すべての判断がピタッとはまった。この言葉に尽きる。
今の私が雪山でできることなんてそう多いわけではないし、判断できるだけの知識も少ないし経験だって浅い。正直知識を増やす努力だって怠っている。今回のルートをこの時期に行くべきでなかったという人もいるかも知れないし、私の判断が正しかったかどうかは判らない。ただ、谷川から先、誰の足跡もないルートに足を踏み入れた以上、今の私にできる最大限のことをしなくてはならなかったし、そうでないといけなかった。だからそうした。「私が居ようと居まいと関係なくいつだってそこにある山」と、「山たちの日常にたまたま分け入った私」、両者を隔てる境界線はとても細くて見えづらいけれど、しかし明らかな境界線があるのだと認識した状態で山たちの今の状態を教えてもらいに懐に飛び込み受け入れられて我を忘れ、そしてまた我に返って自問自答を続ける。山の中にいた時間はおそらくたったの24時間程度だったけれど、稀に見る恍惚のひとときだった。
10:00 天神平
↓ - 2:00
12:00 肩ノ小屋
↓ - 0:39
12:20 トマの耳
↓ - 2:10(オキの耳の山頂標見逃す)
14:30 一ノ倉岳
↓ - 1:00
15:30 茂倉岳
↓ - 2:00(矢場ノ頭のピークは踏まず少し巻いた)
17:30 1392m地点(矢場ノ頭より少し下)
個人的には夜のうちに出発して現地に前乗りしておく方が好きなのだが、このエリアへ行こうとすると終電が早すぎて途中までしか行かれないため朝出発することにした。土合駅着8時半頃。これまでに何度もこの駅から山に向かっているけれど、いつも車だったのでホームに降り立つのは初めてだった。駅があまりにも深いので、地上に出るまでにちょっと疲れてしまったのはご愛嬌・・・
谷川は晴天率が低いと言われているけれど、この日は本当に良い天気の予報。朝から雲ひとつない。ただし日曜日は強風が吹き天気は崩れるという。さてこれをどう見るか。
私は実はまだ谷川岳のピークを踏んだことがなかった。肩ノ小屋まで行ったり、近くを歩いたりはしているのに、ピークには一度も行っていなかった。当初の予定は西黒尾根-谷川-茂倉岳-茂倉新道というルートだったのだが、土合の駅で地元のおじさんに話しかけられて、西黒尾根へ一人で行くと私が伝えた時の、おじさんのぎょっとしたような顔で色々悟ってしまった。トレースは多分ないと言う。ならば今日中に肩ノ小屋まで行かれないだろう。
ぐるぐる考えた。今回の目的は何だ?西黒尾根か、それとも谷川岳のピークか。茂倉新道までの縦走か、西黒尾根のラッセルか。たしかにどれも目的ではあったけれど、ピークも縦走も日曜日になったら叶わないはずだ。西黒尾根を調子よく登れたとしても、日曜日に強い風が吹けばピークも縦走もできずにそのまま降ってくるしかなくなってしまうだろう。土曜日にこの快晴無風で稜線を歩ければ、茂倉新道までいけるかもしれない。
やはりロープウェイに乗るしかなかった。文明の利器で上にあがるのはあまり好きではないのだけれど、致し方ない。
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ピーカン |
さすがの晴天で登山客はかなりの数。10:00過ぎからのんびりと登り始める。BCの人も多く、スキーやスノーボードを背負ってのハイクアップも多数。山スキーを始めたい身としては、あれこれ聞いて回りたかったが、如何せんまだ自分でまだ全然調べ切れていないので質問のしようがないし返事を貰っても理解できないだろう。人との会話などは一切諦めて黙々とのぼる。
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雲ひとつないとはまさにこのこと |
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肩ノ小屋はこれくらい埋まっていた |
思っていたよりも時間がかかり、しかし思っていたよりはゆるふわでトマの耳に到着。もっと急峻なのかと勝手に思っていたので若干拍子抜け(調べてない)。。。とはいえ、天候次第では大変になるのだろう。人のいる山なので、人に撮影してもらったりなどしつつオキの耳に向かう。
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ヒールリフターあげたままなので背伸びしてるみたいになってる・・・ |
オキの耳は山頂標が見当たらなかったので写真を撮ることはできなかった。オキの耳と思われる場所をすぎてもすぐ前に先行者がいたのでそのまま私は後を追う。その人が途中で立ち止まったのでどうしたかと尋ねると、「この先トレースないですね」と言い、その彼はあっさり引き返してしまった。私はそこから一人と覚悟しつつアイゼンに履き替えたが、潜ってしまって歯が立たず結局再びスノーシューに戻した。結局その先行者は大きな岩の左側を巻くようにつけられたトレースを見落としていただけだったので、私はそのトレースをたどることにした。
しばらくすると、向かう先からこちらに向かって歩いてくる2人組の姿があった。これはもしかして茂倉新道からきた人なのではと期待を寄せるも、すれ違う時に話を聞くと谷川からピストンしただけとのことだった。というかそもそも一ノ倉岳も登れずに引き返したという。。。二人とも耳が不自由なようだったのでジェスチャーで会話をしたため、話の細かいニュアンスはわからなかったのだが、引き返すくらいだからおそらくトレースは無いのだろう。無理なら引き返すし、私は今シュラフを持っているから、いざとなったらここで眠れる、と伝えて別れた。
ひとまずこの人達のトレースのあるところまでは行ってみようと思ってさらに進んでいくと、今度はわかんをつけたソロの外国人がこちらへ向かってきた。今日の雪質は良くない、落ちそう、途中で引き返してきた、すごく危険、いくなら気をつけて、一番遠くまでついてるトレースは僕のだよ、とのこと。そこまで言われると私も尻込みせざるを得ない。彼らと比較して私の実力が上である保証はないし、彼らが行けない場所へ私が行けるのかどうかは全くわからない。
外国人がつけたトレースの末端に着いた。その先の斜面を眺め、さらに進むかどうか私自身も考える。しかしここさえ越えれば先の急登はそこまで危なくもなさそうだし、ここも慎重に行けばそれほど危険というわけでもなさそうだ。確かに雪は緩んでいるし崩れるけれど、すぐに止まるし、自分と自分の荷物の負荷がかかっても耐えてくれそうに見える。それに、万が一滑ったとしても雪崩れそうではないし、斜度からいっても上がってこられるだろう。
慎重に雪の状態と斜度を観察して、一番良さそうなラインを脳内にイメージしながら一歩一歩進む。クリア。外国人が諦めたポイントを通過したら、今度はさらにその先の尾根に大きくせり出している雪庇を遠巻きに予め観察して進む。あの岩の先は雪庇が消えているから尾根寄りをいっても大丈夫そうだな、とか、あそこまでは危なそうだからなるべく尾根に近づかないようにしよう、とか。
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一ノ倉岳の最後の登り。右側(東)に雪庇ができているけれど頂上のほうには雪庇はない。
風で雪面に海老の尻尾がたくさん。舞茸みたい |
気温が上がりすぎてとても暑い。海老の尻尾も少し柔らかくなっていたので、手当たり次第にもぎ取ってはシャクシャクと齧りながら登る。冷たくておいしい。
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来し方を振り返る。斜面にうっすらと自分のトレースが見える |
一ノ倉の最後の上り斜面も近付くと割と複雑な凹凸と傾斜の変化があったので、あれこれ考えながら登っていった。登り終えても避難小屋や山頂標は完全に雪に埋まって一切見当たらなかった。雪原のような平らな山頂。
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スノーシューで多少沈むくらいの積雪と締まり具合。バフバフ歩いて楽しむ |
一ノ倉岳に今日登った人は誰もいない筈だよ、と外国人が教えてくれたけれど、何人もこのピークを求めて諦めて、そこに私が立っているというだけでもう十分なんじゃないか?なんならいっそここで野営して明日引き返すのでも十分楽しめるんじゃないか?明日の強風はどれくらいのものになるのだろう。そしてこの先のルートはどうなっているのだろう・・・
どうせ一ノ倉岳の山頂はしばらく平らなのだから、少し進んだところで戻るのはさほど大変ではないだろう。引き返すにしても、とりあえずこの先の茂倉岳をこの目に焼きつけておきたい。そんな想いで茂倉岳の姿が見える辺りまで歩みを進めることにした。すると、ぬらり、と眼前に現れた堂々たる頂とうつくしい尾根。さて・・・
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うねる稜線 |
戻るか進むかふたつにひとつ。このぬらりとした稜線は果たして私の手に負えるものなのだろうか。そして、あのピークに立たなければ見ることのできない、その先の茂倉新道はいかほどのものなのか。茂倉のピークまで登ってから、やはり無理だと判断してひきかえすとしたら、日没までにどこまで戻れるのか。後ろを振り返ると、正午過ぎに通過した谷川岳のピークは遥か遠く小さい。一ノ倉岳山頂現在の時刻は14時半。
登ったからといって降りられない場所ではないだろう、無理なら勇気を持って引き返そう。そう判断を下して茂倉岳にとりかかる。近づけば近づくほど目に入ってくる南西斜面の大きなクラック。尾根の左をいったり右をいったり、雪庇、左右の斜面の角度、クラックと相談しながら自分でラインをひいてゆく。誰もそれが正しいと言ってくれないし誰もどこがいいか教えてくれない。一歩一歩が自分に任されているとこんなに強く感じた山行が今までにあっただろうか。
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茂倉岳山頂付近 |
15時半。茂倉岳の山頂付近に到達すると、茂倉新道の全貌が明らかになった。ズバーンと降ったその尾根の先には樹林帯が見えた。ギリギリ射程圏内のようにも、そうでないようにも見える。
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写真左手前から右に見える高速道路に向かって伸びる尾根が茂倉新道。
向かう先が見えているというだけでだいぶ安心できる。好天て素晴らしい。 |
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尾根の様子(拡大) |
手前はいい。しかし樹林帯に入る前までこの調子で歩けるのか。尾根伝いに歩けない箇所で、果たしてトラバースができる程度の傾斜なのか。雪崩れることはないのか。クラックはどうか。雪質はどうか。気温は高いし、この数時間太陽に照らされているし、そもそもアイゼンの効くような雪でもない。ここまでずっとスノーシューだけれども、このままこのスノーシューで歩き続けることはできるのか。しかし目と鼻の先には樹林帯、その先には道路まで見えている。行ってみよう。そして、明日の天候を考えたら絶対に樹林帯まで到達しなくてはならない。しかも、焦ったらいけない。落ち着いて、落ち着いて。
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矢場ノ頭のクラック |
ところどころ際どい箇所を「落ち着いて、落ち着いて」と実際に口にしながら、急ぐ。危ない橋は渡らない。遠回りでも、時間をかけてでも、安心できる斜面まで移動しては前進する。ストックを自分の下側に、ピッケルを上側に突き刺しながら歩く。危なそうなところは、どんなに面倒でも、確実にストックを深くさしこんでからそこに足を乗せるようにして進む。それをひたすら繰り返す。陽は傾く。落ち着いて急ぐ、それだけ。
後編へ続く