2013/10/14

20131013−14_日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP レース編後編

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関門通過時刻の計測バーを目前にして、応援にきてくれていた仲間の姿を見付けた。時刻は21:08過ぎ。鼻と口は鼻血まみれ、ザックには赤い斑点、ストックのストラップは外れ、ないかもしれないヘッドライトの予備電池に対する不安・・・自分がまだ元気であるということ以外はなんだか結構悲惨である。ヘッドライトは既に心許なく、ハンドライトで走ることに慣れていない私にとって、ハンドライトで照らしながらストックを持って走るのが容易でなさそうなのは明らかだった。
応援メンバーに聞くと、図らずも、サブ13程度のペースでここまで来ているようだった。ひらどんとジャッキーはもう来たかと尋ねると、まだだと言う。思わず声をあげて喜んだのも束の間、私より速いタイムでゴールすべきメンバーが数名リタイアしたことを知らされると動揺を隠せなかった。この月夜見山駐車場に私より先に到着した仲間は2人しかいないという。絶対に走れる筈の人が崩れ去る、そんなことが起こりうるレースなのだと肌で感じて、改めてハセツネに畏怖の念を覚えた。
脚腰の状態を確かめる
攣ったりしていないし膝に痛みもない。足を捻ってもいない。眠くもない。しかし休憩が長くなるにつれ、体が軋んでくるのがわかる。ハンドボトルに入れてもらったポカリの水割りを一気に飲み干した後、ハイドレーションに入れたポカリの水割でもう一度ハンドボトルを満タンにしてVAAMを溶かし、グミ程度の固形物を口にする。因みに、スタート時のハンドボトルには、先輩からのアドバイスに従ってお茶(緑茶)を入れてあったのだが、甘いジェルを食べ続ける合間に口を洗い流してくれるお茶の苦みは、いい気分転換にもなったし、なによりも口の中がスッキリして気持ちがよかった。粉のお茶でも持ってくればよかったなぁと思った。

ひらどんやジャッキーは自分より後ろにいる、と聞かされても、そこまで私が引き離しているともあまり思えない(実際はひらどんとは30分、ジャッキーとは1時間程差があったようだった)。焦る気持ちでついついろくに休みもせずに出発しようとする私を、仲間は優しく引き止める。もう少しちゃんと休んだ方がいい、と言われて我に返り、あれこれ話をしながらVESPA hyperを口に入れる。思わず眉間に皺が寄る。この関門ではこれを食べる、あれを飲む、あれをここに入れて、これをこっちに移して、、極度の興奮状態の中で装備を整えていたけれど、興奮しすぎて色々と空回る。空回っているうちに、寒くて手はかじかんでくる。トイレに行きたくもなかったが、途中で行きたくなっても面倒なのでとりあえず用を足す。また鼻血が出たら困るから、トイレットペーパーを少し巻き取って持っていこうか、いやでもそれってルール違反になるのかな?そもそも邪魔かな?濡れたら面倒かな。——結局トイレットペーパーは一切持たずにトイレを出る。少しくらい持った方がよかったかな、などと、些細なことにしつこく思いを巡らせる。落ち着かない。でも皆が居てくれるからまだマシなのだ。1人だったらもっとどうしようもない感じになっているのだろうと思う。居心地が良くてついつい長居してしまいそうになるが、これ以上休んでも体が冷えすぎてしまうから、と、そろそろ出発の心づもりを始める。これまでに最長で44kmしかトレイルを走ったことのない私にとって、ここから先が本当の戦いなのだろうと思うと、緊張がますます高まってきた。いいペースだと褒められても、純粋には喜べなかった。この後、脚が一気に故障するかもしれないし、全然走れなくなって一気に失速し、歩いてゴールを目指すしかなくなるかもしれない。途中で堪え難い眠気に襲われて、ろくに防寒具もないのに眠り惚けて、低体温症みたくなって動けなくなってしまうかもしれない。こんな真夜中に、しかも走ったことの無い距離を行くというのはそういうことだ。でも、不安を感じているという事実そのものをあっさり受け入れてしまえば、受け入れた途端に何かが崩れてしまうような気がしたから、ずっと自分で自分の中の不安な感情に蓋をしようとしていた。結局のところ蓋のできるような不安ではなくて、蓋からはみ出してしまっていたのだけれど、休憩していたアスファルトの駐車場から土のトレイルに一歩足を踏み出した途端、黒く大きく高いエネルギーを持った山々が、私を優しく引っ張ってくれて頭が空っぽになった。そう、不安は消えたのだ。その瞬間に、私は山と同化したような気がした。集中力は一気に高まった。

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鞘口峠から御岳山までは1週間前に試走してあった。少し急坂を下ってから御前山へ登り、そのあと下ってまずは大ダワまで。御前山までの登りは、試走の時は大したことないなと思ったけれど、流石にここまで40km以上走ってきた身にはそれなりに堪えた。途中、ライトでトレイルの脇を照らすと、誰かの装備の何らかの反射板が浮かび上がって、そこに選手がうずくまって眠っているのが分かった。そんな姿があちらこちらで見られるようになった。幸いにして眠気と戦わずに済んだ私は、スタッフの人達の掛け声に引っ張られるようにして御前山の山頂に辿り着き、とりあえず席を見付けて一旦腰を下ろすとゆっくりストレッチをした。このまま下りに突入したら途中で動けなくのではないかと思うくらいお腹がすいていたが、食欲はなかった。でも、食ベなければ進めなくなる。食べて体にエネルギーを取り込むことさえもレースの一環であり、闘いなのだ。ここまでにも散々エネルギーを摂取し続けていたが、今ここで摂るべきは、ある程度腹持ちのするまとまったエネルギーだ。ジェルよりも吸収の速度が遅く、1本171kcalあるスポーツようかんならば腹持ちもしそうだし、じわじわと効いてくれそうな気がした。封を切ってようかんを齧ると、思った以上に咀嚼して嚥下するという一連の作業が面倒で厄介で鬱陶しく辛い。疲れすぎて味もしないし、最早食べることを途中でやめたくなってしまったのだけれど、これは作業だ、餌を摂っているだけなのだと頭を切り替えて、無心でもしゃもしゃ食べ続けた。凄い速さで食べ切った。

ヘッドライトはもう大分暗くなってしまっていた。ハンドライトの明かりで走らざるを得ない、でも下りではストックを積極的に使わないと脚がもたなさそうで辛い。とりあえずダブルストックのまま、右手にハンドライトを持った状態で山頂を出発した。もうここまでくると選手も大分ばらけてきていて1人きりで走ることも多く、ルートミスしないようにと慎重にルートを確かめながら進んでいた。とはいえ、たまには誰かと競り合ったりもする。下りが速くて登りの遅い小太りのお姉さんと、抜きつ抜かれつを繰り返していたのもこのエリアだったような気がする。彼女はザックにニコニコマークの反射キーホルダーみたいなのをぶら下げていて、それを見る度に私は少しだけ元気を貰ったりしていた。さっきから抜きつ抜かれつですね、頑張りましょう、と彼女に声を掛けてみると、ニッと笑い返して応えてくれた。
大ダワに到着したのは23:15過ぎぐらいだっただろうか。大きなバンのような関係車両が停まっていて、その脇にエマージェンシーシートに包まった人が2、3人眠っているようだった。

「ここでリタイアする人が一番多いんだ。レース序盤でリタイアするのは準備不足や体力不足、やむを得ないトラブルのあった人。大ダワまで来てリタイアする人は、本当は走れる筈なのに、この後大岳山をまた1つ越えなければならないのか、と思って心がくじけてしまう人。あとほんの少し登れば、あとは下りなのに。ここまで来ているんだから、これくらいの登り、すぐなんだよ。ここのリタイアは、本当に見ていられないよ。」

前の週の試走でたまたまこの大ダワに都岳連のおじさんが居て、そんな話をしてくれた。彼は、これまでここで見てきた沢山の人のそれぞれのドラマを目でなぞりながら、ここまで来れば大丈夫だから、頑張ってね、と言った。おじさんの目に現れては消えて行ったドラマの数々は、こちらからもとてもよく見えた。私は大丈夫だ、もうあと少しで登りが終わるのだ、ここまで来れば大丈夫だと知っているから。今は兎に角積極的に休憩しよう。

左足の親指の付け根付近の皮が、肉から僅かに踵側にずれているような感じがしていたので、状況を確認するためにまず靴と靴下を脱いだ。まだ皮は剥けていないが、白っぽくふやけた部分はこれから剥ける可能性がある。一度皮が剥けたらきっと痛くて走るスピードも落ちてしまうので、剥ける前にその部分を固定用のテーピングテープで巻くことにした。テーピングテープをザックから探していると、持ってくるのを忘れたと思っていたヘッドライトの予備電池まで見つかった。やった!これで最後の大岳山からの下りも明るいライトで下山できる!そう思ったらなんだか元気がでてきた。急いでテーピングを済ませナイフでテープを切り、ヘッドライトの電池を交換する。明るい。最後の登りに備えてまた少しエネルギーを摂取すると、意を決して再びトレイルに立ち向かった。もう、ゴールするという選択肢しか残されていなかった。
鋸山を経て大岳山への登りは岩場もあるため、最後の登りといってもバラエティに富んでいてそんなに辛くはなかったような気がする。腕が使えれば脚の負担も若干は軽くなる。黙々と登って大岳山頂に到着して、山頂では何があったか全く覚えていないが、あまり休憩もせずに先を急いだのだったと思う。ハセツネを知るよりずっと前にも歩いたことのある大岳山からの岩がちで急な下りでは脚に負担がかかりすぎないように進み、綾広の滝の水場ではハンドボトルに水を汲んでがぶがぶ飲んだ。走れるところでは着実に走ってタイムを稼いだが、単調な道だと飽きてきて、ひたすら体を動かし続けるという作業のせいで、自分が無機物になったような気分だった。何の障害もない平坦な道だから、タイムを稼げる場所なのだろうけれど、平坦すぎて脚はそんなに速く回せない。でも、ゆっくりならばまだしばらく長いこと動けるような気もしてきた。ほんの僅かな傾斜にも反応して脚の動きは遅くなっていった。そんな頃、遠くに何か選手のヘッドライト以上に光る明かりが見えはじめ、それと同時に声がしてきた。次第に明かりが大きくなってきたと思ったら、そこが第3関門の長尾平だった。

圧倒的に予習の足りていなかった私は、はじめそこが関門であることに気付かなかったのだけれど、応援の人達の視線を受けてしばらく進むと、大分前に既に2回通過してきた、青い時間計測バーが現れた。そして踏み越える。ライトは目の前で更に大きく明るく眩しい。人が多くて酔いそうだけれど、人に見られているという感覚はぼんやりと残っていた。歩いたら格好悪いな。さっきならば走るのを止めていたであろう緩い登りを、物凄くゆっくりだけれど小刻みに走る。すると、右から自分の名前を呼ぶ大きな声がした。声で誰だかすぐにはわからなかったけれど、声のする方を目で追いかけるとすぐに仲間の顔が見つかった。

ゴールするまでもう誰にも会えない、と思っていた訳でもなく、しかし誰か居るかな、と期待していた訳でもなく、ただひたすらに走っていた区間だっただけに、この場所で知っている人が自分の目の前に現れてくれて物凄い起爆剤になった。最早14時間を切ることは難しいだろう、けれど目標をサブ15まで引き下げるにはまだ早い、一体何を目標に進めばいいのか、とぼんやり思っていたところへ、「このままいけば、14時間ちょっとだな。ゆっくりでも大丈夫」と、ハセツネの先輩から言ってもらえたのはとても大きな心の支えにもなった。彼は寒い中、1人でその場所で応援してくれていたようだったが、しばらく並走してくれた後、がんばれー、だか、行ってこーい、だか、そんなような掛け声で私を送り出して再びその場所に留まった。私は、この先、とりあえず14時間台前半を狙っていけばいいんだ。失速するかもしれないけれど、サブ14.5を目指して着実に進もう。

御岳神社のところにも地元の応援の人がちらほら居たが、周りには少し民家があるから大声での応援ではなくて、静かに手を振ってくれたりしていた。そんな応援に笑顔で応えながらコンクリートの上をくねくねと進む。疲労がたまった脚にコンクリートの衝撃は結構堪えるものだけれど、まだかろうじて大丈夫だったので、私はそれなりのペースで走り続けていた。ドラム缶に詰め込んだ薪で焚火をしながら観戦していたおばちゃん達も、ひそひそ声を目一杯張り上げて「オンナノコ!スゴイネー!ガンバッテー!」と言いながら手を振ってくれた。

御岳から先は試走こそしていなかったけれど、日の出山に向かう登りの階段を登っていたら、以前にここを歩いた時の記憶が蘇ってきた。そうか、山を始めて4年ちょっとの間に、なんだかんだ言ってほとんど全部の区間を歩いたり走ったりしてきていたんだ!そう思ったら、以前この場所を歩いた時一緒に居た人達の顔が浮かんできたり、まだあの時は筋力も体力もなくてこの階段が辛かったんだよなぁとか思い出されたりして、色々な記憶が繋がっていった。ようやく山頂に着くとそこには見知った東屋があった。東屋が当時と変わらずここに在るということや、変化したかもしれない私が今その東屋とこうして向かい合っているというその事実は、例えようのないほど私の心を震わせた。言葉通り、宝石を散りばめたかのような煌めく街の明かりと、かつてこの場所に立った時に見た景色とが目の中に交互に現れ次第に重なっていった。この山頂で出くわした人との会話、こんなささやかな山頂で皆で集合写真を撮ったこと、その時から今までに起きた山との出来事のすべて、それらが私の記憶の奥の奥からどばどば出てきて止まらなくなって、挙句に目からは記憶の結晶が星になって飛び出して、煌めく夜景と同化していった(狂っててすみません)。60km走ってきた自分が今この山頂に居るということも、それに対するご褒美かのようなその美しい夜景も星空もまるで夢のようで、思わず息を呑んだ。奥多摩のこの素ン晴らしい夜景を目に焼き付けていってね、とスタッフのおじさんが静かに言った。奥多摩への愛に溢れた優しい言葉だった。

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あと11km。残ったエネルギーは180ml程残っている自作ジェルと固形物が少々のはずだ。固形物という気分でもなかったのでジェルを飲もうと胸元のポケットに手をかけると、途中まであった筈のフラスクが消えていた。まずい。ジェルを落としたとなると、ゴールまでのエネルギーが足りるか怪しい。でもどうしようもない。風の吹き抜ける山頂で暫く夜景の美しさに心を奪われている内に時間が経ち体も冷えてきたので出発をすることにした。1時半から2時の間くらいだったと思う。

日の出山を出てからも、見知ったルートは続いていた。少し下った左側に、植林された木々が伐採されて見通しがよくなった斜面がある。伐採地をぐるりと回り込むようにしてつけられたシングルトラックを黙々と走っていると、後ろから規則正しい足音が追いかけてくるのがわかった。私を煽るわけでも、離れて行くわけでもないその足音は、はじめ1人のものだと思っていたが、よく聞いてみると2人のものだった。3人で暫く進んだ後、すぐ後ろの男性に声を掛けられた。

「何時間台を狙ってるんですか?」
「んんー、もう14時間台には乗ると思うので、まぁ14時間台前半でいけたらいいかなと」
「14時間台は当然大丈夫ですよ、でも今なら、13時間台にギリッギリ間に合うかもしれません。今のこのペースを保てますか?登りでも死ぬ気で駆け上がれるなら、いけます。一緒に頑張ってみませんか。」
「わかりました」

こうして最後にトレインが組まれた。既知未知問わず何人もの人達と励まし合い、笑い合い、喜びと苦しみを分かち合ってきたこのハセツネというステージももうじき終わるけれど、共に60kmを走ってきた仲間とこの期に及んでまだ尚出会い通じ合えるということが、もうそれだけで幸せに思えた。

私の後ろについていた2人は、私に追いつく少し前に合流してここまで走ってきたとのことだった。私自身は、ここからきっちり飛ばして13時間台に食い込めるほど脚が残っているとも思えなかったけれど、でもまだ諦めたくはなかったし、まだ望みを捨てていない仲間がいるなら、頑張ってみても悪くないなと思えた。先頭を彼等に譲るわけでもなく、暫くは同じ並び順のままで進んでいった。しかし、ひとたび登りになると、私の脚は一気に回らなくなった。頑張りたくても、彼等から離れたくなくても、もう脚が前に出なかった。2人が1歩2歩と私に近付き、あっという間に横に並んだと思ったら、1歩前に出た。
「やっぱり私登りはこのペースもう無理です。先に行ってください。ありがとう、頑張って。」
そう伝えて彼等を見送ると、彼等はあっという間に見えなくなってしまった。

また1人になった。暫くすると、毎度のことながら脚が痛くなり始めてしまって満足に走れなくなった。これが毎回不完全燃焼気味でレースを終える原因でもある。ああまたか。こんなにのろのろ走っていたら、また後ろからひらどんに抜かれてしまう。ひらどん云々以前に、もう何人に抜かされただろうか。60km以上走ってきているというのに、まだ脚が残っている人の如何に多いことか。前に前にとストックを突きながら、かなり斜度のあるトレイルを集中して下る。できるだけ前腿のあたりに着地の振動が伝わらないように歩みを進める私のすぐ横を、何人もの人が爆走してゆく。悔しくて仕方が無い。一体幾度この悔しさを味わえばいいのだろう。暫くその痛みと闘っていると、急に足元からぐんと突き上げるような衝撃がきた。トレイルが終わってコンクリートになったのだ。トレイルが終わってゴールまでは、割と長く舗装路があって、そこは結構きついと聞いてはいたものの、まさかこんなに傾斜のきつい内から舗装路になってしまうとは思っていなかった。結局、道が平坦になるまで全くといっていい程走ることができなかった。

斜度のある舗装路をゆっくり下っている時、人に抜かされることばかりで抜くことは殆ど無かったのだけれど、1人だけ同じようなペースで下っている人がいた。ここきついですね、脚痛すぎる、よく皆こんなところあの勢いで走れますよね、そんな会話をしながら黙々と降りて行くと、次第に傾斜が緩やかになっていき、道が平坦になると民家が見えてきて、その奥にスタッフの人がルートを誘導するのが見えた。左へ曲がって、と口パクで指示を出すそのスタッフの脇には、寝静まる奥多摩の民家があった。時刻は3時25分過ぎ、人々が寝静まる時刻に何故か私は14時間以上走り続けた状態で今なお走り続けている。私は一体何をしているんだろう。ゴール手前の道は別に応援もなく盛り上がっている風もないし、華やかさもない。昼間あれほど賑々しくスタートを切ったあの場所が、今はこんなにも静まり返っている。この場所にはただ時刻が経過しただけだ。拍手されながらゴールしたくて走ったのか?ただ走りたくて走ったのか?虚しいわけでもなく、終わることが寂しいわけでもなく、かといって嬉しいわけでもなく、もうじき終わるそのルートを感慨深く踏みしめる訳でもなく、ただひたすらにゴールが近付いてきたということだけを感じていたように思う。以前遭難しかけて食料が底を尽きそうになった時、なけなしのラーメンにお餅を入れた得体の知れない食べ物が、触覚を通り越して脳を直撃し、ただひたすらにその食べ物を貪った時のあの夢中な感じに近かった気もする。もうすぐゴールがあるという、ただそれだけを夢中になって貪るだけで、そこに喜びも悲しみも悔しさも満足感もなかった。

14時間半を切れるのだろうか、切れたらいいな、という想いもあったけれど、ゴールの極く近くまでくるとようやく応援の人々の姿が見えてきたら我に返って、嬉しいという感情がでてきた。人が見え始めてからゴールまで僅かだったので、感動がじわじわと押し押せる感じを味わう余裕も無かったけれど、これまでに頭を擡げなかった様々な想いが大きな波となって砂浜に打ち上がった感じだった。ゴールには仲間の姿があった。ザバーン!ゴールゲートをくぐるとハセツネは終わった。仲間の顔を見たら何かが堰を切ったように溢れ出し、「つらかったよー」と言って私は泣いた。
肩や頭を叩かれてオツカレオツカレと声を掛けられる。やっぱり最後は走れなかった、という悔しい想いと、それでも完走できたという達成感。言葉にすると安っぽくなってしまうけれど、なんだかもう感無量だった。そして、ゴールした途端に脚が痛くなって、全然動けなくなってしまった。配られていた豚汁も、気持ち悪くて全然食べられなかった。
結果は・・・残念ながら14時間半は僅かに切れなかったけれど、それなりのタイムで一安心。まさかの13時間台!!とかサブ13!!!とかいう快挙を密かに期待していたけれど、そううまく行く筈もなくw
しかし宿敵ひらどんを打ち負かせたのは嬉しかった!ひらどんが休憩し過ぎなだけという話もあるが・・・
finisherは7人。3人がDNFとなった。
しかし矢張りひらどんの第3関門以降の下りの速いこと速いこと。
あと少し下りの距離が長かったら、矢張り負けていたんだろうなぁ。
ハセツネの少し前に、16歳になる実家のヨークシャテリアが天に召された。多感な時期を一緒に過ごした愛犬・アルファが居なくなってしまって本当に辛かったけれど、そんな時仲間の1人が「おれはスタート前にいつも死んだ愛犬とじいちゃんにゴールまで連れてってお願いしてる」って話をしてくれた。山に犬を連れて行ったこともなかったけれど、でもなんだか、そうお願いしたらゴールまで連れて行ってもらえるような気がした。ゴールできたのはアルファがお願いを聞いてくれたからなのかもしれない。そしてまたアルファも一緒に楽しくハセツネのルートを走ってきていたのだろう。

私にしてみればそれなりに試走もし、準備もし、装備も結構長いこと考えて臨んだハセツネというステージ。事前には皆で決起集会もして気分を高め、当日も朝から皆で励まし合い、レース中は仲間の応援に支えられ、レース後は日を改めて打ち上げもやった。応援といっても、ハセツネでは公式エイド以外での食料水分防寒着等の補給や、物理的な仲間のサポートが禁止されているので、応援の内容としては地味なものだったのではないかと思う。それでも応援をしてくれた人達がいたからこそ7人は完走できたのだし、この完走は全員で勝ち取ったものだと思う。故障に悩まされながら長時間走り続けた人も、最高の状態でパワフルに走り抜いた人も、皆きっとそれぞれに楽しい時間を過ごしたに違いない。

とりあえず一区切り。

(写真はRun or Dieの皆様に撮って頂いたものを主に使わせて頂きました。ありがとうございました!)

20131013−14_日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP 装備編

memorandum

●夏〜1週間前までの練習
09/07 試走(スタート〜浅間峠の手前あたり) 21kmくらい
09/17 LSDラン 21.87km(公園周回)
10/06 試走(鞘口峠〜御岳山)20kmくらい
日常のランニング等練習・・・なし
夜間のトレラン練習・・・なし
その他の運動・・・毎日片道8km程のチャリ通勤での運動と、週末の登山少々。

●カロリー
PRO BAR (350kcal) 固形物 途中までしか食べず
VESPA HYPER(18kcal) 起爆剤として 第2関門で投入
Honey Stinger - Strawberry (120kcal) カフェイン入り 凄くまずかった。このフレーバーはもう販売中止らしい・・・
Clif Shot - Double Espresso(100kcal) これもカフェイン
shotz - Capucchinno(117kcal) カフェインばかり
Clif Shot Blocks - berry (200kcal) グミ6個でこのカロリー 虫歯になりそう
Clif Shot Blocks - Tropical Punch (200kcal) 同上
Savas Pit In Jelly Bar - マスカット風味 (100kcal) 水っぽくて食べやすかった
Meitan Super Athlete - リンゴ(168kcal) 乗鞍HCレースで買って食べなかった残り。美味しかった
井村屋 スポーツようかん(171kcal) 固形物 終盤で頑張って食べた
VAAM powder*2 (42kcal*2) 第2関門でハンドボトルの水に溶かして摂取
Super VAAM・顆粒タイプ(16kcal) どこで飲んだか忘れた
Amino Vital Pro(18kcal) どこで飲んだか忘れた
自作ジェル - ホットジンジャー味 Salomon soft flask 237ml (約740kcal) 途中で落とした
自作ジェル - 梅味 Salomon soft flask 148ml (約450kcal) これは美味しかった
持参トータル 2852kcal / 摂取量 約2252kcal

●レース前の平日5日間
ザックのストラップの長さを切って縫い、適当な長さに改造
ヘッドライトがずれ落ちてこないように頭頂部にベルトを追加し改造
ハンドライトホルダーを作成(市販品もあるが自作してみた)
ジェル類等エネルギー系統の買い出し、その他不足装備の買い出し(ジェル用フラスクなど)
アミノ酸、VAAM等の摂取ポイントの検討
地形図のiPhoneへのキャッシュ
服が決まらず相変わらず店で試着を繰り返す
天気予報のチェック

●10/12 (Fri) レース前日
自作ジェルの作成
パッキング
相変わらず服探し

●装備
・上半身
Arc'teryx - Libere Comp Shirt - Cap Sleeve (襟付き半袖シャツ)
Outdoor Research - Sentinel Sun Sleeve (アームカバー)
Visor Buff (帽子代わりに)
・下半身
Patagonia - Women's Trail Chaser Shorts(短パン)
injinji - 5本指ソックス(商品名不明)
inov-8 TRAILROC 255 - これの型落ちしたもの(黒×赤バージョン
どこのかよくわからない貰い物のショートスパッツ

・持ち物(食べ物以外)
UltrAspire - Omega(15Lくらいのザック)
Hydrapak - reversible reserver 2L
mont-bell - U.L. wind jacket
Black Diamond - Spot (head light 90 lumen)
GENTOS - SG-325(hand light 150 lumen)
Locus Gear - CP2 (trekking pole)
Suunto - Core (高度計付時計)
Suunto - Commet (コンパス)
Spyderco - 6cmくらいのナイフ (商品名不明)
固定用テーピングテープ少々
100均 - ホイッスル
iPhone 5 (ラバーケース有、防水ケース無)
@muse - Mobile Booster 5600(モバイルバッテリー)&HanyeTech 充電ケーブル30cm
薬 (正露丸糖衣錠剤、ロキソニン)
自転車用指切りグローブ(商品名不明)
Map (家に届いた冊子に載っていた地図をコピーしたものをジップロックに入れて)
Amphipod - Hydraform Handheld Pocket (ハンドボトル)

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20131013−14_日本山岳耐久レース・長谷川恒男CUP レース編前編

初めてこのレースの存在を知った時に思ったのだ、
私はいつかきっとこれに出ることになる、出るべきである、出なくてはならない、と。

どうしてそう思ったのか、正直よくわからない。ただ、辛い筈のレースを終えた選手達がカメラに向かって見せる、突き抜けた笑顔や涙の理由を自分で確かめたかったのだと思う。ゴールしたその瞬間は純粋な幸せに満ち満ちたものなのか、はたまた苦しみからの解放による安堵なのか。さもなくば、肉体的な限界を越えて、意味もなく笑い泣くだけなのか。いずれにせよ自分の知らない何かがそこにあると思ったし、私はそれを見る必要があった。走ったからといって何かが変わるとか、そういうことを期待してはいなかった。けれども、参加者全員のこの数ヶ月の練習や準備などがその日のためにすべて注がれた熱量の高さを想い浮かべては、彼等の狂気の集中の只中に我が身を置きたかったのだと思う。

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「日本山岳耐久レース 60km地点」
60km地点だったか55km地点だったか具体的な数値や場所は覚えていない。山を始めたばかりの頃、奥多摩を歩いていて出くわしたその標識に書かれていた数字は、フルマラソンの距離をはるかに越えていた。「山岳」を「耐」えて、競う「レース」があるのだと知り、その距離が想像を絶する長さであることに衝撃を受けたのは、少なくとも3年以上は前のこと。調べると、距離は71.5km、制限時間は24時間とあった。衝撃的だった。当時フルマラソンさえ出たことのなかった私にとってその距離は想像の及ばないものだった。でも何故か心がざわついた。きっとこれは私がいつか関わるレースだろう、そう直感した。

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2013年6月、本戦にエントリー。
過去に一度、2011年の30Kにエントリーしたことがあったが、その年は震災でレースが中止になった。そして2012年はアクションさえ起こさず、2013年は30Kの応援に行ったのみで自分は走っていなかった。本戦にエントリーしたのも、エントリー当日、team Run or Die!!のメンバーがハセツネハセツネと盛り上がっていたので、ノリでついクリックしてみたらエントリーできてしまった、というくらいの軽い理由からだった。いざエントリーしてみてから、実際に走るメンバーの錚々たる顔ぶれに怯んだのは言うまでもない。
相変わらず練習はあまりしないまま本番になってしまった。しいて言えば7月のキタタン、9月の乗鞍ヒルクライムレース(チャリのレース。ブログまだ)に出たことくらい、と、直前に22kmほどの試走を2回、あとは近所を21km走ったことくらい。キタタンは44kmのレースだがハセツネよりキツイと言われることもある、と聞いていたので、これを走り切れたということで多少の自信はついていた。とはいうものの距離はキタタンから更に27kmも長いし、リタイヤしたくないし、ある程度走っておかないとまずいなと思ってはいたのだが、キタタン、夏休み、乗鞍、と続けていたらもうそれ以外に練習する時間を割くことができなくなってしまった。否、単に走るのがそんなに好きではないから時間が作れないっていうだけなんだけどね・・・

そして迎えた当日。
13時出走ということで、もし1人で参戦していたらおそらく11時半到着がいいところだったと思うが、そこはハセツネ経験者のいるチームに所属している強み。ほぼ始発で出発して現地到着は8時過ぎくらい。今夜は徹夜で走るのだから、できれば朝はギリギリまで寝ていたいと思いがちだが、こうして早い時間に乗り込むことで、控え室である体育館の奥の方を陣取ることができる。逆に陣地が入口付近だと人の往来が激しくて全くリラックスできないのだとか。なるほど。
でも何気にここは男子控え室w 後で知らされた・・・
場所を確保してからコンビニへ買い出しに行き、受付を済ませ、ニューハレのブースでテーピングをしてもらい、携行する食料の最終チェックと調整をしているともう結構いい時間に。。。起きたのが早かったので段々目がしょぼしょぼしてくる。なけなしの時間でどうにか横になり、持参したマットとシーツにくるまりしばしの休息。しかし緊張して眠れない。ロードレースを走る時いつも聞いているDonato Dozzyのmixを聞いて集中力を高める。
出走まであと30分ちょい
兎に角緊張する。ワクワク、ドキドキ、ソワソワ。そればかり。でも頭の中では、人から聞いた作戦と、自分なりの作戦を反芻する。最初はトレイルに入るまでキロ4分半くらいで飛ばして行く、それは自分がハァハァ言うくらいのペースだから、ハァハァ言うかどうかを目安にする、そして入山峠まで1時間という目安はサブ12くらいの人のペースだから自分はもう少し遅いペースで入るようにする、登りは無理して走らないけれどハイペースで歩く、できるだけ止まらない、食べたくなくても1時間に1度は何か口にする、そして食べ過ぎない、40キロまで水の補給がないことを踏まえ、前半でドリンクを飲み過ぎない、あとは、自分はナイトランの練習をしていないから、できるだけ日の高いうちに突っ込んでおこう。そんなようなことを頭に叩き込む。

後ろにいると渋滞にはまりやすいと言われて、実力以上に前の方からスタートをする。抜かれたら抜かれたで構わない、けれど前が詰まって進めないようなことは避けたい。
わけもわからず鳥肌が立つ
途中でまた会うかもしれない、けれどゴールまで会うことはないかもしれない、一緒に並んでいた仲間と、必ずゴールしようぜと言い合いながら固い握手を交わす。速い仲間は列のずっと前の方に進んで行って見えなくなってしまった。肩を寄せ合いながら、カウントダウンのアナウンスに震える。お互いの緊張は手を通して伝わって、それは余計に増幅して、もう居ても立ってもいられなくなった頃、ようやくスタートのピストル音が鳴った。行こう。
いってらっしゃい!の声に見送られながら進む舗装路
人の流れは真ん中は流れが淀むので、道の端の方から抜いていく。こんなペースそう長いこと持つ訳も無いので今だけだからと自分に言い聞かせながらゲーゲー言いながら踏ん張る。ここはオーバーペースでいい、どうせ後で渋滞にはまって脚は回復するから。そんなアドバイスを信じて抜いていく。握手を交わした仲間は見失ってしまったが、逆に前を走っていたタケさんとハリさんに追いつく。いいペースだ。

トレイルに入ってすぐペースを落とした。ここから渋滞が始まると聞いていたが一向に渋滞しない。道幅がそこそこある間はどんどん追い抜いてもらえば良いのだが、シングルトラックみたいになるとそうもいかない。後ろにせっつかれるままにハイペースで進む。71kmもあるレースとは思えないスピード感に自分が巻き込まれてしまっている。集団も全然ばらけないし、かといって渋滞もない。あっという間に入山峠まで着いてしまった。時間はまだ14:02くらい。速すぎる。おそらく自分の周りに居る人達はサブ12でゴールする人達なのだ。巻き込まれすぎたら自滅する。

ここから緩やかな登り。細かなアップダウンを繰り返しながら市道山、醍醐丸、連行峰、生藤山、三国峠、熊倉山を経て第1関門となる22.66km地点の浅間峠まで進む。どこでどんなだったかはまるで覚えていないが、スタートから浅間峠の手前までは試走してあったのでなんとなく気楽だった。16:52に浅間峠に到着するとすぐトイレで用を足し、ハイドレーションの水の量を確認し、補給食をザックから手前のポケットに移動させ、ヘッドライトを装着してバイザーバフを脱いだ。興奮して手が震えて、色々なことがなかなかうまくいかない。ここのポイントは誰も応援来ないんだったっけかー、と思いながら出発しようとすると応援団発見!うおお、速いよ、と言われたけれど、この時点でサブ13ペースにまで落ちていた。ここからどこまで落ち続けるのか不安もあった。必ず失速するんだ。あれこれしていたら、それまで一番気になっていた「誰が私より前にいて誰が私より後ろにいるのか」を聞き忘れてしまった。永遠のライバル・ひらどんと、鋸山では似たようなタイムだったものの今回は私と違ってかなり練習を積んできたジャッキーの2人は一体どこにいるのだろう。

浅間峠を過ぎてほんの数十秒進むと、すぐ前の人がストックを使って走っているのが見えた。地図を開きながら、ストック禁止区間は浅間峠まででしたっけ、と係の人に確認すると、そうだよもう使っていいよーとの答え。ああしまったココからだったか、休憩中に出しておけば良かった、と後悔しながら大急ぎでストックを出す。ここからゴールまで、ストックは一度もしまうことなく使い続けた。ストックを使って走ったのは、実に1週間前の試走が初めてだったのだけれど、普段のハイクでストックそのものに慣れているということもあって、何の問題もなく使いこなすことができた。
秋の日はつるべ落とし。森の中が一気に暗くなると、森に住む者たちが動きを止めるからなのか、圧倒的な静けさが訪れた。いつも山の中で経験していることだから別に驚くものでもないけれど、うっかりしていた。ここから先ずっと、粛々と鼓動する森の中を進まなくてはいけないのだ。こういう状況になるということは判っていた筈なのに忘れていた。ヘッドライトを点ける人がぽつぽつと現れ、お互いがお互いのライトの明かりを見ながら静かに歩みを進める時間が続く。良くも悪くも、前後の人の様子は暗くてよく見えない。景色は無く、ただただ目の前のトレイルを踏みしめながら進む作業。修行僧の列はひとつのかたまりとなって、たまに誰かが脱落したり、前を歩く誰かを吸収したりしながら、縦に伸びたり縮んだりする。それはまるでマスゲームでなにかを演じる人々のアメーバのような動きにも似ていた。どんどん自分が無になっていくような気がした。色々と考え事をしようかなとも思ったが、その余裕はなかった。

どのタイミングだったか、突然ストックのストラップが外れた。まだ半分もきていないのに、面倒なことになったが、まぁやむを得ないので、とりあえずストックを落とさないようにしようと気持ちを切り替えて進むことにする。

アップダウンは相変わらず続いていたが、今回で一番高い1527mの三頭山が目下の目標。浅間峠までの間の水の消費量が多かったので、40km地点まで水がもつかどうか少し心配だったのだが、日が落ちると水の消費は一気に少なくなった。逆に意識してどんどん飲むように気をつけながら進む。試走をしていなかった区間を闇雲に進んでいると、山の上の方に光が見えた。「山頂でーす、ここから下りでーす!頑張ってー!」とスタッフの人の声がする。三頭山山頂だ。
とても寒い
19:55だった。ペースはまた落ちていた。でも勇気を出して休むことにした。周りの人達の顔が見るからにゲッソリと疲れ果てて悲惨だった。もう走りたくないオーラを出しまくっている人、食べないといけないけれど食べられないといった面持ちの人、積極的にストレッチをする人、ベンチを丸ごと占拠して横になる人。私はというと、何か固形物を口にしたような気がする。何だったかな。夜20時の奥多摩1527m地点はそれなりに寒く、汗で濡れた服が風を受けると一気に汗冷えしそうだった。登り基調でずっと下ろしたままにしていたアームウォーマーを二の腕まで引き上げて寒さをしのぎながら入念に脚のストレッチをし、下りに備えて体勢を整えると一気に駆け下りた。

ここから鞘口峠までの下りは途中にガレがあって嫌らしいと、事前にジャッキーから聞いていたが、三頭山から暫くの間は普通に走ることができた。冷えていた体はあっという間に温度を上げていった。タイムを稼げるなと思えるくらいのとても良いペースだ。しかし標高が下がって気温と体温が上がったと思うや否や、鼻に異変がおきた。

鼻血だった。

気持ちよく下りで飛ばしている真っ最中にこれだ。勘弁してくれよ。しかもすすりながら走れるような生やさしい鼻血ではない。かなり酷い。下を向くとボタボタと勢い良く血が垂れる。顔の真下の土や草を赤褐色の斑点で埋め尽くしながら、ザックの中に入れたかもしれないティッシュペーパーを漁る。ああ、そういえば、スタート直前にティッシュを持つのをやめて置いてきたんだった。もしかして、ティッシュと同じジップロックに入れていた予備のヘッドライト用電池も置いてきてしまったのではあるまいか。不安がよぎる。

10人以上20人未満くらいに抜かれただろうか、悔しすぎてまた鼻血が酷くなるんじゃないかと思うくらいだったけれど、時間の経過とともに体温も下がり、ようやく鼻血は少しずつおさまってきた。その辺の枯葉で最後にチンと鼻をかみ、携行していたチャリ用の指切りグローブをはめた。グローブの親指の付け根のあたりがタオル地だったので、ティッシュ代わりにグローブで鼻血を拭うことにした。

その内に鼻血は止まり、前の週に試走した鞘口峠に到着した。もっとワイワイしているのかと思ったら、スタッフは数人しかいなくて、リタイヤしたと思われる人も別に居なくて、本当にここがリタイヤポイントなのだろうかと疑うくらいだった。特に休憩も挟まずにそのまま通過。そしてここからはぐぐっと登って、その先は大きな落ち葉で滑りやすそうな下り。それが終われば第2関門だ。
相変わらずチームの人には誰とも出くわさなかった。この区間の記憶はあまり無いけれど、ひょっとしたら無いかもしれないライトの予備電池のことを思って、できれば誰かの明かりに便乗したかったのに前後に誰もいなくてやむを得ず自分のライトでルートを照らしながら走っていた気がする。
アップダウンの少ない穏やかな下りを終えて一気に林道へ抜けると、ガードレールがぴかぴか光っていた。関門まできた!と思って、思わず「わぁー!」と声を上げるとすぐ近くにいたおじさんが「ここの景色が一番好きなんだー」と嬉しそうに声を掛けながら私を抜いていった。追いつけないけれど着実に関門を求めて走る。久しぶりに明るいところにきたなぁ、それに、もう水の心配しなくてよくなるんだなぁ、そう思って関門に着くと、応援団がいた。嬉しかった。嬉しくてついつい時間計測用のバーを踏み忘れて注意されてしまった。
ポカリと水を1.5Lだけ貰える唯一の公式エイド。ここから先も水は補給できるが自然水のみ。
水とポカリを半々くらい貰ったものの、この場で500ml以上飲み干してしまった
後編へ続く
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