘いなのだ。ここまでにも散々エネルギーを摂取し続けていたが、今ここで摂るべきは、ある程度腹持ちのするまとまったエネルギーだ。ジェルよりも吸収の速度が遅く、1本171kcalあるスポーツようかんならば腹持ちもしそうだし、じわじわと効いてくれそうな気がした。封を切ってようかんを齧ると、思った以上に咀嚼して嚥下するという一連の作業が面倒で厄介で鬱陶しく辛い。疲れすぎて味もしないし、最早食べることを途中でやめたくなってしまったのだけれど、これは作業だ、餌を摂っているだけなのだと頭を切り替えて、無心でもしゃもしゃ食べ続けた。凄い速さで食べ切った。
ヘッドライトはもう大分暗くなってしまっていた。ハンドライトの明かりで走らざるを得ない、でも下りではストックを積極的に使わないと脚がもたなさそうで辛い。とりあえずダブルストックのまま、右手にハンドライトを持った状態で山頂を出発した。もうここまでくると選手も大分ばらけてきていて1人きりで走ることも多く、ルートミスしないようにと慎重にルートを確かめながら進んでいた。とはいえ、たまには誰かと競り合ったりもする。下りが速くて登りの遅い小太りのお姉さんと、抜きつ抜かれつを繰り返していたのもこのエリアだったような気がする。彼女はザックにニコニコマークの反射キーホルダーみたいなのをぶら下げていて、それを見る度に私は少しだけ元気を貰ったりしていた。さっきから抜きつ抜かれつですね、頑張りましょう、と彼女に声を掛けてみると、ニッと笑い返して応えてくれた。
大ダワに到着したのは23:15過ぎぐらいだっただろうか。大きなバンのような関係車両が停まっていて、その脇にエマージェンシーシートに包まった人が2、3人眠っているようだった。
「ここでリタイアする人が一番多いんだ。レース序盤でリタイアするのは準備不足や体力不足、やむを得ないトラブルのあった人。大ダワまで来てリタイアする人は、本当は走れる筈なのに、この後大岳山をまた1つ越えなければならないのか、と思って心がくじけてしまう人。あとほんの少し登れば、あとは下りなのに。ここまで来ているんだから、これくらいの登り、すぐなんだよ。ここのリタイアは、本当に見ていられないよ。」
前の週の試走でたまたまこの大ダワに都岳連のおじさんが居て、そんな話をしてくれた。彼は、これまでここで見てきた沢山の人のそれぞれのドラマを目でなぞりながら、ここまで来れば大丈夫だから、頑張ってね、と言った。おじさんの目に現れては消えて行ったドラマの数々は、こちらからもとてもよく見えた。私は大丈夫だ、もうあと少しで登りが終わるのだ、ここまで来れば大丈夫だと知っているから。今は兎に角積極的に休憩しよう。
左足の親指の付け根付近の皮が、肉から僅かに踵側にずれているような感じがしていたので、状況を確認するためにまず靴と靴下を脱いだ。まだ皮は剥けていないが、白っぽくふやけた部分はこれから剥ける可能性がある。一度皮が剥けたらきっと痛くて走るスピードも落ちてしまうので、剥ける前にその部分を固定用のテーピングテープで巻くことにした。テーピングテープをザックから探していると、持ってくるのを忘れたと思っていたヘッドライトの予備電池まで見つかった。やった!これで最後の大岳山からの下りも明るいライトで下山できる!そう思ったらなんだか元気がでてきた。急いでテーピングを済ませナイフでテープを切り、ヘッドライトの電池を交換する。明るい。最後の登りに備えてまた少しエネルギーを摂取すると、意を決して再びトレイルに立ち向かった。もう、ゴールするという選択肢しか残されていなかった。
鋸山を経て大岳山への登りは岩場もあるため、最後の登りといってもバラエティに富んでいてそんなに辛くはなかったような気がする。腕が使えれば脚の負担も若干は軽くなる。黙々と登って大岳山頂に到着して、山頂では何があったか全く覚えていないが、あまり休憩もせずに先を急いだのだったと思う。ハセツネを知るよりずっと前にも歩いたことのある大岳山からの岩がちで急な下りでは脚に負担がかかりすぎないように進み、綾広の滝の水場ではハンドボトルに水を汲んでがぶがぶ飲んだ。走れるところでは着実に走ってタイムを稼いだが、単調な道だと飽きてきて、ひたすら体を動かし続けるという作業のせいで、自分が無機物になったような気分だった。何の障害もない平坦な道だから、タイムを稼げる場所なのだろうけれど、平坦すぎて脚はそんなに速く回せない。でも、ゆっくりならばまだしばらく長いこと動けるような気もしてきた。ほんの僅かな傾斜にも反応して脚の動きは遅くなっていった。そんな頃、遠くに何か選手のヘッドライト以上に光る明かりが見えはじめ、それと同時に声がしてきた。次第に明かりが大きくなってきたと思ったら、そこが第3関門の長尾平だった。
圧倒的に予習の足りていなかった私は、はじめそこが関門であることに気付かなかったのだけれど、応援の人達の視線を受けてしばらく進むと、大分前に既に2回通過してきた、青い時間計測バーが現れた。そして踏み越える。ライトは目の前で更に大きく明るく眩しい。人が多くて酔いそうだけれど、人に見られているという感覚はぼんやりと残っていた。歩いたら格好悪いな。さっきならば走るのを止めていたであろう緩い登りを、物凄くゆっくりだけれど小刻みに走る。すると、右から自分の名前を呼ぶ大きな声がした。声で誰だかすぐにはわからなかったけれど、声のする方を目で追いかけるとすぐに仲間の顔が見つかった。
ゴールするまでもう誰にも会えない、と思っていた訳でもなく、しかし誰か居るかな、と期待していた訳でもなく、ただひたすらに走っていた区間だっただけに、この場所で知っている人が自分の目の前に現れてくれて物凄い起爆剤になった。最早14時間を切ることは難しいだろう、けれど目標をサブ15まで引き下げるにはまだ早い、一体何を目標に進めばいいのか、とぼんやり思っていたところへ、「このままいけば、14時間ちょっとだな。ゆっくりでも大丈夫」と、ハセツネの先輩から言ってもらえたのはとても大きな心の支えにもなった。彼は寒い中、1人でその場所で応援してくれていたようだったが、しばらく並走してくれた後、がんばれー、だか、行ってこーい、だか、そんなような掛け声で私を送り出して再びその場所に留まった。私は、この先、とりあえず14時間台前半を狙っていけばいいんだ。失速するかもしれないけれど、サブ14.5を目指して着実に進もう。
御岳神社のところにも地元の応援の人がちらほら居たが、周りには少し民家があるから大声での応援ではなくて、静かに手を振ってくれたりしていた。そんな応援に笑顔で応えながらコンクリートの上をくねくねと進む。疲労がたまった脚にコンクリートの衝撃は結構堪えるものだけれど、まだかろうじて大丈夫だったので、私はそれなりのペースで走り続けていた。ドラム缶に詰め込んだ薪で焚火をしながら観戦していたおばちゃん達も、ひそひそ声を目一杯張り上げて「オンナノコ!スゴイネー!ガンバッテー!」と言いながら手を振ってくれた。
御岳から先は試走こそしていなかったけれど、日の出山に向かう登りの階段を登っていたら、以前にここを歩いた時の記憶が蘇ってきた。そうか、山を始めて4年ちょっとの間に、なんだかんだ言ってほとんど全部の区間を歩いたり走ったりしてきていたんだ!そう思ったら、以前この場所を歩いた時一緒に居た人達の顔が浮かんできたり、まだあの時は筋力も体力もなくてこの階段が辛かったんだよなぁとか思い出されたりして、色々な記憶が繋がっていった。ようやく山頂に着くとそこには見知った東屋があった。東屋が当時と変わらずここに在るということや、変化したかもしれない私が今その東屋とこうして向かい合っているというその事実は、例えようのないほど私の心を震わせた。言葉通り、宝石を散りばめたかのような煌めく街の明かりと、かつてこの場所に立った時に見た景色とが目の中に交互に現れ次第に重なっていった。この山頂で出くわした人との会話、こんなささやかな山頂で皆で集合写真を撮ったこと、その時から今までに起きた山との出来事のすべて、それらが私の記憶の奥の奥からどばどば出てきて止まらなくなって、挙句に目からは記憶の結晶が星になって飛び出して、煌めく夜景と同化していった(狂っててすみません)。60km走ってきた自分が今この山頂に居るということも、それに対するご褒美かのようなその美しい夜景も星空もまるで夢のようで、思わず息を呑んだ。奥多摩のこの素ン晴らしい夜景を目に焼き付けていってね、とスタッフのおじさんが静かに言った。奥多摩への愛に溢れた優しい言葉だった。
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あと11km。残ったエネルギーは180ml程残っている自作ジェルと固形物が少々のはずだ。固形物という気分でもなかったのでジェルを飲もうと胸元のポケットに手をかけると、途中まであった筈のフラスクが消えていた。まずい。ジェルを落としたとなると、ゴールまでのエネルギーが足りるか怪しい。でもどうしようもない。風の吹き抜ける山頂で暫く夜景の美しさに心を奪われている内に時間が経ち体も冷えてきたので出発をすることにした。1時半から2時の間くらいだったと思う。
日の出山を出てからも、見知ったルートは続いていた。少し下った左側に、植林された木々が伐採されて見通しがよくなった斜面がある。伐採地をぐるりと回り込むようにしてつけられたシングルトラックを黙々と走っていると、後ろから規則正しい足音が追いかけてくるのがわかった。私を煽るわけでも、離れて行くわけでもないその足音は、はじめ1人のものだと思っていたが、よく聞いてみると2人のものだった。3人で暫く進んだ後、すぐ後ろの男性に声を掛けられた。
「何時間台を狙ってるんですか?」
「んんー、もう14時間台には乗ると思うので、まぁ14時間台前半でいけたらいいかなと」
「14時間台は当然大丈夫ですよ、でも今なら、13時間台にギリッギリ間に合うかもしれません。今のこのペースを保てますか?登りでも死ぬ気で駆け上がれるなら、いけます。一緒に頑張ってみませんか。」
「わかりました」
こうして最後にトレインが組まれた。既知未知問わず何人もの人達と励まし合い、笑い合い、喜びと苦しみを分かち合ってきたこのハセツネというステージももうじき終わるけれど、共に60kmを走ってきた仲間とこの期に及んでまだ尚出会い通じ合えるということが、もうそれだけで幸せに思えた。
私の後ろについていた2人は、私に追いつく少し前に合流してここまで走ってきたとのことだった。私自身は、ここからきっちり飛ばして13時間台に食い込めるほど脚が残っているとも思えなかったけれど、でもまだ諦めたくはなかったし、まだ望みを捨てていない仲間がいるなら、頑張ってみても悪くないなと思えた。先頭を彼等に譲るわけでもなく、暫くは同じ並び順のままで進んでいった。しかし、ひとたび登りになると、私の脚は一気に回らなくなった。頑張りたくても、彼等から離れたくなくても、もう脚が前に出なかった。2人が1歩2歩と私に近付き、あっという間に横に並んだと思ったら、1歩前に出た。
「やっぱり私登りはこのペースもう無理です。先に行ってください。ありがとう、頑張って。」
そう伝えて彼等を見送ると、彼等はあっという間に見えなくなってしまった。
また1人になった。暫くすると、毎度のことながら脚が痛くなり始めてしまって満足に走れなくなった。これが毎回不完全燃焼気味でレースを終える原因でもある。ああまたか。こんなにのろのろ走っていたら、また後ろからひらどんに抜かれてしまう。ひらどん云々以前に、もう何人に抜かされただろうか。60km以上走ってきているというのに、まだ脚が残っている人の如何に多いことか。前に前にとストックを突きながら、かなり斜度のあるトレイルを集中して下る。できるだけ前腿のあたりに着地の振動が伝わらないように歩みを進める私のすぐ横を、何人もの人が爆走してゆく。悔しくて仕方が無い。一体幾度この悔しさを味わえばいいのだろう。暫くその痛みと闘っていると、急に足元からぐんと突き上げるような衝撃がきた。トレイルが終わってコンクリートになったのだ。トレイルが終わってゴールまでは、割と長く舗装路があって、そこは結構きついと聞いてはいたものの、まさかこんなに傾斜のきつい内から舗装路になってしまうとは思っていなかった。結局、道が平坦になるまで全くといっていい程走ることができなかった。
斜度のある舗装路をゆっくり下っている時、人に抜かされることばかりで抜くことは殆ど無かったのだけれど、1人だけ同じようなペースで下っている人がいた。ここきついですね、脚痛すぎる、よく皆こんなところあの勢いで走れますよね、そんな会話をしながら黙々と降りて行くと、次第に傾斜が緩やかになっていき、道が平坦になると民家が見えてきて、その奥にスタッフの人がルートを誘導するのが見えた。左へ曲がって、と口パクで指示を出すそのスタッフの脇には、寝静まる奥多摩の民家があった。時刻は3時25分過ぎ、人々が寝静まる時刻に何故か私は14時間以上走り続けた状態で今なお走り続けている。私は一体何をしているんだろう。ゴール手前の道は別に応援もなく盛り上がっている風もないし、華やかさもない。昼間あれほど賑々しくスタートを切ったあの場所が、今はこんなにも静まり返っている。この場所にはただ時刻が経過しただけだ。拍手されながらゴールしたくて走ったのか?ただ走りたくて走ったのか?虚しいわけでもなく、終わることが寂しいわけでもなく、かといって嬉しいわけでもなく、もうじき終わるそのルートを感慨深く踏みしめる訳でもなく、ただひたすらにゴールが近付いてきたということだけを感じていたように思う。以前遭難しかけて食料が底を尽きそうになった時、なけなしのラーメンにお餅を入れた得体の知れない食べ物が、触覚を通り越して脳を直撃し、ただひたすらにその食べ物を貪った時のあの夢中な感じに近かった気もする。もうすぐゴールがあるという、ただそれだけを夢中になって貪るだけで、そこに喜びも悲しみも悔しさも満足感もなかった。
14時間半を切れるのだろうか、切れたらいいな、という想いもあったけれど、ゴールの極く近くまでくるとようやく応援の人々の姿が見えてきたら我に返って、嬉しいという感情がでてきた。人が見え始めてからゴールまで僅かだったので、感動がじわじわと押し押せる感じを味わう余裕も無かったけれど、これまでに頭を擡げなかった様々な想いが大きな波となって砂浜に打ち上がった感じだった。ゴールには仲間の姿があった。ザバーン!ゴールゲートをくぐるとハセツネは終わった。仲間の顔を見たら何かが堰を切ったように溢れ出し、「つらかったよー」と言って私は泣いた。
肩や頭を叩かれてオツカレオツカレと声を掛けられる。やっぱり最後は走れなかった、という悔しい想いと、それでも完走できたという達成感。言葉にすると安っぽくなってしまうけれど、なんだかもう感無量だった。そして、ゴールした途端に脚が痛くなって、全然動けなくなってしまった。配られていた豚汁も、気持ち悪くて全然食べられなかった。
結果は・・・残念ながら14時間半は僅かに切れなかったけれど、それなりのタイムで一安心。まさかの13時間台!!とかサブ13!!!とかいう快挙を密かに期待していたけれど、そううまく行く筈もなくw
しかし宿敵ひらどんを打ち負かせたのは嬉しかった!ひらどんが休憩し過ぎなだけという話もあるが・・・
finisherは7人。3人がDNFとなった。 しかし矢張りひらどんの第3関門以降の下りの速いこと速いこと。 あと少し下りの距離が長かったら、矢張り負けていたんだろうなぁ。 |
ハセツネの少し前に、16歳になる実家のヨークシャテリアが天に召された。多感な時期を一緒に過ごした愛犬・アルファが居なくなってしまって本当に辛かったけれど、そんな時仲間の1人が「おれはスタート前にいつも死んだ愛犬とじいちゃんにゴールまで連れてってお願いしてる」って話をしてくれた。山に犬を連れて行ったこともなかったけれど、でもなんだか、そうお願いしたらゴールまで連れて行ってもらえるような気がした。ゴールできたのはアルファがお願いを聞いてくれたからなのかもしれない。そしてまたアルファも一緒に楽しくハセツネのルートを走ってきていたのだろう。
私にしてみればそれなりに試走もし、準備もし、装備も結構長いこと考えて臨んだハセツネというステージ。事前には皆で決起集会もして気分を高め、当日も朝から皆で励まし合い、レース中は仲間の応援に支えられ、レース後は日を改めて打ち上げもやった。応援といっても、ハセツネでは公式エイド以外での食料水分防寒着等の補給や、物理的な仲間のサポートが禁止されているので、応援の内容としては地味なものだったのではないかと思う。それでも応援をしてくれた人達がいたからこそ7人は完走できたのだし、この完走は全員で勝ち取ったものだと思う。故障に悩まされながら長時間走り続けた人も、最高の状態でパワフルに走り抜いた人も、皆きっとそれぞれに楽しい時間を過ごしたに違いない。
とりあえず一区切り。
(写真はRun or Dieの皆様に撮って頂いたものを主に使わせて頂きました。ありがとうございました!)
私にしてみればそれなりに試走もし、準備もし、装備も結構長いこと考えて臨んだハセツネというステージ。事前には皆で決起集会もして気分を高め、当日も朝から皆で励まし合い、レース中は仲間の応援に支えられ、レース後は日を改めて打ち上げもやった。応援といっても、ハセツネでは公式エイド以外での食料水分防寒着等の補給や、物理的な仲間のサポートが禁止されているので、応援の内容としては地味なものだったのではないかと思う。それでも応援をしてくれた人達がいたからこそ7人は完走できたのだし、この完走は全員で勝ち取ったものだと思う。故障に悩まされながら長時間走り続けた人も、最高の状態でパワフルに走り抜いた人も、皆きっとそれぞれに楽しい時間を過ごしたに違いない。
とりあえず一区切り。
(写真はRun or Dieの皆様に撮って頂いたものを主に使わせて頂きました。ありがとうございました!)