2026/01/02

20251231-20260104_熊野古道越年山行(3日目)

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Day3--2026/1
/2 (Fri) 行動時間約12時間 古屋倉跡~松畑茶屋跡手前211m付近
6:00出発の計画をしていたが5:38出発でこの日も前倒し。2日目の朝とスタート時刻が1分も違わないのが気持ち悪い。因みに起床は4:30くらい、ご飯食べて撤収するまで1時間。1人だし雪でもないので朝の支度が早く終わってしまう。じっとしていても仕方がないのでとっとと出発する。
1時間ほどで矢倉観音堂に到着。耳を患った人がお地蔵様の頭を撫でると治ると言われている、とある。数年前、突然片耳が聞こえなくなってしまってそれきり治療をしても治らなかった父のことを想いながら、代わりに私が頭を撫でなどしてみる。まぁ万が一にでも治ったら儲けもんである。いまだにこの観音堂ではお祭りをしているというのだからすごい。このあたりでかつて暮らしていた人々と、時空を超えて繋がっているなぁという不思議な感覚を抱く。
そこから更に10分ほど降ると何かわからないが建物が。山と高原地図には何も書かれていないのに大分立派な建造物。いやこれ何?最早誰か住んでいるのではないかとさえ思えるような佇まい(住んではいない)。本当にほんの数十年前までこの辺に人がいたんだろうなぁと思うとなんとも言えない気持ちになる。
一旦西中地区に降りる。
住人らしき人とこの後1人だけすれ違った。高校生くらいだったように見えたが・・
途中で拾ったリーフレットのメモに書かれていた通り、酒の自販機が現れた。4日分のお酒にしてはかなり切り詰めてきていたので、ここでワンカップの200mlを購入。容器がないのでコーンスープも買ってこの空き容器に日本酒を入れ、入りきらない分はお屠蘇(写真左)に追加してワンカップの瓶はここに捨てさせてもらった。結果論でいえば、この日熊野本宮のデイリーヤマザキまで到達してしまったので、ここから運んだ日本酒は別にここで買う必要はなかったw
全然普通の値段で売っているのが有難い。ワンカップ170円だった。
そうこうしている内に雪がぱらつきだす
しばらく舗装路をゆく。ところどころに立派な水場がある。特に水に困ってはいないのでそのまま通過。
十津川村である。ここは湯量が豊富で、全国に先駆けて「源泉かけ流し宣言」を発信した温泉だそう。村内すべての温泉施設でお湯の循環や再利用を一切せず、沸かさず塩素消毒をせず、薄めない源泉を提供しているとのこと。もう1泊あれば泊まっていきたかったが時間がない。まぁ一度にあれこれ詰め込もうとしても限界があるのだ。いつか訪れてみたい温泉地のひとつである。
何故だかやたらとバス停の標識の高さが低い。村の人達が年配で、皆背が低いからなのか?とも思ったが、村民とは全然出くわさないのでよくわからない。この村から一度も出たことのない人も沢山居るのだろうなぁ。村の中で全てが完結しているのだろうし、それなら外界と繋がる必要なんて無いのではないか。そもそも繋がることは良いことなんだろうかとさえ思う。しかし、別に繋がる必要など無いんじゃないのかと思う一方で、自分が普段暮らしている都心の世界と同じ時代、同じ政治経済の下に在るということもまた事実なので、あまりにも違いすぎてもう別のルールで統治されるべきなんじゃないのかという気もしてくる。ジオラマのような村の中を無音でひとり歩いていると色んなことを考えるものだ。

お洒落な休憩スペース、熊野古道に関する本や資料などが置いてあり自由に閲覧できる。
飴やキャラメルなどの用意も。
初日の暴食により行動食も減ってきていたので、無料配布のキャラメルとブラックサンダーを少しいただく(ありがとうございます)。
募金箱がある訳でも無し、純粋な休憩スペースとして開放されている。有難い。
ここは十津川村の老夫婦がやっている無人販売所で、木工品が置いてあった。購入した人はノートに何をいくつ買ったか記入し、木箱にお金を入れるスタイル。外国人の方が多数購入されていた。
途中、ここもノーマークだったのだが昴の郷という温泉施設に到着した。3日目ってまた半端なタイミングだけど、時間はあるしさっと温泉に入るというのもアリかな~などと思っていたら年末年始の時短営業で12時からだった。ここに着いたのが9時半過ぎ、待つわけにもいかずに通過する。キャンピングカーで犬猫と共に温泉地を回っていると仰るご夫婦と少しお話をした。

日本一走行距離の長い路線バスだという。
調べてみたら八木新宮線というらしく、近鉄大和八木駅(奈良県)~JR新宮駅(和歌山県)の169.9km、全区間乗ると休憩込みで6時間半かかるそう!料金は路線バスとは思えない6150円。もう路線バスである必要がなさそうな距離と値段
舗装路が終わって登り。果無(はてなし)から果無峠を目指す。下の方は普通に果無集落があり、人が住んでいるようだ。地図にはフリガナも振ってあったが、勝手に私は「かなし」と読んでいて、なんか悲しいなぁとか、果物が成らないような土地なのかなぁそれにしては日当たり良いなぁなどと思っていた。途中で「はてなし」と読むことが分かってからは、今度は「果てが無いなんて、無限に拡がる可能性!夢がある!どこまでもやれるってことか!」などと勝手に解釈し、素敵な地名だなぁとほっこり。実際は果てが無いほどに続く登り坂、峠までひたすら登り・・・みたいな意味で果無という地名が付いたようだった。勘違いも甚だしい。英語表記はEndless Slopeとなっていた(救いのない名前だな・・・)。
少し登ると十津川の河川と、その向こうに大峯奥駈の稜線。丁度玉置山のあたりか
果無からはトレイルを登ったり舗装路を横断したりを暫く繰り返す。
途中の民家(空き家?)の壁には古の人々の装備が飾られていた。
ここは人が住んでいる家のよう。干し柿作り最盛期。美味しそう。
ここも幕営地になるかなと思っていたが到着時間的にまったく合わないので通過
ここも周りは防風林。皆知恵を絞って暮らしていたんだなぁと思わずにはいられない
それにしてもあちこちに幕営できそうなところが沢山あって、適地をスルーしても次がすぐに現れてくれるのでとても助かる。地図を見てもどこにもテントマークがないのではじめは動揺したが、観光客のいる神社周辺や急登・急下降箇所でもない限り、正直どこでも眠れる感じだ。寧ろ、絶対に幕営適地なはずと思って到着した場所がそうでもなかったりする(それは時期的な問題も勿論ある)。観音堂もそのひとつ。
水場もあるテン場!と思っていたが完全に涸れていた。
スペースとしては平らで最高だが水場ありを想定していてここに着いたら絶望するw
このままだと3日目に本宮に着いてしまう。時間調整して朝到着にすべきかそれとも今日中に本宮を過ぎるべきか。今日着くなら何時までに着くか、明日なら何時に着いてしまうかを考え始める。あまり一般的でない夕方遅くや早朝に通過することになってしまうと、神社そのものを見学したり買い物をしたりできないのが悩ましい。この時点ではまだどこで寝床をつくるか決めかねていた。
朝沸かしたお湯をサーモスに入れ、昼12時丁度くらいにアルファ米にお湯を注いで20分くらい歩いて日当たり良好で風のない所を探してお昼ご飯、というのを毎日繰り返してかれこれ3日目。アルファ米は苦手だなんて人も多いが、私は全然大丈夫だ。何より米は腹持ちがいい。雪山だと冷えて固くなってしまうが、今回はぎりぎりなんとか大丈夫だった。
友人が趣味で作っているアルファ米コジーを数年前に貰って愛用している。
それまではモンベルのコジーを使っていたが、それよりライト&コンパクトで、行動食袋に入れても嵩張らずお気に入り。手前側にスプーンポケット有り。素材はX-pac
道の駅、なんならここでお饅頭的なものとか食べられるかもな~などと期待を寄せていたが年末年始で休業中だった。ここのトイレで水を補充。
この後、一旦三軒茶屋跡という場所に泊まるかも迷っていたが、もうここまでくると観光客エリア内でありテントを広げたり東屋の中を占拠したりということがしづらい感じになっていたので、もうこのままこの日のうちに本宮へ行くことにした。結局本宮到着が15:50くらい、無事間に合った。
営業時間内着!しかもそこそこ人がはけた後なのか、そんなに混んでいなかった。
手拭いと根付けを購入。手拭は前回の大峯奥駈の時に買ったものを持参してきていたが柄違いを入手。前回の柄はもう販売していなかった。
私は柘でできた八咫烏の形の根付を買った。八咫烏は導きの神様で3本の足を持ち、その足は天・地・人、あるいは知恵・仁愛・勇気(智・仁・勇)の三徳を表すといわれているのだそう。八咫烏のお守りは何のお守りなのかと巫女さんに尋ねたら滅茶苦茶詳しい年配のご婦人が登場して延々お話しくださったが、あまりにも話が専門的且つ長すぎてその場ではよく理解できなかった。とりあえず導きの神様ということだったし、この先那智、速玉と導いてもらえたらいいなと思って選んだ。
以前にも本宮は訪れたことがあるのでさらっと流して買い物だけして撤収。お正月の掻き入れ時ゆえか神社前には出店やキッチンカーなどが沢山あった。ちょっと気になったりもしたがもうじき夕飯だしそもそも結構人が並んでいて買うのに時間がかかりそうだったのでそのまま通過。風が吹き抜ける寒い国道を歩き、大峯奥駈からの合流点を過ぎるとデイリーヤマザキ出現。勿論立ち寄り。
デイリーは豆大福が美味しくて好きなのだがこの日は売り切れており残念だった。
レジ前のホットスナックや肉まんもすべて売り切れ!大人気。酒の肴を2つほど購入。
道の途中にはいくつもゲストハウスがあった。こんな熊野本宮近くは国道で賑わっていてテントを張る所なんてなくて、今日のうちに幕営適地まで辿り着けるのだろうかと不安になってくるし、寒いし、もういっそ1泊くらいゲストハウスに飛び込みで泊まってしまおうかという気にもなったが、心を鬼にして今夜もテントで眠るぞという強い意志で足早に進む(正月だし別にここで自分に厳しくする必要など全く無いのだが・・・)。ふたたび山へ。
月が綺麗
あんまり登って標高を上げても寒くなるだけだし、かといって下すぎると道路が近くて下界感が凄いんだよなぁとかぶつぶつ言いながら地形図とにらめっこ。この辺でよかろ。
少し道が広くなった平らなところで幕営。
ギョニソと豆ミックスはデイリーで購入したもの、この日のつまみはギョニソしか食べず豆は翌日に残した。因みにこのギョニソはすごい巨大で、1本200kcal以上あった。食べ応えあり。(勿論この後ラーメンとジョンソンヴィルは食べている)
もう大分まいてきているのでこんなに長時間頑張って歩かなくても全然良かったのだが、幕営地探しや神社通過時刻との兼ね合いもあって結構長めに歩いてしまった。

2026/01/01

20251231-20260104_熊野古道越年山行(2日目)

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Day2--2026/1
/1 (Thu) 行動時間約11時間 大滝集落~古屋倉跡
明けましておめでとうございます。

元旦は起き抜けのすきっ腹にお屠蘇を飲むのが実家のならわし。私は越年山行には必ずお屠蘇を持参することにしている。この日は朝食のカレーメシと珈琲でカロリーを入れたあとにお屠蘇を飲み忘れたことに気付いた。すきっ腹にお屠蘇ってのが気持ち良いのに!しくじった!とか言っていてもカレーメシはもう胃の中に居るので仕方なく後からお屠蘇に追いかけさせる。今年も健やかな1年にしたい。鼻腔に抜ける薬草の香りが実にいい。

国道を進みつつ途中でちょっとだけ逸れて水ヶ峰を登る。国道に落ちていた小辺路案内リーフレット、ぱらぱらとめくってみると持ち主のメモが書き込まれており、後々役に立ちそうだったので拾っていくことに。自販機マークに1ヶ所丸がつけられていて「ビール」の文字があった。なんだ、ただの酒好きか。
1日目が長丁場で就寝も遅くなることを想定して2日目は短め且つ出発時刻も遅めの7:00で計画していたが、初日思ったより早くテン場についたうえ、この日の朝も普通に起きられたので、予定を前倒しして5:38出発。順調である。
大分浮腫み始めているが鏡を見ていないので本人はこの時浮腫みに気付いていないw
水ヶ峰から降りる途中あたりだったか、黒づくめのUL系イケメンみたいな人とすれ違った。2026年に出会う1人目だったのに、この人もしかしたら喪中かもしれないよなとか余計なことを考えてしまって明けましておめでとうが言えなかった。こういう時、どんな相手にでも使える新年の挨拶が欲しいななどと考えてしまう。
タイノ原林道に抜けて歩いている途中でご来光を拝む。丁度展望のある区間で、しかもこの曇天にも拘らず、雲の切れ目から太陽が見られたのは本当にラッキーだった。2026年、良い年になりますように。
今はこういう林道や道路があちこちに開通しているから小辺路も舗装路歩きと山道歩きのミックスになっているけれど、昔はほとんど未舗装の歩き辛い道だったのだろうし、それをはるばる熊野本宮まで、人々はわらじとかで歩いていたのだから頭が下がる。古の人々は肉も食べずに米や豆でその体を維持していたのだから、とんでもない体力おばけである。
大股の集落に出てくると、空き家なのか何なのか、個人が勝手に作ってくれているような休憩所がいくつかあった。小辺路歩きに優しいお出迎えだ、しかし人には全く会わない。

椅子が無駄に豪華

そして今回の最高峰となる1344mの伯母子岳の登りにさしかかる。雪がついているとしたらここだろうな。登り始めると割とすぐに萱小屋跡避難小屋に着く。まだ全然時間が早いので泊まっている場合ではないけれど、こんな立派な小屋だったらどうにか時間調整してでも泊まってみたかったなぁ。事前に写真など少しは見ていたものの、ここまで立派だとは思っていなかった。滅茶苦茶綺麗で雰囲気もあって素敵!
知り合いも幕営していた萱小屋跡。私なら絶対小屋の中に泊まるw
今は個人の所有物で、その方が管理されているそう。薪完備。
暖炉と囲炉裏!使っていいらしい。すごい・・・。泣く泣く通過。
向こうの嶺がほんのり雪を纏っている

せっせと登っていくと段々雪が出てきた。多少凍結したトラバースもあったが全面凍結ではないのでスパイクは使わずに通過。前回降ったのがいつなのかはよくわからなかったが、確か12/27あたりの記録で結構雪の積もった写真を見かけたような記憶はあるが、それから降っていないのかも知れない。
山頂到着。良い眺め!
山頂を振り返って
山と高原地図だとこの先、伯母子峠の避難小屋と水場にいったん降りてから南下するルートになっていたが、実際は小屋を経由せずに南下する踏み跡があったので小屋には寄らずに踏み跡を辿ることにした。計画段階では、伯母子岳に避難小屋があるなら小屋泊か、しかしもう少し進んで上西旅籠跡で泊まるか・・・と考えていたが、予定していた出発時刻より1時間20分早く出発した上に歩くペースも速すぎたようで、上西旅籠跡に11時半頃には到着してしまった。これは想定外。まだ暫く歩くことにする。
平らで明るい幕営適地。水場もトイレもないけれど、ここは確かに気持ちよさそう
降り切って腰抜田(こしぬけた)。いや地名のクセ強・・・
50m下手に石碑がありますとのこと、そして下の写真がその石碑。実際の田は水害の時に川底に沈んでしまっているのだそう。不知火と書いてしらぬいと読む、みたいな読み方なのかななどと思っていたが腰抜田はそのままこしぬけたと読むのね・・・

再び山へ。登り口に三浦の湧水というのがあったが水は細くちょろちょろ程度。もう少し登れば三十丁の水というかなりあてにして良さそうな水場もあることだしね、などと余裕をかまし、ナルゲンの減った分だけ補充した。
次の水場である三十丁の水を目指そう。途中に吉村家跡という場所があったが、ここには当時植えられたという防風林があった。確かにその周辺は木が密で、植えられた杉の木は樹齢500年と推定されるとのこと。吉村さんが家の周りに風よけで木を植えて、それが今も残っているというのは言葉にすれば至って普通のことなのだが、なんというか当時の吉村さんに話してあげたいような気分になる。あなたが植えた木、こんなにのびて今も残ってんだよ確かにこの周辺は風が来ないよね、と。ずっと昔ここに確かに吉村さんがいたのだ。
三十丁の水は涸れていた。1滴2滴というレベルでまるでお話にならない。この時点で15:40、そろそろ幕営地をどこにするか考えたいところだが、このままだとちょっと水が足りない。

もう少し登って三浦峠。ここで泊まれば翌朝景色は良さそうだが標高は1000mを超えていて風も抜けるし寒い。トイレも東屋もあるが水場は無く、手洗い用の天水だけである。しかし初日の幕営地が800mちょっとだったことを考えると、そこから更に標高を上げて風が抜ける場所での幕営は絶対に寒いし、まだ行程2日目にして睡眠の質を下げたくない。もう少し標高を下げたところで眠ることに決め、もう少し場所を探すことにする。時刻は16:30。
綺麗で広い。
奥の小屋がトイレ。
峠から僅か10分ほど進むと、地図にもきちんと書かれていたのに完全にノーマークだった水場が現れた。信じられないくらいドバドバ出ている。
写真右手前に水
水を汲み更に10分ほど降ると古矢倉跡という幕営適地に着いた。下調べの時点でここの存在は認識していたが、1日の終わりに到着する位置になりうると考えていなかったためそれほど重要視してもいなかった。横に斜面があるので多少落石の可能性はあるものの、それほどの急斜面でもないのでまぁ大丈夫だろう。テントをたてるとかなり平らな場所で寝心地も良かった。
ここを本日の宿とする!
頑張れば何張かいけるかも知れないが、割とスペースは狭め。
4泊する中でテン場が人と一緒になることが一度もなかったので、場所が選びたい放題だったのはとても良かった。
今日は原点回帰でサッポロ一番塩らーめん。
初日の食欲が続いていたら本当に食料が不足してしまうと心配していたが、結局2日目には落ち着いて予定通りの量でお腹が満たされたのでひと安心。この日のアルコールは勿論お屠蘇だったが、今回お正月らしい食べ物やつまみは全く持参できなかったのであまりお正月感は出なかった。

翌朝出発前に古矢倉跡の説明をよくよく読んだら「昔、古矢倉坊主なる者がいたが、屋敷に釣天井を仕込み、旅人を殺害して軍資金を作り、大阪の陣に出たといわれている」とのこと。ここ、幕営適地って言ったって滅茶苦茶いわくつきじゃねぇか・・・
因みに余談だが、2018~2019年の越年山行は長衛小屋ベースの4泊5日でお正月感出しまくった。こういうのが越年山行の醍醐味でもあるはず・・・今回はできなかったけれどやむなし。それにしても、この時の山行はブログ書かなかったみたいだなぁ、書けば良かった(今更)。
切り餅を網で焼く。大晦日は冷凍蕎麦で年越し蕎麦もやった。
この時荷物は23kg超えw
午前に山登って午後は宴会みたいなことを連日繰り返していたので明るい時間から酒。
楽しかったなぁ

以下備忘録・装備編
天気予報等を参考に夜間の気温が-5~-10℃と想定。装備が重すぎるとゴールまで歩ききれないと判断して適度に削った。スタート時、水込み16kgほど。

寝袋:3シーズン用カモシカオリジナルSPDX3/ Nanga、シュラフカバー(Ali Expressの安物)
防寒:Infinity Jacket/ Rab、ダウンパンツSPDX100/Nanga、Hot Socks/ Integral Design
 ※シュラフは厳冬期用(Feathered Friends)だとオーバースペックだと思ったので薄手に。
  シュラフを削った代わりに、ダウンジャケットをいつものものよりも厚手に。
  (普段はFlash Jacket / Western Mountaineering)
 ※ダウンパンツの下はキャプリーン4のタイツ
防寒その他:白金カイロ
足回り:Marmolada Pro/ Scarpa、チェーンスパイク/Hillsound
 ※トレランシューズだと寒そうだったので登山靴に。
グローブ:ウォームブラスターグローブ/ワークマン、防寒テムレス
 ※他にもメリノグローブと防水グローブ等持参したが使わず
テント:クロスオーバードーム/ヘリテイジ
 ※エスパースのダブルウォールを持ちたかったが重すぎるため諦め。
  荒天になっても雪だし水没しないと想定し、クロスオーバードームにした
火器類:P114+OD缶250に冬季用CB缶詰め替え

この装備で標高1000m近くまで登ると寒かったので、宿泊地に選択肢がある時はできるだけ標高を下げるようにした。また久々に白金カイロを使ったが、これがなかったら睡眠の質は大分下がったと思うので持参して良かった。
また、今回火器で冬季CB缶をOD缶に詰め替えた物を初投入してみたがかなり使えて、火力も下がらないことがわかった。厳冬期どこまで使えるかは次の雪山などで試してみたいと思う。これが厳冬期に使えたら、冬のガスのランニングコストはかなり下げられるはず。今回ガスは出発前総重量321g→山行後149g=使用量172gでほぼ使い切り(毎晩湯たんぽ作成など)。

3日目へ続く