2015/05/31

20150531_奥久慈トレイル50K (57km)(本編の後編)

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26km地点の第二関門から程なくして26.9km地点にエイドステーションが現れた。でかでかと掲げられた横断幕には「歓迎」の文字。地元の方々の歓迎ムードが有難い。それにしてもちょっとエイドのインターバル狭くない?さっき休憩したばっかりだよ?と思いながらも目の前に並んだグレープフルーツが美味しそうすぎてふた切れほど頬張る。まだ全然喉は乾いていないけれど麦茶を一杯だけ頂き、エイドのおばちゃんと談笑する。

私「いやぁ、キッツイ!」
おばちゃん「だろうねぇ!このレースは初めて?」
私「そうです」
おばちゃん「初めてなら30kにしておけばよかったのに・・・w」
(※このレースは30kの部と50kの部がある)
私「いや、やっぱり50k走りたくて。3年前からずっと走ってみたかったんです。絶対完走したい。」

言いながら早くも泣きそうになる。そう、ここは3年越しの憧れのステージだ。絶対に完走したい、改めてそう口にすると気持ちはますます昂った。おばちゃん達にアリガトーと言い残し、たぷたぷになったお腹のまま再び私は走り出す。レースも後半戦に入ると前半戦より舗装路や林道も多くトレイルのアップダウンも穏やかで、思ったよりも進めて脚へのダメージも少ないし、もしかするとゴールできるのかも、という淡い期待を抱く。吊橋から少し登って再びエイドを通り、そのあとひとしきり降って今度は東金砂神社まで階段の上り。階段は何度も終わっては始まり、終わっては始まり、いくつものパーツに分かれていて、しかも次の階段が微妙に見えないから、毎回「これで終わりかな?」と期待させられては裏切られるという嫌らしい作り。偽ピークを何度も踏んだような脱力感に襲われ、必要以上のダメージを受けた。神社を過ぎて少しすると「もうすぐ関門」の看板があったので、え、そんなに早く着くわけないよねと動揺していたら、案の定30kの部の9km地点にある予備関門だった。私自身、第三関門が37kmくらいのところにあるように錯覚していたので(単なる勘違い)ひょっとして本当に第三関門に着いたのかなと思ってしまったのだけれど、実際はまだそこは34.7km地点で、次の関門までまだあと11.3kmもあった。エイドでおまんじゅうを1/4切れだけ食べたような気がする。水の補給もせず再び走り出した。第3関門は16:00がリミットだ。
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ここからは林道セクション(写真が全くなくて本当にすみません・・・)。またの名を修行。くじけない、怠けない、そしてできる限り歩かずに走るんだという強い精神力が問われる。単品で見れば決してコースがきついわけではないが、兎に角精神的に追い込まれる。林道手前の舗装路あたりだったか、おじさん2人が「ゴールできるか、ギリギリのラインだな」と話していた。1人は「死んでも完走したい」と口にした。表現の仕方は無茶苦茶だけれども、その気持ちはよくわかった。私もそれと似たような気持ちだし、この人は死んでも完走するんだろうから、最終的にこの人に千切られないようにしたいなという思いで林道に突入した。昼前から風が出てきたので、高いところにいれば風が気持ちよかったのだが、林道では当然風などほとんど吹いてくれない。つまり暑い。

普段ロードを走り込んでいる訳ではないので、私は平地を速く走ることはできない。ここでは必要以上に蹴らず、飛ばさず、呼吸を整えて進む作業に専念した。1, 2, 3, 4で左右左右と脚を運び、呼吸は1, 2で鼻から吸って3, 4で口から吐く。どんなに勾配がきつくなってペースが落ちても、テンポは乱さない。どうしてもきつくなったら、区間を決めて歩く。決めた区間が終わったら必ずまた走る。下りも上りもできるだけ走る。歩く時は競歩のように肘を90度に曲げて勢いよく振って早歩きをする。ここまで散々しんどいルートを走ってきた脚には、緩やかな傾斜も相当きつく感じられるため、ついついすぐに歩きたくなるのだけれど、そこは踏ん張りどころ。なんせ神社に着いたのが確か14:20くらいで、そこから関門までの11.3km、猶予は1時間半程度しかなかったのだから。

これだけ頑張ってもやっぱり間に合わないかもしれない、けれど間に合わないだろうからといって走るのを止めてしまえるほど諦めが良くもない。走れるところまで走ると決めて第2関門を出発したんじゃないかと自分で自分を奮い立たせ、走力がそれほど自分と違う訳でもなさそうな周りの人達と、抜いたり抜かれたりを繰り返しながら黙々と進む。誰かが一人、二人と脱落して見えなくなってしまったりもしたけれど、皆が関門目指して必死に進んでいた。他の人が走る勾配なら私も走る、他の人が走らなくても私が走れるようなら走る。とにかく全体的に走る。コース説明の時に「林道をたらたら歩いていたらまず間に合いません」と言われたし、そもそも11kmを1時間半ちょっとで抜けるのがミッションなのだ、歩いて良い訳がない。

林道に入って数十分くらいした頃だったか、お腹からギュルルルルルルルと音がした。顔からサッと血の気が引いて、お尻をキュッと締める。やばい、下痢だ。朝あれだけ出して(汚くてすみません)、しかもレースが始まってからほとんど食べることができていないのに、出すものなんて何もない筈だろう?最早ザックの揺れもお腹の贅肉の揺れも全てが下痢を助長するような気がして、ザックのショルダーストラップを手で握り、そのまま脇腹の肉をぎゅっと両脇から掴んで全部が動かないように固定したまま走った。それがなぜ効果があったのか理屈は全くわからないけれど、何もしないよりは余程マシだった。すぐにでも薬を飲むべきだったのかもしれないけれど、ザックから薬を取り出すために立ち止まっている余裕は1分たりとも無いと思ったから、とにかく進んだ。関門にたどり着いたら、たどり着けたら薬を飲もう。そうしよう。水を飲むとお腹の痛みが増すような気がして水もあまり飲めなくなった。午前中、あれだけ水を飲んでいても熱中症気味になったのに、水が飲めないなんて熱中症になるに決まってるじゃないか。とりあえず塩熱サプリと梅味のグミを食べて塩分を摂ってみる。午後になり気温が少し下がってきているのがせめてもの救いか。事前に、第二関門まで行けばなんとかなる、とチームの先輩から聞いていたが、実際は第二関門まで行ったとしてもこれはどうにもならないんじゃないのかと疑念を抱く。

死んでもゴールしたいと言っていたおじさんはまだ私の近くにいた。いつも少し先にいたけれど、でも視界から見えなくはならない。私のiPhoneのRunmeterのアプリが「キョリ・42キロメートル」「キョリ・43キロメートル」と読み上げる度に、あと4キロ、あと3キロ、そして制限時間まであと何分、と脳内でカウントダウンをする。間に合うかも、と思ってからも意外と辿り着かない。最後に少しだけトレイルを走って下り舗装路に出ると、「間に合うよー!」とスタッフに声をかけられて遠くに視線をやると、水の入った大きなバケツが並んでいるのが見えた。第3関門だ!到着は15:43頃、関門17分前。一番手前にいたスタッフにまずはトイレの有無を確認。ありますと言われて胸をなでおろす。バケツの横にいたスタッフは「お疲れ様です!!頭から水かけますよー♪」と無邪気に声を掛けてくれたが、私は蒼白い顔で「トイレどこですか」と返すのが精一杯だった。

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この関門に着いた時、RUN OR DIE!!と親交のあるトレイル鳥羽ちゃんというランニングチームのキドゥンが関門を出発するところだった。私より先を走っていたビビちゃんとほぼ同時に第2関門を通過していたキドゥンに会えたということは、私のペースが前半に比べて後半上がってきているということかもしれなかった。

リタイヤを申し出ている人を尻目に、私はザックから正露丸とロキソニンを取り出し一緒に飲んだ。ロキソニンは何のために飲んだかって、別にどこかが痛いわけではなかったのだが、前腿の筋肉痛が出た時に軽減されたらいいなと思って飲んだだけだった。エイド以外の場所で、薬飲もうかどうしようかなどと迷ったりしたくなかったのだ。エイドにある冷たい水を飲むのは危険だと思ったので、ぬるくなったハイドレーションの水を口のなかでさらに温めて薬と一緒に飲み下す。それでもやっぱりギュルルルとお腹が鳴る。ひとつだけ持ってきたvespa hyperと、さらにMAGMAだかアミノバイタルプロだったかを飲むと最後にもう一度トイレに行き、10分ほどの休憩で関門を出発することにした。相変わらずvespa hyperは不味かった。関門を出るところがチェックポイントだったので、関門通過時刻は15:51:51としてカウントされた。

最後の関門は51km地点で17:00。第3関門を16:00ギリギリに出たのでは17:00の関門通過は怪しい、と聞かされていたのでまだ油断はできなかった。というかもうかれこれ46kmも走ってきているのに、まだ関門に怯えなければならないというこの精神的圧迫は一体なんなんだろう。そして第3関門を出発するとすぐに激登りが始まった。ここから第4関門までは8割くらいがトレイルで、視界に入っている全員が、のろのろと、それはもう第4関門に間に合うのか甚だ怪しいペースで死の行進のようにして進んでいた。それでも誰一人として第4関門の通過、そしてゴールを諦めてはいなかった。ここまできてゴールできないなんて絶対に嫌だ。完走したい!手を合わせてカンソウシタイカンソウシタイと言っては目に涙が溢れた。こんなところで終わりたくない。しかも、第3関門にパイセンとニゴちゃんがまた現れるものと思っていたら居なかったので、ひょっとしてタケさんの熱中症の具合が悪化して、応援どころじゃなくなっているのかもしれないという不安もあった。私が完走したからといって彼の具合がよくなる訳でもなんでもないのはわかっていたが、これで完走さえもできなかったら、あの時折角吸い上げたつもりになっていたタケさんの有り余ったエネルギーはなんだったのかという気がした。そんな無駄遣い許せないしくだらないし面白くない。

しばらく激登りを続けると、ところどころフラットなところが現れるようになった。走れるところはすべて走ろうと思って走っていると、前方の集団に追いついたり追い越したりするようになってきた。少しでも下りになるとスピードが出て、ガンガン走れた。vespa hyperで何かスイッチでも入ったのだろうかと思うくらい、テンションも上がって頭もクリアになってきた。路面の凹凸を脳内で処理する速度があがり、いつもより少し遠くまでトレイルを把握できるようになっていた。脚は・・・全然痛くない。どこも痛くないのだ。正露丸が効いて腹痛も消えた。状態は完璧だった。股関節の可動域はここまで走ってきた中で最大と思えるほどに広がって、まるで油を注したようにスムースだった。流石に登りをとまらず走れるほどの脚は残っていなかったが、それでもほかの人より速かった。抜き去る時に、ここであのペースとかマジかよwという声が聞こえて、私は密かにニンマリした。自分でも信じられないんだけどさ、走れるんだよ、まだ全然脚が死んでないんだ。嘘みたいだろ?物凄い勢いで林道に出ると、再びキドゥンに会った。ハンガーノックになってしまったと彼は言う。手持ちの食料が尽きてしまったのかと思い、抜いて少ししてからまだ食べ物はあるのかと聞くと有ると言う。途中までいいペースできてたのになぁ、もういいわ・・・と肩を落としながら彼は言う。食料が尽きたのなら私が持っている分を渡そうと思ったが、尽きた訳ではないと知り、私は自分がまだ走れるということが嬉しくてたまらず、爆走を続けた。

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舗装路を少しあがった先に最後の関門が見えてくると、まるでそこがもうゴールかのように泣けてきた。このレースは一体何度私を泣かせたら気が済むのだろう。第2関門と第3関門の間あたりだったか、お豆腐とひとくちゼリーとキュウリを置いていた小さなエイドがあって、そこで私はキュウリとゼリーを頂きながらおばちゃんに「完走できるのかなぁ」とこぼした。おばちゃんは、「できるよぉ、大丈夫だよ。このレースは女の子は完走するだけでも凄いことだよ、頑張って!」と言って励ましてくれた。その時点で完走できるかなんて他人が断言できるわけがないのだけれど、それでもそんな風に言ってもらえて救われた。ここまできたら、本当に、もしかしたら本当に?完走できるのかもしれない。嗚呼、やっとここまできた。16:41、ライトの点灯チェックと共に第4関門を通過した。

日が傾いたせいでだいぶ気温が下がってきていたが、下りで爆走しすぎて汗が酷い。エイドに置かれた塩を指でつまんでジャリジャリと喰む。目が潤んで視界は歪み、興奮のあまり手は震えていた。もう腹痛の心配もないから水も飲める。けれどそれでも関門時間ギリギリの到着、ここからたかだか6kmでゴールとはいえども、いつどこで脚が死ぬかはわからない。一度脚が死んだらもう走れないしペースが一気に落ちるということは、これまでの経験で嫌という程よく判っていた。まだ、わからない。気力は持つけれど、痛みが出たら痛みに耐えられるかわからない。この関門を通過できたことは泣く程嬉しかったが、でもこの関門を通過しておきながらゴールできなかったなんてことになったら、想像しただけで悔しくてたまらなかった。

キドゥンがやってきた。感極まった私は、完走したい絶対完走したいと彼に言った。すると、ここまで来れば絶対大丈夫、あと6kmだし完走は絶対出来る、と言われた。うん、まぁそうか、ちょっと気が動転しすぎていたが、仮に走れなくなって歩いたとしても、制限時間まではあと2時間半もあるし、もうきっと完走はできるのだ。彼の言葉に少しだけ安心して、一緒に関門を後にした。トレイルに入るとすぐ登りになり、彼のペースには追いつけなくなったので私はのろのろと自分のペースで進んだ。

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最後の関門からゴールまでは、往路で通ったところをほぼなぞってゆくルートだ。行きに散々呼吸を乱されながら進んだ、あのアップダウンの激しいルートを逆走する形となる。最後の最後まで喘がされ、そこに慈悲のかけらも無い。登るための脚はもう残っていなかったので、登りは本当にゆっくりと、ゾンビのように、腕で岩を押しながら這い上がるようにして進む。しかしアップダウンの合間に訪れる僅かな下り坂を駆け下りるだけの脚はまだ残っていた。まだ11時間台、なんだかこれタイム狙ってもいいんじゃないの?という気が起きてくる。この辺りまで進んできてから、完走したいという想いは、少しでもいいタイムでゴールしたいという想いへと変わっていった。

私はこれまでいつも走ってゴールすることができなかった。キタタンでも、ハセツネでも、毎回私は練習不足という理由で最後の気持ち良いはずの下りでほとんど走れなかった。ショボショボと降りながら、何十人という人に抜かれて抜かれて抜かれ続けるあの悔しさと情けなさたるや。それが今回はどうだ?今回は私が抜いて抜いて抜き続ける側にいる。第4関門からゴールまでの間に男子は数え切れないほど、女子も2人抜いた。そして「死んでもゴールしたい」と言っていたあのおじさんさえも抜き去った。嗚呼、なんという快感だろう!走れる走れる走れる!!私は最高に楽しくて幸せだった。私走れてるよ!何度もそう口にしながら、軽やかにステップを切った。急な下りになると多少ペースは落ちたけれど、そんな区間でさえも人を抜きながら駆け下りた。私はいつもこれができなくて、自分を抜いていく人を指を咥えて羨ましそうに見送っていたのだ。最後走れるっていうのはこんなにも楽しいのか。12時間前に登ったルートを勢いよく下りながら、あと僅かな奥久慈のトレイルを頭と体に刻んだ。最高だった。

最後のロード。おかえり!おかえり!あと少し!沿道の人達がこちらに向かって拍手を送ってくれる。私さ、下りのトレイルで今さっきまで全力で走れてたんだよね、こんなの初めてなんだよ、と全員に言って回りたいくらい興奮していた。全身で喜びを表現するかのように人々の視線のなかを駆け抜けた。あと少し!猛ダッシュでゴールゲートを抜けるなんてこれまでに一度もなかったけれど、今日はそれができるんだ。だって脚が残っているから。ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!!!
ビビちゃんは12時間35分、キドゥンは12時間40分にそれぞれゴールしたばかりだった。ビビちゃんのゴールは、まるで事前に私と打ち合わせをしたかのように全く同じゴールの仕方だったらしく、矢張り猛ダッシュでゴールゲートをくぐったのだとか。
ビビちゃんゴール!
熱中症でリタイヤしたタケさんもすっかり元気になってゴール地点にいたので一安心。他のメンバーも第2、第3関門にそれぞれ間に合わずバスに収容されたとのことだったが、関門に間に合ったにも関わらずもう無理だといって諦めたメンバーは誰も居なかった。この仲間達と一緒に走れたことを心から誇りに思った。
というわけで今回のRun or Die!!のFinisherは私とビビちゃんの2人
速い筈のチームのエースが潰れたり、そんなつもりはなかったのに途中で寝てしまったメンバーがいたり。以前奥久慈を完走したことのある、奥久慈の先輩が関門に間に合わなかったり、コンディションは悪くなかった筈なのにダメだった仲間がいたり、出し切ってゴールして、本当に燃え尽きてそのあと暫くぐったりしていた同志がいたり。それぞれがそれぞれの状況で、それぞれの距離を走った奥久慈トレイル。私はというと、実はそのあと割とピンピンしていたのだけれど、それでも今回はこれ以上ないというところまで出し切ったと思っている。過去に一度もできなかった"must be white out"に、少しだけ近付けたような気がした。走りながら頭の中でずっとイメージしていた感動のゴールシーンに、私は登場することができたんだ。

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因みに私の食料計画はこんな感じでした。ほとんど持って運んだだけで食べられなかったけど。
持っていったのは上2段。けれど、結局消費したのは極僅か。
一応左上がカフェイン部隊、右側は普通のカフェインレスエネルギー系。
左下がサプリ系、一番下はレース前摂取系。レースに持っていったのは2000kcalちょい
朝食は前夜祭で出たお稲荷さんを3個とHOKUOのくるみパンを1個食べ、レース1時間前くらいに最下段のVAAMゼリーときびだんご、アミノバイタルプロ、攣り防止用に芍薬甘草湯の漢方を1袋摂取。レース中は左上からShotzカプチーノ、Clif Shot ダブルエスプレッソ、Honey Stinger1個、中段左のサプリ系すべて、右側はザバスのpit inゼリー、一番右の自作梅ジェルのみしか食べられなかった。MAGMAはレース前には飲まず、レース中に2本消費、アミノバイタルプロは全部で4本くらい摂取した。エイドでの固形物はどこかで水羊羹みたいなおばちゃんの手作り羊羹を2切れ、グレープフルーツ2切れ、おまんじゅう1/4個、あと塩、きゅうり、梅干し、ひとくちゼリーを少しずつ食べた程度か。エイドにはどら焼きやおむすびなども色々用意されていたが、暑すぎて気持ち悪くて全然食べられなかった。

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レース前、私が完走したい完走したい完走したいとうるさく言っていたら、去年一緒に上州武尊のレースを走った友人は、大抵のことは3回言ったら叶うと言ってくれた。確かに叶ったね。
今回の完走率は48%、女子の完走率は39%だった。キツくて辛くて過酷なことは、沢だって雪山だってトレランだって、いつもやり切るのが難しいけれど、やり切った時に与えられる達成感というのは何物にも代え難くて、それは人に説明し尽くせるものでもなくて、矢張り本人にしかわからない尊いものだ。きついことをやり遂げてその快感を得ようとする私の性質はおそらく一般的な女性よりも強く、ときにそれは自分の首を絞め、自分で自分のその性質が疎ましく思えることもある。けれど、幸か不幸か私は元来怠惰でもあるので、立ち向かいやり切ろうとする意思は何に対しても毎回現れるという訳ではない。だからこそ、その時が来たらそれは貴重なタイミングなのだ。今回は、多分、「その時」だったのだと思う。大嫌いな練習を続けることができたのは、ただただこのレースを完走したかったからだった。そして走った距離と累積標高は決して私を裏切らなかった。

最後まで歩かず、走れた。ただそれだけのことがこんなに嬉しいなんて、今まで知らなかった。これから先もっとトレランが楽しくなりそうだ。もっともっときつくて、長い距離を走ってみたい、今はそんな風に思っている。
最高の仲間と車に揺られ、ラーメン食べたりソフトクリーム食べたり、前夜祭で食べ物の行列に並んだり、コンビニで買い出しをしたり、部屋で一緒にレースの準備をしたりお酒飲んだり布団並べて眠ったり。2日間本当にありがとう!最高だったよ!

20150531_奥久慈トレイル50K (57km)(本編の前編)

導入編はこちら

もう走りたくない、と何度思ったことだろう。
もうやめよう、と何度思ったことだろう。
レース中、こんな風に思ったのは初めてだったから、自分のその感情に動揺もした。
でも、諦めなかった。
そして、最後までその気持ちに脚がついてきた。
いや、脚に気持ちがついてきたのかもしれない。

繰り返し手を合わせては、自分自身の体と山に祈りを捧げた。とにかく完走したかった。その先に続くトレイルを見ながらのゲームオーバーは嫌だった。ひたすら関門に追われながら進み続けた12時間49分33秒。

関門の制限時間は未だかつて経験したことがないほど厳しいものだったので、自分の実力ではゴールまで辿り着けない可能性はとても高いとわかっていた。トレーニングを始めた時期は確かに遅かったかもしれない、けれど私は私なりにやるだけのことをやってきた。今の私にできた最大のことをしたつもりだった。これ以上やっていたら故障していたかも知れないし、疲れて仕事にならなかったかもしれない。これが精一杯だったんだ。もう泣いても笑っても本番、やれるところまでやるしかない。そして挑んだ奥久慈の山々に、祈りは、届いた。
<記録>
スタート 5:30
第1関門 7:49:00(制限時間9:30)
第2関門 11:59:52(制限時間13:00)
第3関門 15:51:51(制限時間16:00)
第4関門 16:41:17(制限時間17:00)
ゴール  12:49:33
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5月26日(火)
都内でキックオフ。お酒は抜いた方がいい時期ではあるけれど、自分的にもチームからの参加人数的にも、レースの規模や過酷さ的にも、これほど大きなレースで決起会をしない理由はない。仕事後の隙間時間を使って、持参するエネルギージェル系を散々調達し散財してから飲み会に向かう。つい数日前にできあがったばかりのPatagonia製のチームロゴ入Tシャツの引き渡しも兼ねての大所帯での決起会。チームシャツはこれまでにも作ってきたけれど全部綿シャツで、チーム外の人にも販売をしたりしていたのだが、今回は初めての化繊。これはチームメンバーしか着られないものだ。それを受け取り、身が引き締まる思い。今回はこれを着て走るんだ。レース当日の天気は雨予報。

5月30日(土)
9時半に都内に集合し、仲間と5人で奥久慈を目指す。道路も混んでおらず早々に到着したので、お昼ご飯も兼ねて福島の方まで脚をのばす。なんだかやたらと楽しくて、口々に「レースってこんな楽しかったっけw」「なんか楽しいねぇ〜」とか言いながら車の中でも終始お喋り。カーボローディングを兼ねてラーメンを食べ、その後の道すがら河原に降りて遊んだりしてから宿にチェックイン。雨予報はすっかり晴れ予報に変わっていた。しかしこれは暑すぎるのではないかと危機感を覚える(このとき32℃)。
福島から宿に向かう途中に川を見つけてつい降り立つメンバー達w
根っからのアウトドア好き・・・
コース説明会はこんなに立派な講堂で行なわれた。
極度の眠気と戦いながら、延々1時間に及ぶコース説明。このレースは毎年コースが微妙に変わることで有名らしいのだが、今回は過去最高に過酷といわれる2014年のコースと同じだ。第1関門の制限時間はかなりゆるいので引っかかることはまずないけれど、その関門を余裕で通過したからといって安心しているとまず完走は無理とのこと。関門はどんどんきつくなるらしい。しかも、曰く第1関門は1時間半で通過するのが理想と・・・え、登り基調の過酷な11kmを1時間半ですと?ロードの10kmのたかだか1.5倍程度の速さで・・・?それまでチーム内で共有していた目標タイム表の想定がガラガラと音を立てて崩れ去る。会場内がざわつく。皆がスマホでスライドのタイム予想表を撮影した。林道は歩いていたらまず関門は間に合わない、って言われても、その林道って下りだけじゃなくて上りもあるよね・・・?

激震の走った説明会が終わると前夜祭。鮎の塩焼きなどが振舞われると聞いていたが、奥久慈しゃもとかお稲荷さんとか唐揚げとか、あらゆるブースが出ていて色々なものが振舞われた。町をあげての歓迎ムードに、のっけから胸を熱くさせられる。しかしレース前日なのに結局ビールを飲みながらこんなアブラモノ食べてて体調は大丈夫なのか。子供の運動会観戦を終えたシンゴプロ(別に何のプロでもないんだけど、ただのニックネーム)が夜合流し、さらなる宴を繰り広げ、結局就寝は23時過ぎ・・・(翌朝3時起き)
鮎を食べる一同。応援に駆けつけた仲間も一緒に前夜祭に参加。
ひとりたったの910円でふた部屋も借りられた公共の宿。一部屋を作成部屋に、もう一部屋を就寝部屋に。
最後にジェルの個数や持参する水分、全体的な作戦なんかを共有したりしながら飲み。(まだ飲んでる)
おやすみなさいzzzzz

5月31日(日)
5時半出走。3時起床3時半出発で宿を後にする。臨戦態勢。
宿からスタート地点まで、30分ほど車を走らせる。スタート地点に近い駐車場は残念ながら既に埋まっていたので(想定内)、少し離れた駐車場に車を停めてシャトルバスで会場を目指す。シャトルバス出発直前に腹痛を訴えたビビさんと私は、今回運転をしてくれたタケさんのご厚意で近くの道の駅へ。結局最終シャトルバスの1本前で会場入りすることになった。

私はその後も会場でスタート前に3回もトイレに通い、最後のトイレはスタート10分前。今回女子の出走者は70人くらいだったようだが、これだけ女子が少ないとトイレが混まなくていい。
序盤3kmをキロ4分台で突っ込んでトレイルの渋滞を避けるか、それとも後半に脚を残すためにダッシュしないで淡々と進むかかなり迷ったのだけれど、前日の説明会で「第一関門1時間半で通過すべし」と聞いてしまったので、とてもじゃないけど淡々と進んで渋滞に巻き込まれている場合ではないだろうという気がした。前の方に並べば、ダッシュしなくても大丈夫と聞いてはいたけれど、後ろの方に並ぶ羽目になってしまったから突っ込まざるを得なくなった。全員で完走しよう、と誰かが言ったけれど、緊張と不安で何も言葉は出ない。朝5時半、ゴールゲートをくぐるとレースがはじまった。最初の舗装路で突っ込んでトレイル以降の渋滞を回避する予定なのはタケさん、ハギー、ビビちゃん、私の4人、最初は突っ込まず淡々と進む戦法なのはシンゴさんとcossy。

突っ込むなら引くよ(前を走ることで、走るペースを引っ張ってくれるという意味)、と、今回の出場メンバーで最速を誇るタケさんに言われていたので序盤は必死についていった。袋田の滝を見てトンネルをピストンし、スタートから約3kmほど走るとトレイルに突入だ。トレイルに入ってしばらくはタケさんの後ろにひっついていたが、タケさんが1人、2人と追い抜いて前に行ってしまったと思ったら、あっという間に50mほども差ができて、何かの拍子に視界から消えた。最初だけならついていくのもいいけれど、こんなに強い人にずっとついていったら確実に私は潰れてしまうから、この辺りでサヨナラするのが丁度良かったのだろう。次にコース上で会うことはきっとないのだろうなと思ってタケさんを見送る。2年前のキタタンで私より先にゴールしたハギーは、舗装路だけでなく前半をとばして後半はその貯金を崩していく戦法とのことだったので、タケさんよりも更に少し前に居た。他は全員見失ってしまった。

孤独な闘いが始まった。コース説明の時、「第2関門まで細かいアップダウンが続きます」「ずっと細かいアップダウンが」「アップダウン・・・」としつこいくらい聞かされていたので、多少のアップダウンでは驚きもしなかった。逆に、これだけ頻繁にアップとダウンが繰り返されるのなら、体の1ヶ所だけに疲労がたまったりせず分散されていいんじゃないかとさえ思った。それにしてもちょっと登っては下り、登っては下り、せっかく登ったのに下らされる、本当に過酷なゾーンで滅茶苦茶暑かった。風はない。このゾーンはほとんどがトレイルだが、関門の手前で舗装路になる。舗装路のすこし手前で、一度は見失ったハギーに追いついた。「もう貯金なくなっちゃいましたね〜」とニコニコするハギーの後ろを進んでいると、足首があらぬ方向に曲がり激痛が走る。おいおいまだ第1関門だろ?一瞬焦ったが、大した捻挫ではなかったのでそのまま騙し騙し進んでいると調子は戻ってきた。説明会で1時間半がリミットと聞かされていた第1関門だが、私が到着したのは7:49、スタートから既に2時間20分が経過していた。頭から水をかけてもらい、水を飲み、ハギーと話して、すこし何か口にしてすぐ出発したのだったと思う。1.25Lほど積んできたハイドレーションの水はまだたっぷり残っていた。

ここからは男体山を含んだアップダウンゾーン。高低図を見てもギザギザすぎて意味がわからないし細かい記憶ももう無い。ただ、とにかく暑かったので、喉が渇いていなくてもこまめに水分を摂るようにした。ハイドレーションにはアクエリアスと水を半々に割ったものを入れてきていたので、少しずつ摂取することでスポーツドリンクの成分も摂取できて熱中症対策になると思った。それでも少し塩分不足を感じて塩梅グミを食べたり、自作の梅ジェルを食べたりしていた。17.1km地点にはエイドステーションがあったが、ここで選手達は「これでたったの17kmとか、どんだけきついんだよ・・・」と口々に溜め息混じりの泣き言をいっていた。私も、こんなにきつい17kmは経験したことがなかったし、これが延々50kmも続くのであれば無理だろうなと思った。関門に間に合ったとしても、その先歩みを進めたあとで走れなくなったら、次の関門まで進むか、手前の関門まで引き返すかしなければならないのだろうし、余力を残してリタイヤしたほうがいいのかなとも思った。ああ、やっぱり私が安易に出場するような大会じゃなかった、時期尚早だった、ぼんやりとそんなことを考えていた。でも、大抵レース序盤てのはきつく感じるものだから、きっと途中から調子があがってくるだろう、と期待もしていた。

第2関門は26km地点、竜神大吊橋を渡った先にある。橋の手前には4kmほどの舗装路と、そこから続く心臓破りの439段の階段が待ち受ける。階段にたどり着くまでにも散々きついアップダウンを強いられ、アスファルトで脚を傷めつけてられてからの、長大な階段に行く手を阻まれる絶望感たるや筆舌に尽くしがたい。過去にこのレースに出場した人のブログを事前に読んで、「階段の手すりにすがりついて、腕で体を引きあげるようにして登った」なんて記録を見ては「大袈裟だろww」と思っていたのだが、、、まさに自分が同じようにして階段をあがっていた。太腿が思うように上にあがらない。前腿を使いすぎないように、ハムストリングを積極的に使うよう心掛けて一歩一歩階段をのぼった。階段ではマッチョな女性ランナーと抜いたり抜かれたりを繰り返しながら、きついよーきついよーあと少しで関門だーと励ましあって進んだ。外国人男性ランナーが「ガンバリマショー!!」と言いながら追い抜いていく。そう、みんな想いは一つ。
竜神大吊橋(公式ページより)
無心になってのぼっていくと、もうすぐ関門、という看板が現れた。視界の先にはここ数時間見かけたことのない小綺麗な人達が談笑している。この吊橋は観光スポットでもあるので、普通に橋を見に来ている人達で賑わっていたのだ。彼らとの温度差。おまえらこのクソ暑い日に何を好き好んで山ん中走ってんだよ、という好奇の目に晒されながらもちょっと得意気に橋を駆け抜ける。うちら、今朝起きてから、山の中を登ったり下ったり、かれこれもう26kmも走ってるんだぜ?知らないかもしれないけど、これね、無茶苦茶楽しいんだぜ?楽しそうに見えないかもしれないけどね、とりあえずここまで来られて私は無茶苦茶嬉しいんだぜ。ここにいる全員に拍手されながら真ん中を走っても恥ずかしくないくらい最高の気分だ。それでもまだここで走るのをやめてもいいんじゃないかと思っていた。ここをゴールにしてもいいんじゃないか?

階段で抜きつ抜かれつしていた女性ランナーに再び橋の途中で追いついた。「11時台になんとか関門通過できますね!ギリギリゴールできるかなぁ」と声をかけると「いやぁ、無理じゃないかなぁw」との返事。まじか。。。あと7時間半もあるけどゴールは無理かもしれないのかw

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きっとすごく長く感じるんだろうなと思っていた吊橋だったが、走り出したらどんどん向こう岸にあるOSJと書かれた横断幕が近付いてきた。けれどまだ全行程のたったの半分・・・心がくじけそうになるけれどとりあえずここで大休憩を取ろう。落ち着こう。クールダウンしよう。すると目の前に赤いコーラの缶を持ったニゴちゃんがいた。そして奥久慈フィニッシャーであるパイセンもいた(ニゴちゃんはパイセンの弟)。ああああああああキンキンに冷えたコーラあああああああ!!!!うああああああああ!(喜)

缶が冷たくて気持ち良い。貪るようにプルタブに指をかけ、力を込めて手前に引くと、カシュッというあの音がした。中の液体がシュワシュワと音を立てる。ごくり、とひとくち。ふたくち。逝ってしまいそうになるのをかろうじて止めたけれど、その後はほとんど一気飲み。うんまい。最高にうんまい。2ヶ月くらいカフェイン断ちをしていた細胞のひとつひとつに、コーラのカフェインがガツンと喝を入れる。元々カフェイン中毒だったので、このコーラで何かが目覚めたような感じもした。

タケさんは一番最初に到着したけれど熱中症気味でまだ休んでる、ビビちゃんはその後到着してさっき出発したとこ。状況報告を受けてタケさんの様子を見がてら積極的に休憩をする。序盤私を引いてくれたタケさんが横になってぐったりしていた。私はそんなに速くないからわからないのだけれど、走れる人というのは得てして走れるだけ走って体温を上げすぎてしまう。自分が彼の立場だったらどれほど悔しいだろう。想像しただけで悔し涙が出そうだった。手足が痺れてきた、もうこれ以上はやめておく、リタイヤするわ、と、私の休憩中に彼はそう言った。私の前にはもうビビちゃんしかいない。

タケさんのリタイヤを受けて、私の中からは完全にこの関門でリタイヤするという選択肢が消えた。例え第三関門にたどり着かなかったとしても構わない。でもここで諦めることはしない。できない。Run or Die!!のチーム理念はmust be white out!、走りたくないなんて理由で走るのを辞めるなんてクールじゃないし有り得ない。走れるだけ走るんだ。それしかないんだ。

ニゴちゃんとパイセンがハイドレーションの水を補給してくれ、食べ物もあるよと促してくれ、調子はどうだと気遣ってくれる。エイドに置いてあったパワーバーは1切れしか食べられなかったが、カフェイン入りのジェルとアミノバイタルプロ、MAGMAを1本ずつぶち込んだ。というか、全体的にエネルギーが摂取できていないし気持ちが悪い。軽い熱中症だったのだろう。仕方なく、普段は摂取したことのないサプリメント的なものでどうにか繋ぐ作戦に出る。20分近い休憩を終えると、タケさんの余ったエネルギーを吸い上げるようにして私は再び走り出した。階段を降りてぐるりと休憩地点の真下を駆けると、上から「ランオアダーイ!!」という声がして、私は思い切り手を振った。

後編へ続く

20150531_奥久慈トレイル50K (57km)(導入編)

普段の調子で書き始めたら、序盤が長くなりすぎたので導入編としてひとつ分けることにしました・・・本編はまた別途書きます・・・

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3年前となる2012年、私の所属しているRUN OR DIE!!というランニングチームから何人かが奥久慈トレイルに参戦したのだが、そのうちの1人がこんなブログを書いてくれた。そして知らない誰かが作ってくれたこんな動画に感動のゴール写真が使われていたのを仲間が発見してきた。メンバーのブログの記事を、リアルタイムで読んでいたものと記憶しているが、当時まだ私はトレイルレースには出たことがなくて、自分がどのくらい走れるのかとかトレランのレースがどんなものかとか全くわからないうちからこのレースにはいつか自分もでてみたいなと思っていた。すごくくだらないけれど、やっぱりなんでも一番、最上級のもの、一流のもの、そういうのに興味があるからなんだろう、国内もっとも過酷なレースと称されることもあるこのレースにとても興味が湧いた。

このブログが書かれた翌年の2013年はそこまで具体的にエントリーのことを考えていなかったし、レースの開催時期がいつかも覚えていなかったので、気付いたらエントリーは終わっていた。2014年も同様に、気付いたらエントリーが終わっていた。そして今年。編笠岳-権現岳の厳冬期縦走を早めに切り上げて下山して、1日余ったからスキーでもしようかと思ってスキー場の近くでテントを張っていたときのことだ。夕飯を済ませスマホを見ていたら丁度一週間くらい前にエントリーが始まって、まだ締め切られていないと友人がFacebookに書き込んでいた。雪がしんしんと降り積もる中、私は躊躇うことなくエントリーボタンを押した。あれは1月のことだった。

1月はフロストバイトというロードのハーフマラソンに出場し、その距離を足しても月間走行距離たったの36kmという体たらく。2月は10km、3月に至ってはなんと0km!勿論山や釣り、スキーなどには行ったりしていたが、純粋にロードランとかトレランのトレーニングといったことは一切していなかった。流石の私も焦り出す。これから挑もうとしているのは、鏑木選手が「ロードの90kmと同等」と称した過酷なレースなのだ。このままではDNFは必至である。これまでのレースは、周りから「ヤスヨならなんとかなる」と言われて確かになんとかなってきたのだけれど、今回ばかりはどうにもならないと自分が一番よく分かっていた。

4月16日、某峠で上り坂ランの定例練習をするというJackieboyslimAnswer4のコバちゃん達に会いに、仕事の帰りにはるばる高尾の方まで行った。電車で片道1時間15分、そこから車で30分。その日は私の誕生日だった。ゴールは陣馬山の山頂、けれどそこに至るまでのコンクリートの峠道はすべて脚を止めずに走るという練習だ。坂道を走って登るという概念は正直私には全く無かったし、下手したら早歩きをした方が速いくらいのペースで走ることに一体何の意味があるんだろうって思ったのだけれど、なんせコバちゃんは100マイルレースを完走している実力の持ち主、まぁ騙されたと思ってやってみるかと思うようになった。なにより、このときの1回目が本当にキツくて、普段練習をしている彼らにまったく追いつけなかったので悔しかったのだ。できないならできるようになりたいし、大体、できないうちからくだらない練習だと言うのはあまりにも驕りが過ぎる。

これがきっかけになって、ようやく4月も半ばを過ぎた頃から奥久慈に向けたトレーニングを始めることになった。その後の練習量は以下のとおり。あとヨガを少ししていたかな。

4月16日 峠練8km(累積標高540m)
4月18日 ロードバイク30km
4月21日 帰宅ラン20km
4月25日 奥武蔵トレラン37km(累積標高約2000m)
5月09日 奥武蔵トレラン26km(累積標高約2600m)
5月10日 ロードバイク88km(累積標高771m)
5月14日 峠練8km(累積標高540m)
5月17日 ヤビツ峠練+丹沢トレラン36km(累積標高約1900m)
5月19日 峠練8km(累積標高540m)
5月21日 皇居ラン15km(インターバル)
5月14日の峠練
一度坂道を走ってのぼるということを知ってから行ったトレランのトレーニングでは、極力上り坂を走ってのぼるように心掛けた。そして5月17日にはヤビツ峠をノンストップで走って登った。のんびりだらだらとではあるけれど、止まらずに登れたのはちょっと感動的だった。レース本番でこんな坂道を登って走るわけでもないだろうけれど、この練習で確実に登りは強くなっているだろう。最初の峠練で勝てなかったJackieboyslimには、二度目の峠練から勝てるようになっていた。
正直大した練習量ではないと思う。4月は70km未満、5月もぎりぎり100km程度だし。しかし私にしてみたら練習している方だというのは私をよく知る友人達には理解して頂けるだろう。普段普通に登山に行っているものをほぼ全てトレーニングに充てたという感じか。そして最後1週間は完全なレスト。1ヶ月や2ヶ月まったく走らないなんて私にとってはよくあることなのに、この1週間は本当に長く感じた。1ヶ月しか練習していないのに1週間も休んだら、トレーニングで得たことを体が完全に忘れてしまうのではないかと怖くもあったが、これまでの練習で少しずつ少しずつ蓄積されていた疲労を抜ききるまでは動いてはいけないなと実感していた。

あとは食事に気をつけた。(体重がこの1年で4kgくらい増えていたので、減らさないと膝を壊すかもしれないなというのもあったが。。。)夕飯では炭水化物を極力控え、お酒も油ものも食べていたけれど蛋白質を多めにとった。ゆで卵、豆乳、豆腐、肉をできるだけ多く摂るようにした。目に見えて何かが変わったとかではなかったけれども。そしてカーボローディングは48時間前からだという情報を信じ、レース直近の木曜日は炭水化物の効率的な吸収を狙って野菜ジュースで丸一日ファスティングをし、金曜日はカーボローディングに勤しんだ。

本編へ続く

2015/05/09

iPhone6用防水ケース考

定番のiPhone用防水ケースといえばLifeproof。高価なだけあってアフターケアが充実しているらしいが、如何せん高い。下手したら2年で機種変更をするかもしれないスマホ、ましてや防水なんて正直ジップロックでいいんじゃないかという気もするわけで、そこまでお金をかけるのもばかばかしい気がしている。

iPhone5のときもLifeproofは買わずに適当な防水ケースを買って使っていたが特に問題はなかったので、今回も何かいいものはないかと物色していたところ、通勤電車で破格のiPhoneケースをを発見し即ポチ。
色はグリーン、パープル、ピンク、ブラック、ベビーブルー、ホワイト、レッドの7種類。掲載されている右2つは防水仕様ではないようなのでご注意を。(今在庫切れしてますね・・・)
見た目がほぼ同じなものが色々なところから販売されているようなのだが、販売元が中国だったりすると、中国からの直接発送になるため到着までに平気で3週間とかかかるのでご注意を。
セット内容は、本体・ストラップ・とうがらし型のプラスチックパーツ(開けるときに使うもの)・イヤホン用のケーブル(パッキン付)・クロス。過不足なし。というか寧ろこれ以上何を求めるというのか・・・
指紋認証の部分のフィルムが薄すぎ怖いというご意見もあり。
重量はストラップをつけた状態で62g。35gのLifeproofと比較すると重いけれど、まぁこのくらいどうでも良いのでは(この繰り返しで私の荷物が重いんだろうとかそういう突っ込みは受け付けません)。
家でもケースに入れたまま使うよ、という人にはもしかしたら便利なのかもしれない、この自立させられるギミック。アウトドア的には全く必要なさそうだけれど、お風呂に入りながらyoutube見たりとかそういう用途なら便利なのかもしれない。
上側についているボタンはスイッチボタン 
逆サイド(左側)。サイレントモードにするのもケースの外側から出来る
背面。写真右上の三本ラインはスピーカー用
水を15cmくらい張った中にケースを入れて、上から重石を置いて10分ほど放置したけれど特に水没した形跡もなし。

ジップロックやaLOKSAKで防水するのもいいのだけれど、写真を撮るたびに出し入れしたりするのは億劫なのだ。それに、出し入れの時についた水滴がそのまま密閉されたビニールの中に居続けるというのもiPhoneの故障の原因になるとも聞いたことがあるので、やはり専用のケースはあったほうがいいかなという印象。なんせ安いw

今年の沢はこれで。


2015.5.28追記
ダイソーのケーブルは挿せませんでした。Apple純正とANKERは挿せます。