本編の前編はこちら
私「いやぁ、キッツイ!」
おばちゃん「だろうねぇ!このレースは初めて?」
私「そうです」
おばちゃん「初めてなら30kにしておけばよかったのに・・・w」
(※このレースは30kの部と50kの部がある)
私「いや、やっぱり50k走りたくて。3年前からずっと走ってみたかったんです。絶対完走したい。」
言いながら早くも泣きそうになる。そう、ここは3年越しの憧れのステージだ。絶対に完走したい、改めてそう口にすると気持ちはますます昂った。おばちゃん達にアリガトーと言い残し、たぷたぷになったお腹のまま再び私は走り出す。レースも後半戦に入ると前半戦より舗装路や林道も多くトレイルのアップダウンも穏やかで、思ったよりも進めて脚へのダメージも少ないし、もしかするとゴールできるのかも、という淡い期待を抱く。吊橋から少し登って再びエイドを通り、そのあとひとしきり降って今度は東金砂神社まで階段の上り。階段は何度も終わっては始まり、終わっては始まり、いくつものパーツに分かれていて、しかも次の階段が微妙に見えないから、毎回「これで終わりかな?」と期待させられては裏切られるという嫌らしい作り。偽ピークを何度も踏んだような脱力感に襲われ、必要以上のダメージを受けた。神社を過ぎて少しすると「もうすぐ関門」の看板があったので、え、そんなに早く着くわけないよねと動揺していたら、案の定30kの部の9km地点にある予備関門だった。私自身、第三関門が37kmくらいのところにあるように錯覚していたので(単なる勘違い)ひょっとして本当に第三関門に着いたのかなと思ってしまったのだけれど、実際はまだそこは34.7km地点で、次の関門までまだあと11.3kmもあった。エイドでおまんじゅうを1/4切れだけ食べたような気がする。水の補給もせず再び走り出した。第3関門は16:00がリミットだ。
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ここからは林道セクション(写真が全くなくて本当にすみません・・・)。またの名を修行。くじけない、怠けない、そしてできる限り歩かずに走るんだという強い精神力が問われる。単品で見れば決してコースがきついわけではないが、兎に角精神的に追い込まれる。林道手前の舗装路あたりだったか、おじさん2人が「ゴールできるか、ギリギリのラインだな」と話していた。1人は「死んでも完走したい」と口にした。表現の仕方は無茶苦茶だけれども、その気持ちはよくわかった。私もそれと似たような気持ちだし、この人は死んでも完走するんだろうから、最終的にこの人に千切られないようにしたいなという思いで林道に突入した。昼前から風が出てきたので、高いところにいれば風が気持ちよかったのだが、林道では当然風などほとんど吹いてくれない。つまり暑い。
普段ロードを走り込んでいる訳ではないので、私は平地を速く走ることはできない。ここでは必要以上に蹴らず、飛ばさず、呼吸を整えて進む作業に専念した。1, 2, 3, 4で左右左右と脚を運び、呼吸は1, 2で鼻から吸って3, 4で口から吐く。どんなに勾配がきつくなってペースが落ちても、テンポは乱さない。どうしてもきつくなったら、区間を決めて歩く。決めた区間が終わったら必ずまた走る。下りも上りもできるだけ走る。歩く時は競歩のように肘を90度に曲げて勢いよく振って早歩きをする。ここまで散々しんどいルートを走ってきた脚には、緩やかな傾斜も相当きつく感じられるため、ついついすぐに歩きたくなるのだけれど、そこは踏ん張りどころ。なんせ神社に着いたのが確か14:20くらいで、そこから関門までの11.3km、猶予は1時間半程度しかなかったのだから。
これだけ頑張ってもやっぱり間に合わないかもしれない、けれど間に合わないだろうからといって走るのを止めてしまえるほど諦めが良くもない。走れるところまで走ると決めて第2関門を出発したんじゃないかと自分で自分を奮い立たせ、走力がそれほど自分と違う訳でもなさそうな周りの人達と、抜いたり抜かれたりを繰り返しながら黙々と進む。誰かが一人、二人と脱落して見えなくなってしまったりもしたけれど、皆が関門目指して必死に進んでいた。他の人が走る勾配なら私も走る、他の人が走らなくても私が走れるようなら走る。とにかく全体的に走る。コース説明の時に「林道をたらたら歩いていたらまず間に合いません」と言われたし、そもそも11kmを1時間半ちょっとで抜けるのがミッションなのだ、歩いて良い訳がない。
林道に入って数十分くらいした頃だったか、お腹からギュルルルルルルルと音がした。顔からサッと血の気が引いて、お尻をキュッと締める。やばい、下痢だ。朝あれだけ出して(汚くてすみません)、しかもレースが始まってからほとんど食べることができていないのに、出すものなんて何もない筈だろう?最早ザックの揺れもお腹の贅肉の揺れも全てが下痢を助長するような気がして、ザックのショルダーストラップを手で握り、そのまま脇腹の肉をぎゅっと両脇から掴んで全部が動かないように固定したまま走った。それがなぜ効果があったのか理屈は全くわからないけれど、何もしないよりは余程マシだった。すぐにでも薬を飲むべきだったのかもしれないけれど、ザックから薬を取り出すために立ち止まっている余裕は1分たりとも無いと思ったから、とにかく進んだ。関門にたどり着いたら、たどり着けたら薬を飲もう。そうしよう。水を飲むとお腹の痛みが増すような気がして水もあまり飲めなくなった。午前中、あれだけ水を飲んでいても熱中症気味になったのに、水が飲めないなんて熱中症になるに決まってるじゃないか。とりあえず塩熱サプリと梅味のグミを食べて塩分を摂ってみる。午後になり気温が少し下がってきているのがせめてもの救いか。事前に、第二関門まで行けばなんとかなる、とチームの先輩から聞いていたが、実際は第二関門まで行ったとしてもこれはどうにもならないんじゃないのかと疑念を抱く。
死んでもゴールしたいと言っていたおじさんはまだ私の近くにいた。いつも少し先にいたけれど、でも視界から見えなくはならない。私のiPhoneのRunmeterのアプリが「キョリ・42キロメートル」「キョリ・43キロメートル」と読み上げる度に、あと4キロ、あと3キロ、そして制限時間まであと何分、と脳内でカウントダウンをする。間に合うかも、と思ってからも意外と辿り着かない。最後に少しだけトレイルを走って下り舗装路に出ると、「間に合うよー!」とスタッフに声をかけられて遠くに視線をやると、水の入った大きなバケツが並んでいるのが見えた。第3関門だ!到着は15:43頃、関門17分前。一番手前にいたスタッフにまずはトイレの有無を確認。ありますと言われて胸をなでおろす。バケツの横にいたスタッフは「お疲れ様です!!頭から水かけますよー♪」と無邪気に声を掛けてくれたが、私は蒼白い顔で「トイレどこですか」と返すのが精一杯だった。
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この関門に着いた時、RUN OR DIE!!と親交のあるトレイル鳥羽ちゃんというランニングチームのキドゥンが関門を出発するところだった。私より先を走っていたビビちゃんとほぼ同時に第2関門を通過していたキドゥンに会えたということは、私のペースが前半に比べて後半上がってきているということかもしれなかった。
リタイヤを申し出ている人を尻目に、私はザックから正露丸とロキソニンを取り出し一緒に飲んだ。ロキソニンは何のために飲んだかって、別にどこかが痛いわけではなかったのだが、前腿の筋肉痛が出た時に軽減されたらいいなと思って飲んだだけだった。エイド以外の場所で、薬飲もうかどうしようかなどと迷ったりしたくなかったのだ。エイドにある冷たい水を飲むのは危険だと思ったので、ぬるくなったハイドレーションの水を口のなかでさらに温めて薬と一緒に飲み下す。それでもやっぱりギュルルルとお腹が鳴る。ひとつだけ持ってきたvespa hyperと、さらにMAGMAだかアミノバイタルプロだったかを飲むと最後にもう一度トイレに行き、10分ほどの休憩で関門を出発することにした。相変わらずvespa hyperは不味かった。関門を出るところがチェックポイントだったので、関門通過時刻は15:51:51としてカウントされた。
最後の関門は51km地点で17:00。第3関門を16:00ギリギリに出たのでは17:00の関門通過は怪しい、と聞かされていたのでまだ油断はできなかった。というかもうかれこれ46kmも走ってきているのに、まだ関門に怯えなければならないというこの精神的圧迫は一体なんなんだろう。そして第3関門を出発するとすぐに激登りが始まった。ここから第4関門までは8割くらいがトレイルで、視界に入っている全員が、のろのろと、それはもう第4関門に間に合うのか甚だ怪しいペースで死の行進のようにして進んでいた。それでも誰一人として第4関門の通過、そしてゴールを諦めてはいなかった。ここまできてゴールできないなんて絶対に嫌だ。完走したい!手を合わせてカンソウシタイカンソウシタイと言っては目に涙が溢れた。こんなところで終わりたくない。しかも、第3関門にパイセンとニゴちゃんがまた現れるものと思っていたら居なかったので、ひょっとしてタケさんの熱中症の具合が悪化して、応援どころじゃなくなっているのかもしれないという不安もあった。私が完走したからといって彼の具合がよくなる訳でもなんでもないのはわかっていたが、これで完走さえもできなかったら、あの時折角吸い上げたつもりになっていたタケさんの有り余ったエネルギーはなんだったのかという気がした。そんな無駄遣い許せないしくだらないし面白くない。
しばらく激登りを続けると、ところどころフラットなところが現れるようになった。走れるところはすべて走ろうと思って走っていると、前方の集団に追いついたり追い越したりするようになってきた。少しでも下りになるとスピードが出て、ガンガン走れた。vespa hyperで何かスイッチでも入ったのだろうかと思うくらい、テンションも上がって頭もクリアになってきた。路面の凹凸を脳内で処理する速度があがり、いつもより少し遠くまでトレイルを把握できるようになっていた。脚は・・・全然痛くない。どこも痛くないのだ。正露丸が効いて腹痛も消えた。状態は完璧だった。股関節の可動域はここまで走ってきた中で最大と思えるほどに広がって、まるで油を注したようにスムースだった。流石に登りをとまらず走れるほどの脚は残っていなかったが、それでもほかの人より速かった。抜き去る時に、ここであのペースとかマジかよwという声が聞こえて、私は密かにニンマリした。自分でも信じられないんだけどさ、走れるんだよ、まだ全然脚が死んでないんだ。嘘みたいだろ?物凄い勢いで林道に出ると、再びキドゥンに会った。ハンガーノックになってしまったと彼は言う。手持ちの食料が尽きてしまったのかと思い、抜いて少ししてからまだ食べ物はあるのかと聞くと有ると言う。途中までいいペースできてたのになぁ、もういいわ・・・と肩を落としながら彼は言う。食料が尽きたのなら私が持っている分を渡そうと思ったが、尽きた訳ではないと知り、私は自分がまだ走れるということが嬉しくてたまらず、爆走を続けた。
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舗装路を少しあがった先に最後の関門が見えてくると、まるでそこがもうゴールかのように泣けてきた。このレースは一体何度私を泣かせたら気が済むのだろう。第2関門と第3関門の間あたりだったか、お豆腐とひとくちゼリーとキュウリを置いていた小さなエイドがあって、そこで私はキュウリとゼリーを頂きながらおばちゃんに「完走できるのかなぁ」とこぼした。おばちゃんは、「できるよぉ、大丈夫だよ。このレースは女の子は完走するだけでも凄いことだよ、頑張って!」と言って励ましてくれた。その時点で完走できるかなんて他人が断言できるわけがないのだけれど、それでもそんな風に言ってもらえて救われた。ここまできたら、本当に、もしかしたら本当に?完走できるのかもしれない。嗚呼、やっとここまできた。16:41、ライトの点灯チェックと共に第4関門を通過した。
日が傾いたせいでだいぶ気温が下がってきていたが、下りで爆走しすぎて汗が酷い。エイドに置かれた塩を指でつまんでジャリジャリと喰む。目が潤んで視界は歪み、興奮のあまり手は震えていた。もう腹痛の心配もないから水も飲める。けれどそれでも関門時間ギリギリの到着、ここからたかだか6kmでゴールとはいえども、いつどこで脚が死ぬかはわからない。一度脚が死んだらもう走れないしペースが一気に落ちるということは、これまでの経験で嫌という程よく判っていた。まだ、わからない。気力は持つけれど、痛みが出たら痛みに耐えられるかわからない。この関門を通過できたことは泣く程嬉しかったが、でもこの関門を通過しておきながらゴールできなかったなんてことになったら、想像しただけで悔しくてたまらなかった。
キドゥンがやってきた。感極まった私は、完走したい絶対完走したいと彼に言った。すると、ここまで来れば絶対大丈夫、あと6kmだし完走は絶対出来る、と言われた。うん、まぁそうか、ちょっと気が動転しすぎていたが、仮に走れなくなって歩いたとしても、制限時間まではあと2時間半もあるし、もうきっと完走はできるのだ。彼の言葉に少しだけ安心して、一緒に関門を後にした。トレイルに入るとすぐ登りになり、彼のペースには追いつけなくなったので私はのろのろと自分のペースで進んだ。
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最後の関門からゴールまでは、往路で通ったところをほぼなぞってゆくルートだ。行きに散々呼吸を乱されながら進んだ、あのアップダウンの激しいルートを逆走する形となる。最後の最後まで喘がされ、そこに慈悲のかけらも無い。登るための脚はもう残っていなかったので、登りは本当にゆっくりと、ゾンビのように、腕で岩を押しながら這い上がるようにして進む。しかしアップダウンの合間に訪れる僅かな下り坂を駆け下りるだけの脚はまだ残っていた。まだ11時間台、なんだかこれタイム狙ってもいいんじゃないの?という気が起きてくる。この辺りまで進んできてから、完走したいという想いは、少しでもいいタイムでゴールしたいという想いへと変わっていった。
私はこれまでいつも走ってゴールすることができなかった。キタタンでも、ハセツネでも、毎回私は練習不足という理由で最後の気持ち良いはずの下りでほとんど走れなかった。ショボショボと降りながら、何十人という人に抜かれて抜かれて抜かれ続けるあの悔しさと情けなさたるや。それが今回はどうだ?今回は私が抜いて抜いて抜き続ける側にいる。第4関門からゴールまでの間に男子は数え切れないほど、女子も2人抜いた。そして「死んでもゴールしたい」と言っていたあのおじさんさえも抜き去った。嗚呼、なんという快感だろう!走れる走れる走れる!!私は最高に楽しくて幸せだった。私走れてるよ!何度もそう口にしながら、軽やかにステップを切った。急な下りになると多少ペースは落ちたけれど、そんな区間でさえも人を抜きながら駆け下りた。私はいつもこれができなくて、自分を抜いていく人を指を咥えて羨ましそうに見送っていたのだ。最後走れるっていうのはこんなにも楽しいのか。12時間前に登ったルートを勢いよく下りながら、あと僅かな奥久慈のトレイルを頭と体に刻んだ。最高だった。
最後のロード。おかえり!おかえり!あと少し!沿道の人達がこちらに向かって拍手を送ってくれる。私さ、下りのトレイルで今さっきまで全力で走れてたんだよね、こんなの初めてなんだよ、と全員に言って回りたいくらい興奮していた。全身で喜びを表現するかのように人々の視線のなかを駆け抜けた。あと少し!猛ダッシュでゴールゲートを抜けるなんてこれまでに一度もなかったけれど、今日はそれができるんだ。だって脚が残っているから。ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!!!
ビビちゃんは12時間35分、キドゥンは12時間40分にそれぞれゴールしたばかりだった。ビビちゃんのゴールは、まるで事前に私と打ち合わせをしたかのように全く同じゴールの仕方だったらしく、矢張り猛ダッシュでゴールゲートをくぐったのだとか。
熱中症でリタイヤしたタケさんもすっかり元気になってゴール地点にいたので一安心。他のメンバーも第2、第3関門にそれぞれ間に合わずバスに収容されたとのことだったが、関門に間に合ったにも関わらずもう無理だといって諦めたメンバーは誰も居なかった。この仲間達と一緒に走れたことを心から誇りに思った。
速い筈のチームのエースが潰れたり、そんなつもりはなかったのに途中で寝てしまったメンバーがいたり。以前奥久慈を完走したことのある、奥久慈の先輩が関門に間に合わなかったり、コンディションは悪くなかった筈なのにダメだった仲間がいたり、出し切ってゴールして、本当に燃え尽きてそのあと暫くぐったりしていた同志がいたり。それぞれがそれぞれの状況で、それぞれの距離を走った奥久慈トレイル。私はというと、実はそのあと割とピンピンしていたのだけれど、それでも今回はこれ以上ないというところまで出し切ったと思っている。過去に一度もできなかった"must be white out"に、少しだけ近付けたような気がした。走りながら頭の中でずっとイメージしていた感動のゴールシーンに、私は登場することができたんだ。
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因みに私の食料計画はこんな感じでした。ほとんど持って運んだだけで食べられなかったけど。
朝食は前夜祭で出たお稲荷さんを3個とHOKUOのくるみパンを1個食べ、レース1時間前くらいに最下段のVAAMゼリーときびだんご、アミノバイタルプロ、攣り防止用に芍薬甘草湯の漢方を1袋摂取。レース中は左上からShotzカプチーノ、Clif Shot ダブルエスプレッソ、Honey Stinger1個、中段左のサプリ系すべて、右側はザバスのpit inゼリー、一番右の自作梅ジェルのみしか食べられなかった。MAGMAはレース前には飲まず、レース中に2本消費、アミノバイタルプロは全部で4本くらい摂取した。エイドでの固形物はどこかで水羊羹みたいなおばちゃんの手作り羊羹を2切れ、グレープフルーツ2切れ、おまんじゅう1/4個、あと塩、きゅうり、梅干し、ひとくちゼリーを少しずつ食べた程度か。エイドにはどら焼きやおむすびなども色々用意されていたが、暑すぎて気持ち悪くて全然食べられなかった。
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レース前、私が完走したい完走したい完走したいとうるさく言っていたら、去年一緒に上州武尊のレースを走った友人は、大抵のことは3回言ったら叶うと言ってくれた。確かに叶ったね。
ここからは林道セクション(写真が全くなくて本当にすみません・・・)。またの名を修行。くじけない、怠けない、そしてできる限り歩かずに走るんだという強い精神力が問われる。単品で見れば決してコースがきついわけではないが、兎に角精神的に追い込まれる。林道手前の舗装路あたりだったか、おじさん2人が「ゴールできるか、ギリギリのラインだな」と話していた。1人は「死んでも完走したい」と口にした。表現の仕方は無茶苦茶だけれども、その気持ちはよくわかった。私もそれと似たような気持ちだし、この人は死んでも完走するんだろうから、最終的にこの人に千切られないようにしたいなという思いで林道に突入した。昼前から風が出てきたので、高いところにいれば風が気持ちよかったのだが、林道では当然風などほとんど吹いてくれない。つまり暑い。
普段ロードを走り込んでいる訳ではないので、私は平地を速く走ることはできない。ここでは必要以上に蹴らず、飛ばさず、呼吸を整えて進む作業に専念した。1, 2, 3, 4で左右左右と脚を運び、呼吸は1, 2で鼻から吸って3, 4で口から吐く。どんなに勾配がきつくなってペースが落ちても、テンポは乱さない。どうしてもきつくなったら、区間を決めて歩く。決めた区間が終わったら必ずまた走る。下りも上りもできるだけ走る。歩く時は競歩のように肘を90度に曲げて勢いよく振って早歩きをする。ここまで散々しんどいルートを走ってきた脚には、緩やかな傾斜も相当きつく感じられるため、ついついすぐに歩きたくなるのだけれど、そこは踏ん張りどころ。なんせ神社に着いたのが確か14:20くらいで、そこから関門までの11.3km、猶予は1時間半程度しかなかったのだから。
これだけ頑張ってもやっぱり間に合わないかもしれない、けれど間に合わないだろうからといって走るのを止めてしまえるほど諦めが良くもない。走れるところまで走ると決めて第2関門を出発したんじゃないかと自分で自分を奮い立たせ、走力がそれほど自分と違う訳でもなさそうな周りの人達と、抜いたり抜かれたりを繰り返しながら黙々と進む。誰かが一人、二人と脱落して見えなくなってしまったりもしたけれど、皆が関門目指して必死に進んでいた。他の人が走る勾配なら私も走る、他の人が走らなくても私が走れるようなら走る。とにかく全体的に走る。コース説明の時に「林道をたらたら歩いていたらまず間に合いません」と言われたし、そもそも11kmを1時間半ちょっとで抜けるのがミッションなのだ、歩いて良い訳がない。
林道に入って数十分くらいした頃だったか、お腹からギュルルルルルルルと音がした。顔からサッと血の気が引いて、お尻をキュッと締める。やばい、下痢だ。朝あれだけ出して(汚くてすみません)、しかもレースが始まってからほとんど食べることができていないのに、出すものなんて何もない筈だろう?最早ザックの揺れもお腹の贅肉の揺れも全てが下痢を助長するような気がして、ザックのショルダーストラップを手で握り、そのまま脇腹の肉をぎゅっと両脇から掴んで全部が動かないように固定したまま走った。それがなぜ効果があったのか理屈は全くわからないけれど、何もしないよりは余程マシだった。すぐにでも薬を飲むべきだったのかもしれないけれど、ザックから薬を取り出すために立ち止まっている余裕は1分たりとも無いと思ったから、とにかく進んだ。関門にたどり着いたら、たどり着けたら薬を飲もう。そうしよう。水を飲むとお腹の痛みが増すような気がして水もあまり飲めなくなった。午前中、あれだけ水を飲んでいても熱中症気味になったのに、水が飲めないなんて熱中症になるに決まってるじゃないか。とりあえず塩熱サプリと梅味のグミを食べて塩分を摂ってみる。午後になり気温が少し下がってきているのがせめてもの救いか。事前に、第二関門まで行けばなんとかなる、とチームの先輩から聞いていたが、実際は第二関門まで行ったとしてもこれはどうにもならないんじゃないのかと疑念を抱く。
死んでもゴールしたいと言っていたおじさんはまだ私の近くにいた。いつも少し先にいたけれど、でも視界から見えなくはならない。私のiPhoneのRunmeterのアプリが「キョリ・42キロメートル」「キョリ・43キロメートル」と読み上げる度に、あと4キロ、あと3キロ、そして制限時間まであと何分、と脳内でカウントダウンをする。間に合うかも、と思ってからも意外と辿り着かない。最後に少しだけトレイルを走って下り舗装路に出ると、「間に合うよー!」とスタッフに声をかけられて遠くに視線をやると、水の入った大きなバケツが並んでいるのが見えた。第3関門だ!到着は15:43頃、関門17分前。一番手前にいたスタッフにまずはトイレの有無を確認。ありますと言われて胸をなでおろす。バケツの横にいたスタッフは「お疲れ様です!!頭から水かけますよー♪」と無邪気に声を掛けてくれたが、私は蒼白い顔で「トイレどこですか」と返すのが精一杯だった。
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この関門に着いた時、RUN OR DIE!!と親交のあるトレイル鳥羽ちゃんというランニングチームのキドゥンが関門を出発するところだった。私より先を走っていたビビちゃんとほぼ同時に第2関門を通過していたキドゥンに会えたということは、私のペースが前半に比べて後半上がってきているということかもしれなかった。
リタイヤを申し出ている人を尻目に、私はザックから正露丸とロキソニンを取り出し一緒に飲んだ。ロキソニンは何のために飲んだかって、別にどこかが痛いわけではなかったのだが、前腿の筋肉痛が出た時に軽減されたらいいなと思って飲んだだけだった。エイド以外の場所で、薬飲もうかどうしようかなどと迷ったりしたくなかったのだ。エイドにある冷たい水を飲むのは危険だと思ったので、ぬるくなったハイドレーションの水を口のなかでさらに温めて薬と一緒に飲み下す。それでもやっぱりギュルルルとお腹が鳴る。ひとつだけ持ってきたvespa hyperと、さらにMAGMAだかアミノバイタルプロだったかを飲むと最後にもう一度トイレに行き、10分ほどの休憩で関門を出発することにした。相変わらずvespa hyperは不味かった。関門を出るところがチェックポイントだったので、関門通過時刻は15:51:51としてカウントされた。
最後の関門は51km地点で17:00。第3関門を16:00ギリギリに出たのでは17:00の関門通過は怪しい、と聞かされていたのでまだ油断はできなかった。というかもうかれこれ46kmも走ってきているのに、まだ関門に怯えなければならないというこの精神的圧迫は一体なんなんだろう。そして第3関門を出発するとすぐに激登りが始まった。ここから第4関門までは8割くらいがトレイルで、視界に入っている全員が、のろのろと、それはもう第4関門に間に合うのか甚だ怪しいペースで死の行進のようにして進んでいた。それでも誰一人として第4関門の通過、そしてゴールを諦めてはいなかった。ここまできてゴールできないなんて絶対に嫌だ。完走したい!手を合わせてカンソウシタイカンソウシタイと言っては目に涙が溢れた。こんなところで終わりたくない。しかも、第3関門にパイセンとニゴちゃんがまた現れるものと思っていたら居なかったので、ひょっとしてタケさんの熱中症の具合が悪化して、応援どころじゃなくなっているのかもしれないという不安もあった。私が完走したからといって彼の具合がよくなる訳でもなんでもないのはわかっていたが、これで完走さえもできなかったら、あの時折角吸い上げたつもりになっていたタケさんの有り余ったエネルギーはなんだったのかという気がした。そんな無駄遣い許せないしくだらないし面白くない。
しばらく激登りを続けると、ところどころフラットなところが現れるようになった。走れるところはすべて走ろうと思って走っていると、前方の集団に追いついたり追い越したりするようになってきた。少しでも下りになるとスピードが出て、ガンガン走れた。vespa hyperで何かスイッチでも入ったのだろうかと思うくらい、テンションも上がって頭もクリアになってきた。路面の凹凸を脳内で処理する速度があがり、いつもより少し遠くまでトレイルを把握できるようになっていた。脚は・・・全然痛くない。どこも痛くないのだ。正露丸が効いて腹痛も消えた。状態は完璧だった。股関節の可動域はここまで走ってきた中で最大と思えるほどに広がって、まるで油を注したようにスムースだった。流石に登りをとまらず走れるほどの脚は残っていなかったが、それでもほかの人より速かった。抜き去る時に、ここであのペースとかマジかよwという声が聞こえて、私は密かにニンマリした。自分でも信じられないんだけどさ、走れるんだよ、まだ全然脚が死んでないんだ。嘘みたいだろ?物凄い勢いで林道に出ると、再びキドゥンに会った。ハンガーノックになってしまったと彼は言う。手持ちの食料が尽きてしまったのかと思い、抜いて少ししてからまだ食べ物はあるのかと聞くと有ると言う。途中までいいペースできてたのになぁ、もういいわ・・・と肩を落としながら彼は言う。食料が尽きたのなら私が持っている分を渡そうと思ったが、尽きた訳ではないと知り、私は自分がまだ走れるということが嬉しくてたまらず、爆走を続けた。
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舗装路を少しあがった先に最後の関門が見えてくると、まるでそこがもうゴールかのように泣けてきた。このレースは一体何度私を泣かせたら気が済むのだろう。第2関門と第3関門の間あたりだったか、お豆腐とひとくちゼリーとキュウリを置いていた小さなエイドがあって、そこで私はキュウリとゼリーを頂きながらおばちゃんに「完走できるのかなぁ」とこぼした。おばちゃんは、「できるよぉ、大丈夫だよ。このレースは女の子は完走するだけでも凄いことだよ、頑張って!」と言って励ましてくれた。その時点で完走できるかなんて他人が断言できるわけがないのだけれど、それでもそんな風に言ってもらえて救われた。ここまできたら、本当に、もしかしたら本当に?完走できるのかもしれない。嗚呼、やっとここまできた。16:41、ライトの点灯チェックと共に第4関門を通過した。
日が傾いたせいでだいぶ気温が下がってきていたが、下りで爆走しすぎて汗が酷い。エイドに置かれた塩を指でつまんでジャリジャリと喰む。目が潤んで視界は歪み、興奮のあまり手は震えていた。もう腹痛の心配もないから水も飲める。けれどそれでも関門時間ギリギリの到着、ここからたかだか6kmでゴールとはいえども、いつどこで脚が死ぬかはわからない。一度脚が死んだらもう走れないしペースが一気に落ちるということは、これまでの経験で嫌という程よく判っていた。まだ、わからない。気力は持つけれど、痛みが出たら痛みに耐えられるかわからない。この関門を通過できたことは泣く程嬉しかったが、でもこの関門を通過しておきながらゴールできなかったなんてことになったら、想像しただけで悔しくてたまらなかった。
キドゥンがやってきた。感極まった私は、完走したい絶対完走したいと彼に言った。すると、ここまで来れば絶対大丈夫、あと6kmだし完走は絶対出来る、と言われた。うん、まぁそうか、ちょっと気が動転しすぎていたが、仮に走れなくなって歩いたとしても、制限時間まではあと2時間半もあるし、もうきっと完走はできるのだ。彼の言葉に少しだけ安心して、一緒に関門を後にした。トレイルに入るとすぐ登りになり、彼のペースには追いつけなくなったので私はのろのろと自分のペースで進んだ。
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最後の関門からゴールまでは、往路で通ったところをほぼなぞってゆくルートだ。行きに散々呼吸を乱されながら進んだ、あのアップダウンの激しいルートを逆走する形となる。最後の最後まで喘がされ、そこに慈悲のかけらも無い。登るための脚はもう残っていなかったので、登りは本当にゆっくりと、ゾンビのように、腕で岩を押しながら這い上がるようにして進む。しかしアップダウンの合間に訪れる僅かな下り坂を駆け下りるだけの脚はまだ残っていた。まだ11時間台、なんだかこれタイム狙ってもいいんじゃないの?という気が起きてくる。この辺りまで進んできてから、完走したいという想いは、少しでもいいタイムでゴールしたいという想いへと変わっていった。
私はこれまでいつも走ってゴールすることができなかった。キタタンでも、ハセツネでも、毎回私は練習不足という理由で最後の気持ち良いはずの下りでほとんど走れなかった。ショボショボと降りながら、何十人という人に抜かれて抜かれて抜かれ続けるあの悔しさと情けなさたるや。それが今回はどうだ?今回は私が抜いて抜いて抜き続ける側にいる。第4関門からゴールまでの間に男子は数え切れないほど、女子も2人抜いた。そして「死んでもゴールしたい」と言っていたあのおじさんさえも抜き去った。嗚呼、なんという快感だろう!走れる走れる走れる!!私は最高に楽しくて幸せだった。私走れてるよ!何度もそう口にしながら、軽やかにステップを切った。急な下りになると多少ペースは落ちたけれど、そんな区間でさえも人を抜きながら駆け下りた。私はいつもこれができなくて、自分を抜いていく人を指を咥えて羨ましそうに見送っていたのだ。最後走れるっていうのはこんなにも楽しいのか。12時間前に登ったルートを勢いよく下りながら、あと僅かな奥久慈のトレイルを頭と体に刻んだ。最高だった。
最後のロード。おかえり!おかえり!あと少し!沿道の人達がこちらに向かって拍手を送ってくれる。私さ、下りのトレイルで今さっきまで全力で走れてたんだよね、こんなの初めてなんだよ、と全員に言って回りたいくらい興奮していた。全身で喜びを表現するかのように人々の視線のなかを駆け抜けた。あと少し!猛ダッシュでゴールゲートを抜けるなんてこれまでに一度もなかったけれど、今日はそれができるんだ。だって脚が残っているから。ありがとう!ありがとう!ありがとう!!!!!
ビビちゃんゴール! |
というわけで今回のRun or Die!!のFinisherは私とビビちゃんの2人 |
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因みに私の食料計画はこんな感じでした。ほとんど持って運んだだけで食べられなかったけど。
持っていったのは上2段。けれど、結局消費したのは極僅か。 一応左上がカフェイン部隊、右側は普通のカフェインレスエネルギー系。 左下がサプリ系、一番下はレース前摂取系。レースに持っていったのは2000kcalちょい |
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レース前、私が完走したい完走したい完走したいとうるさく言っていたら、去年一緒に上州武尊のレースを走った友人は、大抵のことは3回言ったら叶うと言ってくれた。確かに叶ったね。
今回の完走率は48%、女子の完走率は39%だった。キツくて辛くて過酷なことは、沢だって雪山だってトレランだって、いつもやり切るのが難しいけれど、やり切った時に与えられる達成感というのは何物にも代え難くて、それは人に説明し尽くせるものでもなくて、矢張り本人にしかわからない尊いものだ。きついことをやり遂げてその快感を得ようとする私の性質はおそらく一般的な女性よりも強く、ときにそれは自分の首を絞め、自分で自分のその性質が疎ましく思えることもある。けれど、幸か不幸か私は元来怠惰でもあるので、立ち向かいやり切ろうとする意思は何に対しても毎回現れるという訳ではない。だからこそ、その時が来たらそれは貴重なタイミングなのだ。今回は、多分、「その時」だったのだと思う。大嫌いな練習を続けることができたのは、ただただこのレースを完走したかったからだった。そして走った距離と累積標高は決して私を裏切らなかった。
最後まで歩かず、走れた。ただそれだけのことがこんなに嬉しいなんて、今まで知らなかった。これから先もっとトレランが楽しくなりそうだ。もっともっときつくて、長い距離を走ってみたい、今はそんな風に思っている。
最後まで歩かず、走れた。ただそれだけのことがこんなに嬉しいなんて、今まで知らなかった。これから先もっとトレランが楽しくなりそうだ。もっともっときつくて、長い距離を走ってみたい、今はそんな風に思っている。